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楽譜は、仮死している──坂本龍一の曲を弾くと、目の前にいる
2026-10-25 28:27

楽譜は、仮死している──坂本龍一の曲を弾くと、目の前にいる

音は、鳴った瞬間に消えます。音楽も、人間も、いずれ消える。

残るのは、紙の上の記号だけです。

でもその記号は、読む人が来ると生き返るんです。

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00:00
おはようございます。小松でございます。
今日はね、ちょっと抽象的な話したいと思うんですけど、
楽譜とかね、本とかね、響きとかね、言葉とかね、人間は──生身の人間がさ、どこら辺に位置しているのかみたいな、そんな話をね、したいなというふうに思います。
でね、ちょっとその前に、少しね、整理したんですよね。
ちょっとね、消えてなくなる音みたいなね、そんな話をね、ちょっと考えてみたんですよね。
音っていうのは、鳴った瞬間に消えますよね。
そして音楽も同じく消えるじゃないですか。
で、人間もね、死ぬっていう意味で消えるわけなんですよね。
で、残るのはね、紙の上の記号ですよね、本にしても楽譜にしても。
今は電子書籍があるから、紙だけじゃないと思うんですけど、視覚的な情報ですよね。
それで本と楽譜がね、消えたものが残っていった、死骸みたいなものですよね。
僕たちはですね、死骸にしがみつくしかないわけなんですよ。
自分も死骸だからね、結局は。死ぬわけですからね。
ただし、この死骸は特別で、読む人間が来る。
読む人間が来ると、それが生き返るということなんですよね。
つまり死骸ではなくて、仮の死っていうね、仮死なんですよね。
そして音楽家っていうのはですね、五線譜の仮の死体をね、毎日蘇生させているという。
特に演奏家はそうですよね。
作曲家はそれは、自分の脇で出た響きを楽譜化、記号化するので、
もともとはね、やっぱり記号がそのまま出ているわけではないんですよね。
それは間違いないと思います。
たまにはそういうコピーみたいな人がね、いるかもしれないですけど、
そういうことは普通はないんじゃないかなと思います。
響きから生み出されるというかね、だと思いますね。
それで、文字のね、本の読み方っていうのもね、あるけど、
それはちょっと音楽家はね、少し違った読み方をしているような気がするんですよね。
記号的なものをそのまま記号として、情報として読むんじゃなくて、
多分記号から湧き出る生身の身体的な感覚ですよね。
記号設置みたいな。
そういうのをちょっとね、やっぱり意識しながら本を読んでいるから、
03:00
ちょっと時間がかかっちゃうんだよね。
本を読むっていうのはなかなか。
僕は結構時間がかかる本なんです。
さーっとね、即読はできるんですよ。
ビジネス書とか、そういうハウツー本みたいなものはすぐね、
そういうのができるんですけど、
文学とかね、映像を頭の中でこしらえていくような、
そういうね、本というか、そういう種類のものはね、やっぱり難しいですよね。
時間めちゃくちゃかかるというか、
頭の中で映画をこしらえたりとかね、音をこしらえたりするから、
そういうことはかなり難しいと思うんですよ。
時間がめちゃくちゃかかる。
それで、私と本と音楽っていうふうに考えたらですね、
自分としては、特に昔の曲をね、
クラシックとかジャズでもいいんだけど、
それは関わる場合は、いわゆる蘇生係なんですよね。
よみがえらせる係だと思うんですよね。
そういう中で、自分が今までね、
接してきた本とか音楽とか演奏の現場みたいなところでね、
ちょっと今日はね、喋ってみたいなというふうに思うんですよね。
まずね、楽譜が初めて読めた日、
いつなのかっていうことで、
いつ何の曲でね、どこで読めたかっていうのはね、
もともと電車路が習ってたんですよね。
ピアノじゃなくて、
小学校の2,3年生くらいから、2年生から始めたんだけど、
その時にね、ワルツ曲で、
川は呼んでいるっていう、呼んでいるだったかな、
そういう曲があるんですよ。
すごくちっちゃい時に、
最初になんか、はじめに指の練習した後に、
発表会用に演奏する曲ですよね。
それをね、弾いて、
伴奏というかね、足鍵盤と、
左手と右手と3つの楽譜があるんですよね。
楽譜というか、譜面、付箋がね。
それで演奏した時に、
そんなに長い曲じゃないんだけど、
そう、やっぱりね、
曲っていうものはこんなもんなんだみたいな。
終わりから、お尻まであって、
それで、
あれは、Aメロ、Bメロ、Aメロだったかな、
そうそうそう。
で、Bメロがちょっとサビっぽいんですけどね、
その曲ね。
全然あれもないよ。
イントロもね、アウトロもなかったかな。
そういう感じの曲で、
曲ってこういう構造なんだな、みたいなね。
そういうのが初めてね、わかったのが、
小学校2年生の初めての演奏会だったかな。
06:01
3年生になったかもしれないけどね、
多分、初めて習って1年以内にね、
弾けた曲、半年くらいで多分ね、
弾けた曲だと思うんですよね。
それが最初だったかな、
ということなんですよね。
で、
読めた瞬間、
頭の中ではもちろん鳴りますよね。
初めて見る楽譜で、
先生もある程度教えてくれましたけど、
今はなくなっちゃいましたけどね。
それで模範演奏みたいなものがあって、
それを弾いたっていうか、
それは楽譜からもわかるし、
楽譜がなしでも頭の中で鳴ってる感じがしますよね。
そしてピアノなしで楽譜だけを熟読することはあるかっていう話なんだけど、
僕結構楽譜読むのめちゃくちゃ好きで、
弾けないんだけどね、
楽譜マニアなんですよね。
ドビッシーの曲がすごく好きでね、
よく見るんですけど、
なんかね、ドビッシーの曲って、
バッハと違ってね、
遠くから見ると絵みたいに見えるんですよ。
雲っぽいとかね、
水の表面みたいな水面っぽいようなね、
繰り返し細かいんだけど、
全体から俯瞰で見ると、
すごい綺麗に見えるというか、
絵画っぽいんですよね。
別に同じ時代の、
モネがその時代だとかね、
フランスとかいう話じゃないんだけど、
やっぱりちょっとね、
印象派の視覚のものと結構近い感じがあって、
一つ一つ意味としてね、
見る場合もあるけど、
眺めることもできるんですよね。
すごくそういうので、
記号から離れて、
響き的に見えることが結構あるので、
細かい専門書も読むんだけど、
そういう読み方とは全く違う。
どっちかというと、
響きとか絵画的というか、
音韻的にね、
見ることが結構あったりしますよね。
もちろんね、
頭の中である程度はなってます。
絶対音感はないけれどもね、
大体音感はあるので、
こうかなとかね、
そういうのもあったりしますね。
そして逆に文字のフォームを読んでいて、
音が鳴ったっていう、
これもね、
あるよね。
特に僕、
マリーシェファーのね、
世界の調律、
チューニング・オブ・ザ・ワールドっていう、
原著があるんですけど、
あれは原著が1960年代の終わりぐらいだったかな、
そういう感じの曲ですよね。
曲じゃない、
本ですよね。
日本語版が80年の後半ぐらいに出ましたけれども、
今、文庫版になって、
それが何年?
4、5年前に文庫版になりましたよね。
平凡者から出てますけど、
09:00
それ見た時にね、
例えばフランスの漁村があるんですよ。
そこがね、
漁村の街のサウンドスケープ、
音の調査をした時に、
音楽じゃないですよ。
響き的な話なんだけど、
季節によって音が変わると、
海岸の波の音がね、
日によっても変わって、
漁師はですね、
そこの音の響きの変化によって、
天候とかね、
海の状態を知って、
それでより効率的なね、
両方ね、
漁師の方法を両方やるわけなんですよね。
そういう感じがあるので、
そういう響きが一つ一つ書いてあるんですよ。
波の音はこうだったとか、
ゴーとかね、
サバサバとかね。
耳の承認って話があって、
昔の音って録音できじゃないですか。
録音機って100年程度ぐらい前のメディアですからね。
それ以前は何かというと、
やっぱり書物とか、
人の記憶ですよね。
それが環境音をね、
記録してたところがあるわけですよね。
もちろん楽譜みたいな、
システマティックな体系っていうのがないですからね、
やっぱり環境音っていうのはね。
だから人のね、
耳の承認で、
例えば、
毎週日曜日にね、
お茶の水のね、
あれはカネ、
なんだっけ名前忘れたな。
何度も言ったけど忘れたな。
そのカネが鳴るとかね。
それは今でこそ、
毎週日曜日だけど、
それ毎日朝8時になってたよとかね。
いうわけですよ。
あ、鳴ってたんかみたいなね。
そういう感じの状況になるので、
その時にやっぱりね、
耳の承認の人はね、
生々しく喋るわけですよ。
もう4キロ先のところに住んでいたけど、
全然聞こえましたよとかね。
当時は建物が低かったからみたいな。
昔のお茶の水が低いみたいな。
今は高層的にね、
建ってますけど、
僕の母校も話があるけど、
すさまじくお茶の水のビル建ってますよね。
明治大学ね。
そういうふうに、
耳の承認っていうのがいるような、
そういう記述が結構あるんですよ。
世界の調律の中でね。
そういう感じの話とか、
それに関連して、
平凡者の文庫のね、
平安京都の宇宙っていう本があって、
僕の恩師の中川慎先生が書いた本なんだけど、
12:00
それは、
五行思想に基づいて平安京が
作られているという仮説なんですよね。
本書の音の高さ、音高ね。
調べたところ、
大体3割ぐらいが、
大体同じような音高じゃないかっていうことで、
これもちょっと雑い調査なんでね。
え?って思うんだけど、僕はね、正直。
そういうロマンですよね。
都市計画は昔は、
昔も今もあるんだけど、
音の側面からの都市計画もあったんじゃないかみたいなね。
そういう感じの話でしょうね。
そういうところから音が鳴ったっていうね、
傾向があるなというところですね。
そしてね、
今ね、進めているね、
自作曲の楽譜化。
僕は曲が500曲あって、
その楽譜化なんだけれども、
行きたい演奏を五線に変えるときに、
何が紙に残って、
何がこぼれ落ちたかっていうところなんだけど、
これね、設計図、図面とかの話と近いんだよね。
僕は造園の出身で、
捨てちゃったんだけど、
最近捨てたかな?
図画というかね、
設計の図面を描いたんですよね。
細かい図面なんだよね。
それを見ると、
やっぱり点が描いたんですよね。
点があって丸みがあってみたいな感じで、
その点とか線みたいなものがあって、
現場のリアルな素材とかね、
植栽とかの詳細ではないんだけど、
ここにこれを置くといいんじゃないみたいな、
そういう図面ですよね。
めちゃくちゃ要約してて、
荒くてアバウトなんだけど、
ここぞっていう点ですよね。
それはしっかりね、
やっぱり描いてあるわけなんですよね。
だからね、
そういう根幹的なものは残って、
響きはね、
植物の形状だとしたら、
植物ってコントロールできないから広がったりするじゃないですか。
そういうのも含めて、
大体この辺りにね、
配置したらいいんじゃないってことを示してるのは、
要約してるものなんですよね。
ただでも要約してるんだけれども、
感性が結構鋭いというかね、
そういう人がそれを見ると、
設計者と同等かそれ以上の再現性でですね、
空間を作っていくことができるんですよね。
これってまさに、
演奏と一緒なんですよね。
演奏でもさ、
ただなぞるんじゃなくて、
作者の表意ですよね。
15:03
ストローみたいな形で弾くとですね、
すごいほとばしるんですよね。
良いところがね。
だからグレングーロードとか、
僕の好きな演奏家、
カナダのね、
すごい自己解釈して、
新たな展開でバッハを示すわけですよね。
だからそういう感じの、
失礼っていうのは本当にね、
大事だと思うんですよね。
そういうところが結構あってですね、
本当に音っていうのが、
生きた演奏になるわけですよね。
だから何が残って残らないかっていうのは、
残るのは最低限これだっていう、
本質的な情報がね、
楽譜には残ってですね。
楽譜正確に言うと音の高さと、
音の鳴らす時間と、
あと速さとか、
アーティキュレーション、
表現はあるけど限界がありますよね。
クレッシェンドとかデクレッシェンドとか、
ピアノだったらペダルを踏む位置とかね、
そういうのあるけど、
それはね、やっぱりね、
あの、句伝みたいなもんで、
弾いて、そこのことが分かってる先輩とか先生に聞いて、
あ、こんな弾き方があるのかっていう風に、
体感するわけですよね。
そこから自分流のものを作り出していくっていうことで、
まずは完全なるコピーですよ。
そこから先の話になるので、
その完全なるコピーの、
ここが最低条件だよっていうことをね、
示して、で逆に、
示しすぎると、
自分の解釈が強くなって、
弾きづらくなったりね、
になっちゃうので、
あんまりそれはね、
しないほうがいいと思うんですよね。
だからそういう意味ではですね、
最低限の遺伝子の核みたいな、
あれでしょ、
アデニン、シトシン、
チミンと、
A,G、
A,G,C,Tってやつがあるよね。
アデニン、シトシン、
チミン、グアニンか。
あの、
これが4つの延期配列ってやつなんだけど、
これは遺伝子の基本的な、
高校生で習う話なんだけど、
4つの配列で、
遺伝子が掘り出されて、
亜細二重構造で、
それが基でね、
タンパク質が生み出され、
人間ができるって話なんだけどね。
じゃあそういう感じで、
捉えてみるとね、
やっぱり、
楽譜ってそうなんだよね。
最小限のデータというか、
情報しかないんだけど、
それが最大限の展開になるっていうね、
そこが面白いんだよね。
魔法で曲作ったりというか、
楽譜に変えたいっていうのがすごくあって、
そこがね、
やっぱり面白いところなんですよね。
18:02
そういう感じのね、
展開かなと思います。
立花大学に来たんだけど、
ここちょっとね、
中庭に座ってみようかなっていう。
暑いな、今日ほんと。
っていう感じだね。
そしてベランダじゃない。
ここ最近きれいに日本庭園になったんで、
ちょっと遊びに来たって感じですけど。
そして、
こぼれ落ちるものはね、
さっきの話で、
こぼれ落ちるものこそ、
受け手が再生したりとか、
新たに作り出すような音の展開なんですよね。
これをたくさん入れちゃうとダメなんだよ。
そして、
作曲者がもう死んでいる楽譜を弾くときに、
誰と出会っている感覚かっていうね。
僕は坂本隆一さんの曲がすごく好きというか、
構造的にはすごく最小限の音なんですよ。
ワビサビみたいな。
でもそれ弾くと、
やっぱり坂本カラーが出るんだよね。
なんていうのかな。
必要最小限なんだけれども、
ちょっと反逆性があるっていうのかな。
クラシックを東京芸大でしっかり学んで、
作曲法も学びまくった人ですけどね。
直感的に凄まじく作曲能力ある方だと思うんですけど、
なんか音数多くないんですよね。
なんだけど、
その研ぎ澄まされたところに、
坂本隆一というかカラーというか、
しかもポップスなんだよね、彼の曲って。
どんな感じでも、
難解な作曲、現代音楽に行かないんだよね。
そこが面白いなっていうので、
そうするとやっぱり生きてる坂本隆一さん。
僕はそんなに坂本隆一たくさん聴いてないんですよ、リアルで。
これちょっと話がずれるんだけど、
2009年の3月の14日ぐらいだったかな。
京都府のアルティっていうところで、
2009年、全国通話されたんですよね。
アウトオブノイズっていうアルバムが出てね。
それで1日20曲ぐらい即興も含めて、
最初に決まった曲は弾かれますけど、
後は曲順決めずにやられるっていうような、
すごくラフなコンサートがあって、
僕も妻と一緒に出かけて、
最初で最後なんですよ、坂本隆一の演奏を聴いたのが。
それで、なんと真ん前の1列目の真ん中だったんですよね。
21:00
お香も焚いてたと思うな。
それでも間近で見て、
やっぱり神様はね、最初で最後のコンサートの、
僕は行ったことあんまないんだけど、
1回しか行かなかったけど、
そこで匂いを出してるというか、
香りを出してる感じがするんだよね。
そういう感覚がたぶん坂本隆一の雰囲気があって、
曲というか楽譜を見てもそうだよね。
やっぱり無くなったけれども、
ほんと目の前で音が出てるって感じしますよね。
自分が行くことによってね、表現されて。
ただ自分のタッチ感だから、
すごくね、それはね、
ここでしかない音なんですよね。
特にアコースティックピアノのグランドで弾くと、
倍音とかね、すごく反響、ソノリティがすごいから、
すごく目の前に坂本さんがいる感じしますよね。
そして家の本棚と楽譜棚っていうのはね、
置き方や扱い方はね、
僕は隣に置いてるんですよ。
楽譜の本の、楽譜のエリアと、
自分がね、見る棚っていうのは横に並べててですね。
特にすごいのは、
僕本を選ぶときに、
実用そのドゥイングと、
自分の在り方をね、
深めるようなビーングの本ってね、
そういう風な置き方してるんですよ。
別に置いてるんですよね。
本ってジャンルで並べるじゃないですか。
工学とか建築とか造園とかね。
そういう風に僕も並べることあるんだけど、
僕はね、ビーングだなと思った本があったら、
楽譜の横に並べるんですよ。
それで楽譜読みながら、
あれ、この本あるな、
近くだと手に取りやすいじゃないですか。
そんな感じにして、
本棚と楽譜棚をね、
ビーング同士でね、
僕音楽やっぱりビーングだと思うんですよね。
ドゥイングではしない、
職業的な作曲家とか、
職業的な演奏家ではないので、
ビーングで僕は並べたいと。
だから楽譜の場所と、
それと本のところは、
本をセレクトして、
それで横に並べてる感じですよね。
そういう意味で扱い方に差はないんですよね。
同じシームレスな感覚で、
ある一方では、
テキストであるところからビーングがほとばしり、
そしてある一方では、
楽譜というところで響きというね、
感応的なものでほとばしるっていう感じですよね。
そしてもし自分が、
楽譜が読めない音楽家だったらね、
どうだったかっていうと、
僕はそれはそっちでありだと思うんですよ。
僕即興できるんですよね。
1時間でも2時間でもね。
手癖だからって言われたら仕方ないんだけど、
だから楽譜を越えたところの、
身体と楽器との融合関係で、
24:02
作りたいと思うんだよね。
そういうのがあるんだけれども、
それはそれでいい人生だったんじゃないですか。
すごくシームレスだからね。
楽譜って一つ視覚を通すからね、
聴覚的な没入感からは消えるんですよ。
だからクラシックでも、
アンプしてる人としてない人といるでしょ。
譜面をパラパラめくってね、
やるっていうパターンがあるじゃないですか。
あれやってもいいんだけど、
そうだと視覚から入って音を出すから、
これは僕の偏見かもしれないけど、
音に没入してないんですよ。
やっぱりドゥイングなんですよ。
やっぱりビーングでやる場合は僕即興ですよね。
人関係なく。
あるいは僕が覚えてる曲、
僕は初め曲作る時に楽譜作らないですからね。
まだ僕500曲中100曲しか楽譜作ってないんですよ。
あと400曲は今からのお楽しみをしてるんだけど、
老後のお楽しみ。
今は老後ですけど、僕も今。
それで落ち着いたら僕の楽譜化計画を
全部やろうかなと思ってるんだけど、
楽譜はやっぱりね、
直感的に音に没入するところは阻んじゃうので、
僕は覚えてます自分の曲、
それを弾くんですよね。
だから楽譜はやっぱりね、
さっき言ったようにね、
僕が亡くなった後に屍ですよ。
仮の屍として残すんですよね。
だから仮の屍をもう一度別の誰かは知らないけどね、
僕は今の段階では預かりしれないところだけど、
その方が弾き直したらいいんじゃないかな
っていう風に思うんですよね。
それに関連して自分が死んだ後ね、
自分の楽譜と自分の本も15冊書いてるけど、
協調合わせると20冊かな。
どうなるっていう、
これもね、ご縁なんですよ。
僕未だに生きてますけど、
僕の曲を聴いて出会いたいっていう人とか、
僕の本を読んで仕事をね、
お願いしたいっていう人がまだまだいるんですよね、
僕のホームページを通して。
だからそれでご縁になった、
本が別のプロジェクトを読んでるってこともすごくあるし、
僕の曲がどっかで聴いて、
新しい曲を作ってくださいっていうのもあるから、
生きてる時の循環があるんで、
なくなっても変わらないんじゃないですか。
今って逆に拡散力すごいので、
それでデジタルごみになる可能性は高いですけどね。
僕も今楽譜をね、
100曲くらいはデジタルでも出してるんですよね。
そういう意味ではね、
やっぱり出会いはあるんじゃないかな。
どうなるっていうのは、
使われ続けると思いますよ。
両方ね、紙媒体でのみで出してる本もあるけど、
今電子書籍にほぼほぼなってるので、
読むんじゃないですか。
だからそれは死んだ後ね、
50年か100年か知らないけど、
27:00
ちなみに著作権はなくなってから70年後に消失するから、
70年間くらいは生きてる状態なのかもしれないよね。
それは勝手な人間が作った作為の話だけどね。
だからそういう感じのね、
ところかなと思ってるんで、
取り手もない話をしたんですけどね、
僕は本と楽譜すごく近い。
まとめると自分の身体が
あるとしたら、
身体は響き寄りなんですよね。どうせなくなっていく。
でもそこで刻印として残したいというね、
自分のわがままとか
自己顕示欲で残すんじゃなくて、
もっと新しい響きとか考え方の
一つの種になるんじゃないかなと思って、
本とか楽譜を作っていく。
楽譜は作らないけど、
作りたいって思ったのはそういうとこだよね。
僕の解釈以上のものを何かそこで、
作曲者が呼んでくれたらいいんだけどね、
僕の曲って作曲者も結構ね、
この作曲者が僕の本を買うんですか、
楽譜を買うんですかっていう場合もあるんで、
びっくりしたんですけどね、
作曲家が読んでること多いと思うので、
変わっていくっていう気がしてるので、
そんな意味で今日は取り留めもないんですけど、
お話をしてみました。
28:27

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