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2021-06-01 19:56

第18回「高杉晋作と辞世の句」幕末を生きた波乱の生涯

「高杉晋作と辞世の句」 高杉晋作は長州藩で生まれ、松下村塾で学んだことや、上海の留学を経たことで尊皇攘夷運動で活躍する。その時に奇兵隊を組織したことで有名。幕末の動乱の中で日本の夜明けを夢見る途中で肺結核により27歳の若さで死去。辞世の句「面白きこともなき世を(に)面白く…」は後世の人々に激動の時代を生きた高杉晋作の心情、信念を思い巡らせ続けることとなる。 


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00:04
今さらなんて言わせない。今日は録音忘れてないよ。
始まりました、「大人の近代史」。よろしくお願いします。
よろしくお願いします。録音忘れてなくてよかった。
いやー、よかった。前回ね、本当に声枯れました。
しばらく声枯れてたから。
まさか2回目やるとはね。
前回録音忘れてしまって、なんと撮り直しっていうね。
今日はね、もうバッチシなんで、長まろの回なので、テーマは何でしょうか。
テーマは、「高杉晋作と辞世の句」でいきたいと思います。
えー、高杉晋作と辞世の句。なんか面白そうだね。
まず、高杉晋作っていう人物と辞世の句ってそもそも何っていう話もあるんだけど、
辞世の句ってそもそもなんだけれども、死ぬ前に残す歌っていう認識でいいと思う。
はいはい。
衣装だね、衣装。簡単に言っちゃうと。衣装を歌風にアレンジしてるみたいなイメージでいいと思います。
はいはいはい。
で、この高杉晋作の辞世の句ってすごく有名な辞世の句で、
もう先に言っちゃうと、それが、「面白きこともなきよう面白く。」っていうこのフレーズが辞世の句なんだよね。聞いたことある?
いや、ない。ないけど、なんか語呂がいいね。
だって、句だもん。俳句みたいなもんだから。
うんうん。
意味とかそういうのはちょっと後半に述べたいと思うんで、まず高杉晋作についてちょっと前半はフォーカス当てたいと思います。
はい、お願いします。
ちなみに尾形郎は高杉晋作って、尾形郎新戦組とかさ、テーマで扱ってくれてたりしたじゃん。
たぶんさ、そういう新戦組とか幕末っていうのをテーマに取り上げて調べたりっていうか読んだりすると、たぶんこの高杉晋作って絶対出てくるんじゃないかな。
出てくるね。昇華尊塾の有名どころだよね。
池田屋事件とかさ、あの辺の下りとかでもさ、やっぱりちょっと絡んでくるような人ではあるんだけれども、高杉晋作って長州藩生まれなわけね。長州の人。
で、長州でも有名な人っていう位置づけだから、やっぱりそういう幕府との戦い。尊王攘夷っていうところでは必ず出てくるっていうような名前で。
その幕末のそういう尊王攘夷運動っていうところには必ずと言っていいほど何かしらの活躍だったり関わりだったりっていうのはちょっとずつぐらいはあるっていう人。
03:02
で、その高杉晋作っていうのをちょっと簡単に説明したいんだけれども、まず生まれたのは1839年。
幕末に結構近い年だね。明治維新が1868年だから、もうほぼほぼもうすぐ江戸時代終わりですよっていうような時に生まれてきたっていう感じで。
で、この人生まれは武士の家系だから、そもそも位は高いって言えばいいのかな。
ああそうなんだ。
市の高所で言ったら一番身分的にも高いでしょ。そんな家柄です。
この人、さっき昇華尊塾の話したけれども、生まれてやっぱりそういう武士の家系で育ってるから、なんていうの、要はエリートじゃないけど、ちょっとこう上昇志向というか向上心はあるわけ。
だから今時代はどんなんだっていうのとかすごいそういうところには多分アンテナ張ってたのかな。
だからやっぱり地元で吉田松陰が主催してますみたいな昇華尊塾っていうのがありますってなったら、やっぱりそういうのに入りたいなって入るわけ。
で、そこで例えば草加玄瑞、昇華尊塾ではこの草加と高杉晋作、この2人がすごい有名人で、葬引をなすぐらいな感じに言われてた時期もあってっていう人。
そんな感じで、そういう昇華尊塾でも一目置かれていたような存在でした。
昇華尊塾は吉田松陰で処刑されちゃうからね。で、その後昇華尊塾で学んだ知識とか見聞だよっていうのが本当なのかっていうのをすごいこの人気になってっていうか知りたくて留学します。
上海に。
そうなんだ。
でね、この留学が多分ね、この高杉晋作にすごく影響を与えてるのかな、おそらく。
上海で、当時の上海って、アヘン戦争に負けてイギリスとかに咀嚼っていって、要は植民地化されてたわけ。
で、その実態っていうのを目の当たりにしたんだよ、この留学で。
そうなんだ。
で、やっぱりね、植民地っていうのはどうしてもね、イメージが良くないというか、なんかすごくイギリス人威張ってんな、中国人ヘコヘコしてるなっていうのがもう印象に残ったみたいで。
で、やっぱりその思想、これ日本は絶対こうなっちゃいけないっていう多分思いがすごくそこで強くなったんだと。
で、それがやっぱりこう帰ってきてからの尊老上院運動に結びついていくっていうところで、すごくこの留学っていうのが影響を与えたんじゃないかなと個人的には思いました。
そうなんだ。またあれだね、上海行ったんだね。意外、欧米とかじゃなかったんだね。
欧米ってやっぱね、遠いからね、単純にだけど。
まあね。
で、当時やっぱりなかなか行けないっていうのもあると思うんだよね。
06:03
そうなんだ。
で、上海だったらそんなにすごい距離があるわけじゃないし、行こうと思えば行けるかなっていうレベルだったんじゃない。ちょっと当時の外交事情っていうのはあんまりよくわからないけど正直。
そっかそっか。
そんな感じで留学してその影響がその後の尊老上院運動っていうのにかなり影響を与えるんだけれども。
高杉晋作もちろん帰ってきて影響を受けてるから、もう真っ先に尊老上院運動に参加します。
はいはい。
で、高杉晋作ね、これいろいろ文献とか資料とか記述とか見ると結構こう気象が、なんていうのかな、荒いって言ったらちょっと不正解になるかもしれないんだけれども。
結構こうなんつーのトゲトゲしてるというか、画が強いというか。
あー。
簡単に言うと変わってんだろうね。
うーん。
だからなんかね、ちょっと過激なのよ、やることが。
あー、なんかそれは聞いたことある。すごい過激だって。
そう。で、例えばなんだけれども、当時生麦事件っていうのを薩摩藩が起こしてて。
うんうん。
えーと、簡単に言うと、切り捨て御免をやっちゃったんだよね。
うんうん。
大名行列を横切ったイギリス人がいて、外交官かな確か。で、それを切っちゃったんだよね。
はいはい。
で、その事件を生麦事件って言ったけれども、で、薩摩藩は生麦事件でもう外国人殺してんじゃん。
でも長州藩はまだ殺してないぞ、殺そうぜみたいなことを言ったりとか。
うーん。
で、それで計画もすんのよ。
へー。
でもさすがにそれ過激すぎでしょって言うんで、止められて禁止にさせられちゃうみたいな。
あー、そうなんだ。すごいね。
そうそう。だからちょっとね、多分発想がちょっとね、こう、なんつーの、薩摩藩がやったから長州藩もやろうぜみたいな、結構ええって感じじゃん。
うーん。
まあ今すごい簡単に言っちゃってるからそう聞こえるかもしれないけど、まあちょっとぶっ飛んでると言えばぶっ飛んでるんだよね。
うーん。
で、あとは他にも建設中の英国公使館を焼き討ちするとか、これは実際やっちゃったんだけど。
あーそうなんだ。
で、そうそうそう、建設中だからね、建ってなかったから多分人は死んでないのかな、ちょっと俺そこまで調べてないんだけど。
うーん。
で、あのー、もちろん怒られてっていうような感じの人だったわけ。
うーん。
で、ただ、やっぱり能力がすごく高いっていうのはさ、松下尊塾でもこうね、久坂玄瑞とこう並ぶぐらい才能があるみたいな感じで言われてたし。
はいはいはい。
やっぱ一目は置かれてたわけ、とりあえず長州の中で。
うーん。
そんなこともあって、長州藩って1863年に、長州藩って山口県のあるところなんだけど、今で言うと。
山口県ってさ、九州とのこう、なんつーの、まあ陸では隔ててないけど、海隔てて九州になるじゃん、地理的にね。
関門海峡ってそこね、そのちょうど九州との境のところの海峡なんだけど。
09:03
はいはい。
そこで、外国船が通ったから、外国船に砲撃するんだよね。
砲撃すんだ。
うん、大砲で攻撃すんの。
へー。
で、まあ外国船とは言ってもさ、最新鋭の武器持ってんじゃん。
だから降伏行動にあって、まあそれが下関戦争って言うんだけど。
ああそうなんだ。
降伏行動にあって負けるわけね、まあ簡単に言うと。
うーん。
で、まあその時にもう晋作、高崎晋作って下関の、まあやっぱ一目置かれてたから、戦争になりますって時に下関の防衛任せられるような感じで、結構こう期待されてるような人だった。
うーん。
で、一応ここで高杉晋作が、多分高杉晋作って調べると次に出てくるのって騎兵隊って言葉なんだよ。
あー。
ここでその騎兵隊っていうのを結成するわけ。
はいはい。
で、この騎兵隊って何がすごいのかっていうと、当時って武士社会じゃん。だから戦うのって武士なわけよ。
うーん。
当たり前の話かもしれない。
はいはい。
でも、この騎兵隊っていうのはその身分関係なく志願兵制なんだよ。
あーそうなんだ。
戦いたいやつはついてこいみたいな。だから農民だったり商人だったりとか、もういろんな身分がいるっていう、いわばあれだよね、ちょっとこれ言い過ぎになるかもしれないけれども、日本軍なわけよ。
うーん。
っていうのを初めにこう作ったって言われている、まあそれが騎兵隊なんだけど。
うーん。
っていうところで有名なんだよね、この人って。
あーそうなんだ。
まあ負けるけどね、この戦いは。で、その時に外国に負けるじゃん。
うーん。
負けるとさ、やっぱ交渉するわけ。条約っていうか、損害払えみたいな。
あーはいはい。
で、その時に向こうが突きつけてきた条件が、キコ島っていう島があるんだけど。
うーん。
そこの咀嚼を要求してきたもん。
はいはい。
で、これは伊藤博文が後々の回想で言ってて、なんか文献にも何も残ってないらしくて、伊藤博文が言った言わないだけの話になっちゃうんだけれども。
うーん。
そこで、交渉の責任高杉晋作と伊藤博文がいて、高杉晋作が、まああのキコ島の咀嚼を要求してきたことに対して、ここだけは絶対に受け入れなかったんだって。
あーそうなんだ。
そう。で、理由は、この人上海行ってんじゃん。
うーん。
だから、まあ植民地化だよね。植民地化っていうのがいかに恐ろしいことかっていうのをすごくわかってて。
うーん。
だから絶対それだけはやってはまずいっていうのを、まあわかってたから、もう絶対そこだけは拒否するっていう感じで、なんとかこう押し通したんだよね。
あーそうなんだ。
そうそう。で、これさ、まあこの話が本当だったらこれすごいことでさ。
うーん。
仮にここでさ、植民地化されてたら、そのキコ島が。
うーん。
日本ってさ、明治維新迎えても要は外国領があったって簡単に言っちゃうと。日本の中に。
そうだね。
そう。恐ろしいことだよね。
うーん。
日本ってさ、こう歴史振り返ってみても、外国に占領されちゃったことってさ、あのGHQに、統制下にあった時期だけなんだよ。
12:04
あーはいはい。
基本的には。そうそう。だから、ここでそういうの知らない人がさ、こう交渉に出て、あんな島いらねーよって言った瞬間もう外国領になってたわけじゃん。
うーん。ね。取り返せなかったかもしんないね、その後ね。
うん。で、咀嚼だからさ、たぶん当時だからさ、99年間咀嚼とかって言われてた。恐らくだけど。香港とかそうだから。
うーん。
そうそう。99年間って相当じゃん。
うーん。
今だったら返されてるけど、少なくとも第二次世界大戦終わっても返されてないから。
うーん。
あの、この当時の99年だから。
はいはい。
そうそう。っていうような、これが本当だったらそれぐらい結構すごいこうやってるっていう人なんだよね。
うーん。
で、ちょっとここからも大事ですと的になるけれども、この人、この後幕府と長州って戦うんだけれども。
うーん。
まあ、そこで第一次長州制圧、第二次長州制圧っていうのがあって、第一次は長州が負けるわけよ。
うーん。
で、第二次で高杉晋作出てきて、海軍を任される。
はいはい。
で、そこで幕府運をこう破るわけね。
うーん。
で、ただ高杉晋作ってもうこの時病気になってたの。
あー、はいはい。
そう、肺結核なんだけれども。
まあ、病気をしてその第二次長州制圧に出てきて戦ったんだけれども。
やっぱね、悪化したとかそういうことじゃないと思うんだけれども。
うーん。
まあ、そんなもう結構死ぬ間際ぐらいまでそういう感じで戦いに出てたんだけれども。
はいはい。
まあ、やっぱり病には勝てなくて、結局その長州制圧が1866年にあって。
はいはい。
で、翌年の5月に結局病気で、その肺結核の病気で死んじゃってる。
うーん。
で、ちなみに満27歳で死んでるから。
若いよね。
そうそう。若いけど、若いんだけどこの人やってきたことっていうのはすごく濃密というか。
うーん。
ほんと惜しいなっていう人なんだよね。
はいはい。
たぶん生きてたらさ、その維新の三傑って呼ばれてた人たちとほんと同等ぐらいまでさ有名だったんじゃないかと。
あー、そうだよね。
って思うんだよね。
うーん。
まあここまでがちょっと前半部分で高杉晋作についてっていうところ。
うーん。
で、後半はテーマである高杉晋作のその時勢の句のところに入りたいんだけれども。
はいはい。
で、ちょっともう一回同じところ読むんだけれども、時勢の句が。
うん。
面白きこともなきよう面白くっていう風に言われてて。
で、ここがこのフレーズがすごく有名で先走っちゃってるところがあるんだけれども。
うーん。
これ後半の句があるんだよ。
あ、そうなの?
そう。後半の句はただ高杉晋作が残したんじゃなくて、高杉晋作を見取った人がいて。
うーん。
野村もとにっていう人なんだけど。
あー、そうなんだ。初めて聞いた。
ほんとね、女の人なんだよね。女流家人みたいな、当時。
はいはい。
で、その人がこういう風に、まあその人がっていう風なのも断定できないんだけれども、付け加えられたと言われて。
で、面白きこともなきよう面白く、この後に住みなすものは心なりけりっていう文を付け加えてるんだよね。
15:09
うーん。
で、そもそもなんだけれども、ちょっとまず後半の句から解説するけれども。
はい。
住みなすものは心なりけりっていうのはどういう意味かっていうと、これめっちゃ簡単に言うとあなた次第ですよみたいな。
うーん。
っていう意味。
はい。
じゃあ前半の部分ね。
面白きこともなきよう面白く。
これもうそのまんまでいいと思います。
面白くない世の中を面白くできるかどうかはあなた次第ですよっていう。
あー、なるほど。
で、それでこれでテーマ終わりって思うかもしれないけれども。
うーん。
実はこれなんでテーマにしたかっていうと、この時世の句って2パターンあるんだよね。
あ、そうなの。
そうそう。で、何が違うかっていうと、一文字だけ違うん。
で、どこが違うかっていうと、面白きこともなきように面白くっていうのが2パターン目なの。
何が変わった?
おとにが変わってる。
あ、おとに?
そう、面白きこともなきようか、面白きこともなきようにの違い。
はいはい。
で、これニュアンスの違いになるんだよ、ぶっちゃけ。
後ろは一定じゃん、あなた次第ですよっていう。
で、おのバージョンはさっき言ったじゃん。
面白くない世の中も面白くできるかどうかあなた次第だよみたいな。
で、じゃあ2パターン目。面白きこともなきように面白くの解説なんだけれども、
これは面白くない世の中でも自分から面白いことをやろうじゃないかっていうような意味になる。
これ微妙に違うでしょ。
微妙にね。
そう、積極性が変わるんだよね。
1パターン目の方はさ、面白くできるかどうかは自分次第ですよっていうのは結構内包的な部分。
世の中は要はつまんない、面白くない。
でもそのつまんない世の中を面白く感じるかどうかっていうのはあなたの考え方次第なんじゃないんですかみたいな意味なんだよね。
後半は、後半というか2パターン目は自発性がそこに出るわけ。変えてやろうぜみたいな。
変えてやろうぜだとちょっと言い過ぎになっちゃうんだけれども、面白くしようよみたいな。
そんな感じの意味になって。
で、これ結構ねすごく割れるんだよね、意見が。
だからちょっとテーマに取り扱わさせてもらったんだけれども。
自分が言いたいのは、ぶっちゃけ結論は出ませんよ。
だって高杉晋作がさ、どっちを残したっていうのがわかんないんだ。
そうなんだ。
どっちかって言われてるの。なんかどっちも残っちゃってて、どっちかなんだよ。
18:01
どっちも何?残っちゃってる?
そうそう。どっちも残っちゃってて、でもどっちかなはずなんだけれども、どっちも残っちゃってる。
そうなんだ。
後ろの部分は、しかも付け加えって言われてる。
じゃあ本人に聞かないとさ、ぶっちゃけの意味わかんないじゃん。
全然その解釈ってさ、時勢の空だからさ、そもそも本人にしかわからないことだったりもするわけよ。
だって読んでさ、いやこれはこういう意味なんだよって言ってから死ぬわけじゃないじゃん。
衣装だからさ、書くわけよ。さらさらさらっと。
で書いて、その後書いた途端死んじゃうパターンだってあり得るわけじゃん。
だからこれどういう意味ですかなんて誰も聞けないわけよ。
聞けてるかもしれないけれど、少なくとも文献として、資料としては残ってないわけよ。
だからこの解釈ってどっちなんだろうなっていうのを考えてすごく面白い。
なるほど。書いた文字は一つなんだよね。
いや、それもわかんない。どっちかって言われてる。
そうそう、なんか2つ残っちゃってるの、とにかく。
そうなんだ。
細かく言うとね、初め2位だったんじゃないかっていう説が強いんだけど、
それがだんだんオンに変わっちゃったみたいな。
もしかしたらあれかな、写実とかなのかな、残すのに。
コピー機がないじゃん。
わかんないけど、写すのに写してて、そこで違くなっちゃったとかかな。
そう、なんかいろいろ諸説あるらしいんだけれども、
そもそも自生の苦じゃないよっていう説もあるぐらい。
そうなんだ。
そうそう、その死の1年ぐらい前とかにも書かれてたよみたいな。
ぶっちゃけ1年前ももう結核かかってるから、自生の苦っちゃ自生の苦なんだろうけど。
っていうぐらいすごく割れるんだよね、この苦の解釈っていうのが。
ただすごく有名な苦だからさ、みんな面白おかしく、
これはこうなんじゃないか、これはこうなんじゃないかなんじゃないかっていうのを推測してる人も結構多くて。
自分としてはね、これは2推しなんだよね。2側の推し。
後半の?
面白きこともなき世に面白くの方なんじゃないかっていう方をしたいと思ってて。
もちろんこれは個人的な意見なんで、聞いてる方、違えよってなったら全然違えよって意見をむしろコメントをもらったらちょっと嬉しいなって感じなんですけど。
なんでかっていうと、やっぱりそれは冒頭の高杉晋作、前半の高杉晋作のちょっと説明の部分でも挙げた、この人ってやっぱ変わってんだよ。
変わってる人が心差し半ばに死んじゃうわけじゃん。
多分すげー悔しいんだよ、本当はね。
で、一パターン目の面白きこともなき世を面白くっていうのは、おそらくなんだけれども、ちょっとこう積極性が薄いじゃん、若干。
面白くなかったけれども、面白いって考えられたらいいよねっていう感じだからさ、ニュアンスとしては。
21:05
だから死ぬ間際にさ、多分そういう満足でしたっていう感じでは残さない気がするんだよね、俺の中でも。
どっちかっていうと、もっと面白くなかったけれども、面白くない世の中だけれども、面白いことを考えてやりたいぜっていう感じの残し方したいんだと思うんだよ。
本当はもっと行きたかったし、いろいろやりたかったっていうニュアンスもそこには含まれると思うんだよね。
はいはい。
っていう意味で、自分はこの後半の方の2推しです。
小片郎はどうかな?
いやー、僕も2番かな、やっぱり。
2位の方をしたい。
高杉晋作って、だってもう、ソンのジョイの過激派の中でも過激って言われてるんでよく聞くからね。
そう。で、やっぱりさ、騎兵隊みたいなさ、こう、そういう礎を築いた人でもあるし。
で、やっぱりその若くして病気で、運命だよね。運命にも勝てなかったっていう感じなんだろうけど。
すごくやっぱ悔しいっていう思いはあったと思うんだよね。
知らないよ、それは本当に。本人に聞いたわけじゃないです。当たり前だけど。
はいはい。
これが解釈は本当にいろいろあるから、そこはすごい議論の余地があるというか、
俺も答え出ない議論なんだけどさ、本人がちゃんとこれ書きましたっていうものが出てこない限り。
はいはい。
そんな感じで今日は、何て言うんだろうな、ちょっと疑問が残るようなテーマではあるんだけれど。
はいはい。
こんな感じで今日のテーマは終了したいなと思います。
ありがとう。
どうだった?
なんかさ、ここそこら辺のさ、なんだろう、高杉晋作にしてもさ、
なんかそこの時代の人たちってさ、今の人ってさ、自分も含めてさ、自分の生活がこう良くなったらいいとかさ、
自分の中心に考えるけどさ、国自体をさ、こう変えてやるとか、良くしていきたいみたいなさ、
そういうさ、なんか自分と離れたものにさ、すごい情熱注いでるなって思うんだよね。
そう、こういうのをナショナリズムって言うんだよね。愛国心と言えばいい。
はいはい。
で、日本ってさ、当時江戸幕府だったじゃん。
うん。
で、日本っていう国じゃなかったわけだよ。
はいはい。
これすごく、これ1個テーマにしてもいいくらいなんだけど、
日本っていう国はなかった、当時。
あったのは、薩摩藩とか長州藩とか土佐藩とかっていう、藩って国だからさ、要は。
ああ、まあまあね、そっか。
そうそう、それを束ねてる江戸幕府っていうものがあったわけ。
まあ合衆国みたいなもんで、すっげえちょっと違っちゃうかもしれないけど、イメージ的には。
はい。
で、それが、その形態だと、外国が来た時に勝てないぞ。
もっと中央集権しないとっていうことでさ、明治政府ができて、日本っていう国になってるわけじゃん。
うんうん。
で、そうなるためにはやっぱりさ、日本っていうものを統一しないといけない。
24:01
土佐藩だからダメとか、土佐藩と薩摩藩と長州藩で仲が悪いですとかじゃダメで。
そこでやっぱり手をちゃんと組んで、日本を統一していかなきゃいけないっていう、それが理念というのかな、当時。
うんうん。
っていうのがあったから、まあ愛国心というか、もう芽生えたんじゃないのかな。
そうだね。ということで、高杉晋作と実勢の苦についてでした。
はい。
またこれ聞いて、なんか実は2パターンのうち違う方が好きだとか、なんかそういう意見でも本当に何でもいいのでコメントいただけたら嬉しいです。
よろしくお願いします。
そうですね。よろしくお願いします。ありがとうございました。
19:56

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