いろんな意味が取れますけど、お腹が満たされて満足している状態とか、楽しいとか、
村田さんの今、人生がうまくいっているとして、満たされている感じとか、楽しいとか、
そういうポジティブな感じっていうのが、ネガティブな感じ、感覚というのが余っている状態だ。
余っていると、村田さんの人生はいい感じだという考え方が一つあるから。
もしかしたら、今背中がちょっと痒かったりするかもしれないですけど。
痒くないです。
足の裏が痒い。
どうでもいい。
髪。
そういうネガティブなところがあるかもしれないけど、全体としてはポジティブな感じ。
余っているからいいだという考え方が一つ。
人生全体でも苦しみが少なくて楽しいことが多かったら、それは人生全体としていい人生だったんだというような感じ。
これからさっきの福祉の言葉を使うと、
福祉が高い状態ということですね。
ポジティブな感情がネガティブな感じが余っている状態というのは、福祉が高い状態だという言い方もします。
言い方ができることになります。
もう一つの考え方としては、やりたいことができたとか、あるいは食欲が満たされるとか。
自分が欲していることが達成される、満たされる。
欲していることが満たされる程度が増えれば増えるほど、その人の人生はうまくいっているみたいな考え方がもう一つ。
最後が、例えば庭の草の数を数えたいという欲求だけを持っている人がいて、
その人が一生庭の草の数を数えていたら、その人はいい人生を送っているというかというと、あまり言いたくない人もいるかもしれない。
その人には、もっと本を読んで勉強して知識を得るとか、あるいは友達と関係を作って友情を育むとか、
そういう客観的な価値がその人にはない、そういった価値を獲得できていないというのが、
その人が人生に問題があると思える理由じゃないかと言っても考えられる。
厳しいな。
だからそういう3つの考え方があるんですよね。
1点求めると、とにかく自分の気持ちが全体としてポジティブであればいいという考え方と、
ポジティブであればいい人生を送っているという考え方と、
あとその人の知っていることがなるべく満たされているということが、
ふくりが高いということだということと、
あともっといろんなものが実現できているような状態がいい生だという立場と、
3つぐらい考え方があってあります。
この3つの立場をとるとすると、
動物の性が、たとえその動物にとって最高の状態だったとしても、
それは人間の最高の状態に比べれば劣るみたいな考え方ができるんですよ。
例えば、豚さんは結構社交的な動物で、友情とかも育めると思うんですけど、
だからすごい親友と平和に暮らしている豚さんがいたとして、
欲求とかも満たしているし、食欲も満たされているし健康だし、
みたいな豚さんがいたとしても、
でも同じように健康で、食欲も満たされて、
友情も含んでいて、さらに学問をして知識を獲得しているとか、
そういう人間と比べたら、豚さんは知識と獲得できないんで、
豚さんの最高の状態っていうのは人間の最高の状態、
その人間の最高の状態よりも福祉が低いって考えられるかもしれないですよ。
結構人間中心っぽい感じの。
そうなんですよ。
だって人間、空飛べないじゃないですか。
もしかしたら空飛べることっていうのは客観的な価値があって。
鳥からすればそうかもしれない。
鳥の最高の状態と比べたら、
そういう考え方もできるかもしれないです。
いろんな反論があると思うんですけど、
あとは最初のときはポジティブな体験が全体として多いと、
その人生がうまくいっているっていう考え方に立っても、
もしかしたら人間って過去の楽しい記憶とかも思い出せるかもしれないし、
あるいは10年くらいの計画を立てて、
10年かけてこの論文を書こうと計画立てて、
実際にそれが到達したときに得られるすごい嬉しい気持ち、
みたいなものは動物はもしかしたら経験できないし。
だから認知的な能力の違いに応じて、
もしかすると最大限経験できるポジティブな体験の強さっていうものには、
人間と動物で違いがあるかもしれない。
でも一座これ逆の考え方もできている。
人間は苦しみを感じてもちょっと目たらして立って我慢できたりとか、
あるいはお腹が空いても我慢して次家帰って作れば食べられるからとか、
そういうことは自分の感情とか経験をコントロールできるかもしれないんですけど、
苦しみは動物も実は強く感じるっていうことも考えられるかもしれないんですけど。
あまり意味が浮かまなかったけど。
だからどっちかっていう話は、
基本的にせよ福祉に関するどの3つの立場を取っても、
もしかすると動物の種ごとに最大限感じられる福祉の最善の状態と、
あるいは最悪の状態、その幅が種ごとに全然違うみたいな可能性があるんですよ。
そうすると、例えば人間の子供1人を救うか、
鶏を1羽救うか、みたいな選択肢があったときに、
こっちに寄付すると人間の子供1人を救える、
こっちに寄付すると鶏の1羽を救える、みたいな状況があったときに、
もし子供を選んで鶏が死んでしまった場合、
鶏を選んで子供が死んでしまった場合で、
それぞれが失うものの違いがあるかもしれないんですよ。
だから、その鶏と子供がそれぞれ救うと、すごい幸せな生を送るとしても、
でも、鶏の幸せな状態って、人間の幸せな状態と比べたら、
やっぱり大したものではないというふうに考えることもできて、
だったら、鶏じゃなくて人間の方を救った方がいいんじゃない?
みたいならしいものがあるかもしれないですよね。
ここまでは多くの人が考えていないかもしれないですけど、
動物よりも人間でしょという感覚は多くの人が持っていると思うんですよね。
救うんだったら、動物よりも人間でしょ。
それは単純に動物を低く見る種差別的な価値観に基づいているかもしれないし、
今言ったように、命を失ったときに失われるものの大きさが全然違うという感覚があるのかもしれなくて、
その背後には今言ったような考え方があるかもしれない。
もちろん、そこには違いがないという考え方もできて、
鶏の最高の状態と人間の最高の状態、その間に価値も違いはないという考え方もできて、
そういうことを論じている哲学者もいるんですけど、
他方で違いがあるって想定して、その違いがどれほどなのかっていうのを実際に研究している人たちが、
効果的に出しているコミュニティにいて、
あ、そこにも。
そこにも。
で、それが研究プロジェクトが最近終わって、
終わったっていうか、第一弾というのかな、第一弾が終わって、
去年、2014年の12月に報告をまとめた本が出版されたりするんですけど、
人と動物のどっちを優先させるべきかどうやって決めるんですかっていう疑問にも、
ちゃんと取り組んでいるということもとりあえず、今回は。
すごいな、本当に徹底している。
そこをとりあえず言いたかったです。
なるほど、すごい難しいですね。
でもなんかやっぱり、
動物より人間を優先させる方がいいみたいな感覚は、
私もなくはないんですけど、
でもやっぱり人間って人間のことしか知らない中で、
ニワトリの未知なる、真の意味では未知なる幸福を、
やっぱり人間中心主義から出してどうはかんのっていうのがすごい気になるんで、
なんか絶対見えてないことがあるじゃないですか、
たぶん彼らの価値の中でと思うので、
そこも含めて、今度出版されるんですか?
もう出版されたんですか?
出版されてます。
あ、されたやつ、見てみたいなと思う。
それによると、彼らは、
教えてください。
違いがあるっていうね、
人間とニワトリの最高の状態の間には、
違いがあるって考え方に、
とりあえず想定してやってて、
あと、福祉っていうのはまさに、
ポジティブな経験をかけることだっていう立場に基づいて、
それを2つを想定してやってるんですけど、
それによると、ニワトリの最高の状態って、
人間の3分の1って、
そういう言って方、とりあえず言ってるらしいです。
それどれやどうやったかって話は今回は、
勘弁してほしいんですけど。
気になるな。
でも、アメリカのアンケート調査があって、
人間のある苦しみと、
畜産動物何頭分の苦しみが糖化だと思いますか?
みたいな質問を視聴させて、
アメリカ人平均で1万頭とかって答え、
よくない?
そうだよ。
すごい。
それはやばい。
それと比べると、ものすごいなっていうか、
全然差がない。
確かに。
3分の1だから。
うわ、そうですね。
でも、そうですよね。
だって、リンフルとかになったら、
2000万羽とかで殺すのが、
殺処分する現状と考えたら、
ちょっと認識変わってくるきっかけには確かになります。
確かに。
そうですね。
人間の開発による影響が、
地球上のあらゆるところに出ていて、
動物以外の動物にももちろん出ている状態で、
でも人間は別に他の動物の感覚を完全に分かるわけではない。
いもみちのところばっかりみたいなときに、
この種差別的な価値観に左右されず、
低く見積もってしまっている部分を見直すっていう意味で、
そうですね、ポジティブな影響もいい方向に。
ちょっと複雑ですよね。
はい、複雑。
分からないのに3分の1って言ってるけど、
そうですね、低く。
それは低すぎだろ、考えてなさすぎだろっていうのには有効なのかなという感じが。
いやー難しいな。
そうなんですね。
これは本当にそういうこともちゃんと考えている人たちがいるということを紹介する程度の話でございました。
効果的利多主義に基づくと、
動物の福祉をどう評価するのかっていうところは研究が進められ議論されているところでありつつ、
畜産動物の福祉向上は重要な問題だっていうことで、
そこにリソースを集中していくべきだということが言えるっていうのが今までのところでしたが、
福祉の向上という話してきましたが、
ビーガニズムに共感している人とかからすると、
やっぱりそれは畜産は存続させるっていう前提なんですかっていうところが気になってくるのかなと思いますが、
この前コットンさんと竹下さんにお話いただいたときに、
福祉主義に対して排説主義、畜産はなくして畜産動物の苦しみをなくすべきだっていう立場の話をやりましたが、
そっちの排説主義ではないんですねっていうところはいかがですか?
そうです。実は、排説主義的な、ある畜産の実践をやめさせるような取り組みにも、
だから畜産をなくして、
畜産動物として生まれてくる動物をなくしたほうが、
畜産動物として生まれてくる動物を存続させるよりも、
この世界に存在する苦しみの量は減るので、
だからなくした方がいいだろう。
複雑な気を考えたとして。
なるほど、なるほど。
刑事フリーの活動、実現はしていて、
刑事フリーをしているその先に、
排説もあるんだよっていう想定なんですかね。
刑事フリーが排説につながるって考えられているってことですか。
そういうふうに考えている人もいて、
刑事フリーにすると土地が広く使わなきゃいけないので、
まず、飼育波数が同じ土地の中だったら減ると思うし、
あと、アニマルフェアに対しても地域経費もかかるし、
あと、たとえばニワトリであれば動き回るエネルギーを消費して、
消費の資料が増える必要がある。
だから値段が必然的に高くなる。
なるほど。
値段が高くなると、もちろん需要もある程度減るので、
だから動物の数とか需要が減るってことにつながるだろうっていう考え方もあるし、
でも、今すぐ刑事フリーにすることによって廃絶につながなかったとしても、
でもすぐには廃絶はできないんだから、
だったら廃絶が実現するまでの数十年、あるいはもしかしたら百何年の間に来ているニワトリたちの苦しみをなるべく最小限に抑えよう。
そのためにはやっぱり刑事フリーを、というのがこういうふうにどんどん実現していく。
これを差し当たり取り潜り進めていくことが動物にとって一番いいだろうという考え方もありますね。
刑事フリーにすると需要も動物の数も減るし、
つながらなかったとしても、すでにいる動物たち、畜産動物の福祉をプラスにはならないにしても改善はできるよねっていうことですかね。
なるほど。
これ、廃絶を目指すっていう、福祉を大事にする観点でも廃絶は目指されるっていうことですけど、
福祉に力を入れながらってなると廃絶が遠のいてしまうみたいなことは考えられてるんでしょうか。
それは、そう考えられる理由っていくつか確かにあって、
まさにフランシオンという人が指摘していることですけど、
アニマルエルフェアに入る人たち、交互に切り替えることによって消費者の良心が和らいで、
安心して動物的に消費を続けるようになるということです。
でも実は最近、消費者の心理学に関する主張なので、
アニマルエルフェアに入る人たちの製品というのが、
それを購入する者に対してどういう影響を及ぼすのかということについての主張なんですけど、
これは経験的主張なのでいろいろ研究が必要だと思うんですけど、
今、自分が知っている範囲の研究成果だと、そういうわけではないと。
アニマルエルフェアを購入してあがるような人というのは、
別に消費を増やしたりするわけではなくて、
割と減らす傾向にあるというような研究もあります。
これはやっぱり値段が高くなるので、
今まで毎日卵を食べていたけど、
週3回するとか高くなるので、
でもやっぱりひらがいにする代わりに、
ちょっと消費量を減らして減らすみたいなことをやるからかもしれないですよね。
アニマルエルフェアに入る人たちの方法へ切り替わっても、
消費者は安心して動物製品を所有し続けるわけではありません。
そのことを示す研究が微妙にあります。
排出が遠のく理由として考えられるのは、
これは心理学の研究で、
肉食を続けている限りは、動物の神的能力とか特殊的身分、
例えば福祉だったら、福祉を考慮すべきか、
人間と比べてどれくらい考慮すべきかということに関する判断が、
低く見積もらえる可能性があって、
なぜかというと、
もし動物が意識をちゃんと持っているとか、
高い知能を持っているみたいなことを信じつつ、
でももしその動物を自分は殺して食べている事実があったときに、
その間には不整合があると感じざるを得なくて、
その不整合を解消するために、
実は動物はあまり痛み感じないし、
知能も低いんだって、逆にこっちの心で訂正して、
なんとか自分の中に整合性を保とうとする、
そういう傾向が人間にあるということを示す研究がいくつかあります。
つまり肉食者とヴィーガンとかベジタリアン、
比較した場合に肉食を続けている人は、
動物の心的能力を低く見積もりがちという傾向があると。
ただ、アニマルウェルフィアに関しての消費者は調べられていないんですよ。
だから自分の直感としては、
アニマルウェルフィアに関心のあって、
なるべくアニマルウェルフィアに配慮した製品を買う人って、
単に肉食を続けている人よりも、
よりかは動物の知的能力とか認知能力とか、
あるいは意識を持っているかどうかに関して、
肉食者よりは食を見積もらないで、
やっぱりアニマルウェルフィアは気にしているんだから、
動物はちゃんと意識を持っていて、
痛みとか苦痛を感じるんだみたいな認識はしているんじゃないかなと、
自分は直感的に思う。
それを研究する必要があるんだけど、
それを否定するような研究も今のところないんですよ。
ここはちょっとイーブンというか、
今後の研究が進むといいなと思ったり、
自分の直感としてはそうですね。
アニマルウェルフィアに配慮するということは、
動物に対する道徳的な配慮、
動物に意識とか知的能力を認める、
1本目になるんじゃないかっていうのが自分の直感です。
そうですね。
確かに、イーブンっていうことだったので、
イーブンなんだと思うんですけど、
福祉をまず推進して、
排説はあからさまには訴えていかないってなると、
確かに肉食そのものについては問わないっていうことで、
どうなんだっていうのも分かるんですけど、
確かにアニマルウェルフィアに配慮した製品が出回っていくことで、
そこも考えないといけないんだなとか、
そういう価値観になってきてるんだな、
社会みたいな感じになっていったらいいですかね。
同意です。
ちょっとまた3点目がありまして、
なんでアニマルウェルフィアに力を入れるか、
どう考えられるのか、
3つのもう一つ可能な理由があって、
それは、もし福祉改革成功して、
畜産動物を代表する比較的良好な整備を送れるようになってしまったとすると、
じゃあもうそれでいいじゃん、排出しなくていいじゃん、
ということになってしまうと。
でも、将来のその時のために、
今現在苦しんでいる動物をそのまま苦しませておくっていうのは、
なんていうか、排出という目的を達成するために、
今いる動物を苦しませておくというか、
利用している感じがするんですよね。
それはいいのかなって自分は思ったりします。
ここがすごい微妙なところです。
どう思います?
苦しませておくわけにはいかないですよね、今の。
私も同意見ですかね。
でも、なんか自分が言っていてあれなんですけど。
でもやっぱりこれ、そのせいでどれぐらい遅れるかにもなるかもしれなくて。
どういうことですか?
つまり、本当にこの福祉改革が成功した結果、
排出が100年遅れるのか、
あるいは全然排出できなくなっちゃうのか。
でも、さっき言ったようにケージフリーのシステムでも、
やっぱり全体とした動物はマイナスの性を送っている。
生まれてこない方がどっちかというとよかったみたいな性を送っているとすると、
そういった性を送るような動物が、たとえ今よりはマシだとしても、
マイナスの性を送るような動物が生まれてくる状態が、
あと100年、あるいは永遠に続くとすると。
それと比較したら、ちょっと今しばらくこれから存在する、
ちょっとの動物を犠牲にして、
なるべく排出を説得力を出せるために犠牲にして、
排出を確実に遂行するみたいなのが、
実は全体として見るといいんじゃないかっていう考え方もあるんだけど、
でもなんとか、少なくともそれは大多数のために少数犠牲にする論ではある。
すごいそれは、逆にそっちはすごい公理主義を徹底した考え方だなって思います。
これはすごく難しいなとは思いつつ、
ただ、私のなんか本当個人的にデータがない意見ですけど、
やっぱりさっき和田さんがおっしゃってた、
少なくとも動物の生意気について考えるみたいなステップって、
多分社会において必ず必要になるんだろうなっていうふうに、
その排出を進める上でのステップとして必要になるっていうのが思っていて、
やっぱりその社会の価値観ってそんなにバスって変わるものではなくて、
グラデーションを持って、
徐々にその比率が変わっていくとか、
ものだと考えたときに、
多分、そんな求心的に人の思考を移行させるのってやっぱりすごく難しいんだろうなっていうのがあるので、
ある種の認知的不協和を緩和させながらというか、
動物福祉というステップを挟むことによって、
一旦、やめないにしても動物の立場になって一旦考えるみたいな福祉の観点っていうのが、
多分、間に挟まらざるを得ないのかなっていう肌感はあります。
だから割と心福祉主義、必然的になっちゃうのかなっていう感じで、
逆に衝突とかを防ぐ、ある種スムーズにというか、
いくにはそうなってしまうのかなって思ったりしますね。
個人的な意見ですけど。
自分もそういう意見ではありますけど、
でも、異論はあるかもしれない。
あるでしょうね。
あると思います。
あってもいいんだと思うので。
そうですね。ちょっと研究の発展に期待をしたいと思います。
はい。
はい。
で、最後その、
何もないふうに力を入れると排斥が遠のくるんではないかっていう、
その福祉主義、福祉主義に対する批判点が、
批判点に対しては、
最後に一点付け加えると、
もし動物の苦しみの総量みたいなものを考えた場合は、
排斥が遠のいたとしても、
その動物の苦しみの総量っていうのは減るかもしれない、
っていう可能性がある。
累積ってこと?
累積で。
だから、排斥は遠のくるんだけど、
でも、逆に排斥に力を入れると、
排斥は早まるんだけど、
でも排斥までにものすごい量の動物が、
ものすごい苦しみ。
それに比べたら、排斥はちょっと遅れるんだけど、
結構割と早く福祉改革が到達できて、
排斥までのちょっと長めの期間、
そこで生きている動物の苦しみっていうのは割と比較的増し、
みたいな可能性もあって、
だから、いろいろな経験的な証拠が出て、
排斥が遠のきそうだってなったとしても、
でもまだそれだけで、福祉はやめるべきだ、
っていう結論することはできないという、
全体としてすごい難しい問題だと、
とりあえずは思いますね。
そうですね。
いやー、すごいな。
研究が必要な部分がめちゃめちゃありますね。
効果的に最大の禅をって、
シンプルな考え方であっても、
それを実行するにはかなり、
どれが効果的なんだっていうところを、
かなり研究が必要だということですね。
そうですね。
今さっきちょっと研究した研究とか、
本当に2020年以降ですかね、
の研究が多いかなっていう印象で、
本当に最近海外でやっとやられ始めているところなんで、
消費者の態度とか、
アニマルエリフェアに対する態度とかって、
結構文化的な違いって結構多いと思うので、
日本でもこういう研究が進むべきなので、
これはもう自分の専門じゃないので、
本当にポッドキャストを引いている人の中に、
例えば経済学とか心理学をやっている人がいたら、
本当にこれをテーマに研究してほしいですよ。
ぜひ効果的に理多的な行為をするチャンスです。
そこの研究者の方。
日本でも進んでいくといいですね。
アニマルエリフェアと生産量の話も。
そうですね。アニマルエリフェア、福祉向上、
なんだかんだ言って、やっぱり工夫的な話の中では、
一番取り組みやすくて、インパクトも大きいので、
優先されている問題なんですけど、
よく聞くのが、アニマルエリフェアの力を入れると、
生産量が増えるんじゃないかという話です。
その一例として、地域農業との生産企業は、
2025年までに妊娠ストローシックを発表しています。
妊娠ストローシックというのは、
豚肉として土産される豚を産む母豚です。
母豚が妊娠期間中、身動きができないストールの中に
閉じ込められるんです。
そのストールというのは折りですね。
そこで母豚ができるのは、
立ったり座ったりだけ、みたいな状態で。
そうすると個体管理がしやすいとか、
そういう経済的な合理性があるから採用されているんです。
でも、妊娠期間がそうなって、
産んで、授乳して、
40日くらい休むと、もう一回また妊娠させられて、
それでまた妊娠期間に入るんです。
それを6回くらい繰り返して、最後と刺されるという人生なんですよね。
母豚って、それこそ最悪の人生だという感じがするんですけれども。
それを辞めるって、中国の世産企業は言っていて、
日本でも西ソル辞めようというキャンペーンもあったりするんですけれども、
でも、最近中国の方で、
17階建てのタワー豚舎で35万頭の豚を飼育、
みたいな記事が出てたりして、
だから、高層ビルで、各界で豚を飼育しようと。
中国のいろんな土地側も使い尽くされているので、
限られた土地で豚の飼育をするということ。
これを見て、アニマルエフェアを進めても、
消費が増えるだけって思う人もいるかもしれない。
実際そういう意見を人に伝えに来たことがあるんですけれども、
やっぱりそれは変で、
もしアニマルエフェアに力を入れて市場が拡大するとしたら、
つまり、アニマルエフェアを進めると、
消費生産が増えるだけなんだと考えるということは、
アニマルエフェアに力を入れると、
今まで以上に豚肉を飼ってくれる人が増えるんだと考えるじゃないですか。
その想定が成り立つとしたら、
今までは妊娠ストールを使っている生産者の豚肉を買うのは嫌だったから、
全然買ってなかったんだけど、
妊娠ストールフリーの生産者から豚肉が店頭に並ぶようになったら、
買うようにした、みたいな人がたくさんいるっていう想定をする必要があるように思うんですよね。
それだったら、もしそういう人がたくさんいるんだったら、
妊娠ストールフリーの豚舎を新しく建てると、
今まで売っていた分よりも、さらに多くの豚肉が売れるようになる。
だから、それを見越して生産者は、
アニマルエフェアに力を入れた豚肉の生産をどんどん増やしていくんだ。
そうすると、生産される豚のトンスがどんどん増えていくんだ、みたいな。
そういう考え方ができるかもしれないんですけど、
でも、そんな人います、というところが自分の疑問で。
つまり、今まで全然豚肉食べてなかったけど、
アニマルエフェアに配慮された豚肉が出回ったら過保みたいな人。
なかなかいないんじゃないかな。
うーん、なかなか。
どっちかっていうと、普段から豚肉を買ってるんだけど、
妊娠ストールのフリーの豚肉が流通するようになったら、
そちらに切り替えようっていう人が大半では、という気がするんですよ。
なるほど、そうですね。
だから、アニマルエフェア製品が流通することで、
新しい市場が開拓されたというわけではなくて、
市場という言葉の使い方があっているかわからないですけど、
市場の規模は同じなんだけど、
いきなり人が増えたり、人が食べる豚肉の量がいきなり増えたりもしないので、
規模が同じなんだけど、流通する商品が、
非アニマルエフェア製品からアニマルエフェア製品に置き換わることが起きているだけではないかと。
だから、高層ビルの用途、施設とかが結構インパクトあるんですけど、
確かここは妊娠ストールフリーなんですよ。
だったとしましょう。
そうすると、他の用途上がなくなって、
妊娠ストールフリーの高層用途より引き換わっているということなので、
アニマルエフェアの力を入れることによって、
生産量が増えるというのは変な話だという。
変な想定じゃん。
ただ、おそらくなんですけど、市場の全体のパイは変わらない。
ただし、そういう企業、アニマルエフェアに取り組む企業が市場のパイを増やす。
市場に置けるパイを増やす。
選択率が高まるっていうことはあるかもですよね。
つまり、日本のエックスハムという会社が福祉を取り入れたことによって業績が伸びましたとなった場合には、
そこはもっとマクロに見なきゃいけなくて、
本当に市場全体で豚肉の消費量が減ったとかではなく、
おそらくってことですよね。
つまり乗り換えが起こった。
ビーハムから買って、エックスハム会社から買うようになったとか、
そういうことは多分起こるかもしれなくて、
っていうのは区別しなきゃいけない。
まさに言いたかった、そういうことでは。
日本総研がアニマルウェルフェア製品の負荷価値を計算して、
その結果を公表してるんですけど、
その時どういう計算をしてるかというと、
調査対象になった1万人のうち何%の人が現在の食事をアニマルウェルフェア製品に置き換えるかということ。
置き換えるかって聞いてるんですよね。
新しく今まで飼っている豚肉に加えてアニマルウェルフェア製品をどれだけ買うかじゃなくて、
置き換えるかって聞き方をしている。
それに置き換える場合どれくらいの追加の費用を払えるかっていう2点を聞いて、
負荷価値を計算したりするんですよ。
だからこの結果が負荷価値が5,735億円って言われてるんですけど、
この規模の市場が新しく出てくるわけじゃなくて、
創設されるわけじゃなくて、
今までの豚肉の消費がアニマルウェルフェア製品に置き換わるみたいな話をしてるんですよ。
そういう想定の下で負荷価値が決定されたりします。
これはパッと聞くと、え?って思っちゃうかもしれない。
そうですね。パッと聞くと、新しい市場が開拓されてるって思いがちなんだけど。
パッと聞くって、調査内をよく見てみると、置き換わるっていう想定をしてる。
なので、よくあるアニマルウェルフェア製品に使われた制裁量が増えるっていうのは、
なかなか考えにくいというのが私の考えでございました。
今までのお話だと、福祉工場で排泄が遠のくとか、
結局生産量が増えるんじゃないかとか、いろんな気になるポイントをお聞きしましたが、
どの観点も、何とも言えないところもありつつ、
福祉の工場は効果がちゃんと上がるところなのではないかなということが言えそうですかね。
そうですね。今後の研究次第とか、あるいは状況によって排泄主義的な取り組みにも、
多分効果的な収益観点からそっちが効果的だというタイミングとか地域とかって出てくると思うんですけど、
たぶん今現在、日本においては、福祉主義的な取り組みっていうのはインパクトが大きいんじゃないかなと思います。
また引き算としては、今後の福祉工場なし、排泄も目指したアプローチについて、
どういうふうに進んでいってほしいみたいなことはありますか。
そうです。やっぱり現時点では福祉工場のほうに日本だと注力すべきだなというふうに個人的に考えていて、
もちろん先ほど話したように、排泄主義的な取り組みか福祉主義的な取り組みかどっちがいいかってすごく微妙な問題で、
いろんな経験的な人に手を出して判断しなきゃいけないんですけれども、
マールもやっぱりオープンフィラストロフィーとかが刑種売りキャンペーンに投資をして、
今、世界のグローバル企業は2025年末までに自社で使用する卵のすべてを刑種に切り替えると宣言をしたりするんですよ。
これまさに国家的な制覇だったりして、
日本でも例えばスターバックスとかマリオット、ヒルドホテルとかね、
このリストは調べれば出てくると思うんですけど、
こういったところが今年、まさに今年末までに刑種売り卵に切り替えると全部100%って言ってるので、
これが実現したら本当にここから先、ずっとこういったホテルとか企業が調達先にしている農場で飼われている鶏っていうのは刑種から解放されるわけで、
そのインパクトっていうのはかなり大きいと思うんですよね。
こういう具体的な制覇が本当に出ているリマレーシア取組みっていうのは、今は本当に優先してやっていいんじゃないかなと。
あと、特に今年、大地貿易ですね。
そうですね。そこからまた別の企業とかにも広がっていくといいですね。
あと、本当に一方の立場も多分私も決定的に批判できるみたいな議論ないので、
なので、むしろ研究はすべきだと思うんですけど、今の段階でどっちが間違いでどっちが合ってるみたいなところでエネルギーを消耗して運動が後退すると、
余計に排説が遠のいて、それは結局動物のためにならないんですよね。
当日の発表だと、いろんないくつか沿っておいて、排説主義のみのアプローチと非福祉主義的なアプローチとで、
向上できるサイロン機の福祉のシミュレーションみたいなものを実際に提示してみせて、
ポッドキャストなのでそれを見せられないので、今回はなるべくグラフとか使わないで話せるように話したんですけど、
やっぱりそのシミュレーションをちょっとやってみても、
両アプローチで足を引っ張り合って、排説が遠のくのが最も動物のためにならなくて、
むしろ、各人がビーガニズマニマルエルフェア推進、
自分が最も納得できるものとか、あるいは自分の素質に合ったものを選んで、
日本とか世界全体で同時並行的に排説主義主義が重要だとか、一部に合ってるっていう人はそういうアプローチ。
シミュレーション主義をシミュレーション主義にやりたいという人がやっていくという、
同時並行なのが実は一番動物の苦しみが少ないというようなシミュレーションの結果を提示したりしました。
それは結構いろいろ変数が多くて、議論でちゃうと思うんですけれども、
結構直感的にもあって、つまり何が言いたいかというと、
動物のために活動するか、ためをもって活動している人たちは、
ぜひみんなで協力して仲良くやっていくのが、動物のためにもなるんじゃないかなというのが言いたかったところです。
そうですね。
まあ、仲良くなくてもいいから、折り上げつかないこともあるかなと思うんですけど。
そうです。