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  2. #17 ウェルフェアはどこまで重..
2024-09-02 55:48

#17 ウェルフェアはどこまで重要か? 廃絶主義者と新福祉主義者で議論してみた

畜産動物たちが過酷な状況にあるという認識は、ヴィーガニズムや動物倫理に関心のある多くの人に共有されていることかと思いますが、この問題に対して取ることのできるアプローチは様々です。


今回のエピソードでは、廃絶主義と新福祉主義のふたつの立場に分かれてディベートを行いました。この議論を通じてどの立場が正しいかに白黒をつけたいというよりも、それぞれのアプローチの背後にありうる様々な考え方を知って、皆さんの今後の取り組みに活かしたり、参加する団体を適切に選べたり、ときには異なる立場に立つ人たちや団体の間で協力し合う場面がでてきてもらえればと考えています。


前半のエピソードでは、廃絶主義と福祉主義、新福祉主義という分類を出発点にしながらも、畜産動物の問題へのアプローチの仕方についてさらに細かく見ていきました。そちらもぜひお聴きください。


エピソードの中で話した分類はこちらの表にもまとめています。



■「アニマルウェルフェア」とは?

 世界動物保健機関(WOAH, 旧国際獣疫事務局(OIE))はアニマルウェルフェア(「動物福祉」と訳されることもあります)を「動物の生活と死の状況に関連した動物の身体的および心理的状態」と定義しています。畜産動物のアニマルウェルフェアを向上するとは、農場にいる動物たちの身体的/心理的苦しみを減らし、その自然な欲求を満たせるようにすることです。



■参考文献

  • 肉食者が非ヒト動物の心的能力を不適切に低く見積もり、道徳的地位を低く見積もり、非ヒト動物が資源として利用され続けることへの傾向をもっていることを示す心理学実験

    • Bastian, B., Loughnan, S., Haslam, N., & Radke, H. R. M. (2012). Don’t mind meat? The denial of mind to animals used for human consumption. Personality & social psychology bulletin, 38(2), 247–256. https://doi.org/10.1177/0146167211424291 

    • Caviola, L., Everett, J. A. C., & Faber, N. S. (2019). The moral standing of animals: Towards a psychology of speciesism. Journal of personality and social psychology, 116(6), 1011–1029. https://doi.org/10.1037/pspp0000182 

    • Leach, S., Sutton, R. M., Dhont, K., Douglas, K. M., & Bergström, Z. M. (2023). Changing minds about minds: Evidence that people are too sceptical about animal sentience. Cognition, 230, 105263. https://doi.org/10.1016/j.cognition.2022.105263 



00:06
スピーカー 1
さあ始まりました、なんでも倫理ラジオです。このポッドキャストは、動物と倫理と哲学のメディアASがお送りしております。
今回は前回に引き続き、廃絶主義、福祉主義をテーマにお話ししていきますが、
はい、進行は私村田で、引き続き竹下さんとコットンさんとお送りします。ということで、前回はその福祉主義、廃絶主義、さらにはもっと細かく分かれている
いろんな立場のお話をご説明をいただきましたが、今回のテーマはどうなる、どんな感じですかね。
スピーカー 3
はい、今回も引き続き廃絶主義と福祉主義について議論していこうと思っているんですが、今回はもうちょっと私竹下が廃絶主義に立って、コットンさんが福祉主義に対して新福祉主義に立って、各立場のモチベーションとかを理解しながらお互いにこうディベート的に議論することで、もっと立場を理解していこうみたいなことをやろうと思っています。
スピーカー 1
楽しみですね。ということで、おさらいということで、それぞれの立場について軽くご説明をお願いできますか。
スピーカー 3
はい、今日は自分が新福祉主義の立場から竹下さんとディベート、議論を深めていきたいなと思っているんですけど、新福祉主義がもともとは福祉主義という立場から出てきた見解ですけど、福祉主義というのが、そもそも畜産動物が農場でひどい扱いを受けているという認識から出発して、少なくとも畜産農場で人間が飼育されている間は、
なるべく苦しまないように、良い扱いをしてあげようという立場だった。だけれども、畜産自体の排斥に対する反対というのはしてなかったという点で批判もあったと。
それに対して新福祉主義は畜産を別に肯定するわけじゃなくて、畜産の最終的な排斥というのを目指すけれども、でもその目指す上で、その手段として、あるいは今できる最善の動物にとって最善のこととして、動物の苦しみを減らしていく、性を向上していく。
最近よく使われる言葉を使うと、アニマルウェルフェを向上していくということが、今やるべき一番のことなんじゃないかっていうのが、考えるのが新福祉主義になります。
スピーカー 1
今日はコウトンさんはそちらの立場に立って、お話討論していただくということで、排斥主義の方はいかがでしょうか。
03:00
スピーカー 2
はい、排斥主義は新福祉主義がその福祉を改善しながら、最終的な畜産の排斥というのを目指すのに対して、排斥主義は初めからその排斥を目指そうと、それにあたっては福祉の改善という途中のルートを通らずに、最初からこの非人動物、畜産動物、畜産だけではないですけど、それを解放していくべきだというようなアプローチを取ることになります。
スピーカー 1
ありがとうございます。
そのそれぞれの立場の説明、前回していただきましたが、そこで3つの論点というのがありましたよね。そこからその観点からだと、それぞれどういう立場になるんでしょうか。
スピーカー 2
はい、前回コットンさんが3つ出してくれましたが、1つ目は畜産の排斥に賛成か反対か、あるいはどっちでもないかということで、ここは排斥主義と新福祉主義はどちらも同じで、畜産の排斥はすべきだ、つまり畜産の排斥に賛成だというふうに言います。
2つ目の論点は、畜産の排斥よりも畜産動物の福祉向上に向けた取り組みにより多くの資源を投入すべきか、つまり畜産の福祉向上の方を重点的に考えるべきかどうかというところで、排斥主義はいやそうではなくて、排斥の方に資源を投入すべきだというのに対して、新福祉主義は福祉向上の方にこそ資源を投入すべきなんだというふうに考えます。
ここが排斥主義と新福祉主義が最も大きく分かれるところかなと思います。
3つ目の論点は、畜産の排斥よりも畜産動物の福祉向上に向けた取り組みにより多くの資源を投入するべきか、それによって排斥が早まるか遅くなるか変わらないかあるいは分からないかということでした。
ここは排斥主義と新福祉主義の中でも立場が分かれるところです。
ただ、例えば排斥主義の主要な研究者論者であるゲイリー・フランシオンは、おそらく畜産動物の福祉向上に資源をより多く投入してしまうと、排斥は遅くなるというふうに考えていると思います。
新福祉主義の人たちの中でどれぐらいの割合を占めているかというのは分からないですけど、あそこはちょっとコットンさんがどういう立場に立っていくかというのによっても議論が分かれてくるかもしれませんが、
いずれにせよ大事なのは、おそらく排斥主義と新福祉主義を分ける2番目の論点のところで、つまり畜産の排斥と畜産動物の福祉向上とどっちにより多くの資源を投入すべきかという点に関して、
排斥主義は排斥の方、新福祉主義の方は福祉向上の方により多くの資源を投入すべきだというふうに言うところかなと思います。
スピーカー 1
なるほど、分かりました。
今回はあくまでも新福祉主義と排斥主義のこの2つの立場からの討論ということで、こちらもまず畜産の排斥に賛成という点では共通しているということで、
06:10
スピーカー 1
それを踏まえて福祉向上の方に資源を投入するべきか、排斥の方に直接資源を投入するべきかというところで、意見が分かれているということですね。
スピーカー 2
そうなりますね。
スピーカー 1
前回結構、排斥に資源を向けた方が早まるのか、排斥が早まるのか、福祉に向けた方が排斥が早まるのか、この経験的な証拠がなかなか出そろってなくて難しいねみたいな話もありましたけど、
その中でどういう理由でそれぞれの立場を擁護していくのかっていうところを注目したいなと思います。
スピーカー 3
特に自分は新福祉主義者なので、前回あんまり排斥主義のモチベーションみたいなものをうまく伝えきれてなかったと思うんですよね。
そこら辺、今回、吉田さんのほうで、ロールプレイですけど、排斥主義者になりきってもらって、もう少し心みたいなものを伝えてもらえればなという感じですかね。
スピーカー 2
とはいえ、私も実は新福祉主義の方に好意的な人なので、排斥主義の勉強は一応ちゃんとしてますけど、私なりに排斥主義を理解した上で、排斥主義のモチベーションとか目標とか考えとかコアになる考えとかを共有できていければいいかなと思ってます。
スピーカー 1
お二人とも新福祉主義ではあるけどっていうところで、自分と違う立場のことを理解するっていう重要さも見れますね。ありがとうございます。ということで、早速討論に入っていきますか。
スピーカー 2
はい、じゃあまず竹下から、排斥主義アプローチから話していきますね。先ほどの3つの論点のうちの3つ目、つまり福祉工場のほうに資源を投入すると排斥が遅まるのか早まるのかみたいなところについてですけど、私のロールプレイ、今からするロールプレイとしては変わらない。
もうちょっと正確に言うと、遅くなるかわからないかっていうような感じの立場に立ちながら話そうと思います。つまり、やっぱり排斥にできる限り資源を投入したほうが排斥が早まる可能性が高そうだみたいなことまで言えればいいかなと思っている立場として話しますね。
それを採用する理由は、主要論客であるゲイリー・フランションがおそらくそういう考えをしているからです。とはいえ、実は仮に福祉工場のほうに資源を投入することで早まるんだとしてもなお、排斥主義を支持する理由も一応あるにはあるので、そういったことも含めつつ話していければいいかなと思います。
09:26
スピーカー 2
じゃあ早速、まずこの排斥主義っていうのを、その排斥が早まるか遅まるかみたいな論点だけで議論するんではなくて、他にもいくつか理論的な理由があるというところから話そうと思います。
一つ目は、まず新福祉主義って結構現状のこの今いる存在、今いるこの非人動物たち、畜産動物たちの福祉、特に苦しみを問題にしてもそれを軽減することが良いことだというふうに考えている節があると思うんですけど、
排斥主義がベースにしている権利論、動物の権利論とか、あるいは義務論的な考えっていうのをベースにすると、苦しみの量っていうのはそこまで問題にはならないというふうに私は考えています。
このそこまで問題にならないというのは、全く問題にならないわけではなくて、ある程度は問題なんだけれども、最も重要な論点というのは苦しみの量とかではなくて、この非人動物たちが現に置かれているこの状況、それ自体が問題なんだというふうに考えます。
その状態というのは、前回排斥主義を支持する動物の権利論で、所有されない権利、あるいは財産にならない権利っていうのを話したと思うんですけど、まさに話したんですけど、畜産動物たちが置かれているという状況がつまり、この所有者によって収支が行って、それに所有されてしまっている財産になっているってこの状況が問題なんだと。
だから、そこに苦しみの量がどれぐらいあろうが問題、それ自体は確かに一応ある程度問題だけど、それよりも根本的に重要なのはそこじゃないということになります。
どうしてそんなことが言えるかというと、これはよくある奴隷制とのアナロジーでありますが、幸せな奴隷っていうのがいたとしてそれがいいことなのかっていうと、別に全くそんなことはないわけですね。
つまり、この奴隷がいるという、この奴隷にさせられているという、まさにこの状態が問題なのであって、奴隷が幸せなのか不幸なのかっていうのは、二次的な問題としてはありますけど、根本的に重要な論点ではないというのが、排列主義者たちが持っている直感の一つというか、理論的なベースの一つになるかなというふうに思っています。
これが結構大きな排列主義を支持するモチベーションの一つになっているかなと思うんですけど、いかがでしょうか。
12:03
スピーカー 3
幸福な奴隷がいてもいた場合に、それでいいことになるかといったら、そうではないだろうと。やっぱりある人間が奴隷の状態に置かれているというのは、その奴隷の不幸に関わらず悪いことであって、やめるべきことだというふうにすごい納得できるんですけれども、
他方で、もし奴隷がすごい過酷な状況に置かれているとしたら、そこで奴隷制の廃止を目指すよりも、まずは奴隷の状態を良くするということも優先事項になり得るんじゃないかなとは思うんですよね。
それが全く重要ではないというふうに竹下さんもおっしゃっていたと思うんですが、排列主義の立場からも全く重要でないわけではないとおっしゃっていると思うんですけれども、今の高層地域畜産動物が覚えている状況っていうのは、今自分が研究したような、述べたような状況に近いんじゃないかというふうに、やっぱり親父主義者の立場から思うって感じでしょうかね。
すごく過酷な状況に置かれてしまっているので、まず奴隷状態から解放するよりも、まずはなるべく苦しみを減らそう、そっちに優先した方がいいんじゃないかっていうふうに考えられるんじゃないかなと思いますが。
スピーカー 2
うん。でもそれって結局、最終的にお互いに奴隷性をある種排列するみたいなアナロジーでいえば、お互いにそこを目指すっていうことなんですけど、じゃあなんで最初からそれを目指そうという話にならないんですか。
というのは、普通に素直に考えるんだったら、まさに奴隷状態であることが問題なんで、かつそれが最も重大な問題であると考えるなられば、まずそれを改善しようというふうに動くはずで、その一番問題になっている根本的な問題ではなくて、二次的に派生してくるこの苦しみの方に焦点を当てて、まずそっち減らそうよっていうのは、問題の論点をずらしているように見えるわけですけど、親父主義者はそれでいいって考えてるってことですか。
スピーカー 3
そこは、いいと考えてるわけではなくて、いいというのは、福祉福祉者にとっても問題は動物たちが資源としてあるいは財産として使われていて、どれと似たような状況に置かれている、そこは問題として認識してはいるんだけれども、
この動物たちのウェルフクシーを向上する取り組みというのが、その廃絶に向かう一つの一手段であり一歩であるとも考えているわけで、何というか、論点を完全にすり替えてるわけではなくて、
まさに廃絶のために今必要なことがこれだというふうにも考えて、あるいはそう考えてる親父主義者がいるだろうというふうに思います。
15:01
スピーカー 2
なるほど。ちょっとこう実践の方に移ったので、じゃあ割と実践上の話、先ほどは理論上の話をしましたけども、実践上の話をしていこうかなと思うんですけど、まずやっぱりこう、よくその廃絶主義の中では資源パラダイムっていうような言葉が使われるんですけど、
その非人動物たちがまさに資源として扱われているからこそ、そんなひどい扱いを受けたりとか、福祉上においても大問題な条件になっているんだと。そうするとやっぱりこの資源パラダイムをやはりまず終わらせるところから始めなきゃいけないんであって、それによってまさに廃絶も早まるというふうに直感的には思われるわけですね、素朴な話として。
で、これをいくつか指示するような心理学的な証拠が前回、コットンさんも紹介してくれましたけど、例えばそのまさに資源としてみなしている限りでは、我々の持っている差別的な態度っていうのはずっと継続し続けるし、なんならよく福祉を改善することによって、ハッピーミートとかいうような単語がありますけど、幸せなんだからもうこの肉食べてもいいじゃんみたいなふうに思っちゃう人たちが現にいるんだと。
いうことが問題になるんであれば、やっぱり最初から我々は廃絶を訴えかけていかなきゃいけないってことになるんじゃないんですか。そっちの方が廃絶を早めるんじゃないんですか。
スピーカー 3
前回私も研究して、今回またも研究されている心理学の研究だと、ハッピーミートみたいなもので満足して食べてしまう人っていうのは、やっぱり動物を資源として見出し続けるというか、あまり心を持った存在として見出すことがない傾向があるというような研究結果だと思うんですけど。
でもその肉食、ハッピーミートが出てきた時にこれ食べてればオッケーって思っちゃう人もいるかもしれないですけれども、でも自分の感触としてこのアニマルウェルフェの問題を取り組んでいる人って別にそんなことはあまりないんじゃないかなと、そういった人ばかりではないし、少ないんじゃないかなとそういうふうに考える人は。
と思っていて、なんでかっていうと、そもそもアニマルウェルフェの問題とかに関心を持たない人って、畜産動物は資源として使っていいんだとか、どんな苦しんでいることもそもそも知らないっていうのもあるし、苦しんでいても畜産動物なんだからいいんだって考えてしまう人って結構にあると思うんですけど、
でもこのアニマルウェルフェの問題に関心を持って、なるべく畜産動物のアニマルウェルフェを向上していこうという人たちは、まず前提としてこの動物たちっていうのが、ちゃんと苦しむことができる意識を持っていて、苦しむことができて、実際に苦しんでいると。
18:07
スピーカー 3
そこの認識から出発しているんですよね。その認識をまず持っているわけですよね。だからなんというか、全くアニマルウェルフェに関心を持たない人と比べたら、全然動物を資源パラダイムから少し一歩出ている、そういう人たちが多いかなというふうに思っていて。
実際、感触、印象として、アニマルウェルフェの問題に取り組んでいる人たちが、いつまでもこの畜産が残っていいとか、アニマルウェルフェを向上した農産物からだったら、ずっとそれを食べ続けていいって思っている人は、こんなに多くないんじゃないかなとも思うんですよね。
だから、アニマルウェルフェの向上に取り組んでいる限りは、資源パラダイムから抜け出せないのは限らないんじゃないかなと思うというところでしょうか。どうでしょう。
スピーカー 2
これは私にとっては、新福祉主義者が福祉改革に取り組む際には、それで間違いないと思うんですよ。というのは、新福祉主義者も、だって資源パラダイムから最終的に抜け出したいと思っているわけなんで、それでいいと思うんですけど、一つにはまず、動物福祉に取り組んでいる人の中にはまさに福祉主義者もいるわけで、真がつかない福祉主義者もいますよね。
その人たちは廃絶をそもそも目指してないわけですよね。実際、例えば、動物福祉学の教科書とかは基本的には真ではなくて、福祉主義的な考えを持っている人が基本的には書いている。日本語の教科書とか呼ばれたらわかると思いますけど、基本的には動物利用を継続していくというのが前提にあったりしますし、もう一つは、消費者側から見たときにアニマルウェルフェを改善しているっていう、その背景の思想なんてあんまり見えてこないわけですよね。
基本的には。見えてくるものとすれば、動物の苦しみを減らそうっていうような部分しか見えてこない。もうちょっと動物にとって優しい畜産にしていこうぐらいしか見えてこないわけで、真福祉主義と福祉主義の区別っていうのは、消費者の視点からあんまり見えてこないわけですよね。
そうすると、消費者視点ではやっぱりそれは先ほどの心理学実験とかが示唆するようなことをさらにやっぱり貢献、それを促進してしまっていて、やっぱり資源パラダイムから抜け出すっていう上で、アニマルウェルフェアをキャンペーンとして打ち出していくっていうのは、悪種なんじゃないかなというふうに思ったりするんですけど、どうですか。
スピーカー 3
アニマルウェルフェアの向上というのが、資源パラダイムから抜け出す畜産を排出するための一歩目に過ぎないっていうのは思っていて、つまりそれだけで、これだけやっていれば自然と畜産が排出されるとは確かに思えない、今おっしゃった理由でですね。
21:06
スピーカー 3
というふうに私も思うんですけれども、さっきの奴隷の例で少し言ったように、今最善できる最善のことがこのアニマルウェルフェアの講座だという認識があって、もし今、資源パラダイムから抜け出そうとか、今畜産を発信しようというふうに資源を使ってしまったら、
排出までは道のりが多分長いだろうと思うので、いくらこの資源を追及しても、その間に今この状況におかれている動物たちは苦しみ続けることになると思うんですよね。
それだったら、まずこの畜産の飼育方法をどんどん変えていって、改善していって、まず差し当たりは畜産動物の性を向上していく、だからそれによって畜産が排出するまでの間に、動物たちが感じる苦しみを減らしておくと。
さらにそれによって、消費者たちもなるべく動物たちを意識を持った、感覚を持った存在たちを捉えるようになっていって、その後で排出のための取り組みを進めればいいんじゃないかなと思っていると。
その排出主義に立つ方法としては、まず問題にしているのは、所有されている奴隷状態みたいな、その状況が問題であって、そこを問題にしていて、
スピーカー 1
新福祉主義の立場に立つと、新福祉主義的なアプローチをとると、その動物を所有物とか資源とみなす、そういう価値観を強化したり維持してしまうんじゃないかという懸念が排出主義者からはあるということですね。
それで、新福祉主義者のコットンさん的には、確かにそういう人も、そういう価値観、資源っていう価値観を保持してしまう人たちもいるだろうけど、必ずしもそうじゃないんじゃないかということでしたね。
スピーカー 3
そうですね。むしろ、よく細かく見ていくと、アニマルウェルフィアに関心を持っている人たちっていうのは、むしろ資源バーナーに向かうだけでなくて、一歩目っていうのをちゃんと踏み出しているわけで、その意味で畜産の排出に進んでいるんじゃないかなと思うというところです。
24:03
スピーカー 3
はい。でも、アニマルウェルフィアの向上だけ取り組んでいれば、畜産排出できるとか、資源パラダイムから抜け出せるとも思っていない。いつかはどこかで、そう、排出主義的なアプローチが必要になるだろうとは思っている。
じゃあ、ちょっと聞きたいんですけど、それはいつなんですか。
スピーカー 2
個人的ななんとなくでいいですよ。
スピーカー 3
じゃあ、全ての大卵系の飼育がケージフリーになり、母豚がクレートフリー、拘束されることがなくなり、ビールはもちろんなくなり、
そういった、今、この方式でアニマルウェルフィアがこの方式に変えてほしいと言っている方式に、全ての畜産動物がその方式で飼われるようになったら、そろそろいいんじゃないかなって、とりあえず一つ目安としてあるんじゃないかな。
もちろん、そこまでいったらパッと変えるというよりも、だんだんと資源の配分を、排出のほうに増やしていくって形になるとは思うんですけれども、一つの目標地点として、それがあってもいいのかなと思います。
スピーカー 2
なるほど。ちょっと全てのっていうのは、制約として強すぎる気がする。9割とか8割とかぐらいですかね。
スピーカー 3
そうですね。
なるほど。
スピーカー 1
ここまでその排泄主義者の竹下さんから、この所有物的な、そこに論点を焦点を当てて、まず一つ目話していただきましたが、他にも排泄主義を擁護する理由があるっていうことですよね。
スピーカー 2
そうですね。基本的に動物の権利っていうのをベースにしていて、それはやはり人権ともアナロジーを使って議論しているわけですよね。そうすると、アプローチそのものに問題が出てくるんじゃないかと。
例えば、何度も何度も奴隷のアナロジーを使うのはあまりよろしくないんですが、この話も後でしておきますけど、一旦話を進めると、例えば人間がまさに奴隷状態に置かれていているときに、苦痛を減らそうっていうふうに訴えながらアプローチを解決のためのアプローチを実行していくっていうのは、何か間違ったアプローチをしているように思われるわけですよね。
27:03
スピーカー 2
そこでは権利侵害が起こっていることが問題なのに、何か権利侵害そのものではなくて苦しみを減らそうみたいな運動をしていることって、そのアプローチ解決の仕方、方法そのものに何か内在的に悪いところがあるように感じるわけですが、これ人間のケースではそう思う人って結構いると思うんですよね。
なのに、非人動物になった途端に苦しみを減らそうみたいなふうな問題に焦点を当てることが何か許容されるんだ、みたいなふうに言うのであれば、それは種差別の一つかなというふうに思ったりするわけですが、その辺、親父主義者はどう考えなんですか。
スピーカー 3
ある状況ではそういうふうに見えるけれども、もし本当に状況が差し迫っているような場合、例えばガザで空爆を受けているような場合に、それなんか人権侵害でもあり、でもあると思うんですけれども、その時にでもまずは怪我を治したりとか、そういった意味での福祉の向上に取り組むのが間違っているというふうには思われない。
その緊急性の度合いによって、人権の回復よりも苦しみとか福祉の向上に優先されるべき状況っていうのもあるんじゃないかっていうところが言いたかったって感じですかね。
スピーカー 1
確かにガザの支援でいうと、人権侵害が起こっているわけですけど、もちろん反戦というか攻撃をやめろっていうのもありますけど、結構多くの場合が物資の支援だったりとか、UNICEFとかUNHCRに寄付とか、
スピーカー 3
結構そういう意味では、この新福祉主義っぽいアプローチに感じますね。
スピーカー 2
私は実はそんなに感じてなくて、実践として、例えばガザ地区の支援とかが物資補給とか、あるいは医療支援とかだったりっていうのはあるんですけど、ガザ地区から離れている、例えば日本に住んでいる私たちが何か実践しようと思ったときに、寄付とかはもちろん物資支援とかに回されることは当然ありますけど、
主張としては改善しようではなくて、攻撃やめろ、ガザ地区を解放しろ、フリーガザなわけですよね。ってことは、これやっぱちょっと新福祉主義と違っているような気がしていて、新福祉主義は主張としてももちろんその廃絶を目指すとは言っているもののアプローチをとって、今やるべきことはっていう話として改善だということを主張するわけですよね。
30:00
スピーカー 2
でもそのパルシア問題の関しては、今まさに解放しろと我々は主張している、我々というか私はそう思っていますけど、今まさに解放すべきだ。同時並行でその福祉改善も進めていくべきだけど、それが目的なわけではなくて、それは結構手段であくまでも解放、戦争をやめ、戦争じゃない、ジェノサイドをやめろということが第一にあると思うんですよ。
だからそこはちょっと私は新福祉主義のアナロジーが成り立たないんじゃないかなと思っています。
スピーカー 3
なるほど。なんでそのアナロジーが成り立たないのかなって言った時に、多分もしかすると新福祉主義の人たち、あるいはそのアプローチをとっている人たちは、なかなか表立って石口さんの廃絶を主張したり、肉食をやめろっていうことが、もしかしたら少ないかもしれない。
そういうふうに見られているかもしれなくて、ただ新福祉主義のアプローチをとっていると考えられるアニマルアイツセンターさんは、動物は食べ物じゃないっていうデモをやったりとかするので、必ずしもいつでも新福祉主義のアプローチをとっている人が、そういう廃絶を訴えるメッセージというのは発しないわけではないですけれども、
でもなんでそういう印象になるか、つまりあまり廃絶を目指すメッセージを表だって言ってないように思われるかといったら、そこ微妙に両立しない活動をやっている中で両立しないことがあって、新福祉主義者はやっぱり畜産農家とか食品企業とかと一緒に働かなきゃいけないんですよね。
彼らに今すぐ畜産をやめろって言っても、なかなか難しいことが多いと。もちろん畜産から他の業種に転換する手伝いっていうのもできると思うんですけれども、
でも今のところすごい人にはコストがかかるし、時間もかかるし、農家の方でも心の準備みたいなものがあるし、難しいと。だから新福祉主義者がどういうアプローチをとるかというと、まず食品企業に対してはより香水樹のアニマルウェルフェアを施行している農家から畜産物を購入してほしいというふうに言うわけだし、
農家にはなるべくアニマルウェルフェアに配慮した施行をしてほしいと。それを言いながら肉製品を取り扱うとか、畜産農家に対して畜産をやめろ、他の業種に転換しろとは、両方のメッセージを同時には伝えられないはずなんですよね。
33:01
スピーカー 3
だからそういったステークホルダーたちと話す場合には、そしてまずはアニマルウェルフェアの向上が進んでほしいと考える場合には、やっぱり一方のメッセージしかなかなか発せないっていうのがあって、それでどうしても外から見てると新福祉主義者っていうのは畜産の廃絶を目指してないんじゃないか。
それをもっと言った方がいいんじゃないかと思われるかもしれないけれども、でもそれらにはそういう事情があるんじゃないかなと。事情があります。
スピーカー 1
難しいですね。確かに畜産の廃絶に賛成しているっていうのはどちらも共通しているんですもんね。
どちらも戦争反対攻撃をやめろ、畜産をやめろ的なこのポリシーは持っているけど、それが表に見えてきているかどうかっていうところで、またそこで違いが出てくるということなんですね。
スピーカー 2
ああいいですか。実は私この点に関してはまさに2枚事態になるべきだと思っていて、農家とか畜産農家とかに対してはアニマルペレフェア推進してくださいっていうふうに言って、
消費者とかあるいは直接的なステップホルダーじゃない人たちに対しては、まさに動物は食べ物じゃないっていう主張をしたりとか、廃絶問題的なメッセージを伝えていくべきだと思うんですね。
アニマルライスセンターはまさにそういう2枚事態的なことをうまくやってるところなのかなと個人的には思っていて、現に動物は食べ物じゃないデモを主催したり企画したりしていたりとか、あるいは畜産ってこんなにひどいんですよ、動物実験とかもこんなにひどいんですよっていうのをウェブページ上で情報発信もしている。
他方でまさに例えば刑事不利推進とかに対しても、アニマルペレフェア推進してくれて嬉しいですっていうようなメッセージを発信したりしている。どう考えてもこれはぱっと見不正合な主張をしているわけで、それは私からするとある意味で2枚事態的なのかなと思うし、それが後はどっちの主張の割合がどれぐらい多いかっていうところにもよるかなとは思いますけど、結構それをうまくやろうと、少なくともそれを試みているところなのかなと。
個人的には思ってますね。
スピーカー 3
その2枚事態を取ったときに、やっぱり企業からどう見られるかっていうところはまた別の問題としてあって、だからイマライセンターさんが企業と話すときに、あるいは畜産農家と話すときとかに果たしてその2枚事態は通用しているかというか、つまりできれば知ってるわけじゃないですか。
36:09
スピーカー 3
他のところで解説を訴えてるって。だから、もしかするとやっぱり話しにくい部分はあるんじゃないかな。もしないという部分はあるかもしれないですね。
で、実際、自分、心腹主義的なアポーションを取る団体というか所属してるんですけど、やっぱり動物擁護団体とは一緒に写真写っちゃいけないとか言われます。こういうメッセージが伝わっちゃうから。なので、2枚事態って難しいですね、慎重になるとすると。
スピーカー 1
今ちょっと心腹主義者的な竹下さんがちょっと垣間見えましたけど、2枚事態、難しいけれども、2枚事態を徹底できるような福祉の推進の仕方だったら、ちょっと排説主義者にもより入りやすいというか、
スピーカー 3
心があるのかもしれないですね。
スピーカー 2
ちょっと確かに心腹主義者的なことを垣間見せてしまったんで。
スピーカー 3
まさに2枚事態じゃないですか。
スピーカー 1
今ロールプレイなんでね、どうしても2枚事態になっちゃいます。
スピーカー 2
でも、実は私はガッツリ心腹主義にコミットしてるっていうよりは、まさに2枚事態的にやるべきだと個人的には思っているんですよ。これは今ロールプレイじゃなくて、私、竹下の考えを言ってますけど。
個人消費に対しては排説主義メッセージをガンガン伝えていくべきだと思っているんですよ。
消費者に対しては。実際に畜産を排説していこうってなったときに、今の畜産動物たちって本当に数が多いので。
例えばアニマルサンクチャリっていうのは、畜産とかで無用、役立たないみたいな感じで放棄された被害人動物たちとか、畜産だけじゃないですけど、人間から養殖に放置されてしまっている被害人動物たちを保護するような施設というか組織というかそういうとこなんですけど。
日本にもいくつかありますが、アニマルサンクチャリで到底保護できる数ではないと思うんですね。そうすると、排説のためには、現実には結局数を減らしていく必要があると。
そのときに一定程度アニマルウェルフェアを推進することは、数を減らすことにも確かにつながるはずなので、それをやっていくことになってしまうんじゃないかなというふうに思っているんですね。
39:09
スピーカー 2
例えば、排説主義者たちも実際にすぐに排説できると思ってないんですよ。思ってない状態で排説を訴えてるんですね。これは、排説主義者たちは結構自覚的だと思っていて、っていうのは、その排説メッセージ伝えたところで社会がすぐに変わらないことは、排説主義者はわかってるんですよ。
それは、結局は多分数を減らすことになるだろうと。そういった中で、ある一定のレベルを超えたあたりで、排説が現実に実現されていくんだと考えているからこそ、そういうふうにちょっと言動が不整合な感じになっているように思うんですね。
で、いう時には、じゃあその数を減らすとか、社会にすぐに実装されません、排説主義的なアプローチはすぐには成功しませんよってなったら、じゃあそのすぐには、成功するまでの道のりの途中は、数を減らすっていう意味でもアニマルウェルフェアアプローチを取っていくっていうことになるんだろうと思っていて。
なので、畜産農家とか企業に対しては逆に、心腹主義的な実践をかけていくっていうようなことが、ある種結果的に必要になってくるんじゃないかなっていうふうに思ってるんですよ。そういう意味で、私自身は割とある意味でそういう二枚舌的なところがあるかなっていう感じですね。ちょっとロールプレイから外れちゃいましたが。
スピーカー 3
でもなんか、心腹主義者って、排説やっぱり肯定していて、畜産排説肯定、賛成した上で、アニマルウェルフェアの向上に資源を取り組むべきだって言ってるかなっていうか、本質的に二枚舌っていうところはありますよね。だから今、たきしさんの今の言った考えは、もうすでに心腹主義者そのままって言っていいんじゃないかと思うんですけど。
スピーカー 2
個人商品に対するキャンペーンとして、心腹主義ってその肉食べるのやめましょうとはあんまり言わないですよね。
スピーカー 3
なるほど。
スピーカー 2
排説主義者はそれは明確に伝えますよね。
スピーカー 3
なるほど。でも、やっぱ消費者が買ってくれないと、企業も畜産農家もアニマルウェルフェアに配慮した飼育に変わってくれないんですよ。
どうしたらいいですか。
スピーカー 2
どうしたらいいんだ。
結局、別に買う人は買うんと思っていて、わざわざキャンペーンなんてしなくったって、アニマルウェルフェアの商品をキャンペーンしようがしなかろうが、買う人はどうせ買うし、排説主義アプローチのメッセージが全然響かない人はどうせ買い続けると思うんですよね。
なので、個人消費のメッセージとしてアニマルウェルフェアに配慮した商品の方を買いましょうって言うのって、一体どれだけの意味があるのかは正直私は疑問だし、私個人の実践としても、例えば友達とかあるいは知り合いとかに伝えるときって、私自身がまさにビーガリズム実践をしてるわけなんで、
42:18
スピーカー 2
アニマルウェルフェアの商品の方に変えてっていうふうには全く伝えてなくて、例えば1週間に1回肉をやめるところから始めたりとか、ビーガンのこういう感じのいろんな商品とかあるんだよって言って、動物性をやっぱりなくすということをあくまでも目指したメッセージの伝え方をするんですね。
ここら辺は私がハイデス主義の共感というかシンパシーを覚えてるところなわけですけど、なのでそのそういう意味でやっぱり個人消費のメッセージっていう点で、確かに目標はハイデスという点で侵入主義とハイデス主義は同じですけど、個人消費に対するメッセージの仕方ってやっぱり違うし、私は実はそこは侵入主義にあんまり同意できてないところでもあるんですよ。
スピーカー 3
何というか、竹下さんが自分のこと侵入主義というよりは二枚舌のハイデス主義と呼びたい理由は分かりました。
スピーカー 1
二枚舌のハイデス主義者は個人消費については動物性食品とか動物性のものの消費をやめましょうっていうのも言っていて、
侵入主義の方はアニマルウェルフェアに配慮した商品の消費も呼びかけるっていう。
スピーカー 3
難しいですね。
でも何というか、侵入主義者が友達と食事をするときにアニマルウェルフェアの配慮した食品を進める必要はなくて、問題になっているのはやっぱり対象にどう訴えかけるかっていうところだと思うんですよね。
対象に訴えかける場合に動物たちの苦しみを効果的に減らすのは、肉をやめてあるいはミートレスマンデよりも、なるべくいい状態で飼育されたアニマルウェルフェアに配慮した畜産物を買おうというメッセージの方が効果的なんじゃないかって思いますけど、どうでしょう?
同意しないです。
どうなんだろうな。
もし今やるべきことが畜産動物のアニマルウェルフェア向上であるってところを同意するのであれば、なるべくアニマルウェルフェアに配慮した畜産が広がるような取り組みっていうのはやっぱりすべきで。
効果的な取り組みで何かって言ったら、特に対象に対して、消費者に対して訴える時にどう答えかけるべきかといったら、そういうアニマルウェルフェアに配慮した製品を選ぼうってことになると思いますけど、そこに同意しないって感じですか?
45:14
スピーカー 2
同意しないです。
これはロールプレイとしても、自分自身の考えとしても同意してないところですけど、またロールプレイに戻りますが。
スピーカー 1
頑張りましょう。
スピーカー 2
そうですね、何て言ったらいいかな。
私、ロールプレイ的な言い方を今してますけど、一般的なその大衆の消費者たちの心理って、わざわざ動物を苦しめたいってそんな思っているはずはないと思うんですよ。
なので、そのアニマルウェルフェア製品と、あんまりそれが促進されてないような製品とが、例えば同じ値段で販売されているんだったら、わざわざその剥削しに配慮されてない商品を買わないと思うんですよね。
実際に例えば、あまり詳しくはないですけど、イギリスのほうとかであれば、ケージフリー卵とかのほうはちょっと高いけど、でもちゃんと需要が生まれてきているっていう現状があったりとか。
それが何か、深刻主義的なキャンペーンによって促進されたかどうかっていうのは、私そこまで詳しくはないですけど、商品が供給されて、それにパッケージのラベルとして、例えばこっちのほうがケージフリーですよとか書かれていて、
そのキャプションとかを消費者のほうが理解しているんであれば、わざわざ訴えかけなくったって、どうせそっちのほうを選ぶと思うんですよ。
ビーガニズムの普及活動をしているときも一緒で、結局その消費者が問題にしているところって、ある程度は値段だったりとか、どれぐらい自分自身が生活の中にそれを取り入れていけるその難易度がどうかっていう点であって、
アニマルウェルフェアに配慮された商品のほうがいいかどうかっていうところは、そもそも論点になっていない。そこは問題視されていないと思うんですね。
一部の人はそうじゃないかもしれないですけど、多分そんな人は少数なのかなと思ってるんで、
そういう意味で、大衆消費者に対するキャンペーンとして、アニマルウェルフェア配慮の商品を買いましょうって訴えることがどのぐらい意味があるのかっていうのは、個人的には結構疑問です。
スピーカー 3
やっぱりそこはちょっと同意で聞かれるところで、イギリスもアメリカもそういう状態になったのは、ラベル表示、アニマルウェルフェアのラベル表示が始まって、ほとんどスーパーの半分がけじ売り卵になっている状態っていうのは、まさにその前にアニマルウェルフェアに対する意識を持った消費者が増えていったからであって、
48:03
スピーカー 3
そういうラベルをちゃんと読み取り取りに関心を持って、少し高いぐらいだったらアニマルウェルフェアに配慮して選ぼうという土壌がすでにあるからではないかと。
まさに消費者、大衆に向けたアニマルウェルフェアのキャンペーンっていうのは、まさにその土壌を作るためのものではないかと。
実際、結構数年前、先から数字忘れちゃいましたけど、そもそもアニマルウェルフェアって言葉を知らない消費者がほとんどなんですよね。今もそうだし、数年前だったらもうさらに少ないし。
で、災難系がどういう状態で支給されているのかってことも知らない人がほとんどな状態なんですよね。
だから、そこでアニマルウェルフェアに配慮した製品を選ぼうっていうのは、まずアニマルウェルフェアという観点で製品を選ぼうっていう名の目を消費者の中に養うことになるし、
それにつれて畜産動物がどういう状態を勝てるのかってことを知るきっかけにもなるというところで、
今現時点で日本で、特に日本でですかね、訴えかけるメッセージとして、アニマルウェルフェアに配慮した製品を選ぼうというのは、
そこまでそういった効果があるし、悪くないんじゃないかなと思うんですけど、どうですか。
スピーカー 1
せっかく的じゃないですか。
スピーカー 2
私は同意しなくて、アニマルウェルフェアっていう単語を消費者が知らない可能性がある。それは確かにそうだなと思うんですけど、
消費者は初めからアニマルウェルフェアの理念自体には同意して、つまり、より動物の苦しみが減った方がいいよねってことには同意してると思うんですよ。
だからこそ、例えばアニマルウェルフェアっていう単語を広く認知させることで、実際に消費者の行動も変わっていくわけですよね。
もし消費者がデフォルトで、例えばアニマルウェルフェアの理念にそもそも同意してないんだったら、
仮にその認知が広まったところで、別に消費者の行動は変わらないと予測されるはずなんで、
その意味で、アニマルウェルフェアの認知のキャンペーンはあってもいいかもしれないですけど、
そこまで資源を割く意味がどれほどあるのかっていうのは結構微妙なところ。
対して廃絶主義的なキャンペーンの場合には、むしろ消費者がまさに今同意してないところに訴えかけようとする。
それを、じゃあ廃絶主義的なアプローチをより効果的に訴えていくにはどうしたらいいかみたいな風に、
の方に資源を投入した方が、よほど消費者の行動っていうのをちゃんと変えていく。
廃絶主義、廃絶を早める方向にも変えていけるんじゃないかなって個人的には思ってます。
スピーカー 3
効果的にしたし、逆でですけど、すみません。
果たしてビーガン、ビーガニズム、あるいは廃絶主義的なメッセージによって本当に消費者の行動が変わったかっていうと、
51:05
スピーカー 3
ちゃんとした証拠はまだ出てないらしいですよね。調査をしたところ、いろんな調査があるんだけれども。
それはもしかすると、調査をした期間、調べた期間で短すぎたっていうのもあるかもしれない。
そういった批判もあるんですけれども、とりあえず今のところ、本当にそのメッセージによって消費行動が変わったかっていうと、
ちゃんと証拠は今のところないっていう感じみたいですね。
なので、それを踏まえたときに、確かに今言ったように消費者はアニマルウェフェアの理念自体には最初から賛同してるっていうのは確かにそうかもしれないんですけれども、
アニマルウェフェアって言葉と一緒にですね、なるべく製品を選ぶときに、その製品がどういう飼育された動物から来たものなのかっていう観点を取り入れてもらう。
そういうメッセージっていうのは消費者も理解しやすいし、それによって消費者行動が変わるっていうことは、どちらかというと変わりやすいのではないかなと。
実際に変わったのかな。
スピーカー 2
そっちも証拠があるのかって話になりますよね。
スピーカー 3
すみません、これやばいですね。ないというか、なんだっけな。パラドックスって言われてて。
スピーカー 2
ミートパラドックスですか。
スピーカー 3
アニマルウェフェアに配慮した商品を選びますかって調査アンケートを取ると、みんなアニマルウェフェアに配慮した製品を選ぶと答えるんだけど、
実際のスーパーで調査をすると、いつも選んでないみたいな調査結果はありますね。
スピーカー 2
お互い証拠ないじゃないですか。
スピーカー 3
確かに証拠ないですね。それはキャンペーンの効果を図るものはないんでね。
スピーカー 2
そんな逃げ道は通用しないですよね、さすがに。
スピーカー 3
キャンペーンの効果がないことを示したケンキではない。やっぱりここはどうしますかね。
スピーカー 2
そろそろまとめに入りましょうか。
スピーカー 3
そうですね。
スピーカー 1
もう多分、いくら話しても証拠がお互いに突きつけられないということで、なかなか一つの結論には落ち着かなさそうということで、
閉めちゃいたいなと思います。
どちらが優勢ともなく、いい議論が聞けたなと思いますけれども。
54:02
スピーカー 1
途中、ロールプレイじゃなくて本物のテキシナさんが出てきちゃったりとかもしましたけど、
それも含めて、新福祉主義的な観点もちょっと取り入れてる、でも排説主義者みたいな、ちょっと別の立場も出てきたりして、すごい面白かったです。
ありがとうございます。
スピーカー 2
ありがとうございました。
スピーカー 1
リスナーの皆さんも、いろんな立場があるんだよということを知っていただけたり、いろいろ考える機会にしてもらえていたらいいなと思います。
はい、そんなところでしょうかね。
では、今回はリスナーさんとコットンさんに、排説主義と福祉主義及び新福祉主義について、いろいろお話しいただきました。ありがとうございました。
スピーカー 3
ありがとうございました。
スピーカー 1
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55:48

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