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こんにちは、わたし はるかです。このチャンネルでは、36歳で自分のポンコツに絶望し、1週間会社に行けなくなったアラフォーオイルの私が、7歳年下の夫や周りに頼りまくりながら、
感情を全解放して、自分を受け入れて、人生を楽しく生きていくあれこれを語っていくチャンネルです。
私はですね、11月に、突然ですが、絶縁されてる母親に会いに行って話をしようと思ってるんですね。
しっかり話をしようと思っていて、なんでそんな絶縁されてる母親にわざわざ会いに行くのかっていうところなんですけど、
私は今ちょうど生きづらさに向き合ってきていて、自分がずっと生きづらいな苦しいなと思って生きてきたんだけれども、
いい加減その生きづらさを手放したいと思って、人生を楽しく生きていきたいと思って、しっかり向き合うことにしたんですね。
その中でやっぱり自分の生きづらさっていうのは、根源はお母さんにあると。
生育環境、自分の価値観を形作ってくれたお母さんっていう人としっかり向き合うことが大事だなっていう結論に至って、
お母さんと向き合うということをやってるんですね。
実は私もここ数年それをやっていて、去年もすごく頑張った時期があって、
去年の夏頃、やっぱりお母さんには絶縁されてるけど、しっかり自分の気持ちを伝えなきゃと思って、
今までお母さんのために我慢してきたこととか、お母さんを喜ばせたくて苦しいけどやってきたこととか、いろいろ傷ついたこととかもあったっていうこと。
でもやっぱりお母さんのことが好きだからそういうふうにやってたんだよって。
でもお母さんが絶縁する理由っていうのは、私としては納得がいかないよとかそういうことを伝えようと思って、
去年2ヶ月ぐらい集中的に、1日2時間とかノートしてお母さんに話しに行ったんですよね。
そうした時に私は思っている私には私の意見があって、お母さんの望む通りにできないこともあるよっていう、
そういう当たり前のことが小さい時から私は言えない環境だったんですけど、
それを勇気を振り絞って伝えるっていうことをしたんですよね。
その時は自分言ったぞみたいな、言えなかったことを言ったんだみたいな、今まで気持ちまとめて言ったんだって思ったんですけど、
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その日の夜にふと、全部言えなかったんじゃないかみたいな。
お母さんが、あなた不幸だったってこと?って言われて、それをごまかしたんですよね。
幸せな時もあったし、不幸って言うわけじゃないけど、みたいな。
ごまかしたっていうのが自分の直感でごまかしたなって、自分を騙せなくなって。
これってやりきってないんじゃないかなって思ってたんですよね。
でももう1回来たくないし、翌日一応行ったんですけど、拒絶されて、予定あるからみたいな感じで。
拒絶されて、どっかご飯食べに行くって言うんで、そういう話しないならついてきてもいいよみたいな感じで、普通にご飯して帰るみたいなね。
謎の翌日、謎の出来事があったんですけど、だから自分の中ではまだちゃんとお母さんに本音を言えてないみたいな気持ちがあって、
改めて自分と向き合って、お母さんに何が言いたいのかみたいなこととか、今まで自分が我慢してきたこととか、
抑え込んできたことは何なのかっていうのを解放してあげるっていう作業をしっかりやりたいなと思って、ここ1ヶ月ぐらい取り組んでるんですね。
だからお母さんにしっかり話をして、自分はお母さんが何を言おうとも、自分が違うと思ったら違うっていうことをしっかり言える。
それがたとえお母さんを傷つけるようなことだったとしても、言える自分になりたいっていうのがあったんですよね。
お母さん自体がおばあちゃんの子育てがひどくて、心に傷を負ってるっていうのがあるから、
お母さん自体がね、お母さんを自分の持つ家庭は幸せにしたいと思って一生懸命子育てをしてきたわけなので、
そんなふうに一生懸命育てた子供から、あれが嫌だとか、こんなに私生きづらかったんだよ、みたいなお母さんのせいで、みたいなことを言われるのは本当に嫌だと思う。
その気持ちもわかるっていうのはあるし、結構私はそういう気持ちを重んぱかったりとか、結構お母さんが過干渉か保護で強くて怒ったらめちゃくちゃ怖いって感じなので、
怒られるのも怖いしみたいなので、なかなか言えないなって思ってたんですけど、それを言える自分になりたいと思っていろいろやってるわけなんですけど、
それがちょうどちょっと行き詰まってて、いくらイメージしても、確かにね、こういうのお母さん、私はこう思ってたよって言ったとして、
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それをね、あ、そうだったらごめんねって言う人じゃないことはわかってる。それは1回話してるし、今までの行動からもそうならないことはわかってる。
じゃあどうなるかっていうと、たぶん、そんなふうに思ってたの?みたいな。私はこんなにやったのにあなたは恩知らずね?みたいな感じになる、ヒートアップしてくるんじゃないかと。
そうするともう噛み合わないままお互いヒートアップする、地獄絵図しか想像がつかないと思って。
うーん、なんか、それって今までも繰り返してきたことだし、そのために行くのか?みたいなのがね、ちょっとよくわかんなくなっちゃってて。
それで先日ね、あのセッション、とあるセッションを受けたんですよ。
私はすごい好きなナリ心理学っていう心理学、民間の心理学あるんですけど、そこのアドバイザーをやってるバラちゃんっていう方がいて、そのバラちゃんのブログ私めちゃくちゃ好きで、
バラちゃんもそういうふうに生きづらさがあって、京川さんと向き合って、こういうステップで向き合ったっていうのをすごい詳細に書いてくれてて、
私はもう本当にそれを参考にしながら、一つ一つ読みながら同じステップやろうと思ってやってたんですけど、
ちょっとね、そのバラちゃんが普段はね、離島に住んでるので、もうすごい東京から離れたところにいるんですけど、たまたま今回東京で対面セッションをするよっていう募集があったので、
もうすごい勢いで申し込んで、本当にね、なんか1分ぐらいで完売してました。本当になんかもうそのね、募集時間を待ってばって送って、無事対面セッションをゲットしたんですけど、
それがめちゃくちゃ良くて、ちょうど私がそういう袋工事にハマり込んでるので、事前質問とかもしてもらって、たぶんね、はるかちゃんのお母さんは自己愛がすごい強いコントロールするタイプだから、
こういう動画とか見るといいよとか、いろいろ教えてくれて。で、そのセッションがめちゃくちゃ良かったんですよね。なんかこう、お母さんと会うのに、このセッションめっちゃ良かったから、これからもいろいろその時の気づきをいろいろ配信するんじゃないかなって思ってるんですけど、
1番はお母さんと何のために会いに行くのかっていうのが、私の場合はちょっと違うのかなっていうことが、なんかこうはっきりしたんですよね。お母さんに本音を言うとか、本音を言うのはもちろんとして、なんかこう、分かってよみたいな、私の気持ち分かってよ、お母さんがこうしたからこうなったんだよみたいなことをぶつけたとしても、
お母さん自体が結構ヒロインタイプみたいな感じだから、それすらもこう、なんてこと言うのみたいな感じで糧にして、さらに私に攻撃的なものをぶつけてくるっていうのは目に見えてると。
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そうなった時に、じゃあ私は何が課題なのかっていうと、そのお母さんに対してすごいなんか虚像みたいな思ってる、なんかお母さんがめちゃくちゃ強い、強すぎて勝てない、強すぎて私を傷つけまくるみたいな、そういうイメージを持って、逆らえないみたいなこの人に忠誠心って言葉出たんだけど、
この人のためにとか、逆らえないとか、もうめちゃくちゃ大きい、なんかボスみたいな虚像を持ってるから、でもよくよくそこを紐解いていくと、本当のお母さんっていうのは、なんだろうな、心細さとか、愛情の欠乏感をなんとか埋めようとして、なんとかいろんな機能を身につけて、自分を大きく見せて、子供にもそうやって対応するみたいな、
そういうことをやってきちゃった、やらざるを得なかった人で、実は別にそんなに大きなものでもないし、お母さんから攻撃的な言葉をぶつけられたり、傷つけられたりしても、なんかそれは本当にそんなに傷つくことなのかみたいなね、
そういうお母さんの実態みたいなものをよく見て、実像サイズにしてあげることで、そのお母さんへの執着とか、そういうものが、お母さんが怖いよとか、それでもそんなお母さんから、私の望む愛情が欲しいよみたいな、そういう攻撃とかしてこないような愛情が欲しいよみたいな、
そういう、私のお母さんへの執着がなくなって、お母さんっていうのはちょっとかわいそうだった普通の人なんだなっていうところの腹落ちができるといいんじゃないか、すごい進むんじゃないかって言ってもらって、なんかすごい腹落ちしたんですよね、ストンと落ちて。
なんかそう、その地獄絵図は何になるんだろうと思ってたから、お互い傷つけ合うことにしかならないと思ってたから、そうじゃなくて、お母さんの実態を感じに行くっていうところ。
で、じゃあ感じるだけで世間話すればいいのかなっていうところなんですけど、それもまた違うのかなっていうのはちょっと自分では思って、確かに言いにくいことを言える自分になるっていうことはすごく大事だなと思ってて。
たとえ大事なのはその先、別にあえて傷つけるような言い方はしなくてもいいけど、いや私はこう思うからっていうことをしっかり言えるかっていうことと、言った結果お母さんが傷つくのはまあもうしょうがない、もうお母さんの感じ方だから多分傷つくだろうと。
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傷ついた後に私を傷つけてきたりとかなんかするだろうと、なんかそんなこと言って私が悪いんじゃないかと、パルカが悪いんじゃないかと言ってくるだろうってなった時に、今まではそこで私が傷ついたり混乱して、なんかやっぱお母さんがいなきゃダメだみたいな私が悪かったんだっていう風になるけれども、
お母さんがこんな風に攻撃してきちゃうのは、お母さんがこういう人だからなんだなってお母さんの背景とかすごく大きく見せたいんだなって。
実はそうじゃないし、言ってることもめちゃくちゃ正しく聞こえてたけど、よくよく見てみれば別にすごい主観で言ってるだけの話で、なんか絶対に正しいとかじゃないし、私が悪いのかって今までね私が悪いから、
私に悪いところがあるのも事実で、そんなことをするからっていう風に責められて、私確かに悪いことしてた、私がいかなかったのかなみたいな感じになってたんですけど、私が悪いわけじゃない、そういう風にしたことも私も理由があるし、
たとえ私がその失敗をしたとしても、じゃあお母さんが私を傷つけていいわけじゃない、攻撃してきていいわけじゃないっていうことをしっかりお母さんと話す中で、できるかただただ怖いってならないっていうところを体感しに行くっていうのがすごい大事なんだろうなっていうのを、
ちゃんとお母さんを傷つけて、ちゃんと私も傷ついてでも大丈夫だって思えることがお母さんとしっかり話す目的なんかなっていうのが思ったんですよね。
それにすごい風に落ちたから、じゃあそのためにやることっていうのはこういうことだなっていうのも明確になって、ちょっとそのあたりをね、お母さんはどういう人だったのかとか、自分が本当に悪かったのかとか、そういう小さい時に感じた自分とかも見ていきながら、ノートを続けていきたいなっていうふうに思ってます。
この話はね、結構、過保護とか過干渉のお母さんを持つ人には新しい視点なんじゃないかなって思って、そういう人にはぜひ知ってほしい視点だなっていうふうに思ってます。
ちょっとね、弱くて豆持ってあげなきゃいけないって思うようなお母さんタイプはまたちょっと違うんですけど、過保護なお母さんとかね、すごく怒られて育ってお母さんが怖いっていう人はね、そういうところを本当に私が悪かったのかなみたいなところから紐を解いていくのがいいんだろうなっていうふうにすごい思いました。
めちゃくちゃ自分の中ではね、すごい大きな気づきだったので、すごい長くなってしまいましたが、これからもね、これからね、ちょっとそういう気づきの話が多くなっていくかもしれないんですけど、お付き合いいただけると嬉しいです。
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それではまた会いましょう。