ほとんどの人は初めましてになりますが、ハガ・マモルと申します。
SNSの方ですとだいたいキングという名前で活動しております。よろしくお願い致します。
はい、よろしくお願いします。
早速、自己紹介いただいてというところですが、ずっと気になってたんですけど、キングというのはなぜキングと、そのゆえんは何ですか?
あー、それいきなりNG質問来ちゃいました。
いきなりNGですか?
冗談であるんですけど、ほとんど自分であんまり覚えていないというのが正直なところで、
覚えているのが、僕とピッキーって12、3歳くらい離れているのかな、ひと回り。僕43歳なんですけど。
はい、僕31の年です。猪瀬修座氏です。
相当人の話を同じのしぶつで、もしかしたら世代的に伝わらないかもしれないですけど、
小学校とか中学校1年生くらいまでで、クラスの中でなんとかランキングみたいなのって作っていましたか?
はい、ありましたよ。
足の速そうな人とか、いいお父さんになりそうな人とか。
そうそう、結婚早そうなランキングとかそういう、あります。
小学校の卒業の時に、今までの歴代のランキング全部ガッチュンって集めたのをクラスで作ってですね、
確かそれで僕が7巻くらいを達成して、
何で?
もうね、あんまり覚えてないんですよ。
足の速い1位は僕いたと思います。
足の速い人1位。
でもね、他の6人くらいも全然覚えてなくて、
とりあえず何個くらいキングを達成して、
そしたら、守るお前キングじゃん、お前キングだなってなって、
そしたらなんか、最初は足が速いから足速キングとか、
言われ続けたのが最終的にもうみんなめんどくさくなって、キングだけでいいやって。
地区の小学校から地区の中学校に行ったんで、
基本的にもうメンバー同じじゃん。
だからもうその流れで、もう何とかキング、何とかキングからもうキング、キング、キングってなって、
それで中学校の時にそのままキングで3年間過ごして、
後は全然複製ではない私立の高校に行ったんですけど、
自己紹介の時に、今のように秦守と言います、
あだ名キングと言います、好きなようにお呼びくださいって自己紹介すると、
もうみんなキングから始まるんです。
好きなようにって言いつつみたいな。
ライアップ法も同じような感じで自己紹介したら、
9割ぐらいキングって呼ぶようになって、
社会人になってもランニングサークルとか、
なんかいろんな集いの場とかに行って、
同じように自己紹介すると、9割ぐらいの人がキングって呼ぶ。
逆にキングって呼ばない人たちもいるんですか、1割ぐらい。
もちろんいます、います。
普通に下の名前で呼び捨て守るって呼ぶ人もいたら、
女性は結構キングって呼ぶ人もいるけども、
やっぱり秦くんとか秦さんって呼ぶ。
やろう友達で仲良くなる人は大体キングって呼びます。
なるほど。最初はタイトル7巻っていうところからの、
その後は自己紹介で自称するようになったと。
そうですね。
まあ、やっぱりあだ名があった方がすぐ打ち解けるかなっていうのは、
なんかやっぱりこの小学生の時から、
なんかやっぱり直感としてあるので、
すぐ相手とお近づきになりたいっていう場合の、
僕もそうですし、向こうの方もやっぱり、
新しい新天地に来たらすぐ友達つくりたいっていうのがあると、
あだ名があった方がすぐ覚えてもらえますし、
より安くなるので、
なるべくあだ名はすぐキングっていう名前で、
どうぞ呼んでくださいって言うんですよ。
ありがとうございます。最初に謎が解けました。
年齢は今年で43歳で、私たちイノシシ年だと。
イノシシ先輩よろしくお願いしますという感じですね。
どこら辺をメインにまずは走ってたんですか?
そうですね、小学校の時にはできる競技は限られてますので、
1000mと、あとはディレイもレギュラーではなかったですけども、
100m×4のディレイと補欠もやってたっていうぐらいで、
そこは実際に回数と成績とか上げられなかったんですけども、
中学校だってから1500mとか800mとか3000mとか競技の幅が増えた。
中学校の時にはそういった競技を中心にやってましたね。
それで、市の大会とか県の大会でしたら優勝できるよぐらいのところまで行って、
そこまで行くと、ちょっとまだ歯が断たないねみたいなぐらいのところまでは行けてました。
ちなみに冒頭のキングのエピソードに戻るんですけど、
10歳ぐらいまであんまり動けなかった中で、
学校のクラスのランキングで、足早いランキングで1位になってたっていうのは、
もうなんか足は天性で早かったって感じじゃないですか。
らしいんですよね。
もともとうちの父親も母親も結構スポーツはできるっていう。
姉と兄がいるんですけど、姉と兄もスポーツできる人なんですよ。
天性的に運動はできる方だったと思うんです。
体が弱く生まれちゃったっていうだけ。
いや、そうなんですね。
で、中学で、地区では敵なしというか優勝しちゃうみたいな。
でも県ではまだちょっと歯が断たず。
県では入賞がギリギリぐらいで。
いやいや、歯が断たないのはデレビューじゃないです。
いや、すごいですね。
で、そんな。
ちなみに、そのときの記録とかって覚えてますか?
中学生のときのご自身。
その記録は、中心だったのが1500mなんですけど、
1500mが4分の50秒とかで走ってましたね、中学3年で。
4分の45秒でしたね。
3000mとか。
3000mはまだそこまで本気でできていなかったので、
全然、速い人は9分前半とかだったんですけど、
僕は9分の50とか。
確かにここですね、10分切りがギリギリだったかなっていうのを覚えてます。
なるほどなるほど。
そんな中で、高校も。
高校も陸上部で3年間。
陸上で進学したってわけではないんですか?
陸上で進学ではないですね。
通常受験で入学して、陸上部に入ったっていう感じですね。
あれ、なんか結構強い陸上部だっておっしゃってなかったんですか?
そうですね、名前だけはもう、
某一流のポーツ校でございまして、
知ってますか?仙台育英学園っていう。
あらゆるスポーツのファンの知ってると思います。
特に野球と駅伝が好きな人だったらなおから。
そんなところに一般入試で入学を果たして、
部活、陸上部に入ったっていうのは、
セレクションとかそういうのがあったりはしないんですか?
セレクションはもちろん仙台育英はあるんですけども、
もうボーダーが高すぎるんですよね。
おそらく聞いていただいた3000mでしたら、
まず9分前半じゃないと話にならないところはあると思うんですね。
1500mも4分の15秒とか、
それじゃないと走りの棒にもかからないっていう感じですね。
もともとずっと僕はただ走るのが好きっていうのが根っこにあるだけで、
トーク時はそこまで競技志向って高くなくてですね。
中学校の時も別に監督が練習ミニ作ってくれるとかそういうのもいっぱいなくてですね。
全部自分でただ好きなように走って、好きなようにトレーニング。
それで一応大会は出て、それで結果はなぜか出たよねっていう。
でも結局自分は好きだと言ってるだけだから、
あんまり別に気にしない。結果のいいものはあんまり気にしないよっていう感じでやってて。
で、仙台育英に入ったのも、
絶対に陸上がやりすぎから仙台育英に入ったわけじゃなくて、
マジきっと僕の母親が入らせていただいたっていう感じなんですね。
で、やっぱり入ったならば、せっかくだから部活やっぱり陸上部だよねっていう、
結構それぐらいの軽い気持ちなんですよ。
高校生活3年間はどうでした?
高校生活3年間はもうある意味、
僕のランニング歴の中では一番普通な3年間だったかもしれないですね。
なので練習ミニがあるんですよ。
さっきお話ししたよ、部活の時は練習ミニとかなくて自由に走ってOKっていう。
監督も終わって、もう走るのが好きなんで好きなだけ走って、
好きなように走ってっていう仲だったんですけど、
やっぱりそれがもう仙台育英になるともう科学トレーニングですから。
月曜日から土日を含めて、まず練習メニューっていうのがしっかり決まっていってですね。
やっぱりそれをこなさないと、やっぱり指導とか怒られるっていうまででは行かないんですけど、
基本的にはもう監督とか先輩から見放される感じにやっぱり終わってしまうんですね。
やっぱりせっかく部活に入ったからには、
投議志向の高い部活ではあれども、やっぱりみんなとコミュニケーションいい状態でやっぱり続けたいじゃないですか。
でもやっぱりメニューはこなさないといけない。監督とか先輩の言うことに従わないといけないっていうところの、
やっぱりこの自分の中での技術廃範というか。
この状態で3年間続けるのはきつかったですし、
で、やっぱり僕はセレクション組でもなんでもないし、
別に高校でもそんなに記録を伸ばすためにやってるわけでもない中で、
やっぱりやってる人たちはもう一御先生ばっかりになって、
だから記録もやっぱりドベの方だったから、やっぱりなかなか辛い3年間だったかもしれないですね、自分と。
そうなんですね。
そんな3年間を経て走ることは嫌いにならず、大学に行っても続けたってことですか?
これが3年生のインターハイが終わった後ぐらいの時点で、9月ぐらいに膝をちょっと大きめに怪我をしてしまって、
十字陣体を損傷してしまって。
なので基本的には十字陣体を損傷してしまったら、しばらく走ることができなくなるので、
大学に入った大学に入学して、走れないので陸上からは一旦足を洗って、それで4年間は過ごしたっていう感じですね。
ちなみに今さらっとインターハイって言葉が出てきましたけど、
苦痛だった高校3年間は競技としての実績はどんな感じだったんですか?
これはですね、中長距離の方ではもちろんレギュラーになることはできずで、
一応ちゃんと部活の中ではチームを盛り上げるであったり、ちゃんと後輩を指導するとか、
そういったところにはちゃんと従事していたつもりだったので、
コミュニケーションとしては悪くなかったので、
コモンの先生とかからご診言いただいて、
全国大会に行っている可能性は結構低いけども、
中長距離じゃなくて複合競技、高校だと流し競技っていうものがあるので、
ちょっとそれやってみた方がいいんじゃないのって言ったのを3年生になったぐらいのタイミングで、
コモンの方からご診言いただいて、
もともと全般的に身体能力高いっていうのと、
あとは中学校時代にも一応中長距離メインとしながらも、
選手が足りないからっていう理由で、
中学にも複合競技って一応あったでしょ?
複合競技出たこともあった。
それも県大選まで行って優勝まで知ってしまったりしたんで、
それの実績を感覚化してたんで、複合競技やってみたらいいんじゃない?みたいな。
っていうことを軽く言われてやってみたら、
そこそこいい成績出たんですね。
もちろん全国の例で相手にしたらもう全然歯が立たないっていうところでしたけど、
でも準備期間約半年ぐらいの割には、
自分的にはいい成績も出たし、納得できる競技生活だったかなっていうところ。
で、全国大会に出たってことですよね、その7種競技。
出られはしなかったんですよね。
あ、そうなんですね。
出られはしなかったんですけど、ただ県大会のいいところまでは行けたんです。
なるほど。
で、足を怪我してしまって、大学時代は特に走らずと、
乱暴の中で3年間、あ、4年間ですかね、ブランクがあるっていうのが大学になるってことなんです。
ちなみに大学生活はどんなことしてたんですか?
大学生活はサークルで言うと、全然体育会系でも運動サークルでもなくて、
イベント企画と運営するサークルっていうのをやってたりしましたね、ずっと。
だからもう全然陸上とかとは関係ないところですね。
本当に学園祭であったり、あとは学校の周りにある卒業施設であったり、
ショッピング施設であったり、そういったところの舞台とかを借りてイベントをやるとか、
そういったのをやるサークルでしたね。
運動ができないから、せっかくだから今まで自分の全然やってなかった文化系っていったところに手を出して。
そこでちょっと友達もたくさん作れるかもしれないし、新しい可能性見つかるかもしれないからちょっとやってみようっていう、
結構軽い感覚です。
で、やってみたら4年間続けたと。
4年間なんだかんだ言って続けましたね。
やっぱり大学は結構、陸上、高校3年生の時にお休みするっていうのは確定したときに、
最初は大学もなるべく陸上が強いところに行こうかなって思ったんですね。
箱根自衛隊とかそういうのではなくて、陸上の強いところで色々と学びながら走りたいっていうのがあったんで、
最初は陸上が強いところで色々考えたんですけど、それがなくなったんで、走れないってなったんで、
じゃあ本当に純粋に自分の学業としてやってみたいところに便振りして大学を選びしてみようっていうところで、
陸上は全然弱いというか、別に実績は出してもないですし、箱根自衛隊にも出たことないような、そういう大学を選びました。
大学で興味を持って学んだっていうのは、どういう系を学ばれたんですか?
一番はメディア系ですね。今でいうとコンピューターとかそういったものがメインになるかなって思いますけども、
でもSNSとかそういったのも全部メディア。
言ってしまったら漫画とか新聞とかはメディアです。
そういったものを中心に勉強しましたね。
で、大学を卒業されて、もう一回走り出すってことだと思うんですけど、
ご自身の生活としてはどういう、会社に就職してとかどういう感じになったんですかね?
これは僕、大学が4年で卒業した後に、その後、修士に行ったんですよ。
そうなんですね。
同じ大学の修士に行って、そこからさらに同じくメディアとか掘りとして、
そこからSNSに関する研究として大学院に残ったっていう感じですね。
そこからランニングがまた再開したんですね、ちょうど。
きっかけは何ですか?
きっかけはやっぱり東京マラソンですね。
東京マラソン第1回目がその辺りで開催されたんですよ。
それって何年ですか?2000?
確か2007年、8年とかその辺りだと思うんですよ。
で、あれが東京マラソンやりますっていうところで、CMとかでランナー募集してたんですよ。
なので、東京でマラソンやるんだって、面白そうって思って。
それで第1回目の東京マラソンを応募したら受かったんですよね。
第1回目って今ほど倍率そんなに高くなかったようで、それでも5、6倍ぐらいあったようで。
まあね、陸地だったけど、車と41時。
未知の競技だから、俺は久しぶりに練習しないといけないなって思って。
でも14時に帰って、損傷したり断裂したりしてしまうと、治った後も基本的にはずっと痛いんですよ。
そうなんですね。
まあ正直、ちょっと出来分痛さでもあるんですけど、スピードだとなければこんなに疼く程度。
だからバックヤードのペースってすごいちょうどいいんです。
で、そのフルマラソン、今調べたら東京マラソン第1回は2007年の2月18日ってことだったんですけど、
その初マラソンはどうでした?ご自身の感想とかあとはタイムとか。
初マラソンはDNFでございます。
えー、何があったんですか?
純粋に本当に35キロの壁でした。
やっぱり今までの感覚で、ハークマラソンぐらいまでは全然普通に走れると。
ハークマラソンよりちょい遅いぐらいのペースで行けばいいんでしょうぐらいの感じで走ったんですよ。
そしたら30キロ過ぎから、もう途端に足が全然動かなくなって、
35キロ地点で本当に足動かなくなって、もう四つ動きになって本当に小鹿のようになって。
もう無理です。だから僕の初マラソンは初DNFだった。
そうなんですね。
じゃあ、ほろ苦いデビューって感じなんですかね。もういいやってならなかったんですか?
ならなかったですね。もう悔しくて悔しくてしょうがなくて。
だからもちろん次の年も東京マラソン応募したんですけど、そっからは10年連続以上で落ちまくったので。
まあ、もちろん違うマラソン大会でもエントリーして、
とりあえずフルマラソンをまずは完走するぞっていうところを目標に再度、
もうほぼほぼ毎日のように走り始める人生がそこから再スタートした感じです。
もう走るの大好きっていうその感覚とか日々が戻ってきたんですね。
そうですね。やっぱり走るのは楽しいなって毎日走ってても全然飽きないなっていうところで。
大学院も忙しかったんですけども、本当に研究片手間にやっぱり走りまくってました。
具体的にどれくらいの距離走ってたかとか覚えてますか?
あの時は大体その東京マラソンがダメだった時のその翌月、4月あたりから大体、
最初は月間200キロぐらいから始まって、
結構フォンスタントで月間300キロ走るようになってました。
なんかあの住んでたところから学校まで片道5キロだったんで、
なんか往復走ればそれで10キロだなっていう感じで。
ランニング通学、終わって入っちゃったんですけど、
その第2回っておっしゃってましたよね?2回目のフルマラソン。
つくばマラソンでした。
つくばマラソン。
つくばマラソンはもう人気があって記録が出て走りやすいと、
もういろんな当時の情報をかき集めて。
毎日10キロ走るようになった、その成果はどうだったんですか?
いやー、確か3時間のサブ3.5は切れたんですけど、3時間19分くらいだった。
3時間19分くらいで完走でした。
ご自身的には手応えあった?
嬉しかった、本当に。
フルマラソン、初めて完走するとみんな感動するってよくおっしゃってますけど、
本当にすごく感動しました。
やっぱり30キロ過ぎて35キロ過ぎてってなると本当にどんどん足動かなくなっていくんですよ。
でも東京マラソンみたいなことは嫌だって。
やっぱり強く決意して。
前半ハーフ1時間20分くらいで通過してたんですよ、その時も。
だいぶ早いですね。
そうなんですよ。やっぱりそこは元取った金塚というか、昔取った金塚です。
それで1時間20分くらい通過したんですけど、30分からはもう5分30秒くらい慣れ始めて、
最後はキロ6分台でゴールに流れ込むみたいな感じで。
最後はもうどんどんどんどん行かれましたね。
それでもやっぱり3時間19分で初めてゴールしたフルマラソンは格別でしたね。
そっからもう本当にどっぷりフルマラソンにハマるって感じですか?
そうですね、そっから約10年間はフルにどっぷりって感じですね。
その期間はどれくらいの頻度で出てたのかと。
タイムはどうなってたかっていうのも聞いていいですか?
そうですね、大体やっぱりマラソンシーズンになると10月から3月の間には、
まあ月1回やっぱり満かフルマラソンか半カット入れてた気がします。
タイムはどうなってきました?
タイムは、一番の最速タイムが、人生で一番のフルマラソンの最速タイムが2時間46分30秒。
それがいつですか?
それが僕が30か31歳ぐらいの時の、これも確かに筑波だったような気がします。
じゃあ12年前。
そうですね、もう12年ぐらい前ですね。
で、その10年ぐらいフルマラソン時代があったとおっしゃってましたけど、
そこからちょっとシフトしていくんですか?
そうですね、そこからは自分の兄が競技士校ではないですけどファンランナーで、
結構いろんなマラソン大会を走ってるんですね。
で、うちの兄は本当にフルマラソン5時間半とか6時間ジャスト、このぐらいで走る人なんですけど、
でも僕より先にウルトラマラソンやり始めてたんです。
60キロとか75キロとかっていうのをやってて、
いやウルトラ面白いよ、お前も来いよみたいな。
こんなフルマラソンが遅いからそっちの世界に行ってるだけじゃないのって最初すごい軽く見てた。
だいぶ舐めてますね。
すごく頑張ってます、本当に。
少々もうね、サブ3とかサブ3.5とかできないからみんな処理長い方に行っちゃうんでしょみたいな。
そんな感じだったんですけど、
でもやっぱり兄弟として、
やっぱり兄にそこまで言われたんだから、
じゃあ自分もウルトラ1回ぐらい行ってみようかってところで、
サロマカウルトラマラソン。
おお、サロマカ。
サロマカウルトラマラソン行ったんですね。
2016か2017か。
9年近く前に行ったんですよ。
サロマカウルトラマラソン制限時間13時間なんですよ。
結構厳しかったです。
で、12時間55分で完走しました。
おお、だいぶ満喫しましたね。
暗かったです。
今でも思い出します。
もう60キロ超えたあたりからのこの絶望感が。
はいはい。
もうそれこそ前半は結構飛ばしてたんですか?
結果飛ばしたってことなんでしょうね。
自分的にはさっきのフルマラソンで東京マラソンでDNFしたときと同じように、
マラソンはハークマラソンより遅いペースで走ればいいでしょみたいな。
今度はそのノリでフルマラソンより遅いペースで走ればいいでしょって思って。
それで、やっぱり昨日4分をフルマラソンで走るじゃないですか。
1時間50分。
だから昨日4分30秒とか40秒くらい走り続けてればいいでしょって。
行き続けたら60キロ足動かなくなって。
いやでも絶対完走したいっていう。
本当にもう東京マラソン的な思いは嫌だって思って。
それで本当にもう足引きずるような感じになりながら前半の貯金をフルで使い尽くして。
それで12時間55分で完走しましたけど。
いやフルマラソン完走した時よりも嬉しかったですね。
ほろりと涙が出るぐらいに。
こう舐めてたっておっしゃってたじゃないですか。
その見方は変わりました?
まあ本当に誠に申し訳ございませんでしたっていう感じですね。
黙ってすいませんっていう感じ。
こんな魅力的な世界がランニングワールドにあるのかっていうのを改めて知って。
そこからはもうどっそりとウルトラマラソンって感じです。
どんどん距離を伸ばしていったんですか?
それとも100キロマラソンを出るような感じになっていったんですか?
最初は100キロ出る感じでしたね。
最初の3、4年ぐらいですね。
だからその後も2回目出たり、
あとはシマントガウルトラマラソンとか、
あとは沖縄100キロとか。
だからとりあえず100キロマラソンで出れそうなものはとりあえず出てみようかなっていうところで、
3、4年ぐらいはいろんな100キロマラソン出て。
勝手に伸びていったって感じで、
やっぱり何か僕の原点に戻れるマラソン大会っていう感じでしたね。
ずっと100キロずっと楽しんで走っていいんだよって。
それがだいたいコロナ禍前までぐらいですね。
そこからもう100キロよりさらに先の世界を走るようになったのはいつぐらいの話ですか?
それはまさにコロナ禍のときで、
コロナ禍のときに大会が結構なくなったじゃないですか、
フルもウルトラも。
だから結構大会欠乏してたんですよね、自分の中で。
頭がいっぱい帰りたい、でも大会がない、大会がないってなってたら、
富士36、富士北六か、富士北六24時間マラソン。
ありましたね。
あれはやっぱり人数が少なくて、密が防げるっていう理由で、
開放に踏み切ったんですよ。
リレーマラソンと同時開催なんですよね、あれって。
なので、これちょっと面白そうだなって思って、
ソロ出てみようかなって思って、
これ本当に景色が絶対同じなのは間違いないんだけど、
でも24時間で走り放題っぽいなってことだよねって。
これって自分にすごい向いてるんじゃないかなって思って、
それで出たのが初めての100キロ以上のレース。
初めての100キロ以上が24時間走だったと。
初めての100キロは24時間走だった。
地球に乗ったらガスマイルに行ったり、
ヤーニーランに行ってるでしょうが、24時間行っちゃいます。
どうだったんですか?
これが準優勝してしまいます。
おお、いきなり。
いきなり準優勝してしまいましたね。
人数そんなに多くなかったので、25人ぐらい。
今、たまにエントリーリスト、
そういえばあの時の20時間レースで
エントリーリストどんな感じだったのかなと思って調べたりすると、
別にそこまで骨太なメンバーリストでもなかったんで、
でも初めて社会人になってから出た大会で、
入賞するっていうのを味わったので、
ずっと楽しかったんです。
みんな眠くなるって言うんじゃないですか。
ずっと楽しくて全然眠くなかったんですよ。
ハイだったんですね、ある意味。
だからそれもやっぱり優勝に、
準優勝に起因したのかもしれない。
だって今まではフルマラソンにしろ100キロマラソンにしろ、
最初はほろ苦い洗礼で始まるっていう。
そうですね。
DLSLか、ポジカのようにゴールするかのどっちかだった。
それとはある意味逆の展開というか、
楽しくて楽しくて気づいたら準優勝してたっていう。
そうなんですよ。
終わった後まだ走れるって思っちゃいました。
何キロ走ってたんですか?
その時はですね、大体165キロぐらい。
全然今となってはまだまだだけど。
でも準優勝とかしちゃうと、
自分向いてるって思いますよね。
思いましたね、本当に。
記録もそうだし、何よりも走っててずっと楽しくて、
景色は同じだけど全然飽きないなっていうところで、
自分ってこっちの人なのかなって思っちゃったんですよね。
そうなんですね。
もうじゃあそこからどっぷり24時間ワールドに入っていくんですか?
20時間走ワールドに突入してしまって、
そこからは24時間レースに何回か出て、
特に神戸の24時間レースとか、
あとは笠井臨海公園である24時間走とか。
ありますね。
いずれも8位以内は入賞っていう扱いになるんですけど、
両方とも入賞いいやなって。
でも入賞までだったんですね。
7位と6位だったかな、両方とも。
その次のレースでいよいよ各変が起こりました。
私の言わずところ、クリント・イースポート以外で
唯一と言っていいくらい自慢できる結果がようやくできたんです。
はい、聞いていいですか?
弘前48時間走、第1回目の大会。
これは2022年ですね。
2022年に第1回目の24時間走と48時間走の両方とも
IAEUを将来公認に目指すための大会。
日本の公認は得ている唯一の大会として開催されたんですよね。
スポーツエイドジャパンさんと。
それの48時間走、第1回目に私がエントリーして
優勝いたしました。
チャンピオン。
第1回目のチャンピオンになることができました。
すごい。
その時の記録は?
その時の記録は321キロですね。
ちょうど本当にちょうど200マイル達成という感じです。
本当ご自身の中でも最新のレースだったんですか?
最新のレースでもありましたし、本当に楽しかったですね。
48時間、48時間のレースで
48時間の中で1時間半ぐらいは一回寝ましたけど
48時間ずっと楽しかったですね。
それがやっぱり何より。
そうなんですね。
で、それが2022年っておっしゃってましたけど
そっからバックヤードとの出会いはいつなんですか?
そこの弘前が言うてしまったらバックヤードとの出会いでもあったんですよ。
48時間走に吉田さんが出られたんですよね。
日本のバックヤードの父と言っても
普及の父でしたね。バックヤード普及の父。
吉田さんが48時間走に出ていて
時期走って結構同じペースで走っているときって
結構会話を交わしたりするじゃないですか。
いろんな人と同じペースのときに会話しながら走っていて
吉田さんも初めまして。原田と言います。
初めまして。吉田と言います。
同じペースで走っている。
どんな風な感じで走っているの?みたいなことを吉田さんから聞かれて
僕実は48時間走も初めてですし
ジャーニーランクは僕まだしたことないですよ。
そうなの?みたいな。
そういう話をしているときに
でもなんか24時間走も48時間走も
僕60分とかぐらいちゃんと走って
5分とか10分ぐらい休み入れる走り方が
正に合っている感じがしているんですよねっていう話をしたら
吉田さんがバックヤードだろうって。
僕ちょっとんとしてバックヤード?裏庭?
なんすかって。
知らないんだみたいな。
バックヤードウィルティアっていう脅威が実はあって
今言ったハガ君向きの競技だと思うから
48時間走終わったら調べてみるといいよって言われて
分かりましたって思って競技終わって
最初はずっと競技の疲れもあったんで忘れたんだけど
なんかふとした瞬間に
例えばなんか吉田さんがバックヤードっていう競技の名前を知ったけど
なんだろうなと思って検索したら
出てきたのがバックヤードウルトララストサムライスタンディング
出会ってしまったと。
出会ってしまう。そこで
これは自分向きの競技だと。
で、出ることにしたのが
2022年の
2022年ですね。
どの大会ですか?
2022年の最初に一発目出たのはね
確か北海道の方が最初だったような気がするんですよ。
そっちに行くんですね。いきなり。
その後に高尾出たり福島出たり
なんか順番があんまり
一番最初は北海道だったと思う。
なんでそれは北海道を選んだんですか?
北海道はやっぱり
平坦でオールロードだったからっていうところと
あと自分暑いのと寒いのだったので寒い方が得意になった。
どうだったんですか?
初のバックヤードの洗礼にやられました。
そのなんか1時間走って休むのが得意と思ってて
挑んだのでさえ
あまりこううまくいかず。
今の
言語化は難しいんですけど
でも今の僕がその走り方、バックヤードへの挑み方を見たら
いや多分洗礼ダメだねっていうようなそういう走り方とか
もし良くなった気がします。
はいはい。
できる限り行こうか。
いいですよ。北海道大会。
優勝者が桜庭さんです。
さっきお話聞きました。
2022年初の北海道のバックヤード
初代チャンピオン桜庭さん。
桜庭さんです。
そこでも桜庭さんとその時が初めましてですか?
えっとですね、ちょっとニアミスだったんですよ。
広崎の48時間走出てる時に
24時間走に桜庭さん出てるんですよ。
それも一言と言葉交わしてはいたんですよね。
終わった後に僕が48時間の投票台に出て
桜庭さんが24時間の投票台に出るじゃないですか。
その時にもお互いの激闘を称え合うみたいな話をしていて
北海道の会場に行ったら
事前にエントリーリストで桜庭さんの名前があったので分かっていたんですけど
そこで桜庭さんを見つけて
久しぶりです。
桜庭さんとのご縁はもうそこからですね。
今やご近所さんですもんね。
ご近所さんになっちゃいました。なぜか知らない。
でもご近所だけど一緒に打ち合わせして走ったりはしないわけですもんね。
そうですね。これはお互いそうなんだと思いますね。
僕もそうですし桜庭さんもそうですし
結構自分のペースで自分の方で
気勝手に決めたコースを好き気ままに走りたいっていう
なんかそんな風でした。さっきもお話聞いてた。
結構集合練習とかも僕あんまり
向いてないというかしない方なので。
そんな風に2022年は48時間走にも出会ってしまい
バックヤードとも出会ってしまいってことですけど
その後はどうなんですか?48時間走とかも
引き続き出るようになってたんですか?
そうですね。なるべく日本国内で24時間走とか48時間走をやってるときには
なるべく出て。バックヤードって基本的に
11月頭に全国一定開催だったじゃないですか。
だから年に1回のお祭りとしてバックヤードは必ず出て
逆は空いてる期間はジャーニーランに出る。
そんな感じが2025年も今年26年もそんな感じで
もうレース生活は成り立ってますからね。
ご自身の中で印象的だった48時間走とか24時間走のレースでもいいですし
その後出たバックヤードでもいいですし
上げるとすると何が上がってきますか?
クリントイストウッドは後からサッカーフルーツを置いていくと
そうですね。どのレースもやっぱり
僕って結構24時間走48時間走ってやっぱり
抜きつつ抜かれるとスライドするじゃないですか。
そこで選手同士がちょっと激励するとか声かけるとか
頑張れとかファイトとかナイスダウンとか
IHCしてるとかあれがすごい好きなんですよね。
バックヤードもそれもできる。
24時間走はそれがたくさんできるから好きっていうのと
バックヤードはコースによってそれもできるじゃないですか。
往復系のコースがあるのでバックヤードも好きっていうところなので
なかなか結構コースつけがたいところはありますね。
でも強かげるとラストドラゴン熊本の
ラストドラゴンはやっぱり運営さん、オーガナイザーさんが
お祭りとして結構開催しているっていう
やっぱりすごい雰囲気を大事にしているというところがありますし
なので大体参加者70人ぐらいいらっしゃるんですけど
前の時に2、3週で終わる方も結構いますけども
その方々はその後サポートとかボランティアに回って
引き続き大会を盛り上げてくれますし
コース自体もスライドするところが熊本ってないので
ちょっと声かけるタイミングっていったものがなくなって
そこが唯一寂しいところであるんですけど
コースはサイクリングコースを走るコースなんですけども
すごい風景が滝に渡るところで景色がすごいいいところで
とても気持ちがいいところなんで走ってすごい楽しくて
素晴らしい大会だなってところで
時期がかぶらなければ毎日出てもいいなっていう思い出の大会です
何よりも初めて2番を越させてくれたバックヤードの大会
バックヤードラストドラゴンが結構思い出深い大会
実際バックヤードのレース数としても結構出られてるんですよね
クリントイストウッドで9レース目だったと思う
これって今までは最初が北海道2022年ですよね