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みなさん、こんにちは。今日も明日も授業道ス黒瀬直美です。この番組では、中学校・高等学校の国語教育、働く女性の問題、デジタル教育についてゆるっと配信しています。
今日は442回、目当ては問いか、作業指示か ―― 国語授業のねじれ構造を解く後編というタイトルでお届けしたいと思います。
前編に続いての後編となります。前編では、目標と目当て、学習課題、この3つの整理と主体性の話をしました。後編は、そのねじれ状態というのが現場でどうして広がっているのかということについてお話ししたいと思います。
そして、私自身が本当の自分幻想という評論でどういうふうに課題を設定したのか、目当てを設定したのかということを簡単にお話ししたいと思います。
まず、現場に広がるこのねじれ状態、これの正体とは何かということについてAIとキャッチボールしながら考えてみました。
現場では、表面上主体的対話的で深い学びと言いながら、実際の目当てには線を引こうとか、中心分を見つけようとか、対比構造を理解しようとか、あるいは筆者の価値観を理解しようというかといったことになりがちですね。
AIはこのことをズバッと探求ではなく訓練になりやすいというふうに分析しました。
本来はなぜ筆者はこう考えるのか、それを受けて自分はどう考えていくのかという問いが先にあって、そしてその後で法略が来るはず。
比較したり用紙を捉えたり、根拠を探したりという法略がその後に来るはずなのに、逆転していると。これがねじれの正体です。
じゃあ、なぜこういうねじれ状態が生まれやすいのか。
それはまず指導案が書きやすいですし、評価もしやすいです。
もう見たら構造化しやすかったり、論理化しやすかったり、筋道立てやすいという、そういう授業に引き寄せられるのは当然だと思います。
接続後に着目しようとか、指示後の内容を読み取ろうとか、その方が筆者の物の見方や考え方を問い直そうとか、そういったランクの高い課題よりも評価の観点を書きやすいですし、それから授業としても分かりやすくて非常に見栄えがします。
評価しやすいですし、見取りもしやすいですし、その上で情報化もしやすい。
これって主体的に学習に取り組む態度というのが、挙手回数とか提出物状況とか、そういったものに変質していく感じとよく似ているなと、そういうイメージがあるわけです。
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本来主体性とか、そういったものは問いが深まって、そして思考が深まって生まれていくもので、それってなかなか目に見えない。
目に見えないがゆえに評価しにくい。
だから外から見える評価しやすい形として見えやすい活動に置き換わってしまうという、そういうことになってしまうんだなと思いました。
以前、あるとある国語のテーマでの対話会、座談会かな。
そこで私自身が立てた目標が情緒的かっこ笑いですけど、情緒的かっこ笑いと言われたことがありますが、
やっぱり評価しやすい構造の方が授業としても明快だから、どうもこの情緒的かつ私自身の個性に近い目標の立て方っていうのは他者には非常に馴染みにくいものなのかもしれません。
だから測りやすいっていうことの方に流れていくのかもしれません。
ただ一方で、測りすぎると教育は死ぬっていう評価の落とし穴について書いた本を読んだことがあるんですけど、そういったことも思い出しました。
じゃあこのねじれを増幅してしまっているのは何なのか。
AIとのキャッチボールで考えてみた結果、あるいはAIが教えてくれた結果、まずそういった測りやすさゆえに明快になって情報化しやすくなった。
情報化しやすくなったってことは形式化しやすくなった。
そのことによって新しいもののように見えること、進化しているように見えることです。
なるほど、個別最適、自由深度、自己調整、学習方略などなど、こういった先進的な取り組みが昨今いろいろと歌われるようになりましたけれども、これって型ですよね、形式です。
そういった形式の新しさを取り入れることによって進化しているように見えると、こういったことをAIが指摘してきました。
確かにそうだなと思ってギクッと私したんですけれども、皆さんこのあたりどうお考えになるでしょうか。
こうやって形式化しやすくなったっていうことで、SNSで発信しやすくなりましたよね。
それゆえに拡散されやすくなったということです。
だから拡散されやすい形っていうのが本当に前面に出てきている時代になったと。
その結果、子どもが本当にその問いを生み出しているのかっていうのは見えにくいですし、いわばSNS映えしないと、こんな形になるんじゃないでしょうか。
再現しやすい、形式化されやすい形だけが切り出されて流通して、それが望ましいやり方のように見えるようになってくるという、そういったことでねじれ現象が増幅しているんじゃないかと思います。
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AIの表現を借りると、形式化された進歩っぽさの流通、これはちょっとギクッとしましたね。
結構そういうSNS発信を見ますよね。私自身も自戒を込めて言っているわけですけれども、ねじれを増幅しているものは、形式化による情報化しやすくなったこと。
それによってSNS発信で増幅されやすくなったということです。
じゃあ私自身、そういったSNS発信している、そういったねじれ現象に身を置きやすい私はちゃんとやっているのかなと思って、最近取り組み始めた本当の自分幻想という平野圭一郎さんの評論、これの1時間目を自己点検してみました。
達成目標、これは自分について見方を見直し、認識を深めるとしました。
これらの学習目標ですね。本当に測りにくい目標だなというふうに笑ってしまいましたけれども、でもこういうふうな目標に設定したのは、この教材にはそういう価値がありますし、高校1年生の発達段階を考えると、
高校に入って友達も増えて人間関係も複雑になって自分というものの在り方、これが変わってきているんじゃないかという、そういうことを問う時期としてはちょうどいいテーマになります。
自分というものについて見直し、これから高校時代をどう生きていくかということについて彼らにはふさわしいので、主体性を喚起しながら平野圭一郎さんの文章を本気になって読む中で、
言葉を獲得し、物の見方、考え方を新たにし、そして読解方略を身につけていくことができるのではないかと考えました。
1時間目の目当ては、本当の自分とは何かについて考えていこうというテーマを確認するということになりました。
最初の冒頭部分は漢字トレーニングから入って、まず次、大名読みという読解方略から始めています。
タイトルだけを見てかぎ括弧の効果を考えさせ、そして本当の自分とはについて自分なりに2、3行で書かせて、最終的に学習後にどういうふうに変化したのかを見ていきましょうということでスタートしました。
第1段落、本文を分かりにくい部分を抑えながら、時には発問しながら読んで、そして内容、第1段落の内容、版書によって発問を応答形式で整理します。
それが終わりましたら、まとめとして、版書の図式化を使ってこの段落の要点を説明して、気づきや感想をコメントしてくださいという課題を生徒に投げかけました。
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なんとラッキーなことに、生徒1名が手を挙げて見事にこのプレゼンをやってくれました。
素晴らしいですね。ちょっとこういうこと珍しいんですけど、大変にパフォーマンスの高い生徒がいて上手にやってくれましたね。
導入というのはとても大切なところなので、生徒はこの流れにうまく乗ってくれたと思います。
主体性を喚起するっていうのも先生のデザイン力がないとできないと思うんだけれども、大村浜先生はよく仏様の手のひらの上で生徒を転がすようにっておっしゃっていて、
先生が前面に出なくても知らず知らず生徒が本気になるような、そういったデザインが求められると思いますけど、まだまだ仏様の手のひらの上状態には全然なっていません。
ということで、この私の自分の授業を自己点検したわけですけれども、主体性を喚起しましょうと学習指導要領で掲げながら、目当てが指導者の目線であるというねじれはなかなか解消できないなっていうふうな感じがしました。
その理由は主体性喚起っていう授業構造が難易度が高いゆえに、再現性に乏しくて分かりやすい形式に流れた方がやっぱり広がりやすいと、そういうことですね。
形式が明確になることで情報化しやすくなりますし、その結果SNSなどの拡散にも向いています。
そう考えると、もしかしてこれってエコーチェンバー状態になってきているのかもしれないとも言えます。
そうなるとAI活用自体もそういった面が否めないなっていうふうに思いました。
このあたりについても私自身、いつも自分を批判的に見つめながら考えていきたいと思います。
まあねじれはどうしても出てしまう、でも悪者を探しても授業は良くなりません。
単元構造全体の問いの設計から見直す、これが私自身の第一歩だと思っています。
皆さんもご自身の目当てをもう一度見直してみてください。
その目標は指導者の達成したい目標でしょうか、学習者の達成したい目標でしょうか。
私もSNS発信をしている身として自分にも厳しくとっていきたいと思います。
今日の話があの授業道を歩むきっかけになれば大変嬉しく思います。
それでは今日の配信はここまでです。聞いてくださりありがとうございました。またお会いいたしましょう。
