00:06
こんにちは、わたしはるかです。このチャンネルでは、36歳で自分のポンコツさに絶望し、1週間会社に行けなくなったアルフォーOLの私が、7歳歳下の夫や周りに頼りまくりながら、感情全解放して自分を認めて人生を楽しく生きていくあれこれを語っていくチャンネルです。
今日はですね、最近私は自分の生きづらさに向き合うために、すごい内観をして、自分の気持ちとかを書き出したりっていう作業をしてるんですけど、
やっぱりこう、自分の生きづらさの根本には、やっぱり自分の自己肯定感の低さ、すごい低いんですけどね、私。その自己肯定感の低さがすごい影響してるなって思っていて、
自己肯定感って、低い人もいれば高い人もいるじゃないですか。低くなったのには理由があると思うんですよね。その理由の根っこの部分を解決していきたいというふうに思ってるんですけど、
じゃあなんで私の自己肯定感が低くなってしまったかというと、どこかで自分はそのままじゃダメだっていうふうに思うような価値観を取り入れたからだと思うんですね。
自分自身はそのままありのままの自分では役に立たないとか愛されない。だから何か資格を取るなり力をつけるなり、何らか人の役に立つようなことをして初めて人に必要とされて、自分はここにいいんだ、いていいんだっていうふうに思えるっていうね、そういう価値観をどこかで拾ってきてしまったっていうことだと思うんですよね。
で、やっぱり私の場合っていうか多くの人の場合がそうだと思うんですけど、その価値観っていうのは突然ポンってどこかで拾ってくるわけではなくて、徐々に徐々に小さい時からこうなんだなっていう体験を積み重ねて、何かこう人の役に立つと喜ばれるんだなとか、人の役に立たないと何かこう嫌なことが起きるんだなっていうことを学んでいくっていう感じだと思うんです。
で、それをやっぱり小さい時に学んでいるとか接することが、接する時間が長い人から学んでいくっていうのがあって、やっぱりそれっていうのは家族、特に長い時間一緒にいるお母さんっていう人との接触が、コミュニケーションがどうだったかっていうところにすごく大きく起因するというふうに思ってるんですね。
で、なので私の場合、どうして自分がそういうふうに思うようになってしまったかとか過去を掘り出したりするんですけど、その中で親の愛情っていうものは何なのかっていうところをすごく考えていて、私自身、自己肯定感が低い理由として、そのままの自分では愛されないっていうふうに思っています。
03:13
親の愛情も、私がありのままでいるっていうことに対しては愛情をもらえないんだっていうふうに思ったきっかけとか体験が積み重なってたっていうことだと思うんですよね。
じゃあなんでそんなふうに思ったかとか、親の愛ってどうだったんだって思ったときに、私は別につい最近まで、もちろん数年前までは母親にめちゃくちゃ愛されてると思っていたし、愛されないで育ったとかは全く思ってなかったんですよね。
だけど、私の自己肯定感が低くなったってことは、どういう形の愛だったのかっていうのが問題だったのかなと思っていて、私の母親がくれた愛情っていうのは、そのままの私でもいいんだよ、そのままいてくれるだけで愛してるんだよっていう愛情じゃなかったっていうことだと思うようになったんです。
なんかそれがすごいわかるなっていうエピソードがあって、母親は母親なりにすごく愛してたっていうし、すごく子供たちのために自分を犠牲にしてやったっていうし、それはその通りだなっていうふうに思うんだけれども、その愛の形は本当に私が望んで、私、子供が安心するような愛情だったのかっていうと、それはどうなんだろうかと思うようなことがずっとあって。
ずっと起きてたのかなと思っていて、すごいわかりやすいエピソードが私の大学受験の時なんですけど、私、大学受験するときに液体学部があったんですよね、高校生の時にすごい自分自身消えてなくなってしまいたいみたいな気持ちもすごく強くて、周りの目も気になるし、家庭内の不安もあって、両親が家庭内別居みたいなことをしていて、
母親から毎日父上の悪口とかを聞いたりするのもすごい辛かったし、いろんな悩みを抱えていたので、どうして私はこんなふうに思ってしまうんだろうかとか、うちの家庭が普通なんだろうかみたいなことをすごくいつも思っていたので、心の仕組みが知りたいなと思っていて、
心理学を学ぶ学部に行きたいなと思っていたんですよね。だけれども、それを母親に言ったら、それはダメだと言われて、なんでかというと、心理学部とかに行ったとしても、その先の就職をするときにすごく不利になるんじゃないかと。
06:09
心理学系の仕事に進んでも、お給料が良くないから、そういう分野に行くのは勧めないって話だったんですよね。就職にも、一般企業に、いわゆる大企業とかそういうところに就職するには苦労するから、それをやめなさいと。
大学に行くならば、この大学、国立の大学ならここ、私立の大学ならこことこことここの学部しかダメって言われたんですよね。だいたい5から10校ぐらいだったかな、この4つの大学の学部かこの学部っていう。母親としては法学部か小学部か経済学部っていうね、その学部しかダメだっていう風に。
それじゃないとお金を出さないよっていう風に言われて、そう言われたらしょうがないなと思って、その中から受かったところに行ったんですけど、その中でも、この大学に行きたいなみたいな多少はあったので、その機体大学に行ったんですけど。
でもやっぱり、私自身は別に法とか経済を学びたかったわけではなくて、自分を知るっていう意味でも心理学を学びたかったなっていう風に思ってたんですよね、高校生の時。
それを言った時に、この間大学しかダメっていう話と、そういう風に心理系がやりたいのであれば医者になりなさいと、精神学科っていうのがありますからね、そっちならばお金も稼げるしいいでしょっていうことで、そっちを進められたんですよね。
私は文系、土文系なので、科学とか物理とか理系の受験科目が一切できないし、それは無理だなって思ってたんですけど、その母親がすごい一生懸命調べて、地方の大学を調べてきてくれて、
この大学の医学部なら、数三と数四だけやれば理科系の科目をやらなくても、医学部の受験ができるからっていうのを見つけてきてくれたんです。
だから受けるなら、OKだと進めてくれて。これって、すごい母としては愛情だったと思うんですよね。子どもが心理系をやりたいって言ってると。
子どもが心理系に進んだとしても、将来お金に苦労するだろうから。母親自身が専業主婦だったので、すごくお金に苦労していて、父親もすごい稼いでくる感じじゃなくて、結婚したとき、本当に学生終わってすぐに結婚したので、大学卒業してすぐに結婚したので、
09:15
本当によく言われたんですけど、手取り11万円で夫婦と私と育てなきゃいけなくて、父親は研究職だったんですけど、研究の成果が出てないのに残業代をつけることなんてできないっていう性格で、深夜まで残業してるのに残業代をつけてこないと。
お金ですごく苦労したから、子どもにはお金に苦労してほしくないし、何かあっても独り立ちできるように、手に職をつけてほしい、稼げる人になってほしいっていうふうに思ってて、それは母親なりの愛情だったし、
わざわざね、じゃあ心理やりたいなら医学部にっていうところで、私でも頑張れば入れそうなところを見つけてきてくれたっていう、プラス地方の大学だったので、地方の大学ってなるとね、一人暮らしとかもしなきゃいけないだろうから、お金もすごくかかると思うんですよね。
うちは本当にそんなに裕福な家庭では全くなかったので、大学の費用とかも奨学金ではなくて、親は教育ローンを借りて出してくれたんですよね。
子どもに奨学金っていうのを返済させなきゃいけない、不済を終わせるなんてできないって言って、自分で教育ローンをなんとか組んでやってくれたんですよ。
そういうのを思い出すとすごい涙が出てきて、どんな苦労をしてでも自分が思う幸せを子どもに手に入れてほしいって思ってたんだなっていうふうに思うんですけど、
でも子どもの立場からすると、私が本当にやりたいこととか今悩んでいることっていうのをお母さんは認めてくれなかったんだなっていう気持ちがすごく残ったんですよね。
なんかやりたかったけどみたいな。
でも高校生の時には、お母さんの言うことに逆らっても仕方がないなっていう関係性がもうできてしまってたので、私もこういうことでやりたいんだみたいな強く主張することもなかったし、反対されるならしょうがないなみたいな感じになっちゃってて。
もうしょうがないなっていう諦めも小さい時から積み重ねて、そういう気持ちになる関係性ができてたっていうのもあるんですけどね。
そういう話を聞くと、親は良かれと思ってやってるわけじゃないですか。
それに対して、でもそういうことを聞いて、あったまではすごくありがたいことだなとか、実際に本当に一生懸命やろうとしてくれたんだなっていうことは通じるし、涙が出てくるなって思うんですけど、
12:18
ただ心の底で、でもお母さんは私の話を聞いてくれない。私が本当に悩んでいることとかを聞いてくれない。私が望んでいることを聞いてくれない。
もしそれが未熟な考え方だったとしたら、話を聞いて、じゃあこういうのはどうかとかっていうふうに話し合いもできたんじゃないかなっていうふうには思うんですよね。
なので、じゃあ私の思っていることっていうのは認められないんだなとか、私がそのまま生きていくっていうことは許されないんだな、そのままでは愛されないんだなっていうことに繋がっていったっていうところがあるので、
これって皆さんどう思います?っていうのはすごい思うなって。
私は最近そういう愛情のすれ違いみたいなもの、それぞれが思う愛みたいなものが違うことがあるし、それは今のエピソードはすごく綺麗なエピソードにしちゃってますけど、
それはそういう切れ事だけじゃなくて、いろいろあるなというふうに思っているので、ちょっと長くなってしまったので、その話はまたしたいなっていうふうに思います。
なので、親が思う愛情っていうのと、子どもの自己肯定感に必要な愛情っていうものがまた別だったりするんだなっていうことをちょっと思っている、最近というところですね。
それはなんか薄々そうだなとも思ってたんですけど、はっきり最近言語化できてきたなというふうに思うので、また話したいと思います。
自己肯定感が低いなっていうふうに悩んでいる方は、どこからそういうふうに思うようになったんだろうとか、どういう低さなんだろうとか、いつの頃にはそう思ってたなとか、
愛情ってどこで受けてたんだろう、そのままでいいっていうふうに思えなくなってきたのは、どういうところからなんだろうっていうのをすごく考えてみるっていうのはすごくいいことだなというふうに思います。
ちょっと長くなってしまったんですけど、また聞いてもらえると嬉しいです。また会いましょう。