1. かんどう和尚のはじめての仏教
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2025-05-07 15:08

【仏教誕生編#6】ブッダを出家へと導いた「4つの出会い」。人生の苦しみの正体

今回は、仏教の重要なテーマ「老病死」の原点ともいえるエピソード「四門出遊」についてお話しします。

  • ​王子シッダールタが外の世界で初めて見た「老人・病人・死人」
  • ​出家者との出会いで芽生えた問いと憧れ
  • ​豪華な暮らしのむなしさと気づき
  • ​仏教が老病死をどう捉えているのか
  • ​息子ラーフラの名前の意味とは?


仏教初心者にもやさしく学べるポッドキャスト『かんどう和尚のはじめての仏教』。


【アフタートーク】では、ヘレン・ケラーに学ぶ「人生の見方」について語ります。


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サマリー

仏教誕生編では、菩薩が四つの門を通じて老・病・死を目の当たりにし、人生の無常についての苦悩を抱いています。彼はその経験を通じて、出家を目指す決意に至ります。このエピソードでは、ブッダの苦悩や彼が老・病・死を超える決意を固める過程が語られています。仏教の誕生を背景に、彼の内面的な葛藤や啓発の瞬間が描かれています。

ブッダの苦悩
かんどう和尚のはじめての仏教。この番組は、これから仏教を学んでみたいという方に向けて、インスタグラムでフォロワーする2万人超えの僧侶、私、かんどう和尚は、一から仏教を解説していく、そんなプログラムとなっております。
みなさん、こんにちは。先ほどショックなことがちょっとわかりまして、マイクを入れ忘れて収録をしておりましたので、1個前の収録の回はマイクが入っておりませんでした。
もちろん音声は収録できているんですけど、聞き苦しい雑音とかもだいぶ入っている音声になっておりますので、ちょっと撮り直そうかなとも思ったんですけど、撮り直すの大変ですから、今回はそのまま進めていきたいと思います。この話からちゃんとマイクが入っておりますので、多少聞きやすくなっているんじゃないかなと思います。
今ですね、仏陀の前期であるニラーナカタに基づいて、仏陀の生涯についてお話をしております。これまでと同様に悟りに至る前の仏陀は菩薩と呼称します。前回に引き続いて、菩薩の成年期のお話となります。
菩薩が出家しないように、お父さんのスットーダナ王は菩薩を世間から隔離するんですけど、菩薩もいい年になりまして、遠遊に出かけることになります。これはね、次の王として民の暮らしを視察するということも兼ねていたのかなと思うんですが、宮殿の門をくぐり進んでいくと、菩薩は頭髪が白くシワシワで腰が曲がって杖にすがりながら歩く人を見かけました。
その人を見て菩薩は月人に、「あの男は普通と違って見える。」と話しかけます。そう言われた月人は、「あれは老人でございます。」と答えるんです。ここで菩薩は初めて老人を見たんですね。
そして、「老人とは何なのだ?」と尋ねると、月人は、「老人というのは余命いくばくもないものです。」と教える。菩薩は、「私もそうなるのか?」と尋ねるんです。そして、「誰もが老人になることは免れることができません。」と返答されます。
それを聞くと菩薩は気持ちが苗えてしまって、「ちょっともう今日いいや。お城、宮殿に戻りたい。」と言って引き返すことにしました。しばらくは宮殿に引きこもってしまうんですね。
その様子を見た筒棟太郎は、「この間は出た方角が良くなかった。別の門から出てみなさい。」と菩薩に勧めるんです。そして次は出てみたらまた人に会うんですけども、次に会った人は顔色が優れない。また起き上がる元気もない人。さらには他の人に看護される人を見るんです。誰かわかります?病人ですね。
これも菩薩は初めて見て、「自分も病気になるのか?」と尋ねて、「そりゃそうですよ。」と月人から言われて気持ちが苗えてしまって、また帰ると言ってお城に引きこもってしまう。
またしばらく経って、お父さんが別の門から出たらいいよと言って、別の門から出まして、今度は葬儀の支度をする人々を見て、死人というものを初めて見にするんですね。そして自分もそうなると。やがて自分も死ぬんだということを初めて知るんですね。
この時に何が一番怖かったかというと、自分という存在が消滅するということに恐れ驚くんですね。菩薩はそれまでを振り返ってみると、すごく豪華な生活をされているんです。欲望の限りを尽くすと言いますかね。
でも、そういう生活をしていたけれども、やがて死ぬのであれば、自分がやっていることって何なの?と疑問を抱かれるんですね。無意味なんじゃないか?と。どうせ死ぬのであれば、どれだけおいしいものを食べようが、美しい女性たちに囲まれようが、いい暮らしをしていようが、意味がないんじゃないの?と。おそらくいい暮らしをしていただけに、この落差が激しかったんですね。
この時の苦悩というのは、それまでもより重くてですね。すっとう棚夫は、そんな息子を見ていられなかった。そして最後に残ったもう一つの門から遠遊に出かけることを勧めるんですね。そこで出会ったのが、提髪をして衣をまとった人です。そう、これが出家者ですね。
その堂々とした姿は、菩薩は初めて見るんですね。新鮮だったんです。思わず話しかけてしまったんですね。すると出家者は、「自分はいつも修行をしているんだ。」と語るんです。それを聞いて、「老いとか病とか死があるのに、あんな風に生きることができるんだ。自分もああなりたいな。」という風に菩薩は思われるんです。
この四つの門から遠遊に出かけるということで、これを四門出遊という風に言います。四門の四は四つの門ですね。門で出、これは出るということ。遊は遊ぶということ。これで四門出遊です。
この物語というのは、おそらく創作だろうと思うんですね。後世の仏殿を作った人が考えたんだろうと思うんですけれども、仏教というのがどういう教えなのかというのをすごく的確に表現しているんですね。老いとか病とか死というのは、万人に訪れるものですよね。でも修行によってその万人に訪れる苦しみというものを乗り越えることができるんだと。
仏教はそれを目指すんですよということをここで言っているんです。ちゃんとテーマが的確にわかるようにできているんですね。スッタニパータという古いお経にはですね、仏陀の言葉としてこんなものが残っているんです。
世界はどこも堅実ではない。どの方角でもすべて動揺している。私は寄るべき住所を求めたのであるが、すでに死や苦しみなどに取り憑かれていないところを見つけなかったと。
どれだけ理想的な社会が作られてもまた平和になっても、この私に訪れる老い、病、死の苦しみというのは解消されないんですね。
後世に起こる大乗仏教、我々日本の仏教も大乗仏教ですけれども、この大乗仏教においては、自分以外の人、他者への慈悲また救済というものがピックアップされるようになるんですけど、仏教の原点というのは、自分、私に訪れる老い、病、死という根源的な苦しみを解消するというところにあるんですね。
出家への決意
この後、菩薩は出家をすることに気持ちが傾いていくんですけど、実はすでに結婚されていて子供がこの後生まれるんですね。
でも、この子供が生まれたということを菩薩は喜ばないんですね。束縛が生じたと言われるんです。
ひどい物言いだなと思われると思うんですけれども、裏を返せばそれだけ可愛かったんです。
この時の菩薩というのは、現代でいうと、おそらく鬱病みたいな状態だったと思うんですけれども、出家をすることというのが、それを治す唯一の道なんですね。
その中で、可愛い若子が生まれたので、出家への気持ちが鈍ったんだと思うんです。
それで、出家しようという自分を縛るものということで、束縛と表現をされたと。
この菩薩の子供は、菩薩が束縛といったことで、束縛を意味するラーフラという、インド語でラーフラというのは束縛という意味なんですけど、というふうに名付けられたと言われているんですね。
ただ、これは諸説ありまして、このラーフという言葉は、ラーフラのラーフ、これは日食とか月食を意味する食という意味があるんです。
だから、出産する際に月食が起きたので、ラーフラと名付けられたという説もあるので、これは一概には言えないんですけど。
ただ、今ご紹介しているミラーな方では、束縛という菩薩がおっしゃったことに基づいてラーフラというふうに付けられたというふうに判断されていますね。
次回は、ついに菩薩が出家するというお話をしたいと思います。
これから仏教を学びたいと思う初心者の方に向けて、仏教を解説するポッドキャット、感動症の初めての仏教、アップルポッドキャットやスポーティファイなど、ご利用されているポッドキャットプラットフォームのフローボタンを押して、定期的にお聞きいただければと思います。
ここからはアフタートークです。
今日は本編とは全く関係のない話になるんですけども、ヘレンケラーの話をしたいと思います。
何でヘレンケラーの話をするかというと、最近私がヘレンケラーにまつわる話を聞いたり、また辞伝を読んだんですね。
いろいろ考えさせられたんですけれども、そこから皆さんにぜひお話したいなと思ってアフタートークで話をさせていただきます。
ヘレンケラーって皆さんもご存知だと思うんですけど、彼女は1歳7ヶ月の頃に高熱にかかって、そこで視力と聴力を失って、まだ言葉を覚える前だったので、その後ですね、7歳の頃にサリバン先生が来るんですけど、そこまでの間はですね、話すことはおろか、文字も知らない、そういう状態だったそうなんです。
そこからサリバン先生が来て、少しずつ文字を教えていくんですね。どういうふうに教えるかというと、何かを触ったりとか、また何かを書いたり、語感ですね。この時に語感の中でも視力と聴力を失ってますから、それ以外の語感、味わうとかですね。
そういう接したタイミングで、サリバン先生がヘレンの手にスペルを書くんだそうです。でも最初は、それが何をしているか結びつかないんですね。それはそうですよ、文字知りませんから。
でも、だんだんとですね、それをサリバン先生がやっていくうちに、何かしているなということはわかるわけですよ。物に名前があることもこの時は知りません。わからないです。でも、ある時ですね、サリバン先生がヘレンの手に水を触らせるんですね。
その時に、空いている方の手に、指文字でウォーターと書くんです。そこで、それまでの蓄積があったんだと思うんですけど、ブレイクスルーが訪れるんですね。ヘレンは突然ですね、雷に打たれたような衝撃が走るわけです。
これは、物に名前があるということを私に教えようとしているんだと。そしてこれはウォーターと言うんだということをそこで理解するんですね。これは有名な話なので、ご存知の方もおられるかなと思うんですけども、そこからですね、次々にこれは何、あれは何と尋ねていって、名前があること、そして言葉を覚えていって、学校に通うようになります。
ヘレンはですね、すごく勉強熱心だったんですけども、見えないし聞こえないので、学校の授業中というのは、いつもサリバン先生が脇について、ヘレンの手にですね、指先で指文字を書いて、内容を逐一伝えたりとか、あとタイプライターでですね、ノートに点字を打って、それをヘレンは暗記するという勉強のやり方をしていたんですね。
これがどれだけ集中力を使う作業かって、本当に想像してもらいたいんです。本当に一言も逃さないような集中力で、ずっとヘレンは勉強するんですね。そのせいで、後々体を壊すということがたびたびあるんですけれども、サリバン先生はやっぱり大変だったそうなんですよ。
指文字をずっと喋るスピードに合わせて、指文字でやるわけですから、いつも懸賞円の状態だったって言われてますね。そういう回もあって、ヘレンはこの後ハーバード大学に合格するんです。しかもこれ、障害者の枠とかではなくて、普通の枠で合格するんですよ。それだけヘレン、地頭も良かったんだと思うんですけれどもね。
あと、ヘレン、話すこともできたんですけど、話す時を習得するっていうのがまた大変なんですよ。聞こえないから、だから声ってものを知らないんです。だから、話している人の喉とか唇に手を置いて、それで発音している時の喉の形とか口の動きを覚えて、それを真似して喋るんですね。
でも、正解がわからないですよね、聞こえないから。自分が本当にちゃんと話しているかわからないんですね。だから、ヘレンは講演会とかもずっとするようになるんですけれども、その時には常に不安だったっていうんですね。自分がちゃんと喋れているのか。また、お客さんの反応がわからないから、それが受けているかどうかもわからないんですね。だから、そういう中で話していたっていうんですね。
こういうヘレンの勉強する環境とかを見ていると、勉強することについて、自分がいかに恵まれていたかっていうのを痛感させられるんですね。もっと言うと、甘えているんじゃないかと思うんです。
学校とかで義務教育で習ってきた時って、ヘレンの環境に比べると、アゲゼン・スウェーゼンで勉強させてもらっているんですよね、私たちは。だから、先生に、「先生、ゆっくり喋ってください。早口です。」とか、「声が聞こえません。もっと大きい声で喋ってください。」って文句じゃないですけど、オーダーを入れるようなことをしていたと思うんですね。
でも本当はですね、教わる自分がもっと工夫をするべきだったんじゃないかって私はちょっと思ったんですね。声が小さいなと思うんであれば、やっぱり集中して聞き漏らさないようにね、こっちが頑張る、こっちが努力するっていうのが教わる方の本当の姿勢だったんじゃないかっていうのを今反省させられたんですよね。
だから、ヘレン・ケラーの生涯から私たちが学ぶところっていうのは非常に大きいなっていうことを皆さんにお伝えしたくて、今日お話をさせていただきました。はい、今回は以上となります。
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