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不幸・病気。なぜ私がこんな目に?ブッダの回答
2026-05-16 17:14

不幸・病気。なぜ私がこんな目に?ブッダの回答

物語で仏教を読み解く新チャンネルが始動。初回はチャックパーラの物語を通じ、ブッダが説く「業」の真実を解説します。不幸はすべて自業自得なのか?単純な理解に陥らない、苦しみとの向き合い方を丁寧に読み解きます。


【目次】

なぜ人は不幸になるのか?

新チャンネルの紹介

盲目のチャックパーラの物語

盲目は前世の業のせい

ダンマパダ第一偈

不幸や病気がすべて業のせいなわけではない


【参考文献】

ダンマパダ・アッタ・カター


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▼大忍貫道プロフィール


1987年福岡県生まれ。花園大学文学部卒業。臨済宗妙心寺派。

尾張妙興寺僧堂にて修行。

2011年より九州地方の臨済宗妙心寺派寺院にて住職を務める。

SNSでも仏教の情報発信を行い、Instagram フォロワーは4万人を超え、Podcastフォロワーは2千人を超える。

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サマリー

このエピソードでは、仏教の教えを物語を通して解説する新チャンネルが紹介されます。盲目の修行僧チャックパーラの物語を例に、不幸や病気の原因が「業」にあるという考え方を掘り下げます。しかし、ブッダは苦しみの原因を業だけに限定せず、身体的な要因や環境、他者からの影響など多様な原因があることを説いています。複雑な現実を単純化せず、苦しみの原因を丁寧に理解することの重要性が語られます。

新チャンネル「物語で読み解く仏教」の紹介
物語で読み解く仏教。 人生には時に思いもよらぬ不幸が訪れることがあります。
どうしてこんなことになったのか。なぜ私がこんな目にあわないといけないのか。 そのような問いに対して、ブッダはどのように答えられたのでしょうか。
今回は、そのことがよくわかるお話をご紹介します。 本編に入る前に、新しく始まりましたこのチャンネルを簡単に説明させてください。
今回から始まりましたYouTubeチャンネル物語で読み解く仏教は、ポッドキャスト番組感動和尚の初めての仏教をリニューアルしたものになります。
元は音声だけのコンテンツだったものを、YouTube限定で動画コンテンツとして配信を始めました。
タイトルにあるように、仏典には古代インドを生きた人々の様々な物語が収められています。
人生に悩む人、愛する人を失い悲しみに沈む人、思い通りにならない現実に苦しむ人。
このように聞くだけでどこか既視感を覚えませんか。
そう、そこに描かれているのは赤の他人ではなくて、私たちそれぞれ自分自身なんです。
まるで私たちの写し鏡のような登場人物を通じてブッダが語りかけてくれる。
それが仏典に描かれる物語です。
このチャンネルでは、そういった仏典に描かれる物語を手がかりに、人生を、仏教の教えを、そして自分の心を丁寧に読み解いていきたいと思います。
語り手は林在宗僧侶、私、大任寛東です。
盲目の修行僧チャックパーラの物語
今回ご紹介する物語は、主人公はチャックパーラというお坊さん。
彼が生まれる直前から物語は始まります。
インドのサーバッティという場所において、子供がいない裕福な資産家が住んでおりました。
彼はある時、道で一本の立派な樹木を見て、この木には神様、精霊が宿っているに違いないと、こんな風に思いまして、
その木の根元を掃除して飾り付けをした上で、塀で囲います。
こうすることで樹木が切り倒されないようにしているんですね。
私、先般伊勢神宮に参拝行ったんですけれども、伊勢神宮にも塀で囲まれている木がありまして、松なんですけれども、これ天皇陛下が植えられた松なんですね。
天皇陛下が植えられたものは切ってはいけないということで、切られないように塀で囲われていました。
それと同じ状況ですね。
このインドとか東南アジアの文化圏って、樹木に精霊が宿っているっていう、こういう信仰がありまして、
ブッダも悟りに至った後、直後、前か直前ですね。
直前に菩提寺の根元で瞑想をしてたら、近くを通りかかった人から、この木の精霊が瞑想しているって勘違いされて、お伏せされるっていう出来事があったんですけれども、そういう風に信仰があるんですね。
このように樹木を保護した資産家は、その樹木に対して子供を授けてくださいと願掛けをします。
すると、その後、数年後なんですかね、願い通りに子供を授かります。
樹木を守ったことで子供を授かったんだと、こう思ったので、このインド語で守るという意味のパーラという単語を子供の名前につけました。
さらにですね、いいことが続きまして、そこからしばらくして、もう一人子供が生まれるんですね、弟。
その子も、この子は木を守ったことで生まれてきたのに違いないと、こう思ったので、パーラと同じ名前をつけるんですね。
弟とお兄ちゃん、同じ名前なので、お兄ちゃんの方を大きなパーラということで大パーラ、弟の方を小さなパーラということで小パーラと、こういう風に区別をしたと。
雑な感じもするんですけれども、仏典にはよくそういう風な形で名付けするってパターンがよく見られるんですよ。
現代の名付けって、子供に対して親の願いとか思いが込められることが多いかなと思うんですけども、時代を遡ると名前があまり重視されてない、
他の人と区別するための記号みたいな、それぐらいの位置付けの時代があるんですね。
中世ヨーロッパとかでも同じ名前の人ってたくさんいますし、兄弟でもね。古代インドもやっぱりそういう傾向があるんですね。
大人になった大パーラはある時、大勢の人々が様々なお供え物を持ってお寺に行くのを見かけてついて行きます。
そこで初めてブッダの教えを耳にします。
その時、大パーラは感銘を受けまして、これまでの生活はできないなと、世俗の生活では満足できないから出家をしようと。
自分の持っている財産をすべて弟に譲って出家を決意します。
出家した後の大パーラはすごく熱心に瞑想修行に取り組んでいくんですけれども、あまりにも熱心すぎて睡眠をまともに取らなかったらしいんですね。
無理がたたったことで目が不自由になってしまうんです。
お医者さんにかかって目薬を処方されるんですけれども、修行に先進するあまり、お医者さんの指定の用法を守らない。
だから目が全然良くならないんですね。
その様子に、あなたちゃんと用法を守ってますかってお医者さんに疑念を抱きまして、守ってないことを知ると、もうやめますと。
私の腕が悪いと誤解されてしまうから、あなたは私の患者であったってことを他に言わないでくださいと、こういうふうに言われてしまって見放されてしまうんですね。
現代の日本の価値観だと健康とか命ってすごく大事なものなので、そういうものを損なってまで修行するっていうのは、ちょっと間違ってるようにも見えるんですけども、
でも歴史的に見るとそうではない価値観の方が圧倒的に多いですね。
日本でも明治維新の際に活躍した高杉晋作とか、結核で病気を患ってたんですけれども、それを推して命を削りながら国を変えるために活動をするってことをして、27歳でその生涯を閉じましたけれども、
自分の命よりも優先するものがあるっていう、こういう価値観で生きてる人ってこれまでの歴史的にはすごく多かったんですね。
このダイパーラもやっぱりそうで、自分の健康よりも煩悩、自分の心の良くないものをすべて断つ、そして悟りに至る、これが優先をされたということです。
で、こうして目が不自由になったダイパーラだったんですけれども、周囲の人々のサポートもあって、その後も修行生活を続けていくことができます。
そんな折に一緒に生活してた他のお坊さんたちと遠方にいるブッダの下に長谷三次王ということで外出することになりました。
でもダイパーラは目が不自由ですから、ちょっと自分がいるとみんなに迷惑かけてしまうなとこういうふうに思うんですね。
ちょうどブッダのいる近くに自分の弟が住んでたので、みんなにですね、あなた方は先に行ってくださいと。
先に行って、自分の弟が住んでいるところを尋ねて、弟のところから使い子一人、自分のところによこしてくださいと。
その人の先導、サポートによって私はみんなに追いついてブッダのところに行きますと。
その通りにみんな先に着きまして、弟のところに行って、あなたのお兄さんが今大変ですからと。
だから誰か一人使い子をよこしてくださいねとお願いをして、弟もそれは大変だということで使い子一人送ってくれるんですね。
弟から手配してもらった月人と一緒に行くってことになるんですけれども、この月人がですね、あまり当てにならなくて。
形としてはですね、この月人が先に歩くんですね。そして杖を持ってるんです、杖の先っぽを。
そして杖の持ち手のところを後ろからダイパーラが持ってついていくっていう、こういう形になるんですね。
こうやって歩いていくんですけれども、この道の途中で月人が美しい女性の声を聞くんですね。
するとこの月人はですね、ダイパーラにちょっと待っててください、私ちょっと用事がありますんでって言って、目の不自由なダイパーラを置いて一人で女性のところに行ってしまうんですね。
そこで何をしたかっていうのはちょっとここでは言わないんですけれども、それでその女性のところに行って、用事を済ませて戻ってきて、
でもダイパーラは月人が何をしたかっていうのが察することができまして、もうちょっとあなたのこと信用できないからもういいですと、私一人で行きますって言って一人で行くんですね。
でも目が不自由ですから困りますね。そこで現れるのがその様子を見てた大尺天です。
これ大尺天というのはインドの神様の一人なんですけれども、仏天とか古代インドの物語ってそうやって神様が普通に出てくるんですね。
現実の物語と神話ってものがすごくシームレスにつながっている。これがインドの古典の物語の特徴なんです。
だからここはもうあまり突っ込まずにそういうものかと思って聞いてください。
そうやって大尺天が出てきて、杖の先を持って扇動してくれて無事に目的を果たします。
大尺天はその後チャックパーラと呼ばれるようになって、チャックっていうのは目っていう意味です。
チャックパーラの盲目の原因と「業」
だから目を守るっていう意味になるんですけど、なんでチャックパーラ目を守るって意味になったのか私はちょっとわからないです。目はね、守ってないんですけどね。
そういうふうに呼ばれるようになって、悟りの最上位であるバラカンになった。
でも他の弟子たちは思うんです。なんでこんな徳の高い人が目に不自由を抱えることになったのかと。
そう疑問に思った一人がブッダに尋ねるんですね。
するとブッダは、それは前世の業、行いのせいなんだって言って、次の話をします。
昔、バラナシで一人のお医者さんが村や町を巡り歩いていた時に、一人の視力の低下した女性と出会ったんだと。
彼女はこの医師に対して自分の目を回復させることができたならば、自分は息子と娘とともにあなたの召使いになると約束をするんです。
それを聞いたこのお医者さんは薬を調剤しまして彼女に投薬したところ、一度の投薬で女性は視力を取り戻します。
でも召使いになったらひどい扱いを受けるかもしれないなと思った女性は、視力が回復したにもかかわらず、回復していないフリを続けるんです。
そのことに気づいた医師は腹を立てまして、女性に盲目にする薬を与えて彼女の視力を奪うんですね。
ブッダはこの時の医者が生まれ変わってチャック・パーラーになったのであると。
前世の彼の行いは後からついてくるものだからと。
このように言って次の詩を唱えます。
物事は心に基づき、心を主として心によって作り出される。
もしも穢れた心で話したり行ったりするならば、苦しみはその人に付き従う。
車を引く牛の足跡に車輪がついていくように。
仏教では私たちの行いっていうのは三つに分けられると言います。
言葉と行動と心です。
この三つの中でも特に心が重要だと仏教は考えます。
なぜならその心というものに怒りとか欲求、こういうものは始めとする良くない心の働きが結びつく。
それによって悪しき言葉とか悪しき行動、こういうものが発せられるんだと考えるからです。
そういう心をもとに発せられるこの善悪いずれかの行いには後の自分に行いの性質に応じた何らかの影響が及ぼされるんだって考えられます。
このような行為と影響力、これをカルマとこれを簡訳すると業というふうに呼びます。
日本だとこのカルマっていうことはちょっと手垢がついてしまっているのであまり使いたくないんですけれども、
簡単に言うと良い行いとか悪い行いをすると目に見えない種のようなものが自分の中に植え付けられるんだと。
それが時を経て結果という形で花を咲かせてしまうと。
良い行いをすれば未来の自分に好ましい結果が生じるし、悪い行い、良くない行いをすれば好ましくない結果がもたらされますよと。
これは仏教では基本的な原理でこれを自業自得というふうに言います。
つまりここではチャック・パーラの目が不自由なのは前世の彼自身の業のせいなんだって説かれてるんですね。
苦しみの原因は業だけではない
このことから人の身を襲う病気とか不幸っていうのはその人の前世の行いのせいで自己責任なんだよと。
こういうふうな単純化した理解のされ方がなされたりするんですけれども、これは間違いです。
このケースはただの一事例なんです。
人の病気とか不幸な境遇をすべて業が原因だとか、こんなふうに仏陀は説かれてません。
それが説かれる有名なのがサンユッタニカーヤという経典に収録されているシーバカ教というものです。
この中でシーバカという修行者が仏陀に対して一部の修行者たちは私たちそれぞれの境遇や経験する喜び苦しみはすべて前世の業が原因なんだとこういうふうに言います。
これは本当ですかって質問します。
その問いに対して仏陀はそれは違うんだって言って次のように苦しみの原因を列挙します。
まず一つ単獣これは肝臓で作られる消化液ですね。
そして粘液。
さらには風っていうのかな。
これは昔古代インドでは体内では風があるんだって考えたんです。
それが呼吸として外に出たり入ったりしてるんだって考えたんですね。
さらには異常気象。
これそうですね異常気象によって苦しみ生じますよね。
暑さとか寒さもそうですね。
さらには災難。
これは蛇に噛まれたりとか火事にあったりとかもそうですね。
さらには他者からの攻撃といきなりこう殴られたり罵倒されたりすると。
それに加えて前世の業っていうこともあるかもねと。
最初の3つちょっと説明し忘れましたけれどもこれはつまり病気ってことです。
体の何らかの不具合によって苦しみが生じるんだと。
つまりは全てが前世の業のせいじゃないよって言ってるんです。
一概には言えないよってすごく当たり前のことなんですけどこういうことを言われてるんですね。
人は複雑な出来事をできるだけ単純化して理解しようとこういう壁があります。
その方が認知的な負荷が少ないんですね。
例えば第二次世界大戦とかもそうで何で起こったのかっていう説明をするときに
これはヒトラーが悪かったからだみたいな。
こういう説明される方おられますよね。
でも実際にはそこまで単純ではないですね。
第一次大戦の後に列強諸国がドイツに巨額の賠償金とか領土の活用を要求しますね。
これがベルサユ条約ですね。
その結果ドイツではとんでもないインフレが起こって
紙幣が紙屑同然になって通貨の価値がとんでもない本当に下がってしまう。
それによって生活が破壊された人々の間にはもう列強憎しみたいな気持ちが渦巻くわけですね。
社会不安が高まって強い指導者を求めたいとこういう空気が作られていく。
そうした状況の中でナチスが台頭する土壌が出来上がっていくんですね。
でもこういうふうに理解していくのって大変じゃないですか。
負荷がかかりますよね。
だから単純化してヒトラーが悪いんだみたいな話になっていく。
実は仏教でもそれと同じようなことが問題になったんだってことですね。
人の苦しみの原因ってものをできるだけ単純に説明したいんです。
でもその結果として誰かを傷つけたり差別するこれはやっぱり許されないことです。
そして私たち自身の苦しみもそうですね。
ちゃんと見ていかないと原因はわからないし原因がちゃんとわからなかったら解決することはできません。
そういうことを踏まえてブッダは人の苦しみまた病気の原因こういうのは一つじゃないよっていろんな原因があるよねってことをちゃんと丁寧に説かれてるんですね。
まとめと今後の配信について
初回放送いかがだったでしょうか。
これから週1回のペースで配信をしていきます。
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ではまた来週お会いしましょう。
17:14

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