悔しさと反省
こんにちは、わたしはるかです。このチャンネルでは、36歳で自分のぼんこつさに絶望し、1週間会社に行けなくなったアラフォーOLの私が、7歳年下の夫や周りに頼りまくりながら、感情全解放して自分らしく生きていくあれこれをお伝えしていくチャンネルです。
今日はですね、ちょっと間が空いちゃったんですけど、この前ね、あのすごい悔しくて泣いたよっていう配信をさせていただいて、いろいろね反応もいただいて本当にありがとうございました。
で、これすごい悔しくて泣いたんですけど、その後にめちゃくちゃ反省だって思うことがあったので、今日はそのね反省編を話していきたいなっていうふうに思います。
まあね、この間が空いちゃったのも本当はね、すぐ翌日撮ろうと思ったんですけど、その翌日ね、撮ろうとしてた朝に夫と大喧嘩しまして、めちゃくちゃ些細なことで大喧嘩しまして、それもね、なんかあーって思った気づきがあったので、また別でね話したいなって思います。
で、この悔し泣きからの気づきって何かっていうと、まずね、悔しくて泣いたっていうのは、同じ部署の人が別の部署の人に批判されてたというか、なんかその人がね、私と同じ部署のAさんだとしたら、そのAさんの評判が悪いよみたいなふうに言われて、でも私にとってAさんっていうのは、私と似たタイプの人だなっていうふうに思ってて、
結構ね、返信が遅かったりとか、仕事を溜めちゃったりとか、そういうこともあるんだけれども、すごく一生懸命に文句も言わずね、いつもニコニコとね、仕事をしてくれて、人が辞めちゃったりとか、なんか人がやりたくないような仕事とかを送られても、しっかりね、こなしてくれてるっていう人なので、
できないこともあるけど、その分、人ができないようなことをやってくれてる人だから、一概にね、一つの面だけを切り取って、評判悪いよって評価を下されたみたいなことがすごい悔しくて、
その話を聞いた後ね、家に帰って泣いたっていう話だったんですね。で、それに対して私は、人にはね、やっぱり得手不得手があって、苦手なところっていうのは、やっぱり克服するのに人の2倍も3倍もストレッチ数値がかかるというか、努力が必要みたいなところもあるからね。
この苦手なところっていうのも、相手に接する時に、この人はこれが苦手なんだなっていうふうに思ったらフォローしてあげるとかね、その代わりにその人がやってくれる、できることがあるからフォローしてもらえるっていうこともあるし、そうやってね、助け合うとか、この人これが苦手なんだなっていうふうに認識することで、
一概にね、あの人はダメだとか、あの人は評判悪いとか、そういうふうに一概に評価するのはやめてほしいというか、そうじゃない世界になってほしいというか、そういう気持ちをわかってほしいっていうのかな、そういうことあるよっていうことを伝えたかったっていうのがあるんです。
で、だけどそれに対して何を反省したかっていうと、この悔しさっていうのは、もうなんか自分をすっごい投影していたんですよね。すごい共感というか、自分と同じ特性を持った人がそういうふうに悪い評価をされているのを聞いて生き延ったっていうことは、つまり自分もそういうふうに言われる可能性がある。
自分もそういうふうに言われたのも当然だっていう気持ちで、すごい悔しいって思ったっていうことなんですけど。
もちろんね、その悔しいって思ったとか、周りもね、いろいろ見る軸を変えるべきとかっていう話の大前提として、できないことがね、人に迷惑をかけているとか、人に迷惑もそうなんだけど、自分が損をしている。
社会に出た時にこういうことができないと、やっぱり信用が積み重ならないよねとか、信用を失うことになるよねとか、そのふうの側面が追い切るよねっていうことは大前提としてあるし、そういうところとしては、自分としても直す努力っていうのはしていくべきっていう前提でっていう話はしてたんですけど、
自分自身がそういうことを言って、なんていうか、言い訳をすごいしてたなっていうふうに思ったんですよね。
やっぱりこう、なんかわかってほしいとか、人のせいにするとか、そういう側面があったなっていうふうに思うんです。
はい。
はい。
はい。
はい。
はい。
なかなか訴訟、内容が遅れたというか、私が正しいんだからいつかわかって正しい裁判が進むはずだみたいなね。
名誉毀損だみたいな感じでめちゃくちゃボロカス言われて何か訴えられたみたいな 話があってそのし司会者の方は正しいことを言っている自分は正しいことを
しているのに なぜこんなことになるんだっていうことで自分は正しいのに何かおかしい
いうのでなかなかこう訴訟とかに対応が遅れたというか 私が正しいんだからいつかわかって
人生を変える決意
正しい裁判が進むはずだみたいなね スタンスで言っていたとでもそうすると戦略がなく自分の正しさ
をなんでこんなことになっちゃうのみたいなスタンスで臨むから なかなかうまくいかなかったとそれがその著者の方が
アメリカのねあの人の方なんですけどその方がそうは言ってもそういうことじゃなくて そういう現実を受け止めて理不尽だろうが今こういう窮地に陥っているということを
受け止めて自分や仲間を守るためには立ち上がってあの戦略を立てなければならないんだ っていう話があるんですよね
なんかまさに自分の話もそれと一緒でなんかこう世の中こうあるべきとか なんかこう理不尽だとかそういうことってあると思うんですよね私自身もなんか
こうすごい増えてなことがあってそれはもう昔からそうでそう小学生の時からね 夏休みの宿題を9月からやるみたいなタイプで
それって別に好きでそう生まれたわけではないとか好きでそうなったわけじゃないもの 心ついたらそうなってたみたいなね
なんかこう気分が悪いと仕事もしないし 農品物は締め切り守れないし時間もルーズだしっていう本当に本当に嫌な性質があるなっていう
ふうに思うんですけど ただそれをねなんか好きでそう生まれたわけじゃないっていうふうに嘆いて言ってたりとか
なんかこう世の中がそれを許容してくれないとかっていうふうに嘆いていてもやっぱり結局 自分の人生は好転しないっていうことだなっていう
すごい痛感して自分の人生を好転させたいならそういうそういう性質を持った上で 自分はどう生きるのかっていうねそれを最低限克服するのかそれともそれを
生かして何かしていくのか そういうことを許している人許される環境を自分で作っていくのかとかね
なんかこう自分が何か戦略的に やっていかないと
例えば倍の努力をしてでもやっぱりそこを克服していくとかね もしくはその努力が無駄で長所を伸ばすために使うのであればその自分の特性をね
わかってもらう努力をするとかいろいろあると思うんですけど まあこれ当たり前のことなんですけどやっぱりこう理不尽なこととか自分だって好きでそうなった
わけじゃないって思ってることって人は誰しもあると思うんですよね だけどそういうこう理不尽に対して
1回ね多分全部文句は出した方がいいなって私は思うんですよねいきなり 自分の責任だとかって思うとなんかなんていうのかな
頭はそう思ってるけど心はそう思ってないみたいなことになったりするのでなんかこう ね頭も心も1回全部人のせいにして私だって好きでこうなったわけじゃないって散々
ね叫んでもいいし一番いいなノートに書くことが一番いいなって思うけどバーって 殴り食いで殴り替えた後にまあそうは言っても
それで自分の人生は変わらないっていうそう言ってても人生は変わらないっていうことに 気がつくっていうのが一番いいことだなっていうふうに思って私も
まあそんなこと言ってても人生は変わらないんだなっていうのは本当に腹落ちしたので 今までなんかそういうふうにねなんか言葉ではやっぱりそうは言っても直さなきゃいけ
ないとか言ってたんですけど 腹落ちしてなかったらみたいなやっぱりこう
なんかどこか理不尽だと思って諦めてたみたいなところあったな でも自分の人生を変えるためにはそれを自分でやらなきゃいけないっていうことに本当に思ったので
うまく伝わるかわかんないんですけどなんかこう 残したいなと理不尽だと思う私だって好きではこうなったんじゃないって思うことがある人に対してすごい伝えたいそれはもう一回全部吐き出した方がいいということとその結果それじゃ人生は動かないってわかる瞬間が来るっていうことそれがすごい大事だっていうことそこからそこに気づくと結構建設的な努力ができるようになるなっていうふうに思ったので
そのね気づきを残しておきたいなって思いました またね他にも
もう少しね休んでる間に気づいたこととかもいろいろあるのでお話ししていきたいなって思います それではまた会いましょう