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2025-01-20 39:56

#24-2 ヴィーガンになるべきか?:三大理論を学んで工場畜産を評価してみよう

シリーズ「ヴィーガンになるべきか」の第二回!

工場畜産の現状について紹介した前回に続いて、今回は倫理学の代表的な3つの立場(功利主義、義務論、徳倫理)を紹介し、そこから工場畜産をどう評価するのかを学びます。


そして次回からはいよいよ本題「ヴィーガンになるべきか?」を考えます!工場畜産についての評価からさらに踏み込んで、私たちの具体的な消費行動 - 動物性商品の購入はいいのか、悪いのか、三大理論をもとに議論していきます。


今回のエピソードに関連して、三大理論についてまとめたブログ記事を我々(AS - 動物と倫理と哲学のメディア)のサイトで後日公開予定です。

ぜひチェックしてください!

https://animotethics.com/blogs


功利主義 / 一番幸福を増やすことがいいこと / 帰結主義 / 福祉主義 / 平等主義 / 功利主義からの工場畜産の評価 / 義務論(権利論)/ 道徳規範に従った振る舞いができたかどうかが重要 / 人間でない動物も含めた、生の主体を尊重したか / 権利論からの工場畜産の評価 / 徳倫理 / 徳のある行動をしたかどうか / 徳倫理からの工場畜産の評価

00:04
むらた
さあ始まりました、なんでも倫理ラジオです。このポッドキャストは、動物と倫理と哲学のメディア、ASがお送りします。
進行は私、むらたです。よろしくお願いします。
はい、ということで、前回に引き続き、こちらの4人でお送りします。まずは
竹下
コットンです。よろしくお願いします。
竹下
竹下です。よろしくお願いします。
仲間 礼
礼です。よろしくお願いします。
むらた
お願いします。はい、前回から、なぜヴィーガンにならないといけないのかについて話していくシリーズを始めましたけれども、
そうですね、まず、我々ASメンバー、工場畜産、動物の搾取に反対していて、このポッドキャストでも割とその部分は前提にしてきてしまった部分があるんですけれども、
このシリーズではまず1回そこを問い直してみようというか、議論をして確認していこうということをやっていきたいと思っています。
はい、前回は、まず工場畜産って今どういうことになってるのかっていうのをコットンさんからご説明いただきましたが、今回はそれを踏まえて竹下さんから倫理学の理論に基づいて、
どういうところが悪いのかなぜ悪いと言えるのかっていうことを話していただければなと思います。早速竹下さんにご説明いただいてよろしいでしょうか。
竹下
はい、では私竹下から、倫理学の観点から、じゃあ先ほどの工場畜産についてどう考えればいいかっていうのをちょっと話したいと思います。
今日は主に理論から話していくんですけど、ちょっと注意点として、まず倫理学って別に理論ありきだけで考えている学問ではありません。もっといろんなやり方があります。
ただ、理論っていうのはすごく、ある意味とても便利なもので、その理論っていうのがカチッと決まっていると、その理論に基づいたらどう考えればいいのかっていうのがおのずとわかるので、一つこう倫理学的に考えるっていうやり方の一つとして参考になればいいかなというふうに思っています。
で、今日紹介するのは3つぐらい、規範倫理学と言われている学問の中で提案されている理論になります。それは功利主義と義務論ないし権利論と徳倫理の3つです。
そうですね、じゃあ中身についてもう少し話していきます。規範倫理学ってじゃあそもそもどういう学問なのかっていうところなんですけど、それは何かが例えば道徳的に間違っていることとか正しいことっていうのがあるとして、それはどうしてそれは正しいのか、どうしてそれは間違っているのかっていう理由を説明をするっていうのが規範倫理学の役割です。
03:16
竹下
で、その中の理論というのはまさにそういった説明をしてくれる理論になります。で、最初の功利主義というのは、皆さんもしかしたらちょっと聞いたことがあるかもしれないですけど、「最大多数の最大幸福」っていうようなフレーズで知られている立場で
はい、なんかよく言いますね。実は本当はこれは誤解なんですけど、、、っていうのはちょっと今回は話さないですけど(笑)、でもすごく直感的なアイディアで、これは何かというと一番幸福を増やした、一番いいことをしたらそれが一番道徳的に正しいことだよね。
あるいは逆に言うと、道徳的に正しいのは何でかって言ったら、それはみんなを一番ハッピーにしたからだっていうふうに説明するのが功利主義っていう立場になります。
で、先にちょっと簡単な概要だけ義務論と徳倫理の方についても話しておきます。義務論っていうのは何かが道徳的に正しいっていうのは、なんかみんなをハッピーにしたからだとかではなくて、そうではなくて、あるなんか適切な道徳規範、ルールみたいなものがあって、それにかなった、それに適切に従ったような振る舞いができたかどうかっていう。
あるいはそれに従った振る舞いができなければそれは道徳的に間違っているっていうふうに説明するものになります。
そして徳倫理っていうのは、ある人がいたとしてこの人が何かしましたと、それが道徳的に正しいのは何でかっていうと、その人が有徳な、徳のある振る舞いをしたからだ。あるいはその人が道徳的に間違ったことをしたときには、それはどうして間違っているかっていうと、それはその人が悪い、悪徳な振る舞いをしたからなんだっていうふうに説明します。
これは全然重きが違うので、これをこの後それぞれ掘り下げていこうと思います。
むらた
お願いします。じゃあ、功利主義から。
竹下
はい、功利主義からでは話していきます。功利主義は先ほどもフレーズ、スローガンとして最大多数の最大幸福って言いましたけど、基本的に一番大事なのは最大幸福というところです。
要するに何かをしてその行為が一番道徳的に正しいのはその道徳、その世界における幸福の量を最大化したから、一番みんなをハッピーにしたからだっていうのが功利主義のスローガンになります。
この何かをしてみんなを一番ハッピーにするっていうところには大きく3つぐらい大事な要素があります。
一つ目は結果が大事だというところです。それは一番ハッピーに、現にそういうふうな結果になるようなことをあなたがしたっていうことによって、あなたの行為っていうのはしたことが道徳的に正しい。
06:05
竹下
あるいはみんなをハッピーにしなかったんだったら、それはあなたのやってることは道徳的に間違っている。
だからあなたのやった結果どうなったのかっていうのを気にするっていうのが功利主義の一つ大事な要素です。
これは専門的には帰結主義、コンシークエンシャリズムとか言ったりしますけど、帰結主義と言います。
むらた
うんうん、結果がすべて。
竹下
そうですね、よく誤解を受けちゃうところではありますけど、良くも悪くも結果が全てです。
でも結果が全てっていうとすごくネガティブな意味は持っちゃいそうなんですけど、
でも結果ってある意味ではやっぱり大事で、結果が伴ってないとそれが道徳的に正しいっていうのはなんかおかしい気もするわけなんで、ここは帰結主義、結果を大事にするっていう立場です。
二つ目が、幸福が大事だよ。みんなが幸せかどうかっていうのが大事なんだよっていう立場です。
これは厚生主義、ウェルフェアリズムって言ったりします。アニマルウェルフェアのウェルフェアですね。
で、その幸福以外にも何かいろいろ大事なことがあるんじゃないかって思う人もいるかもしれないんですけど、その道徳っていう時には何が一番大事なのかっていうと幸福。幸福だけが大事な関わってくる要素なんだと。
だから例えばこれがその、なんですかね、世の中の美しさを最大化するんだみたいな立場ではないということなんですね。
結果が大事だっていうだけだと、どういう結果が大事なのかっていうのがよくわかんないわけなんで、そこで功利主義は幸福が大事なんですね。
だから世の中の美しさとかを増やすんじゃなくって、世の中みんなハッピーになるっていうのを目指す。それが功利主義になります。
で、3つ目の要素が幸福。みんなそれぞれいろんな幸福が幸せがあるわけですけど、誰かの幸福を特別視したりしないよっていう平等主義、平等さが功利主義の中には入っています。
これは例えば、後々その動物のケースで適応していくわけですけど、人間の幸福の方が大事なんだとか、人間以外の動物の幸福はあんまり大事じゃないんだみたいな、そういう差別的な考えは認めないというのが功利主義のもう一個大事なところです。
だから人間の幸福も人間以外の動物の幸福も、どんな存在であれ、その人が何か幸せを感じたりするような存在にあるんだったら、すべての幸福を等しく数えますよ、等しくカウントしますよ、等しく扱いますよっていうのが功利主義の大事な3つ目の要素になります。
なのでまとめると、結果が大事で、どういう結果が大事かというと、幸福が大事で、幸福が一番増えたかどうかが大事ですと。どうやって幸福計算するんですかっていうと、等しくみんなの幸福を等しくカウントして、それでその上で一番幸福が増える結果になるようにすることが道徳的に正しいこと、だっていうふうに功利主義は説明をします。
09:01
むらた
結構直感的な、よく考えてることのような気がしました。
竹下
そうですね。例えばじゃあ今私がこれでポッドキャストを4人で録っているわけですけど、私がここでいきなり暴れだしたりとか、もう今日ポッドキャストやめるみたいな、なんかもうちょっとなんかもやもやするからやめますみたいにすると、なんかちょっと3人はおそらく、ちょっとやめてほしいな、ちょっとちゃんと話してほしいなとか思ったりすると思うんですよね。
それはそのある意味で私のそういう振る舞いはみんなの幸福を下げているわけですよ。でも、今日私がちゃんとこの後倫理理論についてちゃんと説明して、皆さんから質問があったときにそれにちゃんと答えれば、それは皆さんにとってもおそらくこの3人にとってもハッピーだし、このポッドキャストも無事公開されてみんな聞いてくれてまあ幸せになってくれると嬉しいですけど、そうなってくれたら私の行為は正しかったと。そういう感じで功利主義は説明をするわけです。
質問なんですけど、なんか結果がすべて結果が大事っておっしゃってたじゃないですか。それって結果論とは違いますか?あの悪い感じでやったけど結果いっぱいの幸福生まれたからそれでいいじゃんみたいな考えとは違いますか?功利主義は。
ありがとうございます。確かにそういう要素もないわけではないんですけど、どっちかというと私の考える功利主義は、これから今あなたが何か選択をしようとして何か行為を何かしようとしていますと。いろんな選択肢がありますと。
その中で何を選ぶかってなったときに、後付けでたまたまなんか適当に選んで結果よかったからじゃあこれでいいじゃんっていうふうにではなくて、どちらかというとあなたがこう選択肢がいっぱい出てる時にどれが一番幸福を最大にしそうかっていうことを見込み幸福になりそうな見込みで考えるっていう。
だから後付けで何かこうね説明をする都合のいい立場ではなくて
あなたがそれを選ぼうとした時に一番幸福になりそうな選択をしましたかっていうのが
功利主義の大事なところかなって
結果論って言われるものとの違いかなと思います
なるほどありがとうございます
ありがとうございます
むらた
行為の選択の段階でどう選ぶかっていう基準が
どのくらい幸せを生み出すのか
という感じですかね
なるほど
竹下
でじゃあまあこれを
工場畜産に適用してみようと
採卵鶏とかのケースに適用してみようというわけですね
で功利主義をこのケースに適用するやり方って
ちょっといくつかあるんですけど
今日はすごく単純なやり方で考えます
つまり工場畜産がある場合とない場合の結果を比較しましょう
というふうに考えます
でまず工場畜産がある場合
まあその主役的な
12:00
竹下
さっきの採卵鶏の状況を我々は聞いていたわけですけど
それがある場合にはそこに含まれている
そのいわゆる幸福の量ですね
幸福っていうのはその幸福と不幸両方が入っているんで
どっちも計算しなきゃいけません
まあざっくり考えてみましょう
まず採卵鶏って日本の中だけで見ても
日本人口って大体同じぐらいの数が
なんなら日本人口より多い数がいたっていう話だったと思います
でさらにそれだけではなくて
まあいろんな他の人間以外の動物たちも
畜産で扱われていると
でそうすると明らかに数としてはもうめちゃめちゃ多いわけですね
でさらにそういった存在が
例えばそのケージの中に閉じ込められて
そのB51枚程度の中で閉じ込められている
でその上時にはこう1週間くらい絶食もさせられて
で基本的にケージの中でずっとこう閉じ込められている
身動きも取れないで苦しみの中で生きている
でもうくちばしを切られることもある
最後には屠殺もされる
屠殺用に運ばれるときもずっと空腹状態
もうこんなのは基本的にはほとんどが
苦痛にもう埋め尽くされているような生涯を送るわけですね
ででもまあ工場畜産があるおかげで
一方で人間は一部快楽を徳ている
幸福になっているところも確かにあるかもしれません
例えばまずまあ私はもうビーガンになってから7年ぐらいですけど
あの肉とか採卵鶏であれば卵ですよね
卵とかを使った料理を食べたりすることで
そこから徳られる快楽っていうのがまずありそう
味覚的に美味しいですからね
それでちょっと幸福になっている
それだけではなくておそらくこの畜産っていう
この営みを維持している
そのいろんな業者の人がいると思うんですね
例えばその畜産業者とか配送業者もそう
屠殺業者もそう小売店で売っている人もそう
いろんなそのある種の雇用を生み出して
そうするとまあそういった人たちが
職を徳ることによって徳られている
一種のある種の幸福っていうのも少しあるかもしれません
なんなら仕事だからこれ結構大事かもしれません
でもまあこう考えたとしても
ちょっと数を考えなければいけなくて
功利主義を考える時には
で先ほどこうその畜産で飼育されている動物の数っていうのは
もう日本人口なんなら日本人口よりも多い
何倍にもなっていたわけですよね
全部合わせたら
そうすると明らかに苦痛の方が大きそう
つまり動物たちの苦痛の方が大きそうなわけです
功利主義の第一のところの一つは平等主義
平等にカウントするところだったわけなんで
例えばこう動物一匹と人間一人を持ってきて
人間以外の動物の方の幸福は別に小さいんだ
みたいなふうに扱ってはいけないので
劣ったまあそれはあんまり考慮に値しない
幸福なんだとは考えないわけなんで
等しくカウントしなきゃいけません
そうすると単純な計算として数があまりにも大きいわけなんで
全体としてなんか苦痛の方が大きそうになっているように思われます
15:00
竹下
はいではここまで
工場畜産がある場合の話をしたので
次にない場合の話をします
工場畜産がないってなったら
工場畜産以外の畜産も一部残っているかもしれませんけど
少なくとも今よりも圧倒的に数が少なくなる
仮に動物の数が少なくなるわけですね
さらに工場畜産以外の畜産の形態が残ったとしても
それはおそらく動物福祉にめちゃめちゃ配慮されているであろう畜産だと思うので
動物の苦しみもおそらくかなり小さくなっているだろうと思われます
一方でおそらく工場畜産がなくなることによって
失われる快楽もあるはずなんですね
そのある場合の時の
例えばまず工場畜産がなくなっているということは
一定程度職が失われている可能性があるし
あとさらにおそらく食肉とか卵とかの値段も上がっているはずなんで
おそらくもしかしたら一部の人は食べる回数が減っているかもしれません
そうするとそこから徳られていたはずの快楽っていうのがなくなってしまって
ちょっと苦痛につながっているかもしれません
でもここでもやはりこれは数で考えなきゃいけなくて
少なくとも工場畜産がなくなっているということは
かなりの数の苦しんでいた動物たちが存在しない世界を考えるわけなんで
それはめちゃめちゃ苦痛の量が減っているだろうと
対して増えた苦痛っていうのはどれだけかっていうと
人が職を失ったことによる苦痛
あとは人が肉とか卵とかを食べれなくなってしまったことによる苦痛っていうのが考えられます
でもこれは実はそのままない場合っていうのを考えるだけでは不十分で
そういう世界ではそもそもおそらくその人たちは単に職を失って
失職状態にあるっていうわけではなくて
転職をしている可能性が多いにありそうですね
さらに別に私はもうビーガンになって7年ですけど
こういうふうにビーガンとか菜食主義者ベジタリアンになって
それでおいしい食事を既にしている人たちももっと増えているかもしれません
そうすると肉とか卵とかから徳られていた快楽っていうのは別の形で
その野菜を食べることによって野菜とか植物を食べることによって
えっと徳られる快楽は徳られているかもしれません
そうすると実は快楽そんな減ってないかもしれません
まあでもいずれにしても圧倒的に減っているのは苦痛なわけですね
その動物たちの苦痛が明らかに圧倒的に減っていると
でこう考えるとじゃあ工場畜産がある場合の結果とない場合の結果を比較すると
ない場合の結果の方が明らかに苦痛の量も小さい
である場合と比較してあったはずの快楽もそんなに減ってない
ってなれば工場畜産がない方が道徳的に正しいだろうということになると思われます
なので功利主義からは工場畜産っていうのはない方がいいよね
ない方が道徳的に正しいよねっていうふうに考えることになるかと思います
むらた
これ人間が工場畜産がない場合に人間に増える苦痛っていうので
18:08
むらた
例えばちょっと考えたんですけど肉
肉、畜産物を摂取しないことで人間に
健康の影響があったりとかっていうのもあんまり考えなくて大丈夫って感じですかね
竹下
ありがとうございますそれは考えなきゃいけないことですね
でこればっかりは経験的なデータをちゃんと見ていかなきゃいけないですけど
一つここで私が今考えているのは工場畜産だけの話なんですね
なので例えばこの世界、工場畜産がない世界っていうのは
おそらく全員がヴィーガンになっている世界ではないと思うんですね
多分多くの人はまだ雑食を続けていると思うんですよ
そうすると多分健康への悪影響
その食事の変化による健康への影響っていうのは
そんなに起こってないんじゃないかっていうのが一つ考えられるかもしれません
でもう一つは工場畜産の場合って
先ほどコットンさんがいろいろ説明してくれた中では
そこまで触れられてなかったですけど
衛生状態が悪かったりとか
あとは病原体に対抗するために
いろんなワクチンとか抗生物質とかを投与しているわけですね
これは結構コントロバーシャルな証拠
論争的な証拠ですけど
そういったものがもしかしたら健康にむしろ悪影響になっている可能性があったりとか
あるいはそもそも牛肉とか豚肉って発ガンリスクがちょっと高い
他と比べるとちょっと高いですよとかいうことも
いろいろ言われていたりするので
総合的にこれは本当に考えていかなきゃいけない
もういつでもそんな言えることではなさそうですけど
でも私は今ここではみんながビーガンになっている世界ではなくて
工場畜産がなくなっている世界を考えているので
そんなに食事内容が変わってないとするなら
健康への悪影響はそこまでないんじゃないかなっていうふうに思います
むらた
そうですねあんまりこう
どういう影響が出るっていうのははっきり見通せないですけど
それほど大きくなさそうだし
この動物の総数を考えると
そうするとその受けている苦痛の大きさ
前回話していただいたようなことを考えると
無い場合の方が幸福が多くて苦痛が少なそうだなと思えるかなと思います
竹下
はい私もそう思います
はいでは次に権利論義務論の話をしていきます
ここで義務論とか権利論とか
ちょっと私の言葉の使い方がこう迷っているんですけど
これは実はちょっと違う話なんですが
ここでは権利論で話を進めていこうと思います
21:01
竹下
この権利論っていうのは
私たちの一番身近な話としては
人権とかを中心に考えるような道徳理論になって
あることが道徳的に正しいとか間違っているっていうのは
その人の権利を侵害したかどうかっていう観点から説明される
そういった理論になります
典型的には私たちは例えば日本国憲法で
基本的人権っていうのが制定されて保護されているわけですね
その中には例えば
生命に対する権利とか自由とか幸福追求する
いったような権利が保障されているわけです
これの保障を例えば何か侵害する
それに対して破ってしまうような振る舞いっていうのは
それは道徳的に間違っているっていう風に考えることになります
でもこれの話は全部人権の話なわけですけど
その権利概念、権利っていうのを
人間以外の動物にも広げようよっていう感じの考えが
ここでいわゆる動物の権利
動物権利論って言われる立場になります
動物権利論っていうのは
現代の動物擁護運動の中では
とても一般的な立場として知られていますけど
倫理論としてはトム・レーガンっていう人が
だいたい1980年代ぐらいに書いた本で
初めて理論的に体系化されたものになります
レーガンはこの権利論っていうのは
どういうふうにまとめたかっていうと
ある性の主体っていう
いろんな欲求とかあるいは何々したいなとか
あるいは世界をどういうふうに認識しているかとか
そういったような心の能力を持っている存在は
性の主体生きる主体なんだっていう風に考えて
そういった生きる主体には
それ自体に価値があるわけなんで
そういった存在を尊重しなければならないんだ
っていう風な尊重原理っていうのをレーガンは打ち出しました
この尊重ってちょっとよくわかんないなって
私はよくわかんないなってなるんですけど
すごい一つの単純な理解としては
相手を単なる手段として何かの目的のための
単なる道具手段として扱ってはいけませんよ
それは尊重ではないですよっていうような感じになります
例えばですね
よく動物愛護法
現代の日本の中の動物愛護法の中でも
犬の虐待とかって禁止されているわけですけど
それってじゃあ何でいけないかっていうと
それは単に例えば自分の快楽
自分の楽しさのために犬とか猫とかを虐待しているんだったら
それは自分の楽しさという目的のための
単なる手段として単なる道具として
犬とか猫を撒き飛ばしたりなんだりっていう
虐待をしているわけですね
これは全然尊重してないわけですよ
だから逆説的に言えば
それはある種の動物の権利を犬猫にはあって
それを侵害している
それを破っているから悪いんだというふうに
24:03
竹下
考えることができます
でも畜産動物は今のところ
動物愛護法の保護下にはないわけですが
道徳理論この倫理理論の権利論としては
そういった畜産動物たちにも
畜産場にいる動物たちにも
同じく動物の権利というのは認められなきゃいけない
というふうに考えます
そうすると工場畜産の先ほどの実態を考えると
その採卵鶏の置かれている状況というのは
まさに卵を食べたい
卵を食べるためのこの目的を果たすための手段として
扱われてしまっている
そしてそれはその動物の権利を
侵害していることになるわけなんで
これは権利論から考えれば
道徳的に間違っているだろうというふうに
説明することになると思います
むらた
権利論は何かを感じたりとかこうしたいとか
こうされたくないとか思うような存在に対して
ちゃんと尊重しなければならないという
はい
あれですね
功利主義で出てきた平等主義じゃないですけど
犬猫にはその権利があって
他の畜産動物にはない
っていうのは何か
筋が通ってない感じがするので
なんか動物の権利と
すべての動物に権利があるっていう
考えるのは
何というか自然というか
最もだなと思います
竹下
そうですね
なんかこう基本的人権とかだと
人間であると生まれながらにして権利がある
っていうふうに言われたりしますけど
それは人間であるということによって
何か人権というものがあるというふうに
考えられているわけですが
動物の権利の場合は
動物であることによってというよりは
そういったいろいろなことを感じ取ったり
考えたりそれこそ苦痛を感じたりする
っていうことによって
そういった存在っていうのは
単なる道具として扱われてはならないんだ
っていうそういった権利があるっていうふうに
考えていくことになるかなと思います
むらた
わかりました
竹下
そうですね
でちょっと次の特倫理に移る前に
一つ功利主義と権利論の
ちょっとした違いを話しておきたいんですけど
先ほど功利主義の説明のときに
工場畜産のない世界では
動物福祉に配慮された畜産っていうのは
もしかしたらあるかもしれないみたいな話をしました
功利主義は結構こういう動物福祉とかに対して
結構肯定的な思想だと考えられています
それは何でかって言ったら
動物福祉って動物の幸福をまさに増やして
その上で畜産をやっていく
つまりある種動物の幸福を増やしつつでも
27:01
竹下
畜産を続けていくための
セカンドオプションというか
セカンドベストとしてやっているわけですね
功利主義ももしかしたらそれを正当化する可能性は
否定はできないと思うんですね
それはやっぱり幸福をちゃんと増やしているんだったら
もしかしたらそれは正当化されるかもしれないと
でも権利論ではそうはいかなくて
仮にその動物福祉に配慮したような畜産だとしても
それが相変わらず私たちが肉を食べるためだとか
卵を食べるためだとか
そういったことの目的のために
単なる手段として動物を使い続けているのであれば
それは尊重していない
動物の権利を尊重していないことになるので
そういった畜産の形態であっても
動物の権利論っていうのは全然認めない
全く認めないっていうことになります
こういったちょっとした違いが
功利主義と権利論の場合は出てきます
じゃあこれで少し理論の違いも説明できたので
最後に徳倫理の話をしていこうと思います
この徳倫理っていうのだけがおそらく
動物の動物倫理の中では
あんまり注目されていない立場なんですけど
規範倫理学の中では
三大理論といえば功利主義権利論
功利主義義務論徳倫理みたいな感じになっています
この徳倫理っていうのはですね
最初の方にも言ったように
人が有徳な振る舞いをしているのか
悪徳な振る舞いをしているのか
徳のあることをしているのかしていないのか
みたいな観点から
それが間違っているのか正しいのか
っていうのを考える立場になります
でも有徳さとかってなんだよって話になると思うんですけど
これは結構徳倫理の中でもいろいろあるんですが
代表的なものとして
例えば徳倫理の起源と言われているのは
古代ギリシャのアリストテレスに由来していると言われているんですけど
アリストテレスの時代とかの古代ギリシャにおける
4つの主要な徳みたいなものがあって
それが知恵と勇気と節制とか自制するってことと
あと正義公正さジャスティスですね
公正な判断をしているかどうかとか
そういった徳を持っているのが有徳なことなんだ
っていうふうに考えられてしていました
でもこれはちょっと狭すぎかもしれないんで
現代的にはもうちょっと思いやりのある人とか
そういったものも有徳な振る舞い
有徳さの一つに含まれてくるかもしれません
じゃあ特倫理から工場畜産っていうものを考えてみましょう
この場合 工場畜産っていうのがある
その制度 工場畜産制度
工場畜産を存在させるこの社会に対して
徳のある人は何を感じ取って
どういうふうに動くかっていうのを考えてみます
そうすると まず単純な話としては
やはり動物たちが置かれている状況というのは
明らかに苦しみに満ちた生涯なわけなので
そうすると 例えば思いやりのある徳を持っている人は
30:04
竹下
そういった動物たちが置かれている状況を
おそらく嘆くだろうし悲しむだろうし
もっと活動的な有徳さを持っている人であれば
そういった工場畜産をなくすための努力をするかもしれません
他方で徳倫理っていうのは
別に動物だけに思いやりを向けるわけではないわけですね
当たり前ですけど 人間に対しても思いやりを向けるのは
もっと有徳なことのはずです
そうすると ここは結構バランスを取らなきゃいけなくて
ある意味で人間たちが 実際 例えば動物の肉とかを食べて
それによって食事からの快楽を徳たりとか
さっき食を徳ているみたいな話をしましたけど
そういった人たちに対しても
確かに一定程度は配慮の視線を向けなければならない
でも ここではやはり工場畜産の明らかな生涯
苦痛に満ちた、人間なら
もしこれが人間になされていたら 到底許されないようなことに対して
有徳な人っていうのがどう振る舞うかっていうと
一つの考えとしては
そういった動物にも思いやりを向けているのであれば
工場畜産はなくなったほうがいいというふうに思う可能性があります
そうすると こういった有徳な人の振る舞いから考えるのであれば
向 工場畜産っていうのはなくなったほうがいいだろう
それはあんまり徳のある制度ではなさそうだ
っていうふうに考えることになるかなと思います
むらた
なるほど 徳 すごい曖昧だなという感触はありますけど
そうですね 確かに
今の工場畜産の現状を見て知って
それを無視できるというか
全然いいじゃん 別に
って思うのは
徳ではなさそうとは思いますね
竹下
そうですね なんかこれが徳倫理の悪いところでもある
一方でいいところでもあるかなって私は思っていて
例えば権利論とか功利主義とかって
まあ分かりやすいですよね
権利論だって基本的人権とか権利の内容が分かっているんだったら
その権利にちゃんと従わなきゃいけないって
もうすぐに言えると思うんですけど
逆に言うとそれってあんまりその状況
具体的な個別の状況の文脈を全然見れてない可能性があるわけですよね
でも徳倫理っていうのは有徳さっていう
ちょっと曖昧なところもありつつも
でもこのそもそも多分おそらく有徳さって
それ自体が幅を持ってる概念にも思うわけですね
例えばその思いやりのある徳っていうのは
何をしたら思いやりがあることになるのかって
いまいち分かりにくいと思うんですけど
でも逆にこの分かりにくさが
いろんなその文脈ごとに思いやりを
それぞれの状況で考えるっていうことを
促してくれると思うんですね
例えばその確かに人に対しての思いやりがあるんだったら
33:03
竹下
やっぱりその肉を食べている人とか卵を食べている人とか
あるいはそれによって職を得ている人たちにも
確かに思いやりの徳を向けなければならない
他方で動物たちに対しても
その苦痛に満ちた生涯にも思いやりを向ける
そしておそらく公正さ
ジャスティスの徳を持っている人であれば
等しく思いやりを向けているはずなので
そうするとこれを総合的に考えてどうかっていうと
有徳な人は考えるであろうと
この時に必ずしも功利主義である必要はないわけですね
その功利主義っていうのは
幸福だけが大事だみたいなことを言うわけですけど
思いやりのある人って別に
多分幸福だけが大事だなんて
多分思ってないと思うんですね
一方では美しさとか
あるいはやっぱ食事における
食事っていうのが人生において持ってる役割とかも
おそらくちゃんと目を配ると思うんですね
細かく気を配ることができると思うので
そういったところも加味したうつつ
何を考えるかっていうのを
ちゃんと考えていかなきゃいけない
そこはいいとこでもある
文脈をいろいろちゃんと考えることができる
いいとこでもあるんですけど
他方でスパッと
切れあじのいいことが言えないっていうところも
竹下
ちょっと微妙な難しさがあるかなっていうふうには思います
むらた
そうですね
ちょっと欲しくなっちゃいますけどね
スパッと
でも確かに
竹下
そうですねこれはちょっとした伏線ですけど
これはこのスパッと言えないところが
むしろ消費
この後次回消費の倫理で話しますけど
スパッと言えないところが徳倫理の要素として
竹下
多分現れてくるんじゃないかなと思います
むらた
楽しみです
竹下
こんな感じで三つの理論を紹介してきました
これ以外にもいろんな理論があります
代表的なのは契約論
契約主義っていったような立場ですけど
今回はこの三つの主要な理論
特に倫理学の教科書などで紹介される
三つの理論を紹介しました
最後にちょっとまとめますけど
功利主義っていうのは
最大幸福になるような結果が大事だよと
その幸福っていうのは平等に
みんなそれぞれ等しく幸福っていうのは
数えられなきゃいけないんだと
結果が
結果論と言われちゃうけど
結果がいいってことが大事なんだと
権利論は結果ではない
結果ではなくて
権利を侵害しているかどうかというのが大事だと
その権利っていうのは
その存在を道具として扱ってはいけないよと
単なる道具として扱ってはいけないよ
っていうような形で考えることができます
そうすると
工場畜産っていうのは
我々ども食事のための単なる道具として
使っているようなことになるわけなんで
正当化しがたいと
最後に徳倫理っていうのは
我々の性格
その人が有徳な
徳のある性格なのか
それとも悪い性格なのかっていうのを考えて
そこから工場畜産っていう制度に対して
その思いやりのある人
例えば思いやりのある人がどう考えるかっていうのを
考えて
そこから工場畜産の悪さなりを考えましょう
36:00
竹下
というような立場として考えることができます
むらた
ご説明ありがとうございました
前回の工場畜産の現状を踏まえて
今回各3つの理論から
どういうふうに悪いと言えるのかっていうのを
ご説明いただきましたが
いかがだったでしょうか
コットさんとかもし感想とか
竹下
改めて工場畜産は
なかなか倫理学的な正当化が難しい
というふうに思ったし
しかも特定の立場からじゃなくて
複数の立場から
そういう帰結が出てきていると
どれか一つの立場が
絶対正しいって確信するのは
特に倫理学を学んでいかないと
難しいと思いますけど
複数の理論から同じ結論が出てるってことは
なんか示唆するものがあるんじゃないかなと
むらた
そうですね
ありがとうございました
礼さんも何か感想などありますか
竹下
竹下さんありがとうございます
勉強になりました
感想は今コットンさんが言ってくれたのと
ほぼ同じなんですけど
哲学とか倫理って
答えないんじゃないのとか
人それぞれみたいに言われるとか
思われることも多いと思うんですけど
有力って言われてる3つの理論から
考えてもやっぱり問題ありそうっていうところに
たどり着くってのは
やっぱこの工場畜産が抱えてる問題を表す
一つのなんだろう
仲間 礼
表れてるとこかなと感じました
むらた
本当にそうだと思います
もし前回の工場畜産の現状の解説
紹介をお聞きでない方がいらっしゃったら
ぜひ聞いていただきたいですけど
本当にどの理論からも
同じ結論が出ているっていうのは
この結論が私たちの感覚的にも
共感できるものってことなのかなっていう風に
思いました
ということで今回は
3つの理論から
功利主義権利論徳倫理から
工場畜産について
考えるということをやってみました
また
そうですね
次回からその本題の
なぜヴィーガンにならないといけないのか
このヴィーガンになるっていう
実践がどういう意義を持つのかっていうのを
39:00
むらた
いざ話していきたいなと思いますので
また次回聞いていただければと思います
はいありがとうございました
竹下
ありがとうございました
むらた
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39:56

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