種差別的言語の概念
むらた
さあ始まりました、なんでも倫理ラジオです。このポッドキャストは、動物と倫理と哲学のメディア、ASがお送りします。
進行は私、むらたです。よろしくお願いします。
はい、そして本日のメンバーは、まず、竹下さん。
竹下
はい。
お願いします。
むらた
2回目出演の、タヤさん。
タヤ
はい、よろしくお願いします。
むらた
それから、初登場の、からさわさんです。
からさわ
はじめまして、からさわです。
大学生です。
普段は美術の勉強をしてます。よろしくお願いします。
むらた
よろしくお願いします。
お三方、よろしくお願いします。
からさわ
はい、お願いします。
むらた
はい、今回は、種差別的言語について取り上げます。
はい、どんどん参りたいと思いますが、
早速、種差別的言語という概念について、竹下さんにご説明いただこうと思うんですが、
まず、どのような言葉を言うのか教えていただけますか?
竹下
はい、種差別的言語っていうのは、動物に対して、あんまりよろしくないような言葉遣いのことを言います。
例えばですね、動物を物のように扱うような言葉、例えば、動物をそれとか、これがとか、
そういうふうに、物を指すときに使うような言葉で指し示すみたいなことは、
動物を主体として扱ってないので、そういったことが種差別的言語というものとしてはあるかなと思います。
で、例えばこれは、もともとは性差別的言語、セクシストな言語仕様みたいなところからも使われていて、
例えば、本とか読んでると、翻訳された本とかだと、代名詞が、彼らばっかり使われていることがあると思うんですね。
で、そういうのって、女性がある種、不可視化されているわけですよね。
英語だったら、theyっていうのは、彼も彼女もどっちも指すような言葉なんですけど、日本語だとそれに対応するのがないので、
一括全部彼らって翻訳されちゃうと、女性が不可視化されるみたいな、こういうのを性差別的言語って言ったりするんですけど、
同様のことが、動物に対しても、いろいろ言葉の使い方としてはありますよっていうことになります。
言語の具体例
むらた
なるほど。今、動物をそれって呼ぶとかっていう具体例いただきましたが、他にどのような言葉が当てはまるでしょうか?
竹下
はい。これはちょっと英語の方がよくわかりやすいんで、日本語でもね、カタカナとして使われているものですけど、
例えば牛肉、牛の肉のことを英語だとビーフって言いますよね。とか、豚肉のことだったらポークって言ったりするんですけど、
こういうのって、そのビーフ、ポークって言うと、背景に牛とか豚が本当はいるはずなのに、なんかそれがこう、この言葉上は全然現れてこないみたいなのがあります。
それで、結局、ビーフとかポークっていう言葉を使う場合と、牛の肉とか豚の肉っていうふうな言葉を使う場合とで、印象ちょっと変わると思うんですよね。
まさにそういった例も、種差別的言語の実例になってくると思います。
むらた
事前に竹下さんからご共有いただいた参考資料に、例として、「犠牲者・負傷者はいませんでした」っていうのを見つけて、
最初、え、どういうことだろうって思ったんですが、これはいかがですか?
竹下
そうですね。例えば何か事故とか事件、車で事故とかが起きた時とかに、
実はそこには本当は動物が引かれて死んでるかもしれないけど、犠牲者がいないってされたりとか、あるいは家が火事になって、
それで、中には本当は犬猫がいたはずなんですけれど、人の犠牲者がいなかったっていうことによって、犠牲者ゼロですみたいな言い方がされると思うんですね。
で、もっと有名なというか、ちょっと話題になった例としては、1年前か2年前ですかね、ちょうど1年前かにあった、年始にあった羽田空港でのJALの事故があったと思うんですけど、
あの時にですね、人は全員助かったと言ったんですけど、その貨物室にいた犬が何匹か、その中で死んでしまったっていうような事故がありましたが、
あの時でもやっぱり犠牲者っていうのはあくまでも人としてカウントされていて、その人の犠牲者はまさしくいなかったと報道されたわけですが、
だから全員助かったっていう言い方をね、たぶん耳にしたかと思うんですけど、そういうのもまさしくその動物っていうのを犠牲者として扱わないっていう言語の使い方になるかなと思います。
むらた
なるほど、というか、その飛行機の事故で貨物室の犬が犠牲になっていたっていうこと、今の今まで知らなくて、もうまさに知らなかったんですよ。
まさに犠牲者っていう言葉に隠されてました、私からしたら。
竹下
しかもあの例は、もっと興味深いものとしては、まさしく犬が貨物室にいたわけですよね。つまりその犬は荷物だって言われてるわけですよ。
言語の影響と実験
竹下
それもこういうのも、ある種動物を物として扱って、主体的に扱わないっていう言語使用の一例なんじゃないかなとは思います。
むらた
ちょっと話ずれるんですけど、最近和歌山のパンダが中国に返還されたみたいなニュース見て、
大きいコンテナに入れられて、詳しくはどういうふうに運ばれていたのかわからないんですけど、それ見てて、なんか心配になっちゃったりしてましたね。
竹下
やっぱそういう狭い空間ね、すごいストレスフルですからね。
むらた
そうですよね。
あとは、動物も上がってましたね。動物という言葉。
竹下
はい、まさにあの、まあ煩雑なんでちょっといつもね、こう短く動物って言っちゃうんですけど、
我々がその動物っていう言葉を使うときには、案に人間以外の動物のことを指してるわけですよね。
でも、本当は人間だって動物のはずなんですけど、残念ながらこう、そうはなってないと。
私は基本的には、あんまりあの動物っていう言葉単体で使うのは避けていて、
いつもその非ヒト動物とか、人間以外の動物っていうふうに必ず、人間以外のっていうのがわかるように話をするんですけど、
わかりやすさのために時々動物って言っちゃうときもありますね。
むらた
そうですね、私もASに所属してて、その非ヒト動物っていうことについては意識的には多少なっているつもりなんですけど、
それでも普通に動物って言ってることにも気づかないっていうことは多くあるなと思います。
この種差別的言語について、これに対抗していろいろ、今の非ヒト動物、人間以外の動物みたいに言い換えていくことが考えられると思うんですけど、
言われそうなこととしては、ポリコレね、みたいな、わざわざ言い換えてみたいなふうに思われる方もいるのかなと思うんですけど、
それに対してこの問題点というか、もうちょっと詳しくお聞きできたらと思うんですが、
竹下
まずさっき、性差別的言語の方との類推アナロジーをしたんで、そちらの研究も少し紹介しますけど、
おそらくこのポッドキャストのトークで資料が載ってると思うんですけど、そこからたどっていくと論文に当たれるんですが、
例えば実験としては、就職とかの募集サイトとかの説明欄とかで、これ英語での実験ですけど、
代名詞に、heだけ、彼っていう言葉だけを使って募集をかけた場合と、
she、he ってスラッシュを間に入れてshe/heっていうふうに両方表示するっていう場合とでは、
実際に女性の応募人数みたいなものが変わるというか、その認識が変わりますっていうような実験があったりとかします。
種差別的言語の方はですね、もうちょっと別の実験としてはあって、
一つは、さっきの私、ビーフとかポークっていうようなのを、牛の肉って言ったり言い換えたりするとか、
あとは、英語だと肉っていうのを指す単語にフレッシュとミートっていう両方の単語があるんですけど、
フレッシュって言うとですね、すごい生々しい肉感のある、まさに肉体みたいな、そういうニュアンスがある言葉があって、
ミートとフレッシュをどっちを使うかによって、印象が変わるっていうのがわかってるんですね。
例えば、メニュー欄とかに、肉屋さん、肉屋さんじゃなくてレストランとかのメニュー欄で、
単語としてビーフ、ポークを使うのか、Cow Pig、その牛豚っていう単語を使うのかとか、
あとは、よく英語だとハーベストっていう単語を使うんですけど、
それは日本語だと収穫するっていう意味になるんですけど、
要するに、肉を収穫するっていうようなニュアンスなわけですよね。
そうじゃなくて、それをキリング、殺すとか、スロートリング、屠殺するとか、そういう単語に置き換えるっていうので、
対照実験すると、やっぱりCow Pigとか、キリング、スロートリングっていう単語を使った方のメニューを見た人たちは、
そうじゃないグループと比べて、肉食べたくなくなるとか、
ベジタリアンオプションのメニューを選びたいと思うようになるとか、
実際そういう影響がちゃんと出るんですね。
なので、その種差別的言語を使うと、まさに消費行動に実際に影響しますよっていうようなことが、
実験的には示唆されてますね。
むらた
なるほど。いや、なんか面白い実験やりましたね。
竹下
そうですね、メニュー欄でね、やるのって。
むらた
殺すなのか収穫なのかっていう、よくやらせてくれたなっていうか、実験だからそうですね。
なるほど、使う言葉が違うだけで、女性を排除するような言葉だったら、
種差別的言語の影響
むらた
本当に男性しか指してないように受け取られてしまったりとか、
種差別的な方でも動物を主体とみなすのか、
食べ物、物として捉えるのかに、本当に実際に影響しているということなんですね。
竹下
はい、そうですね。
むらた
ということで、種差別的言語についてご説明いただきましたが
どうでしょう?からさわさん、今までこうした種差別的言語について意識したこととかありました?
からさわ
そうですね。
なんか、動物っていう言葉は結構、人間と動物は〜みたいな、ちょっと方向関係おかしいんじゃないかっていう使い方を、
よく耳にもするし、自分でも使ってきてしまったなっていう、本当に身近な言葉なので、
なんか、それが気になってからも、
じゃあ代わりに何て言えばいいんだろうっていうのが、なかなか思いつかない、難しい言葉だなと思います。
むらた
そうですね、私も動物倫理にこうやって関心を向けることがなかったら、
ずっと人間と動物っていう対照関係で言葉を使っていただろうなって思いますね
おかしいなって気づいてからも、代わりの言葉を
どう使おうっていうのもちょっと難しいところだったりしますよね
ちょっとそれも皆さんと考えたいなと思いますけど、
タヤさんはいかがでしょう。これまでの話を聞いて
タヤ
自分が普段
気をつけているというか積極的にしているのが、
例えばSNSとかで呟く時、
投稿する時に、人って書く時に
人を(ヒトという表記で)カタカナで書いたりとか、それが全然伝わってないだろうなぁと思うけど(人間も)
動物の一部なんだ、(動物に)含まれるんだ
ていうのが伝わったらいいなと思ってやったりとか
あと、私はスピッツっていうバンドが好きなんですけど、そのバンドが「小さな生き物」っていう曲を出してて
ですね。その曲の歌詞の中で
「負けないよ僕は 生き物で、守りたい生き物に出会えた」
みたいな歌詞があるんですけど
自分のことを生き物と表現したりとか
一般的に動物と言われるような非ヒト動物を、生き物
って(この曲のように)言う
ようにしてることが多いけどうまくいかないこともある。
むらた
え、なるほどそのスピッツの歌は
小さな生き物っていうところに人間も含まれてるってこと、ですか?
タヤ
え、歌詞ちょっと出すか。小さな生き物…えっその
歌詞の始まりが「負けないよ僕は生き物で
守りたい生き物を 抱きしめて ぬくもりを分けた小さな星のすみっこ」っていうサビで始まるんですけど
「僕」を歌ってる草野さんだとすると、人も生き物として
表現してるんじゃないかな〜と思う。うん。僕は生き物っていう表現もいいかもて思うけどでも
「非ヒト動物」とか「人以外の動物」って動物のことを指すよりも
公的空間での言語使用
タヤ
生き物って表現した方が柔らかく…なんだろう。うわぁ
からさわ
いやでも、動物ってちょっと漢語っぽい響きより生き物っていう大和言葉
的な響きの方がやわらかく聞こえるっていうのは
まぁ確かにそうだなっていう。
タヤ
そう、柔らかく聞こえていいのかな?ていう心配があります
私の中では、この小さな生き物っていう曲があって
人間のことも非ヒト動物のことも生き物って表現したりしてるけど、受け取る側にとっては
小さな生き物の曲知らない人多いだろうから
知ってたとしてもそういう背景があってそうやって表現してるって
伝わらないかも。てか小さな生き物の曲自体も別に
私がヴィーガン的な、反種差別的な
意味合いが込められてるんじゃないかって思ってるだけで
他の人にとってはそう受け取られてないだろうし
ぐるぐるぐるぐる(笑)
むらた
なるほど〜。最近読んでる本で
書かれていたことを思い出しました。別に動物の話では全くないんですけど
言葉を、いろんな歴史を積み重ねていって
意味合いが変わってきたり元の概念が
古くなってきたとしても、それを使い続けることの意義みたいな
話をしていて、具体例がなんだったか
もう忘れたんですけど、例えば今回だったら「動物」って
最初、出発点は人間も含むすべての動物を指していると思うんですけど、一般的な多くの人がする
使い方だと、人以外の動物を
指すようになってしまっているっていう現状があって、でそこで新しく
生き物って言うことで、人以外の動物も、人も一緒っていう
ことが見えてくるけど、でも
動物って言葉を今まで差別的に使っていたよねってことは
忘れ去られかねない。新しい言葉を持ってくることによって。
そこで、逆に動物を使い続けて
人だって動物だからねっていうのも
一緒に伝えていくことで、より良い認識
の仕方に繋げていけるみたいな。
タヤ
つまりあれか。新しい言葉が出てきたとして。
差別的な言葉に変わる新しい言葉が出てきてたら
その差別的な言葉があったってことが忘れ去られてしまう可能性もあるけれど
やっぱり新しい表現を使ったった方がいいよ、って言ってた今?
むらた
そうですね…どっちとも言えない、
言えてないんですけど、でも新しい言葉を使うことで
気づけることもあるし、逆に元の言葉を使い続けることで
今までって
ちょっと間違ってたよねっていう方向転換というか
学びにもできる、って言うのはあるよねていう感じですかね〜
タヤ
確かに…!その時によって違うのかも。
戦略的に使う言葉を
変えていくといいのかもしれない
むらた
確かに。
どんな時は「生き物」とか(決める)
タヤ
こういう時はもうあえていや私も「動物」である、
私は動物である、とか。
あ、自分のことを指す時に
動物であるって指し示したらより良いのか…!
むらた
うん、確かに
言葉が柔らかいとか硬いとかもそうだし
新しい言葉なのか元々使ってきた言葉
なのかっていう
どれが今最適かな?(どれが)この人に私の考えとか
問題意識が伝わりやすいかな?
ていうので選ぶのもいいかもしれないですね。スピッツのその歌だと
生き物ってしっくりきて
素敵だなという感じがするし。
ちなみに、竹下さんはもう非種差別的言語を
使いこなしてる感じですかね?(笑)
竹下
いやいやいやそんなこと全然ないですよ(笑)
自分が使ってて気づいてなかったけど後々考えると
あるなぁって思います。例えばですけど
なんか慣用句とかにねほんとにいっぱい動物の名前って入ってきてる気がしていて
ふと使った時にあれこれって…!みたいな経験は
今でもやっぱりありますね。昨日耳にした言葉で「牛耳る」っていう言葉があったんですけど
これ語源なんなんだろうって思って調べて。どうやらなんか
古代中国で元々。そこから由来しているらしくて。でそれはリーダー格の人が牛の耳を切って、その血を吸って
みたいな、闘うぜ、これからやるぞっみたいなそういう
ニュアンスの、儀式なんですかね。みたいなものがあったらしくて
そこからこう支配的な、まぁ牛耳るってね支配するみたいなニュアンスがあるわけですけど
そういう風になってる
動物ことわざの肯定的・否定的側面
竹下
らしいですよ。ネット上の雑学曰く
むらた
いや〜なかなか!
うわぁ難しいな
絶対それ知ってる人ほぼいないですよね
いないけど!でも動物入ってるなっていう。
そうだ気になってたのは、そんな感じで
よく使われるけど
そのあからさまにその言葉だけで、あ、動物を軽視してるなとはわからない言葉もある。
あるいは、竹下さんも今でもって仰ってましたけど
ASメンバーとかでも、普通に喋ってて「ほんと忙しくて猫の手も借りたいくらい」て
言って「あ、動物を手段としてとらえちゃいけないんだった」て言い直す、みたいな
場面てたまにあるんですけど
言葉だけだと種差別的ってわからなかったり、
種差別的だけど
その人の認識そのものな表れている言葉じゃない、注意してるけど
自然に出てる言葉ってあったりするなと
思うんですよね。でもそれも、認識を左右してるから問題だよって
なるんですかね〜
竹下
あ〜、まぁなんかその、その人を非難すべきかどうかってことと、
その言語使用が問題かっていうのは分けて
議論できるかなって思うんですよね。意図的にそれを使っているならやっぱそれって問題
のように思われますけど、多くの人はそうじゃないと思うので、そういう場合にはむしろ、
ちょっと小突いてあげるというか、その言葉ってさぁって
そんなかんじでこう意識させるだけでも変わってくるんじゃないかなとは思いますけどね
むらた
確かに。
なんかそれ種差別だからやめなよ、とかは見当違いというか避難の仕方として見当違いな場合が多くありそうですけど
竹下
うん。やっぱびっくりしちゃうと思うんですよね急にそんなこと言われちゃうと(笑)
リスナーからの意見募集
むらた
本当に、そうだと思います。
竹下
もう私たちみたいに種差別の問題とかに関心を持っている
人たちであったらそんな問題じゃないかなとは、それでも非難てちょっと強すぎる気はしますけど
まぁやっぱり最初はちょっと気づかせるところから
始めていくのが無難だろうな〜とは思います。
むらた
そうですね〜。そうだそうだ
今の話で、その逆に非種差別的言語を使う人に対して、どう評価されるか、心理的にどうその人のことが受け止められるかについての研究があると伺いましたが、それについてちょっと伺ってもよろしいでしょうか。
竹下
はい。この研究に関しても後でpodcastのリンク欄にリンクが貼られると思うんですけど。