#114_『鏡の中のぼく』見たくないものを見た先に、何がある?
2026-10-26 19:40

#114_『鏡の中のぼく』見たくないものを見た先に、何がある?

『鏡の中のぼく』の小説を読んで、問いが止まらなくなりました!

「見たいものしか見えない世界」と「見たくないものをなくすこと」。

この違いって、何だろう?

鏡は、見たくない自分だけでなく、自分では気づけなかった光も映してくれる。

月は、自分を犠牲にして輝いているわけじゃない。

そして、馬場コーチからいただいた「共に、自分のペースで」という言葉。

一人で頑張らなくてもいい。
でも、誰かに合わせて自分を諦める必要もない。

今回、小説と絵本を通して、私自身が受け取ったことをお話ししました。

子どものため、家族のためにと頑張る中で、私たちは身近な人から受け取っている光に、ちゃんと気づけているでしょうか?🌙

📚 今回ご紹介した作品

📖 小説版『鏡の中のぼく』Kindle
https://www.amazon.co.jp/s?k

📘 絵本『鏡の中のぼく』Amazon
https://www.amazon.co.jp/dp/4909138013/

🌱 絵本公式サイト
https://kagaminonakanoboku.com/

作品を読まれた方、どんなことを感じましたか?
ぜひコメントやレターで教えてください☺️

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サマリー

こはるさんは、小説版と絵本版の『鏡の中のぼく』を通して、「見たいものしか見えない世界」と「見たくないものをなくすこと」の違いを考えます。子どもが学校に行けないとき、その行動だけを変えるのではなく、不安や孤独に気づくことが必要だと語ります。鏡は見たくない自分だけでなく、自分では気づかなかった長所や光も映す存在として、対話やコーチングと結びつけられます。作中の月からは、無理に自分を犠牲にして誰かを照らさなくても、自分らしく生きることが誰かの勇気になるという受け取りを得ています。馬場コーチの「共に、自分のペースで」という言葉を、他人に合わせるのではなく仲間と同じ方向を向きながら自分で選ぶことだと捉え直します。家族に送り出されて関西へ一人で出かけた経験から、家族から受け取っている優しさにも気づき、子どもや大人が自分で考え選べる状況を広げたいというコーチングへの思いを語ります。

『鏡の中のぼく』が投げかける二つの問い
こんにちは、こはるです。 今日も聞きに来てくださってありがとうございます。
みなさんは、子どものため、家族のため、誰かのために一生懸命頑張っているのに、 なんだか苦しくなってしまうことってありませんか?
子どものためにもっと何かしてあげたい。 家族のために私が頑張らなきゃ。
でもふとした瞬間に、あれ?私ばっかり頑張っていない? なんて思ってしまったり。
私もね、あります。
今日はそんな私が一冊の小説を読んで、 頭の中がぐるぐるしてしまったお話です。
先日、兵庫県の宝塚市で開催された 「鏡の中の僕の絵本の講演会に参加をしてきました。
その前に小説版がちょうど一週間前かな、出ていたので、 池の新幹線の中で読んでいたんですけども、
これがもう本当に深い。
なので、講演会のレポートもね、 実はいろいろ受け取ったものが多いのでしたいんですけど、
今日はまず小説と絵本を通じて、 私が感じたことをお話ししてみたいと思います。
ちょっとこってり回になりそうですが、 よろしければ最後までお付き合いください。
この番組は、これまで大学受験の受験伴奏200名以上、 中高生向けの講座やコンテンツの企画に携わる小春が
学ぶ、遊ぶ、選ぶをテーマにお届けするチャンネルです。
日々の対話から生まれる違和感や、 これって何でだろうを拾いながら、
新しい問いや視点を一緒に考えていきます。
こうするべき、以外の選択肢がちょっと見くつかる、 そんな立ち止まって考える時間をお届けしております。
はい、ということでね、先日一人で私、 普段は関東に住んでいるんですけども、
関西の方に、この講演会に参加するために出かけてきました。
今回小説を読んで、講演会に参加したんですけども、 特にね、私が衝撃を受けた2つの言葉があります。
鏡を見ることと、子どもの孤独に気づくこと
まず、見たいものしか見えない世界が一番怖いんだよ、っていうことと、
見たくないものをなくすために、 私たちは生まれてきたんだ、っていう言葉なんです。
これ、全然違うページに出てくるんですけど、 これをね、私最初に読んだ時、すごく背筋がズクってしたんですよ。
見たくないものをなくすことと、 見えなくすることって全然違いますよね。
例えば、子供が学校に行きたくない、と言った時、 皆さんはどう声をかけますか?
親としては、できれば元気に学校に行ってほしい、 って、そうやって考える方がね、多いんじゃないかなと思います。
でも、その子が何に苦しんでいるのかを知らないまま、 学校に行けるようになったら、
それで問題が解決したって言えるんでしょうか?
その子の不安や孤独に、私たちは気づけているんだろうか? これって、子供だけの話じゃないんですよね。
本当はしんどいのに、私が頑張ればいい、と思っていたり、 誰かに頼りたいのに、これぐらい自分でやらなきゃ、とか、
もっと強くならなきゃ、もっと我慢しなきゃ、と思っていたり、
見たくないものを見ないことにしてしまう。
でも、見たくないものをなくすためには、 まずその存在に気づかないといけない。
見たくないものを見るっていうことは、 勇気が得ることだけれども、大切なことなんだよなぁって思いました。
鏡と月が映す、自分の光と価値
そしてね、ここで考えたのが、鏡の存在です。
この小説も絵本も、鏡の中の僕ということで、 鏡がね、一つのキーワードになっているんですよね。
で、あらすじを細かにお伝えすると、
僕は鏡の中の僕とは、ずっとずっと友達だと思っていた。
その僕はね、鏡の中の僕としか話をすることができない。
話し相手には、この鏡の中の僕しかいない、 っていうところからスタートするんですけど、
その鏡の中の僕が、ある日突然姿を消してしまう。 いなくなっちゃうんですよね。
そして、その鏡の中の僕を探しに行くっていったお話で、
これ、子どもたちの孤独とかいじめとか、 そういった問題への社会問題の定義っていうものもあるような絵本なんです。
話を戻しまして、鏡って皆さんにとってどんなものでしょうか。
鏡は自分では見えない自分の姿を映してくれますよね。
例えば、気づかない寝癖とか、白髪とか。
今回の講演会でも、思い込みや決めつけというレンズを通して子どもを見ていないだろうか。
私たちは子どもの話を聞くときに、そのレンズを通してその子どもたちの話を聞いていないだろうか。
というお話がありました。
私たちは自分では正しく見ているつもりでも、 実は見たいようにしか見ていないこと。
そして、誰かと対話をすることで、初めて気づく自分もいる。
子どものためだと思っていたけれども、実は自分が不安だった。
正しいと思っていたけれども、違う見方もあった。
そんな見たくない自分が映ることもあります。
でも鏡は、映った姿を責めたりはしないんですよね。
ただそこに映してくれる。
そしてどうするかを選ぶのも自分次第。
私はこれがコーチングで大切にしていることにもつながったなと思いました。
そして鏡に映るのは、見たくない自分だけじゃない。
自分では気づいていなかったいいところや、 自分の中にある光にも気づかせてくれるんじゃないかなって思います。
そして今回もう一つ強く心に残ったのが、光というキーワードです。
誰かの光になるってどういうことなんでしょうね。
誰かを励ますこと?困っている人を助けること?
これね、考え始めると止まらないんですけど。
そんな中でね、私がハッとしたのが作中に登場する月の存在です。
これはあくまでも私の考えですけども、この月の存在はこの作品の中で鏡と同じぐらい大事な存在だと思いました。
月って自分でエネルギーを生み出して光っているわけではないんですよね。
太陽の光を受けて輝いている。
そして満月の日もあれば三日月の日もある。
新月になってほとんど見えなくなることもある。
でも月そのものが欠けたりなくなったりしているわけじゃない。
月は月としてずっとそこにある。
形が変わってもその月としての存在価値は変わらない。
これって人間もそうなんじゃないかなって思いました。
元気いっぱいに活動している日もあれば、どうしても疲れて何もできない日もある。
誰かを励ませる日もあれば、励ましてもらう日もある。
でも何もできない日だからといってその人の価値が小さくなったわけではないんですよね。
そしてもう一つ、月は誰かを照らすために自分を燃やしているわけではないっていうこと。
自分を犠牲にして光を生み出しているわけではなくて、ただ月としてそこにある。
その結果、太陽の光を受けて誰かの夜道を照らしている。
しかも月って誰かを照らしてあげようって思って月をやってるわけじゃないんですよね。
これも人間関係に通じるんじゃないかなって思いました。
この作中の中にも、誰かを照らしたいという思いが自分自身の光になる。
そのフレーズが最後の方に出てくるんですけど、その言葉から色々と私なりに考えたことです。
私たちも誰かのために無理して光り続ける必要はないのかもしれない。
自分が自分の人生を大切に生きること、それが結果として誰かの勇気に繋がることもある。
そして月の光は太陽から受け取った光なんですよね。
誰かから受け取った光がまた別の誰かを照らす。
私はそんな風に受け取りました。
「共に、自分のペースで」の意味
そして今回改めて思い出したのが、私が帰りの新幹線の中でババコーチに講演会のお礼と作品の感想をメッセージで送りさせていただいたんですよね。
その時に最後に締めくくられていた言葉に、
共に自分のペースで頑張っていきましょうっていう言葉だったんです。
このババコーチっていうのが、この絵本と小説を書いた私のトラストコーチングスクールの代表の方です。
もうね、大尊敬ですよ。
これまで8万人の育成と、確か3万人のコーチを輩出されてきたっていうことでね、ものすごい実績を持つ方です。
お返事いただいただけでそれ多いんですけど。
そうでね、共に自分のペースでっていう言葉なんだけど、
実はね、以前6月にお会いした時にも、お礼のメッセージを送った時に、自分のペースでっていう言葉が書かれていたんですよね。
でね、私その時はあんまり深く考えていなくて、なんか私が焦っているように見えたのかなって思ったんですよね。
そうだから、焦らなくていいよとか、ゆっくりでいいよっていう励ましとして受け取ったんです。
でも今回少し違う意味に感じたんですよね。
そう、私は結構焦るタイプなんです。
やりたいことがあったら、できる限り早く形にしたいし、どんどん進みたい。
でもね、ぐるぐる考えちゃうんですよ。
だから、ゆっくりでいいよって言われても、いやいやいや、もっと頑張りたいんですとか、もっと進みたいんですって思うこともあるんですよ。
だからね、自分のペースでって言われた時に、これは別にペースを落としてっていうことではなくて、必ずしもゆっくり進むことを意味しているわけじゃないなって思ったんですよね。
急ぎたい時は急いでもいいし、頑張りたい時は思いっきり頑張ってもいい。
もし疲れたらちょっと休んでもいい。
大切なのは誰かのペースに合わせることじゃなくて、今の自分がどうしたいのかを自分で選べていること。
そういう意味なのかなーって思ったんです。
でね、もちろんババコーチがどんな意図でくださった言葉なのか、本当のところはわかりません。
でも今の私にはそう響いたんですよね。
そしてもう一つこのメッセージの中に大切な言葉が隠れていて、「共に」っていう言葉です。
私自身もっと多くの人にコーチングを届けたいと思いながら、私なんてまだまだだなとか、私なんかが何を変えられるんだろう、そんな風に思うこともありました。
思うこともありましたとか言いながらね、まだそうやって思っている自分もいるんですよ。
でも今回宝塚で同じように子供の未来を守っていきたいと思っているマザーズティーチャーの仲間の方にたくさんあって、ふと思いました。
あれ?そもそも私一人で何とかしようとしなくていいんじゃない?っていうこと。
当たり前なんだけど、なぜか一人で何とかしようと思っていた、そんな自分もいたんですよね。
一人でできないなら仲間とやればいい。
それぞれ得意なことも、できることも、進む速さも違う。
でも同じ方向を向いて歩くことはできる。
共に自分のペースで、そう仲間と一緒にっていうことなんですよね。
私は今回この言葉にものすごく勇気をもらいました。
家族から受け取った光と、これから届けたいもの
そしてね、これって家族も一緒なんですよね。
夫も子供たちも私の仲間なんです。
家族だから、親だから、私が何とかしなきゃ。
で、もちろんそう思うこともあるけれど、一人で全部背負わなくていい。
実は今回、私は家族を東京に残して、一人で関西に一泊してきたんです。
これ以前の私だったら、母親が子供を置いて泊りがけで出かけるなんて、なかなか考えられなかったと思います。
今回も正直直前まで迷っていました。
でも夫に相談したら、え、いいよ、せっかく行くなら泊まってきたら?って言われ、
息子もね、本当はちょっと嫌だけど、でもいいよ、行ってきてって言ってくれたんですよね。
私、一人で旅に出たつもりだったけど、よく考えたら一人で実現した旅じゃなかったんです。
家族が送り出してくれて、私は家族から光を受け取っていたんですよね。
私たちはね、知らないうちに、いろんな人からたくさんの優しさ、光を受け取っています。
なんかね、これを考えた時に、ちょっと泣きそうになりました。
私が家族のために何かできるかだけじゃなくて、家族も私を支えてくれている。
お互いに照らし、照らされながら生きている。
そしてそれぞれが自分の人生を生きながら共に歩んでいく。
私もね、誰かから受け取った光、優しさというものを、ちゃんと気づけて受け取れているのかな、ということにも改めて考えさせられました。
私はね、今回その小説を読んで改めて考えたことがあります。
私は何のためにコーチングを多くの人に届けたいんだろう、っていうところです。
もっとコーチングをしてほしいし、学んでほしいっていう気持ちはあります。
だけどね、それ自体が目的ではないんですよね。
私が本当に願っているのは、子供たちが自分を責めたり、誰にも気持ちを離せずに孤独を感じたり、
自分の人生なのに自分で選べないとか、私なんかがとか、自分はできないって思ってしまったり、
そんな現実を少しでも減らしていくことなんですよね。
だからこそ、大人自身も自分の気持ちに気づいて、自分で考えて、自分で選べることが大切なんじゃないかなと思っています。
でね、私一人でできることは限られている。
でも仲間がいる。
共に自分のペースで私にできることを、私にできる形でやっていきたいなと思いました。
なんか、そんなね、もっともっと頑張らなきゃって思った気持ちもあるけども、
それと同時に私なりの形でやっていこうって思えた旅でしたね。
はい、ということで。
いややっぱり長くなっちゃったんですけど、今回鏡の中の僕から本当にたくさんの問いを受け取りました。
処方式まだまだ消化できていません。
でも答えを急がずに、これからもいろいろと考えていこうかなと思います。
今日のヒカリのお話、もし何か心に残ったらぜひ試してみてほしいことがあります。
今日、私は誰からヒカリを受け取っただろうと振り返ってみてください。
子供の何気ない一言でも、パートナーの優しさでも、友人からの励ましでも、
皆さんは子供のため、家族のためにと頑張る中で、子供やパートナーから受け取っているヒカリに気づけていますか?
よかったらコメントやレターで教えてください。
今回ご紹介した鏡の中の本と小説は概要欄にリンクを載せておきます。
小説の方はあと数日は半額での期間限定の価格となっているそうです。
そして作品を読まれた方がいましたら、ぜひ皆さんが感じたことも聞かせていただけると大変嬉しいです。
今日も最後まで聞いてくださってありがとうございました。
また次の配信でお会いしましょう。
小春でした。
19:40

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