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031 頑張りすぎなくていい。見えない“根っこ”が支える生命力――サヌキとアワの調和[2026.10.29放送]
2026-11-09 30:00

031 頑張りすぎなくていい。見えない“根っこ”が支える生命力――サヌキとアワの調和[2026.10.29放送]

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インタビュアーのMacott(マコット)です。

今週の放送は、「サヌキ」と「アワ」の調和〜頑張りすぎてしまう女性に贈る、目に見えない「根っこ」の生命力

カタカムナが教える「サヌキ(男性性・現象・目的意識)」と「アワ(女性性・根っこ・環境適応)」の本質に迫ります。

現代の教育や社会は「サヌキ(目に見える成果や目標)」を重視しがちです。

しかし、木に例えるなら「アワ(女性性)」は土の下にある「根っこ」。嵐や雪が降っても、自ら水や栄養を供給して生き延び、次の春にまた芽を出す「生命力そのもの」なのです。

男性と女性、古代と現代、東洋と西洋……どちらかを否定して勝つのではなく「自も他も生かす」調和の道とは?

そして、なぜ子どもはおじいちゃん・おばあちゃんの「同じ話」を何度聞いても安心するのか? 

エネルギーの差がある異質な存在同士が向き合うことで、お互いを活性化させる「対抗性(たいこうせい)」の仕組みとは?

便利な現代だからこそ見直したい「徒歩圏内の繋がり」や、神戸の実践例「ハッピーの家ろっけん」のエピソードとともに、ワンオペ育児や孤立感を解消する温かいヒントを語り合います

ハッピーの家

自分自身の内なる生命力を取り戻したい方に、ぜひ聴いていただきたい内容です。

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はっぴーの家マタニティアートから葬儀まで、目の前にいる多世代の暮らしに関わる事業happy-osekkai.com「遠くのシンセキより、近くのタニン」・はっぴーの家の日常|はっぴーの家ろっけん|note兵庫県神戸市長田区にある、多世代型介護付きシェアハウス「はっぴーの家ろっけん」。コンセプトは「遠くのシンセキより、近くのタニン」。高齢者、子供、若者、外国人がごちゃまぜに暮らし、港をテーマにした1階のリビングには週に200人がやってくる。生…note.com

感想

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サマリー

今回は、カタカムナにおける自然の循環や、井戸・女性・生命の根源について語られます。目に見える現象だけでなく、見えない側も含めて調和する象徴として、まがたまや剣、「対抗性」の考え方が紹介されます。異なるエネルギーを持つ高齢者と子どもが関わると互いに元気になることや、同じ話を繰り返す祖父母が子どもに安心感を与える理由も説明されます。ワンオペ育児や一人介護の負担に対して、血縁に限らないコミュニティの必要性が述べられ、神戸の「ハッピーの家ろっけん」の多世代交流が実例として挙げられます。後半では、サヌキを木の地上部分、アワを土中の根として捉え、アワを自ら水や栄養を取り入れる生命力と説明します。教育や社会がサヌキ型の成果を重視するため、アワ型の人も自分を否定しやすいという問題が語られます。さらに、フェミニズムが権利を広げた一方で、男女が対立して勝つのではなく「自も他も生かす」調和が必要だという見方が示されます。東洋と西洋、古代と現代の知恵を組み合わせ、女性の本能や家庭を望む気持ちも含めて生命のあり方を捉え直そうと締めくくられます。

自然則と井戸・女性の生命線
はじめてのカタカムナ
この番組は、書籍、はじめてのカタカムナを、より詳しく、一つ一つ丁寧に解説していく番組です。
カタカムナを日常にすぐ活かせる形でお伝えさせていただきますので、ぜひ楽しんでください。
ごきげんよう、マコットです。あっこさん、今週もよろしくお願いします。
先週はね、螺旋状にどんどんどんどん成長していきますよ、みたいなことであったりだとか、いろんなことを通して繰り返し繰り返し、同じようなことが起こるけれども、人は成長していってますよね、みたいなところです
よね。
成長したいと思うものなんだって。
子供がね、別に立てとか歩けとか言ってないのに、次やりたくなるっていう。それが自然なんだなっていうことですよね。
そういうのをちゃんと親がわかっててくすぐってあげると、さらにそのスピードが速くなっていくのかもしれないですよね。
そうですよね。だから頭いい子なんて、1年生がバカバカしいのに、早く3年生にならせてあげたら、イキイキしたりとかするっていうの。
たとえばね、あったりするじゃないですか。でも決まりがあるからずっと1年生でいないといけないっていうと、人生つまんなくなっちゃう。
そうですよね。なんかそういうところを、僕がどうこうできるわけじゃないですけど、撤廃してね、海外みたいに飛び急であったりとか。
そう、ギフテッドって言われるね、才能のある子たちなんて。
そうですよね。
興味があることをどんどんやらせてあげたらね、めっちゃ伸びるかもしれない。
本当にそうですよね。松陰先生とかもね、15、6歳で師範大をしてたとか。
そうですよ。それがふたわしい時代だと思いますよ。原服の後ぐらい。
そうだと思うんですよ。だからそういう、時代を逆行するわけじゃないですけれども、子供たちが本当に輝けるような、そういうヒントがね、多分カタカナにも詰まってると思うので。
基本に戻るみたいな気持ちでね、触れていただけると嬉しいです。
ぜひぜひ、そのあたりも今週も深めていけたらなと思いますので、よろしくお願いいたします。
初めてのカタカナ。
では、あこさん、今週もよろしくお願いいたします。
はい、お願いします。えっと、155ページ目ですね。
おうたの説明の内容のところでね、補足してるとこなんですけど、
冬の後には春が来て、昼の後には夜が来る。
当たり前の話です。
そうですよね。
なんだけど、このような仕組みは天然の本来性に基づく自然則であって、理屈ではないと言ってるんですね。
ゆえぬっていうのは、ゆえあってとか現代語でも理由と捉えるように、理由ですよね。
それがないって言ってるから、理屈じゃない。理由は別にない。
例えば、お日様が昇り、沈み、また次の日も昇ってきますが、確かにこれも理屈ではないし、
冬の後には春が来て、昼の後には夜が来ます。
理屈ではなく、ただそうなっているというのが自然の姿。
この性質が万物万象に受け継がれ、すべてのものが発生している、生えると書かれています。
その次ですね、井戸も女性も生命線と書いてますけども、
その根源であるは、井戸の井に。
いねとか、ほんねとか、ねほんっていうのは、
このういの字は、井戸の井でまた鳥居の居も表すそうなので、
鳥居は、そこから奥が大切なところで人が乱れに荒らさないということですよね。
腰に効く入るので頭を下げてみたいな。
天然自然のままのエネルギーを保っている金属地や珍珠の森などがその奥に存在するので、
今でもさすがに鳥居の内側に電車を通したりトンネルを掘ったりが、
はばかられますよ。
自然も多く守られています。そのおかげですよね。
まさにカタカナで言うところの癒し路地という。
だから自然のままなので、例えば具体的に言うとマイナスイオンとか微生物とか、
人が荒らさない形になっているので、自然とやっぱり癒される土地っていうので、
癒し路地っていうのは今の言葉でもわかりやすいと思います。
女性の子宮の文字はお宮であって、三道が三道ってよく言われますよね。
命が出入りするという意味では、女性の存在も同じなんじゃないかっていう説もあるんですよね。
命が育まれ元気で過ごすには神社も女性の体もできるだけ自然のまま大切にしようということでしょう。
井戸の井が命の根源というのは、例えば井戸がもたらしてくれる水が枯れれば、
まさにその土地入りのご近所さんの人たちの命に関わるんですから、
水は女性性や母性を表す泡として象徴されるんだなと感じます。
なので、そして最後に全ての本質はカタカタの染色、カタとカムとなっている。
天にあるということがこの基本の歌には書かれているんです。書いております。
なので、女性と井戸というのは、女の人って井戸畑会議。
だからやっぱり人は生きれば汚すから、それこそ避難所とかキャンプとか行っても、
汚さないと思っても汚れるものですよね。ご飯食べたら汚すし、汗かいたら汚すので、
やっぱり日々洗うっていうことを女性ができれば泡を使ってするわけですよね。
それを流すには水が欠かせないものなので、井戸というものが必要で。
それは今となったら水道というものになる。
そこに集まって、日々やらざるを得ないことをやりつつ、
最近どないとかね、あの子どうなったんとかね、
昨日旦那とね、こんな喧嘩してとかっていうのを井戸畑会議という。
あそこの先生よかったよとか、このお薬よかったよとか、
そういうことも共有できるようなのが、やっぱり生き延びる知恵ですよね。
そういうのが共有されてたのかなと思います。
徒歩圏内のつながりと異世代の対抗性
やっぱり何回か前にも伝えたかもしれないですけども、
そういうのがなくなってきてるからこそ、
カタカムナだけじゃないかもしれないですけど、
人が成長するために必要なこととか、生きていくために必要なことを、
やっぱり学ぶっていう場所は必要なのかなって思いますよね。
プラットフォームとかね、掲示板とかでね、つながるかもしれないんだけど、
実は電気が使えなかったらとか、新幹線が止まってしまったらとか、
まあ私、ちょっとでも元気でみんな動き回れるときはいいんですよ。
でも多少なりとも、例えば分かりやすいのは、お年寄りが足が悪くなったらとかね、
ちっちゃい子がそれこそ自転車乗れるまでとかね、
それってやっぱり都保県内なんですよ。
そうですよね。
だからその都保県内の関係性で生きていくっていうのは、
小さい時も歳いってからもそうなんだなって。
中間の元気な人たちは遠くまで行けますよね。
そうですね。
でもそれは、例えば飛行機が飛ばなかったら動けないし、
っていうことになるので、
まあその万が一の時というか、
自分が弱い立場になった時は、
例えば障害のある方とか病気を抱えた方もそうですし、
そこを基準に考えると、やっぱり都保県内。
今の便利な世の中で亡くなった時のことも、
想定しとけばより安心感。
そうですね。
のも不思議と思いますね、やっぱりね。
で、3つのシンボル。
八田の鏡。
で、次は、ここにね、157ページに、
6ページに井戸の井っていう文字がそのままなんで、
これもね、参考に載せさせてもらってるのと、
八田の鏡のシンボルも載っけてます。
で、80首の歌の渦の真ん中には、
忠臣図勝負というシンボルが3種類だけありまして、
それがいわゆる3首の神器の元になっているのではとも言われております。
大丈夫ですか?
まあ、それでもいいですよね。
言うとあかんのかなみたいな。
これね、解釈の仕方が何種類かあるんですよ。
まあ、でもこれは、
ならさき先生が言ってくださっているところをちょっと言いますけれども、
まず見くまりというのが、
あらゆる要素が和せられたものとなっていて、
これはこのまま和っていう字を書いて、
まがたまを表しているそうです。
大陸では、対極図とか陰陽和合図って言いますけども、
ありますよね。
ありますね。白と黒のあれですよね。
陰極まればっていうやつですね。
で、白黒に分けられているものは分離した状態なので、
わかりやすく描かれた形なのかもしれません。
で、まがたまは装飾品として身につけるものとして知られてますよね。
ひみこさんとか、そういうのに出てくるじゃないですか。
で、陰陽で言うと陽の方だけを形にしてあるように見えるんですね、まがたまって。
だから目に見えるものが。
でも、カタカムナ的に見たら、形のある世界は全体の半分だから。
本当は目に見えないもう一方の片割れがあるはずっていうことにもなります。
なるほどね。
ただ今の私たちには悲しいからその半分、陰の方は見えてないということなので、
だから今自分たちが見てるのはあくまでこの世界の半分である。
半分以下なんですけどね、本当はね。
そういうことを忘れないためにまがたまを身につけていたのではというお話も聞いたりするので、
目に見える現象と目に見えない戦争とが両方ともで溶け合わされた状態がこの和という字であり、
見くまりっていうのは和がそのままの形です。
見くまりってね、水が湧くところっていう場所もあるんですね。和だから。
水を湧けるとも書くので、そういう神社とかお祭りごとには漢字が残ってるんですけどね。
見くもるとも読めるので、見ごもるっていうことでおさんの守りにされたりね。
輪っかっていうのはそれはね、使われそうですよね。
もう一つは太間にというシンボルで、もう一つは剣なんですけど、剣って言われてるんですけど、
カタカナではこのシンボルは太間にと言いまして、
今でも神社などでもその言葉が残ってるから、この言葉は2つのものが溶け合い統合された和。
それがに、定着していると読めるんですよ。
1音ずつの詳しい内容はカルタとか本とかに書いてるので、2つの和が溶け合わされて定着しているっていうのが太間になんですね。
正半身は太古八世の剣の断面って言ってるので、
長崎先生は剣と刀では意味が違うよねっていうのも教わったんですけど、
刀は片刃なので邪気を払ったり人を傷つけたりもしますけど、
剣は御心事に用いるものなんです。
仲良くしますっていう時に掲げる御心事。
あれが剣なんだそうです。
本来諸刃の剣というように、あなたを傷つけることは私を傷つけることでもあるから争いませんっていう親睦のシンボルでもあるんです。
太間に太古八世で互いに元気になるって書いてますけど、
太古八世というのはそのまま都会になって向き合って生まれ発するものって書くじゃないですか。
片刀でよく言われることで、これはエネルギーの差のあるものが、
互いに向き合い関わることがお互いにとっていいんだよっていうことなんです。
成長を促すとか、もちろん結婚生活とかでもそうですよね。
ビジネスパートナーとかも食い違うことがあるのでお互いに成長するっていうような。
男性と女性ももちろんそうですし、
お年寄りと子供も差があるんですよ。
よく自治体とかでお年寄りのための施設と保育園の交流とか。
ありますね。
あるじゃない。
お年寄りの落ち着いたエネルギーと、落ち着いてるけど枯れてるわけですよ。
お年寄りの電気ってね。
子供たちは活発やけど制御不能みたいな。
でもこれがお互いに親和して、お互いを元気にするから、
おじいちゃんおばあちゃんは孫の顔を見るのを楽しみにするし、
お父さんお母さんも忙しいわけですよ。
早くしてとかって言うけど、おじいちゃんおばあちゃんは長い目で見てあげる。
前は私が見といてあげるわってなるのが非常にお互いに親和性がある。
よく言うのがね、おじいちゃんおばあちゃんと同じ話繰り返すじゃない。
また聞いたってね、また言ってるみたいになるじゃないですか。
でもね、ちっちゃい子っておとぎ話とか昔話もそうなんやけど、
同じ話何回も聞くのが一番安心するんですよ。
なるほどね。
だからおじいちゃんおばあちゃんが寝かせるときに寝かしつけするのに、
もうあのお話してーって言うじゃないですか。
同じ絵本を何回も読んでほしいとか。
それはもう場の安定につながるから。
ちっちゃい子の。
なるほどね。
だからね、下手に親じゃない方がいいっていうことではあります。
生命の循環がスムーズになり立つっていう話なんですよね。
そう考えると、例えば一般的な子育て世代の親っていうのは、
とっても中途半端な電気の状態なんですよ。
だからさっきの、さほど落ち着いてもなければ枯れてもないし、
ティーンほど元気でもないしっていうことなんですね。
だからさっきの寝かしつけとかだったら、
もうあと一回読んだら早く寝てやーみたいになるんですよ。
分かります。
次の日も忙しいしとか。
いうふうにイラつくんですけど、
おじいちゃんおばあちゃんリタイアしてたら次の日用字ないですからね。
だからええよ、何回もでも読んであげるよってなるじゃないですか。
そうですね。
ということは八田のかかみで言えば8つの色が揃うように、
いろいろな年代や性質性格ですね。
立場の人が関わってくれた方が、おそらく命は丸く球体にね、
健やかに保たれやすくて、もちろん子育てや介護も一緒だと思います。
多世代コミュニティの実践
だからもう一人で抱えたらダメってもういろんな方ね、言ってくださるじゃないですか。
確かにお母さん一人で子育てせざるを得ないワンオペ育児とか、
お一人の介護はもう明らかに大変なので、
時代は各家族に向かいましたが、
大家族や血縁じゃなくても、シェアハウスとかコミュニティ的なつながりとか、
今はあちこちで生まれてきているように感じるので、
まあそれこそ多様性ですよね。
そうですね。
があったら対抗発生が起こって、
命の循環がスムーズになり立ちやすいよということでもあるかと思います。
ふとまにってそういうことも教えてくれてるかなと、
私としては思うんですね。
いいですよね。やっぱりそういうのもね。
だからそういうのってね、シェアハウスとかコミュニティの試みってあちこちなされてて、
あの神戸でもね、長田区とかでご存知ですか?
映画三丸っていう映画を、そこそ鈴木直樹さんって元三丸出版の編集長の方ね、
映画作って、スマデラとかで上映されてたんですよ。
そうなんですね。
それねすごく素晴らしいコミュニティだなと思って、
私自分の母親たちね、実の母親と義理の母親ね、両方見せてあげたかったんですよ。
スマデラだったらね、手すりとかもあるし、連れて行ってあげれるわと思って、
車でどっちのバーも連れて行ったんですよね。
実質ね、私の母親が出かけたの、それが最後だったんですよ。
でも彼女とはいろんなそういう話をしてたので、
こんなのあったらいいのにねっていうの、もうやってる人おるんやねって言って、
すごい楽しみにしてくれたから、
まあ本当障害がある人とか、外国人とか、シングルマザーもおれば、
そこに不登校で帰ってくるおっ子がおって、
で、それこそ時間を持て余してる介護が必要なおじいちゃんおばあちゃんもね、
一緒にご飯食べたり、時間を過ごしているっていう本当に素敵なコミュニティがね、
でもそこはすごくうまくいっているので、
ハッピーの家6軒って言うんですよ。
NHKとかの取材も入ってるので、
もしご興味ある方はね、YouTubeとかでもね、たくさんインタビューそこの方されてるので出てきます。
でもそういった形を今試行錯誤してる仲間いっぱいいるなってね、思いますよね。
カタカナもそれを教えてくれてるなと。
なるほど。
九州まで行った。
来ましたね。
サヌキとアワを木の上下で捉える
じゃあね、せっかくなのでサヌキ泡の生かし方っていうところね。
ここも掃除紹介紙のところをちょっと冒頭文章を仮にしてね、
164ページ書かせていただいてます。
泡の生徒は性質ですね。泡の生徒は命の力である。
個人の生命を民族の生命を人類の社会を健やかに全うさせるものは泡の力である。
人間の生命力と漠然と呼ばれていたものの正体は泡の力であるとカタカナ人は感受していたとあります。
でね、これがまあ165ページ生命の記のイラストを載っけてるんですけどもね。
ここを見せながら私も説明してるんです。
仲間が結構いてくれたりします。
土から上が木で言うとね、サヌキであると目に見える部分ですよね。
土から下の根っことやっぱ目に見えないので一般的にね。
それが泡の質ですよっていうことを説明しております。
これね、例えばサヌキ男性性の質ね。
これがここはザと読みますけれども、
これもちろん女性も持っている人がめっちゃいるってことですよね。
男性ホルモンもありますからね。
性質としては一方的目的的独善的攻撃的動物性主観的減少型外交的自己中心的と。
ひどいこと言われておりますけれども。
でもこれがないと成し得ない仕事がいっぱいあるってことですよね。
だから仕事できる系女子はこれが強い。
そうですね。
泡の一方女性性というのはこれが強い男性ももちろん多くいらっしゃるってことなんですけれど。
需要的であり依存的であり柔軟性があり神話性植物的植物性客観的戦勝的内観的環境適応性ということですね。
合わせるっていうものが環境適応するってことです。
空気を読んで環境に合わせる。
上司の言うことに口裏を合わせるってことはやっぱり日本人的な。
日本人全体が合わせが強いので。
そうかもしれないですね。
そうです。主張が激しくないですよね。
空気読みますよねっていう。
その性質は日本語を話しているからかもしれないと思っておりますので。
で、166ページですね。
女の人は木の根っこの方ですよっていう説明を改めてさせていただきます。
サヌキアオに関することが私にとってカタカムナの実用で言えば何よりもありがたかったんですね。
なぜならこれほど根源的なことをたまたま結婚する前に知ることができて
暮らしながら再確認していけたことはとってもラッキーだったんです。
幸せなことでした。
私は相当に難しいサヌキな女でタイプでしたから
私に有効だったことだったらどんな女性にも役立てるはずということには確信があるので
いつもお話しさせていただいてます。
なんでかというと私たちはアワ型でもサヌキ型でも
それはもう男女関わらずですよ。
教育がサヌキ型だからなんです。
なのでやっぱりそうでもないっていう、アワ型の子であっても
教育がサヌキっていうことはそれが良しとされているので
それができない子は私はダメって思っちゃってたりとかするっていうのが
ちょっと命ながら得るにもとってしまうというかね、あると思うので
パートナーシップのお話をするときに
いつも絵を描いてお伝えしてたのが不思議とこの前のページの木の絵なんです。
心理学のカウンセリングをしてまして
説明するときに、いや日本には昔からカタカムなっていうのがあってなと
でこの木見てみと
でそれが横の線が土のラインだとして
このラインから下の根っこ側がアワと正々と捉えて
上が幹や枝葉や実がなるこれが男性性サヌキだと考えてみましょう
根っこの部分まさに音で言えばねーっていう
暗黙のコミュニケーションは男の子同士ではあまり見られませんし
やっぱり女性的なやり取りですよね
で自分で水と栄養を供給できるかどうか
根っこが支える生命力
実は私はアワ女性性は根っこであることを最初に知ったときには
日の目を見ない表には出ていけない感じっていうのが
えーって思ったんですよ
で少し納得がいかない気がしたのを覚えています
ただカタカムな縄文時代以前のものと考えると
その昔一番大事なことはといえば
前回もお話しした生き延びることそのものなんですよね
根っこは生命力そのものなので
なぜなのかそのあり方は
昨日切り株のように上下で切り離すとよくわかります
切り離したら土から上の幹や枝葉の部分では
数日すると枯れてしまいます
しかし根っこの部分はというと
嵐来ようが雪が積もろうが生き延びて
次の春にはまた横っちょから枝を伸ばすでしょう
上下の違いは根っこの方は
自分自身で水と栄養を供給できるということです
生命力の違いはそこであり
女性性は自らエネルギーを取り入れることができると言われますが
もしかしたらこの大切なことを
私たちは長い間忘れていたのかもしれませんと
なるほどね
だからね
フェミニズムから調和へ
私の母親は
航空代理店を両親ともに小さくけど営んでいた
コピーライターだったわけでしょ
今年亡くなって84歳だったのにね
そんな仕事をしてたっていうことは
相当なフェミニストだったんですよ
だから女やからって言って
やれんことはないみたいなんで留学もさせてくれたり
仕事を続けてた方が幸せやからって言って
実家の仕事を手伝わせてくれたりしてたぐらいですので
女だから男なんて結構強い人だったんですよ
でもだからこそその弊害というのを私はよく見てきてた
これがね
最近もお祭りでお話ししてたんですけど
ハワイ島にいらっしゃる小田真由美さんという方が
私たちはフェミニズムの弊害というのをよくわかっているのって
それが一番強い時代の一番強い土地にいらっしゃったんですよ
それが60年代70年代のヒッピーとかカウンターカルチャーとかが華やかなりし
全コミュニティとかのニューエイジとか含めですよね
半原発のウンダオアとかフェミニズム
ウーマンリブって覚えてます?
そういう頃
女性の権利を手に入れましょう選挙権もとか
大統領に立候補するとかいろんなことが当然
運動によって幸いにも可能になったわけですよ
でもその代わりに失ったものってない?
ありますね
だから私たちは男性たちを踏みにじって勝ち誇りたかったわけじゃないと
それが可能になった挙句
私たちはすごく寂しいって思ってるみたいなね
だから今世の中もアメリカで言うと分かりやすいんだけど
すごい左に行きすぎたから今右に行ってるみたいな
人間の文化とか時代って振り子のように動くものじゃないですか
それで言うと行き着くとこまで行き着いたんやけど
今アメリカって帰ってきてるんですよね
なんかちょっとおかしいよね
それで言うと日本もたぶん追随して少しずつ戻ってこようとしている
っていう時にアメリカって文化背景の長さがないので
戻ってくるところってより東洋的なものなんじゃないか
ガイアの法則で言うと女性原理男性原理
さらに西洋文明東洋文明というふうに振り子が動くと考えれば
日本にその英知はあるかもしれない
じゃあどうやったらお互いがハッピーで仲良くしていられるのかって
西洋に答えがないかもしれない
そうかもしれないですね
なので女性が虐げられるばかりでもなく
男性に負けを認めさせるばかりでもなく
お互いが自も他も生かすと言うんです
カタカムなんで言うと
自も他も生かす道はないのかっていう時に
古代のものと最新の時代と
東洋のもの西洋のものっていうのが
両方必要になってくるんじゃないかなっていうのが
うすうす思っているところなんですよ
やっぱりそこに戻ってくるっていう感じかもしれないですね
そうですね
だから女性でも例えば大統領なれる宇宙飛行士なれるっていうのは
すごく自信にはなるんですけど
それって私のしたいことだったのかなって
やっぱり例えば45とか過ぎて
ふと思う時があるんですよね
必ず女性であるならば
普通に家庭を持って子供を持ちたかったなとか
できるならって
それってやっぱり生き物としての本能って
失われてないと思うので
その悲しい思いをする女性が増えるのも嫌だなと思うから
それは生物としての純情ね
本能的なものをカタカムが教えて
直してくれてるのかなって思います
今週も本当にありがとうございました
本当にありがとうございました
失礼いたします
はーい
30:00

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