「エモい」という言葉の起源と定着
アートの片隅で、こじらせシアターということで、今回のテーマをお願いします。
はい。今回のこじらせシアターのテーマは、「エモいってなあに?」です。
はい。2回目、私、喋らせていただきたいと思うんですけども。
小松さんですね。
エモいってなあに?
いや、あと先週の中井ちゃんのやつ聞いて、中井ちゃんはエモい、エモラーなんだよね。ネイティブエモラー。
はい。ネイティブエモラー、中井です。
エモいネイティブがいいんじゃない?
エモいネイティブ。
エモいネイティブですね。
言語学的なことと、劇作におけるみたいな捉え方をちょっと考えてて、
使われた経緯みたいなことは先週、直列的に話したんだけど、
ババーって調べて、面白いなと思ったのは、
なんでエモいって定着したのかの理由の一つに、日本語のエも言われぬという響き。
今なんつった?
お父さんみたいな合図してしまいました。すみません。
いいんじゃない?たまにはね。
いいんです、いいんですが。
ちょっとエモいですね、今。
可視化できない、言語化できない音で話されたから、びっくりしたね。
ごめんなさい、なんてあげたらいいか分かんなくなって。
日本語のエも言われぬの響きや実らが重なり、意味やニュアンスが後からくっついてきたという指摘もある。
これはちょっと面白いかな。
なんかやっぱり日本語にフィットしたんだろうな、エモーショナルなんだけど、
上昇的でみたいなエモーショナルな音楽のジャンルとして使われたんだけど、
エモいとして言ったら、エモ言われぬ美しさみたいなことのエモ、
なんかフィットするみたいなことが一端にあるんじゃないかという指摘はすごく個人的には面白くて、
なるほど、これかみたいな。
確かにそういうニュアンスも含まれて、我々に浸透してたんだなという感は。
馴染みがあったのかもしれないですね、どこか。
ありますね。
で、流行り言葉じゃないですか、今も使われているんだけれども、流行り言葉ってどういうことなんだろうなと思って、
えっと、古立一郎さん、アナウンサーのYouTube番組で、言語学の近代一秀穂先生とお話しされていることがあって、
やっぱりアナウンサー時代に、これ合ってるんですか、間違ってるんですかみたいなことを古立さんが近代一先生に聞くと、
これをこうこうで合ってるんですけども、でもね古立さん、言葉っていうのは民主主義みたいなもんで、どんどん使い方が変わっていくんですよ、それはそれでいいじゃないですか、
っておっしゃるんですけど、じゃあ先生がそうおっしゃるなら、いっかっつってなんとか許容していくみたいな。
やっぱりアナウンサー時代に、やっぱり正しい日本語を学んできた身としては、申し訳ないことでございます。
っていうのが日本語的には、日本語共通語としては正しい言い方なんだけど、申し訳ございません。
っていうことは謝りで、丁寧に謝ろうとして、申し訳ないことでございますって言ったら、なんとその言い方は、逆切れされるみたいなことがあるわけですよみたいなことをね古立さんがおっしゃって、
いやーこっちの方が正しいけど、ガンとしてこっちを譲らなくてもいいんだけど、変わっていくからしょうがないかみたいなことをね、やっぱり近代先生がおっしゃって、
そういうふうに受け入れていかなきゃいけないなと思っているんだけれども、ひるがえってやっぱ流行り言葉ってなんで生まれるかっていうことに触れて、
やっぱりそれは今の人が、今を生きてる人が、この気持ちを今まで使った言葉では盛れない。
盛っていうのは、映えるみたいに盛り付ける、かさ増しするんじゃなくて、ご飯を寄せるっていう意味の盛を使われるんだけど、
気持ちを表現するのに今までの言葉では表せないと感じているから、新しい言葉を作り出して、そこに気持ちを込めていくから生まれていくんだと。
あともう一つは、グループ共通語として、僕らだけで、この時代だけで使える言葉として共通認識として使うことで、
僕らだけの暗号的な、僕らだけに分かる言葉として、結びつきを強くしていくために使われていく。発声していく。
そうだよね。僕らにしか分からない暗号として、そのグループの中だけで通じる言葉みたいなのってあるわけじゃないですか。
学校の中だけで分かる。みたいなこととして発声していく。それが他の人も、なるほどと思って使われていくみたいなことで発声するんじゃないかというふうにおっしゃってて。
エモいもそうだろうなと思って。やっぱりどっかで使われて、時系列的に先週話したような形で、なんかエモみたいなことがまずあって、
エモってこういうことか、こういうことだよね、こういうことじゃん、エモい、みたいなことが共通認識として広がっていって、それがどんどん拡張していく。
一人歩きしていくみたいな感じなんだろうな。それが不変性とか、その時代的な許しというか許容がないとだんだん捨てれていくし、許容が深ければ残っていくだろうなと。
エモいはかなり許容されて、拡張されて使われているよね。しかもそれ、例えばはるさんみたいにエモいネイティブの人が使ってもいいし、我々が使ってもおかしくないんだよね。
そうですね。
ここが面白いところだなと思った。
確かに。
それなんかおじさんが無理やり女子高生言葉を使おうとしてるみたいな感じにならないじゃない。
弟が音楽発信っていうこともあるかもしれないけど、そのニュアンス、情状的なニュアンスみたいなことが、割と年代を飛び越えて使ってもいいという許容性を持っているのはすごく面白いなと思った。
そうですね。だからこそ残っていきそうな感じがするんでしょうね。
そうそうそうそう。
言葉の変化と流行り言葉の生成メカニズム
みんなが使えるから。それこそ先週やってたマジマンジなんてうちら絶対使わないじゃないですか。
それは許容…。
し難い。
し難いもんね。
し難いですよね。
確かに。
それは先週ふなちゃんが言ってヤバイ、もうかなり許容されているよね。
そうですよね。
それは多分、言語の習性としてどんどん短くなっていく。
はいはい。
短くしていく。
多分これは日本語だけじゃなくて、世界的にもあると思うんだけど、JKとかさ、あるじゃない。
で、面白いなと思って僕見てるのは、昔、大正時代にモボ、モガっていうのがあって、
モダンボーイ、モダンガール、全くJKと同じ縮め方してるわけですよ。
そうですね。
確かに。
ほんとですね。
で、一つは昔は新聞雑誌といった文章媒体が文字制限があるので、
あとは以前ジェシカさんが言ってたみたいに俳句とか、この後千流やるんだけども千流とか短歌みたいな、
その言葉に込める日本人的な美的感覚みたいなのもあると思うんだけど、
縮めるのは結構やるよねと。
で、それがヤバイエモイっていう三文字で済ませられるっていうのはすごく言語感覚的にも美的感覚にも日常感覚的にも合ってるんだろうなっていう、
これが俺の勝手な推測なんだけど、
要はね、すごく情緒的ですをエモイで納得したり共有できたりすると、
すごく楽なし心地いいわけだよね。
ヤバイエモイみたいなことで何となく伝わってくれるといいわけですよ。
そういうところに落とし込んでいるし、ちょっと外れるけど、
最近僕が感じてるのは、だからも結構日常会話の中で削ってて、
だからそうなんだよねってみんな言うんだよね。
それはさ、だからもからを、結構ね日常会話でも俺もやるんだわ。
そうですね。
みんなそう言うんだよねって聞かない?
聞きますね。
だからのだもしか残さないみたいな。
でもそれって日常会話では問題なく通じるわけじゃん。
はい。
そうですね。
結構それはなんだろうな、ツイッター文化とかそういうのもあるんだろうけど、
でも傾向としてどんどん短くはするよねっていうのはあるらしいので、
だも削り出したな、気をつけようと思って。
現代劇をやるんだったら、現代というか本当にそこに合わせた言い方をするんだったらそっちでもいいし、お客さんにね。
古典の場合には絶対やっちゃいけないし。
そうですよね。
とはいえお客様はそれを、だからそれはってやっちゃうとすごく劇的に聞こえてしまうので、
ちょっと抑えた方がいい、だからそれはね、みたいな。
こうスッと力を収めるみたいな感じの方が聞き取りやすいかなみたいなこともちょっと思ったりするわけ。
結構そういうのは、気づかないうちに自分もやってるからね。
そうですよね、きっとやってるんだろうなと思います。
あるんだろうね。
反疑問系とか結構我々の時にね、「なんとかじゃね?」っていうのがさ。
なんとかじゃね?
良くない?
これほら、歌にもなりましたね。
なりましたね。
これ良くない?良くないこれ?みたいな。
そうそうそうそう。
良くなくなくなくなくない?みたいな。
そうそうそうそう。
あと、何だっけ?女子高生が何だっけ?
てゆうかか。
あ、てゆうか。
てゆうか。
早っ。
これはそうね。
そうですね。
てゆうかか。
てゆうか。
お前その前提は何だか喋れよ。
みんな怒るわけね。
そうですよね。
何を前提としてそのてゆうかがあるんだ?みたいな。
いやー面白い。
そうですね。
そっか、前触れもなく。
そうそうそうそう。
てゆうかが始まるみたいな。
何も言ってないからね。
ところでとか、それはさておきとかじゃないんだよね。
てゆうか。
そうですよね。
てゆうか。
それに関してはみたいな感じ。
ニュアンスなんだけどニュアンスで全部通せるわけじゃない。
そのグループの中だったらね。
それはそうだけどみたいな。
全部まとめててゆうかに押し込めたから
だからなんやねんみたいな。
ツッコミをさせる笑いもあったから。
それはなんか我々の。
我々は女性、当時はまだそういう分けられ方だったから
女子言葉みたいなことには聞いてるだけだったんだよね。
なんかそういうのもあるから。
そういうのは集約されて使われて市民権を得るみたいな感じはあるなと思って。
言ってました?
言ってるやついた。
いましたかやっぱ。
いたいた、全然いた。
で今ほらてか。
あ、てかっすね。
てか。
てかなんとかじゃね。
どんどん短くなっていくよね。
てかはてゆうかですもんね。
とりあえず取り回さなみたいなね。
取り回そうですね。
え?みたいな。
それなってめっちゃ流行った時期だった。
あ、それな。
それな。
「エモい」の許容性と現代における言葉の使われ方
やっぱりネット文化的なものがブーストさせてることはあると思うんです。
メールとかで。
あ、そうですね。
長々打つのはめんどくさいじゃない?仲間打ちで。
リとかね、了解のリとか。
了解のリね。
OKになってくるわけじゃない。
まあOKはね、二文字で変わんないけれど。
なんかそういうことになってくるわけじゃない。
でスタンプになっていったりするんだけれど。
まあまあまあそれはそれ。
現在の文化の流れを止めることはできないんで。
それをどうこうは言わないんだが。
それをちょっと我々としてはメタ認識する必要はあるよね。
それは現在そう言ってるし我々もそういう言葉を使うんだけど。
表現する側になった時にはそういうのをきちんと払い落とせるようにしとかないとなっていうのはあって。
やっぱね、パッとこうそういう感じで喋ってくださいみたいな時には使える。
だべるみたいな時には。だべるもそうだね。
そうですよ。だべるもそうですね。
だべるって元の。
だらだら喋るとかじゃないですか。
だろうね。
きっと。
だべるってなんかいいですよね。
だべるって好きですね私は。
だべる。
そうそうそうそう。
だべるはちょうど我々ぐらいからかな。
そうですね。
だべってるとかね。
だべってる。
まあ本当にそういうのマイクにいとまがないわけだよね。
探し出したら今普通に国語の辞書に載ってる言葉だってサボるだってサボタージュみたいなことから来てるわけだから。
そうですよね。
サボタージュしてる。
昭和戦後ぐらいからあんのかな。いくらでもあって。
それはもう掘り起こしたらそれはあれだけど、やっぱり現代的に考えた時にはそれを認識しておかないといかんよねっていうのはあって。
そうですね。
どうしても現代語しか喋れませんっていうのはまずいかなと思う。
それは確かになんかエモいとかって感じるじゃないですか。
感じた時になんでエモいって感じるんだろうまでちゃんと考えるようにしたい。
理由とか他の言葉に置き換えられるかとか。
そうだね。
それで終わらせないようにはしたい。
ではなるべく思ってますね。
そうだよね。だんだんやばいとかエモいもそうだけど、何でも使える言葉ってだんだん語彙力もなくなっていく気がするんだよね。
ちょっとそこを怖さもありますよね。
そうなんだよね。それでやっぱりちょっと最初に言ったように言語学的なところと劇作的なことで言うと、やっぱりエモさは軽く超えなきゃいけないというのがあって、創作においてね。
エモさはわかりやすく言語化されたものであって、あくまで構成要素の一つ。
だから味で例えると、うま!みたいなものなんだよね。
おいしい!すごくおいしい!とか。
じゃなくて、うま!みたいな使われ方なんだけど、そのうま!みたいなところを目指してご飯作ってるだけじゃいかんじゃないっていう感じ。
はいはいはい。
いややっぱりその、いやこれちょっと言い尽くせないぐらいおいしいっていうところに、言い合わせないところをやっぱり我々としては作っていきたいじゃない?
そうですね。
その段階としては、そこにいけるんだけど、1から5とか1から10まであって、10までちゃんといけるんだけど、じゃあ2のところくださいとかいうところにあって、
そのエモさはさ、やっぱ普段使いに…というね、春さんの認識もあるようにやっぱ、段階ではないけど2とか3とか言っても4じゃない?っていう感覚なんだよね。
で、その先にやっぱり10がやっぱりみんな感動したことがあったり、すごくおいしいものを食べたことがあったりすると思うんだけど、
その時には言葉にならない、言葉にし尽くせない、言い表せないってところにあるわけじゃないですか。
で、それは残り方の、なんだろうな、舌先をピッとこう、辛っとか苦っとかじゃなくって、内臓に染み渡るようなみたいなことまであるわけじゃないですか。味がね。
そういうのがきちんと使い分けられた上での軽さだったらいいんだけど、まずそういうところをきちんと目指したりできたりしなきゃいけないなと思って。
で、これは前回も言ったけど、今のところその表現の現場で、そこをエモくやってくださいみたいな指示はないので。
そうですね。
あくまでも方向性を話してるのではなくて、感想のレベルの話なんだな、この言葉はっていう感じ。
そうですね。あくまでもその、本当感想の一つというか。
そうそうそうそう。共有しやすいための言葉であって。
一言で表してくれみたいなことになって、あ、エモかったよねみたいなことですよね。
いいんだけど、それはそういうふうに表現していただくのは全然構いませんって感じなんだけど、そこを目指すのはちょっといかがなものかなみたいな覚ではいるので。
そうですね。
逆にそういう指示は気をつけた方がいいよと思うんだけど。
そうですね。
使っちゃうんだろうけどさ、若い人は。
まあ、そうでしょうね。
「エモさ」を超えた表現と教養としての言葉
うちらも多分、もっと上の大先輩から、なんかそんな言葉使っちゃってんだろうなみたいなやつ使ってるんでしょうけどね。
何かしら。
でも、言葉ってやっぱり同じ意味を指す複雑な言い回しとかいっぱいあるから、それは同じものを指していろんな言い方をしてるだけであって、
小袋の歌でさ、ここにしか咲かない花ってあるじゃないですか。
Aメロ、Bメロがあって、これね。
一番最後は咳ばくの想いとかがあるわけだ。
はいはい、咳ばくの想い。
ものって使わないわけですよね、必要的には。
咳ばくってないって言うと、悲しいとか思い出の中にあるみたいなことだけど、そういう普段使いじゃないけど、やっぱこれがしっくりくるなみたいなことで使われてると思うんだけど、
指してる言葉とか向かってる方向性を指すものとしてはそんなに変わらないわけだ。
そうですね。
でもそこに言う人とか、この文章の流れとか、時代性とかを考えるとこういう固い言葉がいいんじゃないかと思って使われてるんだし、
そういうのを、でも確かに、じゃあ全部情緒的とか感動的なものをエモいってまとめればいいじゃんって思うんだけど、
その、なんだろうな、俺の感覚としてはそういう言葉をいっぱい持ってることが教養の一つだと思ってるんですよね。
あー、そうですね。
そうそうそうそう。
みんな描きたいものというか、物事の本質みたいなことは同じなんだけれども、
それをいろんな言い回しとかいろんな方向性とかいろんな物語り方で語ることによって見え方が変わってきたり、与える印象が変わってきたりすると思うんですよね。
そういうののためにいろんな言葉が、いろんな物語があるんだと思うから、
そういうので、常々、勉強の一環としてはそういうのに親しんでおくことは必要なんだろうなと思ったり、言語に関しては思うのでね。
そうですね。演出家さんとかは思いを、自分の考えてることを言語化しなきゃいけないわけじゃないですか。
そういった意味では、エモいっては伝えらんないですよね。絶対もう漠然としてますからね。
俺も何回もこの例えを使って申し訳ないんだけど、やっぱり青いとしか言わないときもあるからね。
そうですね。
そこもっと青く塗って、みたいな。
ん?ん?みたいな。
はい。
ライトブルーですか、群青ですか、みたいな。
そうですね。
いや、だから、もっとちょっと明るい感じなんだよ、みたいな。
いや、もっと濃くだよ、黒い感じ?みたいな。
そうです。
どっちの方向がいい?黒く。
でも、グラデーションのパルトでいうと、いくらでもできるわけじゃないですか。
でもそれを、いい役者さんとか、表現者っていうのはそこをポンと、そこはそこの色を置くと、うーん、みたいな、あるわけじゃない。
で、そこは、なんだろうな、ゲームとかでやると、赤が何千何万ぐらいで、青が一万何千いくつぐらいの青みたいなグラフになるけれど、そこを生身の人間で、スコンとポイントを抑える、みたいなことが求められているはず、みたいな感覚がいるんで。
そうですね、一連の仕事はそうでしょうね。
それはやっぱり擦り合わせて、この辺かな、みたいな。
すごい人とかすごい役とかすごい演技はそこを、ほんと針の先行って、みたいなところの色の抑え方してくるから。
ああ、そこか。
でもそれってもう、それを再現するのもプルだし、そこを数字で表現できないみたいな、数値化できないみたいなところだから。
そういうのって、そこを目指さなきゃいけないけど、向かわせる言葉として、擦り合わせる方法としては言葉しかないので。
いろんな攻め方をしなきゃいけないし、そこにちゃんと言われたことに対して、石爆な感じでって言われたら、石爆、こうかな、みたいな方向性でいかなきゃいけないから。
そこにね、ちゃんとアンテナが引っかかんないといけないから。
そういう感覚で、逆説的にエモいと言われたときに、引っかかるような感覚も我々持ってなきゃいけないなと思うわけ。
ああ、そうですね。
同時代性をね。だから、エモいってわかりませんはまずいなと思うわけ。
すごく範囲広いんだけれど、やっぱり役で娘さんとか息子がいて、エモいって言ってるのを見たときに、今の親はどう感じるのか、みたいなことがわかってないといかないかなと思うんで、
今風の言葉よねって許容していくのか、もっと何か言い方があるだろうみたいに思うのか、どのくらい許容してるのかなっていうのは、同時代性じゃない。
なんかその辺を、やっぱりきちんと認識しておきたいなというのは、このエモいさとは何かっていうテーマをいただいて考えたことなんだよね。
ああ、なるほどね。
いや、親どう思ってるんだろうって聞きたくなりました、今。
そうだね。
最後の山本さんの話で。
でもさ、これ多分、どの時代の親に言ってもそうだけど、なんかわけわかんない言葉使ってるなって思ってるんだと思うよ。
そうですかね、きっとね。
よっぽどね、よっぽど幻覚だったり、それは別だけど、それは親世代が子供に思うことって大体変わんねえよって思うんだけど。
そうですね。親がなんかエモいとかって言ってたらちょっと、え?ってなりますよね。
そんな若者言葉知ってんの?みたいな。
マジでやべえって言ったら、お前どうしたって思うよ。
そうですよね。
まあでもそんな出てこないけどね、それ寄せなきゃね、やっぱ出てこないから。
特に言語って、その時代性を刻んでるわけじゃん。特に脳とかにさ、記憶に直接さ、ぶち込んじゃってるから、そんな変わんない分野なんだろうな。
だからその世代間ギャップが大きくて、若者の言葉にぶち切れたりする人がいるわけじゃない。
それはだから正しいとかあれじゃなくて、自分の感覚と違うっていうことに起こってるんだと思うんだけど。
そうですよね。
ああいう人たちは。
そういう昔はそういうことでしょうね。
俺もそのコールセンターとかでバイトしてる時に、なんかそういうね、クレームとか聞いてると、ああまあそういうことかなーっていうちょっと認識はあって。
当然そのコールセンターにいると、正しいと思わしき言語を一応ほら、スクリプトというか、マニュアルでもらうわけじゃない。
一応これが正しい、丁寧な言い回しで。
今お客様に対して間違いのない言葉遣いであろうと思ってるけど、ある人は、何だその言葉遣いは、みたいなことを言い出すから。
そうですよね。
それは合ってるとか合ってないんじゃなくて、たぶんね、自分の言語感覚と違うって言いたいんだろうなーっていう話になると、
その言葉を否定されると、自分自身の記憶を否定されてるのに近い感覚に陥るんだろうな、と思った。
とか言語学を掘ると、いくらでもやっちゃうから、あんまり勉強しないようにしてるんだけど、むしろ。
そうなんですね。
ほら、いくらでも掘れるじゃん。
確かに。
知的好奇心と「セーブ」の必要性
いやでもそれも、それこそ個性かもしれなくなる。
そうね。
それも小松さんの、やっぱり引っかかるところとか。
ちょっとね、ゆる言語学ラジオとか、言語学大好きなんだけど、そっちに行っちゃうと、学問ってやっぱり細分化するから、
あんまり細分化して、自分の体に入れたくないんだよな、余裕を持たせておきたいんだよな、という気感もあって、そっちに行かないようにしてるところがある。
なんだよ、その言葉みたいな感覚で許容できるところにいたいっていう感じはあるの。
それぐらいのめり込んだら、のめり込みそうな感じは自分でも。
そうそう。で、それを勉強したら、それが正しいと思っちゃいそうで。
歴史も好きだけど、あんまりやっぱり細かいところまで行かないようにしてるし、
特に日本史なんか、たとえば日記が残ったら、誰それが何月何日何々をしたまで残ってて、それを覚えたりすることもできるわけじゃないですか、勉強していくと。
でもそれをやっちゃうと、それにとらわれちゃうから、特にドラマとかで使われやすいから、戦国時代なんかね。
これ違うだろうと思ったままやるのは危ないんで、分かってるよ。
エンターテイメントはフィクションだし、ドラマなんだからって分かってるけど、自分が勉強したことってやっぱ正しいと思っちゃうじゃない。
そこありますね、確かに。
これって本当はこうなのになーって思いながらやるっていうのは、ちょっと危ないなって思って、職業倫理的にあんまりそこに行かないようにしてる。
セーブ。
セーブしてる。
安全運転してる感じ。
知りたいことはね、知りたい欲求じゃないですか。
そうそうそう、そういうのはいいんだけど。
そっか、知らなくていいことってことですよね。
そう。で、正確的にやっちゃうとそっちに行っちゃうから、レールがそこに行っちゃいそうな気がするんだよね。
すごいなー。
それは確か個性だね。
憧れる。
やっぱセーブにいられないに近いから、それをコントロールするのも年齢的にある程度、そっちに時間取られるよりはもっと広げた方がいいみたいな感じよね。
その使い方をして、チョイスしてる感じ。
だから言語学に関してもこのぐらいで止めておこうみたいな。
前回、我々が流行ったエモいみたいな言葉を調べようと思ったんだけど、それやっちゃうと果てしなくそっちに行くんで。
語源とか調べるの大好きだから。
さっきのサボるとかさ、モボとかモカタ君を何も見ないで喋ってるじゃん。覚えちゃってるから。
面白いこれって思ったこと。それにすごい支配されそうなの。結構好きだから。
すごいなーそれ。
ちょっとそれはセーブしてる。感じでやってる。
なるほどね。すごいですね。
脚本家、劇作家の人がちゃんとプロとしてやってるのに、この言葉遣い、民族学的におかしいですみたいなことになったら、言わないよ、言わないけど、そういう感覚になったら嫌だなって思ってる。
知りすぎたがゆえに。
そうそうそうそう。
勉強してすぎたが。
そういうコンフリクトをわざわざ作んなくてもいいなと思ってて。
気になったら調べるぐらいのところまでで。
そうそうそうそう。
それだってね、そこよりはなんか広めたり。
はるさんのように映画をね、気になってるものとか、今まで知らなかったもの、あまり興味なかったけど、勧められたものを見るとかっていう風な方に持ってった方がいいなと思ってる。
なんかちょっと外れちゃったけど。
はい。
面白いな。
でも言語学は好物です。
あーそうなんですね。
え、そのトップですか?学問の中で。
上3つぐらいに入るんじゃない?歴史と言葉と地理かな。
地理!
へー。
地理俺も好きっすよ。
やっぱ現地に行ってみたくない。グラタモリとか見てたら、あー、行きたい!見たい!お城とか、あー、マチュピチとか見たい!
いやそうなんすよねー。
イースター島触って、モアリ触ってみたい!
あー。
これはなんかあの、単なる観光というよりは、そこに行って体感。
触れたい。
触れたいになっちゃう。土とか、赤土ってこういうこと?みたいな。
へー。
土の差って何?みたいな。
やばすっごい赤ね。
なんかそういう、まあもちろん体験したいもんあるけど、でもそういうの、いくらでもできちゃいそうなんで。
それこそこう終わってなっちゃう。
確かにね、そうっすねー。
だってあのー、結構20代でね、あの世界の人名由来辞典みたいなの買ったもん。
えー!
スミスさんって、あ、カジシの意味なんだ、へー!みたいな。
あーなるほど。
バトラー、あ、バトラーさんって、なんか俺格闘士のイメージだったけど、あ、羊なのね、みたいな。
へー。
あーそうなんすね。
アンダーソンさんは、アンダーのサン、あ、息子だっていう意味なんだ、みたいな。
へー。
ことを。
ジュニアみたいな感じで。
そうそうそうそう。
へー。
とか、あ、ウッピーゴールドバーグさん、ゴールドバーグ、ユダヤ人、ドイツ系ユダヤ人だから必ずこういう風に言うんだ、みたいな。
あー。
スピルバーグもそうか、みたいなことをどんどん広がっちゃうから。
すごい。
おー。
調べだしたらキリがない。
これはそうだ、今お二人分かると思うけど、空で言ってるじゃない。
はいはい。
何も見ないで言ってるから、そういうのがどんどん入ってきちゃうから。
いやーすっごい。
調べたくなっちゃうね。
そうそうそう。危険危険って思う。
そっちに脳のメモリーというか、ハードディスク、ドライブを。
あれすると容量とらえちゃうと、メモリーとらえちゃうと、ちょっと新しいこと覚えられなくなっちゃうから。
それより新しいものに対応していく余白を作っとかんとなって感じ。
やっぱそういうのは一回入ってきたらもう抜けないんですか?
好きなものだから抜けないんじゃない?
抜けないんだー。
プロレスも好きだし、でもそれみんなそうだと思うよ。
そっかー。
まあそうですよね、好きなもの抜けにくいですよね。
例えばソナちゃんだってミュージカルのことさ、とかバババババって出てくるじゃん。
曲とかさ。
そうだね、出にくいですね。
そういうのって本当に好きなものだから、残っちゃってるから。
だからコントロールしないと、我々の職業的にね、特に密接なので、そういう言語と歴史とみたいなことは密接なので、
コントロールしておかないとダメかな、俺はねって思ってる。
というので、すごいエモいって何?って言語学好きとしては好物でした。
そういうことだったんですね。
そういうことですね。
すごい。
なんかすごくNHKを見た感じよね。
でも大体俺の推測ね、俺の考えね、近代先生の以外は。
でもそうやって許容していかなきゃねっていうのはね、まずあるんで。
世代間の言葉のギャップと今後の展望
という感じです。
はい。
というまでしたね、また今回。
次回はソナちゃんの。
そうですね、いやもうここからなってくると、これもう5分ぐらいで終わっちゃうかもしれない。
次回5分で。
5分で。
シャワータイムぐらいで終わる。
あれっつって。
歯磨きタイムぐらいで。
歯磨きタイムぐらいで聞けるぐらいになるかもしれない。
聞けるぐらいになっちゃうかもしれない。
じゃあどうなるかお楽しみいただきたいと思います。
今回はこんなところで終わりたいと思います。
ありがとうございました。
ありがとうございました。