有田市でミカンなどをやっています。ARCの上田です。 岩手市のヘアサロン、アーカイブスのqです。
この番組は、和歌山で活躍するゲストの方にインタビューしていく番組です。 kisenradio第85回です。
本日のゲストは、株式会社ヒトノハ代表の岩倉昂史さんです。 岩倉さん、よろしくお願いします。
はい、よろしくお願いします。
ヒトノハの岩倉です。
岩倉さんから、簡単に自己紹介してもらっていいですか?
はい。僕は大阪生まれ、育ちが北海道と京都。
11年前に和歌山の小沢町に引っ越してきました。
小沢で会社を始めて、勝浦にも主展を出し、今この春から木の川に、子どもたちは木の川の小学校に学校を通い始めて、
県内で2拠点生活という、ちょっと新たなチャレンジ中という感じです。
今、木の川のご自宅で収録させてもらっているんですけど、むちゃいいところですね。
周りが柿畑と桃畑と、市塾があったり、相桃があったりして、すごい風景もいいですし、日当たりもよかったり。
僕は行ったり来たりして、まだ4月から2ヶ月くらいです。
でも半分もこっちに行っていないので、引っ越した実感ってどんな感じなのかみたいな。
あっちに家も置いてて?
そうです。向こうはめっちゃ安く家を譲ってもらったのをずっと住んでいたので、そっちを置きつつ、向こうに行ったりとか、
あとは事務所に泊まったりとかしつつ。
なるほど。岩倉さんの人の派っていうのはどういう会社なんですかね?
人の派はデザインの会社って平たく言うてるんですけども、
いわゆるビジュアル、スタイリングするデザインっていうのももちろんするんですけども、
その前の設計、どういう風に組み立てるのかみたいなデザインをさせてもらうところで、
うちの仕事で言うとウェブサイト作ってるとかコスター作ってるとか、スタイリングの部分が目立ってるんですけど、
実はどういうものを表現したいのかとか、どういうビジョンに行きたいから何を作るのかみたいなところからクライアントさんと一緒にやらせてもらっている会社です。
なるほど。デザインと言ってもグラフィックデザインとかそういうのばっかりじゃなくて、
なんていうんですかね、ちょっとコンサル?
コンサルっていう響きが、自分もあんまりしっくりこない地方の人たちも多いし、
コンサルって言うのもどうかなって思うけど、一番わかりやすい表現なのかなと思うような、
そもそも何すんのみたいなところの話とか、どうすればその悩みであったり課題みたいなのが解決の方向にいくんだろうとかを考えさせてもらうのか、
それをどうやって伝えるかっていうところでスタイリングのポスターであったり、
ウェブサイトで伝えるための手段として制作ももちろんするし、
制作にも誇り持ってスタッフたちもやってると思うんですけど、
その前のところにもしっかりと僕らの会社のアイデンティティがあるという。
なるほど。岩倉さんを紹介してもらった全米農園の新太郎君とか、ラウルの島本さんとかも一緒に仕事されたりっていう感じなんですけど、
その辺のところからビジョン的なところからデザインのところまでこの二人とは一緒にやってって感じですかね。
そうですね。全米農園の新太郎なんかは10年前ぐらいに来てすぐぐらいに出会って、
まだ多分秋津のガルデンに至ったのかな、ついでの時ぐらいの。
で、つぐねんみたいな話を聞きつつ、じゃあどうやってこれからの戻ってくる農家の形というか、
農家ならではの課題みたいなのがたくさんありつつ、でも彼はすごい希望を持ってたので、
それがどうやって形になっていくんだろうみたいなところからお話しさせてもらって、
その全米農園という名前を決めるところから一緒にディスカッションしながら話してましたね。
島本さんもそうですね。島本さんも多分僕が移住した時と一緒ぐらいのタイミングでケーキ屋さんしてるんですよ。戻ってきて。
で、いろんなお話ししながら、今日に至るというかね。
もう今週も先週も島本さんとはやり取りしながら。
という岩倉さんは完全に避難エリアのキーマンの一人というか。
そんな岩倉さんのお話これから聞かせてもらうんですけども、
このキセンラジオっていうのは和歌山でお見せしてたり、
自分で何か活動してる人が今までどんなことをしてきて、
今の仕事をどんな思いでやってるのかっていうのをインタビューしていく番組なんですけども、
岩倉さんの生まれから現在に至るまでのルーツとか、
現在のことをこれから聞かせてもらいたいんですけども、
まずルーツの部分から。
生まれが大阪で、北海道に行って京都にっていう。
これどういう。
ご家族のお仕事の都合とか。
うちの母親が教育熱心な人で、この学校行かせたいとか、
こういう環境で育てたいとか。
もう決めたら行動するような母親で。
それで小学校4年生まで、10歳まで大阪の普通の学校行ってたんですよ。
15年生になるタイミングで、
北海道旅行何回か行ってるなと思ったら、
引っ越すでみたいな。
もうあんまり訳分かってない10歳だし。
そうかと思ったら、
ほんまに引っ越すんやなって言ってから気づくみたいな。
北海道の同じところによく行ってた感じやったんですか。
よくって言っても、2回ぐらい。
なんかもう、記憶は吹きの塔のそば、ちょっと苦みあったなぐらいの感じしかないような。
そんな。
北海道のどういう学校に行くんですか。
やっぱりシュタイナー学校っていう学校で、
京都もそれで転校してるんですけども、
北海道のシュタイナー学校に行こうっていうことで、
僕4人兄弟の長男なんですけど、
下はまだ小学校入ってないタイミングで、
3番目の長女が小学校に入るタイミングかなって。
で、北海道に移住するみたいな。
シュタイナーってなんか、
子供できたらあるあるかもしれないですけど、
奥さんがちょっとなんか言ってくるみたいな。
そうなんですか。
そんなことないけどな。
単語は知ってるんですけど、
どういうもんか全然知らんくって。
確かに。
どういう、あるんですか。
多分、最近オルタネティブ教育とか言われたり、
教育にちょっと関心ある若者の世代も多いから、
奥さんがみたいなのはあるかもしれないけど、
僕ら小澤川に引っ越したときに、
シュタイナーって話して、
シュナイダーとか、
全然名前も覚えてないみたいな話ぐらい、
全然通じないようなあれやったんですけど、
最近はちょっと僕の周りでも分かってくれる人も多かったりしてて、
それもシュタイナー学校、
一言で言うのはむずいんですけど、
理念としては自由への教育って言ってて、
オルタネティブのいろんなスクールある中で、
自由な教育とかもあったりするんですけども、
自由への教育って言ってて、
全然自由じゃないんですよ。
自由なマインドというか、
アイデンティティ育てるために、
こういうプログラムっていうプログラムが、
12年間のプログラムが含まれてて、
小中高。
1年生から12年生まであるんですよ。
中3とかそういう区切りじゃなくて。
で、まず教科書ないんですよね。
宿題もないって、
小中とは言うてるみたいな、
ほぼないんですけど、
学校の先生が物語とかを話して、
それを自分にノートに取っていって、
自分で絵描いたりして、
自分の教科書を作っていって学んでいくみたいな。
家帰って、
与えられた数式を解くとか、
与えられた漢字を覚えるみたいなことは、
ほぼなく漢字とか算数っていうのも、
物語の中で覚えていくみたいな、
漢字の成り立ちの話されて、
その絵描いてみたいな。
なんか芸術の授業が結構多かったりとか、
結構色鉛筆とかクレヨンとかは、
ずっと持っているような感じの学校ですね。
小4まで普通の公立の学校で勉強してて、
5年からいきなりそういう環境になったら、
どうなりました?
これね、
その反動よりも、
大阪弁で北海道に行く反動の方が大きくて、
なんかテレビの中のやつ出てきたじゃないですけど、
めっちゃ浮いてるずっとみたいな。
大阪のノリで、
なんか滑ってる感あるなみたいな。
そっちの方がずっと気に入ってた。
中学校同校よりも、
なんか俺滑ってないかなみたいな感じの方が、
ずっと気になってるくらいだったんですけど、
学校としてはみんな先生も、
生徒とかクラスメイトとかも、
みんなすごい距離近いし仲いいから、
違和感が障壁になって受け入れられへんかったとか、
そんなことは全然なく、
むしろ北海道の学校は、
スタイナ学校って日本全国に色々あるんですけども、
その中でも、
自然との距離が近いというか、
自然のアクティビティ、
キャンプしたりだとか、
そういうのが授業の中に、
スキー行ったりとか組み込まれてて、
そのときレスキュー隊員上がりの人が、
自然アクティビティの先生してくれてて、
台風の前日でもどっか連れてってくれるみたいな。
授業中止にならないみたいな。
大自然を荒波に揉まれ、
本物の荒波に揉まれながら泳ぐみたいなとかを、
体験させてもらってて、
北海道のスタイナの特色は、
そういう自然の中で遊んだみたいな。
北海道のどの辺にあるんですか?
そのときは伊達っていうところにあって、
今横の豊浦っていうところなんですけども、
東亜高とか、
東亜高サミットとか、
G7とか開かれたようなところの近くにあります。
なるほど。
小学校時代は北海道で過ごして、
5年生から8年生。
8年生が中2みたいな感じ?
中2なんですけど、
一応小中等部の卒業の学年なんですよ。
9年生から中3から高等部なんですよ。
世間からしたら変なタイミングやけど、
スタイナからしたらめっちゃいいタイミングで、
京都のスタイナ学校に編入して。
北海道は中学校までしかないって感じですか?
あったんですよ。
なんかちょっといろいろ家庭の事情とかもあって、
あと僕自身もどうしたいみたいに言われたときに、
野球そのときもちょっとしてたんですけど、
どうしようかな、野球もしたいなとか、
結構迷ってるというか、あまり言葉にもなってなくて、
なんていうんですかね、
この環境じゃなくてもいいで、みたいなことは
多分親にも言ってたんやと思います。
でも嫌やっていうわけでもなくて。
下3人いて、ちょうどいいタイミングで
京都の学校に入れるってなって、
多分京都の学校に入ろうの話も出てなかった、
あと聞いたら、僕が北海道に行ったタイミングで、
京都に入れようかのタイミングもあったけど、
全員揃って入れるタイミングもなかなかなかったです。
全クラスだから受け入れ枠が、
一学年一クラスしかない。
さっきちょっと言い忘れてたんですけど、
1年生から8年生まで先生一緒なんですよ、ずっと。
親と同じくらい先生も子どもにずっと寄り添って、
成長過程を見てる中で、
この子にこのタイミングでこの声をかけるかとか、
こういう風なクラスの生徒同士の反応みたいなのは、
こういう風にたどってきてるからって見えてるという先生。
そういう中でやってきてる。
何言おうと思ったらいいのかな。
そういう中でやってて。
京都先行。
入るのかだから、
全部途中で入れる枠がないと入れない。
そういうクラスメイトの、
ムードじゃないけど、
コミュニティがある中で、
先生が今入れれるっていうタイミングじゃないと、
入れられへんかったりもする。
人数少ないから入れてる時もあるし、
人数多いから入れない時もあるし。
一クラス何人くらいなんですか?
25から30の間くらいですかね。
僕のクラスはまだ少なかったです。
北海道の6人とかしかいなかった。
京都行って17人とかですかね。
岩倉さんはお父さんお母さんとかで何をやってた人なんですか?
何をやってた?
お父さんは電気の工事の仕事してて、
ナンバーパークスとか梅田とかも、
俺工事したんやでって言われたけど、
どの部分どうやってたかは知らない。
電池設備屋でもないし、
商業施設の電池設備屋とか、
エアコンとかよりもちょっと大きいような、
みたいなところをずっと僕が、
多分その職業をやってるんですけど、
会社であったり個人事業主であったりとか、
今は会社作って会社でやってて、
弟もそこで働いてるんですけど、
母親は北海道に行ったタイミングで、
シュタイナーの親が勉強するようなスクールに行ったりとか、
してたのは見てたんですけど、
職業をずっと固定してるわけではなく、
福祉関係とか、
そういった職業をやってる感じですね。
じゃあお母さんが教育熱心でというか、
シュタイナーの教育を受けさせたいみたいな。
本当にそうですね。
当時ってめっちゃ早いですよね。
2000年代初頭ぐらい。
そうですね。
だからどこ行くかも、
僕も説明できないし、
親もどう説明してたかわからないし、
おじいちゃんもおばあちゃんもずっと、
いまだにあんまりよくわかってない。
京都行ってどうでした?
京都行って、
京都のシュタイナー学校は、
もう少し人数行ってたのもあったりとか、
あと、
北海道がめっちゃ自由に、
自然の中で、
世界の広さも感じるし、
自分もその中の一つであるじゃないけど、
自由やけども、
自分がいることもちゃんとわかるというか、
確認されるみたいな環境だったのに対して、
ちょっと社会っぽいというか、
先生が生徒に対峙して向かってくる感じとか、
その中で企画やりたいのがあったら、
教師会みたいなのに挙げて、
企画書を挙げて通して企画させてもらうみたいなのとか、
運動会みたいなのも、
高等部が手動でプログラムを作ってやったりとかが、
より形式があったというか、
社会っぽいというか。
そんな印象でしたね。
それは多分、小中等部の自由への教育というプログラムと、
高等部のより社会に出していこうという、
プログラムとの違いもあると思うんです。
北海道、東京の違いだけじゃなくて、
より社会に目を向けさせてもらったりとか、
人に目を向けさせてもらう機会を、
多くもらったような気がしますね。
学生時代の岩倉さんってどういう人だったんですか?
これ自分で言うのむずいっすね。
野球やってて?
そう、野球してたけど、
主体の学校は高校野球とか出れないです。
そもそも公式野球じゃなかったので、
中学、シニアで公式野球やったのに、
高校になったら男式で踊るみたいな。
スポーツ好きやし、
考えるのとかは結構その時から好きで、
野球とかで紅白戦になったら、
監督のチームと僕キャッチャーしてたんですけど、
僕キャッチャーで僕再配してるチームとやったりとか、
組み立てるのがその時から好きやった気がしますね。
その時何が好きやったとか覚えてます?
部活とか勉強とか以外のことで何に興味あったみたいな。
そうっすね、
京都なべの時は、
めっちゃ野球してたな。
京都なべ前の北海道時代は、
めっちゃ遊戯王とかリエールマスターズとか好きで、
おもちゃ屋さんの大会出たりとか、
しかもお前は全然そんなの買ってくれへんかったから、
人からもらったやつだけでデッキ作って、
強なって買って、
大会でカードもらったりして強なっていくみたいな。
そういうサクセスストーリーを自分が選んでいくのもおもろかったし、
ゲームもパワープロとか、
結局育てるのとかが好きで、
自分とチーム組むのが好きで、
そんなのしてたんですけど、
北海道の時やったら京都行ってすぐから、
データぶっ飛んで、
ゲームの世界やってるのに一瞬でなくなるみたいなのを体感して、
これちょっとリアルの方がおもろいんちゃうみたいなのを、
割と早めに悟ったんですよ。
全部データ飛んで悲しすぎて。
だからリアルの野球を結構、
自分たちだけでも練習、
休みの日でもノックしてたりとか、
自主的にやってたりとか、
学校の企画は結構好きで、
高校生レストランみたいなのが、
ニュースで聞いたかなんかで、
自分らもやってみようみたいなのを思って、
土曜日の教師とか保護者とかが集まって会してる時に、
自分たちで料理作って出して、
予約取って、
教室そういう風にして振る舞うみたいなのをやったりとか、
そういうのをやらせてくれて出して、
そのレシピ作ったりとかして、
仕込みしてやるみたいなのをやったり、
あとバイトずっと料理のバイト、
海石料理屋さんでしてたんですけど、
それもわりと真剣にやってたら、
認めてもらえたというか、
周り大学生、
料理長の当たりが強かったんで、
辞めてく中ずっと残ってたんで、
いろんなポジションやらせてもらえて、
厨房の方は、
デシャップっていうドリンク出したりとか、
ホールと調理場の間の役目みたいなのをさせてもらったり、
カウンターも出て、
そこで盛り付けしたりとか、
料理長の穂さんみたいなんで、
横について盛り付けしたりとか、
いろいろさせてもらって、
それも普通に楽しくて、
結構バイトもしたりしてましたね。
将来的に何しようとか、
その時ってどう思ってました?
マジムズイなって思ってましたね。
結構家庭環境は裕福の方ではなくて、
だからバイトもしてたんですけど、
思い通りいかへんなじゃないけど、
みんな普通に生きてるけど、
俺割と普通じゃないんやなみたいな。
当たり前に学校行けてとか、
ご飯も食べれてとか、
そういう普通は今からしたら手に入れてたというか、
させてもらえてたなと思うんですけど、
習い事するとか、
どっか旅行行くとか、
欲しいもの買ってもらうとかは、
すぐ叶わないような生活やって、
だから結構普通になりたいって思ってて、
それもずっと親友の友達が、
北海道から同じタイミングで京都に来たことなんですよ。
北海道の方からたまたま。
そいつと仲良くてずっと話してて、
そいつもめっちゃ何になりたいんとか、
めっちゃ聞いてくるんですよ。
普通になりたいから。
ちょっとやめてくれ。
やけど毎朝登校も一緒にするし、
下校も一緒にするから、
めっちゃ聞いてくる。
普通でいいわと思ってて、
草野球できて公務員とかなれたらいいなと思って、
高校に入るぐらい公務員の本買ったぐらい。
バイトとかで。
スタイナー教育の逆を生きてる。
5時に帰れると思ってたから、
5時に帰りたかった。
両親に離婚したりとかもあったから、
そういうのもあって、
円満な家庭でいたみたいな。
のもあって、
普通がいいんだってずっと言い続けて、
そんな僕に、
高橋あゆみさんっていう旅人の人の本を、
その親友がこれちょっと読んだらとか、
孫正義の本とこれ読んだらとか。
企画外のやつばっかり。
普通じゃないやつを読んでっていうのを。
最初ちょっとまあまあみたいな感じだったけど、
読んでみたらおもろかった。
これ週5、普通に働いて、
5時に帰って好きなことをするよりも、
全部好きなことできたらそれはいいよなみたいなのが、
そういう本とか、
親友の話とかで気づいたというか、
それはいいよなとさえも思わなかった。
割と納得したらそれやりたいって、
実現に向けて思考できるタイプなんですけど、
そもそも納得もしなかったというか、
週5、5時で働けて、
ちゃんと給料安定してる方がいいと思ってたんですけど、
まあまあできるんやったら、
週7好きな方がそれはいいよなって思うようになってから、
割と今につながる思考になっていった感じですかね。
それまでほんまに普通がいいと思った。
親友はなんでそういうふうに仕向けようとしてきたんですかね。
親友はね、あんまりあんま考えてなかったんですかね。
でも真逆のタイプやったんですか。
その方は結構将来こうなるんやみたいな感じの。
超抽象度高かったんですけど、
もうビッグでグレートな男になるっていう。
グレートティーチャーお兄さんかみたいな。
もうほんまに赤のダウンでここ銀色のファー付いてるみたいなのを、
高1から来てるみたいな。
ちなみにその友達は今は何をやってるんですか。
その子は今エンジニアしてます。
一春小沢側でも一緒に働いたりとかもしたんですけど、
今はエンジニアしてて、
今もちょうど連絡取ったりするんですけど、
その時は毎日連絡取るし、
アホなことも二人でやるし、
高校生レストランみたいな企画も結構二人で。
そいつにリーダーやってもらうことが多くて、
僕は裏で企画書いてるのが多かったです。
でも結局レシピ作ったりとかしてるのを自分やったりするんですけど、
やろうぜって言ってくれるやつみたいな。
なんかほんまに思い立ったらすぐ擦れて、
この2階から飛び降りても骨折れへんよなみたいな会話して、
ちょっとやってみるわみたいな。
学校の方で飛び降りて悲鳴になるみたいな。
すごいエネルギーがね。
先生とぶつかってもうええわみたいな。
ほんまにチャリで学校途中やのにどっか行ってもらうとか。
そういうやつなんですけど、
ほんまにずっと隣でキャッチボールも一緒にするし、
スイングボールも一緒にするけど、
普通ってなんなんみたいな、どう生きたいみたいなのを問われ続けてたというか。
人として好きなんで別にその会話を終わらそうとも、
まあいいからとか、お前には分からんやろみたいなことを言いつつ、
なんかどっかで考えてたんですよね。
なるほど。
スタイナー学校が12年生で卒業。
卒業後は岩倉さんどうするんですか?
卒業後は、これも12年生の話からするんですけど、
12年生の時にスタイナー学校卒業プロジェクトっていうのがあって、
卒論みたいなの書かなあかんですよ。
その卒論も体験型のレポートを書いていって、
最後スピーチで発表するんですけど、
1年くらいやって、
授業もそれの時間も入ってくるんですよ。
割とできる時間があるというか。
みんなそれで将来の感触を、
次どうしようみたいな感触を確かめたりとか、
一旦自分の区切りのためにやりたかったことやるみたいな、
いろんなスタンスでやる人がいるんですけど、
僕は料理してて、料理好きだったし、
料理しようかなとか色々考えてたんですけど、
自分の思ったことを形にするみたいなのがしたいだけで、
別に料理だけじゃないんだなみたいな、
ちょっと写真しようかなとか、
テーマを選ぶ期間を人より多めに撮って、
ケツがあるのにまだちょっと決められへんみたいな感じで、
写真やったりとか革細工やったりとか、
作るみたいなことをしてて、料理もしてて、
ちょっといよいよ決め屋みたいになった時に、
料理の方に行って料理するんですけど、
最初は塩の味いっぱい取り寄せて確かめたりとか、
卵の農家さん回って卵の味比べたりとか、
究極のオムレツ作ろうかなみたいな方向に行こうとしたんですけど、
僕が思いを形にするっていうのは具体の形じゃなくて、
結局食べた時喜んでもらうみたいなのをやりたい、
やりたいって欲しいって気づいて、
オムレツという手段というか、
プロダクトを作りたいわけじゃなくて、
それを思い立ってからは、
食べてもらうようは空間を楽しんでもらえるような空間じゃないと、
喜びが半減すると言い出して、
試食みたいに食べてもらったら、
僕のプロジェクトは完成制限みたいなのを、
チューターの先生とかにも言ったりとか、
レポート書いたりして、
教室にカウンター作り出して、
いっぱい空いてる教室に、
料理やってるプロジェクトなはずなのに、
木でカウンター作り出して、
そのカウンターから料理出して食べてもらうんやみたいなことを言い出して、
テーブルクロス買ってきて花積んで、
テーブルにセットして食べてもらうみたいな空間を作って、
そこで食べてもらったのを、
卒業制作にしたみたいなのがあって、
だから料理しようかなと思ってたんですよ。
それやってる中で、
発表がたぶん2月ぐらいとかなんですけど、
6月ぐらいとかに進路決めとかなあかんじゃないですか。
そうですね。
ちょうど遅いじゃないですか。
だから、
しかも勉強はアホやったから、
栄養かなと思って、
栄養やってる大学見に行ったりとかは、
春とかからかな、
知ってたり。
その前から知ってたかもしれないですね。
知ってて、
なんかちょっといまいちやな。
でも貧乏やったから、
なんでこんなお金払うかわからんなみたいなのをめっちゃ思ってた。
1年間100万ぐらいとか。
いやいや、やりたいかどうかわからんのにとりあえずに、
そんだけの金かかんのはちょっと考えられへんみたいな。
で、自分でバイトしてたし、
余計にお金の重みじゃないけど、
こんだけピトーナツやって15万とかにしかならんでんねんみたいな。
思ってたから、めっちゃ慎重やって、
先生とかに決めたらみたいな。
で、料理がいいんじゃんとか後押してくれる人とかもいて、
先生。
でも俺も料理になるって今決められへんわみたいな。
18で俺もずっと料理で生きていくとか、
なんかわからんみたいな感じで、
フラフラするっていう感じで卒業しました。
特に何も決めずに卒業っていう。
そうですね。
え、同級生とかシュタイナー学校行ってる人たちの進路って大体どんなもんなんすかね。
今ちょっとどういう分かれ方かわかんないですけど、
なんか大体僕の時よく友達とかで会話してたのは、
教育とかに行くのが3割ぐらいで、
芸術とかが3割ぐらいで、
国際とかそういうのに関しては3割ぐらいで、
1割バラバラみたいな。
めちゃくちゃざっくりですけど、
そんな感じかなっていう会話をしてる中、
大体進学するんですよみんな。
大体大学に行く。
それこそ社会と全然違うところの、
お庭の中で育てられたみたいな感じなんで、
みんなちょっと恐怖心あるというか、
そのまま社会に出る前に大学とか行って、
普通の人と関わっておきたい。
僕の言ってる普通とはまた違う感覚で、
大学とか行きたいみたいな友達は多くて、
進学する人が多いですよ。
でも受験勉強も対策とか学校でしてくれないから、
受験勉強待った後、
卒業プロジェクト待った後はしなあかんし、
6月ぐらいには演劇があって、
授業全部演劇になって、
フォークボーも演劇になって、
半年くらい演劇する期間があるんですよ。
で、卒業プロジェクトやってて、
演劇があってあってオーバーランプして、
また卒業プロジェクトあるみたいで、
一回演劇に全部みんな取られるんですよ。
だからそれ受験勉強本物にした人は、
バチバチ先生たちとする。
なんで演劇生だ、
早く勉強させろみたいな。
でも演劇は総合芸術みたいなことを
したいなと考えてて、
大道具作るのとかから、
その人の感情になるみたいなところから、
どうやって人に見せるみたいなことから、
脚本を組み立てるみたいなことから、
全部自分たちでする。
どの脚本にするかも自分たちで決める。
なんかその演劇とかやってるおかげで、
僕はそれを結構真剣にというか、
やらせてもらった時はやってたというか、
勉強が嫌だったというか、
どれかわかんないですけど。
そんな感じで過ごしたら、
卒業してましたね。
卒業後どうするんですか?
卒業後は、これも卒業前からの話につながるんですけど、
高3の春、
入学する、高3になる前か、
3.1行っちゃったんですよ。
ちょうど演劇の練習マットの中の時に、
めちゃくちゃソワソワするというか、
映像とかね、すごいショッキングな映像やし、
これ同じ日本でこれみたいなのを先生とかに話してて、
別にいかんでもできることあるんちゃうかとか、
いかんでもやろうとしてる人と話したみたいなこととか、
いろいろやって、いや何もしてない、自分でも思うとしてるだけみたいなんで、
その時の会話とかが引っかかってて、
ちょうどツイッターとかが出始めた。
iPhoneも割と早めにバイトしてたのもあって買ってたから、
ツイッターで京都の学生が、
討論というか審査についてとか、
原発についてとか、話してるみたいな、
サークルじゃないですけど、そういう討論会みたいなのがあったりして、
それ除きに行こうと思って、ツイッターで割とリップついてたような、
逃げやかそうな。
で、それ行き出して、大学生と仲良かったんですね。
高3の時に。
で、大学行かなかったのもお金の話ももちろんなんですけど、
大学生に大学何が楽しいとか、
どういうとこ学びになるのか聞いたら、
大体みんな学生団体のエピソードとか留学のエピソードを話してて、
大学に学費払わんでもできるやつばっかりやみたいな、
思ってて、
だから大学生と仲良いのはできてて、
すごいそういう話も聞かせてもらったりしながら、
学生団体でやってるところにも入ってたんで、
そのまま卒業したから、そういう人と関わりは持ててた。
そういう人と関わっていく中で、シェアハウスのブームもちょうど来始めてたところぐらいで、
ちょうど京都でもシェアハウスができ始めてみたいな時に、
京都のシェアハウスもそれもツイッターで見つけて、
1月ぐらいかな、卒業する前2月ぐらいとかに連絡取って、
見に行って内見して、そこは学生よりも社会人がいっぱい住んでたんです。
これも貧乏からのずっと繋がりなんですけど、
家賃なんで払うかも意味わからんかったんですよ。
なんでこの家賃とか土地代とか払わなあかんねんというか、
それのために働かなあかんのも微妙やったけど、
シェアハウスでそこに出会いがあったら、
出会いも含めてそのお金やったらいいかなと思える。
納得の量、しかも安いし、キッチン広いし。
そういう話してたら、ここで出会えたら面白そうやなって大人たちが住んでるシェアハウスに、
みんな若かった20代中盤くらいの人たちが住んでるところに入ること決めて、
2月、3月になる前にそこ入居決めて、京都市内に引っ越して、
そこ住みながらどうしようかなって考えたらいいかみたいな、
バイトしながら考えたらいいかみたいな感じで卒業して、
そこから高校の時にバイトしてたところは、
演劇忙しくなるタイミングで潰れたんですよ、そこちょうど。
オーナー変わるか一回締めるか。
居酒屋とかでちょっとバイトしてたりとかはしてたんですけど、
京都市内で違うバイト先探したりとかしていったら、
バイトしてるのがすごく面白くなくて、
結構任されてていろんなことができたのに、
ほんまに一部のコマでしかない感じが、
料理は喜んでもらう反応を見たくて料理やってて、
こんだけ考えていろいろやってたのに、
玉ねぎ一日だけ飲んでるみたいな機会でもできるようなことをずっとやってて、
あんまりしっくりこーへんくて、
そういう話をシェアハウスやってるオーナーとよく話してたんですね。
もうその3月とかからだから入った話してて、
そこのシェアハウスが、
カフェ付きのシェアハウスみたいなのを今後展開していきたいみたいな話になって、
シェアハウス増えすぎてて、
シェアハウスのコンセプト付きのシェアハウスっていうのを一個先のことやりたいと、
1階のカフェやってみえへんかみたいな感じでカフェの経営をする、
2階の家はシェアハウスの会社が用意してくれるから、
会社ってそこも大学卒業してすぐ作ったベンチャーって26とかの代表が、
下任せてくれるってなって、
物件の信用内から用意できないとそこのシェアハウスが用意してくれるから、
それじゃあちょっとやろうかみたいな、結構ドキドキして、
でも卒業プロジェクトの時に、
学校の中から喜んでもらえてるんちゃうみたいな、
ちょっと甘い空間で社会は厳しいねんぞみたいな、
中途半端の先生の厳しい言葉もあったんですよ。
それはそうやなとも思うんですけど、
その時の僕は結構それがチクッときたというか、
いやいや真剣にやっとんねんみたいな、
見返したいじゃないですか、多分それも引きずってたんですよ。
社会でやったとしても、
自分で提供したものを喜んでもらって対価もらうみたいなことが、
できるんじゃなかろうかと思ってしまってたところもあるやろうし、
でも借金まみれになったらどうしようみたいな、
というかまず開業資金とかどうしようみたいなのを18の時、
ほんまに朝までマクドでずっと考えた。
今でもそのマクド覚えてるぐらい、
どこの席座ってたかもずっと覚えてるぐらいめっちゃ考えたけど、
やらんって選択肢取っちゃったら、
またおもんないな続いてしまうなとか、
なんでやろうに傾けたかわかんないです。
名作書くにはやる意思決定をなぜできたかまでは覚えてないんですけど、
やることにして、
5月ぐらいからその話があって、
3月からずっと話してて、
もう2ヶ月ぐらいでやるの決めて、
5月から準備して、
7月の後半ばぐらいに開けてたかな。
えー。
どうしたんですか、もろもろ。
もちろんお金のこととか。
30万だけシェアハウスのオーナーが出してくれるって言ってくれたんですよ。
どの本とかネットで調べても、
だいたい300万から500万は最低。
だいたい1000万ぐらいあったら、
イヌキじゃなかっても始められます。
それ以外はイヌキですみたいな。
超スケルトンみたいな。
かわいい。
で、隣で一人大工みたいなおっちゃんがおって、
そのおっちゃんにちょっと声かけて教えてもらいながら、
一緒にコンクリートブロック安いやつ積んで、
カウンター作って、
京都の分厚い木のドアもらってきて、
そのドアでカウンターを上にして、
そういう風にDIYして、
コンクリートも自分で流したりとか。
そのおっちゃんのおかげなんですけど。
聞きつつやって、
シャーフスのオーナーも手伝ってくれたりとかして、
ずっと応援してくれて、
30万で改装はできるけど、
キッチンの中のものは無理やから、
Twitterとかで、
シメル喫茶店とか、
いらんのないかみたいなのをめっちゃ出しまくって、
大学の友達とかにも聞いて、
そしたら見つかったりもしていって、
冷蔵庫とかもらってくれたり。
で、もう金なさすぎるし、
免許もないから、免許ある友達に、
コメディーとか、
長い棒一個だけか、
軽トラ借りて、
それで積んで帰ってきて、
やりながら回収してました。
京都のどの辺のエリアやったんですか?
京都の第5次とかがある、
伏見のちょっと山品川みたいなところ。
はいはいはい。
なるほど。
そこで始めたのが、
まだ10、
僕8月誕生日なんですけど、
まだギリ18の時。
すごい。
そこで働くことになって、
でもそこはもう僕はツールの使い方知りたいだけやから、
ずっとここで働きたいとか全然思ってないしみたいな、
尖りまくってたよね、
ぶっちゃけて言うてて、
で、
いいよみたいな感じで、
でもいろんなその、
そこいろんな商材があって、
エクステが一番売ってたけども、
ポップティーンとか雑誌、
あれに出てくるようなウィッグがめっちゃ売れてたんですよ。
若月翼とかをモデルに使ったような。
で、それのパッケージ作るのを手伝いさせてもらったりとか、
写真素材とかもワンカラーでしかスタジオで撮ってこなくて、
あとフォトショップで全部色変えるんですよ。
柔軟パターン。
エクステの髪の毛の色変えるみたいなのから、
フォトショーの使い方を習って、
で、ポップティーン2年分くらいも読み漁って、
そのテイスト作るとこから、
イラレの使い方とかフォトショーの使い方を覚えて、
が、最初の仕事のデザインやっていくみたいなところの、
どっか借りというか、
それの使い方を覚えていきつつ、
そこは本町に会社があったんで、
京都からもうこの瞬間だけでも大阪行った方がいいと思って、
大阪のほぼ西なりみたいな、
ギリギリのところに住んでて、
で、パソコンとかももっといいの買いたいしとか、
もっとしたいと思ったらお金もいると思ってたから、
めっちゃ夜もバイトして昼間そこ行って、
自分でも仕事をバイト先の雨村でやってたんですけど、
カフェでちょっと作れるんでやらせてくださいとか言って、
バイト作って、
ずっとパソコン開いてきながらやってるみたいな感じで、
それ半年くらいやった時に、
その親友アメリカに行ってたんですよ。
大きなグループになる親友アメリカにおったんですけど、
ちょっと帰るわみたいな、
そいつハーバードに入るって言ってアメリカ行ってたんですけど、
ハーバードにアメリカから入る方が入りやすいと思って、
まずアメリカ行ったけど、
どうやら日本からも入る確率そんな変わらぬそうやし、
ここにおってもすぐ入れるわけじゃないから、
自分のゲーム体験とか成功体験持ってるやつの方が入れるから、
入るために何かするんじゃなくて、
まず何か真剣にやろうと思ってねみたいなのとかを、
よくスカイピーとかで話してたんですよ。
で、僕デザインやってるの知ってて、
その時にフェイスブックの映画、
ソーシャルネットワーク、
あれをその友達が見て、
ヤバいみたいな、
ザカシも見ろみたいな、見るわみたいな、
見て、これすごいなみたいな、
俺らも何かやろうかみたいな話してて、
じゃあ俺帰ってくるわってなって、
二人で京都の家借りて、
もうサービス開発しようみたいな、
そこの会社辞めますって言って、
ちょっとサービス開発したいんで、
何ならちょっと出資して下さいみたいな、
で、なんかちょっと業務委託みたいな感じで、
そこの業務をめっちゃ高単価でやらせてもらって、
出資地に代わるみたいな、
作りでやらせてもらって、
で、京都で家借りて二人で住んで、
開発しだしたんですよね。
が、カフェ一年、
20歳ぐらいの時、
19か、
19の時、
その時は何を作ろうとしてたんですか?
人のオーラまで含めた言語化されてないものが分かる、
なんか言ったらフェイスブックみたいなのができたらいいなと思って、
フェイスブック見たら過去のタイムライン分かるけど、
その人どんな人って会うまで全然分からんけど、
なんかもっと分かったらおもろいのになみたいな、
なんか人って何種類か、
8種類ぐらいになったわけでそうじゃないですか。
まあ今ね、いろんな簡単なやつがあるけど、
なんかあれをもうちょっと複雑に分けて、
人のタイプみたいなのが登録できて、
それでマッチングしたりとか、
その人の可視化みたいなのがビジュアライズできるんちゃうかみたいな、
もう激ムズすぎて、
まあ言ったらビジョン持ってるのは彼やったんですけど、
土台して形にするのって、
デザインってどうすんのやっけみたいな、
めちゃムズやって、
彼もコーディングするのめちゃムズやって、
けどなんかできるの買って、
プロトタイプ紙で作ってみたりとか、
いろいろしてて、
で、何ヶ月くらいかな、3ヶ月くらいですかね、
なんか全然やっぱりできないんですよ。
やっぱりこのままやったら、
家も借りて持ってるけど、
どうもならんのちゃうみたいな、
ヤバいんちゃうみたいな感じになって、
前働いてた会社のツテやったりとか、
そこからのまた繋がりとかで、
なんかこの、
ちっちゃいデザインワークとか、
ちょっと撮影来てくれみたいな、
小銭稼ぎ始めるんですよ、
食うために。
したら、
俺そのためにデザインしたかったんじゃないのにな、
っていう案件しかないわけですよ。
どうしても仕事食わせたいって言ってるんで、
なんかもう赤にしてって言われた名称は赤で収めるみたいな、
これ民調体内で言われたら、
ああそうですかみたいな、
もう全部そういう指定の、
作業オペレーターをしてるような状態やって、
いやいや、なんかこれデザインに力あるって言ったら、
なんか真逆の世界を売るみたいな、
で、自分でやろうとしたアプリも結局、
自分が意思決定して構想がないから、
形にもできないし、
それをヒアリングして形にしてあげる、
みたいな能力もまだないみたいな、
不勉強すぎたというか、
なんかツールは使えるようになって、
ちょこちょこ作業スピードだけ速いやつみたいな、
めちゃくちゃ優秀なサラリーマンでしかないみたいな、
どこがデザイナーなんやろみたいな感じになって、
その時に、
それも半年ぐらいやったタイミングぐらい、
で、大阪の社団法人で、
ソーシャルビジネスの創業の支援してる団体があったんです。
会社が。
そこがリクルートかけてて、
裏では大阪府の事業で、
ソーシャルビジネスを生み出すみたいなのが、
結構委託の小企業で動いてて、
そこが受託してて、
サントリーとかミキハウスの人とかが、
リーチとかにおって、
要はもうちょっと公共的に作っていこうみたいなのがあって、
で、そういうところでやれて、
創業の支援したら自分も創業する時に役立つし、
自分のデザインの能力とか、
しかもソーシャルビジネスっていったら意義あるし、
あそこに入れたらと思って、
面接しに行って入るっていうのが、
20、
もうすぐ21かな、20の時。
1年カフェして、
半年、
デッチボコとか働いて、
半年アプリ開発して、
大学3年目の年みたいな時に就職して、
すごいですね。
なるほど。
怒涛の。
じゃあそこで初サラリーマンというか、
そうですね。
どうでした?そっちの仕事の方は。
仕事は面白くて、
ちょうど同じタイミングで来てた人が、
AD系でバリバリやってた人とかが、
一緒にスタッフしてたんで、
しかも同じタイミングで入ってきてたから、
年齢的には先輩やし、
いろんなことを教えてもらいながらも、
すごい近い距離でやれて、
いろいろそこで、
気づかされるというか、
改めてもう1回勉強させてもらって、
組織もそんなに多くないから、
任されることがすごい多かったけど、
全部おもろいなと思えたから、
もう夜、カフェでシャワーだけ浴びれたらいいみたいな感じで、
オフィスで寝てるみたいな感じぐらいの日も、
何日もあったぐらい、
それはなんだろうな、
もうほんまに目の前を頑張ったら、
なんか気持ちいい瞬間やったというか。
具体的にどんな感じでしたか?
具体的にどんな仕事をしてたんですか?
そん時は、例えば、
ハッカソン、
エンジニアの開発するのを、
もっとソーシャルなイノベーションを起こすために、
エンジニアだけじゃない、
ステークオレガも入れてやるみたいなのとかの、
大阪府の授業の、
何故か担当者、ディレクターみたいなのもさせられてて、
大阪府と打ち合わせをするし、
会場に講師呼んできて会場を回すみたいなのをしたりとか、
イベント業というか研修業に近いんですよね。
そん時、それ以外にもそういう授業が、
6個ぐらい動いてたんですよ。
ハッカソンは僕担当で、
それ以外の全部の授業のPRも僕やったんですよ。
客担当やしてPRするのと、
どうやったらコマーシャルがあるかなとか、
どういう広告の出し方をするだろうみたいなのをやったりとか、
あと全然別の授業で、大阪府の住宅授業以外に、
ソーシャルビジネスのビジコンを開く、
証券会社の住宅授業で、
証券会社から言ったらスポンサー、
運営は僕らみたいなものを、
一式会場の装飾作ったりとか、
100万円みたいなボード作ったりとか、
Tシャツ作ったりとか、
広報券ももちろんしたりとか、
それのブランニングを携わらせてもらったり、
あとはそこに出てくるソーシャルビジネスの、
今結構有名になっているような人たちもいるんですけど、
本当に現体験から解決したい社会問題に向き合って生きている人たちの、
要はスライドとか見て、
一緒に意見を出し合ったりとかするのに入れてもらって、
すごい熱量やなみたいな、
そういう本気みたいなやつに出会えた瞬間、
本気の大人たちに出会えた瞬間がすごく多かった時間でしたね。
その期間はどれくらい続くんですか?
1年です。
それも大阪府の授業をやったから、
残ろうと思ったら残れるけど、
1年の任期付きでもいけるっていう話もあって、
1年で全部勉強していきますみたいな強気なことを言って、
それの常務理事というか、現場のトップにおる人も若かったんですよね。
その時6くらいたぶん。
でもバリバリ自分でも会社やったり、他の会社の子もやったりとか、
すごい強気な人でもあったし、背中見せてくれる人であったから、
その人にもちゃんと宣言して、
自分でやってくれる力をつけられるようにやりたいんで、
1年で仕事くださいみたいな感じでやらせてもらって、
でも1年でやるって言ってるから次のこと考えなきゃいけないんですけど、
どういうデザインしていこうかなとか、
どういう風に自分は働いていこうかなとか考えた時に、
京都に家があったんですけど、通うのがめんどくさくなって、
先で行くカフェで泊まったりとかしつつ、
でもたまに帰ってたらソーシャルビジネス関わってて、
車椅子の人のとか、耳が聞こえない人のとか、
そういう社会問題を愚直にやられてる人がいる中で、
普通に働いてる人全然楽しそうじゃないよみたいなのを、
通勤の時とかにすごい思うわけですよね。
めちゃくちゃ面白くなさそうな顔で、
電車乗ってる人たちが満員電車で、
誰がこれ行きたくて行ってるんだろうなみたいな世界線にいてて、
もっと普通に生きてるのがおもろいみたいなのってできへんのかな。
逆に言ったら1個の社会課題に命燃やすみたいなこと、
僕はできへんかもしれへんなみたいな。
そんな課題と思えてることが1個に定まってない。
そうおっしゃったことをデザインしたいと言ったとしても、
僕が1個の企業家になるみたいなのはあんまり考えられへんし、
そういう人ができたらと思うけど、
そもそも生きてるコミュニティ自体が健康的というか、
なんかできへんのかなと思って、
その時に振り返ってたのがやっぱり、
働くために生きてるみたいな。
生きてるためにちょっと働くがあるはずやし、
働く中で生きてる中で得たい感情も得るはずやのに、
働かなきゃが先にありすぎる。
それなんでやろって考えたらやっぱり家賃かかるとか、
生きてるためにかかるものがありすぎるなと思って。
でも地方やったら土地余ってる家は余ってるとか、
田んぼ余ってるとか、余ってるものあると言う場所もあんのになみたいなのが、
漠然と思い出したのが半年くらい働きだした時くらいで、
そっからは毎週どっか地方に行ってました。
給料全部電車代とか飛行機代だったんですよ。
それはどういう目的で行ってたんですか?
地方の普通に働いてる人がおもろい場所を見つけにというか、
ぎゅうぎゅう人が押し込まれて家賃高くてみたいなところじゃないところで、
楽しそうにやってるコミュニティってあるんちゃうかなみたいな、
その時地方創生がちょうど言われ始めた頃くらいで、
山崎亮さんとかLスタジオとかがちょっと出始めてて、
そういう現場ってどういう現場なんやみたいなものを見に行ったりとか、
ツイッターでそれこそアポ取って行ったりとかしてて、
要はどの土地でどうやっていこうかとか、
コミュニティデザインとかそっちの方に結構自分のデザインの考え方がシフトされてた瞬間。
ソーシャルデザインの分野の中で。
小坂川に行くよく行く、一番最初の衝動になって。
いろんな地域行った中で小坂川に移住というかするわけなんですけど、
小坂川に決めた理由っていうのはなかったんですか?