動物倫理学の基本
この番組は、中学の同級生の40代男性2人が、文学、社会学、経済等について、本で学んだことを肴に話す雑談番組です。
はい、初めての動物倫理学というところで、そうですね。動物倫理学本でマルクスのやつを書いている人の本でしたよというところで、
動物倫理学ってなんぞやって話ですが、そもそも倫理学とはトロッコ問題とかに言われるような、結局答えないんですよね。
トロッコ問題って、結局分岐したときに、どっちを殺すかみたいな話になりますけども、どっちもダメだよと。
そうなったときに、どっちがベターかみたいな話ですけども、そんなもんですね。いろいろ条件によって変わるでしょうというところがあります。
要は、年寄りたくさんいるのと、少人数の若い人たちがいるみたいなところになったときに、
余命で考えれば若い人がいいでしょうみたいな話になったりとか、そういうのがあるわけですけれども、
ただ、答えはないけれども、今のこういう条件だったらこっちのほうがベターだねみたいな、
そういうのはいろいろな条件をつけて考えることができるよねというところですね。
そういったので、倫理学というのは、ある意味定数学の1ジャンルとしてなり続けるよと。
その中で動物倫理学ってなんぞやという話なんですけれども、
これがそもそも出てきている理由としては、まさに我々のいる社会の作りとして、
これは多分フランス革命以降が非常にわかりやすいかなというふうに思いますけれども、
フランス革命以降を基本的には人権の概念が出てきて、みんな平等だよというところになりました。
それ以前は王様がいて、貴族がいて、平民がいてみたいな感じの階級、要は上下があったという話ですね。
そういうような形だったんだけれども、みんなフラットになりましたよと。
それ以前はさっき言った身分階級的なものだとか、あとはキリスト教的なものですね。
神様がこういうふうに作ったよと。
キリスト教ベースで言えば、例えば人間が上にいて、その下に動物がいるよと。
動物たちは人間に対して、いわゆる肉を奉仕するためのものだったりだとか、
そういうふうな役割をあるものなので、比較的下等なものだよというのを設定されていたりするというようなところがありますよと。
そういうところからの、いわゆるロジックで考えたときに、人と人が違う理由というか、
そこの格差というか、上下を定義するようなものってなくねってなってくる。
そうするとみんな平等だよねというふうになってくるという話ですね。
それをもとにフランス革命というのがありましたけれども、
そういうふうにみんなフラットだよねってなったのはいいんだけども、
ここで問題となってくるのが、そのみんなって誰ですかという問題がずっとあるわけです。
フランス革命のときは、いわゆるフランス国民が全員、
平等だよと言われたけども、実際のところは、いわゆる選挙権的なものを与えられていたのは、
一部の金持ちの人だったりだとか、そもそも女性とかはそういうフォーカスがいられたりだとか、
そんな感じでみんなといっても、みんなというところが結構狭かったりするわけですよね。
そこからだんだんみんなの範囲が広がっていって、
分かりやすい例でいうと、アメリカの黒人解放というところが一番結構大きいかなというふうに思いますし、
黒人解放の流れで、黒人が解放されるんだったら女性も解放されるべきじゃねみたいな感じで、
出てきたのがいわゆるフェミニズムの論理という感じで、
女性解放というところになってきますよというふうになってきて、
基本的に人間に関しては、女性の解放というのは、
現状、基本的に人間に関しては、
みんなそこら辺まで大きく差別はないよねって、
建前上は言われている状態になってきてはいるというところですね。
とはいえ、今の時点でも見えてないところは多分あるだろうと。
動物と法律主義
さっきの女性の部分だけじゃなくてトランス的なものもあれば、
いわゆる、今どうなんですかね。
どうでどうのことかわからないけど部落的な問題だとか、
いろんなものがいろいろあるというところがあると。
その流れで出てきたときに、次に出てくると、
結局ここら辺までの流れって、みんなという範囲をずっと拡張してきているという流れなんですよね。
そうなったときの次の段階に来たのが、この動物というところがフォーカスになってくるという。
そこでの動物倫理学というイメージ。
個人的には結構ここら辺って昔から興味があってですね。
やっぱり動物に対する仕打ちというか、扱い的なものがですね。
どうにもやっぱり今の時点、多分100年後から見たときに、
絶対これ明らかに非難されるレベルのことをやっているなというのは昔からずっと思っていてですね。
いわゆるどの育て方とか。
そもそも畜産業レベルですね。
肉食の時点でも普通に殺しているわけじゃないですか。
そもそもその育て方の部分においてもですね。
いわゆるブロイラー的な感じでですね。
ほぼほぼ殺すためにですね。
産んで増やしてみているところもありますし。
それこそ、いわゆる乳牛とかであってもですね。
オスとして生まれた時点で即死みたいな世界だったりするわけであるんですよ。
そういう意味ではやっぱり人間で考えたら相当やべえことやってるなみたいなところがあったりするわけですね。
その上でですね。
なんで動物にそれやっていいのっていうところですね。
そこら辺のロジックですね。
そこがですね。
畜産業そうですし、それ以外の部分もそうですけれどもですね。
そこら辺ってどういう根拠でやってるのってところなんですけども。
もともとはやっぱりさっき言ったキリスト教的な感じのですね。
人間とは違うよっていうところの線引きが引かれてたわけですね。
それがあったから、そういうのが全然できてたわけなんですけれどもですね。
いろいろやっぱり科学が進んでくるとそんな変わってなくねえか。
違ってなくねえかっていうところがですね。
だんだん見えてきて。
現状やっぱりそう。
いわゆる昔は動物機械論って言われてて。
哲学者のデカルトって我思いゆえに我あり的なあの人言いますけれどもですね。
我思いゆえに我あり。
そうそう。
あの人が言ってたのがですね。
動物機械論ってやつで。
動物は苦しんだりとかですね。
そういった人間に近いような表現をするけれどもですね。
あれやってるのはそういうふうな表現してるだけであって。
心はないんだよっていう。
そういうような発想なんですよね。
それだからそこら辺でですね。
いわゆる殺して肉食ってもいいよみたいなところになってくると。
結局そこら辺そういうような概念で語ってたんだけども。
実際今科学進んでみるとそんなわけねえだろうと。
人間と同じような感じのですね。
心的なものはありそうだ。
ちょっと心ってのが本当にあんのかっていうところに関しては人間含めてですね。
だいぶ怪しい。
怪しいというかですね。
まだふわっとしてるところはあるんだけども。
ただ少なくとも人間にだいぶ近いだろうってところまでは分かってると。
そういうフェーズだというところですね。
なのでそんなに違いはないというところですね。
その後の日にそう。
じゃあそういうふうに敷いたげていいものって何なのっていう話なんですけれどもですね。
ここで確か出てくるのがいわゆる法律主義的な発想っていうところがですね。
ちょっとひとつ出てきます。
結局そういうふうにですね。
フランス革命的なところで言ったらみんな仲間ですね。
仲間としてみなすっていうようなところの定義としてはですね。
何が入ってくるかっていうとですね。
一番シンプルというかですね。
結構基本的なところで。
いわゆる法律主義のですね。
法律主義って言ったらこの人だろうって言うんですね。
いわゆる頑相的なところで言うとですね。
いわゆるベンサムという人がいてですね。
ベンサムの法律主義って結構昔から言われてますけれどもですね。
あの人あたりが言ってるのが結構シンプルで、かつ分かりやすいんですけどもですね。
ベンサムの法律主義は基本的に関係する会楽の最大化っていうところがひとつのポイントでしたけどもですね。
ベンサムが言っているのはそこの1ポイントだけじゃなくてですね。
じゃなくて その上で対象となる 人が誰かっていったときに 苦痛
を感じている人っていうところ が一つポイントとなってくるっていう
ところですね なので その人が持 っている苦痛の部分を最小化する
っていうところがまたターゲット になってくるんだけども さっき
言ったとおり 動物って苦痛感じ られますよねというふうになって
くると それじゃ仲間のターゲット の中に入る必要がありますよね
みたいなところがまたあってくる というところがありますという
ということです なので そういう 意味で そんな感じでいろいろロジック
的に詰めててもそうだし 科学的 に詰めててもやめて やっぱり仲間
にすべきだよねっていうところ の流れがあって この作者自体も
そういうようなところで 動物を 人間に飼わなくねっていうところ
で 動物の権利ちゃんとやるべき でしょうみたいなところをひた
すら言っているっていうのがこの 本のポイントにあります そういう
ふうに動物の仲間にすべきでしょ っていうところだけを言ってんだ
かったら 事前に想定できた範囲 なんですけども この本結構面白
かったのか それつき詰めていく と この場合どうなのみたいなところ
がだいぶなんか
おだしょー 怪しい
怪しくはない そもそも やっぱり人権だとかいう概念自体
がやっぱりそもそも 考えている 矛盾的なものが見えてきて むしろ
面白いなと思ったんだけど 要は こういうふうに仲間とみなしみ
しようみたいなところになって きたときに 概念として一番 動物
はいえいわゆる立法精神的なもの も理解できないですし 一応 会話
は今後AIとかそういうの進化する と 動物が何言ってるかとか そう
いったところはコミュニケーション なり いつかなんかも言ってる内容
みたいなのも分かってくると思 うんで そこら辺もまだできる ただ
いわゆる学んで いろいろと人間 社会に適応するっていうところ
までは絶対いかないんで いわゆる 法を守れみたいなところって 適応
できないわけじゃないですか そうなってきたときに いわゆる
やっちゃいけないことをバンバン 犯すよみたいな存在ではあるんです
よね 動物って 特に野生の動物 に関しては っていうところになって
きたときに
おだしょー 普通に食べられますからね
そう そうなったときに 彼らってある意味 法を犯すという
か さっき言ったとおり 動物は ある意味 権利を守るべき死体ですよ
ってなったときに 野生の動物って その死体同士で殺し合いとか 食い合い
とかしますけど その場合に 野生 において殺害というか 他の動物
を殺している動物に対して あなた 死体を殺したんで そこら辺はちょっと
罰するべきみたいな そうなって くると そういう人間のロジック
持ってきていいのみたいな感じ に考えると なんかだいぶおかしい
ことになっちゃうなというのが ちょっと思ってきて 守れてるところ
はいいんですけども そういう人間 の社会からちょっとはみ出した
ところまで適応しようとして ちなみに この本の作者に関して
は 結構野生の いわゆる害獣として 仕方とかそういうのを狩りましょう
みたいな 狩る狩るっていうのは ありますけども あそこの辺も
ちょっとある程度抑えて そういう のやめたほうがいいよみたいな
ところを結構言ってたりするんですけども そういうのを突き詰めて
いくと さっき言った そもそも 野生の動物にそういうの適応する
のってどうなのっていうところも 結構疑問になってきて そうなって
動物権利の概念
くると 確かにこの仲間をどんどん 増やしていくっていう活動 ここ
200年ぐらいずっと続けてきたけど この行き先って何だろうなっていう
のが 本当にちょっと見えなくなって きて 逆にむしろ課題としては
面白いなと思って 非常にそういう 示唆深い内容だったなと思います
この本自体がそこら辺を特に語 っているというよりは この本
自体はこういうような経緯で動物 倫理がどんどん広まってきて 動物
にも権利を与えるべきですよっていう ところが一応主張ではあるんだけ
ども ただ こういうふうにいろいろ 考えると さっき言ったような問題
とかも見えてくるんで そういう 意味で面白いなと非常に まさに
我々の誰を仲間とみなすかみたいな ところに直結する 結構重要な
ところではあるんで その意味で 非常に示唆深い本だったなという
ふうになるところですね そんな 感じです
それは学校の勉強でいうと 徳川家津 何だっけ 野生類 暴れ海の霊王
でしたね
そうですね まさにそこら辺もみんな 同じだよって 顔殺せないみたいな
やつもありましたけれども そこら辺 やってくると 相手はばんばん
そういうルールとか知らねえよ っていう状態でやってくる状態
で こっちはこっちへ人間のルシグ で対応するってなってくると 落とし
どころがどういうふうになって くるのかなっていうのが逆に不思議
になって とはいえ 多分 さっき言った畜産業
みたいなものは 今後 個人的には 50年後か100年後にはもうなくなって
いんだろうなというふうに思 ってて これ 多分 いわゆる代替肉的
なものが発達して 代替肉がある 状態でわざわざ動物殺すんか
多分 結構多くの人が それはちょっと 嫌だねみたいなところが出てくる
気がしていて 今は別に肉に代わり 物ってないから じゃあしょうがない
ねっていうのは分からんでもない それは全然あれだし うちも別に
普通はニンニクは食うしってところ なんだけども やっぱり代わりの
ものがあって 多分10年後に15年後 にはめちゃくちゃ惜しくなってる
と思うんで その状態で多分 わざわざ 殺してまでやるかっていうのは
なくなってくるだろうから そうなってくると 多分 動物に対する
見方も変わるんだろうなとか そういったところを想像すると
いろいろ今後の世の中の変化っていう のも面白そうだなって感じはして
いろいろ想像力で膨らむ作品でした 本でした
畜産業の未来
どうなんだろう 今って 薬でタンパク質 アミノ酸を取る
ことってそんなに難しいのかな
どうだろうね 栄養素 ってそれだけだからあれなんだけど
ね 結局肉って肉じゃん 肉を食べ たいっていうのは多分 人として
はあるわけだから
そんな本能的にあります ね
だから そこの欲望自体 を多分やるために 今の畜産業
なり何なりだとかは必要だねっていう のは 多分 それはずっと維持し続ける
だろうと それに対して完璧にこれで 大体可能だよねとか さらにはコスト
的にはほぼ同じだよねみたいな ところまでいったときに じゃあ
どうなるかっていうふうになる と やっぱりプラスアルファーとして
ほぼ条件は同じなのに動物殺す 必要あるのっていうのは 多分 それ
は多分さっき言った動物にも死体 があるよねっていうところまで
いかなくても 普通に可哀想だよね っていうレベルで 抑止が効くと思
うんで そういうふうになるんだろう なって気はしてます そういう妄想
を防止しながらいろいろ読むような 本でしょうか 非常にお勧めでございます
クマの問題と社会の変化
そう 最近思うのは 結構 クマの被害が連日ニュースになって
このまま上に行っちゃうのかよっていう のは非常にあるし 未だに秋田
県知事がクマそんなに殺すの嫌 だって言うんだったら お宅に送って
あげるよっていう発言がピック アップされて もう佐竹さん引退
してるけど インタビューをされて たりとか そういった記事がネット
に落ちてたりします じゃあ そんな わけで でもクマの肉って結構 埼玉
でもジビエ肉で出してくれる飲食 店あったりとかもしいて じゃあ
わざわざ無害な 無害なって言っても 豚も結構人肉食べるんで 事故になる
とスマホとかの金属しか残らなかった りするんだよね
おだしょー ありがちだね
そう 地区産業 そんな 危険な産業でもあります そんな
ところに従事してくれてる人たち にも感謝しなきゃいけないなと思
いつつ でも そんなに今 クマ困 ってるんだったら やっぱり食べる
おいしくいただくのが良くない 美味しいんだからっていうふうには
思っちゃうね
そうだね 捕らえて多分 始末して そっから多分加工する
とかそういうところも含めて 多分 今 一手が足んないだろうなって
感じはするけど
おだしょー そう そう 一体 衰退しちゃった からね 股木っていうか 漁師さん
っていう産業がね それをやると 別にクマよりは被害を人間には
与えていない人間 豚さんをわざわざ 殺して食べるっていうことは 減らす
ことは若干できるのかなっていう 気もするんだけどね
まあね そこら辺 多分 世代 特に多分 より世代が増すごとに
そっちのほうを寄ってく気はしてて こういうのは うちらもあそこら
辺全然気にしないけど 多分 個人 的には あと1,2世代ぐらい下ると
もう 多分 全然違うって感じになる 気がしたね
おだしょー そうね なんかね これ すごく逸脱する話で いつも
言ってる資本主義 ブーブーっていう 話に戻っちゃうけど 今 最低賃金
がとうとう田舎でも1,000円超える って 昔 政権交代した頃の民主
とかやったような水準に嫌となります けれども じゃあ 20年前 この地で
今 生産時 幾らだけど 610何円だった 頃 どうだったかっていうと ファミレス
って24時間が当たり前でしたね っていう それを今 30歳ぐらいの
人に言うと 昔のファミレスって そうだったのって驚くっていう
というのがありますよと それは 何でかって言ったら 要は こうやって
時代が下って20年ぐらい経ってみる と 何のことはない 正社員で働ける
働き口はうーんと少なかったから 氷河期は だから そうやって稼げる
のは 夜勤のファミレスのバイト でしたよっていうことで それを
回していた人たちがいたんだけど でも 彼らも年食っていくうちに
景気がだんだん良くなってきて 正社員に転職してってやってる
から だから 結局 若いもんが減って いくと そういう夜勤のファミレス
の担い手 あるいは夜勤のレンタカー 屋のバーンをしてる人の担い手
は少なくなっていって だんだん そういう産業において 24時間は
そういったしましたねっていう ふうになりましたっていう 世代間
の食う食われるっていう話があるん だよな 経済で
変わりますよね
っていうところに 想像が膨らんで きて
いいですね 多分 そういうタイプ の変化 いろいろ起きるんだろう
として われわれは老害になって くるんだろう
いいよ 別に老害でいっていいんだ から この世代は この世代の感覚
や考えっていうのは この世代にしかないんでっていう
ふうには 自由は非常に開き直ってる し 若い人が必ず正しいかっていう
と そうとも限らないでしょう と思う
概要 概要なされてるんで やって きましょうって感じかね とりあえず
とりあえず そんなところかね