みなさんこんばんは。あした使える聴くネタ帳 | マーケターの真夜中ラジオの時間です。
この番組はアラフォーマーケター2人が最近気になるトピックを取り上げ、それぞれのマーケ感で掘り下げていきます。
スタートアップの思いを文化に変える戦略マーケターチーム株式会社ヘールコネクト代表の宮本です。よろしくお願いします。
淡路市までコピーライターをやってます。ジンボーです。よろしくお願いします。
さて、今日のテーマは自己表現としての推し活。 衝動と偏愛の時代における新たな個人の識別表です。
このテーマ、取り上げた理由は何なんでしょう。
はい、今回は今大きな消費文脈にもなっている推し活っていうものをちょっと再解釈、捉え直しをしたいなと思ってるんですけど、
推し活って、ちょっと以前宮本さんの回でも話題になりましたけど、衝動とか偏愛とかその辺と直結してる話かなと思ってて、
だから偏愛の表明ですよね。推し活、推してるんだっていうのはね。
そうですね。みんなが好きなものを推してるは推し活ならないもんね。他の人よりも私はすごくこれにはまってるんだっていうのが推し活だもんね。
そうですよね。誰かがちょっと推してます。いやいや、私はそんなもんじゃない。もっと推してるんだ、私はみたいな。
確かにね。
そういうマチズムな世界ですね、最近はね。
確かにそうじゃないと。だから、ワールドカップで日本を応援してますみたいなのは推し活とは言えないもんね。
だからそれを推し活というには本当にもうアメリカまで見に行くぐらいとか、選手の特性とか全部知ってますぐらいまで行かないと推し活にならないから、
他の人とは違う、私は他の人よりもすごくこのチームでありこの人たちが好きなんであるっていう偏った愛を推し活と言うだろうね。
そうなんだよね。だから何々推しですみたいなところって、今で言うと一個の自己表現になってるかなと思うんですよね。
なので自分の自己紹介とかって難しいですけど、私はこんな人ですって一言で言うのって結構難しいとかほぼ無理じゃないですか。
でも僕で言うと、ビッシュ大好きな私ですとか、フリーレインハマってます私ですみたいな、淡路島のコピーライターですとかが割とわかりやすいですけど。
そういう偏愛、衝動の先の偏愛をパッと言うと一発で伝わるわけですよね。
なのでそういうことかなと思って、今その偏愛っていうのは日々の情熱情動の履き口になっていて、それがイコール他者との識別表になってるってことだと思うんですよね。
偏愛って一定の時間を日々投下し続けてますっていうことなので、自分は趣味はこれですよりもう一歩先の話になるんですよね。
それを昔はちょっと痛いとかなんかいう扱いをされたわけですけど、最近はそういうのをむしろ歓迎するとかいいねって思えるような文脈になってきているので。
徐々に押し勝つっていうのは自己満足でもあり同時に自己表現のツールにもなってきてるよねっていうことがあるのかなと思っているわけですね。
昔はね、オタクとか比較的ネガティブなワードで使われてた時期もあったりとかして、そういう映画もあったじゃないですか。
電車男ですか?
そうそう電車男とかね。当時オタクはクラスの中でイケてるグループに入ってない人みたいなのがオタクと言われていたけれども。
オタクがイケてないから電車男が逆に流行ったわけだもんね。
みんなで応援してオタクでも恋愛できるようにしようっていう。でももう恋愛というものを価値に置いている時点でちょっと当時っぽいというか。
恋愛できなさそうな電車男というオタクがみんなと同じように恋愛できるのいい話だったけど、今は別にそうじゃなくて。
別にみんながみんな恋愛する必要はなくて。別に恋愛なんて良くて。私はこのアイドルなりこの漫画アニメに変顔してるからいいんだ。それが普及している形になってきてるよね。
昔は好きなアイドルが結婚したら落ち込んだりとかね。暴力的な行動に出たりとかいうファンの一部いましたけど。
最近でいくと推しているアイドルを恋愛対象として見る割合ってスーパーらしいんだよね。5%くらいかな。
むしろ自分の自己存在の確信みたいな。そういう対象として見るっていうのはほとんどなので。完全に疑似恋愛対象としてアイドルを見るみたいな人はめちゃくちゃマイナーになっているということですね。
そういう感じですかね。だからよりアイコニックな存在になっているし、どっちかというと宗教っぽくもなってきてるみたいな。
本当に一人一人が神というかね。宗教的存在として認識されていて、その存在があるからこそ自分の存在が認められている。その人を好きな私って生きてて価値があるって認められている宗教っぽい感じがするね。
宗教って理不尽な世の中で自分の生きる意味を意味付けてくれる物語ですよね。そういう意味でいくと今のアイドルとかアニメとかオタクカルチャー、オシカルチャーというのはすべて宗教代替なわけですよね。
なるほど。そういう事になっているので。疑似恋愛ではそもそも無くなってきてるよねっていう話かなと。
確かにそうだね。キリストに疑似恋愛するイメージあまりないもんね。ないないない。ブッダ好きになるとかあまりないもんね。
あまりないよね。ないないない。魅力菩薩に惚れるとかないもんね。確かに確かに。
そういう意味では概念として一個抽象度が上がっている感じがするよね。アイドルが本当の意味の偶像になってきてるっていう感じもあるかもね。
じゃあどのアイドルを推すか、どの神を推すか。私はクリスチャンのカトリックです。私はプロテスタントです。メソディストですみたいな。
そういう自分の価値観とかを端的に表す記号として推しみたいなものを今は割と使っているっていうのも多いかなと思っています。
かつては身に纏うブランドがイコール自分の価値観の表明だったわけですよね。あとは自分の経済的な余裕の表明でも照明でもあったしみたいなことなので
ファッションが他社との識別章になってたわけですけど、今はそもそもブランドがめちゃくちゃ多くなっているし、その中で人々は物への関心が下がっているので
せっかく良いブランドを身に纏っているんだけど、ほとんどが着ていっても気づかれないってことだよね。
おーってならないからブランドに。そもそもブランドはインローのためにね。どうだGucciのバッグを持っているぞっていうおーって思われるために身につけていたわけだけど高い金を払って。
だけど気づかれなかったら意味がないからじゃあいらないねっていう感じになっているし、あとはコロナ禍でそもそもそれを着ていく先がなかった空白期間が割と長く
足掛さんに会ったこともあって結構価値観はパッともうブランドが欲しいみたいな本当に終わったなって感じもするかなと思っていますと。
逆にその中でもコネクトができたSNSの中で表明しやすいものとか、その中で推しとか内面的な系統みたいなもの自体が多色の識別章になっているかなと思うんですよね。
という状況もあるので、だから今の変外の端的な表れとしての推しかつ推しっていうのが自己表現であり多色との識別章自体になっているっていうことがあるかなと思います。
今や推しかつっていうのは学校文脈よりも強烈、部活とか以上にメジャーな共感のプラットフォームとして成立するかなと思っていて、
逆に言うとマーケターとしては何かにハマるとか推すとかそういうプロセスを自分の中で経験しないと
ほとんどの人の熱い気持ちが理解できなくなってきている。
アイドルの曲で泣けるようになってからが一輪前のマーケターだということだと思いますね。
本編は先に収録していますが宮本さん的に今回の話はどのあたりで明日使える効くネタになりそうでしょうか。
世の中の変化を改めて言語化して捉え直したなあっていう感じで。
幸せってなんだろうとかね。
でもそうだよなあって思って。
推しにはまる気持ちもわかるし。
やっぱりこれが世の中の今の流れだなあっていう感じがして。
僕はこの間ちょっと話しました。
インザメガチャーチっていう原井良さんの本がまさに推し活をしている人の話で取り上げられていて。
今回話したようなことをリアルに一人一人のエピソードとして。
推し活によって自分の生きている価値を感じる人とか。
でもその推し活をしているアイドルが突然自殺とかをして
急に自分の神みたいなものがいなくなってどうしたらいいのかっていう風に悩む人だったりとか。
あとは推し活というものをプロデュースする側になって
いろんな人を推し活にはまらせることでお金を対応に課金するみたいなことをやってる人が出てきたりとか。
そういうのが物語としてあってすごく面白かったんですけど。
でもそこで話してたようなインザメガチャーチで取り上げられたことが
こう俯瞰で見て言語化をしていくと
そうか推しって自分の価値観自己紹介を作ってるんだなとか
そういうのの理解が深まって面白かったし怖かったし
っていう感じですね。
そうだね。本編の中でわりと話が脇にそれた時間も長かったけど
結構楽しかったよね。
楽しかったし深い議論だったなっていう感じがするな。
SNS社会に生きるこの残酷さとかその辺も改めて気づきもあったし
その中の巧妙でもあり自分の身を守る盾でもあると思うんだけど
そういう推しを立てるとか推しにすがるとかっていうのはね。
確かにこれってマーケティングに使うとすごく強烈な力を持つと思うんですけど
まだこれをマーケティングに使うということに自分としての倫理感が
うんって言ってない部分もちょっとあるな。
そうだね。でも押されるブランドになるといかに強いかっていうのは分かるよね。
強い。
じゃあ借り取り借り取りのデジタルマーケットどっちが尊いかっていう問題もあるよね。
まあそれはね押された方がいいのは実際そうだけれども
それを裏側で設計するためにやっていることとかを考えると
オーガニックにそれができているところとかはいいと思うんだよね。
そうだね。
でも別に一定そうじゃない部分もある。
例えばテレビとかでアイドルプロデュースとかで苦しいのを乗り越えてアイドルになるみたいな
ああいうプロセスとかも当然ながら一定誰かが書いてる台本があって
できているリアリティショー的な部分もあるから考えさせられる回でした。
なんか今すべてのマーケティングとかインサイトの実はど真ん中かもしれないなっていう
本当そうですね。そう思います。
それでは本編ぜひ聞いてみてください。
本編は約38分あります。
途中で聞けなくなった時のためにもここでポッドキャストをフォローしておくと便利です。
それでは行ってみましょう。
さてジンボさんの今週のピックアップ。
テーマはこちら。
自己表現としての押し勝つ。
衝動と変え合いの時代における新たな個人の識別表です。
さあどんな内容なんでしょう。
まあオープニングでもお話の通りなんですけど
今回は押し勝つというものを少し掘り下げて考えてみたいなと思っていて
押し勝つというのが実は今の人たちにとっての
単的な自己表現のツールになっているんじゃないかなって思ったんですね。
今はね僕ら世代とかはどうかあんまり分かってないんですけど
会社員辞めてしばらく経つんでね。
そういう理由?
若い人とかとコミュニケーションしたりとか
ベンチャーの子たちとコミュニケーションすると
性格診断とかめっちゃ好きなんですよね。
めっちゃ好きですよね。
これもう若い人みんなそうっすよ。
ネオさんPCMって受けたことあります?
PCMはないかも。
PCMってないのか。
今僕が片付け込んでいる会社ではめちゃくちゃ
PCMトークが鼻盛りで
人間を6タイプに分けてね。
6タイプどれかっていうよりは
全部持ってるんだけど
ベースがどれで、今メインがどれでみたいな感じで
ウェイトを分けするのね。
みたいな。
それの属性があって
この人だったらこういう
愛称とかでいろいろ語り分けをするんだけど
無限に語れるわけですよね。
みんな大好きなんだよね。
大好きですよね。
うちの中学生の娘もMBTI知ってるからね。
中学生も知ってるんだ。
調べたら100年前くらいに作られた
そうなんだ。
そうみたいですね。
最近ですよね。
Xのプロフィール欄とかにMBTI書いてる人とかいるしさ
そういうもんなんだみたいなね。
俺らの言うと動物占いみたいなもん?
そうだと思うけどね。
一時流行ったよね、動物占い。
流行った流行った。
あっち系だよね。
僕ら世代はちょっと理解ついていけない部分が
あったりする。
女子はどうかわかんないけど
動物占いはまったことがある女子は好きなのかもしれないけど
僕らみたいな男子は
やっぱりちょっとわからんだみたいな部分は
そうですね。
PCMの検査で1日かかりますか?
ちょっと困っちゃったもんね。
1日かかるの?
マジか。
それは何をそうするの?1日も。
検査自体は事前にwebで終わるんだけど
それの説明会みたいなのがあってね
お互いのパーソナリティの違いを理解して
日々の業務に活かせないと意味がないので
その研修というか
溶かし込む時間をちゃんと取るのね。
それをちゃんとやりましょうみたいな感じだったので
同じ共通言語を持てるのはいいことだと思うから
一定だが真理も含まれているから
まあいいんだろうなって感じはするよね。
というところなんですけど
NVTIも含めて
なんであんな流行ってるのかなと思った時に
一定それって決議型占いよりは
多少ファクトもあって
確からしいのか分からないけど
深い自己理解をしたいというのが
主目的でもないような気がしていて
っていうよりは
僕で言うとPCMだとレベルがベースで
パシスタっていうのが
全然分からへんな
メイン今だったんだけどみたいな話なんだけど
そうやって言うことで
これって私ですみたいな
今の私ですっていうのが
パシッと決まるわけだよね
私はこうなんです
じゃあこうですねみたいな
お互いその共通理解とかの中で
お互いが自分のメンタリティとか
内面的なものを記号化して
その記号同士でうまく
コミュニケーションが盛り上がるみたいな
そういうことがあると思うんだよね
だからこれって私の記号化っていうのが
カルジャルにできるのが
多分ああいうもののいいところで
同じ世界観の中では
私はこれですみたいなところで
コミュニケーションのネタにすごくなるので
盛り上がりやすい
お互いが一定その
理解も深まった感じもあるみたいなね
お互いのことを
そういうことも含めて
だからコミュニケーションツールとしての
記号化みたいな作用が
強いんじゃないかなって僕は思ってるんですよね
確かにね
SNSに書くのはそのためですもんね
別に自分理解のためだったら
自分で測ったりこうやってあるって
理解するだけでいいけど
わざわざSNSのプロフィールとかに
私MBTIの○○ですっていう風に書くのは
自己紹介の一つってこともね
そうだよね
本当の自分がほんまにエグいダサいって言ったら
多分SNSで発表しないと思うんだよね
グロいとかエグいとか部分も
エグみも出ちゃうと思うので
そうじゃなくてもうちょっとカジュアルな
名刺みたいな感じになってると思うので
そういうところかなと思うんだよね
だから今の人がMBTI PCMとか求めるのは
そういう自分を端的にパッと表現できる
自分の内面をだよね
何かを求めているなって思っていて
今回の話はそういう文脈なんですよね
推しっていうのも実はそういうのの一つなんじゃないか
って思うんですね
だから自分が誰かを応援して
強度を得られるとか感動できるとか
そういうのも一個あるけど
もう一個は推していることを表現すること自体に
何かしらの意味があるんじゃないか
っていうことですね
それがMBTI的な
自分の内面性をカジュアルに記号化できる
っていうことの作用なんじゃないかなと思っていて
ってことですね
同じようにMBTIだと16パターンとか
PCMだと6パターンの掛け合わせとか
一定の推しだと
アイドルで言うとAKBだと48人いるけど
メジャーだと7人とか
それぐらいでみたいな話なんだけど
一定のクラスター何推しが結構いるみたいな
メジャーの推し対象であれば
PCMとかMBTIと同じように
私はこれとか
そういう共通の話題化がしやすいので
そういう作用は結構あるんじゃないかなと思っていて
そこで私はこれ推しですとかということで
そこそこ正直な自分の本音とか趣味思考を
埋め込みながら
でもあんまり痛くならない程度に
でも高い許可権を持ったりとかして
自分の価値観をスピーディに表明できる
っていうところがいいんじゃないかなと思っていて
そういう作用もある
だから自己表現としての推しっていうのが
一個今社会作用としてはあって
なんか重宝されてるんじゃないかな
説を取ってるっていう感じです