1. 佐々木正悟のライフハックからの精神分析
  2. 「やった方がいいこと」はでき..
2025-10-16 45:17

「やった方がいいこと」はできない【1266】

「いい自分」と「悪い自分」とに分かれた時、私の力は半分になる。
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サマリー

このエピソードでは、タスクシュートの活用法や短期記憶と長期記憶の違いについて考察しています。また、AIとの関係やタスクシュートによって仕事がどのように加速するのかについても触れています。このエピソードでは、タスクシュートを用いて仕事の効率を高める方法や、精神分析に基づく自責の念について考察されています。反復の重要性や、良い行動を繰り返すことの価値が論じられています。このエピソードでは、自己の内面的な分裂や、良い自分と悪い自分との葛藤について考えています。特に、確定申告の準備を通じて、自分の弱さや不快感と向き合う様子が描かれています。自己改善の試みにもかかわらず、行動が伴わないことに気付いた経験が語られ、自分自身を一つとして捉える重要性が強調されています。

タスクシュートの実践
おはようございます。3ヶ月チャレンジ通信第1266回をお送りします。
10月16日木曜日7時54分です。
はい、あのー、センリさんという認定トレーナーさんをゲスト講師として登壇いただいて、オンラインですけど
11月の8日だったと思うんですけどね。はい、土曜日の夕方4時からタスクシュート完全活用術のシリーズ化できるかどうかわかんないところなんですが
これまでZoeさんと2人で続編まで2回やりましたね。これの続きで実践編というところをお届けしようと思っております。
詳しくはもちろんPTXの告知ページにあるんですが、センリさんは長らくですね、実務経験が、私よりもはるかに本当とか嘘はないかもしれないけど
実務らしい実務をやってこられている方で、かなり長い間タスクシュートを1分単位で撮るっていうか、基本的には24時間体制で撮るっていう
子さんのユーザーと言えばいいのかな、の方なんですよ。その実例を目にかけるというか、セミナーでお届けしたいと思っております。
併せてですね、私の方からはいつも通りに近いんですけど、短い時間でどこまでできるかわかんないですけど、頑目が3つぐらいはありまして、この3つは3回ぐらいに分けるかもしれませんけど
とりあえず今考えているのは3つをお伝えしたいことがありますね。
1つは、これはあれです。いつもながらではないな。1つはですね、ちょっとちらっとXでつぶえてみて若干好評だったんですが、タスクシュート情報整理という、つまりタスクシュートクラウド2を主に念頭に置いてるんだけれども
ノートを、メモですかね、プロジェクト、リピートタスク、タグで集約的にここに集めていくというのを、実際もうかなり長いことやっておりまして、これをどのようにしているかという、活用しているというよりは、活用はしてるんだけど、機能ですからね。
これを活用して、どのように実際に運用しているかについてのお話をしようと思っています。
Evernote 以来、連綿とこのタグとプロジェクトとっていうのが続いてるんだけど、ここにリピートタスクのメモっていうのが入ってくるわけですが、これは大変私は便利だと思っております。
便利だの一言に尽きるんですよね。ここを見とけば基本的には大丈夫っていうか、やろうと思えばここを見とけば絶対大丈夫なところまで持っていけるはずだし、今後Jさんが、J松崎さんが開発者のですね、ここのところを多分、完成に導いてくださるんだろうと思っております。
そのお写真の中では、このノートはどのように機能していくはずかというのをお伝えしたいと。
メインキーワードは短期記憶だと僕は思っております。長期記憶というのは、もう検索の対象でしかないと思うんですよ。
それがどういうプロジェクトだったかとか、ましてやどういうタグがついてたかなんてのは、よっぽど徹底的にやらないと、そっちを手がかりにして人は探さないと思うんですよね、長期記憶になってくると。
でも短期記憶はそうじゃないだろうと。目検索も多々あるだろうと思うんですが、この中でですね、要は欲しい情報がヒットすればいいわけじゃないですか。
オブシディアンを使うとか、後ほどちょっとお話しますけど、AIを使うというのは当然だと思うんですよ。私は使ってないですけど、当然そうするだろうと思うんですね。
ただ、それはどこに入れるべきであるかが、結局ハンゼンとしない情報はそういうところに入るしかないんだけど、どこに入れるべきであるかが、少なくとも入れるときには至って自明であるような情報。
例えば私が3ヶ月チャレンジで参加者さんにお伝えしたいこと、しなければいけないことだな、しなければいけないことの箇条書きを3ヶ月チャレンジのどこかにメモするというのは当たり前じゃないですか。
つまりすぐ入れてすぐ使うものですよ。これが仕事では大量に発生しているんですね。
これはですね、いちいちEvernoteなりObsidianなりNotionなりに入れて、後から探すメリットってほぼない。勝手に出てきてくれるべきだと僕は思っておりまして、勝手に出てきてくれるんですよ、出てきてくれるべきタイミングで。
その数を増やしていけば仕事は非常に楽になるはずなんだけど、何故か知らないけどそうはなかなかならないようになっていて、とても不思議というか設計する人の問題だと僕はこれは思うんですけどね。
リピートっていうのは非常に重要な概念なんですね、ここにおいて。リピートの中に、中にですよ、外にじゃなくて、プロジェクトの中にリピートタスクがあると多くの人は思ってしまうらしいんですけど、全く逆だと思うんですよね。リピートの中にプロジェクトという概念があるべきなんですよ。
だからリピートから探す、てか探すんじゃなくてリピートの中にあるべきなんですよ、全ては。だと思うんですよね。昨日書いた原稿の続きなんで、今日のリピートにあったらいいに決まってるじゃないかと私は思いますんで、その話をします。
今の話で大半してきてると思うんだけど、僕3、40分で喋りきろうと思ってるんで、ちょっとそんなに長くは、そんなに大量に喋るわけにいかない。これが一つですね。
短期記憶と長期記憶の考察
もう一つはいつも通りのタスクシュートではなぜ仕事が進むのか。今回、エッセンリさんのお話を事例にして、それがどういう話なのか僕知らないところがあるんで、果たしてそういう理屈が当てはまるのかっていうここに醍醐味があると思うんですよね。冒険ですよね。どうなるかわかんないんで。
でも私はその話をさせていただきたいというふうに当時は思っています。当時は思っています。日本だてですね。現段階ではね、当日はそういう話をしたいと思っております。
まああの、今日する話に近いところだと思っておりますけれどもね。もう一つあって、多分この話は当日にはできないな。時間の問題でAIとタスクシュートの絡みですね。これは私は今実験的にちょいちょいやっております。ここはね不思議とですね、私は不思議だと思ってるんですけど、あんまりチャットGPTが活躍してくれなくて、
ジェミニにしてみたら結構うまいこといくという、ジェミニの最大の使いどころの一つにこれが出てきたんですよね。ジェミニはですね、いろいろと不思議なことが実にうまくやってくれる。例えば、アイキャッチ画像を作るのはチャットGPTではまあうまくいかないんですよ。なんか意味不明なことをやってくるんですよ。時間もかかるし。でもジェミニはあっという間なんですよね。僕が欲しいレベルのイラストであるとですね、ジェミニの方が全然活躍してはくれます。
本当に手軽なものでいいときはジェミニに限るな。秒ですよね。っていう感じがします。
で、あの、まあ僕が使うっていうのは本当に自分が楽しめればいいレベルでしかないような、アイキャッチがないよりは、ないこともいっぱいありますからね。僕の技術なんて。ないよりはマシかぐらいなレベルなんで、別にその、なんていうのかな、ノートとかであの、大概の人は、本格的にやる人は使わないかもしれないけど、
ノートとかであの、適切な画像を探すみたいな。僕あれ探すのがたるいから、ブランクのままになってるわけですよ。だけどジェミニになったらは、まあなんとか秒なんで、たるくなくなってくる。たるいけど、まあそういう感じなんですね。
僕は文章の上になんでイラストがいるんだって思ってる派ですから、100%そう思ってますから、文章だけあればいいだろうって思うんで、あの字がいっぱい書いてある方がよっぽどマシだと思うんですよね。実際自分が記事読むときも、あの、ブランクの方を比較的よくタップするんですよ。
絵があるやつはだいたいこう、その段階で僕にとってはネガティブな要素でしかないんで、絵に何のポジティブな要素も僕見出せないんですよね。その空間に文章情報が入るはずなのに、なぜそこに意味がわからない抽象的な絵が入るかっこいいからなのかもしれないけれども、あれによってこう文章理解が進むってこと進んだって試しがない気がするんで、あの私は基本的にアイキャッチがあるものを望ましいとは思うんですけど、
それを自分の文章につけたいと思うはずが全くないんですよ。だから、AIでイラストってどうなのっていう話になったら即やめますしね。やりたいと思ってるわけじゃないんで。ただ、ジェミニは早いということはこの件に関しては早いことは早い。
基本的に僕はワークスペースをこれは使わざるを得ないから使ってるんですけど、使いどころがないんですよね。あんまりジェミニはね。ほとんどチャットGPT使ってるんで。でもこの話タスクシュートの絡みで言うと、ジェミニの方が今のところ活躍できてますけど、未来英語はそうだとか言えないじゃないですか。AIってどんどん変わっていくから。だからそこのところでちょっと悩むんですよね。
ただタスクシュートとAIといったテーマは今盛んにJ松崎さんも研究されていて、もちろんそっちの方に任せとけばいいんだけど、僕はまあ僕なりに使いたい使い方ってのを考えついちゃうと、それを使わずにはいられない人間なんで、その話が上手いことできればその日は無理かなとしてみたいかなとも思ってます。いや、使ってはいるんですよ。使ってはいます。
ジェミニはあとGoogleカレンダーと当然のことなら相性いいじゃないですか。だからまあ今日の予定をGoogleカレンダーから引っ張ってこいってあんまりやる意味ないんだけどね。アプローチ見れば済んじゃう話なんで。あんまりやる意味ないんですけど、まあその一言言えば済むという意味では楽ですよねっていうことです。
11月8日にセミナーをやりますので一応チェックしておいていただけるとありがたいです。この話の続きとしてですね、タスクシュートはなぜ有効かという話の中で、だからそれを詰めていくうちに精神分析に行き着いたというのは、この番組を聞いていただいている方には一応クリアになってきているのではないかと思いたいんですね。
AIとの相互作用
それを告知レーターに僕はガンガン書きますけども、書いてないかな。でもまあ平気で書きますけど、それが告知PRになるとは思ってないですよ。別に思ってないですが、僕はもうなんていうのかな最近AIがいろいろ書いてくれるじゃないですか。私試しに告知文書いてみたら上手いなと思ったんですよ。今風で過剰書きでさすがだなと思って全然使う気がしないというね。
なんでなのかあっちの方がPRにもなるし人も来るような気がするんだけど、私はですね結局つまりなんて言えばいいのかな。AI使いますよ文章書くのに。僕文章書くのにAIを使わない派とかは全然ないんで使うんだけど邪魔なんですよ。すごく今の段階では。
これは難しい問題。ケンスーさんが先日ね使わないと危険だよっていうことを言っていてその通りだと思うんですよ。僕はそのことに異論はないんですね。ケンスーさんなんか親友かなんかのように言ってますけど基本的に彼は僕のことを名前を知ってる程度だと思ってると思いますから。僕が一方的に彼は有名人なんで知ってるだけなんで。
それはいいんですけど、何だっけ。つまり彼が言う通りある種のいわゆる何とか点ですよね。得意点を超えると普通に使うようになるよって話をされてるわけじゃないですか。今時表計算を紙に書く人はほとんどいないと思うんですよね。いや俺はExcelは絶対認められんみたいなこと言う人もいるかもしれないけど。
もう昔あったんですよ。あんなの使い物にならないって言ってる人たちが。で、だいたいそれを言う方は表計算の天才的なっていうか少なくとも表計算を圧倒的に得意としていた人なんですよ。紙における。あの、証券やっても絶対間違わないぞみたいなね。でも、淘汰されちゃうわけじゃないですか。当たり前ですけどね。当たり前なんですよ。今だってリアカーで高速道路走る人いないでしょ。入れないですけどね。
そういうことなんですよ。いずれAIに淘汰されるに決まってる分野って間違いなくあるわけですよ。いくら今の段階ではああだとこうだとか、心理的には良くないんだとかっていう話がいくらあっても、淘汰は確実にされていくんですよ。僕は、今カウンセラーはもう占い師を敵視してる場合では全くないと。ただし占い師はAI時代にもおそらくしぶどく生き延びていくんですけどね。
ここのところはよく考える価値があると僕は思うんですけどね。
あの、なんかこう、ちょっとこう言ってはなんですが、バッタモンっぽいガラス細工のキラキラしたものは大事なんですよ。だってAIそれ作ってくれませんからね。その画像を出すことはできてもですね、
AIはそれを作ってはくれないんですよ。いつか作ってくれるかもしれないけど、3Dプリンターみたいなのもいるじゃないですか。当分難しいと思うんですね。
でもカウンセラーは何にも出してくれませんからね。話をするだけでしょみたいなのに対するカウンセラーさんなりの、あれ僕良くないと思うんですよね。話をするだけじゃありませんみたいな。
そうやって自己定義をしていくと、いずれこう何々ですっていうことが難しくなる一方で、あの余計なお世話ですけど、正規のカウンセラーさんほどこれを言いたがるっていうのはあれは非常に危険なんじゃないかななんとかだけでしょうっていうのは無視するに限るんですよ。
なんとかだけなんでしょう所詮はって言われて面白くないのは当然なんですけど、なんとかだけでいいんですよ。それができるところが実はそんなにないぞっていうことを、あの例えばですね、床屋さんなんて紙切るだけじゃないですかっていうのは、いや紙切るだけじゃないですよって余計なことじゃないですか。紙切るだけでいいわけですよ。
じゃあどこで他で紙切ってくれるのさっていう話になるじゃないですか。あのね、スキー場に行くと結構カツカレーが高いんですよ。で、うちの親父はカツカレー大好物なんで一本は違うと二皿食べてたんですけどスキー場行ってね。スキー場のあんなところってカツカレー出すだけじゃんとかって言う人はいないわけですよ。
じゃああそこでどうやって他のカツカレー食う方法あるんだっていう。ないわけじゃないですか。だいたいあそこで食べられるほど美味しいカツカレーってそうそうないよっていう話もあるんですけど、このねなんとかだけっていうのはすごく重要だと思うんですよね。
どうしてスキー場ではアイスが一本500円でも飛ぶように売れるのかという。一本下に行けばつまり山を降りれば200円のものが500円でも飛ぶように売れるのかっていうね。金持ちが言ってるってこともあったんですけどね昔はね。とにかくそのなんとかだけっていうのに対していやそれだけではありませんとか言ってるうちに何やってるところだとかわけわかんなくなっていくっていう現象があちらこちらで多分に起きるんですよね。話を元に戻します。
あの精神分析に追いじゃなくてタスクシュートを詰めていくうちに精神分析にぶつかるのは僕ぐらいかもしれませんけれども。
一見それが最もらしく聞こえる話と実際にそうである話はだいたい違うものでして、私は別に何かを煙に撒きたいわけではないんですけれども、そう聞こえるとするとですね多分やっぱりそこはあっさり信じられている価値観というものが強いからなんですよね。
例えば人に迷惑をかけてはいけませんみたいなことはもうあまりにも自明のものとして信用されすぎているために迷惑かけても構わないんですっていうのはニュートラルには絶対響かない。
漏悪的なことを無理やり言ってるようにしか聞こえなくなってしまうわけですね。これと似たことがタスクシュートの周りなんかでは普通にあって行動を起こして問題を解決するのが悪いはずはないっていうふうに信じ込まれているために、
例えば僕はフロイトが反復って言ったものにはかなり真剣に考え込むだけの価値があると思うんだけど、やっぱり我々はですね、無用なことをこれがまさに昨日数名にわたってこの話を議論することがありまして、私はそれについて長らく考えることになったんですけど、
つまり不毛であると。不毛ではいけないんですけど、精神分析は赤ちゃんを産まなければいけませんから。ブレインチャイルドをね。だから生産しなければいけないわけですよ。
市場から言われている生産性とすごく違いますけど、生産しなければいけないわけですよ。精神分析は。クライアントとっていうのかな、ユーザーと最近言われてますか、ユーザーとカウンセラーというカップルでブレインチャイルドを生み出さなければいけないわけですが、不毛であっていいわけじゃないんだけど、でも私は不毛な反復というものをもっともっと重要視しないと。
これがすごい我々の中でですね、忌避されているものですから、2度でもあってもやられてるわけ。2度ですらダメだと。同じことを2度やっちゃダメなんだよっていうことになっちゃってるわけですよね。反復なんて何回やるかわかったもんじゃないんで。
で、でもこの反復ということの中に僕しばしばですね、やっぱりあんまり寄せすぎるとよくないんですが、タスクシュートにリピートタスクがもうこれほど重視されている。もうおそらく最大の特徴はリピートタスクだろうと思うんです。まあ今正式にはルーティンタスクと呼ばなければいけない。繰り返すタスクですよ。反復ですよね。なぜ我々は反復を嫌うのだろうかと。
自責の念とパフォーマンス
99%反復で生きてるのに、例えば毎日朝食はとり、昼食もとり、お風呂にも入り、毎日睡眠するわけですよね。だからこれほど大事なことはないわけですよ。大事だから繰り返し繰り返しやるわけじゃない。毎日絶対欠かすことができない。これを省こうとするんですよね。
一回性のことをやるという非常に無理なこと。一回性のことをやることほど無駄なことはないんですよ。タスクシュートは最低でもこのことは伝えてくれますよね。我々の仕事は反復によって成立しているのであって、一回きりのリピートばかりになるんですっていう問い合わせが大橋哲夫さんのところに来るんですけど。リピートだけにするんだよっていうのが彼の昔の主張だったんですけどもね。
主張はしないんだよね。大橋哲夫さんは主張はしない。あの人は人に押し付けるのを相当嫌うんで。でも彼は私に言ったんですよ。私も同じことを大橋さんに言ったことがあるんです。不思議に言うと全部リピートになるんですって言ったらそれでいいんですよっていうね。これが僕は非常に大事だったなと。
これはもう僕の黎明期ですよ。大橋さんにタスクシュートを使わせてもらっておそらく3日目あたりに発した言葉で。これで全てが変わっていったんですよ。それまでの仕事のやり方がいかにダメなものだったかというのを彼とやっていてつくつく思い知らされるんですよ。本当に半分もいかないんですよ彼の。
だからそういうことについては非常にそういうところは控える方なんでマウンド全然取らないんですけどどう考えてもこの人俺の倍速で仕事やってんなと。そういう人たちが当時すごくライフハックを牽引していったわけですけどね。本当にパソコンを当時のシンクパッドとか使い尽くして使い倒して倍速で仕事していくんですよね。
これ半分だわみたいな。なんでなんだろうって思うの。一つがこれなんですよね。リピートを減らそうとするからですよ。だから生産性が半分になっちゃうわけですよ。半分にしてるんですよ自分で。倍にする必要とかないわけです。ただただ繰り返していけばこと足りるのに新しいこと新しいことやろうとしては自分のパフォーマンスを落としていくというですね。
どう考えてもそれはおかしなことなんで。だって日常生活は反復で成り立ってるわけですからね。でこの先にもうちょい先まではタスクシュートでいけるんだけどそっから先の説明って結構難しくてここまでは別に精神分析はいらないじゃないですか。反復とか言ってたけど別にフロイト引き出ししてくる必要はなくてルーチンタスクで十分なんですよ。
ルーチンやってれば絶対習熟してくるししかもルーチンをやるということを選択できるようになればですね。新しい知識とか新しい体験とかをほぼ不要にした上で仕事は進めていくことができるんで圧倒的にこれの方が早いんですよね。早いし楽なんですよね。楽で早いから生産性高くなるに決まっているんですよ。
自分の仕事には反復がないですっておっしゃる方がいて衝撃を受けるんですよ。そんなはずないじゃんっていうね。だってなぜ会社というところが同じパターンをなるべく取り込もう取り込もうとするのかっていうとそれは反復でできてるからじゃないですか。
そもそも同じ人が基本的に会社に来る。全く翌日になったら全員知らない人ですって最高にやばいじゃないですか。その会社はもうなんかこう犯罪に巻き込まれますよね。そういうことやってると。そんな風になってるはずないんで反復ってのは非常に重要ですよね。電車だって基本的に同じ時間に同じ種類の電車が来ることに。
てか昨日乗った電車と同じだよねこれっていうのが来ることになってるじゃないですか。それができればできるほど物事はスムーズに回るわけで。これを避けるっていうことを我々は良しとしすぎるんですよね。私はだからあのネオフィリックっていう表現でこのことを伝えたんですけど何でも人間は芯をつければいいと思ってるから何でもニューがついちゃう。
アメリカもニューの都市ばっかりニューヨークとかねニューの都市ばっかりですけど全然ニューじゃないわけですよそんなのは。そこがいいんですけどね本当は。
はいでこの先に行こうとしてタスク習得でどうして仕事が進むんだろうと思ってですね。そのことを告知レターにも書いてるわけですけれども一つには一足飛びにいきなりもう最新観の結論に行きますが自責しない。ここに尽きるんですよね。でも我々は自責する。自責も反復する。何故なのかと。
ここに良いおっぱい悪いおっぱいがあるんですよ。良いおっぱいってのは我々はPSポジションは散々言ってるんでいいと思うんですけど良いものと悪いものスプリットするわけですね。でスプリットする前に起こることがあるんですよ。この話は絶対セミナーでもしますけど今もします。
これは多分1000回言ってもいいとは思う。そのぐらいの価値はあると信じたい。メラニクラインがあれほど言ったんで価値はあると思うんですよ。未だに使われている概念ですからねPSポジション。これのね私は我々はこれを避けられないのになんかあれを聞くとそれをこれを避けられるのが大人だみたいに思う。非常にこれをだからこれを反復するのは当たり前で永遠に反復するんですよ。これ一生するはず。
そして生きるとはそういうことだっていうことなんだけどまあいいです。その前に大事なのは組織化が始まるんですよ。スプリットオフする前に。良いものと悪いものにまず利号集散の世界ですよね。こうスーッと良いものを集め始めるっていうことが昨日言いましたけどヨウジは好きなものを自分の周りに並べ立て始める。あれは具体物でやってますけどあれを心の中でやり始めるわけですね。
だからいいことをしようになっちゃうんです。いいことってあれですよ。モラルでいいこととかいい子になりましょうって話じゃなくて俺がいいと思うことを俺はする人になるんだってこれを繰り返しやるんですよ。これをやるのはしょうがないけどマイルドにしましょうねっていう話なんですよ。
でタスクジュードある程度これをマイルドにするさせる機能を有してるんだけどそこをみんな好んで排除したがり実際好んで排除しちゃうんでそしてそれを排除するのやめましょうと私が言うと佐々木さんがまた煙巻き出したとかいう話にするぐらいこれをすることは絶対善なんですよ。多くの人は完全にここが宗教になってるわけですね。その人にとっての悪い意味じゃないですよ。
ただ宗教的な価値っていうのはそれに相反する価値観を決して受け入れることができないので俺にとっていいことをする俺になるぞっていうのはそれがそもそもの問題なんだって話を私がしたところで無視されるわけ結局のところ。別の宗教の主張だからそれは。
つまり仏教に対してクリスチャンの人が説くみたいな話になっちゃってまたこいつわけわかんない罪とイエスの話を始めたらやれやれっていうふうに見られてるってことなんですよ私はですね。
いかにこの自責をしないということが仕事のパフォーマンスにすごい直結しているかということを何遍言っても無駄なんですね。
なぜならば罪悪感を持つというのは一つの宗教だからなんですね。それは別にお互い様なんですよ。私が異なる宗教を持っているその人が別の宗教を持っている。しゃあないんですよ。
ただタスクシュートはどっちかというとこの自責とは最高に相性が悪いので自責の念を持ちながらタスクシュートをやるということは非常に無理のあることになりやすいわけです。
せめてそれならば自責の念を持つ方向に向かわないようにしましょうと。持つのはいいとしてもさらにそれをより強化するのはやめましょうと。
良い私と悪い私の分裂
これすらも煙巻いてるように聞こえるらしいんですけどこれはこれを言わないんだったらもう僕なんかいない方がいい人間になっちゃうんでこれはもう言うしかないよなと。
もっと上手い言い方を探しますけれどもどんな言い方を見出したところで勝ちとして相入れないものは相入れないよねっていうのはわかります。
どうしてこれをやるということが私たちのパフォーマンスを下げるのかの説明を精神分析的にしか僕は今まだできないので精神分析的にやるわけですよ。
これはタスクシュートの側からもつかれないかもしれないし精神分析の側からすればナンセンスだってことになるでしょうけれどもでもこれは私の特殊な立ち位置からしてこういうことを僕は喋ってるわけですよね。
要するにどっちからも納得されないんだけど私はこれでしか納得できないんですよっていう話ね。
でスプリットオフをする前にまず組織化が始まります。
私はいいことをする私になろうとします。
つまりいいちぶさです。
部分対象です。
脳内で考えつくことはすべて部分的なものばかりです。
私は例えば今度こそ確定申告の前に毎日少しずつ確定申告をやるぞという部分的なイメージを持ってしまいます。
そういうふうな人間になり今日も明日も明後日もサボって2月になって泣きながらやるというダメな私をああはならないようにしたいです。
このように空想することで分裂のスタート地点が始まって進行していくわけですよ。
今だって悪い自分といい自分に分けたじゃないですか。
泣く泣くやる私は悪い私であり、しくしくと少しずつやるいい私がいる。
それはそういうふうにするのは常識でしょうって思われるかもしれないけどこのように分裂させる2人私いましたよね。
2人いないんだから2人いた以上は部分対象ですよ。
そしていい現実と関わっているいい私と悪い現実と関わっている悪い私。
良い自分と悪い自分の葛藤
毎日少しずつ進めているいい私。
毎日少しずつ進めるという現実を脳内で無理やり抽出してきているから部分的なんですよ。
それはいいおっぱいです。
そのいいおっぱいにしがみつくいい私。
気持ちがいいから。
これは気持ちがいいって話ですからね。
正しいとか仕事をやる人間として当然だとかそういう含みなんだけどあくまでも快だってこと。
愉快だってことですよ。
心地に満たされている平安な気がするってことですよ。
それに対して2月になって大慌てで人に泣きついて頼んでいる残念で惨めな私っていうのがいるわけですよ。
そしてその時には確定申告はレシートとかが雑然としている悪い現実ってものが
この悪いは犯罪的だとか意味じゃないし越後屋的だという意味ではないですよ。
不快だということです。
で分裂していて部分対象であり私が2人います。
だからスプリットしているわけですよ。
これは俺これから心を入れ替えてちゃんとやろうって思った時に始まってるんですよ。
そうして進行していく。
でこのいい私に超自我がですね。
超に鍵カッコをつけてくださった超自我じゃなくて超自我がですね。
加担するわけです。
そうだそうだそうやれそうやれっていう風に加担するわけです。
もちろんここには昔の母親昔の父親学校の先生みたいな私の心の中のですね。
そういう力度がこっちに加担します。
そしてこの悪い私にならないようにつまり悪い私を捨てろということになります。
こうして私は私の中の一部半分じゃないかもしれないけど一部をなるべく自分から切り離し。
つまりそういう目に合わないように今日は触りたいなといういい活動と悪い活動みたいですね。
確定申告の準備と不快感
で悪いしょうごくんのこのやりたくねーなーという気持ちを排除しようとする。
こうして私は弱くなるんですよ。
だって自分で自分を責めるんだから。
自分で自分の左手を縛るとか自分で自分の頭を叩くとかやれば。
少しは弱くなりますよ。
こうして自分が少しずつ少しずつ確実に確実に弱まっていくわけですよ。
あのその時の気分なんかこう少し心拍が上がりややキュッとするような自分。
なんか背筋が伸びるような自分。
これが私のパフォーマンスを下げるんです。
私のパフォーマンスが最高である時は私は決してそうはならない。
自分が仕事をすごく調子よく進められてるな不思議とみたいな。
3ヶ月チャレンジでもこれはうまいことこのセッション中滑らかにというのも変だけど
ああいう時かわい早尾さんの言葉がよく響くんですよね。
全力で聞けているっていうか全力で何もしていないっていうかそういう感じがしている時
決してこうはならない。
上手くいっているっていう時はマリオカートでもそうなんだけど
何でもそうですね上手くいってるって時は決してこうはならない。
分裂していない。
変に調子が張り切ってない。
しかもこの調子が偉い子供っぽい。
そうだそうだと言っている母は何にも私の難しい仕事には関わることができていない。
父は少しはマシですがやっぱり言ってることは大変
父親にこれを言うのはちょっと気が引けはするんですけど幼い。
せいぜいそれは大学生が言いそうなことでしかない。
つまりやっぱり何ていうのかな現場に関わっている人間からすれば当然
父親だろうと何だろうと分かってはいないですよ。
だって父は出版社に勤めたことなんてないわけですからね。
本を書く上でそうだそうだそうやるんだって言っているそうだそうだを言う父親は
やっぱり実に幼いわけですよね。
でもそれは私が見ていた若い頃の父ですから
つまり10歳とか12歳児の空想の産物ですからそれは幼いに決まってますよ。
本当の父よりもさらに幼いんですよ。
12歳の空想の産物なんて幼いに決まってますよ。
こういう調子がの果たんを得た良い部分対象としての私はとても弱いんですよ。
これの通りに仕事ができれば理想的なのにって
皆さんのおっしゃる理想自我はおそらくこういったもので
これによって仕事がはかどるはずはないし
いざ何かに取り組もうとしてもうまくいくわけがないし
非常に疲れるんですよ。こんなものだけでやっていても。
だから全体対象でなるべく仕事はやった方がいいんだけど
このスプリットはなぜかこのスプリットをすることが
世の中的に良しとされてしまっているので
無理に無理を重ねてこれで仕事をしようっていう風に
考えてしまうことが後を絶たないわけです。
私もそうだったんですよ。長らくそうだったんです。
ましてここから反復を取り除こうとすると
もうこういう心もどないグループで
新しいことに取り組み始めちゃうんで
どうやったってうまくいかなくなりますよね。それはね。
だから起きるのも嫌になったり
全てを投げ出したくなったり様々なことが起こる
少なくとも先送りが繰り返されるってことは
起きて当然なわけです。この時もう一つあるんですよ。
この悪い半分、半分じゃないんだけど悪い一部の私
もういいや明日やろうと思ってしまうような
そうして2月になくなくやる羽目になるという
この悪いイメージとセットになっている
悪い自己対象、弱いと言うべきなのか
だらしがないと言うべきなのか
そのように自分で位置付けられてしまって
排除されんとしている私は
実際こういう私もいるよって心の中で思うのは
嫌なので、例えばその日たまたま
確定申告の準備が少しできたということになると
俺やっぱりいい自分になれたわってなると
悪い自分を自分の外に出そうとしますよね。
これが排出と呼ばれるもの
排除と言うべきなんだと思うんですけど
排除とは一体どこに外に出るのか
これが他者のせいにするってことが起こるわけですよ
自分が関わっている
税の申告の中の他者的な部分
というものにその嫌な感じを
押し付けるわけですね。自分が関わってはいますよ
自分が用意している確定申告
でも確定申告というものは全てが自分ではないですよね
全てが自分なら自分の好きなようにやればいいんだけど
フォーマットは決まっている
ふるさと納税だったらどうやらなければいけないということはおそらく決まっていて
それは他者の領域に属しています
税務署とか法律とかそういう部分です。僕の自由にはならない部分ですね
この僕の自由にならない部分に対して
私は嫌な私
ダメな私を押し付けようとしたので
排除しようとしたので
それがいい自分が仕事をしようとせっかく思った時に
嫌な気持ちになるという格好で出てくるわけですよ
なぜならば半分の排除しようとしている私は
外には決して出て行ってくれないので
例えばその時お腹が痛くなりましたって
嫌な部分じゃないですか
このお腹が痛くなったっていうのは排除したいじゃないですか
お腹は痛くなくなりたいじゃないですか
だけれどもお腹が痛いのは私のお腹が痛いんで
排除しきれないですよね
確定申告の準備をしようとすると
おれは腹が痛くなるのか
なんてダメな自分なんだってことにしてこれを攻撃する
つまりそれがあたかも他者のように考えようとする
確定申告の準備をしようとすると
ふるさと納税どうすればいいんだよくわからんみたいな
これが不快感を招きますよね
このよくわからないという気持ちを他者のせいにしようとする
なんて手続きが煩雑なんだろうってことにする
こうすることによって
次に何が起きるかというと
でも私の気分は悪いままですよね
準備はしてるんだけど確定申告の準備して
おれは立派な自分だと思ってるんだけど
不快感はそこにありますこの作業が不快なんだ
この作業が不快だというのが半分の自分が感じていることなんです
これはいなくはなってくれないですね
ただこれを自分だと思いたくないわけです
自分はいい自分だから
確定申告をきちんと進めていく自分だから
不快感というものは自分の内部にあるんだけど
これを多色的なものにするんです
この不快感は他者が作り出したものだ
分裂した自分の影響
これがつまり迫害妄想なんです
そうですよね
先に気分が悪くなっておきながら
その理由を後からでっち上げてますよね
お腹が痛くなったのに
それはもう確定申告をやる自分はいい自分だということに
決めたからお腹が痛い自分がことさら悪いものになったのに
そのストレスを作り出したのは
ふるさと納税の煩雑な
分かりにくい仕組みにあるというふうに考える
このように原因を後から作る
原因というのは先にあるから原因なんで
後から原因を作ってるんですよ
これが迫害されているという気分
もともとあった気分が外からの原因で
作り出されたというふうに考えることを
迫害不安とか迫害妄想というわけですよ
スプリッティングはここまで絶対セットだと思うんですね
まずいい自分がいい仕事をしようとし
それに抵抗しようとする自分を
ダメな自分と排除しようとする
その排除しようとした自分というのは
しかし自分自身なんで
その悪い気分は決して消え去ってくれませんから
その消え去ってくれない気分の悪い気分は
どこから来たのかというと
いいことをしようとする私を邪魔をしようとする悪い私
それは外側から押し付けられたものであるというふうに
外側に犯人探しを始める
そうして外側にそれが一旦排除されて
外に出たように感じるんだけど
これをメラニクレーンが排出と呼んだ
つまりうんこを外に投げると現実が汚くなるということですね
これが起きるというふうに
ここまでセットなんですよ
最後に仕上げみたいになるんですけど
これでやった日はまだいいんですよ仕事を
でもこれのせいで仕事をやらなかったら
やっぱりふるさと納税とか作りやがった
この社会クソだわみんなになっちゃうんですよ
そのせいでとその人は思ってるはずなんで
確定申告がまた今日もやらずにいて
どうせ3月になくなくやるようになるんだろうな
本当世の中ってひどいものだ
これをいろんなテーマについてやればですね
ものすごく生きていくのが嫌になっていきますよね
それが欲打つというものだと思うんですよ
これはつまり迫害妄想から来る欲打つという状態なんですよね
私はこれがタスクシュートで起こることだと思うんですね
だからタスクシュートを使っていても
使っていなくてもいいですけれども同じですけれども
これをやめることができないからしかし
これをうんとマイルドにする
つまりいいことをしようとしない
いいことをしようとしてしまった時には
これは別に欲も何ともないし
これをどこまで信じられるかですよね
やってもやらなくても同じで
2月にやろうと粛々とやろうと全く変わらないという風に
どこまで信じていくことができるかが
パフォーマンス的には試されていると
自分が進められている仕事は全部こっちによっているんですよ
これをやったら絶対いいな
これは絶対やっておこうということをやろうとした時ほど
もう確実に滞りを招いている
これは私に起きていることです
100%あらゆる人にも起きるとは言い切れないですが
このベースになる概念を少なくとも私は
メラニー・クライントン・松木邦博から学んだわけですよ
だから私はこれをご所大事に携えて
あらゆる人に伝えては何かわけわからんことを言い出しているぞ
という風に言われ続けております
わけわからんことかもしれないし
そのように言われている話を聞いて
毎回毎回一応反省するんだけど
これしかないんだよな
他にこれよりも私を納得させる説明を
まだ一度も聞いたことがないんですよね
改善するためにレビューをして
昨日やらなかった
そしてそこにやりたくない理由を書いていて
でもこのままではまずいということがわかっているから
改善して今日はやるっていうその方法が
私に有効だったことはないんですよ
わかりやすいとは思うけれど
理屈としてはね
自己改善の困難
そういうことでは私の心の中には
全くそういうものはないんですよね
改善しようとして
それに乗っかって実際に行動できて
気分がすっきりして
全てがどんどん良くなっていくっていう風には
ならなかったんですよついに
だからやっぱり自分は
このスプリットオフということ
一瞬の一瞬じゃないな
非常に感じますからね
税務署の書類を確定するとか
原稿を500字ずつ書くとか
最もらしいですよね
小さな習慣を繰り返してやっていけば
いろんなものがスムーズに動いて
自分の時間が十分に取れて
なったことがない
しかもそれを考えた途端に
とても不思議な嫌な緊張というものが走る
シャワーとか浴びたり
お風呂の中で考えてるときは
それで物事が全て
うまくいくような感じがしますけれども
確かに昔はしてましたけども
実際にお風呂から上がって
書斎に入ってみると
そういうふうには動けないってことが
つくづく感じる
その時自分が確実に言えるのは
さっき風呂に入ってたときに比べて
偉い自分は弱気になっているってものに
そういう自分を発見するんですよ
なぜだろうと
それは風呂にいた時には
私は全体対称だった
あの風呂にいた時に
私は風呂好きなんでね
ここから排除したい私とか
ダメな自分とか
全然想像しなかった
なんだけどいざ書斎に入ると
例えばここで原稿を書く代わりに
ファン座とかを見始める自分は
ダメな感じがする
こういうふうに自分を分裂させたところから
全てが悪化している
だからどっちだって
同じだと考えておかないと
つまり全体としては一つの私だと
この時に何をしたがろうと
何をしたくなかろうと
どっちも同じ私の一部分でしかない
っていうのを
必死で守り抜かないと
多分自分はそのうち
ベッドから出ることすら
できなくなってしまうだろうなって
思うんですよ
これを毎日毎日確認しては決意し
決意しては確認する
というのを繰り返しているから
少なくともね
少なくとも1200回ぐらいは
こういうポッドキャストができる
このポッドキャストは間違いなく
その産物です
毎日毎日やってもやらなくても
こんなのどっちだって
実際そう思ってますからね
同じじゃんって思ってるから
できるんですよ
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