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148|「最後は楽しいかどうか」JR九州・古宮社長が語る決断の軸とリーダーシップ論
2026-10-26 23:43

148|「最後は楽しいかどうか」JR九州・古宮社長が語る決断の軸とリーダーシップ論

前回に続き、JR九州の古宮洋二社長を迎えての特別回。今回は、古宮社長の素顔に迫ります。

九州大学工学部を卒業後、父の反対を押し切り国鉄に入社した古宮社長は、社長就任後の決断の軸を「どちらが楽しいか」と表現します。

JR博多駅の「空中都市プロジェクト」は建設費高騰により中止を決断しましたが、「捨ててはいない」と再挑戦への思いも明かしました。

「日本一明るく楽しい会社」を掲げ、苦悩は内に秘め、前向きさだけを表に出すというリーダーシップ論について語ります。                            

◆収録日:2026年10月7日

◆出演:古宮洋二(JR九州社長)、津留恒星(報道センター経済担当)、横山智徳(MC/業務推進部)/編集:伊東 朋宏(メディア戦略局)

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サマリー

JR九州の古宮洋二社長が、九州大学時代の学生生活や、父親の反対を受けながら国鉄に入社した経緯を振り返る。就職先を選ぶ際は、自分が何をしたいかを軸にすることが大切だと語った。社長としての判断では、将来のJR九州グループにとっての損得だけでなく、「どちらが楽しいか」を重視しているという。JR博多駅の空中都市プロジェクトは建設費高騰などを踏まえて中止したが、将来この場所で何かをしたい気持ちは捨てていないと説明した。 影響を受けた南福岡電車区の山田区長の、部下のために自ら責任を負う姿勢についても紹介した。一方、運転士46人の転勤を進めた際には、社員の反発や無言電話に苦しんだ経験を明かし、困難は受け入れたうえで前向きに考えることが大切だと語る。JR九州を「日本一明るく楽しい会社」にするため、経営者の悩みを表に出さず、最後は前向きな姿勢を示すリーダーシップを意識している。筑波で見た企画をきっかけに始めた丼・麺・カレーの対抗選手権や、社員発案の水力発電事業にも触れ、挑戦する風土づくりを語った。社長を離れたらローカル列車で日本一周することや、仲間と会社を作る構想も話し、次回ゲストとして福岡国際空港の田川社長を紹介した。

古宮社長の学生時代と国鉄入社
西日本新聞 Podcast
西日本新聞me Podcast
この番組では、西日本新聞の記者が、取材の裏側やニュース解説、福岡の街のあれやこれをお話ししています。
こんにちは、福岡のニュースアプリ、西日本新聞meの横山智則です。
今回も前回に引き続き、報道センターの経済担当鶴さん、そしてJR九州の古宮社長と一緒です。
どうぞよろしくお願いいたします。
後編ということで、古宮社長の人となりに迫りたいということで、少し柔らかいお話をできればなと思いますけれども、
本当に40以上のグループ会社を抱えていらっしゃって、企業のトップということで大変ご多忙だと思うんですけれども、
お休みはありますか?丸一日お休みはありますか?
月に何日かはありますので、最近は近くにいる孫と遊ぶのが一番楽しいですね。
お幾つぐらいですか?
今3歳です。
可愛いですね。
もうすぐ4歳になりますけど。
いつもよりももっと柔らかいお顔で。
ですね。GGになってます。
そんな一面もありますね。ありがとうございます。
それこそ社長は1962年生まれ、福岡県出身、九州大学工学部を卒業されたというふうに聞いてみて、
85年に、あの当時は国鉄でした。
学生時代というのは振り返るとどういった?
大学時代はですね、私工学部の機械科であったんで、ちょっとこの場所に適当じゃないかもしれないです。
工学部の機械科って当時中央科の留学生の女性がいましたけど、あともう全員男性なんですよ。
こういう世界って当然同じ間の友達と飲み行ったりとか遊びたりしてましたけど、この世界だけはちょっと楽しくないなということで、文系サークルに入って。
半分女性半分男性のサークルに入って、そこで土曜日なんか、実はバレーボールなんですけど、そこに行って練習をして、その後みんなで飲み行く。
そういうのが非常に楽しい学生生活でしたね。
なるほど。それはあれですよね、箱崎キャンパスってことですか?
箱崎キャンパスです。
じゃあそれこそ前回お話ししました箱崎キャンパスの跡地の再開発は、社長にとってもある意味、思い出の地を再開発ということになるんですね。
はい、本格的に2年半過ごした場所なんで。
あれですよね、九大衛星はあの当時、前半戦は六本末。
一年半六本末。
六本末も今そういう意味。なるほど。
前半戦は六本末で、当時は2年生3年生からは結構。
2年半から箱崎に行きます。
国鉄に入社された経緯と言いますか、聞くところによりますと、冬島に衛星登記を。冬島に入社就職希望だったという話も聞いたことがあるんですけども。
どういう経緯で就活、そして国鉄に入社ということになるんでしょうか?
もともとは機械化だったんで、どういう会社に就職するかというと、乗り物の会社に行きたかった。
例えば飛行機とか船とか車とか鉄道もある。
そういう会社を選んだんですけど、実は私次男なんですけど、兄貴は遠くに行って、たぶんこちら帰ってこないんで。
将来的に親の面倒というようなこともちょっと頭によぎり。
冬島さんは非常に将来水回りという会社は絶対なくならないなと。水は永久にいるものだと思ってます。
水回りの企業という中で北九州にある、そういう親の関係も含めて北九州にあって水回りの会社の冬島さんが一つの乗り物とは別の候補でありまして。
我々大学4年の時に夏休みに各社に、いろんな会社を自分で選んで実習に行くんですけど。
インターンみたいな話ですね。
8月に1ヶ月間冬島に行っていろんなことを教えてもらって。戦力には当然ならないんですけど。
その時の会社の雰囲気が非常に良くて、良いなと思って高校の第一期望に上がっていったと。
ただ国鉄に入社したということですよね。
冬島は非常に人気が高くて。成績上の順番から希望者順番から選ばれて、私はずっと下だったんで。
当然届かない。ただし実習に行ってたんで。顔は知られたんで。
当時の人事課長からお前5位を取ってやるぞみたいな感じに言われてたんですけど。
当然学校推薦が基本だったんで。学校推薦でなると上から希望者、成績順。
そうなるとやっぱりダメですということになった時に、実は昭和60年の前に国鉄の採用は58年、59年となかったんです。
実は親父が国鉄であったんで、国鉄というのも安くて乗り物を作るという意味では一つの候補で。
ただ採用はずっとなかったんで、当然候補としては外れたんですけど。
8月下旬くらいだったかな、就職担当の先生に呼ばれて。
古宮君もお父さん国鉄だったよね。国鉄採用来たよという話があったんで。
じゃあ受けますということで、受けたということです。
すごいことですね。お父様が国鉄だった。
親父は反対しました。当時当然国鉄採用も大赤字の会社であるし、
当時組合という問題が相当世の中的にも叩かれてましたんで、入らない方がいいと。やめろと言われました。
今の若い人たち、学生へのアドバイスとかってありますか。
アドバイスですか。
就活に望む学生。
やっぱり自分が何をしたいか、行きたいところをちゃんと決めていくというのが一番じゃないかな。
とはいえ今、転職したりするのもある意味当たり前にもなってますけど、
自分が何をしたいかというのが一番の目標において、
その中からチョイスしていけばいいんじゃないかなと思いますよね。
水回り将来なくならないというか、私考えたこともなかったので、
そこまで学生時代に考えられていたので、ちょっと驚きです。
「どちらが楽しいか」を決断の軸に
水回りのいろんな会社も何社か、工場研究みたいな。
社長になられてからは、22年に社長に就任されてからは、
大きな決断をいくつもされてきたと思うんですけども、
トップとして判断するにあたってのシフトになるものみたいなものがあれば。
かっこいいことで言うと、将来のJR九州グループってどっちがプラスかマイナスかですね。
でも私が選ぶ軸は、迷ったらどっちが楽しいかというのを選びます。
楽しいよね、こっちの方が。
2つあったらこっちの方が楽しそうだし。
これやってみて、将来本当に楽しいJR九州グループの一つの部門になるのかなと思ったら、
これやめとこうかとか、これいいねとかいう判断で選んでます。
感覚的な問題かもしれないですけど。
仕事が楽しくないと面白くないわけですね。
そうですね。
前編でもちょっとお話ししましたけれども、空中都市ですね。JR博多駅の。
そこの開発で中止って本当に大きい決断だったなというのを会見望みながら感じていたんですけれども。
取締役会の様子とかですね。
多分いろんな社内のプロジェクトが動き始めていた中での決断だったと思うんですよね。
今おっしゃった楽しいかどうかということとはまたちょっと違ったような決断を迫られたんじゃないかなと思いますけど。
やめる方なんで楽しいというのはちょっと物差しが違うかもしれないですけど。
やはりあの時の状況を考えると、取締役会でも特に反対にする人はいなかったんですけど、
このタイミングは今じゃないよねというようなことですね。
でもやっぱり前回のように申しましたけど、やはりあそこは私どもにとって非常にいい場所なんで、
将来長い目で見て何かをしたいなという気持ちはやっぱり捨ててないですし、
そういう面では今じゃないよねということでの判断をしたということですね。
いつも取材させていただく立場ですと、
経営者、JR九州社長としてあまり困難とかって感じる機会ってないというか、
すごくすぐ決断して判断してというふうに見えるんですけども。
正直に見られてますか?
影響を受けた山田区長と職場の結束
そんな古宮社長でもこの人かなわないなと影響を受けた人といいますか、
価値観を大きく左右された人、経験とかであればぜひ聞かせてください。
もう実は亡くなったんですけど、
私は平成62、63、元年2年、平成元年2年に、
今は南福岡駅の横にある車両の修繕するところと常務営業所があるんです。
当時は一緒の南福岡電車区という職場だったんです。
そこで私が管理者をしているときの山田区長、
当時南福岡電車区で30周年のお祭りをやろうということで、
私が当時一番若いのもあったんで、お前がやれということでやって、
非常に盛大に終わったんですけど、来たのは青森から来たかな、一番の人は。
それだけ日本全国から人が来られて盛大に終わったんですけど、
終わった後に、これ本当に今だから言いますけど、
中庭でみんなでビールを飲んだんですよ。
いいと、今日は。
その後勤務の人がいますんで、我々は当時は休みでそのことをやってたんで、
休みの今回頑張った人はみんなここで乾杯しようということで、
勤務の人はジュースを飲みなさい。
当時国鉄はお酒で失敗した会社なんで、お酒でいろいろ不祥事が起こして、
当然新国則にも指揮をおびて会社施設内に立ち入ってはならないという決まりはあったんですけど、
今日は俺が責任を取る、乾杯。
すごいなと思いましたね。
だから職場としても非常にまとまりましたね。
これは叶わないなと思いましたね。
懐の大きさというか、職場というかフードみたいなところを重視されてたところもあると思うんですけど、
すごく器の大きい方だったんですか。
本社にバレたら多分クビになるかもしれない立場上ですね。
それでもういいんだじゃないけど、今日は俺が責任を取る。
この人すごいなと思って。
そういう姿勢と言いますか、すごいなと思う方の価値観とか、
というところが今経営されているお立場で生きているというか、参考にされているところというのがあるんでしょうか。
やっぱりそういうことを通じて職場内、会社内がまとまっていくということで、
実は私ども会社はこれまでいろんな大きなイベントがあったんですけど、
例えば平成16年の新幹線の部分開業、新屋市の部分開業、
2011年の博多開業とか七つ星とか、
大きなイベントの前はやはり会社がまとまっているなという雰囲気があるんですよね。
そういう意味でいろんな何かを捉えてまとまっていくというのが非常に大切だなというのが、
ある職場での体験ではありますよね。
転勤の苦労と前向きに進む姿勢
そんなフリミヤ所長でも入社して、一番の失敗とか何かつらかった経験というのがもしあれば、
若い人は、私も30代ですけれども、悩める若い社会人に励みになると思いますので、
何かご紹介いただける必要があれば。
失敗はもう数多くあります。
もう言えないような失敗はたぶん。
仕事でつらかったというのは、私は当時、小倉にある常務員の職場の区長だったんですけど、
その時に職場を分割というか、当時やられた事業部制というので、
職場をエリアエリアで作り変えようということで、
新しいエリアに運転手を当時46人だったかな、転勤させなきゃいけない。
でもみんな行きたい人はゼロ。
その中で、まだ当時国鉄からJRになって、一部施策に反対する組合がありましたので、
その46人中ほとんどがそっちの組合の人。
当然私が事前通知を渡そうにもみんな受け取ってくれない。
家まで車に乗って行って、悩みをして。
その中のほとんどが私の高校の先輩だったので、
最後はお前が持ってくるんだったら貰ってやろう、みたいな感じで貰ってくれましたけど、
残念に行きたがらない人を転勤させる、それも大量に。
というのは辛かったですね。
家には無言電話がいっぱいかかってくるし。
一軒一軒回られて。
受け取る社員もいましたけど、受け取らない人は家まで追いかけて行って。
事前通知を渡さないといけないので、どうしてもですね。
今振り返ったら笑える失敗というか、失敗談。
この場で言えるような失敗じゃない失敗はいっぱいあります。
そういった失敗もされてきたと思うんですけど、乗り越えられて今があると思うんですよね。
そこの壁に当たった時に乗り越えるコツというか、心意気なのか、ちょっとした工夫なのか、そのあたりいかがですか?
もうピンチはここはもうしゃーないやん。仕方ない。
仕方ないんでこれをやっぱりどうするかという、仕方ないことをずっと考えても前には一歩も進まないんで。
じゃあこれは受け入れて、じゃあこれをどうするかという前向きに考えることっていうのが一番じゃないかなと思いますね。
もともとプレミア社長の性格的なところがポジティブな。
意外と私は繊細なんですよ。
大型ですけど繊細で。
考え抜いて。表はこうですけど裏では実はちょっといろいろ。
結構石橋を叩くタイプ?
どちらかと言うとそうかもしれないですね。
ただ意識しているのはそういった時に前向きに。
裏側を出さないというか、最後の前向きさだけ出すというかですね。
ちょっと意外な一面でしたね。
日本一明るく楽しい会社を目指す
それこそ今は社長になられて人を使うという方は人材への投資が重要性を増していると思いますけど
人を見たり使ったりという方があれかもしれませんけど一番大切にされていること。
社内でも宣言するんですけど日本一明るく楽しい会社になろうと言ってますけど
やはり仕事をするには楽しくないと面白くないですし
毎朝職場に行ってまた暗い職場に行かないといけないと思うより
行ったらみんながおはよう挨拶したら楽しい職場に行く方が楽しいですし
昔私の経験の中で司令室の勤務の時なんかは司令室のドアを開けるのが一番嫌で
朝すぐ近時間帯の列車が乱れてワーッと鳴ってるときは面白くないですよね。
実際に仕事をつけばやりがいは同時の司令なんでありましたけど
そういう面でやっぱり職場が明るくて楽しくて元気であるということが職場の単位で
あとは会社全体もそうなるのが一番だなとは思います。
そういう意味ではリーダーとして心がけていること
多分皆さんフェミナ社長の背中を見てらっしゃると思うんですけど
どういう姿勢を始めしていくんですか?
さっきつながるんですけど
自分が悩んでいることや考えていることを表に出さずに
最後の場面だけを明るくみんなに示すというか
そういうことをしないと社長が落ち込んでグジグジ考えていると
会社は明るくなりません。楽しくなりませんので
そこは隠して表だけを見せると。
そういうことになるんですね。
20人がいるみたいな。
企画の発想と挑戦する企業風土
日々取材しておりますといろんな発表・話題提供があって
そこにはアイデアが非常に豊富だなと思ったりとか
そんな印象なんですけども
故にいろんな事業・サービスに繋がっている
多角化ができていると思うんですけど
着想を得るために意識していること
どうやったらそんなひらめきがあるんだろうと思った瞬間が何回かあるんですね。
何か工夫があるんですか?
自分で例えばこれ面白そうだなという本を読んだりして
ひらめくこともありますし
どこかに行ってもキョロキョロしているので
いろんなところに行った時に
これなんか面白そうだなって
例えば裏話をすると
今今年3回目を迎えている
丼、麺、カレー、液晶対抗選手権
これは実は私は筑波に行った時に
筑波エクスプレスの終着駅に降りた時に
そこでJR東日本さんが
死者対抗の選手権をやったんですけど
これ面白そうだなと
うちは液晶対抗でやってみようかということで
自分をペトッと取ってきて
スマホに取ってきて
職場に帰ってこれやろうと
一番はやっぱり人間なんで
一番はやっぱり食べ物だ
食べ物でやろうということからあれを始めた
そういう裏話があったんですね
今回はカレーですね
カレーはお好き?
麺好きで
本当は第1回は麺にしたかったんですけど
麺で場所は勝つ博多焼き米と思ったんです
博多焼き米はちょっといろんな
火の使ったりする制約があったりということと
タイミングも空いてなかったんで
じゃあ鉄道の我々の一番の発祥の地である文字湖行こう
文字湖だったら駅前で結構自由に火も使えるし
いろんなイベントもできるんで
文字湖をこれから舞台にして
最初博多でするつもりだったんで
麺を諦めてどんぶりにしようということで
変えてて場所が文字湖に
だから第1回はどんぶりになった
2回目はぜひやりたかった麺
3回目はやっぱりカレーだな
日本人だとカレーの地なんで
4回目が浮かんでないんですよ
まだ浮かんでないんですよ
大体いつも前の時には発表するんですけど
まだ浮かんでないんで
4回目何にしようかなって悩んでます
非常に賑わう企画ですので
継続してやられていく
ずっとやりたいと思います
そうやってアイディアキョロキョロしながら
日々アンテナを張っているということですけど
先ほどお話がありました
裏側は見せないと
裏側は見せて
示すということに最終的になるんだろうと思うんですけど
社長を離れた後の夢と次回ゲスト
でもとはいえ
どうしようという時に
社長になると相談する先もないんじゃないかと思うんですよね
私なんてまだ悩んだらちょっと相談できる
ちょっと甘いかもしれませんけれども
上司にちょっと相談してみたりという時があるんですが
そこは古宮社長どういうふうに
最後アウトプットまで持っていかれるんですか
本当に相談すると言いませんので
もう自分で最後
本当に考えに考え抜いて
判断するしかない
あとはチャッピーに聞くとか
聞いてないです
でもそこはもう
ご自身での最後の決断
ですね
でも私が取材している時に
水力発電の事業が始められたと
あれは確かボトムアップで
社員の方が発案されていた
そういう環境
上からだけじゃなくて
下からも上がってくる環境というのが
面白いなと思って見ていたんですが
そこも意識されて
風土として醸成されている
そうですね
いろんなことに挑戦しようと
実はさっき言いました
山田区長の時の南川電車区の
久礼が積極化官だった
私は社長になってから
積極化官にやっていこうと
いろんなことに挑戦する
風土として作っていきたい
それが当たり前になるような
会社にしていきたい
そうですね
ありがとうございます
社長としてという話を
ずっと聞いてきたんですが
仮に今日1日
社長の肩書きを外せるならば
どんな1日を過ごされますか
真面目な話をすると
何も考えずに
ローカル列車に乗って
ずっと日本一周回る
真面目に言うと
無人島で真っ裸で
過ごしたいです
何も誰にも見られずに
はいはい
それはやっぱり
日々多忙な1日なので
そこから解放されたい
ですね
なぜ無人島
無人島がいい
将来無人島どっか買えないかなと思って
それくらい日々お忙しい
ということですか
当然人との付き合いは
大好きですが
たまには私は
性格が暗いので
1人になりたいなという時があるとなると
やっぱり1人で本当に
過ごせるのは無人島かなと
会社だと社長室は
1人の空間ですかね
空間ですが周りいっぱい人いますので
いろいろ人が来て
youtubeも回されて
飲み屋に予約するのも
ちっちゃい子が予約して
文法列車で日本一周回いいなと思いません
売れいいですよね
青春18期向かって
はい
社長の職を
誘退されたら
これやりたいとか
何かあるんですか
夢というか
大きな会社に行くと
自分の思い通りにならないことが
たくさんありますし
そういう意味では何か
自分の思い通りにしたい人を
何人か集めて会社を作るとかですね
そんなんもしたいなとは
思ってますね
まだこれは秘密です
でも構想があるんですね
あります
もちろん九州の経済に
何か大きく発展
そうですね
大きくは当然しないかと思いますけど
自分でやりたいこと
楽しみです
いいお時間になってきた感じが
しますけど
もういいですか
ということで
文明社長2回にわたって
本当にありがとうございました
次のゲストを
お友達を紹介していただけないかと
思っておるんですけども
どなたか頭に浮かぶ方が
もしおられれば
ここでお話いただきたいなと
そうですね
非常に昼間よりも
よく講演していただいている
福岡で一番伸びている会社
福岡国際空港株式会社
福岡空港株式会社の田川社長が
非常に元気がいいですし
今の時代に合うのかなということで
田川社長はいかがかなと思っています
ありがとうございます
ということで次回は
また何ヶ月か先になるかもしれませんけど
フィアックの田川社長を迎えして
ということでさせていただければ
と思っております
ここまで聞いていただきありがとうございます
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