泡のあり方は洗顔が一番わかりやすいので、これをいつもお伝えしてるんですけど、
お買い物行くと化粧品のコーナーとか洗剤売ってるところとか、
大体デモンストレーションで洗面器に泡いっぱいしてるみたいな。
あれを例に話してます。
包み込んで浮かせて水で流すんですよって言ってて、
ここテストに出ますって言ってるんですけど。
石鹸はまず水がなければ泡立たず。
これね、なんか忘れがちなんだけど、
本当にそれこそ震災とか洪水とかキャンプの時に石鹸はある。
でも水がない。
本当ですね。
あれは綺麗にならないんですよ。
本当です本当です。
泡立たなければ汚れは落ちてないんだって。
私の周り、ナチュラルクリーニングとかやってる人結構多くて、
重曹とかクエン酸とかそういうもので実質綺麗にするっていうね。
でもお湯とか使わなきゃいけなくて、
お湯使わないと泡立たない。石鹸でやろうとするときは。
それって実際に汚れ落ちてないんだって。
そうなんですね。
だから泡が立つってやっぱりすごい大事で、
また湯すぎの時にも当然水が欠かせないので、
それも女性性とか、もちろん感受性、感情とかって、
やっぱり水で象徴されることと共通しているように思います。
洗顔法といえば石鹸をちょっとつけて乱暴にゴシゴシするとダメですよって、
美容部員の方に怒られるんです私がいつも。
できるだけさっきの洗面器に細かいクリーミーな泡をたっぷり立てて、
だから泡立てに10分くらいかかったりとかするわけ。
僕からしたらどうやったらあんなコマーシャルのような、
クリーミーな泡になるのかっていうのが不思議で仕方がないですけど。
泡立て用のやつ売ってるけどね。
ホイップできるやつ。
なるほど。
みかんネットみたいなやつ。
で、それぐらい泡が大事で、
包み込んで汚れを浮かせて湯すぐんですよって。
だから擦っちゃダメって言われるやつ。
泡は包み込んで浮かせて水で流す。
それはその場を浄化する働きがあるって、浄化する働きがあるっていう風に書いてあります。
で、例えば洗剤のCMのイメージが、
CMによくある油汚れが水にふわっと浮かぶ映像でさ、
カレーとかミートソース作った鍋みたいな。
行ってきたらして、うわーって。
うわーってなるやつですね。
いやーそれやばいやん、海綿合成剤やんって思うやつですけど、
イメージとしてはあんな感じ。
大事なのは力づくではないってことですね。
なるほどね、いいですね。
無理やりこそぎ落とすものでもなく、ちょっとつけて待っとくみたいな。
あくまで力づくでないことがポイントで、
あれーっていう感じで汚れが浮いて水でふわーっと流される、
これが泡の浄化のわかりやすい表現と思っております。
でもイメージしやすいですね。
そういうことか。
だから時間の力をね、時の熟成を待つっていうことなんですよね。
クエン酸で水垢取るとかも知ってます?奥さんやってると思うけど。
あれね、クエン酸つけてこするんじゃないんですよ。
そうなんですね。
クエン酸と水とかを混ぜて、ぬってラップするんですよ。
ラップ?
お風呂とか台所とかそうなんですよ。
で、ラップしとくことでクエン酸によって汚れが水垢が浮いてくるので、
そしたらちょっとこするだけでするする落ちるんですよ。
そうなんですね。
もうあれ酸とアルカリの力っていうのもね、やっぱプラスマイナスの電気なんでね。
同じ原理なんやなと思うんですけど。
で、七大先のことを考えるおばあちゃんたちへ。
ここで力と力でやりあっては元の木網で、
いつまで経っても仕返しが続くんです。
仇討ちがずっと続くみたいな。
なんかヨーロッパの王国とかさ、
日本の武将でもそうですけども、
仇討って仇取ってってずっと続くでしょ。
で、喧嘩が終わらないんです。
先ほどのネイティブアメリカンの方たちの世界観では、
七大先の子孫のことを考えて物事を決めるということが伝えられたりしてますけど、
経験が豊かで物事を長い目で見られる、
成熟した阿波母性、女性性を持ったおばあちゃんたちは、
命の方向性を知ってる存在だということを彼らは認めていたんだと思います。
アイヌの人たちとか、沖縄の人たちもやっぱおばあの存在がすごく大事だったりとか。
2020年以降は女性の半数が50歳を超えるという少子高齢化が進む日本では、
これからおばあちゃんたちが全人口においても大半を占めるようになっていくから、
もうなってますね。
もうお買い物行っても若い子の服とか売ってないわけ。
ネットとかで買っちゃうし、若い子は安いのやつとかね。
だから高齢者向け、私ぐらいの年代向けの服とかしかせいぜい売ってなかったりして。
神戸も審査の影響で高齢化が他の都市よりも、
政令都市の中ではすごい早く高齢化が進んでるので、
売ってるものとかを見ると、一人分のおかずとか。
なんか私びっくりしたんだけど、明画がさ、1個だけ売られてる。
えーって感じですね。
そう、でもやっぱおばあちゃん一人暮らししてると、3分の1、2分の1しか使わないから、
明画は1個しかいらないんだなっていうのわかるんですよ。
で、そういうふうにポーションがちっちゃくなっていっているとか、
年代が何歳対象の商品とか食品とかいうのすごいわかるなと思いますね。
それもね、やっぱり神戸を出るとわかるんですよ。
そうなんですね。
博多とか行くと、前も言ってたかもしれないけど、
九州中の若い子が学校とか就職で出てくるから活気があるよね。
若い子のアパレルとかいっぱいあるし、
ジャンジャン買ってジャンジャン消費するものとかいっぱいあるんだけど、
まあおじいちゃんおばあちゃんはそもそも家のものって頑張って減らさなきゃいけないぐらいで、
もう何でも持ってんですよ。
だから消費しないじゃない。買ってくれないので、
まあやっぱお商売も盛り上がらないっていうことに世の中どんどんなっていってる。
まあ良くも悪くも。
そうですね。
で、2020年以降そんな状況なんで、
少しずつ女性原理で世の中が動くようにシフトしていくのであれば、
ガヤの法則でお話ししてたような。
で、おばあちゃんたちはその自覚を持って、
むしろより良いさ抜き合うのバランスを整えていけるタイミングなのではないかなと思っております。
そうかもしれないですね。
なんか女性制の時代とかね、言うけど実際どうすんねんって話ですよ。
やれる?そんなん。
何を指針にすればいいかっていう時にね。
次94ページ。シフトのための大事なフレーズ。
いだきまいらすとことむけあわす。
これここにも書いてますけどね。
阿波のリトリートやったことあるんですよ。
淡路市まで。東京の方ね、主催してくださってね。
いろいろご案内したりして、
その時にいだきまいらすとことむけあわすを伝えるっていうのがなんか湧いてきて、
え、カタカムナじゃないやんって思ったんですよ。
余計やりこし慣れへん、それって。
文句言ったんですけど。
でもカタカムナに出てくる文言よりは、今の日本語で分かりやすい。
この間を埋めるものとして、この2つを伝えるといいんやなっていうのでずっとお伝えしてるんですが、
このいだきまいらすことむけあわすのフレーズは、
佐渚から阿波へシフトしていくポイントではと思うので、いつもカタカムナとともにお伝えしてて、
いだきまいらすとことむけやわすという、やはすと書きますね。
矢原の道とか柔道とかね、やったらはって書きますよね。
で、言葉はカタカムナからのものではないんですけど、
もちろん山と言葉であり同じルーツを持ってるので、
私自身も今の言葉により近くて分かりやすかったんで、この2つのフレーズのことをお伝えしてて、
ちなみに漢字はいろいろ表記されます。
そうなんですね。
ググったらいろんな表記があって、どういうことかは音の響きでなんとなくのほうが伝わると思うんで、
これらはもともと古い方の古事記とか、しつきしんちっていうね、古い書物から出てきたものなんですね。
学ばせてもらったもんで、参らすっていうのは、歩くや行くというよりは堂々とリリシーイメージあるじゃないですか。
参るって言うと胸張ってますよね。
元になるしつきしんちという不思議な書物には、悪を抱き参らせよ、善も抱き参らせよとあります。
一見悪そうに見えるものも否定せず、それも丸と抱えたまま進みましょうというのが、
変化に適応していくタイミングには大切なメッセージなんではと思っております。
だから、抱いたまま堂々と歩いていく、抱き参らすと言ってますけども、今、気候や経済にも様々な変化がありますね。
で、狭抜き回りから泡回りにシフトしていくタイミングには予測不能なことも起こり得るかもしれません。
狭抜き的な右肩上がりの直線の世の中が、先行き不透明になり変わっていくとしたら、
一時的に混乱が、今まさにその最中かなと思うんですけど、15年ぐらい前からこれ言ってますんで、
一時的に混乱が起こる可能性を持つ時期でもあるためで、
ただ、変化に適応しようにも、狭抜き的な性質にとっては、良くも悪くも、そのまっすぐな性質から柔軟性に欠けるので、
引っ込みがつかないんです。急に変えられない。
もう、それは前例がない。
始まってしまったものを引っ込められるかということでございます。条例とか法律とか。
やっぱりいっぱい犯行が必要でしょう。場面も多くなるのではと思います。
なので、狭抜き的な公的な親家の大きな動きよりも、
泡的な小さな単位から身近な子育てや夫婦間で、
いだきまいらすこと向き合わすということが今後は大切になってくるんじゃないかなと思いますので、
もう少し具体的にお伝えしていきます。
ぜひぜひ。
ここはね、もう語ってますからね。
育児で見るいだきまいらす場面。参ります。96ページ。
普段の生活で言うと、もうめっちゃ夏休みタイムリーじゃないですか。
例えば子育てだったら2歳くらいのお子さんがスーパーやショッピングモールの床に寝っ転がって、
ぐるぐる回ってるようなイメージをしてみてください。
いますよね、その辺に。うちの子もそうでした。
もうなんか知らんけどぐるぐる回るんですよ、あの人たちは。
どこ行って?って探しますよね。
だいたいレジの前に欲しそうなものが並んでるっていうね。
それは商戦でありますけれども。
そうなってるんですけど、やめてほしいですよね。
夕方の買い物の時間帯によく見られる光景ですが、一旦騒ぎ出したらこれ引っ込みがつかないんですよ。
そうなんですよ。
ギャン泣きしてるうちに本人もなんで泣いてるかわかんないんですよ。
でも勢いの問題です、これね。ただ眠いとか暑いとか。
参考まで言っときますけど、今回問題になってるイオンモールとかね。
お買い物っていう視点で言うと、だいたい子どもらがイラついてんのは暑いからなんですよ。
なるほど。
風通しが悪いんですよ。空気が動いてない。
で、私そういうとこが絶対良くないなと思って淡路島引っ越しちゃったっていうね。極端な例ですけどね。
でもね、良かれと思って。おばあちゃんたちって着せたがるから。
そうですね。
もうね、あれ脱がしたったら途端にちょっとマシになりますよ。
やってみてっていうティップスでございます。
で、一旦騒ぎ出したら引っ込みがつかない。はっきりとした理由はないんですが、もう既にね。
これは本人にも止めようがなくて。
で、それをいだきまいらしで言うと、「はいはい、そうやねー。」ってつぶやきながらすみやかにお子さんを小脇に抱えて、ゆうゆうとスーパーを出ていきましょう。
嫌い嫌いとか言って、もうママ嫌いって言ってバンバン足蹴りされるんですけど、そうやねークソババアねーとか言いながら。
同時図。抱えたまま歩き続ける。一つにはそんな感じがいだきまいらすイメージですって言ってまして。
分かりやすいですね。
でね、まあこれね、そうそうそう。で、どなたにもそうだと思いますが、最初の子育てはどうしていいかわからないことだらけですね。
大泣きされた時点でお店に迷惑かかるなー、なんで私だけこんな目に、パパ折れへんからやーんとか、おばあちゃん手伝ってくれへんからやーん、などとどんよりしてしまうのではないかと思いますが、
限界値を超えて養われるもの。
っていうのがですね。
はい、どういうことですか。
お仕事でも子育てでも介護でも様々な段階で、特に家族や身近な人たちに対することでは少しずつの経験値を積み抱きまいらす必要のある場面が次から次へとあるもんですよね。
カタカムナでは、自分自身の泡の量が今までの限界値を超えて養われることを繰り返すことによって器が徐々にストレッチされ鍛えられていくと言います。
そうしていくことで、いつの間にか泡が豊かになり、大きな器でもって同じことが起こっても、ゆうゆうと歩いていくことができるようになるんですよ。
だから、5年前問題だったことが今も問題じゃない、っていう現象ですね。
お仕事で言えば、勤め始めて最初と3年経ち10年経った頃の違いであるし、また子育てで言えば1人目2人目3人目といくに従って、1人目やったらもうえらい恥かいたとかもどうしようってなっちゃうんだけど、3人目は夕方やな、みたいな。
しゃあないな、っていう感じになっていくじゃないですか。泡を養うのには一つには理不尽と付き合うことであり、正解はないことを知ることでもあると感じます。
ここは大事かもしれないですね。正解はないですよ、みたいなところですよね。
子育てなんて本当にね、1人目通用したことが2人目は全然キャラが違うじゃないですか。
で、このキャリアや介護の場でもっていうので、結局その年齢構成的に子育てに向き合ってる方も割と少ないので、まあでも親御さんの介護の現場ですよ。
もうみんなが向き合っていく。
で、子供はいない方いるけどね、親はいない方いないじゃないですか。
そうですね、親は絶対おられますからね。
生存、お元気かどうか。
プロとしてのお仕事でも、数々の白場をくぐり抜けてこられ、大きな痛みをも知る方々に出会うとき、その方の存在感は何があってもビクともしない、おさとしての安心感を周りの人に自然と与えてくれるものです。
カタカナの相似性でいうところの、愛に通ったパターンで言えば、自分自身の感情のうち割り切れない気持ちとか、まだまだ至らない自分とか、いわゆるネガティブな感情も丸っと抱えられる自分となれるように、胸を張って前を向いて歩いていきましょうということが抱き枚出すということかなと。
早くそういう大人になりたいですよね。
成熟した泡を持っているっていうのが、やっぱり言い換えると白場くぐり力だと私は思ってまして。
わかります。
やっぱり、父さんの経験だとか、裏切られたとか、学校行けなかったとか、そういうことを持ってる人の方が結局人としての魅力がある。
そうかもしれないですね。
ね、ということだったりしますよね。
で、この言葉を手向けてその場や気持ちを和らげるっていうのがこと向けやわす。
で、やわすというのは状況や相手の気持ちを和らげることとなんとなく捉えられます。
やわすともやはす、やわすとも書くようで、言葉を手向けて状況や相手の気持ちを和らげる、それがこと向けやわすの意味かと思っております。
言葉を手向けて和らげることの元々の大人心持ちというのは、例えばおかげさまであなたがあってと相手にお花を持たせるということでもありますし、
で、以前にこのことをお伝えしていたときにお母さんとの関係が長年つらかったとおっしゃる方がこんなお話をしてくださいました。
で、その方は数年かけてお母さんに子供の頃あれがつらかった、これがこうだったと勇気を持って、伝わるかどうかわかんないけどね。
伝えるってことを頑張ってやっていかれたら、でもお母さんもきっとそう言われてもあんまり気持ちの良いものではないから反応してくれなかったんですよね。
何も答えてはくださらなかったようですが、それがあるときやっと積もり積もったのかね。
なんかよくは私にはわからないけどとにかく悪かったねって一言おっしゃったそうで不思議なんですけどそれでなんか全部解けたんですよね。
だからことを向き合わせてわかりますって教えてくださいました。
言葉というのはそういう働きがあるんだと思います。
介護や子育ての連携でもお互いにおかげさまでとかありがとうねって添えるだけでも状況や気持ちが全く変わってくるであることもその例なのではないでしょうかとお伝えしているのでございます。
やっぱりその言葉をね、伝わる伝わらないはひょっとしたら一旦置いておいて伝えてみるとか感じてもらうみたいなところは必要なのかもしれないですね。
言語化するっていうのが狭抜きの力だっていうふうにね、いつも言ってるんですけど自分のモヤモヤっとしたね。
モヤっとした気持ちをこれが嫌だったかもとか、あの時のことがもしかしたらずっと引っかかってんのかもみたいなそれを自分の中から見つけ出していく。
言語化してそれをさらに相手に伝えるって地味に勇気が要りますよね。
情けないけどあれ絶対許してないかもみたいなのとか。
お母さんからしたら何気ないかったことが、私あの時から結構やっぱり元気ないんだよねっていうのを言ってみるとそんなつもりなかったし、
あの日本当体調も悪かったからそういう風に言っちゃったかも覚えてもないんだけどごめんねって言うのができると、
まあ共感できたというよりかは受け止めてもらえて一応認識にお互い出せたっていうことがなんかまあいいかって。
なりますよね。
まあいいかが本当に大事な3つの音だったりするんですけどね。
本当にそういうのがちょっとでも見つかるといいなと思っております。
最後ね、こと向き合わせたおじいちゃんのエピソードをいつもお話ししております。
他にもこと向き合わせについてこんなお話を聞きました。
たくさんの方お会いするのでね。
お酒飲みで包丁持って暴れるような大変なおじいちゃんを持った方がいらっしゃいました。
おじいちゃんが年老いて入院した際に酸素マスクされていたそうですが、
とうとう最後の時間になったとき酸素マスクを外してそばにいたおばあちゃんをぐっと抱き寄せて
愛してるよと言われたんだそうです。
それが孫から見てもすごくかっこよかったっておっしゃってました。
おじいちゃんだったらね、年代的に今までお世話になってありがとうとか世話かけたなだったら考えられる話かもしれないんだけど
でもその年代のおじいちゃんがそれこそもう今の際だから親戚みんな集まってる前で
愛してるよと言って亡くなったことがそれから生きていくおばあちゃんや
それは娘や息子やお孫たちの人生に大きな影響を与えただろうことは想像できます。
これはまさに一言でした。
でもおばあちゃんがこの人と結婚して幸せだったと思えたんだとしたら
そのお子さんたちは孫たちにも大きな影響を与えると思うので
言葉にはそういう作用があってそんなことを少しずつ毎日の生活で使っていけたら
いずれはもっと大きなスケールの大きなこともやらせていけるのかもしれないと感じております。
本当にそうですよね。たった一言かもしれないですけれどもやっぱりその人の心をじーんと震わせるような
そうなんです。
こういう言葉が必要なのかもしれないですね。
このおじいちゃんも包丁も持って振り回してたんですよ。
でももう最後の最後でひっくり返したんですよね。
あっぱれな例だったのでいつもお伝えしております。