1. kisenradio
  2. episode.85 ヒトノハ 岩倉昂史..
2026-09-09 1:07:11

episode.85 ヒトノハ 岩倉昂史さん 後編

今週のゲストは株式会社ヒトノハの岩倉昂史さんです。


どうぞお聴きください💁‍♂️


talk topics


ちょっとヒッピー/株式会社Kozacara/地方とデザイン/ずっと暮らすからこその選択/デザイナーからディレクターへ/株式会社ヒトノハ創業/同志のデザイン/真剣に考えてる人たちの共通項/汽ノ舎


番組のオープニングとエンディングの楽曲はお寿司のともみさん @osushinotomomi のアワーヤングです。


楽曲が気になった方はお寿司のともみさんの通販サイト、Spotifyをチェックしてみてください。

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サマリー

今回のゲストは株式会社ヒトノハの岩倉昂史さん。移住先として和歌山県串本町の小沢川を選んだ理由や、移住当初のヒッピーのような自給自足生活について語られます。その後、デザインの仕事を通じて地域との関わりを深め、株式会社ヒトノハを創業。デザイン会社として、単なるビジュアル制作に留まらず、クライアントの目的や社会との繋がりを見据えた本質的なデザインを提供しています。また、地域活性化の取り組みとして、空き家を活用した複合施設「汽ノ舎」の設立や、地域固有の価値を形にするための共同開発プロジェクトにも注力。自身のデザイン観や、地域社会への貢献に対する強い使命感、そして「混ぜる」ことをコンセプトにした活動について熱く語る内容となっています。

小沢川への移住と初期の暮らし
いろんな地域行った中で、その小沢川に移住というか、するわけなんですけど、小沢川に決めた理由っていうのは、何かあったんですか?
そう、その時、十一都道府県ぐらい、まあ都道府県の中でも言われてるけど、都道府県別で十一ぐらい行ってて、
えっと、北海道に住んでた経験があるんで、雪国はちょっと雪かき背中って、いわゆる小屋建てても潰れそうみたいな、
ちょっと難しいなと思ってて、南の方ばっかり見てたんですよ。
ほんで、3.11も僕の中ではざわざわなきっかけやったから、原発の横とか行って何かあった時に、そこのコミュニティー気に入ったのにどうしようもなくなるみたいなのはちょっと違うかなと思って、
で、原発その時、地図上でマッピングしたら、150キロ圏内で離れるのが和歌山とか沖縄とか北海道しかないんですよね。
へー。
でも、そんなこともありつつ、割と隣はやめとこうみたいな思って、いろいろ散歩してて、
鹿児島行ってみたりとか、山口行ってみたり沖縄行ってみたり、暖かいようなところを割と行ってて、
で、最後沖縄、山口、和歌山、小沢川みたいな3つぐらいが候補やったんですけど、
全部暖かかったり、そこの土地の人と繋がったりとか、大きい要因。
でもその中で小沢川は、来たらいいやんってすごく迎えてくれたことと、実際家あるでとか、次のステップのことまで具体的に話してくださったのとかの、
ご縁とタイミングがちょうどよかったという、1年区切りでやめられる、ちょうどここやったらやめやすいみたいなポイントと、
この話進んでったらいけそうやなみたいなポイントも他の土地よりも大きかったのと、
あと山口とか沖縄とか行くときめっちゃ旅行気分になるんですけど、実際小沢川の方が行く時間長かったりするんですけど、
でも地続きやから、しかも大阪生まれで、和歌山って隣の土地みたいなとこあるから、和歌山行くねんってちょっと気があるというか、
そういうとこで暮らしが広がっていく感じとかするかもなと思って小沢川に決めましたね。
小沢川ってどこでしたっけ?
収録小沢川でやろうか、次。
和歌山の串本の山川です。
中にちょっと入っていたとこですね。
なるほど、それはわかりやすい。
面積で言うと和歌山で4番目に大きいんですよ。
そうなんですね。小沢川町。
でも人は北山村の次に少なくて、村の中下一番少ないんですよ。
ほとんど木、岩みたいな場所です。
小沢川は引っ越してどういう感じになっていくんですか?
最初1年目は、ちょっともうヒッピーみたいな思想になってて。
いつのまに?
コミュニティの時に、司法とか見てた時に、
エネルギーの問題とか自然環境のこととか考えたら、
そもそもお金使わなあかんのも、
使わなあかん環境がセットされてる。
水道がセットされてる。だから下水も除水も払わなあかん。電気もそうやし。
けどこれ、そもそも自分が使いたい分だけ使えるような環境を
ちょっとデザインしていくことができたりするかなとか。
パーマカルチャーとか、そっちの方とかをちょっと勉強したりとか、
実践してみたいなとかもあって。
そんなことを思ったら、ちょっとヒッピーになりたかったわけじゃなくて、
なんか寄りになってて。
行った当初は、DIYめっちゃしたかったというか、
家いじりたかったから電気は引かない。ちょっと無理やな。
電気引いたけど、ガスは引かんでもいけるかと思って。
薪で生活しだして、ガスは契約せんくて。
IHやからとかじゃなくて。
毎晩薪でご米炊いて。
炊飯器も使わんかった。
ドラメーターでやってて。
で、鶏買って畑して、
生活し始めたのが最初っすね。
ちょっと自給自足的な。
地域との繋がりと会社創業
その時ってまだ独身ですか?
独身です。
そうなんですね。
独身からできたから。
でもその時に一人で田舎行くのとか、
別に専任になりたいとか貧民になりたいわけじゃなかったから、
みんなに行こうやとか言ってたんすよ。
面白い土地見つけてきたから、
みんなで村作ったらいいよみたいな。
村長なんのが夢やねんぐらいの感じで米炊き言ってて。
大学休学したこと、
旅先の沖縄で出会った高校を中退して旅してたことが、
2人が一緒に住んでくれて3人で住み始めるんすよ。
2月ぐらいとかやったかな。
避難の2月はわりと暖かくなってくるというか、
寒い印象なくぼかぼかしたところで、
開婚し始めて、
狩猟の免許取ったりとか、
石拾ってきてピザ窯で行けるようにして、
Bもその時グレーというか、
別に誰でもやってもよかったような感じで、
カウチサーフィンとかそんな感じやったから、
結局一年で100何人ぐらい泊まりに来て、
それでも飯食えてるというか。
大阪とかで繋がり合った人たちが、
その人たちからしたら超非日常で、
おもろいことを岩倉が始めたみたいな感じで来てくれたりしてて、
やってたんですけど、
みんなでそういう暮らしの考え方とか、
環境のデザインみたいなのをやっていけたらいいなと思ってたんですけど、
ヒッピーとか仙人みたいな感じに映ると、
田舎版ミッキーマウスじゃないですけど、
それを超必死に遊びに来て、
おもろかったって帰って何も影響はしなくて、
僕らだけがここに存在してるというか、
その日々を毎回同じピザ窯作ったので焼いて、
うなぎとか皮取りに行って喜ばれて、
同じパターンやなとか、
半年ぐらいですぐ同じやな、
これやってたもんなみたいな感じになってきて、
もちろん自分の消費してるものみたいな、
クリエイトする前に自分が消費してるものにまず意識ちゃんとしたいみたいなのもあったけど、
それだけやってたとしても別に究極になりたいわけじゃないというか、
納得していきたいし、
気持ちよくみんなといきたい、
それをどういう風に共有するかっていうのが、
コミュニティでできたらいいなと思ってたけど、
息切ってるやつみたいになってきたから、
違うなみたいな、
その時にずっとデザインのことも、
その時は月一ぐらいパンフするかどうかとか、
大阪のステアリーしていくことちょっとしたりとか、
小田川の仕事ちょっとさせてもらったりとか、
し始めてたけど、
もっと大きい町づくりとか、
大きいジビエとか果樹とか、
大きいのに絡んでいこうと思ったら、
お金ないし、
集中してやれる環境じゃあんまないなと思って、
短い、
小銭に稼ぎのためのデザインじゃなくて、
でも気持ちよく生きるは自分のライフスタイルとしてできてると思ってたら、
それできてなかったみたいな、
ヒッピーに専任になって非日常になってしまってるみたいな、
どうやったらいいかなと思った時に、
ちょうど小田川以外の人たちとも、
半年経ったないぐらいかな、
関わり始める機会とかがあって、
勝浦おもろいやんみたいな、
福島どもおもろいやんみたいな、
熊野っていう人おもろいねん、
気づき出していって、
じゃあ自分が生き切るんじゃなくて、
ちょっと人が足らんみたいなことやったりとか、
もうちょっとこういう人とこういうプロジェクトできたりとか、
課題感はいろいろあるから、
それとより良い社会じゃないですけど、
どういうふうに自分たちが調子で生産していくのかみたいなところを考えながら、
自分たちのビジョンを改造で上げていくみたいなことが、
みんなと一緒にできたとしたら、
このエリアおもろいなみたいな感じになってくると思って、
ここ変なやつおるじゃなくて、
このエリアおもろいなみたいな、
そうしたら、
例えば民宿若田家で働きたいって言った人が出てくるとか、
僕の友達来たらここで働いたらどうとか、
1000人になる以外にもここに一緒に暮らしていけるようなイメージが湧くなと思って、
おいしいもの食べたりやったらあるあるのケーキあるよみたいな、
周りの人たちと一緒に作っていった方が面白いかもなって思って、
もうちょっと長い期間でできるデザインやりたいな、
でもお金、目の前の稼ぐのそうしたらなんか違うな、
会社にして資本金とかあったらいいのになとか思い出して、
出資してもらおうと思って、
出資してもらうことを考えて、
99%株出してもらって、
1株だけ自分出して、
5万1株だけ出して、
495万出してもらって、
株式会社作ったのが小坂っていう会社で、
それは誰に出資してもらったんですか?
大阪におった人で、小坂側におばあちゃんの家があった人で、
その方と美容メーカーの社長からつなげてもらって、
あの人の小坂に会ったで、みたいなことを言ってもらって、
それで出してください、いくらやったら、
すごい。
そこでできた会社が、
小坂から。
それが21の時です。
すごいですね、ペースが。
22になってた。
21で小坂側来て、
それこそ夏ぐらいでみんな就職決まっていって、
ちょっとそれで焦りもあったんかも。
でも22になってすぐ10月に同期して会社作って、
自分その会社に就職したみたいなことをしとこうと思って、
ちょうどみんな4回生ぐらいの年に会社作ってきました。
ペースがすごいですね。
なるほど。
小坂側はデザイン会社ですか?
デザイン会社ですね。
人の派と同じです。
それがちょっといろいろあって、
人の派に蔵替えしたみたいな感じです。
株主が出資してもらってたのから、
自分の持ち株会社にしたのが人の派みたいな。
なるほど。
なので今は自分の持ち株会社でやってるみたいな感じですね。
小坂創業してどうでした?最初は。
デザイン事業の展開と地域への貢献
最初、
それこそデザインっていうものの認識が、
ビジュアル作ってくれる人でしかないじゃないですか。
でも僕の言ってるデザインはそもそも何をしたくて、
どのくらいの単価取りたいか、どのくらいの見せ方をさせなあかんで、
それを手に取る人がどこでタッチポイントがあるかみたいなことを話して、
一時力感のパンフレットをやったんですけど、
そういう話しながら作ってたら、
すごい気に入ってもらえたし、その後効果もあって、
その周りで、
要はリニューアル後の姿が分かりやすかった。古かったから。
周りの人たちがこれやったの誰やってなってもらいやすいような事例やったんです。
それで周りからお仕事もいただいて、
最初1年目、お仕事が尽きないような状態になってきて、
逆にちょっと長いデザインやりたいから、
街の人たちとも話したりとか、
仕出したり、商工会に入るとか、
その街のことを考えているようなところに踏み込んでいきつつ、
やりだしたのが1年目でしたね。
結構いきなり軌道に乗ってというか。
1年目はでも売上がそこそこで、
会社自体は多分赤字だったかな。
でも2年目の仕込みがめちゃいい感じにできる。
NHK若山の取材が来てくれて、
放送してくれたんですけど、
それが反響が良かったのが、
ディレクター様が頑張ってくれて、
近畿で放送されて、その後日本で放送されて、
その後NHKワールドでも放送されたんですよ。
翻訳も続いて。
その放送された日に問い合わせも出て、
他府県からも依頼が来るようになっておりまして、
若者が今の関西で地方に入って、
これからの地方のことを考えてデザインしてくれてるみたいなのを
言ってくれてあざすみたいな話。
時代的にもちょうどいい感じというか、
さっき言われたみたいな地方創生みたいな
いい流れがあってのことだったんですかね。
そうですね。
あとは住みながら考えるスタンスを
めっちゃ大事にしようと思ったんですよ。
やっぱり外から、
よその目ってめっちゃ大事ですけど、
外から来てやれるのと、
その中の日常も理解した上でやるみたいなのが、
もう技量で言ったら先輩方たちがいる
都市部のデザインが一緒に勝てるわけじゃないけど、
いながら理解して泥臭いものを作るんやったら、
自分の方がもしかしたらできることもあるかもなっていうスタンスを
結構最初に大事にできたから、
ちゃんと頼ってもらえたというか。
外からコンサルが来たみたいな話にならずに、
寄り添ってる感じがすごいしますね。
でも痛いことも言えるというか、
これそもそもどこ行くんすかとか、
誰が来たいんすかこれじゃないけど。
でも実際外から来てるわけじゃないですか、
その辺なんか地域の人から反発あったりとか、
そんなのは特になかったんですか?
結構可愛がってもらえたですね。
住んでる覚悟なんじゃないですかね。
2年目の終わりぐらいに結婚してるんですよね。
3年目始まりぐらいに結婚してて。
そんなんも多分あったりとか。
それですぐ子どももできてるから。
それで周りの人たちは余計に子どもできた時も
集会所に集まってくれて、
もちまきしてくれるみたいな。
なんすかその地域に遂げ込み力っていうか、
なんか気ぃつけたこととか。
地域に遂げ込み力。
でもあらゆる頼まれ事とかあるじゃないですか。
いろんな判断を、
今ここにいないから言い方むずいんですけど、
ずっとここに住むと思って、
イエスかノーか決めようと思って。
明日のことで考えたらちょっと嫌やみたいな。
めんどくさいなみたいなことめちゃくちゃ多いけど、
ずっと居るとか思ったら、
これはやっとこうかなみたいな。
なんか山水止まったから水道山の方まで見に行かなあかんねみたいな。
ずっと居るんやったら理解しとかなあかんから、
どういう風に水もあるから理解しとこうって思っていくし、
消防団も入ったりとか、
そういうのもずっと居るからの選択で
してたのは一個あれですかね。
あと田舎厳しいぞハードルを周りめっちゃ上げてくれたんで、
めちゃくちゃ丁寧にせなあかんというか、
気使わなあかんみたいなのを思ってたら、
ハードル低かったというか、
めっちゃ思ってるより良くしてくれるというか、
正月とかも自家帰らんって言ったらカニ君に来いって言って、
家でカニファンと一緒にカニやめく歌りとか、
そんなんあるんやみたいなのを。
なるほど。
じゃあそのまま仕事も暮らしも順調に進んでいってという感じなんですかね。
そうですね。順調って言っても、
結局仕事の一個一個は努力さんで、
そんなめっちゃウハウハ儲かることもないし、
日々子育て、子供生まれた時も全然家帰ってこへんみたいな、
中暮らしで何したいみたいな妻から言われる時もあったし、
でも目の前のクライアントのことやってる時とか、
もうちょっと憑依してるから、
自分がクライアントの中の人みたいな感じぐらい考えてるから、
手止められへんかもなってた。
仕事のペースもつかむまで時間かかったから、
ずっとやれるだけやらないみたいなのもあった時期ももちろんあるし、
順調、いろいろありましたけど、
10年きましたみたいな。
今でこそ結構人の波ってメンバーが多い感じなんですけど、
その初期からどんな感じのメンバーでやってたんですか?
1年目1人やけども役員3人で入ってはもらってて、
仲良かった子とかで入ってもらったけど、
結局その人たちも自分の仕事ついたりとかして、
特に何かできるわけじゃないから役員も抜こうみたいな話になって、
2年目はインターンで大学教育してくれて、
別の子が来て、今社員なんですけど、
その子が来てくれて1年働いたり、
親友も1年ジョインしてたりとかして、
2年目3人ぐらいの体勢、ちょうどNHK出た時とか3人体勢になってて、
ちょっと業務見たくて外のデザイナーにもお願いしたりとか、
その時に今木野社員と一緒にやってる、
渋とかしてる水底とかも手伝ってくれたりしてて、
10年ぐらい一緒に仕事してるけど、
その中だけじゃなくて京都とか大阪とかの繋がりも活かしつつ、
そういう人たちも来てもらいながらやったりしてて、
だから早々デザイナーというよりもディレクターになっていくというか、
自分の役割が。
で、2年目、3年目の時かなに、
大阪芸大出てこっち戻ってきたいみたいな、
僕が一個年上の子やったんですけど、が入ってくれて、
その時に全米やってるのかな。
これ2年目かな、全米とか作ってて今も社員ですけど、
3人で次の年4人みたいな、
1人入って1人抜けてみたいなとこがあったりして、
ハーフタイムとか入れたら多分6人ぐらい入って6人ぐらい出てる10年くらい。
もうちょっと多いかもね。
今10人だけど総勢関わったので言ったら、
16人ぐらい7人ぐらいおる感じですね。
その人ごとに調整あったりとか物語があるから、
まあまあ一筋縄には全然行ってないですけど、
出資してくれた会社の、
これちょっと言い方気をつけなあかんですね。
ホールディングスの会社にするっていう話になって、
ホールディングスが持ち株会社になって、
うちの株持つから、
僕1%株持ってたやつをもう売ってほしいとなったんです。
その1%の株を99%の株に対して反対できる株に対して、
ほんま51%持ってたやつの方が強いじゃないですか。
何株持たれようがこの1%を黄金株として発行して、
全部の意見に反対できるみたいな株を僕持ってたんです。
その条件でお願いしてたんです。
それも全部ホールディングスに渡して、
ホールディングス管理してホールディングスの役員になってほしい。
地方のことやったりとか、
君ができる力でホールディングスの他の10社ぐらいの会社のことも一緒に考えてほしい。
ありがたい話だなと思って。
ホールディングスのことも仕事でやらせてもらって、
ホールディングスのデザイン業務とかも小坂はしてたし、
各州で2週間に1回大阪のオフィス行って、
ホールディングスの役員会議出て、
10社の経営も一緒に見させてもらったんです。
それで経営のこととかをすごい見れるようになって、
今デザインだけじゃなくてどうしていきたいかってなった時に経営のことまでも踏み込んで、
決算書の話とかどうやって組み立てるかとか、
銀行の借り入れの話も一緒にしに行くみたいな。
それから行けるところで自分のポジションもあったりするんですけど、
その時はそれのおかげでそういう能力、
いろんな会社の決算書を見て自分ごとで考えさせてもらうみたいなのを付けさせてもらったりとかしてて、
それも人と一緒にやっていく難しさというか、
小坂側に帰ったらデザイン会社の社長やけど、
ホールディングスにしたら1役員で、
ホールディングスの中のいろんなことがすごくある中を
うごめいていくのも一緒にさせてもらったりとかしてて、
5年間それをして、
ちょっと卒業させてもらって、
自分で人の派にしてそこの会社と離れてやりだしたけど、
社員もお客さんもこっちについてきてくれたんで、
全部人の派でやったんで、結局やってることは変わらないんですけど、
新規一点新たに。
持ってたものとか事務所とかは小坂側の契約やったから、
それは前の会社にそのまま置いていった形で、
そういうハードの部分とかはそのままやけど、
人とかお客さんとかソフトの考え方とかは持って行かせてもらって、
でも実績とかは持っていけなかったらお金は持っていけなかったりとか、
それがちょっと1回だからここで、
そんなに給料も取ってなかったから貯金もないのに会社辞めなきゃみたいな、
もうすぐ子供生まれる、2人目生まれるみたいな状況で、
そうなんだって思って、どうしようみたいな。
株式会社ヒトノハの設立と事業拡大
子供を貯金からお金を下ろして資本金にして、
妻に今のタイミングで何考えてるみたいな。
でもすごい応援してくれたというか、
そういうのでも見守ってくれてる妻なんで、今やってきてるんですけど、
2人目の子が生まれるタイミングと同じ時に、
会社をもう1個、違うからに変えるみたいなのを、
自分も何か生み出さなきゃみたいになってて、
それが重なって結構家族としたらすごい大きい年でした。
5年前。
2020年に株式会社ヒトノハが創業というか。
10月に前小桜の代表取締役を辞任して、
10月に自分の会社を作ってみたいな感じになって、
お客さんとかも話ししに行って、引き継がしてもらって。
そこからも仕事内容は変わらず、
機能にいてデザインとかコンサルティング的な仕事をしてっていうようなのがずっと続いていくんですかね。
そうですね。
そのタイミングぐらいで、
軸足、避難、ピポット、ローカルみたいな考え方を出し始めて、
軸足、避難にあるけど、ここで言ったノウハウとかを、
他のローカルにもピポットして展開していくみたいなので、
秋田の仕事をしたり、鹿児島の仕事をしたり、神奈川の仕事をしたり、
北海道の仕事をしたり、今はちょっと他のところも実はしていて、
3割ぐらいかな、他のぐらいやってて、
5割ぐらいにするのが一番健全じゃないかなと思ってて、
だから外の空気も入れつつ、
ここの空気も外に出しつつみたいなのが、
半々が理想かなとは思ってるんですけど、
7割ぐらいが北海岸、北海岸見えないのが、
キー半島が7割みたいな感じですかね。
へー、そうなんですね。
なんかその人の派になってから、
どうですかっていうか、
何ですかね、印象に残ってる仕事とか。
印象そうですね、
でも何回も名前出てきてますけど、
遠くからの時からしてる全米農園なんかは、
10年近くしてると、
最初なったらいいなみたいなところが、
形にもなってくるところも見させてもらえてるし、
なんかこの、
僕も考え方アップデートされていくじゃないですか、
社会の状況もね、その中でコロナがあったりとか、
今も物価高鳴っていろんなことが起こってる中に、
こういう、何て言うんですかね、
同士のデザインさせてもらってる感覚って、
クライアントのデザインしてる感覚とまたこう、
一個違う中のものを作り上げてる感じが、
これって10年この地域でやってきたからできてる、
関係性だったりとか、
理解だったりとか、
相手に投げかける言葉だったりとか、
なんか面白い、この仕事面白いなって思うところなんですかね。
島本さんとかもそうですけど、
出会った時と言ってることがめっちゃ変わってるというか、
めっちゃ進化してるというか、
めっちゃ偉そうな言い方するわけじゃなくて、
なんかすごい、何だろうな、
そうこうと一緒に進んでいけてるのが、
おもろいなって思う。
同じ人と仕事してるのと同じじゃない感覚を持ってるというか、
その時めっちゃヒアリングしてるから。
具体的にはどういう、
どういう進め方というか、
どこまで岩倉さんが入って、
やってるんですか。
これは本当にクライアントによりますね。
全米農園なんかは、
別に初期費用がめっちゃかかるみたいな話とか、
お金の話とか、
銀行の借り入れがどうこうとか、
話を一緒にしたわけではなくて、
タムラで作ってるみかんが、
どういうポジションになれたらいいよねとか、
どういう価値があるんだろうみたいな話とか、
全米農園の名前だったりロゴを考えるみたいなところから、
テーブルインファームとかやってる企画とか、
石積みプロジェクトとかもそうです。
あの辺も全部させてもらって、
思いついたときに話してくれるから、
こうあった方がよくないとか、
本当に友達に思ったことを言ってるみたいな感覚で、
言わせてもらってる。
それがわりとユーザーの方を見たりとか、
その人だけじゃ見えてない角度の方を見ながら、
やらせてもらってるみたいな感じで、
クライアントさん様々で、
別のクライアントさんとかやったら、
銀行に相談行って、
こういうプロジェクトを新しくしようと思ってない段階から、
横におって収支傾向の説明を僕がしてて、
そうですねみたいなのを一緒にしたりする場合もあったりする。
もうなんか、僕が借金してるんかなみたいな気持ちになるぐらい。
すごいですね。
それ本当にクライアントさんのプロジェクトに関しては、
リソースとか位置付け次第でもあるし、
もちろん僕も結果出していかないといけないので、
結果出していく中で関係性が変わっていったりすることもあるし。
本当にデザイナーというか、
デザイナーでもなく単純にコンサルタントというわけでもなく、
何なんですかね、その仕事って。
何なんですかね、本当に。
僕はちょっといい名前欲しいっすね。
ちょっとコンサルタント言われたらちょっとなぁみたいな感じするけど、
でも大きく言ったら僕としたらデザイナーなんですけどね。
デザインしていくってそういう行為だと思ってるんで。
でもまぁほんま、
そこぐらい一緒に考えるんやったら、
固定給にして欲しいというか、
作ったらとかその時の契約がじゃなくて、
横に据えて欲しいなみたいなのがめっちゃ思います。
むずいというか、どのタイミングからどこで、
相手の想像以上のことを常に言っていくかというか。
確かに。
ほぼ会社に入って、
その会社目線でのね、
動きなんで、
このことに対してお願いされて動くというよりも、
もうちょっと根幹な部分で関わってる感じがありますもんね。
どれぐらいまで、
会社にもよると思うんですけど、
岩倉さんの味がそれぞれどれぐらい出るかっていうか、
整理整頓するだけの話もあると思うんですけど、
プラスなんか岩倉さんのアイディアとかこうした方がいいっていうのは、
絶対入ってくると思うんですけど、
その辺のバランスってどんな感じなんですか?
なんか僕の、
僕のアイディアは言ってるんですけど、
僕がやりたいアイディアは、
そんなに言ってないかもしれないです。
やりたいかどうかっていうよりも、
そのブランドとしてやった方がいいかどうかをずっと話してるんで、
それは僕のアイディアというよりも、
僕かけるそのブランドのアイディアやから、
日常的に僕が思ってることではなく、
日常的に思いついたりはするんですけど、
ブランドを下ろしてるから、
このブランドやったらこういうシーンでやった方がいいよなみたいなのは思うけど、
なんか自分の色が入ってるって、
僕自身はあんまり思ってないです。
もしかしたらあるのかもしれないですけど、
思ってないですかね。
でもそのスタイリングの時に、
このイラストレーターの方がこのクライアントに合ってて、
味出してほしいなみたいなので、
ここのイラストレーターに頼もうとか、
ここのデザインに頼もうっていうのは、
社内だけじゃなくて社外の場合もあるから、
そういう時にはその人の味が絶対マッチして出ててほしいと思ってるから、
ある意味その味をつけに行ってるってことはあるんですけど、
だからクリエイターありきで仕事するのは逆にむずいというか、
でも社内にもスタッフいるから、
割と特徴がバチバチにあるスタッフじゃない気がしますね。
目的に対してどう作るかっていう、
手段の腕を磨いてるスタッフが多い気がします。
さっきから出てる名前で言うと、
デザインの本質と「混ぜる」コンセプト
全米農園の新太郎君のやってることとか、
ラール島本さんのやってることとか、
なんか違うんですけど、
なんかちょっと共通したところを感じるっていうか、
それが果たして岩倉さんが入ってることによるものなのか、
そもそも似てるのかちょっとわかんないんですけど。
これは時代が近づけていってる気がします。
2人というか、今の真剣に考えてる人たちの共通項じゃないですけど、
今の真剣に考えてる人たちも周りにいろんな人たちがいるんで、
一概には言えないですけど、
僕やから、他のクライアントさんで全然一緒のグループに入らないやろうな、
みたいな人たちも全然いるんですけど、
Cって言うなら、人の派のコンセプトで資料でいつも使ってるんですけど、
デザインとは、みたいなのを人の派のコンセプトとして語るときに、
社会とユーザーとクライアント、3つの縁があるとして、
それぞれ重なるところがマシンのデザインだって出てて、
ユーザーをまとめてるからこれ作ろうだけじゃなくて、
クライアントのアイデンティティみたいなものをしっかり見つけて、
それとユーザーが重なるところ、
かつこの社会がどうやって重なるんだろうみたいなのを見据えた真ん中を常に作り続けたい、
とかにクライアントに説明して仕事が始まるような仕事をしてて、
社内でも話をするんですけど、
それを答えなくてめっちゃ難しいんですよ。
社会とか別に形見えてるわけじゃないし、
どの形を社会と言うねんみたいな、いろんな大きさがあると思うんで、
でもその問いをずっと真ん中に持ちつつやるっていうのが、
多分僕がやるプロジェクトには共通してるところというか、
これがクライアントのアイデンティティどこ行ったんやろな、
みたいなこととかにはならないような感じを見つけようとしますし、
ユーザーどこ行ったんやろなとか、
これどういう社会の中でどうやって実装されていくんやろな、
何か社会が変わるんやろなとか、
のは常に考えたりしてます。
それがデザインって言ってるんで。
それって一般的な考え方なんですかね?
そのデザイナーの。
これもスタイリングのデザイナーと、
もっと工技のデザイナーの違いがある。
ただ社会、
でも結構一般的でも突き詰めたらそうかもしれないです。
スタイリングのデザイナーも結局社会の一個先とか、
何か作れるかどうかで、
自分の色ちゃんと出せる、
自分の色というかクライアントの色を出せるかどうかでし、
そのクライアントらしいものみたいなのも、
デザイナーとしてもどこからエッセンス取るかみたいな、
モチーフにするところやったら背景絶対取るだろうし、
ユーザーのことを絶対考えてるから、
っていうことはもう絶対考えられてるんですけど、
それをどこまでゴリゴリ言葉にして言っていくのか、
自然とやってることなのかみたいなのはあると思います。
そこの優先順位の付け方みたいなのはやっぱ、
いろいろあるって感じですかね?
そうですね。
あえて全部の良いバランスどこなんやろって、
練っていくことなんかなと思って。
これは一つ決まってる答えがないから、
常に問い続けないといけない。
もっとユーザーの色出るんちゃうかな、
ユーザーの色ってユーザーのこと考えなあかんのちゃうかなとか、
クライアントのこともっと入らないと、
それってなんかありそうなというか、
お気に入った感じになってないかなとか。
ビジュアル見る時にもコンセプト見る時にも、
授業計画作る時にも見なあかんことというか、
なるほど。
今シングでクライアントの仕事で、
宿作ろうとしてるんですけど、
その宿のデザインをずっと考えてて、
普通、設計師とか工務店とかがいて、
グラフィックのデザインがその次頼まれたりとか、
一緒にプロジェクトチーム入るけど、
僕らがどうデザインしたらいいんだろうって考えて、
設計師さんとやるみたいな、
ちょっと違う役割の取り組みを今させてもらってて、
その中でさっき言った三つとか取っていくの、
しかもめっちゃ関わる人数が多い中で取っていくの、
超むずいなと。
もう一回コンセプトって言うやったら、
妥協したくないじゃないですか、コンセプトなんやから。
どうすれば妥協しないでいけるのかという、
ちょっと仕組みにしていかないと、
言葉で強く言ってたとしても伝わってないというか、
みたいなところのフェーズには最近入ったりしてます。
宿泊施設どんなのができるか、めっちゃ楽しみですね。
めっちゃむずいっすね。
普通にでも物価高の煽りを受けてめっちゃむずいっすね。
現実的な。
永遠リアル。できへんのこれみたいな。
そして2024年、大きい出来事で言うと、
機能者オープンっていうのがあるんですけど、
機能者はどういう流れでできたんですか?
機能者は国道42号線沿い小沢川から勝浦方面に
よく走ってることが多いんですけど、
それ走ってるとちょうど串本から抜けて勝浦入ったあたりで、
しも外でなんかすごいレーン課長のかわいい物件あった。
ずっと横目で見てたんですよ。
でもずっと使われてないというか、
なかなかなと思ってて、
それちょっとどうにかしたいと思ってるねんって、
農協の職員さんにお話したのがきっかけで話が進んでいくんですけど、
なんかちょっとどうにかなりそうな感触になったんですよ。
どうにかなりそうってなった瞬間に、
ちょっとおもろいの見つけたからやらんみたいなのを
その時来てた人とかと話して、
それが今一緒に社団法人にして作ってるんですけど、
そこの理事も地域の人だけじゃなくて、
なんか外の人たちも一緒に理事に入って考えたいと思って、
その理事になってもらってる水佐久和良太っていう京都のデザイナーと、
池田太郎っていう埼玉のフォトグラファーと、
長尾隼二っていう下里生まれ下外育ちの地元の人と、
僕との4人で理事になって始まるんですけど、
この物件どう面白がれるかなとか、
面白い、むちゃくちゃポテンシャルのあるところやから、
何したらおもろいやろうみたいなところから、
考えていくところから始まりました。
すごいですよ。あれは農協から借りてる建物みたいな?
買いました。
最初は買うのってちょっとむずいなと思ったから、
農協のブランディング企画としてやりたい話を持って行ったんですよ。
僕ら運営してあげて農協がやってますね。
これからの農協の形ってこうあれるんじゃないみたいなのを企画提案してます。
持ち込み企画で。
言ったらこっちは運営費もらいながら好きな企画できたらめっちゃいいやみたいな。
思いつつ、地域にとって有給地産がめちゃくちゃ増えてる。
農協も合併で空いてるとこも増えてるし、
他の建物もめちゃくちゃ空いてるけど、
耐震ダメージはないところもあったりするから、
本当に使えたとしたら、
しかも物件としてポテンシャルがあったら、
土地の人も喜ぶし、
外の人もその土地に来た時におもろいと思う場所が増えたらいいなと思ってて、
僕が多分友達とかよく来てくれるから、
余計に1個でも紹介する場所が増えたらいいなみたいなテンションもありつつ、
自分の子供とかも育っていく中で、
子供たちがこんなとこあったって言ってほしいなみたいな。
都会の子らだけでマウント撮られるんじゃなくて、
こんなとこあったでって自分の地域にもお話してほしいなって思った時に、
そういう場所を作りたいなとかも思ってて、
すっげえいい箱ゲットできそうみたいなので、
池田太郎フォトグラファーも高校の後輩なんですけど、
10年後。
長尾純二も一緒に働いた期間もあったりとか、
ほんまに最初、俺クリエイティブなことしたいねんって言って、
急に事務所殴り込みに来たんですけど、
めっちゃいろいろなことを伝えさせてもらって、
一緒にやった仲間だし、
そういう長い付き合いの中の人たちと何を生み出せるんやろみたいな。
クライアントワークとかじゃないところで、
地域の2歩先作るみたいなことができたらいいなと思って、
その時、水底が所属していた志望のチームとかも加えながら、
フェードワークしたりとかして、地域の人とも話したりとかして、
できたのがキーノフ社ですね。
物件の交渉を1年ちょいぐらいして、
また1年ぐらい考えて、
1年ぐらい改装したみたいな。
3年ぐらいの時を経てオープンさせた。
人の派になって、ちょっと外れたんですよね。
俺の好きなようにやってやるってそんなに外れまくったわけじゃないですけど、
やらなあかん投資をしたいというか、
長期的な鋭利的な投資じゃないものにも踏み込もうって思い出して、
キーノフ社もそうやし、
軸足的なピボットとかみたいな考え方も、
気にせんと自分の感覚を信じ始めたというか、
それでも元々疑心暗鬼なところがあるというか、
結構慎重派なんで、どうやってやるかとか、
あんま突き突っ走ってはないんですけど、
割とそこから加速的にいろんなことをやり始めたのがキーノフ社。
キーノフ社は今は2階が人の派のオフィスになっていて、
1階がカフェなんですか?
1階がカフェです。
あれはどういう目的であの形になったというか。
キーノフ社はどうしようみたいな話をした時に、
キーノフ社の木が木水域の木、漢字が木水域の木なんですけど、
隣に太田川が流れていて、
本当に河口で海水と淡水が混ざっていて、
そこにしかいない生物がいたりとか、
そこには両方の淡水の生物も海水の生物もいたりとか、
そういう混ざってる木水域よねみたいな。
それの隣にそれをインストールした建物にしようと。
混ざるということがコンセプトなんです。
で、キーノフ社という名前でしてて、
その混ざるを体現するために、
これちょっと1回来てもらった時にお話ししたいですけど、
見てもらってるから分かると思うんですけど、
階段が中に吸い込まれていくような階段になってたりとか、
窓やったところも取っ払って全面ドアにしてたりとか、
汽ノ舎の設立と地域への影響
中への公共施設の入りにくさ、
ここからはちゃんと入れませんみたいな公共施設感を
いかに取っ払うかみたいなところを考えながら、
中には領主町でトタンの家とかも多いから、
ちょっとトタン使ったりとか、
床コンクリート平板という外に使う素材を中に使ってたりとか、
外のものを中にしたり、
隣の製材所の木の積んであるのをそのままテーブルの足にしたりとか、
外のものを中にしてたりとか、
建築からそういうことをやり始めた。
で、その混ざる時にやっぱ美味しい食べ物があったら、
ひと手集ってくるから混ざるよね。
じゃあ美味しい食べ物をどうやって提供するかみたいな時に、
じゃあカフェにしようかみたいなのが、
カフェになった始まりですよね。
本当は、
もっとどうなるかわからなかったから、
結構動かせるようにもなってた。
意外とカフェで定着して、
カフェで観光の人も来てくれたりとか、
地域の人も使ったりとか、
進行局がミーティングとか、
タウンミーティングっていうんですかね。
大きな社でやってくれたりとか、
落語したりとか、演日したりとか、
ほんまに地域のイベントもしつつ、
旅行者も来てくれたりとか、
外国人がだから結構、
ちらほらゲストハウスあって来てくれたりとか。
なるほど。
イベントで2回ぐらい行かせてもらったんですけど、
どういう場所なんやろっていうのが、
まだ全然つかめてなくて、
そういうコンセプトでやったんですね。
それが逆に表現したかったことというか、
そういう場所にしたかったみたいな形なんですかね。
2歩先とか言うとかっこいいなと思ってやったけど、
テーブルとかだからでかくて、
みんなで座るような、
都会とかであるような、
地域の人誰もそこに座らないから、
横から座っていくし、
なんかちょっと言い切りすぎてかな。
やっぱり下里っていう場所でやるから、
とんがりたい、
観光地のど真ん中じゃないから。
とんがらないと逆に人に注目もされないし、
ちゃんとデザインの質素を混ぜるってことを、
コンセプトに据えたら、
それを体現するようにしていきたいと、
組み立ててるけど、
なんかもうちょっと分かりやすい、
混ざってないような料理出さないと、
分かりやすいカレーとかにしないと、
地域の人理解してくれるかなと。
難しい。
めっちゃ難しかったですね。
もう2年オープンしてたので、
ある程度こういうフォーマットで、
っていうのも決まってるのと、
もっと破壊してやる人は決まってるんですけど、
なんかやっぱり、
それこそ18の時に感じてた、
玄関の問題とか、
もうなんか今もやっぱ出てくるし、
僕としたらこういう食事食べたいなとか、
こうやって欲しいなって思うところも、
地域の人にもこのエリアで求められてるんだ、
こうやった方がいいなとか、
全然あるし、
でもそれが嫌、
もどかしいとか嫌やっていう感じはなく、
割と混ぜるために向かって、
前向きにやれてるところは、
18の時とは全然違う感覚だし、
混ぜることで、
なんか起こるじゃないですか。
混ざったら。
その起こったことを評価しようとは思ってないから、
何かビジョンで体現しようまでは言ってないんですよ。
混ぜることだけが目的として置いてるんですけど、
その後どうなるみたいなのは、
それぞれだと思ってるし、
僕ら機能者やったりとか、
人の歯がそれをどうかするかもしれないけど、
混ぜるだけを目的にしたかったみたいなのが結構強くて、
混ざったから社会的な意義があるとか、
混ざったからこういう効果を成し得たとか、
もちろん企画ごとにはそれぞれやりたいことがあったりするけど、
大きいコンセプトとしては混ぜるだけになることの強いところですね。
混ぜさえすれば、
違う色さえ出てきたら、
そこからおもろい棚になって、
何か開くかもしれない。
そういう実験所みたいな感じで。
そういう場所だったんですね。
これからさらにどうなっていくかって感じで。
そうですね、本当に。
実験するためにも、
鋭利的なところは置いておいて、
みんなで実験したい人としたいから、
社団法人を作ろうと思って、
経営も分けて、
お金も分けてやってるんですけど、
全然採算は合わないというか、
理事も全員無給なんですけど。
実験するために、
まず未然に切りながらでも実験しつつ、
いつかもうちょっと健康な状態で
持続的に実験できるような
仕組みまで作れたら、
そういう実験装置が各地域にあっても
面白いなと思うし、
日本先行ったからこそ、
そこから真似してもらえたりとか、
要素を取ってもらえたりするような
場所で来たらいいなと思って、
今やってますね。
なるほど。
現状そんな感じで、
これからどうしていきましょうっていう
感じがしますけど、
今って人の歯とか、
岩倉さんが感じてる課題とか、
これに向けてやってるとかってあるんですか?
そうですね。
地域のクライアントさんの
10年間いろいろさせてもらってて、
今もそれも継続してしていくんですけど、
地域課題への取り組みと使命感
ブランドのデザイン、
そのらしさみたいなものを
しっかり持続させるみたいな
その半のミッションになってやってるんですけど、
それを依頼してくれるお金があったりとか、
依頼している覚悟があったりとか、
してくれた人たちと共にして、
僕らもそこからお金をもらいながら
生きてたりするわけですけど、
どうにかこの地域とか、
自分の愛着があるもの、
変愛に対してすごい思い寄せてるけど、
どうにもならんみたいな人の
気持ちの思いの強さを形にできたら
めっちゃかっこいいなと思ってて、
そういうデザインの力を
そういうことに使われへんかなって
割と考えてて、
小沢側も僕が来たとき、
3,000人近い人口いたけど、
今は2,300人になってて、
だんだんほんまに減ってて、
じゃあ祭りももうできへんかな、
みたいな会話が出てきたりするわけですよ。
小学校もなくなるかな、
みたいな話が出てくる中で、
どういう形だったらこの暮らしが続くのかとか、
暮らしてる人だけじゃなくて、
その姉妹を見に来る人とか、
一枚岩でもそうかもしれない、
見に来る人がおるってことは、
その価値を享受してる人がおるわけですよ。
享受してる人がおるってことは、
なんか対価もらえてたら回るはずなんですけど、
なんかその回りきってない仕組みがあるから、
だんだんそこにあったらしいものというか、
そこの固有性あるものがなくなってしまうのが、
ちょっともったいないなと思ってる。
そういうのをどうにかしたいと思った時に、
地域のすごいシビックプライダー、
プライドめっちゃ持ってる人たちに、
僕らのデザインを評価することで、
一緒に生んでいけないかな何かと思ってて、
それってもう受託のワークじゃないというか、
ある意味共同開発をやっていくのをしようとしてて、
実際ちょっともう進めてて、
ドロー協とか川村のドロー協とかでやってて、
協議会作って、協議会の事務局一の間でやって、
観光庁の予算とか取りながらいろいろ作ったりとかして、
協議会から運営するための個組織みたいなのを作ったりして、
土塚川村の地域おこし協力隊がそこに入れてくれて、
土塚川村の地域おこし協力隊のマネジメントしてたりするんですけども、
そこをもうどうにかしていくのもそうやって、
自治体も民間も地域内外も、
本当にそこが好きだったらみんな集まってどうにかしようぜの協同体ができたら、
そういうものを一緒に作れたら、
人の歯としてもなんかおもろい仕事できたなって言えることができるんじゃないかなとか、
僕のある意味中にも軸足がありつつ外にも動けるような人やからできることもあるかなと思って、
そのドロー協をしたりとか、
小坂川でも実は宿やってたりとかもするんですけど、
一枚岩の田堀町やってる道の駅のオーナーと一緒に、
宿3軒くらいコミュニカ管理してて、
潰れゆくコミュニカをどうにかしたら、
住むっていう人いたらそこに住んでもらったらいいし、
ちょっとここに関わりたいとかなった時に、
宿がないから宿あって、
映画祭とかイベントある時に泊まってもらったりとかしてもいいし、
みたいなのをやったりとか、そこも会社にしたんですよ。
そういうコミュニティになるような母体を作って、
集まれるような宿を作って、
全部6級やけど今。
で、下里もそう。
そこからコミュニティがみたいな感じ。
今、日高川町の三山っていう地区もよく行ってて、
今そこもちょっとやりつつあるんですけど、
自分たちの生活圏から固有なものを作って、
外の人たちにも価値を共有できるとしたら、
回っていくよねーのモデルを作っていて、
もうちょっと細かく言うとムズいんで、
ざっくり言うとそういうのを作っている。
すんごい難しいことをやろうとしているというか、
やっているというか。
だから余計デザイナーじゃないですよ。
社内で僕だけその動きしていて、
みんなクライアントワークのブランディングとかも、
本当にスタッフに支えてやってもらっていて、
そっちのノウハウはこっちに行けるし、
僕ももちろんクライアントワークもしているので、
やるんですけど、
耐えてしまうかもしれないものを、
ちゃんと価値としておけて、
それを喜んでくれる人たちがいたりとか、
そこの喜んでくれるというのは、
外の人が喜んでくれて共有できたり、
中の人たちがまたプライドを持っていけたら、
それの形を作らないと今の時代にしか作られへん可能性があるというか、
40代の元気なタグを組んでくれているパーキュラーもおるから、
できる可能性があるなと思っていて、
それを今やろうとしていることみたいな。
意義あるデザインと今後の展望
それって何でなんですかね?
何でやろうとしているというか。
なんか献身制というよりも、
使命感の近い感じがすごいあって、
それも自分自身のためとかじゃ全然なくて、
もっと大きな、それこそ地域とか社会みたいな、
の方にすごい通ずる部分があると思うんですけど。
これは自分の、
最初の方に話した時間の使い方みたいなところに出てくるんですけど、
デザインするんやったら意義あることしたいなと思うんですよ。
デザインって言ったら、
自分のためのものじゃないわけじゃないですか。
その意義あることをすることで自分が納得感を得て、
生きててよかったなみたいなことは、
自分のために巡り巡って自分のためではあるんですけど、
意義あることじゃなくて、
例えば目の前のお金を稼ぐみたいなことやったり、
もちろん大切やけど、それだけじゃないようなことやったり、
かっこいいだけじゃなくて、
時代を超えるようなものやったりとか、
人を超えて自分の知らない人も共感しだすようなことやったりとか、
そういうものをやっていきたいからデザインしてて、
そうじゃなかったら、
例えば家族で過ごす時間とか、
僕のこの幸せな時間は他にもあるから、
家族で過ごすとか、
写真撮るとか美しいとは何かみたいなことも、
写真撮ったりとか、
料理するのも今も好きなんで料理したりとか、
でもそうやって自然のものでやってるんですけどね、
料理したら調理してる自然のものと、
切った瞬間とか焼いたりとか、
味とか、
写真もそれと結構一緒でどういう形してるかとか、
シャッター取りにいろんなところで向いて歩くみたいなことも含めて、
そういう自分の感覚を大事にする時間もすごい大事だと思ってるけど、
そうじゃない仕事の時間をするんやったら意義あるのしたいみたいなのがめっちゃ強くて、
なんかその使命感じゃないですけど、
なんかより難解な方に足突っ込んでしまうみたいな癖が出てますね。
その言われる意義の意味がやっぱり全然個人的じゃないというか、
大きいですよね。
どうしても直接的なことばっかりに意識が行きがちなんですけど、
そうじゃないというか、
なんかそれがずっと一貫して聞かせてもらってて感じてたことで、
そこの、
そうなったきっかけって言うんですかね。
確かに。
自分で考えて出てきた感じなんですか?
誰かに憧れてそういう姿になりたいとか、
そういうことでもなく、
突き詰めた結果、それが自分でやりたいことやなみたいな感じなんですかね。
憧れ、なんかもうちょっと手前のところでの憧れがいっぱいあって、
尊敬するブランドの人やったらこう考えるかなとか、
デザイナーで言ったら佐藤嘉昭とかは、
新しい意味のデザインみたいなことすごい言われるんですけども、
新しい意味を作るみたいなことがデザインであるって考えたときに、
僕もすごい広義のデザインのところで考えやすくなってるとかは、
彼のことを僕が面白いと思ってるからの考え方ももちろんあると思うんですけど、
そもそものところは多分、
自分の感覚的に面白い時間というか、
喜びを感じる時間、
写真と料理と家族にあるってわかってるから、
それ以外のところはぶっちぎってそっちに行こうと思って、
感覚を話せるというか、
別に僕には写真も料理も家族もあるから、
こっちでエゴは入れんでも進むじゃないけど、
はっきり割り切れるというか、
その言語化とかを結構内戦の時間も昔から取ってしてきてるから、
割と引きずったまま行ってて、
でも一年くらい前に囚われてるんちゃうかみたいな思い出したんですけど、
それに囚われて、
もう一回これ破壊したらあかんのかなとか、
もう考えるくらい自分では人と話したりとか、
自分のこと話したりとか、
今日もそういう機会かもしれないですけど、
話す時にちょっと振り返ってみて、
この感覚どうなんやろなを頭だけで考えずにやってみて、
ちょっと感覚確かめてみて、
やっぱ写真いいよなみたいなとか、
料理とかは人からどうとか関係ないところでやるみたいな、
家族と遊んでる時間とか料理してる時間は、
人に喜ばれんくてもやるじゃないけど、
だからやるみたいな。
すげえ。
気になる人物と今後の活動
おしゅばいなんか。
もうちょっと小さい声で言うよ。
超おもろかったっす。
岩倉さんなんか言い残したこととかないっすか?
ないっすね。
そろそろファミリーが帰ってくる時間も近づいてると思うんですけど、
毎回ゲストの方にお伺いしてるんですけども、
岩倉さんが今和歌山で気になってる人とか、
この人のルーツの話を聞いてみたいなって人とかっていますか?
ルーツは知ってるけど、
ビシッと聞いてみたいなとか思うのであったら、
今三山で一緒におし始めてる今西さんっていう人なんですけど、
今西商店で100年続く商店、
地域のための何でも売ってるローカルストアをされてる方がいて、
その方は一回外出て、絶対自分と戻ってこーへんと思ってたのに戻ってきた人で、
ヒアリング的には聞いてるけど、
もっと幼少期のこととか聞けたら面白いかなと思うし、
なんでこんな人出て行ったのに帰ってくるんやろって、
まだ僕も分かりきってない。
どっか出て行って、家業の商店を引き継いでやってるっていう。
そうですそうです。
めっちゃ今西商店のお弁当おいしいんですよ。
山奥にあると思われへんくらいカラフルなお弁当作ってあるんですけど、
パン屋さん川あるじゃないですか。
川のジビエバーガーとか梅ドリンバーガーみたいなのを企画した人なんですよ。
めっちゃおもろいんすか?
おもろそう。
川辞めて実家戻ってるから、料理それうまいなみたいな。
気になる。
三山で最近、今西商店の三戸隣ぐらいの中学校が廃校になったんですよ。
その廃校を新美寮から進むのもあれやからってて、
まだ中学生たちの声もちゃんと聞きながら、
今西商店をめっちゃ走り回って、高潮さんがライトアップしてくれたりとか、
花火あげたりとか、でっかいキャンプファイヤーやったりとか、
廃校なんて思わんようなイベントしてた。
廃校の時にこんなイベントしてるとこないんちゃう?
聞きましたけどね、この山の中でこんな花火みたいな。
辻本だかしら?
出店してて遊びに行きました。
ぜひ。
変な人やなと思って。
変な人。
じゃあ次回ちょっと今西さんの話も聞きに行かせてもらいます。
今回の配信が多分8月ぐらいに放送されると思うんですけども、
何か岩倉さんから告知とかありますか?
8月5、10に配信予定ですね。
はい。
木下の営業時間なんかは?
木下は毎週だいたい金土月火が空いてる日ですね。
水木お休みで、日曜日もお休みしてる子が多いんですけど、
たまに日曜日空いてます。
イベントとか。
来られるんであれば、イベントじゃなくても空いてる時が最近出てて、
月曜日か火曜日か金曜日か土曜日が狙い目です。
ぜひスコーンサンドが新宮のあんこを作ってるところがあるんですけども、
そことアンバターのスコーンサンドとかめっちゃ人気で美味しいんでぜひ食べてください。
じゃあ皆様、機難に行かれた際はぜひ機能者にって感じで。
機能者に。
はい、ありがとうございます。
最後に事務連絡させていただきます。
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この人の話を聞いてみたいというリクエストや番組改善のためのフィードバックも
インスタグラムのDMから募集中です。
番組のオープニングとエンディングの楽曲はお寿司のともみさんのOur Youngです。
お寿司のともみさんの楽曲はスポティファイで聞けるほか、
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こちらもぜひチェックしてみてください。
本日は株式会社ヒトノハの岩倉さんにご出演いただきました。
岩倉さんありがとうございました。
ありがとうございました。
01:07:11

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