やっほー!みなさんごきげんようアナンディです。 本日もニューヨークの森のなんかシバナンダヨーガアシュラム
ランチっていうところで、カルマヨガをしております。 もうね、なんかね、めんまぐるしいけど、すごい充実した日々を送っております。
そして私、誕生日を迎えまして、数日も過ぎましたけれども、 なんかやっぱり夏最高だなと思いました。
あのアシュラムで誕生日を迎えられると、迎えることができると、いろんな人に祝ってもらえるのもすごい嬉しいし、いろんなものをもらえたりとかさ、なんか本当にありがたいことだよね。
なんかみんなの気持ちが本当に嬉しいなぁと思っています。 そして先週かな、あのウッドストックでクリシナダストニーナラウのコンサートも、なんかお忍びで行かせてもらっちゃって、
なんかチケットを、本当はねお金払わなきゃいけないんだけれども、あのご招待いただいちゃったりとかして、もう本当にねラッキーという感じでした。
そうなんで本当にラッキーだし、ラッキーだったね。でもなんかさ、
一個前の投稿でも言ったけど、本当に立ち位置が変わってきてるんだなぁっていうのをひしひしと感じております。成長だよね本当に。
だからアシュラムで、なんかこうのポジションは、やっぱり誰かにくっついていく存在だったのが、なんかやっぱりこう引っ張るじゃないけどサポートするっていう、引っ張るのはね私の仕事じゃないんだけれども、
役割じゃないんだけれども、やっぱりなんかこの誰かが引っ張ってくれているところに手を添えるじゃないけどね、なんかこうサポートするっていうようなところに入っていってるようなと思います。
そしてね、なんかあの最近思うのが、英語しゃべれるようになって良かったなぁって思います。
本当にね、何言ってるかわからない時もあるのよ、本当に。え?な、な、な、なんだ?みたいな。
あのなんか、イエスかノーかはわかるけれどもみたいな。細かいニュアンスは別にわかんないみたいな。
結果そうなのね、みたいな感じのはわかるけど、みたいなことも時々というか、まぁあるんだけれども、やっぱりね、ネイティブの人たちが話すとさ、
もう、なんて言うの?荒らぬ方向から聞いてくるみたいな。なんていうのかな?
なんか、ほら、今日ご飯作ったのあなた?って聞けばいいだけなのに、なんかね、なんか全然知ってる単語なんだけど、全然それが並んだら訳がわかんない文章を言ってきて、
で、なんか2回か3回聞き直したの、私が。え?なんて言ったの?え?もう一回言ってなんて言ったの?とか言って、2回目はっきり聞こえたのに、もう覚えてもないんだけどね。
はっきり聞こえたのに、何言ってるかわかんなくって、何の話?みたいな。
で、なんかあの3回目聞こうとしたら、ちょうどそこを通りすがったあの子がいて、
あ、なんて言うの?なんかご飯あなたが作ったのか?って聞いてるって言ってて、すごいわかりやすい英語で変えてくれて、
あ、そしたら答えはイエスですって言ってさ、
そんなことがわかんなかったのかって思ったんだけど、なんかね、彼女もごめんすごい言い回し方をしちゃったとか言って謝ってたのよ、その本人。
本人というか聞いてきた人がね、アメリカ人よ。
なんかあ、そんな英語あるんだっていう感じがすごいびっくりする感じのこともありました。だからなんかこう、
なんていうのかな?わかんない。本当にシンプルな小学生が使う英作文だったらできるんだけれども、
やっぱ日本語でもあるじゃん?京都、京都弁みたいなさ、なんか、
なんていうの?嫌味を言うみたいな、トーマシに嫌味を言うみたいな、
ね、今何時?とか聞けばいいんだけれども、なんか長く言ってはりますねみたいなことをマジ言ったとしたら、なんかなんていうのかな?
それだとただの嫌味になっちゃうか。だけれどもトーマシでそのことを言うみたいな感じの言い方もあるんだ、英語って思いながら。
勉強を常にしております。だってね、言われたことは何言ったのか忘れちゃったけれどもね、勉強ってなんだって話だけど。
でもさ、そういうなんかこう、ちょっとしたピンチの時も、ちゃんと必ず助けてくれる人がいて、なんかこういうのを言い聞いてるよみたいな感じで、
ああーって言って、ようやくわかるみたいな、ということもあるし、なんかこう家族の悩みみたいなのを打ち明けてくれて、
なんかどうしたらいいんだろう?みたいな感じで言うから、ねえねえねえねえみたいな、
なんていうのかな?今なんかこうね、絶望の底にいるみたいな感じで言うけど、もっと悪いシチュエーションの人って私知っててさぁ?みたいな。
なんかだからなんていうのかな?なんかできることをプラスとして捉えてもいいんじゃないの?みたいな感じでなんか言ったら、なんかその人の表情がもうパーって明るくなったわけよ。
なんかもう一瞬にして明るくなって、確かにそうだなみたいな風に思ってくれて、
だからなんかもうね、病気を抱えてたりとかすると、やっぱり年上の年配の方ってどうしても自分より早くこの世を去ることがあるかもしれないわけじゃない。
だいたいそうだし。でもやっぱりそれは避けられないから、ねえ私はそのシチュエーションにいないからこうやって言えるんだと思うんだけれども、
本当に悲しみの絶望の中に悲しみの渦の中にいたら、そんなことを自分で自分で思うことはできないかもしれないけど言ってあげることはできるかなと思って、
ねえねえとか言って思ったことをそのまま言ったのね。そしたらなんか表情がパーって明るくなったりとかして、
あ、なんか良かったなと思ったわけよ。少しでも助けになるというか。
だし、なんかそもそも英語が理解できて良かったなと思って。やっぱりちょっと早口だったりとか、さっき言ったように難しい言い回しをされたりとかするともう全然わからないんだけれども、
え、どういうこと?みたいな。でもそれもさ、なんかこうやっぱり聞いたりとかしてニュアンスを伝えてくれたりとかしてくれるわけよね。優しいよねみんなね。
だからそうやってなんかサポートがあってコミュニケーションもできるし、なんかこうみんながね、なんかこう相談してくるんだよ。相談してくれてね、あれはどういうことなの?一体何なの?みたいな感じで、
あれはさ、どういうこと?みたいな感じで、その人がいなくなったら、なんかこそこそってやってきて、ねえねえねえどう思う?みたいな感じでなんか言ってきたりとかしてて。
で、私はなんかやっぱりそういう時になんか冷静な時が多いよね。もちろん感情的に1週間くらい前、1週間も経ってない時にちょっと感情的になったんだよね。
で、なんか仕事がいっぱい埋まってきちゃって、どういうこと?みたいな感じになって、ちょっとなんかこうアシュラムのシステム的なところに物申したくて、なんかこう爆発したことはあったんだけれども、それ以外は割と平常心なのね。
なんか穏やかに過ごせてるわけよ。だからなんか人がミーってなった時とか、ムキーってなったりとか、なんかこうシューンってなっちゃったりとかしてる時に、
あとなんか疑問?みたいなのを、なんかこう投げかけてくれる存在に慣れてるんだと思ったらちょっと嬉しくって。
で、あの人がどうのこうの?この人がどうのこうの?っていうね、話ではあったんだけれども、でもやっぱりこう気分がさ、優れない時って誰でもあるし、感情的になっちゃうってね、あるから、
そういうのが一瞬のことだし、なんかね、また特定の人にこうミーミー言ってるギギ言ってるわけじゃないよ、みたいな話をしたりとかして、
なんかこう落ち着かせるというか、穏やかにするみたいな、なんか一言言ったらなんか穏やかになるみたいな、ハウスみたいな感じ?犬で言うとなんかハウスって言ったら戻ってくるみたいな感じの、
で、もちろんハウスなんて命令もしてないし、ただ聞いてるだけなんだけれども、なんかこう、あれ?なんか最近そういうの多いなみたいな感じでもあります。
だからなんかちょっと嬉しいというか、でもこれもこれもこれもどれもそれも英語ができるからこそ、なんかこうちょっと話してもらえたりとか、
してる、してくれてるっていう認識なのかなーと思っています。
ね、全然わかんない。イエス、ノーとかしか言わない人にさ、あ、ね、なんかさ、うちのお母さんがさ、みたいな話をさ、なんかこう、よもやま話というか、身の上相談みたいなことを、たぶんしてこないし、私もしないし、
だけどやっぱりなんかこうちょっとこう、なんていうのかな?
ね、聞いてよっていう相手になるというか、なんか相談を受けられる人になってきてんじゃらんのこれ?と思って、ちょっとびっくりしております。
で、悪い気はしないし、なんか、うーん、自分もいろんな人に助けてもらえたから、ね、そういうふうに考える必要ないんじゃないの?みたいな感じでバサッと言われたりとか、
あ、確かに、みたいな、やめっぴ、みたいな感じで、なんかね、やっぱりあいつが悪いんだってなったらさ、あいつは嫌いだみたいな話になったら、どんどんどんどん悪いストーリーを組み立てていくじゃない?
頭の中で、想像だけどね、みたいな話になってきて、事実じゃないことまで、なんかあれもこれもそれもどれも手くっつけて、どんどん生きだるまみたいに大きくして、
だから私はあの人は嫌いなんだみたいな、なんかそういう武装をするみたいな感じになっちゃうことがあったし、
でもそれも聞いてもらったからリリースできたりとかね、する時もあるし、なんか全然違う話というか、全然違う例えというか、全然違う教えをハッとさせられることを言われたり、言ってもらえたりとかしてたから、
なんかこう、ちょっとは恩返しがね、その人にではないかもしれないけど、違う形で、違う循環としてできてるんじゃないのか?できてきてるんじゃないのかな?なんて思ったらちょっと嬉しくってさ、
全部日本語じゃないから、英語だからタドタドしいというか、なんか変な文法だったりとかすることも多いと思うんだよね、
感情のままに私もこう言いたくなって言うけど、整理がついてないっていうみたいな感じになってるから、
日本語でもだいたいそうだと思うし、興奮してるとさ、ちょっとなんか何言ってるかわかんないけど楽しそうだからまあいいやみたいな感じにされるみたいなことも多くあるから、
ね、だけどなんかこう周りに助けられてるし、少しは助けることもできてるんじゃないのかな?と思ったら嬉しいなぁと思います。
そして今日なんかあの他のね人が、ねえねえねえねえみたいな感じでこうなんかこうシリアスな顔してやってきて、何何?とか言ってて聞いてたら、
なんかやっぱりね、なんかアシュラムで働いてるから、いろんな人と性格をさ、断片断片がいっぱい重なって、あれ?こういう人なのかな?みたいな感じのこともあるわけよね。
ね、やっぱりさっきも言ったように一瞬、「もう!」とか言って、「みぃ!」とか言ってなることもあるから、
でもそれが全部じゃないのもみんな知ってるし、自分もそうだしってなるから、「うん、そういう時あるよね。」って終わるんだけど、
でもなんかその様子が引きずってるとさ、どういうこと?みたいな感じになるわけじゃん?
で、そういう話をなんかこうもらってきたりとかすると、
今日ね話しててね、すごい面白かったのが、なんかあの人がこうだ、この人がこうだって、だからダメだみたいな、なんかめんどくさいみたいな、
なんていうの?スペースが必要だみたいな、距離、距離を取らないとうまくやっていけないみたいな、
でもそういうのを言いまくってたとしたら、誰が問題を持ってるのかって言ったら、
誰が問題を持ってると思う?とか言ってて、なんかこうぽろって言ってきたんだよね。
そしたらさ、もう私はもう絶対その人って言って、その彼を呼びさしたんだよ。
でも彼も自分のことを呼びさしてて、なんか彼も自分で気づいてたわけよ。
あの人はこうだ、あの人はこうだ、あの人はこうだ、問題だ、みたいな感じで、
いろいろこうね、やっぱり自分で会わないことって多々あるし、全部が全員みーんな会うわけないんだから、
あれだけれども、ほらなんかこう、銃箱の隅続いてじゃないけれども、
なんか窓の差しに手をピーって、指をピーってやってホコリチェックみたいな。
探そうと思う?いくらでも探せちゃうわけじゃん。
だからなんかそういうのを、問題だ、問題だ、問題だ、問題だって言ってると、
なんか誰が一番問題なのかって言ったらね、とか言ってて、あんただよって言って、自分だよって言って。
なんか面白いなと思って。
なんかそれにさ、自分で自分で気づくっていうのが、一番大事なことだから、
もちろんね、誰かに言われてはーっとさせられることもあるだろうけれども、
なんか結局自分なんだよね、この問題ってね、みたいな感じで、
こうちょっと分かったような、まだちょっと歯が良いというか苦い、苦いのをつかみつぶしたみたいな感じなんだろうなーと思いながら、
あるあるとか言ってさ、こう丸くね、丸くというか、優しく包み込むじゃないけれども、
なんかあるよねっていう感じの、需要する形で話をしたりとか言っても、
なんか最高に面白いなーと思ったわけですよ。
最高に面白いなっていうか、なんかそのやりとりが英語でできるっていうのが成長したなーと思うし、
なんかそういう人からの相談みたいなのをちょっとこう受けたりとかするっていうのも、
新しいフェーズだなーと思っております。
しかもなんか日本語でじゃないから、英語だから、
ね、やっぱりこう相当のことがない限り私には喋らないと思うんだよね。
あーでこうでそうでって、なんかわーって言いたい時に私は使われないと思うんだよ。
だって分かんないのも、早く言われたとしても多分こいつ分かってないだろうなーみたいな、やっぱり人を選ぶじゃない?
この人は話を聞いてくれるとか、この人は同意してくれるとかっていうのは、
やっぱりみんな選んで喋ってると思うんだよね。
まああとは自分で解決する人も多いかもしれないけど。
でもなんかそれのうちの一人になれたってすごくない?と思って。
で多分私自身が割と落ち着いてるというか穏やかでいられるから、
そういうのも需要できるというか。
私の話じゃないからさ、そういうわーっていう話を聞いたとしても、
なんかうんつってOKってなるわけよね。
なんかそれはそれ、私は私みたいな、なんかこう跳ね返すわけじゃないんだけれどもね。
なんかそういう柔軟性というか包容できる柔軟性みたいなのが、
あれ?あるじゃない?みたいな感じでちょっと思っております。
そしてね、今日の朝が多分だけども最後のヨガクラスを教えることになってて、
日曜日で去るので、そして今日は金曜日です。
そうね、あと1日しかないんです。
8月21日金曜日でございます。
2026年ですね。
なのでなんかこうスケジュールを目いっぱい詰め込められて、
詰め込めさせられてるんだよね。
朝も昼も夜も働いてるみたいな感じで。
でもなんかこう充実してはいるのね。
なんかこう無理やりやってるわけでもないから。
で、今日の朝のヨガクラス8人?9人ぐらいなのかな?
数えてないけど割となんか朝のクラスだからみんな撮るっていうのもあるし、
ゲストもみんなフル参加してたし、スタッフも来てくれてて、
なんかこう最後のクラスだからできる限り自分がやりたいことを全部やろうみたいな。
ただ私はなんかやっぱりこの自分でプラクティスをずっと撮ってた人じゃないっていうのも一個あるし、
なんかバリエーションがすごい少ないんだよね。
っていうのを自覚してるの今回初めてわかったというか。
なんかあれもやりたいこれもやりたいってなるけど説明がうまくいかないみたいな。
なんか経験がないからなんだよね。
あのポーズは説明されたらガイド付きだったら私はできるけれども、
私がガイドするって言ったらえ?みたいな。
どうしようどうしようみたいな感じになるから、
ちょっと自分はそこはステップアップしていかなきゃいけないなというのは一つ課題としてはあるんだけれども、