1. 今日も明日も授業道~国語教育をゆるっと語る~
  2. 441_「めあて」は問いか、作業..
441_「めあて」は問いか、作業指示か ― 国語授業のねじれ構造を解く~前編~
2026-05-05 09:26

441_「めあて」は問いか、作業指示か ― 国語授業のねじれ構造を解く~前編~

spotify youtube

「めあて」って、子どもの主体性を喚起するものじゃないの?……そう思って問い直してみたら、けっこう根深い問題が見えてきました。今回は「目標」「めあて」「学習課題」という3つの言葉の違いを整理しながら、授業設計の本質に迫っていきます。「線を引こう」というめあてで子どもは本当に動くのか? AIとの対話から生まれた考えをもとに、ズバッと掘り下げます。

#国語教育 #授業設計 #めあて #主体的な学び #ポッドキャスト

感想

まだ感想はありません。最初の1件を書きましょう!

サマリー

本エピソードでは、国語授業における「目標」「めあて」「学習課題」の定義を明確にし、特に「めあて」が学習者の主体性を真に引き出せるのかという問題に焦点を当てています。AIとの対話を通じて、従来の「線を引こう」といった具体的な作業指示としての「めあて」は、学習者の探求心を刺激する「中核の問い」とは異なり、知識理解に留まる可能性があると指摘しています。授業設計の本質に迫る前編として、この「ねじれ構造」を分析します。

はじめに:授業設計における「めあて」の問題提起
皆さん、こんにちは。今日も明日も授業道ス黒瀬直美です。この番組では、中学校・高等学校の国語教育、働く女性の問題、デジタル教育についてゆるっと配信しています。
今日は441回、目当ては問いか、作業指示か ―― 国語授業のねじれ構造を解く前編というタイトルでお届けしたいと思います。
最近ちょっと重たいテーマ続きで申し訳ございません。なんか本当に、授業の作り方、授業デザインについていろいろともやもやすることが多い、そういう時期になってきておりまして、
私自身、このポッドキャストを通してそのことについて向き合う中で、いろんなことが発見できたり整理できたりしているということで、どうぞこのちょっと堅苦しいタイトルが続きますけれどもお付き合いくだされば幸いです。
今日は前編ということで、やっぱり目標と目当てが違うということについてと、そしてその目当てっていうのは本当に主体性を喚起できるのかということについてお話ししたいと思います。
これはAIと対話しながら考えたことをまとめたというものなので、そういうことで私が悩みながらAIと対話していること、これを通して少しずつ考えがまとまってきたという、そういう風な流れでお話ししたいと思います。
「目標」と「めあて」の違いと従来の定義
まず目標と目当て、何が違うのかということです。現場ではなんとなく使い分けていると思うんですけれども、ちゃんと説明できるかと思うとはたっと止まりまして、私自身はなんとなくのイメージで捉えていたんですけれども、この度きちんと整理することにしました。
まず目標というのは、今回は指導目標ということになると思うんですけれども、単元全体あるいは本字を通じてどんな力をつけさせたいかというものを示すもの、これが目標になります。
目当てはその時間に子どもたちが意識する学習の焦点、子どもの立場で子どもの目線で書かれるもの、つまり目標は教師側のビジョン、目当ては子ども側の見通しというようなことになります。
例えば物語文だったら目標は、叙述を根拠に登場人物の気持ちの変化を読む力をつけるというような指導者の目標、目当ての方は主人公の気持ちが変わった場面を会話や行動に注目して考えようといった形、活動のような形で書かれますね。
教科書や指導書にはこういった目当てははっきりと書かれていて、学習者の活動というものに焦点を当てて学習者が自覚的になるように工夫されています。
「めあて」は主体性を喚起するか? 作業指示への疑問
というすみ分けなんですけれども、ここまで読んで私にはかなり引っかかりがありました。
それは会話や行動に線を引きながら考えてみようという目当て、これって生徒は本当に主体的になれるんだろうかという疑問です。
率直に言って私は長い間現場にいましたけれども、線を引こうってそれは作業の指示なんじゃないかと思ってしまうわけなんですね。
それに加えて生徒の立場で考えると会話や行動に線を引きながら読むことに主体的になれるのかというふうに思ってしまいます。
これって生徒が考えたい課題なんでしょうか。
AIとの対話:主体性を動かす「問い」と「方略」
このことをAIに投げかけたら帰ってきた答えはご指摘はかなり妥当でした。
確かに線を引くっていうのは方略であって追求したい課題解決したい問いではないんですよね。
子どもの主体性を動かすのはなぜ主人公の気持ちはここで変わったんだろうという問いだと思うんです。
主人公という他者であり、あるいは自分自身の自己投影である人物がどう感じどう生きていこうとしているのかということを通して、
じゃあ自分はどう考えどう判断し何をアウトプットしていくのか。
これこそが主体性を喚起する問いなんじゃないかなって思うんです。
線を引こうとか筆者の考えを理解しようとか価値観を読み取ろうとか、
それって結局知識理解止まりの目当てになってるんじゃないかと思うんです。
その目当てが教科書にはちゃんと書いてあるので、それを目当てにする授業になっている。
実際そういう授業をよくよく目にします。
学習者の実態によってはこの目当てで一生懸命になるんじゃないかと思いますけど、
私が長年生してきた生徒たちはそういう生徒はごくごくごく少数だったと思います。
「中核の問い」と「方略」の二層構造、目標の二重構造との関連
ここで提示してくれたのが、AIが提示してくれたのが目当てを中核の問いと法略の2層に分けて考えてはどうですかと言われました。
中核の問いというのは、主人公の気持ちはなぜここで変わったんだろう、
そして法略というのが会話や行動、場面の変化に線を引きながら考えようというものでした。
前半が子どもの内面を動かす主体性を喚起する問い、後半がそのための道具ということになります。
そこでやっぱり思い出すのは、私がずっと言ってきたセラヒロアキ先生の目標の二重構造、これを思い出しました。
そしてさらにAIは目標と学習課題と目当てを3つに分けたらどうかと提案してきました。
目標というのがつけさせたい力、教師側のいわゆる指導目標、学習課題というのが子どもたちが追求する問い、主体性を喚起できる問い、目当てはこの時間の学びの見通し、取り組み方というそういうふうな3つの分け方です。
つまりセラヒロアキ先生の目標の二重構造、これでいきますと、指導目標と学習課題が二重構造の部分にあたります。
そこの部分に新しく目当てという取り組み方、子ども目線の活動、これを入れることによってすっきりするんじゃないかと、そういう提案だったんですね。
現場の声と学習指導要領との乖離
ということで、やっぱり目当てについても学習者に提示する限りにおいては慎重に考えていきたいなと思いました。
以前小学校のもう校長先生になっていらっしゃるベテランの先生に、目当てというのがどうも主体性を喚起できるものになっていないんじゃないかと、活動はこれは先生側が達成したい指導目標に従っているものなんじゃないかと、そういうふうな問題を投げかけたところ、
その校長先生は、小学校ではやっぱり目当てが分かりやすいということが大事、だから活動に落とし込むんだということと、教員が横並びでスタンダードを取らないと授業力の差があって難しいんだというふうなことをおっしゃっていました。
だから目当てをはっきりさせることによって先生自身が教えやすくなる。それを優先した結果、目当てが知識理解止まりになってしまっていると、そういったお話も聞きましたけれども、これは原稿の学習指導要領が謳っている、そういったものには沿っていないということになっているんじゃないかと思いましたね。
まとめと次回予告
ということで、私は本当にこの目当て、そして学習目標、指導目標、この3層の狭間でずるずるずるずるとしており、もんもんもんもんとしております。
最近そういったことをいろいろと考えているわけですけれども、今日はこの目当てという問題のねじれ現象について分析してみました。
次回の配信では、このねじれ問題が現場でどういうふうに広がっていて、私自身がどういう立ち位置でこの問題について取り組んでいったらいいのかということをお話ししたいと思います。
それでは今日の配信はここまでです。聞いてくださりありがとうございました。またお会いいたしましょう。
09:26

コメント

スクロール