1. かいだん
  2. 【第298回】「ごんは死にませ..
2025-10-08 23:12

【第298回】「ごんは死にません! 書いてないから!」で考える読解の力(300回記念お便り募集中)

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このポッドキャストは、Webニュース編集者のうすだと、ブロガー兼ライターのカイがITの話題から最近のお気に入り、個人的イチ推しなどを雑多に語る番組です。

第298回は、朝日新聞ポッドキャストの「MEDIA TALK」で取り上げられていた童話「ごん狐」にまつわる話について語る回です。

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取り上げた話

◇ ごん狐

 新美南吉の児童文学。著作権切れのため青空文庫で読める。

新美南吉 ごん狐

◇ MEDIA TALKのごんぎつね回

こちらをどうぞ。

ごんぎつね問題 何でも書かなきゃいけない時代がやってきた、のか? #100-221 【朝ポキ】朝日新聞のポッドキャスト・インターネットラジオ配信

◇ 無言の帰宅

話題になったTogetterはこちら。

とある小説家が『無言の帰宅』の意味を知らなかった人が、「そんなのわかるわけないじゃん!ふつうに『死んだ』って書けよ!」と言ってるのを知ってグッタリした話…言葉を知らないこと自体を責める意図はなく知らない言葉に出会った時に怒る人が少なからずいる事実がつらい - Togetter [トゥギャッター]

◇ ケーキを切れない

「ケーキを3等分する」という課題に対して3等分できない非行少年の話。

宮口幸治「ケーキの切れない非行少年たち」シリーズ特設サイト | 新潮社

◇ セブン

キリスト教の「七つの大罪」をテーマにしたデビット・フィンチャーの代表作。名作なので見てない人は一度見て欲しい。

セブン : 作品情報・キャスト・あらすじ・動画 - 映画.com

◇ カメラを止めるな

「映画を早送りで観る人たち」の感想回で語った映画「カメラを止めるな」への感想として語っていました

【第126回】本当は深い「映画を早送りで観る人たち」 - かいだん - LISTEN

◇ AIはどう答えるのか

以下はAIごとの回答抜粋です。

Claude

この「ごんぎつね」の結末では、ごんは死んでいます

「ぐったりと目をつぶったまま」という描写から、ごんは瀕死の状態で、この後死んでしまうことが強く示唆されています。火縄銃で撃たれて倒れ、ぐったりしているごんが助かる可能性は描かれていません。

この悲劇的な結末は、ごんの善意が兵十に伝わった瞬間に命を失うという、切ない物語の核心部分となっています。

ChatGPT

はい、ごんは最後に死んでいます

原文のラストでは、兵十に火縄銃で撃たれ、ごんは「ばたりとたおれ」て「ぐったりと目をつぶったまま、うなずきました」と描かれています。この「ぐったり」という表現や、その後の描写(兵十が銃を取り落とす、煙がまだ出ている)が決定的に、ごんの死を意味しています。

児童文学では直接「死んだ」とは書かれていませんが、これは子ども向けにやわらかく表現されているだけで、結末としては ごんは命を落とした と解釈するのが一般的です。

このラストは、兵十がごんの「善意」を理解した直後に悲劇が起こるという、強い余韻を残す構成になっています。

Gemini

お示しいただいた「ごんぎつね」の本文によれば、ごんは死んでいます

「ばたりとたおれました」「ぐったりと目をつぶったまま」という表現と、兵十がごんを撃った直後に「青い煙が、まだ筒口から細く出ていました」と描写されていることから、ごんは兵十に撃たれて絶命したと解釈するのが一般的です。

なお、ChatGPTはハッピーエンドの改作案も提示してくれたのでこちらで紹介。

🌱 改作バージョン 1:和解の物語

ごんが栗を運んでいるところを、ある日兵十が目撃します。 最初は怒りますが、兵十はごんの表情や仕草から「謝りたいのだ」と気づく。

  • 兵十は「お前、母さんのうなぎを…でも、もういい。母さんも許してくれるだろう」と言って栗を受け取る。
  • それからは兵十とごんが少しずつ心を通わせ、秋の収穫を分け合うようになる。

👉「誤解は解ける」という安心感を持たせる、児童文学らしい温かい結末。

🍂 改作バージョン 2:別れと救いの物語

ごんが最後に栗を持って行ったとき、兵十に撃たれそうになるが、直前で誤解が解ける。

  • 兵十は「ごん…お前だったのか」と気づき、銃を下ろす。
  • ごんは「コン!」と鳴いて山へ走り去り、二度と村には戻らない。
  • 兵十は毎年秋になると、あの小さな狐を思い出し、母とごんの魂に感謝する。

👉 ごんは村から去るけれど、死なずに生き延びる。読後感は少し切ないが救いがある。

🌸 改作バージョン 3:幻想的な結末

銃で撃たれた瞬間、ごんは倒れずに光に包まれ、姿を消す。

  • 兵十は「母さんの魂がごんを連れて行ったのだ」と感じる。
  • その後も畑には栗や松茸が現れ、兵十は「ごんが天国から届けてくれるのだ」と思いながら暮らす。

👉 「死」を直接描かず、自然や精霊のような存在として昇華する幻想的な終わり。

✨ 改作バージョン 4:完全ハッピー

ごんが人間の言葉を話せるようになる。

  • 「兵十、ごめんよ。うなぎはぼくが盗んだんだ」
  • 兵十はびっくりするが、ごんを許し、二人は友達になる。
  • その後、ごんは村で「兵十の相棒」として愛される。

👉 子ども向けのアニメや絵本なら、このくらいのハッピーさもアリ。

📌 まとめると

  • 1は現実的な救い
  • 2は余韻ある切なさ
  • 3は幻想的な美しさ
  • 4は徹底的にハッピー

ごんぎつねを「大人向けに感動的に」仕上げるなら 2 か 3、 「子ども向けに安心感を残す」なら 1 か 4 が良いと思います。

編集後記

カイ

最近収録環境を変更したことでちょっと音質不安定です。安定するまで少々お待ちください。

ChatGPTの改変案わりと面白かった。自分で作るなら実は生きていたごんが子どもを作り2代目は兵十を誤解して恨むというドンキーコング展開にしたいところです。

うすだ

ごんぎつね。久しぶりに読むと短くてとてもいいですね

サマリー

伊藤大地さんが提起した「ごん狐」の物語の解釈に関する議論が展開され、狐が死んでいるのかどうかという問題があります。死んだという表現が直接的に書かれていないため、異なる解釈が生まれ、文学教育の重要性が再確認されます。映画や物語の解釈についての議論も交わされ、特に『セブン』のような作品が言及されます。観客の理解力や解釈の多様性が話題となります。また、文化や歴史に対する認識の重要性と、人々のコミュニケーションスタイルについても考察されます。最近の作品では、ストーリーの明快さが求められる一方で、伏線や余白を楽しむことの重要性についても語られています。また、ごん狐の続編制作の可能性にも触れています。

ごん狐の物語
うすだ
うすだです。
kai3
カイです。先日、朝日新聞ポッドキャストのですね、MEDIA TALKというコーナーを聞いてまして、
こちらですね、我々の番組の準レギュラーでもある伊藤大地さんが出演されている番組なんですけど、
先日の回で伊藤大地さんが持ち込んだネタがちょっと興味深くて、ちょっとうちの番組でものっかりネタにしようと思ってるんですけど、
ごん狐についてなんですけど、ごん狐ご存知ですか?なんだか。
うすだ
ごん狐、あれだよね、小学校の教科書とかに載ってた物語。
kai3
そうですね、童話、子供向けのお話。
で、ごん狐のテーマに入る前に、そもそもごん狐がどんなお話かっていうのを改めて一応説明しとくと、
うすだ
お願いします。
kai3
ネットミーム的にごんお前だったのかっていうのが有名な童話ではあるんですけど、
このごん狐自体は、ごんっていう名前の狐が登場人物なんですよね。
結構いたずら好きの狐で、いつも人間に対していたずらばっかりしていて、
ある時、兵十という人間が取ってきたウナギをいたずらで盗んじゃう。
で、その後ある時兵十を見たら、家が葬式をあげていて、
取ってきたウナギが病気のお母さんのために取ってきた、栄養をつけてねという意味で取ってきたウナギで、
それをごんが取り上げてしまったことで、すごい後悔したんですよね。
病気のお母さんのために取ってきたウナギなのに、なんで俺は悪いことをしちゃったんだろうってごんが反省し、
そこからごんは山で取れてきたものを勝手にお供えするようになったんですよね、兵十の家に。
でも兵十はそんなの知らないから、勝手に栗とか松茸とかをお供えしてくれてる人がいるって思ってた時に、
ある日、家の近くにごんが来てるのを見つけてしまって、
あのウナギを盗んだごん狐だと思って、手元の火縄銃で撃ってしまうと。
で、撃って近づいていくと、ちょうどごんが栗とか松茸を持ってきてるところを目にし、
あ、あの持ってきてくれてたのはこのごんだったんだっていう気づくと。
で、その最後が、「「ごん、お前だったのか。いつも栗をくれたのは。
ごんは、ぐったりと目をつぶったまま、うなずきました。
兵十は火縄銃をばたりと、とり落しました。
青い煙が、まだ筒口から細く出ていました。」で終わるんですけど、
ここまでがね、まずごん狐のお話なんですけど、
ごん死んでない説
kai3
これに対して伊藤大地さんの持ってきた議題がですね、
この話でごん狐が死んでるのか死んでいないのか問題っていう。
どう思います?うすださん。
うすだ
死んだって話ですよね。死んだというか、撃たれてしまったというお話ですよね。
いいことをしてたはずなのに撃たれてしまった。
ああ、俺は誤ったことをしたみたいなことを感じるという余韻を持って終わったという感じですよね。
kai3
のお話ですよね。
なんですが、この伊藤大地さんによると最近、ごん死んでない説っていうのがあるらしいんですよ。
で、その根拠というのが、ごんが死んだとはどこにも書いてないからという。
いやー、来たなーと思いましたね、これ。
これめちゃくちゃ興味深い話だなと思って。
うすだ
いいテーマだよね。
kai3
これ、どう思いました?うすださん。
このごんは死んでない、なぜなら死んだとはどこにも書いていないからという説。
うすだ
なんだろうな。これ説明しなきゃいけないのかっていうのが、
確かにこういう、こういうなんつーの、死んだってどこにも書いてないじゃないか的なやり取りというのを、
最近、見るようになった、多く見るようになったような気はしてて、言われてみると。
で、それがまず、このごん狐の例で示されると、
あ、こういうことも人によっては、ごん、撃たれて死んじゃったよね、まで言わないと伝わらないんだっていうケースは、
確かに増えてきたような気がしています。
で、これでも小学生に教える、小学生何年生かわかんないけど、あの、童話なので、
そのレベルのお話を大人とか、ある程度、こう、長く生きてきた方に言わないといけないっていうのは、
ちょっと何なんだろうなっていう気はするんですよね。
kai3
これね、もう結構ね、論点いっぱいあるなと思ってて、
一回その論点のためだけにちょっと別の話を持ち出すんですけど、
ちょうど時を同じくして盛り上がっていた話題として、
ニュースキャスターがよく使う表現の「無言の帰宅」。
わかりますか?
無言の帰宅っていうのを聞いて、何のことを言ってるかわからない人がいると。
要はニュースキャスターの言い口として、
人が死んだ時に死んだっていうのがあまりに直接的な表現だから、
無言の帰宅という表現をして、
これは死んでるってことなんですよっていうのが。
うすだ
直接的に言わずに、亡くなったことを伝えるみたいな感じの遠距離的な表現ですよね。
kai3
そうそう。
これ、似てるようだけど違うなと思ってて、
あえてこの話を出してきたんですけど、
無言の帰宅は知識で知ってるか知らないかじゃないですか。
知らなきゃ、もちろん推測できなくはないけど、話の文脈から。
基本的には無言の帰宅っていう表現があるんですよっていうのを知ってるか知らないからと思うんですよ。
教育と読み方
kai3
一方、ごん狐は知ってる知らないじゃなくて、文から読み取らなきゃいけないじゃないですか。
物語として。
だから、正直その無言の帰宅は知らなかったらしょうがないなと思って。
漢字の読み方だって、小学校で習った漢字と全然違う読み方する地名だったりとか、
漢用表現ってあるじゃないですか。
僕はそれはしょうがないと思ってて、知らないことは。
だけど、ごん狐は文脈から読み取らなきゃいけないっていうものに対して、
そこの説明が必要なのは、これはなかなか厄介だなと思いましたね。
うすだ
厄介ですよ。
kai3
どうしたもんか。
うすだ
ちょっとこれ見て厄介だなと思う反面、
もしかして、僕らが小学校、30数年前とか40年とか前から、
これは死んだってわかってない人がずっといて、
なんとなく常識とされてたけど、
これを理解しないまま年を重ねている人がいっぱいいるのか、
それとも、何でしょうね、
いや、死んだって書いてないじゃんっていう表現というか、
物言い的なものが市民権を得たから、
それを言ってもいいというような社会になったのか、
どっちなんだろうなみたいなこともちょっと思いましたね。
kai3
それね、僕も全く同じことを考えたんですよ。
要は、インターネットの時代で言いやすくなっちゃったから、
こういうことを言う人が可視化されたけど、
昔から一定数いたんじゃないと思って。
ごん死んだとは思ってない人たちは。
それこそ別の話題で、ケーキを切れない子供たちみたいな話があったじゃないですか。
ああいうのも、昔からそういう子たちはいたんだけど、
本になって話題になって可視化されたことで注目を浴びたのであって、
昔から一定数いたので言うと、
ごん狐を理解できた人たちは僕も昔からいたんじゃないかなという気もしている。
一方で、SNSという拡散措置のおかげで、
言いやすくなったポロッと言った一言が、
ちょっと話題的に面白いから拡散されて、
本当に一人二人が言ったことが、
まるで大勢が言ってるかのように表現されてしまって、
そう思ってしまっているというところもあるかなと思っていますね。
はい。
うすだ
なんかさ、書いてないから何とでも言えるみたいなところ。
だって書いてないじゃないかとか、
それはあなたの感想ですよね、的な表現。
結局ごん狐ってなぜ死んだか、
これが死んだと理解されるかっていうのは、
ある意味童話で教科書にもなっているってことで、
その学校教育では死んだよねっていうことを教えてるんですよね。
つまり正解が示されているはずなんですよ。
kai3
うんうん。
うすだ
で、ある種の教育不信じゃないですけども、
学校で言ったことはこんなに間違いしたじゃないですか、
陰謀論みたいになっちゃうんですけども、
なんか学校とか学んできたことへの不信を言ってもいい空気というか、
そういうものを受けての反動というか、
運動みたいなものにもちょっと感じましたね。
kai3
そう、僕もそれもね、またちょっと同じ意見ばっかりあるんですけど、
これ、学校では多分小学生たちは分かってない子も結構いて、
そういう子供たちにこういうストーリーだったら死んでるって解釈するんだよねって教えるのが、
国語の文章の読み方としての教育だから。
うすだ
こういう読み方っていうのを日本語を学んでいく上では、
たくさん文学的な表現とか、直接的な比喩的な表現だとか、
そういったものを学ぶ代表的なケースだと思うんですよね、これって。
kai3
そうそう。だから、みんな読めてないんだと思うんですよ、最初の時点では。
これを糧に、そういう読み方を学ぶ題材なので、
逆に読めなくていい気もしてるんですよね、その前提がなければ。
今までの文学的知識とか、本を読んできたことがなければそう取ってしまうのは当然で、
映画の解釈とその魅力
kai3
それに対して表現ってこういうことだよねっていうものを学ぶ場所だから、
ただその学ぶ過程が本当に失われてしまっているのか、
やったはずなのに忘れてるのか、そこはちょっとわからないですけど。
うすだ
これこそ、勉強として学ぶからで、そういうもんだってわかったっていうこと?
日本語学習の機会とかで、ちょっとそういうの不審って思う人もいるのかもわかんないですけども、
このでも、銃口から煙が出てるみたいな表現っていうのは、
別にさ、日本語だけじゃなくて、いろんな映画でもさ、海外の映画とかでも、
普通に表現としてあって、音がして煙が出ている。
で、撃たれた人は映ってないけれども、
亡くなっているんだろうなっていう比喩みたいなのって、
普通にあるじゃないですか。
kai3
日本語だけじゃないですからね。
映画とか特にこういうの多い表現だし。
うすだ
映像とかでもよく見る表現だから、
死んだか死んでないかで言うと、
撃たれて大けがをしたみたいなふうに撮れるのかもしれないですけども、
いずれにしろね、
ちゃんと考えずに過ちを起こしてしまったっていう趣旨には、
影響ないと思うんですよね。
だから、これに対してやっぱ撃たれてないとか死んでないっていうのは、
kai3
かなり無理があるよねとは思いますよね。
どっちでも撮れる中で、こういう解釈を取るっていうところが、
読解の面白さだなと思うんですけど、
そこがね、似たようなところで言うと、
これちょっとね、セブンっていう映画のネタバレになるんで、
セブン見てない人は耳ふさいでほしいんですけど、
あれ一番最後に主人公が、
謎のダンボール箱を開けて、
すごい気が狂うんですよね。
うわーって叫び出して、
エンディングに向かうんですけど、
その箱の中に何が入っているかは、
映画の中で一切映されないんですよ。
でも、映画をちゃんと見ていると、
その箱の中に何が入っているかは、
絶対分かるシナリオになっているんですよね。
普通に読解力というか、
ストーリーをちゃんと追っていれば。
でもあれも、中に何が入っているか明言してないから、
分かんないっていう人はいるんだろうなと思って。
なんか似たようなものを感じました。
最近、ちょっとストーリーが最後、
いろんな解釈できそうだなっていうストーリーを見ると、
念のため検索するんですけど、
やっぱり検索すると、
最後のエンディング、これで合ってますかとか、
最後の理解の仕方を教えてくださいっていう投稿が、
むちゃくちゃ世の中に溢れていて、
みんなやっぱり答えを知りたいんでしょうね。
正解を知りたい証拠みたいなのがある気がする。
うすだ
そうそう。どちらかというと、
世の中は答えを知りたがっている傾向が、
強くなっている気がするんですけども、
でもそういう人たちが、
このごん狐みたいなベースを、
コミュニケーションの難しさ
うすだ
こういう議論というか状況証拠を積み上げて、
亡くなったんだなっていうことを否定するのであれば、
答えっていうのは全てにおいて見つからない気がするんですよね。
なんで、これはどういうことなんだろうなっていうのはちょっと思うというか。
kai3
これをさ、難しいのが、
死んだ死んでない論で戦った時に、
死んだ論の方が弱くないです。
死んでない論の方が強いは強いじゃないですか。
だって死んだって書いてないじゃんって言われちゃうと。
うすだ
そうだね、でもそういったら、
書いてあることだけが全てなのか、
みたいな話にはなるんじゃないかなって気がしますけどね。
だから否定はできないけど、
でも逆に言うと、
人類が積み上げてきた歴史とか文化みたいなものに対して、
自分の主観で目を背けるんだったら、
それはそれでどうぞみたいな話になるじゃないですかね。
kai3
なんと、読解力レベルだからこんな話になるんですけど、
世界に出た時に、
普通にビジネスとか人間関係で話す時に、
こういうこと起きてるなと思って。
大前提、いろんな世の中の動向とか、
今までの歴史を学んだ上で、
こうですよねっていうのと、
いや、そんなんどこにも書いてないでしょっていう戦いって、
そこら中に最近落ちてるなと思って。
うすだ
結構あると思う。
でも結局、裁判とかだと、
判例ベースで判断されるじゃないですか。
そうすると、判例でそうなってますよが伝わらないみたいなのがあるんだけど、
実際の社会でどうなってるかっていうと、
その判例を参照して動いてるみたいな部分もあるので、
だから、勝った負けたで言うと、
そういうふうに事実を積み上げていって、
こうだよねっていうことには一定の理解というか、
正しさみたいなのは担保されるようになってる気がするので、
口喧嘩みたいなところ、
結局何かで燃えた時も、
大きな声でバカって言ってる方が勝つみたいなところってあるじゃないですか。
kai3
そうそうそうそう。
それに近い心配ですね、僕の心配は。
うすだ
だから、そうそうそうそう。
だから多分そういうことなんだろうなとは思うんですよね。
kai3
基本的な仕組みはちゃんとできてるんだけど、
ちょっと一部のこういう前提とかをぶっちぎって、
死んだって書いてないじゃんって突っ走ったやつがたまに
影響が大きくなってきて困っちゃうみたいなことが
最近起きてません?世の中に。
うすだ
そうですね。
kai3
そこの怖さがちょっとね、思った。
うすだ
ありますね。
だから、法を軽く飛び越えてくる人たちに
何やっても無駄だから近寄らないみたいなところがあって、
だから、こういう積み上げを否定していくと
近寄らないとか触らないみたいなことが
常識になっていくというか、
コミュニケーション、ある意味拒否してるような気がするんですよね。
だからそれって良いことなのかというとあんまり良くないんだけど、
なんかネットだけじゃないですけど、
いろんな治安が悪くなって話が通じないっていう時には、
本当に分かってない人にはこうこうこうだがこうなってますよね。
それで分かんなかったらいいんだけど、
確信犯的に死んでないっていうコミュニケーションを取ってくる人、
手段として取ってくる人っていると思うんですよ。
kai3
いますね。それもひとつまた新しい議題ですね。
うすだ
そう。
それが、この人それやってんだなってなるともういいやってなりません?
ちょっとそのスタイルが増えてきてるかなって気がして、
それはちょっと怖いなって。
kai3
それなるんですけど、ほっといてよかったらいいんですけど、
ほっといたら先に進めないときにすげー困るなって思うんですね。
そのコミュニケーションスタイルの人を何とかしないと、
先に仕事が前に進まないとか、そういう時にこれは困ったぞとは思いますね。
読み取る力の必要性
kai3
でも一方で僕ちょっと、
こんだけ心配心配言ってるけど、
でもだからこそ全部書いちゃダメなんじゃないかなって思ってますね。
うすだ
そうですね。
kai3
それをやればやるほど、書いてないけど読み取るっていうのがなくなってしまうから。
大事なのは、書いてないけど読み取る。
で、やっぱりこの国語とかの文章って、
目には見えないけど方程式があるじゃないですか。
算数で言ったら3たす2は5みたいに、
この文章の流れとはこういうべきっていうのは文章、
正しく書かれている文章ならそれは読み取るべきなストーリーというのがちゃんとあって、
それが普通に喋っている言葉と同じで思えちゃうから、
その方程式がなかなか外に見えないんだけど、
ここを諦めて、いやもう分かってくんないなら全部書くわっていうのは、
それはそれでまずい世界に行ってしまう気がするので。
うすだ
そう思いますね。
kai3
ここはむしろ頑張っていきたい。
うすだ
分かりやすさに配慮するのはいいし、
本当に分からない人へのコミュニケーションとして、
読み方とか考え方を提示するのはいいんですけども、
論覇のためのテクニックみたいなところでも、
こういうごん狐は死んでいない的なコミュニケーションも増えてきているような気がしてて、
そこへの向き合いというか、そこへの嫌だなっていう感じを、
このごん狐論では結構感じましたね。
どっちもある。でも本当に分からないっていうのもあるんだと思うんですよね。
それも確かに事実なんだと思うんですけど、
それをどっちかを見極めるとか、そういう能力だったり、
みたいなのはちょっと必要になるのかな、みたいに思いますよね。
kai3
そう。この読み取れないことこそ面白いみたいなところが、
作品の明快さと伏線
kai3
ちょっと最近コンテンションが減っている気がするんですよ。
やっぱりストーリー最後、ちゃんと全部分かりやすくなっている作品が増えてきているなという印象もあり。
うすだ
でも伏線だけで押していく作品とかも結構あるじゃないですか。
あります、あります。
その辺もちょっと謎というか、すごく分かりにくい作品、
映画とかでは増えている一方で、分かりやすさを求める人はどんどん、
YouTubeでもそうですしテキストでも増えていて、
どこへ向かえばいいのかちょっと分からないですよね。
なんかこういうところで困ってしまう。
ああ、言ってないじゃんっていう、
すごく素直な表現に戸惑ってしまうみたいなところがあるのかなって気がしますね。
kai3
これ前にカメラを止めるなについて語った時に似た話をしたんですけど、
うすだ
何だっけ?全然覚えてない。
kai3
カメラを止めるなが受けた理由は、
作品中で全部ここが伏線でしたっていうネタバラシをしてくれているからだと思っているんですよ。
うすだ
ああ、なるほど。
kai3
すごい分かりやすい。全部正解を教えてくれる。
だからこそ受けて、でも僕伏線回収作品大好きなんですけど、
やっぱり伏線回収作品ってあんま受けないんですよ。
興行成績とか視聴率はそんな伸びないことが多い。
やっぱり全部答えを提示してくれる作品の方が受けるなというのがあって、
感じ方は最後、一応これが正解っぽいけど他の考え方してもいいよみたいな、
余白のある作品ってなんか伸びないなっていう裸感はあるんですよね。
そこに通じている気がする。
やっぱりみんな大多数で言うと、最後のゴールはここですよねを知りたがる人が多くて、
伏線とか余白を楽しみたい人っていうのはちょっと物好きというか、
その作品とかジャンルが大好きな人になりがちだなっていうね。
ごん狐と余白の楽しさ
kai3
でもその余白を楽しむ面白さはもうちょっと頑張って提供したいし、
これに関しては余白じゃなくてきちんと読み取るべきっていう、
ちゃんとした文の手法なので、
これはなんかね、わざとこれを論点にしてきて論破してこうみたいな人は、
もうそれはしょうがないんで別の話なんですけど、
これが読み取れないから諦めて全部書こうね、は逆だなとはちょっと思いましたね。
頑張ってこれを理解できるような世界に持っていきたい。
うすだ
はい。
kai3
僕さらにこんだけのポジトリで全然違う話をするんですけど、
これ一方で今の作品だったらごん狐2作れるなと思ったんですよね。
うすだ
どういうこと?
kai3
書いてないから。
うすだ
書いてないからでしょ。
kai3
書いてないっていう余白があるからこそ、
ごん狐2作っても一応つながるじゃないですか。
実は生きていたは、できなくはないから。
うすだ
最後にね、ごんがね少しごんの手がピクリと動いたみたいなところとか、
あるいは後ろでちょっとね、目がピカピカ光っていたかわかんないですけど、
テレビシリーズの続編ってそういう作りじゃないですか。
kai3
そうそう、昔の作品をリメイクするときに、
こいつ死んだって書いてないからこいつ一回出せようぜみたいな、
そういうリメイクの手法ってあるじゃないですか。
それも余白の楽しさなんですけど、
これ一応ごん生きてたってストーリーできなくはねえなっていうのはちょっと思った。
だからこそ面白さなんだけど。
うすだ
はい、映像とかにはそういう文句出ないんだけど、
なんでごん狐だとさ、死んでないっていうのが、
たぶんそういうパフォーマンスなのかなって気がするんですか。
kai3
たまたまみんなが知ってる童話で話題にしやすいから言ってるだけ。
うすだ
そういう感じだと思うんですけどね。
kai3
本当に読めてない人がどんだけいるかっていうと、
僕はちょっと話題として面白いからこんだけ騒がれてるだけで、
本当に読めてない人がそこまでいるのかなという気もちょっとする。
うすだ
そっか、我々も乗っちゃったな。
kai3
いや、もうあえて乗って。
だって乗っかってるMEDIA TALKにさらに乗っかってますからね。
いや、もうMEDIA TALKにすごい良いテーマをもらって、
いや面白かったんで、
ちょっとじゃあごん狐2でもAIに書いてもらいましょうか。
うすだ
そうね。
kai3
これAIに判定させたらどういうんでしょうね。
これでごんは死んでると思いますかって聞いてみたらちょっと面白そう。
ちょっとその感想、聞いてみたレポートは概要欄でお届けしたいと思います。
はい。
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