昔からこうこうこうだよ、こうこうこうだって、
ずっとそういう恋愛みたいなものにも違和感を感じててみたいなさ、
そういうことを聞くとさ、やっぱりそれはアロマンティック、アセクシャルってやつかな、みたいな、浮かぶんだけど、
ああ、それってアロマンティック、アセクシャルじゃん、とかって言うとさ、
すごいなんか暴力的な感じがするというか、
まあそういうことなのかもしれないけど、
なんかラベリングみたいな。
ラベリングっていうかね、すごいその人の子の体験やいろんなものが立ち上がってきたものを、
こうタームでまとめちゃうみたいな。
この間もね、そういうことがあってさ、
今度俺なんかポッドキャストにゲストで出るんだけどさ、
ライター仲間の浅井真由美さんって、
ソロ活とか、今ドラマとかもね、江口範子さんが、
そういうエッセイとか書いてる、古い付き合いの仲間みたいな方がいるんだけど、
浅井さんのポッドキャストにこの間ちょっと呼んでもらって、
なんか彼女はすごいこう、
人目惚れとかトキメキとかよくわかんないみたいな話になったの、文脈の中。
それは俺の本を読んでくれて、
すごいいろいろ面白かったけど、
一個なんか京太さんが人目惚れをしたっていう体験が書いてあって、
そこが私には衝撃で、本当にそういうことあるんですね、みたいな。
私なんか全然その感覚がわかんないです、みたいなことを言ってて、
ただなんかこう、知性、その知性を感じるときにすごい色気を感じるんですよ、みたいなこと。
みたいな話をしてたの。
それはすごい面白かったんだけどさ、
そういうのってさ、なんかサピオセクシャルって言葉があってさ、
一応なんかそういう言語化されてると言えばされてる。
なんか診断みたいなのがありますよね。
最終的にそんな話になったんだけど、
サピオセクシャルってやつと近しいのか、みたいな話に確かになったんだけど、
でも、それサピオセクシャルじゃん、みたいなことをさ、
言った途端なんか違う話になっちゃうというか、気がしたのね。
なんかわかんないんだけど、そういう実感の話とかさ、
をしてるのに、そこにタームを持ち込むことの暴力性とまで言っちゃうと言い過ぎかもしれないけど。
あれなのかな、グラデ的なものとかがなくなっちゃうみたいな。
なんか急にね、バーンって感じで、なんかラベル貼っちゃうみたいな感じがして、
ちょっと乱暴かな、みたいな感じがして、
そういう単語を使う葛藤みたいな感じたことが何回かあったんだけどさ、
それを使われちゃった時の、もしかしたらね、このホモソ、マチズモみたいなのも、
そういう感じも、この田中さんの中にあんのかな、みたいな、ちょっと想像したんだけどね。
確かになんか、それはなんかありそう。
なんか最近、バンブル読書会で読んだ課題図書が、
魚は存在しない?魚は存在しないって本ありますか、そこに。
辞書みたいに厚い本ありますよね、下に。
魚が。
魚が。これ、たくさんの魚類を発見した学者のことを調べていくみたいな。
確かに。
なんか最近いろいろあるよね、分かんないけど。
ああいうのもさ、立ち上がってきて、そこに名前がついて、それ以降は例えば旧大生的な問題だねとかってなっていくっていうのは、
この中では猫が生えている言葉という感じがするけどさ、
それを、そういう言葉で話している楽しさっていうのがもしかしたらあったかもしれないじゃん、この田中さんと。
ああ、なるほどね。
それがさ、社会の言葉で、せっかくいろいろ立ち上がってきた何かがあったはずなのに、
そこにどんどん社会の言葉が入ってきていることの寂しさっていうのが、少しだけ悲しい。
悲しいね。
悲しいんだもんね。
これちょっと最初に俺がさ、この人のジェンダー、性別どうなっているのかちょっと気になっちゃったっていうのはさ、
仮にこれが田中さん男性だったら、ちょっとだけ意味が変わるじゃない、
要は今までは実感の話としていろいろ話してたけど、このホモサヤマチズモっていう言葉が出てくるとさ、
最初から田中さんは批判される側に含まれちゃうし、
相手の友人女性がそのつもりがなくても、何か批判の対象に一部に含まれちゃうっていう居心地の悪さは当然。
仮にこの田中さんが男性だった場合はそういうのもあるだろうから。
ある。確かに。
なんかそうなんだよね。俺もそれは思った。
自分も責められているように感じちゃうって、
男性だからってなんでこんな批判されなきゃいけないんだみたいなのは思ったことがあるなって。
男性だとしたらそういう可能性があるなっていうのはそうだよね。あるよね。
そうなんだよ。だからこういうの本当さ、そういう例えば感覚が湧くっていうのはさ、実感としてはめちゃめちゃわかるし、
もし田中さんが男性だったら、もしかしたらそういうことがあるのかなとも思う。
一方で例えばそういう現象だとすでにさ、not all menっていう言葉でさ、言語化されてるじゃん。概念化。
つまりそれはもうかなり一般的なあるあるの反応だから、
そういう反論を喰らいまくるフェミニストというか女性たちはもういちいちそんなのに反論したり、
エビデンスを示すのめんどくさいじゃん。
だからもうそんなの現象としてすでにありますよ。
陥りがしな現象ですよってことで名前をつけて勝利するっていうのはすごい大事なことじゃん。
そっち側の目線から。
でも一方で個々の実感としては初めて知ったときに、え、俺も含まれるの?ちょっとなんか心外なんですけどみたいな感覚はさ、
その人の実感としてはいくらそれがあるあるだとしてもさ、説実、リアルなものでもあるじゃん。
それをnot all menだよって言ってバーンってさ、押さえつけちゃうとそれはそれでうってなりそうなのもあるじゃん。
だからタームを使うっていうのはまあそういう乱暴さもきっとあると思うから。
ちょっと田中さんはどっちかわからない。もし男性だったと想像すると、
俺も含まれてるのなんか嫌だな、でもこの嫌だなって気持ちを抱くという現象にもすでに名前がついててとかってさ、
塞がれていくような感じもあるんだろうなとは。
まあそういう息苦しさももしかしたらどっかにあっての、でもまあ自分が含まれてるわけでもないから、
そんなに反応することもないかみたいな、果てに複雑な気持ちが発生しているという、
ちょっとまあこれは男性だったと仮定するとあるかもなとは思ったけど。
どうですか?
はい、初めて喋っただけです。
あのそうだな、このホモソーシャルとかって我々もなんかついつかじゃないですか。
そんな中でこういったお便りを送ってきてくださったっていうのは結構まあ勇気のいることって言ったらだけど、
もしかしたらこれ何言ってあがんないって言われるかもしれないみたいなこともこの田中さんの中であったのかなって想像するんですけど、
なんかこう勝手に田中さんの気持ちを想像すると、
ホモソーシャルっぽい具体の話をもうすでにしていて、そこに関しての嫌なとことか、
いいとこあるかわかんないけど、そういった具体のこういうのあるよねっていうのを結構自分たちの言葉で共有しているにもかかわらず、
なんかくぐられたことに対しての何か違和感があるのかなと思ってて、
ちょっとホモソーシャルがどういう経緯で生まれたかってちょっと勉強してないんで申し訳ないんだけど、
でもこういう概念ってこう既存の言葉で片付けられないからできたわけじゃないですか、
なんかそれぞれの個々の何かいろんな事象を、
あ、それってこういう言葉概念を作ることで、あ、そういうことだったなって整理をするために生まれたのかなってちょっと個人的には思ってるんだけど、
でもこの人たちの中では割ともうそういう何ていうのかな、
具体にその話をもうしている中で、わざわざ別にこんな言葉を持ってこなくてもいいんじゃないかっていうところにちょっと何て言うんだろうな、
まあ正義じゃないけど、なんか急に持ってこられたみたいな寂しさがあるのかなっていうふうには思いましたね。
なんかそうだな、だから例えばこの4人じゃなくて、
会社の人とか全然こういう普段のこういう話をしてない人に対して、
ホモソっぽい概念をどう説明するかっていきなりホモソって何か言わないような気がして、
なんかこういう男同士の何かこういう嫌な感じはありますよね、ついつい自分もやっちゃいますよねって感じが、
周り独特、周り独特ってかもうちょっと具体的なって言ったらいいのかな、そういう説明をするんじゃないかなって思うから、
それをいきなりホモソっていう概念がありましてみたいなことから説明すると、
なんかあんまり伝わんないんじゃないかなっていう気がするんで、
ちょっと勝手に私はちょっとこの人のあれをお便りを見て、なんか男性だと思い込んじゃってたかな、
なんか寂しくなりましたみたいなことで、
なんかうんって思ったら一瞬なんか違和感っていうか、
でもよく送ってきてくれたなっていう、思いましたね。
でもそうだよね、なんか俺らが急にさ、バキバキタワモで喋り始めたらさ、
この座談をする中でさ、自分の場合はこうだった、こうだったとかって、
あーわかるわかるとかってさ、そういう果てにそうやって突如なんかさ、
9代生とかなんかそういう単語は地球一代目とかって生まれてたようなところがさ、
そういう学術的にもすでにそういう現象に名前がついてたとしてさ、
それでバンバン喋り始めたら、何か味というか何かが損なわれる感じっていうのはわかるし、
そもそもそうだよね、さっき佐藤さんの会話でどうこうって言ったのはさ、
もっと言えば二軍ラジオで一回こういうことあったよ。
俺がだから結構そういうジャンルで物を書き始め、読みながらで、結構そういう単語をポロッと使っちゃったりするときに、
なんか二人からあんまそういう言葉を使わない方がいいみたいな話ってなんかあったよ、二軍ラジオで。
そうじゃなくて、やっぱエピソードとか体験とかをあくまでそのベースにして、
それでこう俺らが話してわかるところまで話すみたいな方がいいみたいなことは言ってたよね。
覚えてるのは俺の記憶で言うと、フェミニズムのことをそんなに勉強してない、ちゃんと勉強してないのに、
いきなりそっちに踏み込むのは危険すぎるっていう風に、それぐらいな感じだったような気がするけど、
結局自分たちは人の話を聞いて、いろいろこうやっぱり現場から発信していくしかないでしょみたいな、
そういう感じで思ってたし、どんどん離れてっちゃうなっていうのは確かに思ったな、自分たちの実感から。学者じゃないんだからさ。
確かにその用語を使った瞬間に、学者目線というか、いろんな事例も全部把握した上で使ってますよみたいな感じが出るのかな。
批評家っていうか。
ちょっと高みから来たなみたいな、なるのかな。
学者っぽくなっちゃうか。
ちょっと遠い感じ。
わかってるっていう感じになっちゃうのかな。
その事例ももう織り込み済みです、こちらは、把握済みですみたいな感じになるのかな。
そういうニュアンスも全てタームには含まれての、ある定義だけじゃなくて、そういう態度とかさ、プロセスとか全てがたぶん染み込んでるんだろうね、タームには。
なんかそういう感じって、なんかよくわかんないけど、感覚的にさ、違和感とか引っかかりみたいなって感じるじゃん。
だから、この田中さんはやっぱり、この友人の言葉の端々になんかんっていう感じが。
なんか言ってることは全然わかるんだけど、なんだろう、この飲み込みづらい感じみたいなのはずっと続いてる気がするよね。
なんか違和感があるんですかね。
これ田中さんは、友人の方にどうしたらいいんだろうね。
傷つけてしまうって書いてあったけど。
どうなんだろうね。なんか傷、まあわかんないけど。
いやちょっと、なんか本物とか言いづらいか。
いやー、それは言いづらいんじゃない。
使い始め、ちょっとなんか最近言うじゃんみたいな。言いづらいかね。
言ったことある?そんなこと。キヨ太に対して言ったか。
それはでもね、ポッドキャストやってるっていうのがあったからな。
なんだか、最近使ってるけどどうしたの?みたいなのって聞きづらいかな、やっぱ。ちょっとわかんない。
どうしたの?とは聞きづらい。もしね、まあ聞くとしたら、ちょっと恥ずかしい。
じゃあホモソって具体的にどんな意味だっけ?みたいな。
もうちょっとその言葉で指し示しているものを噛み砕いて、もうちょっと共有したいみたいな感じで。
質問してみるのは全然いい。だから、お前なんか最近なんかどうしちゃったんだ?変な言葉で喋りやがって。
ちょっとやる気してるな。
それは言いにくいけど。
まあ本当にホモソっていうのはなんとなくだいたいわかんだけど、でももうちょっといろんなものが含まれてるはずだからさ。
そこをちょっと純粋に質問してみたりしながら、こう角をさ、カンカンカンカン削って噛み砕いていっても。
悲しいんだもん。
田中さんはさ。
悲しいよね。
そのまま会話が流れていっちゃうわけでしょ。
そうだよね。
で、ずっとなんか、自分もさ、この友人にさ、田中さんが今自分が抱えている違和感を友人に伝えられないってことはさ、
まあそれ確かに悲しいというか、燃やるし。
そうだね。
違和感を伝えられない関係であるっていうことはちょっと悲しさの一因とも言える気がするから。
一般論になりがち。
だからまあ会話をそのまま流していけばそれ一般論になってしまうかもしれないけど、
違和感をその都度、自分の中に発生した違和感を逃さず、
まあそれを質問とか、さらに問うみたいな形で一個投げかけてさ、
もう少しそこを深めていくことはできそうな気ができないかな。
いや、そうもそうだし、テクニカルタームを使ったからといって必ずしも一般論になるわけじゃないような気がするから、
なんかもうちょっともしかしたらなんかあるかもしれないな。
理由があるのかな。その一般論が嫌って話ではないわけですもんね。