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和歌山市のランニングとハイキングのお店、キセンラー&トレイルの白石です。
有田市のコーヒーショップARCの上田です。
この番組は、毎回和歌山で活躍するゲストの方にインタビューしていく番組です。
kisenradio第36回、今回は和歌山県五房市にある有限会社ジングルで収録しています。
本日のゲストは、ジングル編集長の杉本和美さんです。
杉本さんの生まれから現在に至るまでのルーツやジングルのこと、
これから杉本さんが計画していることについてお聞きしていきます。
杉本さん、よろしくお願いします。
よろしくお願いします。
五房市でフリーマガジンを作成しています、編集長の杉本です。
よろしくお願いします。
よろしくお願いします。
杉本さん、お会いするのが今回で、僕は2回目なんですけれども、
1回目は2週間くらい前ですか?
2週間くらい前に、ARCさんに取材に来ていただいて、
その時に、取材とかインタビューとかしていただいたんですけれども、
なんか気になる人物やなと思って、
逆にちょっとキセンラジオ出演交渉したところ、心よく引き受けてくださって、
今日の日になっております。
杉本さん、何てお呼びしたらいいですかね?
みんなからは、かっちゃんって呼ばれてます。
僕らもかっちゃんでいかせていただいて、よろしくお願いします。
なんか後ろですごい、上坂さんがニヤニヤしてる。
待てるね、編集の方が。
汗かいてきた。
ジングル編集部で今、編集させていただいてるんですけども、
まさかこんなにミニマムな体制でされてたなんて。
そうですね。
2人から3人体制でやってます。
2人で毎月あれを発行したり、
別のデザインの仕事もしてるってすごいですね。
そうですよね。
すごい、そうですね、大変です。
そのジングルに至るまでのお話を、ちょっとこれからねほりはほりと聞かせていただきたいんですけども、
まず杉本さん、生まれはどちらですか?
生まれは鳥取県になります。
鳥取のどの辺ですか?
鳥取の砂丘が右側にあるんですけど、
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砂丘寄りの、砂丘から来るまで30分ぐらいのところです。
兵庫県寄りです。
なるほど。
どんな町で生まれたんですか?
本当に周りは田んぼ、川、山みたいな感じですね。
めっちゃ田舎みたいな。
めっちゃ田舎ですね。
めっちゃ田舎です。
子供の時は杉本さんどんな感じだったんですか?
あっ、かっちゃんどんな感じだったんですか?
ちょっと無理してもらって。
子供の時は、上に兄が二人いるんで、
結構、なんていうか野球なりサッカーなり、
男の子の遊びで連れ回されたりとかが多かったかなって思うんですけど、
まあでも一人遊びもしてましたね。
ずっとなんか人形遊びでとか、
常に空想の世界にいるみたいな遊びを多かったかな。
杉本さんじゃなくて、かっちゃんのご両親とかお仕事とかどんな感じだったんですか?
両親は二人ともJAですね。
JAでした。
えー、じゃあかなりJAかね。
農家、もう今でも百姓、農家ですね。
農家もやりつつですか?
農家もやりつつです。
家、今も田んぼやったり、ちょうど田植え終わった頃ですね。
JAってそういう方が多いんかなってイメージがありますね。
ですかね。
えー、じゃあそこからその地元で、もう中学、高校とかずっと。
そうですね。
上がっていくわけなんですね。
上がっていきました。
子供の時なんか何が好きやったとか、そんな覚えてますか?
えー、何が好きでしたかね。
まあ、とにかく絵はいっぱい描いてた子だったんで、好きでしたね。
っていうことじゃなくて。
っていうことですね。
高校とかも普通の高校、普通科みたいな感じですか?
えーと、普通科ですね。
なんか情報処理コースみたいな、まあパソコン触ってる高校でした。
えー、なんか僕らの世代って、すぎ、かっちゃんは僕と同じ59年生まれて。
そうですね、ギリ58、そうですね、59です。
けど58年世代っていうことですね。
そうですね。
学年が一個上。
うんうん、似たような。
その頃なんかその情報とかって、ちょっと出始め的な。
そうですね。
どうやったんですかね?
どうでしたかね?
割と早かったんですかね、そのパソコンとか。
えー、どうなんですかね。
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どうなんですかね、わからないです。
でもあんまり和歌山では、その情報処理系の高校とかってあんまり聞かないですよね。
そうなんですね。
商業系とかでちょろっとあるかなぐらいの、パソコンでも使うようなのがメインのとこってあんまり聞かない。
そうなんですね。
賢い学校やったんですか?
いや全然です。
もう制服が可愛いから行ってたぐらいの感じです。
勉強は全然。
勉強は全然。
はい、部活に明け暮れてる感じで。
何やってたんですか?
高校の時は放送部でした。
じゃあこのマイク慣れてるんじゃないですか。
全然慣れてないです。
放送部、放送部ってそんな。
放送部の部長でした。
それそんな明け暮れるような部活でしたっけ、放送部って。
放送部はあんまり知られてないんですけど、全国大会とかがあってですね。
アナウンス部門とかテレビドラマ部門とかテレビドキュメント部門とかいろいろあるんですけど、
そういうのの私たちはテレビドキュメント部門を作ってて、映像を作ってた。
すごいですね。
それで、マイクは慣れてないんですけど。
そういう放送なんですね。
そうなんです。
お昼休みの放送みたいなあれかと思いきや。
そうなんです。そうではなく、番組を作ってました。
どんなの作ってたんですか?
結構今思ったら重たいテーマなんですけど、
私が住んでた地域のちょっと奥、もっと田舎の方が、数年後にダムで沈むみたいなことがあって、
それをドキュメンタリーで追いかけるみたいな感じで、
その1年、2年ぐらいかけて、ダムに沈む家のおばあちゃんとかにインタビューしたりとかしてました。
すごいですね。
今思ったら、えらいことしてたなって思うんですけど。
資料としても価値がありそうな。
確かに、そうですね。
それで賞を取っちゃったり、そんな感じの。
賞は取ってないですね。
でも鳥取県で放送部も少ないし、っていうのもあって、全国に行けるんですけど、そうですね。
賞は取ってないです。
その時、テレビ作りたいとか、そういう感じで部活やってたんですか?
何ですかね、なんか若干目立ちたがり屋だったのかもしれないんですけど、何でやってたんだろうね。
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なんかでも映像を作るとかは、なんか面白かったです。
その後どうするんですか、進学とかは?
進学とかは全然関係ないところに行きましたね。
どこ行ったんですか?
専門学校だったんですけど、大阪の道島にある大阪デザイナー専門学校っていうところに進んで、イラスト学科の絵本コースっていうところに行きました。
それなんでまたそこに?
そうですね、一個は大阪に憧れがあったっていうのと、
絵描くんが好きだし、みたいな感じで、ちょっと割にミーハーな感じで行きました。
えー、そうなんですね。
高校時代も絵はずっと続けて描いてたっていう?
高校時代、絵はそうですね。
でも学生の頃とか高校までは本当に遊び程度というか、
なんかやっぱ少年漫画とか少女漫画とか好きだったんで、
ジャンプとかサンデー、マガジンとかリボンとか好きだったんで、
真似て描いたりとか、そういうことしかしてなかったですね。
イベントとか催しがあったら、これ描いてよみたいな言われたりとか?
それはまだ先というか、全然遊びで描いてるだけでした。
個人的に家で描いてるみたいな?
そんなにネクラな感じで描いてました。
なるほど。
ちょっとネクラ目やったんですか?
ネクラでした。
多分参院はネクラなんですよ。
参院はネクラ。
主語が多くてちょっと怖いんですけど、
今でもパッと見てる感じからしたら全然想像ができない感じで。
行った専門学校が多分自分の中ですごいターニングポイントだったんですけど、
そこで教えられたこととか、
先生とかライバル的な友人たちとか、
すごい自分にとって重要人物というか、今もですけど、
多分これからも続いていく。
その学校はどんな勉強してたんですか?
講義もあったり、デザインの歴史だったりとかの講義もあったり、
デッサンだったり、色彩を学ぶ術技とか、
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1年、2年通ったんですけど、
2年になったら自分の作品をどんどん作っていこうみたいな感じになっていくんで、
私は絵本コースだったんで、絵本をずっと自分のストーリーを考えて、
絵本にしていくみたいな工程をしていました。
その時は結構絵本作家になりたいみたいな。
そうですね。
で、どうなっていくんですか?
そこの学校が、
三重県の四日市にある子どもの本専門店、メリーゴーランドっていうのがあるんですけども、
そこの店主の増田さんという方とか、
あとは絵本作家の新井良二とか、
飯野和義、鈴木浩二だったりとか、
結構著名人がよく来る学校だったんです。
なんか教えてくれる。
そうですね。合宿とかもあって、
教えるっていうあれじゃないんですけど、絵なんで、
一緒に絵を描いたりとか、
自分が作った作品を見てもらって、
言ってもらったりとか、意見を言ってもらったりとかして、
そういうのがあって、
卒業してから、メリーゴーランドで絵本塾っていうのをやっているので、
そこに結構通ったんです。
だいぶ通っていて、絵本作家を目指していて、
それは今もあまり変わってないんですけど、
目指しているのは。
そうなんですか。
今、子供が生まれたりとかして、バタバタしているので、
そこの夢は根底にある感じです。
なるほど。
本塾行きながら、お仕事とかもスタートしてというような。
お仕事は何をされるんですか。
お仕事は、卒業してから、
パドっていうフリーペーパーがあるんですけど、
そこの本社にずっと11年くらい勤めていました。
パドって大阪の会社ですか。
大阪が本社で、
関西地区が結構広々とありましたね。
CMやってますもんね。
やってますよね。
私が行ってた時はそんなのなかったんですけど、やってますよね。
パドに行きながら、メリーゴーランドの絵本塾に行って。
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行ってたりしてました。
その時お仕事内容はどんな感じのことをしてたんですか。
仕事は最初の頃はオペレーターですね。
オペレーターとは。
原稿があって、それをカチカチ打っていって、
写真ここに入れてっていう指示があって、ここに写真入れるみたいな。
自分でデザインを組まないようなのがオペレーターなんですけど、
その作業を前半、
勤めてた前半ぐらいはそれをしててって感じですね。
パドは何で入社したんですか。
パドは何で入社したんだったかな。
20歳でしたね、ちょうど20歳で。
そうですね、なんか求人見たんですかね。
求人見て。
取っ取りに帰るっていう選択肢が自分の中でもなかったんですよね。
その時に。
何かしら就職せなってなって、
多分パドを見たんでしょうね。
家のポストに入ってたパドを見て、求人あるな。
よし、面接行こうみたいな。
向こうは向こうで、20歳の子来たぞみたいな。
よし、おもろい入れようみたいな感じで入れてくれたんですけど。
まさか11年もいるとは思わなかったんですけど。
パドって結構小規模でやってた会社なんですか。
めっちゃ大きかったですね。
別に悪いことじゃないんですけど、大阪ガスの子会社だったんで。
そうなんですね。
だから大きかったですね。部署もいっぱいありました。
フリーペーパーだけじゃなくて、いろいろ。
そうですね。ウェブとかもやってたし、いろいろやってましたね。
そこからどうなっていくんですかね。
そうですね。パドで11年いて。
そこから。
パドの11年、こんな感じで飛ばしちゃって大丈夫ですか?
私のパド時代は。
かっちゃんのパドのことを思った。
パド、そうですね。
前半オペレーターで。
そうですね。後半は、デザインがそれなりに出来だしたので。
デザイン部署を作ろうみたいな感じになって。
何人かでデザイン部署を作って。
だからパドをせずに、後半は。
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パドをせずに。
違う、本当に普通のグラフィックデザインの仕事をバンバン取ってきて。
グラフィックとウェブとか取ってきて。
ちゃんと営業さんもつけてやってました。
どんなデザインしてたんですか?
ちょっと言える範囲で。
残っているものとかあれば。
そうですね。ウェブしか形に残れないんで。
何でしたっけ。ナンバーシティとか。
キューズモールとかって今もありますよね。
そこのウェブデザインとかしてました。
その時は本当に忙しかったんで。
寝る間もなく終電を超えるの当たり前みたいな感じの生活だったんで。
パドってすごいですね。
すごい大きい仕事を。
私の師匠はもっとすごいので。
師匠っていうのはパドの。
パド時代の師匠。
パソコン、作業が見えないぐらい早かったです。
手見えないぐらい。
後半はそのデザインの仕事をして、パドを辞めるんですか。
そうです。
パドはコトブキ大社というやつですね。
旦那様はスギーリトルワードさん。
そうですね。
スギーさんと出会いはどんな感じだったんですか。
出会いはすごい昭和なんですけど。
お見合い?
そこまでじゃないんですね。
友達の結婚式ですね。
円卓が一緒だったっていう感じですね。
大阪時代ですよね。
そうですね。
そこで出会って、お付き合いして、結婚して。
そうですね。
すぐにではなかったですけど。
向こうもバンドをやってたんで、その頃も。
バンドを見に行ったりとか。
向こうも古典を見に来てくれたりとか。
その時、古典も結構パドに勤めながらされてたんですね。
やってました。
それはやってましたね。
古典とか、専門学校時代ぐらいからコンスタントにやってました。
それは何ですか?絵の展示ですか?
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絵ですね。
古典ってよく分かってないんですけど。
あれは、ギャラリーとかスペースを借りて、自分の絵を飾って販売してみたいな。
そうですね。販売してもしなくてもいいんですけど。
そうですね。展示してっていう感じ。
ちょっと黙ります?
黙りましょう。
どうですか?
分かんない。意味が分からない。ダメですよね。
全然面白くないですね。
面白いですよ。
誰が興味あるんだって思いながら。
面白くないですか?
古典のことを教えてもらいたいですね。この電話明けに。
本当ですか?
古典とは何か。
古典とは何か。
何のためにやっていたのか。
それは難しいですね。
確かにコンスタントにやってた理由とかも色々気になるし。
どういう画材でとか。
なるほど。
何を作っていたかとかも。
そうですね。
古典の話ですね。
分かりました。
古典の話。
古典の話ですよね。
だいたい抽象画だったんですけど、今もそうなんですけど、
アクリルガッシュを使って、色鉛筆とかを使って描いています。
年に一回くらいされていたんですか?
そうですね。
結構周りもコンスタントに古典をするのが当たり前ではないですけど、
表現の場を設けるというか、
自己発言じゃないですけど、発表していくところです。
何のためにって言ったらあれなんですけど、何でコンスタントにされていたんですか?
何のためにしていたんですかね。
結構なんか、お金も労力も結構かかりそうなものじゃないですか。
そうですね。確かに。
お金も、なので学生の頃とかはやっぱり知り合いのギャラリーとかで安くやったりとかしてましたね。
いろんな人のつながりをできたりとかしたのが嬉しかったり。
そうですね。成長につながるのかな。
自分が発表して、絶対感想なり反響はあって、そしたらまた描くぞってなるし、もっと違う方法で描いてみようかとか、そんなこんなで。
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実際、お仕事につながったりとか。
そうですね。ありましたね。
それもミュージシャンの子だったりとかするんですけど、ジャケット作ってとかはちょこちょこありましたね。
大阪の時なんか、そういうライブハウス界隈で遊んだりとか、そんな感じだったんですか?
ライブハウス界隈で遊んだり。
どんなことして遊んでたりとか。
遊んでましたか?
そうですね。何してたかな。大阪時代。
大阪時代は多分20歳から30歳くらいまでで結構いろいろと楽しかったり。
そうですね。一番遊んでましたね。一番遊んでました。本当に毎日飲んでました。
毎日福島にいました。
そうですね。何してたかな。
何が好きだったとか。
ライブ好きだったんで、好きなミュージシャンのライブはよく行ったり。
野外フェス行ったりはよくやってました。
なるほど。デザイナーをやりながら毎晩飲んでフェスも行ってみたいな。
やばいですね。
大阪の…みたいな。
けど楽しそうですね。
大阪楽しかったですね。
スギーさんとの出会いの話に遡って、ライブ行くようになり。
そうですね。でもそんな前からライブは好きだったのかもしれない。
音楽に興味はあって、って感じですね。
で、結婚して。
そうですね。
退社して。
退社して。
ごぼう来てみたいな。
ごぼう来ました。
ごぼう来てなんですね。
その時からスギーさんはずっとこっちに。
そうですそうです。もうごぼう。
なるほど。
ずっとごぼうです。
でもそうですね。ごぼうって言うとごぼうじゃないって言われるんですけど。
ごぼう…ごぼうしをごぼうって私は呼ぶんですけど。
ごぼうの人からしたらごぼうしがごぼうじゃないというか。
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そうなんですか。
ごぼうしのごぼうっていうところがごぼうらしくて。
あんまりちょっとそこはまた本人に聞いてみてください。難しいので。
ごぼうしのごぼうはどの辺のエリアなんですか。
なんて言うんですか。地内町ってわかりますかね。
地内町っていうところとか。ラップしてるサリーとかの人たちが住むところがごぼう。
どごぼうみたいな感じ。
どごぼうはもうそこだけみたいな感じなんですね。
そうですかね。どうなんですかね。多分そうだと思うんですけど。
ごぼうの人に聞かないとわからないですね。
本当にそこをちょっと間違えるとちょっと怖いんですけど。
あんまり下手なこと言えないんです。
そんな大阪めっちゃ満喫してたのに、この和歌山に和歌山のごぼうに来るとか、
抵抗はなかったんですか。
抵抗は半分ありましたね。半分不安と半分楽しみみたいな感じで来てましたけど。
都会から田舎なんで、多分不安は大きかったんですけど、
自分なりに好きになろうと思って、結婚する前にちょこちょこ一人で来て、
この辺のいろんな体験とかあるんですけど、
南部町の梅ジュース作り体験とか、梅染め体験とか、
この辺の三浜町っていうところのサオリオリ体験とか、
いろんなところの体験を次々一人で回って。
好きになろうと努力をしました。
それまで和歌山に来たことあったんですか。
ありました。結婚式で知り合ったって言ったんですけど、
結婚式をした2人の旦那さんがごぼうの人だったんですけど、
それが専門学校の友達なんですけど、
なので毎年海に浮遊海岸に泳ぎに来たりとか、キャンプしに来たりとかはしてました。
なるほど。友達のところに遊びに来る感じでごぼうには来てて。
そうです。
なるほど。和歌山に住みまして、どうでした和歌山。
ごぼうがそうですね。
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怒られるのかな。
言っちゃってください。
後で切れるんで。
切れますかね。ごぼうが何せ、
立ちが悪い。
後で。
ごぼうは立ちが悪い。
どういうことですか。
簡単に言うと、口が悪い。態度でかい。
そういうところからだんだん引っかかってきまして、
いろんなところで私は喧嘩をしてきました。
なるほど。
ハローワークだったりとか、市役所だったりとかしたら、
だいたい上から言われるんですよ。
だいたい喧嘩越しなんですよ。
でもそれが普通なんですよ。今思ったら普通なんですよ。
悪意があるとかじゃなくて、ちょっと荒っぽいっていう。
多分敬語を知らないんですよ。
敬語を教わってない。分かんないです。聞いといてください。
ごぼうが来ていろいろ大変だったっていうのは、
言葉のことだったり、ちょっと、
方言がきついみたいなこともありますからね。
普通に喋ってても、あ、怒ってるんかなって思ったりして、
ちょっと怖かったりとかしますけど、
ようやく慣れてきた。10年いててやっと慣れてきたぐらいです。
今はもうごぼう大好きって感じ?
ごぼう大好きです。
ごぼう大好きです。とっても好きです。
もう解決ですね。
はい、解決です。