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020 はじめてのカタカムナ 「虫の音を「声」として聴く「日本人の脳の秘密」「サヌキとアワの知恵」 [2026.8.14放送]

2026-08-24 30:00

020 はじめてのカタカムナ 「虫の音を「声」として聴く「日本人の脳の秘密」「サヌキとアワの知恵」 [2026.8.14放送]


インタビュアーのMacott(マコット)です。


【 「虫の音を「声」として聴く、日本人の脳の秘密」「サヌキとアワの知恵」】

今回の放送は、前半に「虫の音を「声」として聴く、日本人の脳の秘密」 後半に「サヌキとアワの知恵」をお送りしています。


虫の音を「声」として聴く、日本人の脳の秘密


「ちんちろりん」と鳴く虫の音を、私たちは当たり前のように「声」として認識していますが、実はこれ、世界的に見ても非常に特殊な能力


日本語を母国語とする人は、自然の音を「言語」として左脳で処理します。

これは11歳頃までに日本語環境にいることで形成される、特別な音の振り分け方。


他の国では虫の音や自然現象を右脳で処理し、単なる雑音と捉えるそうで、聞き分けることができないそうなんです~~~


日本人は虫の音や自然現象を、意味を持つ言語として認識する特殊な感受性を備えており、それが「空気を読む」といった日本独自の繊細な精神文化の根底に生き続いているそうです。


日常ですぐに使える!「サヌキ」と「アワ」の法則


カタカムナの教えは、決して難しい理屈ではありません。

私たちの日常や人間関係にそのまま活かせる「サヌキ(男性性)」と「アワ(女性性)」という面白い考え方。


• サヌキ(男性性): 意志を持ち、目的に向かって突き進むエネルギー。何かを成し遂げようとする強さ。

• アワ(女性性): 周囲に合わせ、環境に適応し、命を育むエネルギー。柔軟性や適応能力の高さ(環境的順応性)。


「今の自分はサヌキが強すぎないかな?」「ここはアワの力で合わせてみようかな?」と、自分の状態を客観的に見るための「心のマップ」として活用して、自分の力を開放してください。
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サマリー

このエピソードでは、日本語話者が虫の音を「声」として認識する脳の仕組みと、その背景にある日本文化の特殊性について解説しています。日本語話者は、11歳頃までに自然の音を左脳で言語として処理する能力が形成され、これは世界的に見ても珍しい能力であり、「空気を読む」といった日本独自の繊細な精神文化の根底にあると説明されています。後半では、カタカムナの教えから「サヌキ(男性性)」と「アワ(女性性)」という概念を紹介。サヌキは意志を持って突き進むエネルギー、アワは周囲に合わせ命を育むエネルギーと定義され、これらを自己理解や人間関係に応用する方法が語られています。ネイティブアメリカンや古代日本の知恵にも触れながら、これらの概念が現代社会や人間関係において、どのように役立つかが示唆されています。

00:00
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はじめてのカタカムナ
この番組は、書籍、はじめてのカタカムナを、より詳しく、一つ一つ丁寧に解説していく番組です。
カタカムナを日常にすぐ活かせる形でお伝えさせていただきますので、ぜひ楽しんでください。
ごきげんよう、マコットでーす。
へー、こんにちは。
今週もよろしくお願いいたします、アッコさん。
日本語話者の脳の秘密:虫の音を「声」として聞く能力
先週はね、やっぱり、母音のとこから、日本を飛び出せ、極端な言い方ですけれども。
そんな感じで、やっぱり、中にいてては見えないこと。
外に出て、やっぱり差をとるっていうことが大事ですよ、みたいなこともね、ちょっとお話しいただいたんですけれども。
やっぱりアッコさんは海外に出て、いろんなことを経験されて、
この日本の良さみたいなところって結構見えてる感じですよね。
やっぱり娘たちも、子供たちもそう言いますよね。
日本の良いところと、悪いところって言ったらあれだけど、メリット、デメリットっていうのはそれなりにあって、
どっちを選ぶかっていうのって、自分たちで決めて欲しいな、考えて欲しいなっていうのがあって。
でもそこってお互いを見て、差を見ないとどっちを取るかとかって選べないですよね。
そうですよね。もう最初から淡路島を一歩も出たことがなかったら、やっぱり自分の世界観というか、世界線が違うじゃないですか。
そうですよね。
せっかく良いところも当たり前に感じてしまうっていうのは非常にもったいないので、せっかく住むなら日本っていいなーって思いながら住んでほしいし、
そういう意味でもやっぱりお外出ていろいろ失敗するとか苦労するとかもすごく貴重なことなのかなって思いますね。
ぜひぜひね、このカタカムナを通して日本の良さとか、そういうのもね、あこさんの口から発信していただきますので、
これからもどんどんどんどん引き継いで聞いていただけたらなと思います。
ありがとうございます。
初めてのカタカムナ。
はい、ではあこさん改めてよろしくお願いいたします。
お願いします。
先週からの引き続きですよね。
日本語の響き、母音のところっていうところで、
先週もちょろっと虫の音の聞き分けっていうところもお話ししていただきましたけれども、
しっかりとあこさんからまた朗読していただけたらなと思います。
はい、ありがとうございます。
82ページですね。虫の声、虫の音がちんちろりんと聞こえるっていうのはね、
当たり前の話みたいな感じですけども。
そうですね、日本人にとってはね。
これが日本語の響きには擬音語、擬体語はとっても多いと言われます。
オノマトペとかね。
例えば子育て中のママさんたちは毎朝、もうサッとって子供に夏休みなんかね、
ほんまに言いがちかと思いますが、
そのサッとするっていうことが早くするっていうことなというのは、
不思議と小学生にもわかりますと。
本当ですよね。
サッとしてやーっていう。
よく言われました。
日本語を学ぶ海外の方に伝えるためには、さらに言葉が必要になりますけども、
この語感や感覚の違いが、いわゆる日本語人の脳というものだそうで、
研究されている先生方もおられまして、
こういうのね、最近ペンキ学科の証言さんとかね、
いろんな方が日本語ってすごく面白いんだよ、大切なんだよってね、
言ってくださっていた、同じ話です。
秋にちんちろりんと虫の音が聞こえる。
また、しとしと雨が降ったり、そよそよ風が吹くなど、
日本語には豊かな表現が数えきれないほどありまして、
日本語の脳は、こうして自然の中の音を言語として認識するっていうのが特徴なのだそうです。
でもこうやって言われてみないとわからないですもんね。
そうなんですよ。そこは当たり前になっちゃってるわけですよね。
サッとする、ソッとする、ゾッとする、カッとなるっていうのに、
説明しようとしてみるとその難しさを実感するということが多々あったので、
それをいろいろ書いてるわけなんですけれども、
日本語以外の言語を母国語としている方たちなら、
これらエアコンや車の音と同じように虫の音をですね、
単なるノイズとして捉えると言います。
この特殊な音の振り分け方は、11歳くらいまで、
ただ大体小学校、低学年くらいまでに日本語を母国語としているとそうなるらしく、
サッと言うと早いっていうことなのだとわかるようになるっていうことなんですよね。
スーッとする、例えばミントキャンディを食べて、冷管スプレーかけて、
スーッとしたっていうのが、早いと涼しいっていう風が通るんだっていうことがわかりますし、
カッとなるなら火がつくような感じが私たちには自然と伝わります。
ここで伝わりますよね、海外の方来てほしいですよね。
本当にね、めっちゃ怒られるんですよ。
そうなんですか。
なんでそれでそう言ってしまうんやっていうのがね、
異次元なんですよ、日本人がやっていることが。
ただし、音読みするか訓読みするか、半濁つけるか濁音つけるかみたいなことも、
スラスラスラッとやってしまう。
1本2本の話もしましたけれども、
この場合どうなのっていうのを普通にやっちゃってるのが、
さっする文化の根っこにもなってしまってる、空気読むっていう。
行間を読んでるわけですよ。文脈を読んでるんですよ。
ただし私は、日本人が優れていると強調したいわけではもちろんないんです。
ですからあくまで日本語ってすごいよっていうことをお伝えしていまして、
そして日本語を母国語とした時に脳で特殊な振り分け方が出来上がってくるなんて、
やっぱり言葉が意識に与える影響はとても大きいんだと思うんです。
この特殊性に気づいて、日本のそういった日本語とか文化が外に出ていくのって、
コミックとかアニメが大きいわけなんですよね。
あとは日本に来て食べ物とか景色がいいとか、そういうふうに喜んでくれて、
日本語の不思議っていうのは、今YouTubeとかでも言語学の方もそうですし、
日本の側からも外国から来た人が日本語ってこういうとこはすごいし不思議みたいなのを、
めちゃめちゃ発信してくださってるとかいっぱいあるんですよね。
それがもうすごい嬉しいなと思って、面白くてよく聞いてるんですけど、
やっぱり日本語を話してる、こうやってスラスラ話してる人が、
意識もしないし、勉強したいとも思っていないところがすごいんだよっていうのは、
やっぱり彼らが他の言葉をボゴとしていて、
習得しようとするときに混乱したりだとか、
そんな言い方あるんだみたいなところにびっくりしてくれるっていうのが、
そういう人ってやっぱり日本語がとっても馴染んでると、
所作であるとか仕草とかね、振る舞いがやっぱりすごい日本人以上に日本人的になるじゃないですか。
で、そういうのはやっぱり日本人が偉いって言いたいわけじゃないんですっていうのは、
やっぱり私神戸の生まれ育ちですし、
普通に学校にも、公立の学校にも昔からやっぱり海外からのお子さんたちも神戸って多いので、
そうなんですね。
いろんなお名前のこととかね、それを公表してる人もいれば隠したそうにしてる人もいたけれども、
でもやっぱりいろんなお友達がいて、
みんなをお世話になったりとか、特に海外行った時にもちろん海外の人にお世話になってるっていうのもそうだし、
どっちが優れている、優越するためにそれを使いたいとかではなく、
ただしやっぱり日本語ってこれだけ数少なくなってきているし、難易度が高いし、
非常にユニークなんだよっていうことを言いたいっていう感じですね。
でもそこをね、気づいている人と気づいていない人って全然違いますもんね。
いやだからさ、もう本当にそこが偉いと全然思ってないみたいなところを、
改めて認識してもらえるっていうのはお伝えする価値あるかなと思うんですよね。
そうですよね。やっぱりそういう言葉を使って、無意識にやってることですけれども、
考え方であったりとかあり方みたいなところも変わってきますもんね。
そうなんですよ。だから英語が喋れないとか、フランス語が喋れないとかって思うかもしれないけど、
日本語喋れるって本当すごいし、めちゃめちゃ希少価値なんですよっていうのをいつも言ってますね。
そっちの方が絶対価値としては高い。レアだから。
っていうところに、そんなとこ?みたいなのって、
みんなやっぱり自己価値とか自尊心とかって、
自分そんなとこに長所があるんだとか知らなかったりするわけじゃないですか。
だから日本語でこうやってお話しして、日本語の本でお伝えしてっていうのが、
読めてること自体、聞いてご理解いただけてること自体、あなたがその人です。
そうですよね。
すっごい思ってほしいなと思っております。
ぜひぜひね、こういうふうにカタカムナっていうところから、
日本語の素晴らしさみたいなところもしっかりと感じていただけるといいのかなと思いますよね。
ここから先、本当に必要になってきますから、それが。
私の周り不思議な人多いんでね、宇宙とコンタクト取ったりとかね。
そういう人はね、やっぱカタカムナですよねってなってきちゃったりとかね。
今年、あの有名なスピーバーグ監督のディスクロージャーとかなんかいろいろあったりとかするじゃないですか。
そういう時にもカタカムナが大事な鍵になってくるんじゃないかとか。
聞きたいですけど。
運が長いみたいな。
そこは突っ込んでいいのかどうか。
いやいや本当に、多い多いね。
そうですよね。
ぜひぜひ。
そのあたりもせっかくなんでね。
教えていただけるとすごく嬉しいなと思います。
サヌキとアワの法則:男性性と女性性の知恵
では、引き続きいきましょうか。
やったー、5章まで来たー。
聞きたい、このサヌキアワ。
教えてください。
ありがとうございます。
基本のサヌキアワのところに参ります。
これね、語り目として語らせてもらってるのはそのままの流れが結構大きいんですね。
まず最初に基本のサヌキアワのお話ししといて、
また回りてめぐって次の深めのサヌキアワの話みたいな感じの構想になってるので、
そのイマージョン式っていうか、ちょっとずつ染み込んでいく式みたいな流れの最初のところです。
86ページ、原始宗教的なつながりということで、
ご縁のあったアメリカのネイティブの方たちは、先住民の方ですね、
ストーリーテリング、物語です。
古伝や民話の形で英知を伝えることをされたりしています。
私は日本でそのような集まりの通訳をさせていただく機会をいただくんですが、
そこで教わったことの中にカタカナと通じるなと思うお話があったので、
いつもそれをお伝えしてるんですね。
日本人とネイティブの方たちと共通するというアニミズム的な精神は、
いわゆる原始宗教的であると言われるものらしく、
たしかに日本にも古くからヤウヨルズの神様のような捉え方があって、
昨日も淡路島の岩倉さんに、ひもろぎさんにお客様、お友達を連れしたりしたんですけど、
私自身、そしてカタカナに興味を持たれる方々の中にも、
滝とか岩倉さんとかと呼ばれる巨石、大木を訪ねるのが大好きっていう方がとても多いんですよ。
部族系と呼んでるんですけど、そういう我々のことをね。
そういえば日本の神社も、もともとは親城自体をお祭りするものではなくて、
街中に存在する人々が集まりやすいように里宮というね、
親城を作られたという、いわゆる里宮と呼ばれていて、
だからお年寄りとか、赤ちゃん生まれてお宮参りとかね、
そういうの、行事屋さんが行くような険しいところって難しいじゃないですか。
この暑い時とか寒い時とかね。
だからもう誰でもご挨拶できるようにっていうのが里宮。
それに対してお組屋とか言われたりね。
なるほど、そういうことなんですね。お組屋って。
本来、敬われていたのはその背後にあるお山自体であったりだとか、
滝御神木そのものだったんだというふうに聞いております。
ネイティブアメリカンの方たちに教えてもらったことは、
今のアメリカの建国憲法は、最初ほぼネイティブの人たちのルールを取り入れて作られたんだよっていうことでした。
そうなんですね。
そうなんです。
だからアメリカっていう若い国が、比較的ですね、若い国がユニークだって言われるのは、
やっぱり自分たちの憲法を自分たちで作っちゃったってところなんだって。
で、それは自由や平等というような基本的、今となってはね、
基本的なことのようだったんで、
で、おばあちゃん委員会とカタカムナっていうのを次書いてますけれども、
ただし、さすがにその当時の白人社会も、もちろんそうですよね。
白人メインの社会だったんで、取り入れられなかったルールがあって、
それがグランマーズコミュニティというもので、
で、これよく誤解されるので下の方に、本だとね、87ページ下の方にグランマーズコミュニティと書いてます。
コミュニティって日本語でも外来語でよく使われますけど、
コミュニティは地域っていう意味だったりしますよね。
で、コミュニティっていうのは委員会なんで、直訳するとおばあちゃん委員会。
で、おばあちゃん委員会というのはどんな機能を果たしていたかというと、
部族のチーフや長老たちが集まって合意したことを最終的に持ち込むところだったそうなんです。
つまりは、本当初耳で、で、えーって言ってねほりはほりをお昼ご飯食べながら聞いてたんですよ。
で、その物語って絵本の物語みたいに出来上がってるんで、
で、それをその場所に応じて彼らはストーリーテリングって幕伝で、
そこに織り込まれた英知みたいなものを伝えてくれるんだけど、
通訳のメリットってやっぱりそういうね、送り迎えの時とかランチタイムとかに、
あれってどういう意味?みたいなのがね、いっぱい聞かせてもらえたりとか、
あ、そういうことだったんかっていうのはやっぱりそれこそね、
好奇心でもって色々聞いたりとかできるとこだなって思うんですけど。
そういうのは特権ですよね。
前から講演会みたいなところでさらっと言って聞けなかったところをあれって教えてもらえますもんね。
そうなんですよ。
この最終的に持ち込むところっていうのは、つまりは彼らにとっての最高決議官であって、
なんでそれがおばあちゃんじゃなければいけないか。
それをおばあちゃんたちは命を育む難しさと尊さを同時に理解してるからって聞いたんですよ。
えーって思うじゃないですか。
思いますね。
だから自分たちの命の最終決定をする役割なんだそうですって書いてるんですけど、
で、阿波は命の方向性を示すっていう章を次に書いてまして、
これがなぜカタカムナで出てくる話なのかと。
そうですね。
で、あ、同じこと言ってるって私は思っちゃったもんで、
で、そのなんでおばあちゃんじゃなきゃいけないかっていうのを後でも書いてるかもしれないんですけど、
まあばあちゃんたちは、
例えばあんたたちは長いことね、お父さんお母さん子供が授からなくて、
何回も神社に通ってお神様にお願いをして、やっとあんたができたんだよとか、
で、しかも生まれるときにへその巻いててものすごいなんざんでお母さん死ぬ思いしたんだよとか、
生まれてすぐめちゃめちゃ高熱だしてとかさ、
そういうストーリーを知ってるわけですよ、ばあちゃんって。
で、おじいちゃん知らないわけじゃないと思うけど、あんま興味ないよね、そこに。
で、踏み入っちゃいけないとかね、思ってくださってたりだとか、
だからこの、まあ例えばそうやって怪我をしたりね、病気したりしながら大きくなったA君B君が、
大きくなって大人の事情で殺し合いをしないといけなくなりましたと。
で、そのときにどっちがどうなんでしょうかっていう争いをね、決闘してもいいかみたいなのを、
例えば決めるのはばあちゃんでなければならないと。
もうそれこそね、あんたどうやってここまで大きくなったと思ってんの?みたいな。
説教しそうじゃない?おばあちゃんって。
いや、もうそしたらもうそれこそサッカーで決めなさいとかね、
稼ぎの多さで決めなさいとかね、ジャンケンで決めなさいとかわからんけど、
命かけてどうすんだそんなとこでみたいな。
ばあちゃんだったらそういうこと言うんじゃないかな?みたいな。
なんとなくイメージはつきますね。
想像つくでしょ。
で、カタカムナで言われてるのは、カタカムナではアワは命の方向性を示すっていうことが伝えられているので、
それに対してサヌキっていうのは男性性のことを表していて、アワっていうのが女性性のことを表してるんです。
これ最初に聞いたのがね、ここ書いてますけど、関西ではサヌキ男にアワ女っていうのをね、やっぱり知ってる人は知ってると思うんですよ。
これ関東の人は知らないから。
そうなんですね。
で、本に書いてんのはアズマ男にキョウ女。
それは多分聞いたことある人いると思うんですよ。
そうですね。
のようにして関西では今の言葉でもサヌキ男にアワ女。
男といえばサヌキ、香川県ですよね。
サヌキ、うどんですから。
で、アワといえば徳島、アワ踊りのアワ、淡路島のアワがいいという表現ですけれども、
愛媛、サヌキ寺、淡路寺っていうのがカタカムナ歌いの33番目に出てくるんですよ。
80あるって言ってたうちの33番目。
もしかしたらこの概念をもともと私たちは知っていたっていうことを思い出せるように、
先人の人たちが四国の地名として埋め込んでおいてくれたのかもしれないと感じてます。
いろんな方にお話しするときに、やっぱり地名に残っているレベルで古いところっていうのがね、
もともと私たちが知ってた可能性ありますよねって。
そうですね。
言うとわかりやすいかなと思っているので、そこにもともとの残ってた資料からね、抜粋で書いてますけども、
サヌキとは男の本性、アワとは女の本性のことである。
何かをしたいという意欲を持ち目的に向かって突き進むのが男性性ですよね。
サヌキの性ですね。
前後も見ずに飛び出そうとするサヌキに対し、だから俺行くんだみたいな息子に対し、
それがうまくいくように前に回り、後に回り、右に左に心を配ってその安全を守ろうとするのがアワの性。
だから例えばお息子が俺行くんだって言ったときに、相手方にちょっと寝回ししておいたり、
すいません、うちの息子がこの夏お世話になりますみたいな感じだったり、
脱ぎっぱなしで出て行っちゃったのもしょうがないなーっつってある程度片付けとくとかね、やるじゃないですか。
お母さんおばあさんはね。
相手に対し、まず反発的に自己を主張し、相手を否定してまで自分を通そうとするのはサヌキの性。
だからこれは当然ですけど男性に限らず、貫き通す強さを持った女性っていうのはお仕事できる人だし、
自分の意見を主張できる人だし、っていうので、もちろん女性も持っている。
で、男性が突き進んで、相手が突き進んでくればまず身を避けて通してやる。
で、それから相手が同じ心ならそのまま受け入れ、合わないときは合うように仕向け、
とにかく相手に順応しようとするのがアワの性。
合わせるので。
環境適応性っていうのは、例えば海外行ってそこに馴染むってことも一緒だと思うんですよね。
東京に出てその生活に慣れるっていうのも、アワの性が生命力イコール環境適応性が強いと、どこに行っても潰しが効くってことですよ。
で、順応して合わせて、合にいれば合に従うっていうことができて、
じゃあここではこういうことができそうだ、できなさそうだっていうことを判断して、っていうのはやっぱり合わせる質が多いとやりやすいので、
海外行ってる人のパーセンテージで言っても圧倒的に女性が多い。
そうですよね。
そうなんですよ。
やっぱりプライドとか、やっぱり難しいものが男性的には高くあったりだとかいうこともそうでしょうけど、
やっぱり合にいれば合に従うことが非常に女の人はフレキシブルにできる。
なるほど。
柔軟性があるってことですよね。
これは掃除症開始っていう元のね、開始からの抜粋をさせていただいております。
ただし、このサヌキアワの話を本当にいつも中心にね、まずさせてもらってるんですけど、ここ5章とか作ってる理由も、
カタカムナって範囲が広すぎるんですよ。
そうですよね。
なんで、サヌキアワで考えると私たちの日常の在り方になぞらえて、あ、そういうことかって。
これは段ちょっとも考えられるし、例えば説明してくださって、解明してくださった奈良崎光月先生からすると、プラスマイナスの電気の話でもあるので、
でも例えば、普通に電気の話とか私もわかんないから、女性はこう、男性はこうっていうのはなるほどっていう理屈が理解しやすいんですよ。
そうですよね。
なので、まずサヌキアワが理解できれば、日常でどうしたらいいかが判断しやすいということで、ここを入り口になったらいいかなっていうのでお話ししてる感じ。
でも結構わかりやすいですね。男性性、女性性っていうところをひもといていって、
ああ、だからうちの奥さんはとか、だからうちの男は、息子は、娘はみたいな感じで。
そうなんですよね。死神学もそうなんですけどね、日常の一番身近な人間関係を扱う奴っていうのがすごく好きで、
抽象的なんだと、勉強した気にはなるんだけど、でもぶっちゃけゲームばっかりしてる息子にどうしたらいいの?とか、
昨日旦那にこういうこと言ってしまったけど謝ったらいいの?どうなの?みたいなのが、帰ってすぐ使えるものであってほしいんですよ。
これ聞いて、すぐ、なんかこんな話今日聞いてんけどさ、みたいなのとか、使えてなんぼっていうのは本当に関西人並みに思っちゃいますよね。
でもやっぱりこうやってね、さぬきあわのお話で自分に身近なところで聞いて、
なるほどって理解したら本当に帰って使ったりとかね、実践していきやすかったりとかしますもんね。
そうなんですよ。だからね、これは前もちらっと言ってたかもしれないんですけど、倫理だとかさ、哲学とかってさ、やっぱり長いこと宗教的に置き換えられてきたっていうか、
でそのスピリチュアルとかね、好きな仲間も多いし、そのニューエイジ的なものの考え方とか、見えないことの捉え方っていうのって、
やっぱり暗中模索だったと思うんですよ。人類にとっては。
でもなんか法則があるはずやって、何かにのっとってある程度歩けた方が、やっぱり前も言ってましたけど、マップがあるとないとではお違いっていう。
それこそ私にとっては神戸の震災がきっかけだったりするから、何かの法則でこれが起きてるのか起きてないのか。
だってすごい理不尽ですよね。隣あって立ってるのに隣は全壊で、こっちは大丈夫とか、逆にこっちはね、なんか命が失われたけど向こうは元気だったとか、
なんで?ってなることがやっぱり生きてるうちにはあると思うんですよね。
そこに法則性があるんだろうか、みたいなのはやっぱり私も何か探したかったと思うんですよ。
でもその宗教にとって変わられている限り、やっぱりそれが課金システムになっていたりだとか、献金によって団家さんによって成り立っているものであるとか、
その権力構造がやっぱり司法とか政治とかも絡んじゃったりとか、ラジオかこういうこと言ってもいいんですよね。
だから自分で考えることをやめると、そういうものに絡めとられるっていうのって世の常だったんじゃないかなと思うんですよね。
例えば見えない世界で水亀座の時代でね、個性の時代で自由でいいよって急にほっぽり出されても、どうする?みたいな感じもあるでしょうし、
その時に本当に日本語っていうね、フラットなものが、そこに一定のお姿やお名前がない、偶像的なものではないっていうもの、
言葉だから目に見えるものでも実際話している分にはないっていうものが法則性を見せてくれれば、それが非常にいいなっていうので、
さ抜き合わで世の中を理解してもらう。
例えば食べ物で言うといいよであるとか、そこもプラスマイナスで言うと同じ話と思うんですよね。
それをいろんな言い方で言うときに、一番大きいのはさ抜きって言うとすっかり鋭い感じがするわけですよね。
差を抜くんですから。
そこはやっぱり体感とか音感を持って私たちは理解を共有できるところだっていうのがすごく大好きなんですよね。
本当に今まだ話の入り口だとは思うんですけれども、ほんの少し聞くだけで実践的に使えそうだし、納得感があるような話なのかなと思いますね。
本当にね、そうであってほしいな。
帰って今日すぐ聞いてからすぐね、これってさ抜きなんかなとか、ちょっと阿波っぽくなっちゃったなとか、
そういうのが普通の言葉になればいいってもともとの著者の先生も書いてらっしゃるので、
なんとなくそうなってきたかなって聞いてくださってありがたいなと思ってます。
ありがとうございます。これからもどんどん深く入っていきますので、
ぜひとも来週もまた皆さん聞いてください。
ありがとうございます。
あこさん今週もありがとうございました。
30:00

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