周防大島の魅力

みなさん、こんにちは。ミシマ社ラジオです。
出版社ミシマ社がお届けする、本のこれからとミシマ社の今。
本日も三島邦弘と、藤本里佳が、ゆるゆるとお伝えしていきます。
ミシマ社ラジオ。
こんにちは。

こんにちは。

みなさん、よろしくお願いします。

お願いします。

ちょっと鼻声ですいません。
風邪ひいてるわけでもないと思うんですけど、ちょっと鼻詰まり気味です。
最近。
ちょっと寒くなってきましたね。
あの、今日はですね、ゲストに来ていただいております。
内田健太郎さんです。

どうもこんにちは。

こんにちは。

全然久しぶりじゃないですね。
最近お会いしまくってますから。

めちゃくちゃお会いしてますね。

またまたお邪魔してきました。

京都のオフィスに、周防大島から来てくださっています。

よろしくお願いします。

よろしくお願いします。
内田健太郎さんは、『極楽よのぅ』という本をちいさいミシマ社から出してくださっております。
もともとはですね、この『ちゃぶ台』っていうミシマ社の雑誌、創刊号から『ちゃぶ台13』、最新号までずっと書き続けてくださっている著者のお一人でもあります。
周防大島はどうですか?もう寒いですか?

そうですね。でも、やっぱりこっちの方がちょっと寒いですね。

京都の方が寒いですね。

いくらか、大きくはわかんないですけど、やっぱり大島の方が多少暖かいですかね。

周防大島ってやっぱりみかんが有名で、温暖な気候っていうイメージがね。

山口県内では最も温暖な、一番暖かいところになりますね。
一番南の瀬戸内海にあるので。
割と過ごしやすいと思うんですね。

フジモトさんは周防大島行かれたことありますか。

ないです。行ってみたいです。

皆さんね、スタッフ、ミシマ社のメンバーはかなりいらっしゃいますね。

7、8割は行ってるんじゃないかなと思いますが、
『ちゃぶ台』を読んだ読者もね、結構周防大島に訪れてるという話がありますけれども。
宮田正樹さんとの対談

『ちゃぶ台』を読んで移住されたという子もいますし、割と最近いましたし。

そうなんです。『ちゃぶ台』を読んで会社を辞め、そして移住までしたという方がね。

今、うちのMIKKEというお店を始めて半年前ですかね。
はちみつを今までは、僕は普段養蜂家なのではちみつを普段作ってるわけですけど、
はちみつを今まではずっと出荷をしていて、いろんなお店屋さんに送っていたんですが、
半年前にこのラジオでも出させていただいたときに説明しましたけど、
MIKKEという名前でみちばちミュージアムとレストランを始めまして、
今ミシマさん話していたその移住された子は今、うちのお店でも手伝ってくれていますね。

そうなんです。ミシマ社ラジオでは、『木のみかた』という著者の三浦豊さんと私がMIKKEをオープンして、
1ヶ月後ぐらいですかね、訪問して、そこで大変おいしいガレットをいただきながらラジオ収録をさせてもらって、
その周防大島で収録したものがそのままこのラジオで途中ちょっと挟み込むという形で紹介をしています。
回があるのでぜひ聞いていただけると嬉しいです。
ちょっとその三浦さんの話で言いましたけど、この『ちゃぶ台13』に三浦豊さんと訪れて、
周防大島の農家の宮田正樹さんと対談をしてもらっているんですが、この記事、周防大島に住んでいる内田健太郎さんからどんなふうに読んでくださいましたか。

面白かったですね。やっぱりこう、何ですかね、別の木の専門家と、宮田さんは野菜を作られている、
僕もすごく尊敬している農家さんですけど、なんかこう二人の愛通じるものもあって、
これは『ちゃぶ台13』の中でも非常に読みどころの一つなんじゃないかなと僕は思ってますね。
宮田さんね、今まで何回も登場されていて、僕は個人的にこの間からミシマさんにも言ってますけど、
宮田さんの農業書みたいにもあったら読みたいなってすごく思ってるんですけどね。

これは私の念願でもありまして、いつか宮田さんの本を出したいなって。

宮田さんのすごいところは、誰でもできる農業っていうところを言われていて、機械を一切使わない方なので、
だから本当に農業を始めたいっていう方がすごく参考にできるすごい素晴らしい農法なんじゃないかなと思うので、
そんな機会がもしあったら。

本当ですよね。
この30年後っていうテーマで、特集が30年後だったんですけども、
毎日木、森に接している三浦さんと土に触れている宮田さんがお話しになったらどんな会話になるだろう、対話になるだろうと思って企画したんです。
二人初対面だったんですけども、
なんというかもう本当に深いところで二人が通じ合ってですね、
対談の間、すごく大きなものに包み込まれているような感覚を受け、
午前の収録だったんですけども、実はこの紙面には対談までの部分を収録しているんですが、
その対談の後、宮田さんがお昼ご飯を作ってくださっていて、
そこでご一緒したんですね、宮田さんの野菜を食べながらお昼ご飯を食べていると。
三浦さんがもう涙を流してしまう。
そしたら、宮田さんも僕もそこにいるみんなが涙を流しながらお昼ご飯を食べるという。

そんな状態になった。

ちょっとあまり見ないお昼ご飯の光景です。

ちょっとパッと遭遇したら怖い感じの状態ですね。

いや本当そうです。
感極まるとはこういうことだなっていう。

すごいですね。

すごかったですね。

その前日の森を案内していただくという日があるんですが、
その時は僕も一緒に参加してもらって、
その時は三浦さんとも初めましてだったんですけど、
宮田さんももちろんそこでお話しされていて、
でもそこの時点で二人はすごく通じ合っていて、
三浦さんのその解説を聞きながら大島の山、
僕ら何回か行ったことある岩屋権現という大島の、
言ったらちょっと神聖な場所というか、
パワースポットとも言えるのかもしれないですけど、
そういうところを案内していただいたんですけど、
普段何気なく通り過ぎていた小さな木の芽とか葉っぱとか、
まるでドラマチックに三浦さんが解説してくれるものですから、
本当に見え方がどんどん変わっていって、
中でもやっぱり宮田さんはその三浦さんの話に
ものすごい受け止めていましたね。

はああっていらっしゃってね。

ちょっと感動的でしたね。

三浦さんの木の解説、森の解説って、
その表面的な情報ではないんですね。
もう見てください、ここの青木、ちっちゃい青木、
って言った時にもう通じ合ってるんですよね。
三浦さん、三浦豊さんとその木の間にも
完全に何かが巡っているものがあって、
そこの木の声を汲み取って話してくれるっていうような感じが、
こっちにはっきりと伝わってくるんですよね。

三浦さんが感動してるんですね。
木の姿に感動している三浦さんに僕らが感動してる。
その感動が伝わってくるんですよね。
あれはちょっとすごい初めての体験でしたね。
移住と地域の課題

いや、そうなんです。

でもぜひまたやってもらいたいなという気がしますね。

本当に三浦さんも本当によかったって、
またぜひ行きたいですっておっしゃっておられるんで、
私もまたご一緒したいなと思っています。

ぜひぜひまた企画してください。

この特集では内田健太郎さん、中村明珍さん、
宮田正樹さん、周防大島在住のお三方ですけども、
全然住んでもない方から
周防大島という言葉が出てきてるんですよね。
それが人類学者の松村圭一郎さんに
30年後ということでテーマでインタビューした時に
出てきたのが日本の最先端は周防大島やという話があってですね。

これは驚きましたよね。
これは僕ら周防大島、島民が一番驚いたと思うんですよね。
日本の最先端は周防大島にあり。
これが本として送られてきた時にえ?ってなりましたよね。

内田さんとかに特に僕は言ってなかったです。

言ってなかったですからね。
何が書いてあるんだろうと思って一番最初に読みましたね。

内田健太郎さんの話がきっかけでこういう話に展開していったんですけども、
内田さんがだから春先にミシマ社のこの京都オフィスに来てくださった時に、
すごい人口減が起こっていると。
それは僕が思ってた以上のものがあって、
内田さんが移住した年から現在でどれくらいの差があるんですか。

人口が僕が移住した時が2万人くらいで、
今現在は1万3000くらいです。
7000人。
毎年だから500人ペースで人口が減っていってるんですね。
最盛期は7万人くらい。
数字として残ってるのは6万5000なんですけども、
もっと多かっただろうと言われていて。

移住されたのが2011年。

なのでこの13年くらいの間に7000人の自然減ですね。
その間移住者も含めて社会増、
転入者の方が多かった年もあるのはあるんですけど、
自然減の当たり前なんですけど、
超高齢化してる島なので、
どんどん減っていくわけですよね。
言ったら毎日のようにお葬式ですね。
本当にそういう状態があって、
僕は特に小さな村、小さな集落に住んでるので、
だから実感として非常に本当の限界集落だなっていうのはすごく感じてますね。
島の中にもいろんな集落があるので、
結構人口多いところとかもあったりするんです。
もっと街っぽいところとかですね。
セブンイレブンとかスーパーとか大きいのあるところもありますし、
だけどちょっと奥まったとこ行くと本当に人はいなくて、
ついちょうどここ来る前だからおとといかな、
おとといも夜、役員会があって、
自治会役員会やってたんですけど、
人が本当にいなすぎて、
人はいなくなっても、
今までやってることってやろうとするじゃないですか人間は。

なぜかね。

祭りとかですね。
なんですかね。
例えば正月、神社もあるので正月に宮を開けたり、
いろんな各種いろんな行事が、
こないだ地引網もありましたけどそういう行事があって、
そういうものを、
おじいちゃんたちはですね、
今までどおりやろうとするんですよね。
だけど実際に若い世代であるすごい人数の少ない僕や、
僕の友人がいるんですけど、
彼が自治会長をやっていて、
いつも話をしてるんですけどどうしていこうかっていう。
本当に困ってるわけですよね。
自分たちの生活が当たり前にあるんですけど、
都会暮らしをしていた僕からすると目から鱗だった部分ですけど、
田舎暮らしってつまり自分の仕事とは関係のない、
地域の共同作業と人口減少

つまりお金にならない、
やらなくてはいけないことって結構たくさんあって、
河川清掃とか、
あとは浜辺の清掃とか、
草刈りだとか駐車場どうすんだとか、
たくさんあるんですよねお祭りとか。
でもそれってすごく重要で本来は。
共同作業、
全然普段一緒に仕事してなくても、
共同作業で祭りをやるだとか、
掃除をするだとか、
とても大事なことだったと思うんですよね。
でもそれってある程度の人数がいて成り立っていて、
今は負荷がどんどんどんどん、
数少ない若い世代、
世代である僕らに来ていて、
なので皆さん助けてくださいっていう感じですね。
本当に移住者求む。

なるほど、そうですよね。

どの田舎も同じような状況ではあると思いますけどね。
松村さんがこの『ちゃぶ台』の中で最先端って言われているのは、
一番トピックとして取り上げているのは人口減ってことですよね。
これは田舎だけの問題ではなくて、
超高齢化社会を迎えていく日本全体の問題だよねっていう。

そうですね。

そして今それを最初に引き受けている、
僕ら田舎で暮らしている人間がそれをどう乗り越えていくのかってことは、
とてつもなく重要なことなんじゃないかっていうことを言われていると思うんですけど。
そう言ってくださっているのはすごく僕らは嬉しくて、
そうやって見てくれる人もいるなと思ってますね。

本当にこの松村さんの指摘は本当に重要で、
やっぱり京都はもちろん東京ほど都会ではないですけども、
やっぱりその周防大島ほどの人口源っていうのはやっぱり、
肌でヒリヒリと感じるっていうレベルではないですね。
やっぱりもうそれは近く都市でも起こる、
日本中で起こることでありと考えると、
今ここでその地で生きていろいろ動きをしている、
内田さんたちの声っていうものが次の時代を形成していったり、
そこの声の中にヒントがいっぱいあるだろうっていうふうにやっぱり思うんで、
『ちゃぶ台』っていうのはだからこの創刊号から一貫して周防大島っていうのを、
定点観測的に取り上げさせてもらってるんですけども、
やっぱりそういう声や空気みたいなのが集まった雑誌でもあるんだなっていうふうに、
私自身もですねこの松村さんの声を聞いて、
発言聞いて何か思えたところもありましたね。
だから気づかないうちにこれからこの間2015年から約10年間、
周防大島に通いながら『ちゃぶ台』を作ってきた。
この間、だからいろんな本ミシマ社出ましたけども、
この周防大島に通いながら感じている内田さんや明珍さんたちの声、
宮田さんの思いみたいなものがいろんな形でやっぱり形になって、
本という形になってもいるんだろうなっていうふうにも思いますね。
書店巡りの経験

そうですね。思えばもう本当に10年ですね。
今の話を伺いながら、やっぱりちょっと三浦さん、
宮田さんの対談を思い出したんですけども、
一緒に森を歩いていると、
三浦さんがどんどん森が盛り上がってきてますね。
だからこういろいろ人間が整備してきたところが、
整備の手がそこまで、
伸びなくなってというか、できなくなった分、
森が元気になっていっている部分もあるっていう、
そういう捉え方はちょっとすごい面白いというか、
また違う可能性もあるのかなって、全然違うスパンで、
物を見る一つのぼくの中でも、
これを喜びとして捉えられたらいいかなっていうふうにも思いますね。

分かります。今回の『ちゃぶ台』特集がまさに30年後ですけど、
三浦さんの話を聞いていると、そういう何十年後かを見て言ってますよね。
この後森がどうなっていくのかということを、
木の時間軸、森の時間軸で話してくれると、
今自分が感じている人間の時間軸を一瞬忘れるというか、
それこそすごい重要なことだなという感じはありますね。

ちょっとすいません、鼻を噛んでいいですか。
どうぞどうぞ。
はい、失礼しました。
そうそう、内田さんとは結構久しぶりじゃないですっていう話、
しょっちゅう会ってんですって話、冒頭でしましたけども、
今回あれですよね、東京、そして関西と『極楽よのぅ』をもって、
各地の本屋さんを回ってくださったんですよね。

よかったですね、回ったというか、一緒にミシマ社の営業の方たちと、
ミシマさんもですけど一緒に回っていただいて、勉強になりましたね。
結局24店舗ですね。結構回りましたよね。

お疲れ様でした。

いやいや、本当に楽しかったですね。
僕にとっては初めての1冊ですし、どういうふうに書店に置いてもらっているのかとか、
書店員の方と直接お話できたことがすごい楽しかったですし、
書店あってこそだし、書店員、ああいうふうに売ってくださる人がいて、
初めて届くんだなと思って、僕はあくまで消費者側というか、
買う立場でしか全く見てなかったので、ちょっと見方変わりました、本屋さんの。

そうですよね、そっか。
内田さんがどの本屋さんに行っても、書店員さんとずっと知り合いだったかのように。

そんなことないですけどね。

なじんでらっしゃる気がしました。

でも結構個性豊かですよね、書店員の方が。
書店も小さな個人店もそうですし、大きいところで働いている方もそうですし、
本当皆さん個性的な素敵な方ばかりでしたね。

何がこの本屋さん回ってて一番楽しかったですか。

そうですね、でもやっぱりその出会いですかね、書店員の方に、
逆にちょっとこれおすすめなんですけどとか、話の中でちょっと勧めていただいた本とかもあったり、
僕は全然知らない本だったりとかして、それを読んでみたら、
今まさにこれ読みたかったような内容だとかだったりして、
そういうのはなんだかこう、それは西荻窪にある今野書店さんで、
ミズコシさんという書店員の方におすすめしていただいた聞き書きの本だったんですけど、
小野和子さんかな。
それは僕も聞き書きもやっているので、
今も聞き書き続けていくんですけど、
それを読んだことと、読む前と読んだ後でちょっと違うなと思って、
本当に情熱的な聞き書きをやろうとする年配のおばあさんというか年配の方が、
すごい熱心に聞いてもらったものを、その情熱を受け取ったある出版社の方が、
その本の形にしたんだと思うんですけど、
それもなんかこう、書店回らなかったら僕はそれを手にすることはなかったでしょうし、
そういった、その本に対する書店の方が持っている思いも直接聞けて、
なおさらだから面白かったですよ。
書店の方がそういう本に対する情熱を持っているってことを現場で見ることができたのが、
はちみつ作りと本の価値

僕はすごく刺激をもらいましたね。
もちろんその方だけじゃないですけど、本当に何人もの方からそういう場面がありましたね。

いやいや本当にありがとうございました。

いやいや。

やっぱり内田さんがこうやって本屋さんを回ってくださると、
これまでもずっと置いてくださってたお店で、
しばらく、6月に出た本なので約半年ぐらい経って、
少し売れが落ち着いてきたかなっていうタイミングだったと思うんですが、
内田さんが訪問してくれるとその後パタパタと売れていったりとかですね。
なんかやっぱりその辺りが面白いなと思いますね。

いやありがたいですよね、本当に。

やっぱ本ってそういう生き物なんだなっていうのを僕は改めて感じました。

なんか僕はそのはちみつを普段作っていて、
はちみつを最初作った時はそれこそ一軒一軒のお店を歩いて売ってもらうところを回っていったんですよね。
それで一個一個置いてもらっていって、
それで少しずつ売れていくようになったんですけど、
すごくそれを思い出しましたね。
初めての本だっていうこともあって、
だからすごく重要なことだと思いました。
ただ本屋さんに並べておいてもらって、
有名作家の方だったらまた別かもしれないですけど、
本当はちゃんと回って一軒一軒歩くっていうのが大事だなって実感しましたね。
ミシマさんにもそう言って言われて、言ってる意味がちょっと後からわかるようになった。

なんか面白いですね。
そのはちみつ、全国行ったんですか?

全国っていうとちょっと大げさですけど、
出身が川崎ですから、里帰りの時に東京方面は結構ワーって行くときに回ったり、
福岡方面とかも行ったりしましたし、関西はそんなに行かなかったですけど、
何か通過したり何か用事があった時に度にははちみつ持って、
いろんな自然食品店さんとかですね。
それこそ書店で言うと割と独立系書店みたいなイメージの、
直接やってる方と直接話せるような規模感のお店屋さんをずいぶん回りましたね。

そうすると、じゃあおくよみたいな感じですか?

そうですね。それしてやってきましたね。

すごいですね。
もう今では大人気でなかなか手に入らない。

いやそんなこと全然ないですけど、全然普通にネットで買ってますよ。

京都ではOyOyさん?
そうですね。今回は本屋でも、八百屋と本屋さんですかね。

坂ノ途中さんというところに卸していて、
坂ノ途中さん経営されているOyOyっていうお店がありますよね。
そこで扱っていただいていて、あそこだけが今本と一緒になられて。

本とはちみつ一緒に買えるというね。

そうですね。それはほんとレアなあそこだけじゃないですかね。

今ところ、そうですね。
今回回ってた中でちょっと増える可能性もあるっていう。

そうですね。蔦屋書店さんとかですかね。
いくつかそういう話が、ありがたいな。

楽しみですね。
またはちみつと『極楽よのぅ』を一緒に買ってもらえるとなと思います。
もうほんとはちみつおいしくて、最近毎日何らかの形で。

そうですか。ありがとうございます。

朝食パンを焼く日だった食パンに売って、
あとちょっとした飲み物に入れたりとかですね。
何らかの形で必ず今、島のはちみつをいただいてます。

ありがとうございます。

今度ミシマ社の方で、ミシマガジンというウェブ雑誌の方で、
今度は養蜂家としての内田さんのエッセイというか、
読み物が読めるということを聞いているんですけれども。

そうですね。新しい企画というか、
もともと書きたいなと思っていたものでもありますし、
何しろ今回『極楽よのぅ』ってこの本を出していただいて、
みつばちの生態

大島依提亜さんがデザインしてくださって、
素晴らしいデザインで本当に嬉しいんですが、
この1ページ開けると、
ハニカムのはちみつのはちみつ感がすごい出てる本なわけですよね。
『極楽よのぅ』ってこの文字も金色で蜜が垂れている感じで、
ものすごくはちみつ意識してくださってるんですけど、
ただはちみつとかみつばちに関してはほとんど書いてなくてですね。
それがちょっとまずいなというか、
養蜂家なので普段ずっと。
あとそれと、今お店でMIKKEというお店をやっていて、
そのメインがみつばちのミュージアムでもあって、
そこで僕はミュージアムの中にいるときは、
お客さんにみつばちの生態とか不思議な力とか、
どういう生き物なのかすごく解説してるんですけど、
解説すると本当に子どもさんから大人の人までみんな、
かなり多くの人がすごく興味を持ってくださって聞いてくれて、
こんなに興味を持ってもらえるんだなっていうのは、
最近すごく強く感じてまして、
それと元々養蜂のこと、みつばちの生活のことを文章に書いて、
文章に書いていきたいなって思っていたので、
それがちょっと重なって、
ちょっとタイミングが今来てるのかなということで、
それで新しく「みつばちの未来の選び方」っていう新連載を。
未来を選ぶみつばち

それは楽しみです。

始めていけたらなっていう。

そうですか。

どうなることやらって感じですけど。

つまりみつばちは未来を選んでるんですか?

そうですね。
そこが非常に大きな場面かなと思うんですけどね。
今年明けに1月の12日にMIKKEで山極先生と山極壽一先生と対談することになってまして、
「ゴリラとみつばち」というタイトルで対談させていただくんですけど、
山極先生の本にもある本に書かれていたのが、
人間は未知の世界へ旅をしていくと。
移動していく。
でも動物界ではそれで起こることではまずない。
つまり安全な自分が暮らしているところから出ることはまずないだろう。
っていうのが動物の世界だっていう話なんですけど。
でもみつばちは安全な世界から飛び立つんですよね。
それを巣別れ、分蜂って言いますけれども、
元々いた母親である女王蜂が半分の子どもたちを引き連れてその群れを離れる。
つまりその巣箱の中は蜜もいっぱいだし蜂もいっぱいな状態ですよね。
この国はもう仕事がない。
ってなると新しい国づくりに出ていくんですよ。
それってものすごいリスキーなことだと思うんです。
その未知の世界に出ていく。
絶対安全なその場所から新しく出ていって、
どこかで国づくりをしようっていうその場所も探さなきゃいけないわけですから。
でもそうやってみつばちは進化し続けて、今も生きているわけですよね。
みつばちの祖先は1億2千万年前の恐竜の時代の琥珀から見つかっていて、
つまり僕ら人類よりはるか前から、
はるかに前からこの星にいたっていうのはもう分かっている事実なので、
そうやって未来を選びながら、みつばちはきっと生きてきたんだと思うんですよね。
なので僕も、みつばちって社会を持っている生き物なので、
農業とみつばちの関係

それこそゴリラにも社会があると思うんですけども、
そういう人間の社会とはもちろん単純には比べられないことですけど、
でも本当に優れた生き物だなと思うので、
ちょっと分かりやすい形で皆さんにもお届けできたらなと思っているところですね。

楽しみです。
そうか、当てもなく出ていくんですね。

そうですね、出ていく時点だそうです。
出ていく時点ではどこで国づくりするか決まってないんですね。

なかなか勇敢ですね。

そうですね、本当そう思いますね。

中には反対する蜂もいたりとか。

そうですね、そのはずですよね。
まだ今の科学でも全然分かっていない部分は、
残る蜂もいるわけですよ。
つまり母親は半分の子どもを引き連れて出ていくわけですけど、
つまり半分の子どもは残るわけですよ。
誰がどのタイミングでそれを決めるのかって、
これは分からないことなんですね。
でも確かに半分の子たちは旅に出ていくし、半分の子たちは残るわけですよね。

不思議ですよね。
それは意思なのかどうかっていうのも気になりますね。

不思議ですよね。

お前行けよ、なんか。

人間だったらそうじゃないですか。
ビビー、整列みたいな。
お前行く、お前行かないみたいな。

じゃあ最後ジャンケン。

ってなりますね。
そうじゃないんですよ、みつぱちの世界。

蜂の世界にもジャンケンがあるんですか。

そんなオチじゃない。そんなオチじゃないですよ、この話は。
ちょっと書き始めないとどうなっていくのか分からないですけど。

どうなっていくのかね。
それともファイトがあるんだよね。

ファイトでもないはずですけど。

そっか。面白いですね。
それ、本当気になるな。
内田さんが、別に全然養蜂家でもなんでもなかったところから、
養蜂家になって、蜂好きになったんですか。

そうですね。
なったんです。

なってから養蜂家になろうと思ったのか、
なった結果、好きになった。

蜂が好きになってからですかね。
蜂。
そうですね。連載の第一回目で書こうと思っているのは、
蜂とのまず出会いってことについて書こうかなとは思って。

じゃあ第一回目だよね。みなさん気になりますね。
そっかそっか。

そうですね。
あとは、僕の場合はその明確な出会いがありましたけど、
それ以降は農業をやりながら、農園の中でみつばちは飛び交っているので、
つまり野菜の受粉ですね、ポリネーション。
それを手伝ってくれているみつばちたちっていうのは、
もうかわいいとしか言いようがないですよね。
おかげで身がなっているわけですから。
そこを目の当たりにしているととてもありがたい存在になっていって、
それでだんだんとどんどん好きになっていきますよね。
みんなじゃないかもしれないですけど、僕の場合はそんな感じでしたね。

農作業をして畑をやっていると、みつばちとのある種共同作業なわけですよね。

そうですね。蜂が来てくれるおかげで実っていく。
もちろんみつばちだけじゃないです。マルハナバチとか他にもいくつか蜂たちがいますし、
蜂じゃない花を訪れる虫たちもいますけど、
彼ら、彼女らのおかげで実が実っていく。
一般的に言われている農作物の7割が虫たちが受粉したものである。
僕らは口にしているものです。
っていうのは言われてますね。

それは実感が変わりますね。

そうなんですよ。

刺してくる奴っていう存在じゃなくて。

その目線でいくと、殺虫剤を手に取ろうとしますね。

あっち行けみたいな。

それが割と普通の反応かもしれないので、
でもそれはもうちょっと身近に、
可愛い生き物だし、大切な生き物なんだっていうことを、
ちょっと分かりやすい連載にしていけたらいいなと思っているんですけど、
どうなるかと。

どうですか?
フジモトさん、蜂好きですか?

蜂。
ちょうどミシマ社の植木のところに蜂の巣があるらしくて、
みんなで掃除してたらすごい出てきちゃった時があって、
すごいちょっと怖かったんですけど。

それって植え込みの。
はい、植え込みのところに。
たぶんそれは黄色スズメバチとかアシナガバチとか、
あれじゃないですか?
みつばちですか?

いや、たぶん違います。

違いますよね、そうですね。
アシナガバチとかちょっと危険。

そういうカリバチ系は巣の近くだと非常に攻撃的になるので、
とても危ないと思います。
近寄らないほうがいいかと思います。

いろんな蜂がいるんですね。

そうですね。

確かに。
だからアシナガバチとかが好きになったわけではないですか?

全然ない。むしろどちらかというと好きじゃないです。

なるほど。

いやですね。
今もスズメバチもちょうど今終わったところですけど、
秋の大事な大変な仕事の一つが、
そのスズメバチからみつばちを守るということで、
単純に言うとスズメバチをたくさん殺さなきゃいけないんですけど、
それはだから、そうですね。
なかなか大変な作業というか。
初めてその場面に遭遇した年は本当にびっくりしましたね。
こんなにスズメバチ来るんだと思って。
ものすごい気持ちですね、みつばちのところに。

そうなんですか。

あとまた凶悪な顔をしてるんですね、スズメバチは。
なかなか本当に憎たらしいというか、たくさん殺されることもありますから。
僕はでもたくさん殺してきてるので、スズメバチを。
多分スズメバチ界ではすごく恨まれてるんじゃないかなと思いますけど。

みつばちにとっての一番の天敵っていうのは?

スズメバチですね。オオスズメバチですね。

オオスズメバチ。

オオスズメバチが一番の天敵ですね。
オオスズメバチは日本が世界に誇るものすごい大きな恐ろしいハチですから。
いない地域が羨ましいですね。
いない地域もありますもちろん。
オオスズメバチはもうとんでもないです。怪物ですね。
まあスズメバチの研究所の方もいるから。
別の見方もあると思いますけど、僕はみつばち側なので。

はちみつはフジモトさん、お好きですか?

はい。いただいてすごいおいしくて、はちみつのどにもいいですよね。

ありがとうございます。
そうですね。のどにもいいです。

『極楽よのぅ』の、なんかこのタイトルちょっとやっぱしみじみときますね。

そうですか。そうですかね。

ちょっと内田さんから最後にこの本の紹介を。

紹介ですか。ありがとうございます。
『極楽よのぅ』ってこの本はですね、僕が一番最初にこの世話になった
周防大島での里親になってくれた親分という存在がいるんですけれども、
もう亡くなってしまったんですけれども、
その親分があるお葬式の時にふっと僕のすぐ横で漏らした言葉で、
僕の頭の中にずっとそれが残っていて、
それに関して書かなくてはいけないっていうか、
この言葉を頼りに書き続けたというか、
死後の世界を極楽っていうふうに表現、実感を持って表現した
ある親分というおじいさんですけれども、
『極楽よのぅ』の内容

それは僕にとっては本当に衝撃的なことだったんですね。
ちょっとこの説明じゃ伝わらないかもしれないですけど、
読んでいただけたらどういうことかっていうのはちょっと分かるんじゃないかと思います。
そうですね。島での暮らした13年間で考えてきたことや、
出会ったおじいさんおばあさんの話っていうのをこの中に収めています。
興味を持っていただいた方は是非手に取っていただけたらなと思います。

はい、是非是非。本当にすごい面白いエッセイ集なんですけれども、
やっぱり今のお話を伺って、やっぱりその親分のこの一言。
「極楽よのぅ」っていった、それがやっぱりずっと島で暮らしていく、生きていく
内田さんにとってやっぱり何か種火というか、
今もやっぱりそれが燃えてるんだなというふうに感じましたね。

そうですね。本当にそれぐらい大きいことでしたね。
移住して最初の年だったと思うんですよね。
本当に都会暮らししか知らない僕ら家族が移住して、
限界集落に暮らしていく中で、
もう経験したことのないようなことをたくさん日々出会っていって、
その中で、そうですね、その親分が言ったことは本当に今もずっと残ってますね。

そういう中でずっと暮らしていきながら起こるいろんなことが本当に面白く、
時におかしく書かれているんですけれども、
やっぱりこのベースに親分の一言というものが、親分との出会いというものが
ずっと脈々と内田さんの中に生きているんだなっていうのを、
最終章なんかイタリアのね、イタリアの紀行文ですけども、
でもなんかやっぱりそこでもこれがやっぱり生きているような感じがすごいしますね。

そうかもしれないですね。

ですからこの養蜂家ですから、
最初内田さん言ったように、はちみつや養蜂の話かと思う人もいるかもしれないですけれども、
だからその職業のことそのものではない、この島で生きるっていうことの、
なんていうか、本当の実感が伝わってくるもんだなと思いますね。
こうしたらいいよとかっていう本でもないし、
なんか島でのなんかゆったりした暮らしみたいなことを綴ってるわけでもなく、
内田さんがこの親分っていう人と出会って、やっぱりその後どう、
ここの島で親分が育ってきた島でどう生きてきたかっていうことの一つの記録でもあるなと。

そうですね、本当に。

思いますね。
ぜひ『極楽よのぅ』の皆さん、じっくり味わっていただければなと思います。
移住の影響

ありがとうございます。

フジモトさん、最後に何か一言ございますか。

この間、大学の友達に久しぶりに会ったんですけど、
おすすめの本聞かれて『極楽よのぅ』の一番頭に浮かんで、
島が好きな子なので、ぜひ読んでもらいたいなと思って伝えました。

ありがとうございます。
じゃあもう移住してくるかもしれないですね。

そうですね、もう間もなく。
では今日は周防大島から内田健太郎さんをお迎えしてお送りしました。
内田さんありがとうございました。

ありがとうございました。

皆さんありがとうございました。また。