自分の人生の選択
こんにちは、わたしはるかです。このチャンネルでは、36歳で自分のポンコツさんに絶望し、1週間会社に行けなくなったアラフォーOLの私が、7歳歳したのっとや、周りに頼りまくりながら、感情全解放して自分らしく生きていくアレコリをお伝えしていくチャンネルです。
今日はですね、私、昨日ね、なんかこう自分の人生を選択しているのは自分だっていう話をしたんですけどね、なんかこう、どんなに理不尽で自分が好きでそうなったわけじゃないっていうのか、自分が正しいっていうふうに思うことでも、やっぱりこう自分が苦境に陥っているっていう状況であれば、そこはね、それはそれとして、
何かね、行動をしないと、それを認めて行動をしないと、人生はね、好転しないよっていうことに腹を打ちしましたっていう話だったんですよね。
私自身は結構特性としてね、時間にルーズとかね、お金にルーズとか、衝動的とか、そういう性質を持っていて、それがずっとね、嫌だなって思っていたし、結構それって評価するときに悪い方に出るっていうか、普通に考えて、時間を守れないとかっていうのはダメだっていうのがあるじゃないですか。
なんかこうね、好きでそう生まれたわけじゃないのにみたいな、そういう気持ちを持っていたんですけど、まあでも現実問題、そういう人がいるんだよっていうことを伝えていくっていうことをするっていうことも行動だし、現実問題、それはね、信用問題になるっていう現実を受け止めて、どう対処していくのかっていうのをやっていかないといけないっていうこと。
それがね、なんかどんなに自分の中で理不尽だっていうふうに思っても、そういうものなんだっていうことをね、腹落ちしたっていう話をしたんですよね。
で、それって私はお母さん問題も同じだと思っていて、それこそお母さんって選べないじゃないですか。
自分だって好きで、そのお母さんの元に生まれたわけじゃないし、多分ね、そういうお母さんの元、難しいお母さんの元、自尊心が低いとか自己肯定感が低いとかっていうお母さんの元に生まれると、やっぱり子どもっていうのは真っ白な状態からその背中を見て育つので、やっぱりその自尊心の低さとかっていうのは受け継いでいったりとか。
お母さんがね、愛し方をわかんないで、自分はこれは愛情だと思ってやったことに対して、なんかこう愛情が受けれてないっていうふうに思って、自分はね、このままではありのままでは愛されない存在だっていうふうな価値観を身につけてしまうとか。
そういうことっていうのは子ども自身が選べることではなく、もう人間の防衛本能とか本能的なもので、そういう価値観を身につけてしまうわけですよね。だからそれっていうのは別に子どもに全く罪はなくって、それはもう私が読んだ本にも書いてありましたけど、虐待されたとかね、性的虐待を受けたとか、そういう人たちもいると。
それが自分の責任なんですかって言うと、それは違うと。
過去、子どもの時に受けたものっていうのは、圧倒的に大人の方が悪いっていうのがあると。
克服と人生の変化
だけども、大人になった時に、そのトラウマとかその生きづらさを抱えて生き続けるのか、そこをね、克服しよう。
もうすごく大変ですごく辛いけど、克服しなければ自分の人生は好転しないんだっていうことを認めて、あまりに理不尽だけれども、子どもでね、親は選べないし。
だって、普通の親御さんの元に生まれてたら、こうはならなかったっていうね、もう偶然の話なので。
そういうのはあるけれども、それは理不尽だと思うけれども、でもこのままでは人生は好転しないっていうことを認めてやっていくしかないっていうのがあるっていうところでね。
なんかそういう虐待の話とかは本にもあったんですけど、こういうね、虐待とかじゃないけど、こう生きづらさを抱えていて、その根本っていうのはやっぱり小さい時から一緒にいた。
価値観を継承したお母さんに問題があるよっていう人も、お母さんとか自分に向き合わなきゃいけなくて、なんでそんなことをしなきゃいけないんだっていう。
なんか圧倒的理不尽な気持ちっていうのはあると思うし、私もやっぱりありました。すごいありました。
なんか私が一番嫌いな言葉に、いつまで親のせいにしてるのっていう言葉があったんですけど。
なんかそれって、お母さん問題にめちゃくちゃ取り組んでめちゃくちゃやって克服した人が言うなら、私も別に何の問題に苦しむこともなく、生きづらさも感じず生きてきた人が、なんでそんなお母さんのせいにしてるのみたいな風に言うっていうのは、
それはあまりに理不尽じゃないかと、あまりに軽々しいのではないかというふうに思って、そういう言葉が嫌いだったんですけど。
実際に私も会社で本当に迷惑をかけられた後輩がいて、かなり犯罪レベルで迷惑をかけられたんですけど、
その子自体も話を聞いてると、多分家庭に問題があるんだろうなっていうのは一目瞭然、ちょっと話聞いただけでわかるっていう感じで。
だから、私も上司と話した時に、家庭の問題とかもあって、そうなってしまったのはその人自身の責任ではないところもあって、かわいそうなところもあるっていう話をしたら、
いつまで親のせいにしてるのっていう話だからっていう話で、そんな私にとって嫌な奴だったんですけど、嫌な奴に対してもそう言われるのはかわいそうだなっていうふうに思ったりしたんですよね。
実際大人になってくると、悲しいことに子供の時に好きで受けたわけじゃないトラウマとか価値観とか、そういうものを自分の責任で克服しなきゃいけないっていう、
なんとも理不尽のことが起きるわけなんですけど。
だから、それは理不尽でやりたくないっていう気持ちはめちゃくちゃわかるなと思って、私もずっとそう思ってたし。
だけど、やっぱり大事な視点っていうのは、これからの人生をどうしたいかっていうことで、今までの延長でそこに向き合わない限りは同じ人生が続いていくと。
向き合うのは、理不尽だし大変だし、なんで私がやらなきゃいけないんだっていうのはすごくあるんですけど、人生を肯定させるためには、やらなきゃいけないというか、やらないと人生は変わらないっていうことでね。
逆に言うとね、やれば人生は変わるっていうことなので、私自身もね、やる前は本当に嫌だって、人生で一番やりたくないと思ってたけど。
やった後はね、やってよかったな、いろんなことが変わった、考え方とかも変わったし、現実とかもちょっとずつ変わってくるっていうのがあるなって感じてるので。
もしかしたらね、まだやり足りないことがあるかもしれないけれども、そういうところはね、現実見てちょっとずつやっていかなきゃいけないなって思ったりするので。
やっぱりその、今のままで人生がいいのか、何をやらなきゃいけないかっていうことは、自分自身では分かってはいるはずなので、それをやるのか、やらないでこのまま人生を過ごすのかっていうことは、いろんなね、こう、すごく重要な観点だなっていうふうに思うし。
特にね、母親問題とかある人、生きづらさがある人にとってはすごく大きな、すごい大変な決断だと思うんですけど、なんかそこをね、感じてもらえると、考えてもらえるとすごくいいかなっていうふうに思った。
お母さん問題も同じだなっていうふうに思ったというわけでした。
こういう話はね、またしていけたらと思うので、また機にも来てもらえたら嬉しいです。
それではまた会いましょう。