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皆さんこんにちは、今日も明日も授業道ス黒瀬直美です。この番組では中学校・高等学校の国語教育、働く女性の問題、デジタル教育についてゆるっと配信しています。
今日は147回、働き方改革に逆行しない作文添削指導のあり方ってあるのかというタイトルでお届けしたいと思います。
先日、私がいつも月に1回参加している国語教育の研究会に参加したところ、若手の先生から、添削指導でどうやってやられてます?というような質問がありました。
その時は別の話題で、その話ではない、違う話題が中心だったので、添削指導については、時間があったら後でということになったんですけど、時間がないまま終了したので、
私がぜひポッドキャストで配信させてくださいと答えて、そこは終了しました。
それで私が今考えている作文添削指導についての考えをまとまらないままお話ししたいと思います。
まず、一人一人に時間をかけて丁寧に添削指導をしていくということ。
これは最もその子一人一人に合わせた添削指導ができるので、力がグーンと伸びると思います。
でも現実、その子の力を本当に伸ばそうと思ったら、毎日毎日15分か20分ぐらい対話しながらその子の作文を見て、
どういうふうな思いで書いたのか、どういうことを書きたかったのか、だからこういう表現にしたらどうか、あるいは自分で直してごらんというように、ものすごい手間がかかります。
その子の言語体系というんですかね、その子の言語感覚に合った指導にしないと生きた言葉にならないから、
一方的なルールを教えるんじゃなくて、その子が書きたい内容とその子の文体、それを考え合わせて最も説得力があって、
最も筋道立てた、そういう言葉遣いにしていかないといけないので、はっきり言って添削指導はオーダーメイドだと思うんですよね。
なので一人一人に対応して、それで一人一人の言葉の力を伸ばすというふうな方法でないと、結局効率が逆に言うと良くない、悪いっていうか、
最も手間暇がかかるんだけど、最もその子の力を効率よく伸ばそうと思えば1対1指導だと思います。
これを例えば40人クラスの中でこうやって書くんがいいんですよとかって、一般的なルールや法則で文章の書き方を説明したとしても、
なかなか生きたものにならず、逆に効率よく見えて非効率になると私は思っています。
そういう意味では一人一人に時間を割いて対話しながらやる添削指導としては、
総合型選抜に挑戦したり、コンクールに応募したり、それから総合的な探求の時間で発表したりっていう時に、
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読み原稿であるとか作文であるとかを一人一人に対面しながら指導していくのが一番身のある指導になるんじゃないかと、こういうふうに思いますね。
でもそれ本当に限られた人しか指導できないっていうそういう面があります。
じゃあそうじゃない指導のあり方ってどうなんだろうっていろいろ考えてみたら、授業でやるのはほぼ無理だと思うんですよ。
だって40人に先生一人でしょ。書かせたものを添削するってその授業の目標は何なんですか。
文章を添削してより良い文章に仕上げることがその授業の目標なんですかって言われたら、
だいたいの授業がそうじゃないと思うんですよね。目標の設定がね。
交互表現の時間とかは別ですよ。そうなるとどういうふうなことにしたらいいのかというと、
まずね、いちいちいち一文一句生徒に添削してたら、生徒やる気なくしますよね。私がそうです。
私だってせっかくね、もうノリに乗って面白いこと考えたと思って書いた文章を、
いちいち先生に直されたんじゃやる気がなくなっちゃいます。
それからあの丁寧に丁寧に一つ一つ作文を添削して返していたら、
それは熱心でいい先生ですねっていう評価が来るかもしれないんですけど、
完全に働き方改革を逆行していて、持続可能な働き方ではなく、
それは次世代の人たちにバトンを渡すとしては最も良くない指導方法だと思うんですよね。
だから私一人一人にね、添削して返してますなんて胸を張って言う人なんか、
ちょっとどっかおかしいんじゃないかと思ってしまうようになってしまいましたね。
ということでどうやったらいいのかなっていうふうに自分の中でいろいろまだ悶々と考えているわけですが、
やっぱり本気になって書く授業っていうのを一番大事にすべきだと思うんですね。
その子が本気になって書くような授業を作ること。
そしてそこにできるならあんまり不得意な生徒が多かったらモデルを提示すること。
そしてちょっとレベルの高い文章を合わせ技で置いておくこと。
こういうふうにやっておくと、その子のレベルより上の作文が書けたような、
そういう経験で私はものを言ってるわけですけど、そういう経験があります。
例えば本気になって書く授業で、
例えばこういう形で書いてねっていう優しいモデルを示し、
そして例えば口語流法だったら、そのことについて書いた骨太の学者さんが書いたような文章をボンと載せておくと、
生徒は感動しているところにそれが入るもんですから、
難しい言葉が頭の中に入ってきて、それを使って作文を書こうとするんですよね。
私は一回そういうのをやったことがあって、一気に生徒の作文がレベルアップしたのにびっくりしました。
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それから基礎の最後っていうのをやったんだけど、生徒がピンときてないわけですよ。
これのまとめの鑑賞文を書かせた時も、
田辺聖子さんのふぐるま日記から持ってきて合わせ技で読ませたところ、またまた生徒の作文がグンと良くなりました。
なので自分が書いたものにモデルの作文であるとか、ちょっとだけレベルの高い作文であるとか、
それから読みやすくて生徒も思わず読んでしまうような文豪化の簡単な文章とか、
そういったものを合わせて読むことによって生徒の力がグッと上がるし、生徒も生き生きとして書くし、出来上がったものを誇らしく思います。
これをたくさんやらせる。やっぱり質を確保するには量が勝負だと思っているんですね。
私もたくさん書かせた方が何年か先、何ヶ月か先には質が上がるっていうそういうふうな感覚を持っているので、
もう本当に量を書かせたらいいんですよ。そのためには先生が添削しているっていうような非効率的なことはやめて量を書かす。
ところが最近はAIの活用が進んでいるので、AIに壁打ちをしてもらうのもいいかもしれません。
自分が書いたものをAIにちょっと直して整えてっていうふうにAIを活用することによって随分と文章が美しく整っていくと思います。
で、先生の関わりはやっぱり直すのは一、二箇所でいいと思うんですよ。
で、もうほとんど褒める。もう褒めちぎる、褒めまくる。
そしてコメントとかするのも40人いっぺんにはできないから、
今日は1番から5番までね、次回は6番から10番までねっていうふうに5人ずつに決めてローテーション組むとか、
そういうふうにして先生の負荷を減らしながら、そしてその生徒が本気になって、
で、最大の自分のパフォーマンスを発揮できるような文章と組み合わせるっていうのが一番私としては生徒が文章がうまくなる仕組みだと思っています。
で、できればその書いた文章をさらにブラッシュアップさせるためには、
整えるっていうそういう場面を作るために発表させるとか、
コンクールに持っていくとか、
それから電子書籍にしちゃうとか、
一番いいなと思うのはポッドキャストにしちゃうとか、
ポッドキャストにすると文章を整えないと本当にグダグダになっちゃうんで、
読み原稿にしちゃうとかね、そんなふうにするとより文章を整えようとするので、
そういう場面を作ることが生徒の各力を最も伸ばすんじゃないかなと思います。
私も本音を言えば、40人一人一人の生徒と対話をしながら、
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丁寧に丁寧にその子の持っている元々の言語活用能力を尊重しながら、
さらにレベルアップさせるっていう方法を取りたいなっていう思いは十分あります。
しかし現実には1対40になるわけですから、
そこで無理をすると自分の生活も犠牲にするし、
そういうやり方で、例えばないとは思うけど素晴らしいですねっていうふうに評価が上がると、
次世代の人に多大な迷惑をかけてしまうと思うんですよね。
ということで現状のシステムで最も効率よく、最も他人に迷惑をかけず、
そして自分も持続可能であるやり方はやっぱり本気になって書く場面を作ること。
そしてその子を引き上げるようなモデル文章あるいは文言の文章と組ませること。
そして数多く書かせること。
そしてちょっと直すなら1、2箇所。
そして一番いいのは褒めること。
これを繰り返しやっていくことが一番いいんじゃないかなと今思っていますね。
最終的には高校3年生でそういう受験の場面で
一対一対応の個人添削をする場面が多分おそらく出てくるんじゃないかと思いますけれど、
それまではそんなふうにたくさんの量を書かせるべく本気になって取り組む授業をデザインする方に
添削する時間よりもデザインする、工夫する、授業構想するという風に
時間をいっぱいそっちに使う方が一番いいんじゃないかなと思っています。
ちょっとまとまらないまま喋ったんですけど、
またこの配信をもとに自分なりにまたまとめてね、
どこかでノートとかで発表できればいいかなと思っています。
その他にもこうしたらいいっていう風なアイディアが終わりの先生、
ぜひぜひコメントいただければと思います。
それでは今日の配信はここまでです。
聞いてくださりありがとうございました。またお会いいたしましょう。