お仕事は簡単にでよろしいんですけど、どんなお仕事を長年やってこられたんでしょうか?
ある企業で、言葉を使って会社のいろんなことを表現する仕事をしてます。
遠回しかな。
いやいや、かっこいいお仕事というか、憧れる人の多いお仕事だろうなっていう印象が、
そうですか。大昔は、コピーライターなんですけど、
大昔は、一行書いて何千万円みたいな時代があったみたいで、
それこそ憧れみたいなのがあったと思うんですけど、今はどうなんでしょうね。
まず、コピーライターという言葉に、われわれは一回、なんだって思っちゃうかもしれないです。
理系出身なので、
何をする人?みたいな。
遠導すぎるということで、
あとリスナーさんは、私の今お友達が多いので、
理系のバックグラウンドの子たちは、かっこいい横文字を考えている大人なんじゃないかみたいな、
すごい自分とはすごい違うじゃないかって思っちゃうかもしれないんですけど、
でも、すごく生活の身近なところに、いろんな言葉を散りばめてくださってますよね、そういった職業のみなさんって。
私は、広告だけじゃなくて、会社の中のいろんなことを言葉にする人なので、大きく言うと、
だから、いろんな部署の人が、もやもやもやもや困ってるなみたいなことを聞いて、
それを、「こういうことですか?」って言葉にしたら、「そうです。」みたいなのも仕事。
で、それをお客さまに伝える言葉に書き換えたりとか、
社内のみなさんと共有する言葉に書き換えたりだとか、
あとは提案書にして、会社の上層部にお願いする文章にしたりとか、
だから、同じことを誰に言うかを考えて書き換えるみたいな、
書き分けるみたいなこともが、メインの仕事ですね。
すごいなって、聞いてて思ったんですけど、つまりは、言葉のプロですね。
そうですね。お給料いただいてるから、プロです。もちろん。
かっこいい。
コピーライターさん兼、社内の言語家にお向きを置いてらっしゃる読書料もすごい、れいさん。
はい。でも、基本ほんとに、寝起きのとき、スマホを見始めると2時間ぐらい解けちゃうっていうか、
その時間を読書に当てたら、どのぐらい読めるんだろうなと、思いますけど、
でも、流れていく情報をだらしなく見てる時間も、私、けっこう好き、嫌いではないみたいな。
そうなんですね。
なんか、もったいなかったとは思わないんですよ、意外と。
そうですか。それも1つインプットというか、受け入れていらっしゃる。
でも、やっぱり、似たものばかりになっちゃうのが、いやだから、そういうときは、本屋さんに行って、
棚を片っ端から見るみたいな、欲しい本を買いに行くんじゃなくて、棚を見るのが好きなんだけど、
最近、本屋さんがないから、うちの近所の本屋さんも、ついに最後の1件がなくなり、
そうですか。
ほんとに困ってる。
いやー、近所に欲しいですよね。
ないと、ほんとに苦しいんですよ。
Amazonとかで買うのは、自分が欲しい本だったり、読もうと思う本じゃないですか。
わかります。
でも、そうじゃないものが見たいんですよね。
そうなんですよね。ザッピングして、そのときに。
出会いたいわけですよ。なにこれ、流行ってんの?これ、みたいなのを、楽しみに本屋さんに行くから、
けっこう、ちょっと行きたいときに行けないのは、つらいですね。
私、れいさんとお出かけをさせていただいて、一番衝撃的な、最近だったんですけど、
とある広告に対して、これは美しいのかっていう問いを、覚えてらっしゃらないかもしれないけど。
覚えてないの。
なんかの美顔器のCMみたいなもので、その美顔器を装着している様が、あまり、れいさまのお好みでなかったっていうことがあって、
あ、プロはそうか、そういうふうに見るんだっていう、衝撃があったんですよね、私。
電車の中の広告?
あ、そうです、そうです。
プロだからなんですか、それ。わからないけど。
そういう視点は、私にはなかったんですよね。
何か美に対するものでも、自分の身につけるものでも、身につけた形が美しいだけでは足りなくて、
効果が出た様が美しいだけでは足りなくて、その過程すら美しくなければならないという、
美意識の高さ、すごいなって思いました。
いやー、それは美意識っていうのとまた違うかも。
確かに、表現をする、このもののことを表現するっていうのが、お仕事だから、
本当にこの美顔器を表現する写真、これでいいのかなって思ったっていうのは、やっぱり仕事柄だったかもしれないですね。
表現方法としての。
いいものなのかもしれないけど、すごいなんかみっともないなって思って、
自分がこれをつけてるところを見たくないと思っちゃって。
なるほど。
絶対に誰にも見られたくないし、自分も見たくないなと思ったから、
これでいいのかなって思ったんだと思います。
何より自分が見ているみたいなところがありますよね。
なんか私、前に美容院に行って、パーマをかけたのかな?
何か髪の毛にいろんなくるくるつけなきゃいけないときがあって、
それを自分で鏡の中で見るのがいやで、これいやだって言ったら、
美容師さんがすごい工夫して、大きなタオルみたいなのを持ってきてくれて、すっぽりかぶせてくれて、
これで見えませんよね?とか言って、大丈夫ですか?とか言われて、
ほっとしたんですよ。
なんかちょっと変わったパーマをかけるみたいな、スパイラルみたいな、箸みたいなのが、
頭にいっぱいくるくるついてて、おかしなことになって、
それを見ている何十分は、たえがたいと思って。
で、それって美意識なのかわからないけど、いやだ、見たくないよ、こんな状態っていう。
人にも見られたくない、自分もいやって、
極端にもう絶対いやーみたいな。
美意識だと思いました、私は。
そうなのか。
それによって生まれる、タオルを巻いたというホスピタリティがあるじゃないですか。
そこも含めて、そのさまがたぶん美しいんじゃないかなって。
そうか、でもほんとに。
そういう美的感覚の鋭い大先輩で、
すいません。
はい、そんなレイさんと今日は、
インザメガチャーチをお話ししていきたいなと思います。
なんか強烈に覚えてることとかありますか?
時間がたってから、すごかったなって私も思ってるんですけど、
なんかここのパートがとか、全体感としてこういう印象を受けたとか、
なんか最初はそういう入りから入ろうかなと思うんですけど。
いや、あの私、結構リアルっていうか、
ほんとリアルでしたね。
めちゃめちゃ特別なことじゃないことが、
すごく丹念に3つの視点から書かれてて、
すごいなって、なんかその取材力というか、
どういうところにいると、こんだけリアリティがある情報がまとまるんだろうなっていうような感じ。
ほんとになんかリアルで、ほんとにいるなこの人っていう感じの。
いますね。
はい、漢字で読んでましたね。
なんか友達にもいるし、あとちょっとお父さんと娘の視点が出てきたときに、
なんかお父さんは仕掛けていて、娘がはまっていて、でもそれをお互いは言わなくってとか、
あとはお父さんはお父さんで仕掛けているんだけれども、
自分が作った物語の中に入ってしまう様とか、
で、3つの視点、あとはいろんな登場人物がそれぞれのはまり方、
ライトなはまり方の人もいるし、その深度がさまざまなんですけど、
なんか全部がこう、渦になっていく、飲み込まれていくみたいな感覚を最後得たというか、
で、その最後終わり方が、あ、そことそこが最後つながっちゃうんだみたいなところだったんですけど、
なんか、うわーってこう、内臓をぐわーって絞られたような気持ちになって、
なんですかね、そのやっぱり視点の多さと、いろいろあるあるこういうことみたいな。
そうですよね、お父さんは、自分がこう、その自分の物語にはまって抜けられなくなって、
自分がわからなくなるみたいなのは、なんていうか、気の毒っていうか、かわいそうっていうか、
せつないなと思った。わかんなくなってる、この人みたいな。
でも、完全に両親で動いているというか、彼の中では、お父さんの中では、
だから、それはちょっとストーカーっぽいじゃないですか、本人は絶対その、善なわけで、
助けてあげなきゃって、思い込んでるだけですからね。
こっち側から見ると、こういう景色なのか、みたいな感じはする。紙一重だなって思います。
難しいですよね、そういう思い込みとか、絶対こうだ、みたいな気持ちって、
いい作用をするときは、すごく仕事熱心になれたりとか、
あとは、すごく人に感謝されたりとかっていうことも、絶対あるから、思い込みが全部悪いわけでは、きっとないじゃないですか。
ただ、思い込みが、やっぱり視野共作というか、狭まっていく、
副眼的で見れなくなってくるほどの狂信みたいな状態になると、
ルールを逸脱し始めたりとか、あとは、人の気持ちを読み取れなくなってきたりとか、
そういうさまが、自分にもありそうで、全然人ごとじゃなくて、怖いことかなと思いました。
今、聞いてて思い出したんですけど、視野共作という言葉は、すごい覚えてますね。
ファンを視野共作に陥らせなきゃいけない、みたいなくだりがあって、
みんなやってることって、それだと思うから、マーケティングとかって、
素敵な世界を見せて、他の世界を、今はちょっと時代が違うけど、古くから、
自分を見てもらうっていうのって、視野共作に陥らせるのと同じだから、
恋愛とかもそうだと思いますし、だから視野共作になるっていうのは、
すごく当たり前に、その辺にある、人間の持っている機能というか、
そうしないと、なんでもかんでも気になっちゃうからっていう。
でも、怖い面もあるし、それをうまく使って、視野共作になってることが、
気持ちよくて、素敵で、素晴らしくて、私、生きててよかった、みたいな気持ちにさせる技を、
すごく磨いてる人とかが、いっぱいいるんだよなって、思いました。
でも、すごい面白いのは、私、仕事仲間に、ある仕事をしている仕事仲間が、
なんかうまくいかないなとかって言って、相談してくれたことがあったんですよ。
最近、この本を読んだ後に。
で、たくさん仕事があって、彼女も忙しいから、いろんな仕事をいっぺんにやってても、
回らないよ、みたいな感じになってて、
いやいやいや、一個のことに集中して、視野共作にならないと書けないって、みたいなことを自分で言ってて、
材料産の影響だな、これって思って、使っちゃったと思って、視野共作、なるほど、とかって言って、そうだね、みたいになってたから、
それは、没入する、自分の気持ちをいっぺんに集中させて、
行っちゃいけなそうな深いところまで、自分の脳みそとか心とかの深いところにギリギリって入っていって、
何かを取り出して、無呼吸のまま取り出して、
ブワーって上がってきたときに、なんか出るかもね、みたいな、そんな話をして、
それって、視野共作のたとえとしてどうかわかんないけど、そのぐらいになったら、なんか見つかるかも、みたいな話をたまたましたので、
アサイリウムの影響だって思った。
私は、ゆりちゃんになりたいって思って、
すごくはまるわけでもないけども、ちゃんと応援する気持ちがあって、
あれ、ゆりちゃんってどの人?
冷静な人?途中まで。
バイトのお友達ですね。
担当とお仕事をして、バイトを何件かやっていて、担当とお仕事をして、
そのバイト先をすごく回している。
で、娘さんがはまったアイドルグループを、最初にオーディション番組見ていて、
で、教えてくれたのがその人だったんだけど、
ゆりちゃんは、たぶんお仕事を一生懸命やったりとか、他にもいろんな趣味があるから、
オーディション番組以降は、そんなにはまらなかったそう。
はいはいはい、いたいた。
ある意味、まともな方として、描かれている人だと思う。
対比として、
え?まだそんなこと言ってんの?私、それちょっともう無理だからって断るような人でしょ?
あ、そうですそうです。
この本の中でも、自分と推しとの境界線があいまいになっていく。
娘はそういうキャラだったと思うんですよ。
私もたぶんそういうとこあるなって思っていて、思い入れが強い人とか、
どんどん自分に近づいてきちゃうみたいな感覚は、すごい昔からあったなと思っていて、
だけど、お友達の場合は、そんなことなくて、
自分は自分、推しは推し、その上で自分の人生があって、自分がありたい姿があるから、
っていうこともあんまり考えてないのかもしれないっていうことを、それをナチュラルにすごいやっている。
で、なんだろうな、どんな時代でも、自分が目の前にあることはちゃんとやれるって、
自分に自信があるから、あまり迷わないとか、恐怖に陥らない。
土屋京作にも、なるときもあるけど、なりすぎないっていう、すごくバランスの取れた人物だなというか、
いいな、なりたいけど、なれないんだろうなっていう、めっちゃ憧れました。
生きている上では、すごく楽しい時間が多い人だろうなっていう印象を受けたんですよね。
なるほど。
たぶん、娘のスミちゃんだと、苦しい時間が多いんじゃないかな、というか、思い悩む時間が多い、
土屋京作しやすい、なんだろう、ライトな100万人ではなくて、濃い1万人にすぐなっていってしまう。
どんどん共鳴して、自分の中で物語を作れる才能があるっていう書かれ方でしたけど、
ハマっていられるときは楽しいけど、ハマって最後ハマったときに、この日を境に無良心に言い訳がつかなくなるから、
っていう、ハマっている自分と、それを俯瞰して、やばいぞって思っている自分がずっと同居してる。
でも、土屋京作になりやすい自分の体質はもう変えられない。
楽しい時間はものすごく楽しいだけど、苦しい時間はものすごい苦しい、
っていうところに読んでて、すごい共感して、私はあんまり人物とかに推しとか、アイドルに熱をあげて、みたいなことがあんまりないんですけど、
会ったとき、苦しいのかもしれない。
だから、終始、私はこの読み物を、うわ、すっげーって思いながら、苦しいっていう読み方をしてしまったかもしれないですね。
楽しんで終わりましたけど。
いや、なんか、全体が今っぽい感じの本でしたね。
あと、推しに苦言を呈されたいという。
推しに苦言を呈されたい。ああ、推しという言葉があまり好きじゃないっていうこと。
それはなんでなんですか?
私は、私が生息する界隈というかでは、推しって言わないんです。
なんで呼んでらっしゃるんですか?
ごひいき。
ごひいき、ああ、じゃあ、おひ。
ひいきとか、私はいろいろ好きなものがあるんだけれども、
自分のことをオタクとも思わないし、推し活をしている人とも思わないっていう、なんか、へんくつなところがあって、
私は、何々が好き、何々を応援している、誰々が素敵だと思う、だからチケットを買って見に行く、みたいな、ファンっていうのかな。
ファンとして生きていて、それだけなの。
で、その好きの対象を調べあげたりとか、ネットで拾ったり、本読んだりして、調べていて、ええ、そうなんだ、そうなんだ、とか、エピソードを漁ったりするのは大好きなんだけど、
なんか、なんていうのかしら、よく、最近、推しがおいしいご飯を食べて、よく眠れているといいな、みたいな、本の中にもあったけど、
そういうふうに、そこまで思わないっていうか、
健康を願うとか、しあわせを願うまでは、
なんかね、その崇拝感っていうか、生きててくれてありがとうとは思うし、素敵なものを見せてくれてうれしいって思うんですけど、
なんか、たとえば、不祥事を起こして、禁止になるアイドルとかのファンって、絶対に、今すごくつらいと思う。
だけど、私たちはずっと待ってるから、今日は暖かいベッドで、ゆっくり寝てほしい、みたいな、
なんか、その感じが、すごく最近、多いなって思って、なんか本当に、ギリギリのところまで迫っていく感じっていうか、
確かにな。
あの、痛んでるところまで行くんだな、みたいな。
私は、表面がキラキラして、エネルギッシュなところを見て、
自分にはない才能とか、自分にはない表現がある人を見せてもらうのが、たぶん好きだから、その人を悲喜と呼び、
お金を払うみたいな感じで、このお金で、このチケット代のいくばくかを、あなたの懐に入れて暮らしてくださいとは思うけど、
そういう意味で、課金はするけど、
暖かいお布団を願ったりはしない。
そういう意味で、推しっていうのは、すごい崇拝感っていうのかな。
そうですね。
100パー全部を、まるっと受け入れて、すべてを、ゼとするみたいな、
もしくは、何かが自分を裏切ったら、全部が100パー無理みたいになって、ノーになるみたいな、
推しに裏切られるみたいな、それが推しという言葉にはあって、推しという言葉を使っている友達みんなを嫌っているわけでは全然なくて、
何か一方通行な、100パーセントなのに一方通行な感じで、推し、推しだから、今ジェスチャーをしているわけですけど、
ひいきは、私があなたをごひいきにしていて、私が、
ひいきのほうが、双方向性を感じるっていうか、
確かに、確かに。
あなたと私感があって、
なんででしょう、わからないけど。
でも、ひいきは、今聞いてて思ったのは、
その人がプロとして、ちゃんと提供しているものに対する対価という、
それ以外の人間的なこととか、ライフライン的なこととか、プライベートとかには踏み込まないという、
あんもくの上品な関係というか、
上品なのかな、そうかも。
オフィシャルな。
そう、だから私は傷つかないんですよ。
相手が何をしようと。
恋人ができようと、犯罪をしようと。
キラキラしてる、その魅力にお金を払っているから、みたいな。
それを見せてもらってるっていう気持ちがあるから、
あんまり、全人格的に崇拝は、別にしてない。
押し方って言う言葉がまた、違うんだと思う。
いいです、いいです、押し方で。
だから、それぞれの、
ねえ、やっぱりすごくこう、
いろいろ生活が大変でつらくて、
コンサートに行くと、その時間だけは忘れられますみたいな、
ありがとう、コンサートやってくれて、みたいな。
そういうのもやっぱり、人生の苦痛点的にあることによって、
どうにか生きられてるとかいう人もいるんだろうなと思うから、
本当にすごい仕事だなあと思う。
そうですね、見られる仕事とか、
あとちょっとその本にもありましたけど、
宗教的な詩や教作になっているとか、
たぶん、この語秘域っていう考え方って、
なんか、すごく歌舞伎とか、
陽気時代の押し方、
最近なんか、宗教的な、病的な、
アイドルを売り出すにも、教典っていう言葉を使ったり、
あとは、新職を忘れて、
っていう強度に、
本当にそうなのかわかんないですけど、
意図して持っていくこともある中で、
なんだろう、
でもそこに必ず救いがあるから、
みんなお金を払ったり、
自分の時間を投下していて、
なんですかね、夢中にさせる工作。
危険なほうは、本当に絞り取る感じで、
お金を吸い上げるための宗教みたいに、
それこそ本当の宗教にもそういうのあるけど、
なんだろう、焦らせたり、
これを今やっとかないと、どうのこうのみたいな感じで、
10万円みたいな、そういう、
でも、それをやった瞬間のハイな気持ちで、
私、やれたみたいな、
自分を試して、やれたみたいなことで、
そういう自分で作ったお話の中で、
成功したっていうふうな感じに、持っていけるように、
仕組みが作られてるんだろうなって、
私はCD100枚買ったから、
すごい応援してる、熱のある活動ができているみたいな、
冷静に考えたら、CD同じもの100枚買っただけなんだけど、
やっぱり何だろうな、物語が欲しいというのはあるのでしょうかね、
今、皆さんが一人一人が、
ストーリーがある中に乗っかって生きてると、
ハイでいられるというか、
これをやってる私は、今、充実しているみたいな、
自分の中から沸き上がってくるというよりかは、
それを外側に置いて、それを攻略していくみたいな感じの日々が、
高揚感がある、
いいことを好きな人のためにしてる、みたいな高揚感なのかな、
われわれは、商品を売ったりとかもする団体ですけど、
人間が美しいものを求めるっていう力って、
けっこうすごいんじゃないかなって、
強烈なものを取り扱ってるんじゃないかなっていう感覚が最近あるんですよ。
たとえば美容整形をするにも、ものすごいお金がかかったりとか、
化粧品も何だろう、人時代前と違ってものすごく高価なもの、
安いもので価格の差がものすごい激しくなっていったり、
人が、アイドルもしかりですけど、
美しいものを求めている、
そこに物語を乗っけている様をすごい見るし、
それがすごく苦しさも伴うものになっているなって、
最近いろんな場面で思うんですけど、
その上で自分が届けるんであれば、
健康的にそれを供給する組織の一員でありたいなって思うんですけど、
でも、一種、程度の差はあれ、
詩や教作じゃないですけど、
そこに、その世界に共鳴してもらうみたいなことってすごく大事で、
また難しいなって、
新たな課題をもらったなというか、
どう、何とに共鳴してもらうことなのか、
自分たちが与えたものが、
その人の本当の意味で良い、ということに良い状態になるって難しいことだなって思いました。
なんか、私が最近思うのは、本当の意味で良い状態っていうのも、
時代で変わっていると思います。
そうですね。
だから、本当の意味で良い状態になるライトな巻き込みとか、
不可能だから、
その時代時代で、本当に世の中と共鳴するとかっていうのは、
ライトなものじゃないはずだと思ってて、
その時々で、みんなが欲しいものは違うと思うし、
でも今、みなさんが絶対欲しいのは、本当に物語だと思うから、
自分のこの状態を良いと思える話みたいな、
自分を好きでいられる話、展開というか、
そういうのはみんな、誰しも欲しいと思うんですよね。
お金持ちになりたいみたいな、大きい単純な物語がもうないわけじゃないですか、世の中に。
お金持ちになったとて、日本円はどうなんですかとか、
1個何かが成就したとて、何も安心じゃないから、
大きなお家が欲しいって言ったって、
自信で全部壊れちゃったら、ローンが残りますねみたいな、
未来が明るくて、右肩上がりに行くみたいな、みんなが共通するものはないから、
だからそれぞれの人が自分で、自分を盛り上げられる物語の中で生きると、
幸せを感じるみたいなことじゃないんですかね、押し勝つ。
グームというのは、身を滅ぼすほどのレベルの人もいるかもしれないけど、
基本的にはチケットが当たったら嬉しいとか、
うちわを振ったら見てくれたら嬉しいとか、そういうののために自分を痩せたいとか、
美しくなって会いたいみたいな、かわいらしい気持ちになったりとか、
不安というほどの不安もないけど、夢とか希望とかも簡単には持てないけど、
それを満たしてもらえると、頑張ろうみたいになるし、
私は押し勝つはしてるつもりはないけど、
お小遣いと時間と見たい舞台があったら劇場にいるので、
劇場にいるのが好きっていうのは、やっぱり日常が嫌いなのかな、わからないけど、
日常と同等に劇場にいる時間を考えてる。
お話を見たり、好きな役者を見るとか、
それも自分の人生の一部として考えて、回してる感じがしますね。
久しぶりにこの前、お一緒に舞台見に行かせていただいて、
なんか、ああいう時間の大事さというか、
私はやっぱりスマホが結構早めにある世代で、テレビが早めにある世代だったので、
リアルな人が演じてるものの価値みたいなことって、あんまりよくわかってなかった部分があって、
小学校のときに劇団式とか、地元に来ていただいて、見る機会とかも作っていただくんですけど、
アニメ映画とかのほうがものすごい展開になったりとか知ってるから、
あんまり良さがわかんなかったんですよ、4年期は。
ただ、最近大人になってみると、生身の人間がここまでのことをしているというか、
恋愛のシーンになったり、女性同士の愛憎のシーンになったり、
いろんな感情がその目の前で繰り広げられているっていうのが、逆にすごく新鮮というか。
生だからね。
生ですね。
人間がやってるって、本当になんか、映画館は映画館で素敵な場所だと思うんだけど、夢みたいで、
でも、やっぱりスクリーンからは、人間のエネルギーは出てこないのと、
空間的に気が変わるっていうか、ぐわって気配が変わることとかは、あまりないんじゃないかなと思うんだけど、
ライブ会場もでかすぎるからないか、普通の劇場って、本当に演劇の劇場って、その役者さんが生きてるから、
その日のお天気とかの影響もあると思うし、
ほんとパンみたいなもんで、曇りの日は水を少なめにみたいな、パン職人が朝のこね方を変えるみたいな感じで、
お芝居もほんと生物だから、自分のコンディションと、役者さんのコンディションと、その空気みたいなものが、
全部一回きりのエネルギーが、私にはとんでもなく必要なんですよ。
この空気を今吸えた、ここにいるわ、みたいな感じがするのが、生きてる感じがする。
生きてる感じしました、私も。
見てる方のエネルギーを、どんどん吸い取られていく、吸い取って演技してるみたいな、
なんだろうね、空気が変わる瞬間とかも好きだし、音の響き方とか、ザワザワっとなっていくとことか。
あとあれですね、舞台でいうと、今そのオフィシャルな場で大人同士会うと、そんなに感情の起伏がこうなってる場面って、
見ないというか、母とかの世代の人たちは、上司にものすごい叱責されたりとか、
飲み会があって、みんながうわーってなっている場面というか、そういう感情の起伏みたいなものが、日常で触れる場面が多かったけど、
今は結構職場も、そんなに怒鳴って怒るようなタイプの人もいないし、
すごくみんな淡々と働いているからこそ、そういう舞台的なちょっと大げさだけど、本当に奈美の人間がその感情を乗せて、
音と衣装と一体になって空気を作っている、あれに浸ることでしか、
今その極端な奈美の人間の感情に触れる機会って少ないのかなって。
そうかもしれないけど、だったら演劇はもっともっと流行ってるはずだよね。
全然流行ってないというか、極小的に流行ってる、全然チケット取れないみたいなのあるけど、
だいたいの演劇は困ってるような気がする。
まあ単純に人気がないとかはあるかもしれないけど、
私の周りに今日お芝居行くからもう帰るねっていう人はそんなにいないもん、言わないだけかな、わからないけど。
まあ選択肢が増えていますからね。
そうか。
でも私は本を読むときも本当にできるだけ極端なものを読みたいから、
この後読んだ本は世界99、村田沙耶香さんの世界99っていう本で、とんでもない小説じゃないと書けないようなことをいっぱい書いてる本で、
舞台化も映画化もされない、つまり全然日常じゃない、日常の話なのに全然日常じゃないことがえらい書かれてて、
なんか文学ってすごいなって思いましたね、むしろ。
今特にそうですよね、たぶん映像にできない、
公共の放送でなかなか言えないことが多いからこそ、本を開いたときの濃度がすごい高くなってるというか。
どこまでもいけるから、言葉で書くことは書いちゃっていいのかなみたいなところまで、
私は書いたことないけど、本当に書いちゃったらどうなるのかなみたいなことだって考えられますからね、人間ね。
でもその片鱗がこのインダメアチャーチにはあるというか、ここまで浮き彫りにしてしまって、ここまで現実なのに、ここまで苦しくて。
そうですね、確かに本当に現実にあることなのに、そこの中にいない人から見ると全然信じられないっていうその感じが面白いのかな。
あと物語を求めてるっていうお話があったと思うんですけど、今ってその物語を個人個人の目線に合わせていっぱい描かないと届かない時代になってるのかなって思っていて、
それを思ったのは、嵐のラストライブを実家で母と見てまして、
マスメディアが生んだ最大級のアイドルだったと思うんですけど、嵐って。
その凄みをものすごく感じると同時に、これからその嵐規模のアイドルというか、全国的にみんなが知っていることなんて起こり得るんだろうかというか、そこをすごく感じたんですよね。
だからよりマーケティングとか、アイドルの界隈とかもコアになって、その視点その視点ごとに物語を描かないといけない。
ただ、そう描いているからこその視野共作没入があって、ここからあると思います?全国的にすごい連帯が生まれるみたいなことって。
何かがあるかもしれないけど、アイドルとかではないんじゃないですかね。
アイドルじゃないのか、何だと思われます?
何だろう、この間パンチ君とかって世界レベルで人気出ましたよね。パンチ君って。チンパンジーかオランウーターのパンチ君っていう、親が育児放棄した動物園で親に育児放棄されて、仕方ないから飼育員の人がお人形、ぬいぐるみを与えて、
そのパンチ君っていう動物がぬいぐるみと一緒に抱いて寝たりとか、どこ行くにも連れて行ったりとかして、わー可愛いみたいなので、ものすごい映像が一瞬でブワーって世界中、
世界中っていうか、英語の記事とかもいっぱい見たし、ひどい話だと思ったんですよ。虐待されてる猿が悲しんで、自分に似た人形を抱いてるっていうのを、可愛い可愛いって消費したから、すごい、わー可愛いけどね、消費してるっていう感じはして、
そういう、いわゆる簡単に消費しやすいものじゃないと、もう広がらないのかなと思いました。で、一瞬で終わるみたいな。
継続性はないですよね、そこにね。
と思う。でもなんかアイドル、アイドルは、ほんとだから、今回ほんとにあらしの配信とかをみんなが見ようと思ったのは、これで最後だからだって、みんなが思ったからだと思いますよ、だってお母様と一緒に見たって、それがその証拠というか、
だって知らないおじさんとかも、あらしがって言ったりとか、たとえばスポーツクラブ行ってトレーニングしてるときに、トレーナーの先生があらしがって話しかけてきたりとか、なんか日本中があらしの話をしてるっていう感じがしたんですよ、あの、あらしが好きだとか言ってない人もみんなあらしの話をしてて、
なんか悲しみみたいな、もうこれでああいう時代は終わりだねっていう区切りみたいな。
時代の節目をだからみんな感じてましたよね。
よりインザメガチャーチ的な世界観になっていく。
テレビでは、こういう歌流行ってんだとかっていう付き合い方じゃなくて、音源が出るって言ったらフライングでいち早く何枚か買ってみたいな、売り上げに合源みたいな、そういうお付き合いの仕方で人気をっていう、それを回せば回すほど嬉しくなってっていう、あらしってそういう感じじゃ多分なかったと思うんですよ。
テレビで見て、かわいいな、すてきだなみたいな。
みんな運動会の曲で踊ってとか、紅白をみんな見てみたいな。
わー、なんかコミュニケーションツールでしたよね。
うん、だと思う。
いやー、なんかあれですね、ごめんなさい、終始なんか暗い方向に私持ってっちゃうけど。
なんで?
なんで?
なんで暗いんだろう?
暗いとか苦しいとかっていうことだけじゃなかったんですけどね、この話は。
いろんな人間的な学びもあったし。
ただ、このインザメガチャーチみたいな時代に、よりコミュニケーション、幅広い世代とコミュニケーションしていくためには、何が必要なんですかね?
うーん、なんか私あまり幅広い人とコミュニケーションしようと思ってないから、なんで幅広い人とコミュニケーションするの?
あれですね、ポッドキャストやってるのもありますし、これは番組はいろんな世代の人に出てもらいたいなって思ってる願いとかもありますし、
あとは、野望ですけど、自分が関わった仕事とか商品とかっていうことが、広く伝わる、そういう魅力にすごく惹かれて、ここで仕事をしてるっていう背景もあるので、
こういうインザメガチャーチみたいな時代だからこそ、だけど、そこにあらがって、みんながうわー、いいねってなることってないのかな?っていうことを今ちょっと考えてる。
なるほど、なんか私は、わかんないけど、最近思うのは、みんなっていう集団がいないと思ってるから、たぶんだけど、ポッドキャストも聞いてほしい人に聞いてほしいわけでしょ?
みんなだけど、それって、自分の話を面白いと思ってくれる人が聞いてくれればいいんでしょ?
だから、まず自分の話が面白いっていうことが一番で、相手がどういう人だから、こういうことを話すみたいなのって、たぶんもう、わかんないんですけど、
自分に集中していかないとっていうぐらいになるから。
結構、一対一な感じがしてて、一対十とかって、十がばらばらだから、でも一対一で、その人とすごい何かで周波数みたいなのがビーってあったら、
あった瞬間、その人を誰かと合わせたくなって、勝手に動くから、なんかあれ、ちょっと面白かったよってなるじゃないですか。
インザメガチャーチもそうじゃない?
確かに。
読んだよとか言って、あれは読まないとね、みたいな。面白かったよって、その時は何人にも言ってたもの、私も。
なんか、長引いてないけど、次の本読んだり、いろんなことしてるから、ずっとじゃないけど、国宝なんかは長かったですよね。
一年近く語られたもの。
確かに。
あれもみんなに見てくれって思ってない感じがして、なんか、でもどうしてもこれを作るのだ、みたいな、なんか、執念みたいなのがある。
焼き付いてるから、みんななんか、うわーってなったんだと思うんですよね。
で、見た人が、見たよとか、歌舞伎好きとか関係なく、なんかその熱量みたいな、皆様にっていうのじゃない、なんか、熱量があったんだと思うんですけどね、私は。
こっからの世界線は、より自分が何がしたいのか、自分がこういうものを表現したいとか、それの熱量とか、深度の深さとか、思考の深さに共鳴していくのが、電波したら、それは広がる。
広がることを前提として、だから、嵐は国民的アイドルになることを前提として、あの素敵な5人組になったけど、ここからはそうじゃないですね。
なんか違う気がする。1対1っていうか、ほんとにその周波数が合う人と、わーってなったときに、爆発して、それが周りが見てて、なんか爆発してるみたいな、なんだろうって言う。
なんだろう、だから、誰にでもじゃない。
全員でなくてもいいけど、その爆発の、共鳴したときの爆発の大きさで、電波していく。
なんか爆発してるものは、みんな好きでしょ?
好きですね。
なんか、わかんない、それをバズというのか、わからないけど、今なんだな、みたいな感じで、みんなが見る、結局見るのか、みんなになるのか、結局。
そうですね、終着点はそこになるかもしれないけど、
好きなことを好きだと言っている人に、私もってなった、その小爆発みたいなものが、
波紋のように広がっていくみたいな。
そう、でまた違うとこで爆発して、バンバンバンってなって、かなぁ。
そうですね。
なんかヒットするものって、そういう感じがする。