2025-01-07 13:26

#82 【生きづらさと向き合う】「分かってほしいという気持ち」に気付くこと

生きづらさと向き合っていく中で、
めちゃくちゃ大事なことだと思うこと。

イライラや生きづらさの奥には、
「分かってもらえなかった」という悲しみや
分かってほしい気持ちが隠れてるけど、
大抵相手に他意はなかったりするっていう。

そのことに気付いてから、
大分楽になった気がします。

#生きづらさ
#母親との関係

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こんにちは、わたしはるかです。このチャンネルでは、36歳で自分のポンコツさに絶望し、1週間会社に行けなくなったアラフォンOLの私が、7歳年下の夫や周りに頼りまくりながら、感情全解放して人生を楽しく生きていくあれこれを語っていくチャンネルです。
昨日、私は、2024年頑張ったこととして、自分の生きづらさを解消するために、自分が生きてきた、生きづらさを醸成してきた家庭環境と向き合うことをしてきたよ、という話をしたんですけど、
そのために、実家に行って、今まで母親とかに言えなかったことを言ってきたよ、という話をしたんですけど、その中で一番大変だったなって思うこと、乗り越えるのがすごい大変だったなって思うこととか、同時に、でもそれってすごい大事だなって思ったことを話したいなっていうふうに思います。
これって、親と向き合うとか、生きづらさと向き合うとかっていうのにも大事なんですけど、普通に人間関係を、関係性を構築していくのにすごい大事だなっていうふうに最近思っていて、それが何かっていうと、タイトルにも書いたんですけど、分かってほしいっていう気持ちだと思うんですよね。
普通に人間関係でもって言ったのは、すごい腹が立ったりとかすることってやっぱりあるじゃないですか、仕事の人間関係とかでもそうだし、プライベートの近しい家族とかパートナーとか、あとは友達とかね、そういう時にイラッとしたとか、すごい腹が立ってイライラするとか、そういうこともあると思うんですよね。
それが何でそんなにイライラするのかな、みたいなことを考えたり、すごく嫌だとか、すごくモヤモヤするとかっていう不の気持ちになった時に、それって何でかなっていうことを突き詰めていくと、やっぱりその奥には何で分かってくれないのとか、分かってもらえなくて、自分のことを理解してもらえなくて悲しいとか、
そういう分かってもらえると思ったのに、分かってもらえてなかったみたいな、自分の気持ちを理解してもらえてなかったとか、自分の気持ちを思っているのに、それを阻害するようなことをされたっていうふうに思う時に、腹が立ったりとかするなあっていうふうに思ったんですよね。
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それをすごい思ったのは、よくパートナー、私の場合は夫と喧嘩した時とかにも思うし、すごい腹落ちしたのは、仕事で上司と、仕事場でプライベートの問題が起きたことがあったんですよ。仕事だけどプライベートみたいなね。
プライベートの問題なんだけども、上司と話し合わなきゃいけなくてっていうので、結構上司と話し合いを重ねてたんですよね。その時の上司のことを私はすごい尊敬していて、すごい好きな人だったし、上司もすごい力を尽くしてくれたんだけれども、それでもやっぱりちょっと私が思う解決には弱いなって思ったことがあって。
で、私はもっとこれをやってほしいって言ったんだけれども、上司はいやもうそこまではできないみたいな話で、ちょっと平行線みたいになったんですよね。そこでちょっとお互い感情的になる部分もあって、もうこれ以上はできないよみたいな、どうしろって言うんだみたいな感じの感情的になったりすることもあって、それがすごい私は悲しくて、かなり結構大きな問題だったので、
私の要求っていうのは正当なはずだみたいな感じで思ってもやもやしてたんですよね。すごい悲しいし腹の立つしもやもやするしみたいな。
で、それを考えたときに、でも何が一番そこでこんなに感情的になるのかなって思ったら、私はすごいその人のこと尊敬していて、上司も私のことを尊重してくれていることを今まで分かってたんだけど、
ここに来て私の問題が起きて辛い気持ちとか、私が被害者みたいな感じだったんだよね。被害にあって悲しい気持ち、辛い気持ちみたいなのを分かってたらやってくれるだろうみたいな感じの思いが私の中にあって、
その辛い気持ちとかを分かってくれない、尊重してくれないから腹が立つみたいな、そういう気持ちになったんだなっていうことをすごい腹落ちしたんですよね。
だから別によくよく考えれば、上司は物理的にもうちょっとこれ以上のことはできないっていうことを言っているっていうのがあって、それは別に私の辛い気持ちとかを重んばらないわけではなくて、それは大変だったなということはすごい分かってはいるけど、物理的に会社の制約とかもあるし、
もう進んでいる物事もあるからこれ以上はできないよっていう提示だったと思うんです。だなってことに気がついて、分かってくれないっていう気持ちとこれができるできないっていう物理的な話は切り離して考えなきゃいけないなっていうふうに思って、上司に対してそういう気持ちの問題としてこういうふうに思ってしんどかったんですっていう話と、
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物理的な問題としてはっていう話の両方をしたことで、自分の中ではすっきりしたというか、別に相手が理解したくないから私を理解しないとか、私の気持ちなんてどうでもいいとか尊重してくれないとか、そういうことではないんだなっていうこと。
それと、できることとか発言とかっていうのはまた別物だし、それが同じ場合もあると思うんですよね。相手が本当に理解しようとする気がないとか尊重する気がないとか、そういうこともあると思うんですけど、その相手がどういうつもりで話してるのかっていうことを考える必要があるなっていうことをすごい思った。
自分としてはたぶん腹が立ったり悲しいっていうのは、やっぱり尊重されてないとか、理解して分かってくれないっていう気持ちがあるからだなっていうことがすごい分かった。他にもそういうイライラするときって、分かってほしいことを分かってくれないっていうことが多いなっていうふうに思ってて。
で、それがそれの最たるものがやっぱり母親の気持ちだったんですよね。なんか小っちゃい時から私は結構怒られることが多くて。
それは多分母親自体も怒られて育ったから、時代もあったと思うし、何か子供しすぎるっていうのかな、何か足しなめるときに怒る以外のやり方が分からないみたいなことを昔ポソッと言ってたこともあったので、もうそれしか知らないっていうことで怒られてたんだろうなと思うんですけど。
そういうこともあったし、いろいろ私は絶縁されたりとかもしたりとかしたから、結局物申したりとか言ったりするのが怖いっていうのがすごいあって。
でも、いろいろこうしてほしかったみたいなことっていうのはたくさんあるわけなんですよね。
多分、こうしてほしかったっていうのは誰にしもあるんじゃないかなっていうふうには思うんですけど。
特に息づらさを抱えている人、人にあんまり強く物が言えないとか、そういう人っていうのはやっぱり家庭で我慢してきた可能性がすごい高いから、もっと自由に生きていたかった。
どんな感情が起こっても悲しんでも別にあなたはそれでいいんだよっていうことを小さい時から、やっぱり両親に示してほしかったっていうのはすごいあると思うんですよね。
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何か起こるのを我慢したとか、悲しむのを我慢したとか、いろいろ我慢してきたことがあると思ってて。
やっぱり私が一番最初に母親に会いに行こうみたいなね、それは2023年とかだったんですけど、そういう時に何からノートしていいかわかんないからノートするっていうのは、
自分の気持ちを書き出したりとか、気づきを書き出したりとか、何を伝えたいかっていうのを書き出したりとかしようとした時に、
一番最初に出てきたのって、相手にいかに分からせるかみたいなことがすごい出てきたんですよね。
別に分からせてやりたいって出てきたわけじゃなくて、私はこういうふうに傷ついたから、こういうことはやめてほしかったとか。
しかもやめてほしかっただけじゃなくて、あなたがやったことは悪いことだみたいな。
それっていうのは心理学的にも証明されていて、あなたはこんなに悪いことをしたんだよみたいな。
それがわからないのみたいなことをずっと手を返し、いろんな書き方で書いてたんですよね。
本当にそこからなかなか抜け出せなかったなっていうのがすごいありましたね。
やっぱりその気持ちの根底には、母親に私の気持ちを分かってほしい、私の辛かった気持ちを分かってほしいし、
辛い気持ちをしたのは母親が私に我慢を教えたせいなんだから、それがわざとであれわざとじゃなかったでしろ、
私は傷ついたし、こんな風に生きづらくなってしまったんだから、
自分が悪い、母親が悪いっていうことを認めて謝ってほしいとか、そういうふうにすごい思ってたんですよね、心の底で。
それが言葉にできたかどうかはまた別で、なかなか気づかなかったっていうのもありましたね。
絶対なんていうのかな、自分が傷ついたことは間違いないじゃないですか。
それによって生きづらくなってしまったこと、いろんなちっちゃい時に我慢をしたから、世間に対しても我慢をしてしまう、
そういう生きづらさを抱えてしまうようになったっていうことも間違いはないので、
その正当性を親に対して叩きつけたかったし、示したかったし、それに対して謝ってほしかったっていうのがすごいあったんですよね。
なのでこれも結局のところ、大事なのは自分が本当に親にわかってほしいとか、
そういう期待をしてしまうっていうことをまずは自覚して認めることが大事だなっていうと、
親に対して言うと、期待しても無駄というか、わかってほしいと思っても、そこは理解しない。
それができる人だったら、ちっちゃい時からやってるわけなんでね、
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それができない人なんだっていうことを体感して腹打ちするっていうのがすごい大事なんですけど、
それはまた話すと長くなってくるので、別の話でしたいなって思うんですけど、
でもとにかくまずは、怒りとか悲しみの底にわかってほしいっていう気持ちがあること、
それは自分の生きづらさの根底である、親に対してもそうだし、人間関係の中で腹が立ったりした時っていうのは、
とにかく怒りをまずはバーって出すのが、ノートとかに腹立つみたいなの書いて、
バーって出すのがまず大事なんですけど、ちょっと落ち着いたところで考えてみた時に、
本当に自分の奥底にある気持ちって何なのかなってなった時に、
大体はやっぱりその悲しみ、わかってくれない悲しみとか、尊重されてないって思ったっていうことなんじゃないかなって思うので、
そういう時にちょっと自分の心の奥底を探ってみるっていうのはすごい大事だなっていうふうに、
この母親との向き合いを通じてもすごく思いましたっていう話でした。
このあたりの話は、なんでそこをどうやって私も乗り越えていったかっていう話とかもまたしていきたいと思いますので、また聞いてくれると嬉しいです。
それではまた会いましょう。
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