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RS#4「好きこそ物の上手なれ|田中実選手」10/17〜バックヤード日本代表世界一への道
2026-08-14 1:37:35

RS#4「好きこそ物の上手なれ|田中実選手」10/17〜バックヤード日本代表世界一への道

AFAP(アファップ)。このプロジェクトは、「バックヤードウルトラ」という競技に魅せられたウルトラランナーたちによる共走と挑戦に光を当てます。「As far as possible 私たちはどこまでいけるのか?」走ることでつながった仲間たちとこの世界の魅力をお伝えしていきます。


今回は、RS#4「好きこそ物の上手なれ|田中実選手」10/17〜バックヤード日本代表世界一への道

【内容】

・RS シリーズ= Rising Sun Project(チームジャパン頂点への道)が遂にスタート。

3回目ゲストは田中実選手(PB:81LAP)。笑顔でバックヤードを"楽しんで走る"スタイルが魅力。バックヤードで出会った仲間、バックヤードサテライト大会に対する想いを語る。


水野倫太郎/通称・ミチタロウ(Instagram:@michi_bagman_ultrarunner)

昨年のDead Cow Gullyにて、Dead Cow Gullyにて94LAPを記録。BAGMANの愛称で知られ、「走るはつなぐ」をテーマに、海外バックヤード転戦中。


AFAP(Instagram:@afap_ultrarunning)

「As Far As Possible 私たちはどこまでいけるのか?」をテーマに、2025年6月Dead Cow Gullyをきっかけに立ち上がった日本人ウルトラランナーたちによるプロジェクト。当初はドキュメンタリー制作が目的。現在は、大会主催やコミュニティづくりに至るまでバックヤードウルトラや「共走」の魅力を伝える活動を幅広く展開している。


Podcastでは「共走と挑戦のドキュメンタリー」をテーマに、以下のシリーズを配信しています。

・SDシリーズ:Seven-day Project(ミチタロウ7日間への道)

・RS シリーズ= Rising Sun Project(チームジャパン頂点への道)


Documentary映像「As Far As Possible 私たちはどこまでいけるのか?」視聴リンク:https://youtu.be/aY3RQz1ADoM?si=5t8dHO2wnGWrCu2m


編集: 岩崎智之

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サマリー

このエピソードでは、バックヤードウルトラランナーの田中実選手が登場し、彼のランニング人生とバックヤードウルトラへの情熱について語ります。田中選手は40代でランニングを始め、短期間でフルマラソンで好成績を収め、その後100キロマラソンで年代別日本一を目指すなど、具体的な目標設定をモチベーションとしてきました。コロナ禍を経てバックヤードウルトラに出会い、当初は過酷なイメージを持っていましたが、大会での仲間との共走や応援を通じてその魅力に開眼。特に2022年のサテライト大会での経験が彼の意識を大きく変え、バックヤードへの情熱を燃え上がらせました。2024年のサテライト大会では、怪我を抱えながらも「楽しむこと」を最優先に走り、自身の限界に挑戦しました。田中選手は、バックヤードウルトラは「いつやめてもいい競技」であり、自分の立ち位置を知り、仲間と共に楽しむことが大切だと語り、多くの人にこの競技の魅力を伝えています。また、60歳までに地球3周分の距離を走るという壮大な目標や、ランニングを通じて得られる仲間との絆についても触れています。

田中実選手の自己紹介とランニングの始まり
AFAP AFAP、このプロジェクトは、バックヤードウルトラという競技に見せられたウルトラランナーたちによる競争と挑戦に光を当てます。
As far as possible 私たちはどこまで行けるのか、走ることで繋がった仲間たちとこの世界の魅力をお伝えしていきます。
はい、プロウルトラランナーの水野道太郎です。 本日は2026年8月11日火曜日ということで、先日からですね、スタートしているバックヤードウルトラ日本代表
インタビューというところの第4弾ですね、お届けしたいというふうに思います。 10月17日に開催をされるバックヤードウルトラ国別対抗戦
通称サテライト大会に向けたインタビューですね。 どんな代表選手の方々がいるのかということをやっていきたいというふうに思います。
今回のゲストは田中実男選手です。よろしくお願いします。 よろしくお願いします。
よろしくお願いします。実野さん、ご無沙汰しております。 ご無沙汰です。
ご無沙汰しております。私はですね、神奈川の秦野の自宅から参加しているんですけど、実野さんはどちらからご参加ですか?
はい、山口市からです。 山口県の山口市ということですね。ご出身が山口なんですか?
出身は岡山なんですが、大学からずっと山口に住み着いております。
はい、ということで、なので秦野と山口の遠隔収録でやっていきたいなというふうに思います。
はい、でですね、私は田中実男さん、実は2年前のサテライト大会でもご一緒しているので、いろいろ知っている部分もあるんですが、
このポッドキャストを聞く方のために改めて実野さんからも自己紹介をいただけたらなというふうに思います。
では実野さん、よろしくお願いします。
はい、名前は田中実、山口市在住です。年齢が57歳で、乱歴は14年ぐらいになると思います。
よろしくお願いします。
よろしくお願いします。
乱歴14年ということは、40歳になってから走り始めたっていうことなんですか?
45歳がフルマラソンだったんですけど、フルマラソンする前に1年半ぐらいちょっと練習してからフルマラソンに入ったっていう形ですかね。
それ、きっかけはどんなものだったんですか?
地元の町内がすごくランニングが盛んなところで、地区の駅伝大会にいつも優勝しているようなチームだって、
そこに私、体育委員として、補欠として誰か走れなかったら数合わせで走らないといけないというラン党だったんですよ。
補欠エントリーしてたもんで、ずっと毎年打ち上げだけは参加してたんですが、実際走ってなかったので、すごく寂しかったんですね。
私もその輪に入れてもらおうと思って、じゃあちょっと2、3キロでも走ってみるかという形で走り始めたっていうのがきっかけです。
最初は補欠で入っていた地区のランニング大会にメンバーとしても走りたいみたいな思いから走り始めたと。
それ、実際走り始めて出走はかなったんですか?
結局3年間補欠で、走り始めて1年半したときにフルマラソンがあって、それでフルマラソンきちっといいタイムで走れたので、
それで認められて、その翌年の駅伝大会に出場してという形ですかね。
じゃあある意味、走り始めてフルマラソンで結果を出してようやく認められたみたいな。
1年前にはもう結構、区間賞いけるかなぐらい思っていたんですけど、
走らせてくれって言わずにずっと黙ってたんで、なかなか走らせてもらえなかったという感じですかね。
それは、いきなりランニング始めて、そんなすぐ区間賞を狙えるぐらいの走力になるもんなんですか?
1年ぐらいでだいたい、最初はもうキロ4で走るのがやっとぐらいだったんですかね。
だったんですけど、だんだん早くなってきたんかなという形で、
1年ぐらい経った時には、一応2キロ走が7分ぐらいで走れるようにはなってましたね。
へぇー。
あの、ちょっと私の中でいろいろこう、ハテナが浮かんでるんですけど、
こんなに、いきなりキロ4で走れるかどうかみたいな、いきなり最初からそんな感じですかね。
いきなりは走れないですね。やっぱり2キロが10分ぐらいかかってましたね、最初は。
はいはいはい。
で、まあ毎日もうダッシュの連続ですよね。とにかくその2キロ走を繰り返してたっていう形ですかね。
ふんふんふん。
逆に言えば、もう2キロ走で8分でキロ4じゃないですか。
8分キルまではもう、それしかやってないです。
あー。じゃあ本当にこう2キロ、そのエキデンの区間の距離ってことですよね。
はいはい。
そこに特化して。
そうですね。
おー。いやなんか、40過ぎてから走り始めて、私的にはすごい短期間で、めちゃめちゃ走れるようになったんだなっていう感覚なんですけど。
50代は、小学生と同じレベルっていうような話を聞いたことがあるんですよ。
へー。
小学生の時に、やっぱり2キロを7分ぐらいで走ってたので、
8分なら行けるかなっていう謎の自信を持ってやってました。
へー。
スポーツ経験と学生時代の過ごし方
なんか、みのれさん、スポーツはもともと学生時代にやってたものとかあったんですか。
好き嫌いがすごく激しくて、剣道が大嫌いで、ソフトボールが大好き。
好きな方は徹底的にやるし、剣道なんかはいかにサボるかっていうような形で。
まあまあ、いろんなスポーツは嫌いじゃなかったし、そんなに苦手でもなかったです。
うーん。
剣道は授業かなんかであったってことですか。
いや、スポーツクラブみたいなところで、親に無理矢理やさせられて、痛いし寒いしというようなところが嫌いでですね、いつも逃げ回ってました。
まあ、道場が寒いし、君は堅い気みたいな。
で、兄貴も一緒にやってたんですけど、兄貴の友達がやたらと厳しくするんでですね、本人に厳しくすればいいのに、弟だからっていう子たちで、だいぶ半分いじめられるような形で、手とか足とか殴られてました。
うーん。今だとちょっといろいろ問題ありそうな感じですね。
問題ありますね、完全に。
逆にソフトボールが好きだったっておっしゃってましたっけ。
そうですね、もう夢中になってやってましたね。
部活動とかではなくですか。
えっと、子供会でやってたんですけど、もう大好きだったですね。
で、もう学校でも、ハンドベースボールとか、そういうのをいつも休み時間にはやってましたね。
じゃあ、運動がすごい好きな子供だったと。
体を動かすことはとにかく好きだったです。
で、部活動とかは特にせずだったんですか。
中学から卓球部に入って、
あ、卓球部。
はい。
ずっと、それから中学3年間は卓球やってましたけど、
これは真剣ではなくて、ちょっとなんかこう、よくおちょくり卓球部って言われてたんですけど、
あんまり本気な感じではなかったですね。
へー。
高校では何かやったんですか。
高校はほとんど活動はしてなかったですかね。
ちょっと卓球やってましたけど、ほとんどやってないですね。
で、大学に入学されたら、なんか私が聞いてるイメージだと、
研究にすごい没頭してたのかなって感じなんですけど。
大学自体は。
一般教養が嫌いで、授業は全部出てたんですけど、
どっちからというと、アルバイトのほうが夢中だったですね。
へー。どんなバイトされてたんですか。
とりあえず食べるために、大学の生協で、
食堂と書籍と購買の、
で、あちこちでバイトしながら、
夏とかは長期のバイト、水産関係のバイトとか、
それなどをしながらしてることが多かったですね。
うんうんうん。
そこからこう、まあ差し支えなければですけど、
社会人生活とアユ養殖、そしてランニングへの再挑戦
走り始めるまで、まあ43歳まで、どんな社会人生活を送っていたんですか。
えっと、大学をすぐに卒業しなくて、
留年して海外旅行に2年近く行ってたんですよ。
で、そこで魚釣りばっかりやってたんですけど、
で、このままもう日本に帰ろうか、帰るまいかっていうような感じではあったんですが、
やっぱり、日本が恋しかったので帰って、
で、そこで魚に関する仕事がしたくて、
日本帰ってからいろいろ養殖業者なんかを回ってですね、
タイとかフグの種苗生産の場所行ったりとか、魚市場行ったりとかですね、
そういったアルバイトを続けながらいろいろやってるうちに、
今ある山口市にアユの養殖場があってですね、
そこでアユを飼うのが面白かったんで、
そこの漁協に30年ちょっとお世話になったっていう方ですかね。
だんだん私の知ってる田中実さん像に近づいてきたっていう感じですけど、
実はですね、去年アメリカの世界大会、バックヤードの世界大会、
通称VIXにもご一緒させていただいて、
私もですし他の方も驚いたのが、
実さんがスペイン語が流暢だという。
いやもう30年前の話なんで、もう忘れてますね、やっぱり話せなかったですね。
それが大学のその後の、2年間海外にいたっていうところにつながると思うんですけど、
どこでラニオンされてた感じなんですか?
中南米は9ヶ月ぐらいいたと思うんですけど、
特にコスタリカとパラグワイが長かったと思うんですけど、
そこで、ある程度スペイン語がしゃべれるようにまではなってたんですが、
ちょっともう、全くなったですね。
実際あれですよね、去年VIXでよく話してたのが、
パラグワイの選手じゃなかったでしたっけ?
パラグワイの選手じゃ、来てなかったです。
ウルグワイの選手は、ジョナトル・ファイガー。
平田さんのね、親友になってた方がいたですよね。
あとメキシコの方とボリビアの方と、よく知ってました。
レース終わった後とかも、ボリビアのファン・ルイスみたいな。
そうですね、はい。
彼と一緒に、嬉しそうに平田さんの近くにうろうろしてたなというか。
そうだったですね。
いやいやいや、そんな、実はスペイン語が話せるという、
そんな過去も、過去というか、今も話せるんだと思うんですけど、
そんなところから、はい。
あったことで、全然だめだったです。
いやいやいや、そんなところから、アユの養殖というところでお仕事をされていって、
で、43歳でしたっけ?から。
そうですね、はい。
走り始めて、いきなりかなり2キロが、急速にタイムが速くなっていってと。
で、フル走ってみて、その結果である意味、
駅伝メンバーというかに選ばれたっておっしゃってましたけど、
フルマラソンから100キロマラソンへの移行と目標設定
初フルは何分だったんですか?
3時間9分だったんですね。
おー、初フルで。
それはなんか、結構余裕だったのか、ご自身的にはいっぱいいっぱいだったのか。
えーとですね、足がつってですね、
もう上半身と下半身と全く別物だったですね。
で、もうつってつって、もう本当にコジカのバンビーのような感じになってですね、
もう止まったら大丈夫ですか?って言われるんですけども、
もうそれが結構、動き始められなくて、もうつらかったんですけど、
これ足さえなんとかなればまだいけるかなっていう感覚はありましたね。
じゃあ、もう最後まで快走気持ちよく走れての3時間9分っていうよりは、
むしろそれよりもっと早いタイムで走ってて、
ちょっとこう後半潰れながらの3時間9分と。
そうですね、最後35キロ地点と40キロ地点あたりで、
2回止まる、完全に足が止まって動けなくなったですね。
じゃあ、もともとは結構相当早いペースで走ってたって感じですか?
時計持ってなかったんで、ペースが分からなかったですね。
とにかく楽しみながら、みんなに手振りながら、
みんなが自分を応援してくれてるようで、
すごく楽しかった思い出しかないですね。
すごいなんか、私とか皆さんからも聞く、
みのれさんのイメージ、すごい楽しそうに走っているとか、
あとは、とても周りの人に気遣いをされてるっていう、
そのイメージはもう、最初のフルからこの感じだったんですね。
基本の歯を踏みしばって走るっていうのがあんまり好きではないので、
フルはキロ4で走ることしかずっと、
今でもですけど、もうそれしか頭にないですね。
キロ4で走って、全く苦しくなければ成功みたいな感じなんで、
で、もう今そのキロ4で走れないのがもう辛くて仕方がないですね、逆に。
すごいですね。キロ4で辛くなく走るっていうのがフルの楽しく走っているのが醍醐味と。
もうそれ以上に頑張って走ろうっていう気は一切なかったですね。
ちなみに、ベストはどれぐらいなんですか?
ベストが2時間42分ですね。
それ全然キロ4より早いですね。
それは1回だけ、もう障害体ベストを出したいとマジで思って、
豊富読みマラソンで、そのときはキロ3分50でずっと走ったっていう感じだったんですかね。
そのときはちょっとは食いしばったんですか?
30キロぐらいのときに、ちょっとやめようかなと、
もうこれで2時間45分切ってるから、まあこれで行けばいいかなと思ったんですけど、
応援の方が頑張れって言ってくれたんで、じゃあ頑張ろうっていう形で、
やっぱり応援に助けられて、なんとかそのペースを落とさずにいけれたかなっていう感じだったんだね。
それが2000何年ぐらいの話ですか?
2015年だったと思います。
じゃあ走り始めて。
3回目のフルマラソンだったですかね。
すごいですね。すごいな。
で、今もフルマラソン年に1回ぐらいは走られてますか?
一応、12年連続フルサブスリーしてるので、それが途絶えるまでは続けようと思ってて、
もう今59分台を2年続けてやってるので、今年で引退かなと思って楽しみにしてます。
いやーすごいな。ありがとうございます。
結構このインタビュー企画は、基本的にはやっぱバックヤードの代表選手っていうのにお話聞いてるんですけど、
結構みなさんのこのフルの話とか、フルにどういうヒストリーでやってきたのかみたいなのを聞くのもすごい面白くて、ありがとうございます。
基本もう全く興味ないです。
ほんと、もう決まったレースに出てるって感じですか? 抱負読み売りに出てる?
はい。海峡マラソンが好きなんですけど、ちょっとバックヤードとかぶっちゃうところがあるので、
それで最近は抱負読み売りに出てるっていう感じですかね。
そうなんですね。
下関海峡マラソンも結構お気に入りっていう感じなんですね。
そうですね。仲間がみんな出るので、仲間外れにされたら嫌なんで、それで出てるっていう感じだったんですけどね。
ちなみに下関海峡マラソンって割とイメージなんですけど、なんか結構アップダウン激しい感じですか?
いや、でも、たぶん獲得評価は150ぐらいなので、バックヤード1周ぐらいかなっていう感じですよ。
なるほど。
はい、感じとしては。
比較的走りやすくて。
そうですね。後半が下関なので、どうしても僕の場合は足がつっちゃって失速するっていう形なので、
得意なコースではないですけど、周りに人が多いので楽しいですね。
フルマラソンはそんな感じかなと思うんですけど、
主戦場にされてるとか、好きなレースのタイプっていうのは、もっともっと違うやつかなと思うんですけど、
どういう感じのレースにフルは出て、記録が出て、その後はどんなのに出るようになったんですか?
初マラソンの後にサブスリーをするときにですね、
目標にしたときに、一応グランドスラム、スミナラのグランドスラムを狙ったんですよ。
どうせサブスリーするんだったら、グランドスラムをやってみようかということで、
フジトザン競走と100キロウルトラを一緒に、同時に目標として取り組んだんですけど、
その中で、フジトザン競走はもうしんどかったんで、もういいやっていう感じになるんですが、
フジトザン競走の練習で速くなったっていうところはあるんですが、
あんまり自分で登るばっかりっていうのは向いてない気がして、
100キロマラソンがすごく楽しかったんですね。
もう100キロマラソンで、確かシマント川だったと思うんですけど、
それが楽しかった、もうフジトザン競走もフルマラソンも全然、
そこから以降は全然興味がなくなったっていう感じですかね。
100キロはですね、すごく楽しかったし、ちょうどランキングが出るじゃないですか、
年代別のランキングを5歳刻みでですね、DUVだったと思う、
ウルトラランキング統計家なんかっていうのがあるんですけど、
あれが年代別が結構良くて、これだったら日本一になれるんじゃないかと思って、
それを目指してずっとやってたんですが、
40代、45歳代から49まではなかなかなれなくて、
50でやっと1位になれたんですが、そういうのが目標でずっとやってて、
それがモチベーションになってたかなっていうふうに思います。
結構、ミノルさんのランニングヒストリーの中で、
やっぱり具体的な数字が目標になることが多いですね。
そうですね。
自分の中で、こんな練習したらこれぐらいの総力になるんじゃないかっていうイメージがあって、
それを達成するのが楽しいというか、
なんとなくこんなことをやったらこんな風になるんだろうなっていうのがうまくマッチすることが多くて、
具体的に自分がその練習ができるかできないかっていうのを、
まず自分の中で自問自答してですね、
いけると思ったらずっとそれをひたすら繰り返すというような感じで、
他のことはあんまり一切やらないので、
100キロをやり始めてからインターバルとかはもう一切しなくして、
とにかくペース相当、ビルドアップばっかりやっとけばいいみたいな感じで、
もうなんか自分の我が道を行くっていうような感じの練習ばっかりですね。
ちなみにそのペース相当、ビルドアップはなんかどんな設定、どんな具体的なメニュー内容でやってたんですか?
最初は朝10キロぐらい走って、
疲労抜きみたいな感じで、とにかく週間的に10キロ走って、
夜は20キロから30キロぐらいを週に2、3回。
あと土曜か土日のどちらかで、
60キロから70キロ走を一発入れるっていうような繰り返しですかね。
その距離でペースを一定にするか、もしくはどんな距離で?
設定したペースが、だいたいキロ5かキロ7、キロ6はご褒美ということで、
滅多にしない、ロング走の時だけという形で、
早く走るか遅く走るか、どっちか、両極端にして走るという形が多かったですね。
すごい、キロ5のペースをか、キロ6のペースを、
キロ7ですね。
あ、キロ7か。
キロ6はなるべくしないように走ってました。
なるほど、なるほど、それを6、70キロ。
そうですね、それは萩王冠に行って帰ると、ちょうど70キロから80キロぐらいになるので、
それは、毎週はできなかったですけど、
6時間走か、その萩王冠をやるか、どっちかぐらいをやってました。
いや、ほんともう、じゃ、淡々とやられてっていう感じですね。
萩王冠がもう、ほんと、毎週のようにやってるっていう感じだったんですね。
毎週すると、やっぱり疲れがたまるっていう形で、
月2回ぐらいやって、冬場はちょっと雪積もったりするので、
冬場はどちらかというと、もっと違う場所に行ったりとかっていう形ですけど。
そんな感じで、100キロメインでやられていて、
50代、50歳ですね、で、DUV国内1位になったってことですけど、
そのときのタイムはどれぐらいだったんですか?
えーと、7時間36分だったんですかね。
ほう。それがベストタイムですか?100キロの。
そうです、そうです。
今も7時間36がベスト?
そうですね、それから以降、これで今度は日本記録狙おうというふうに思ったんですが、
ちょうどコロナになって、もう1年頑張ろうと思ったときに、
サロマ湖でだいたい記録が出してたんですけど、
それ自体大会がなくなったので、
そこから結構腐ってた時期が続きまして。
で、そこから、フルマラソンは初期でちょっとこう、いいやとなって、100キロ打ち込んで、
で、コロナのタイミングでちょっと100キロも、ちょっとなーみたいないう中で、
で、次に向いた矛先はどこだったんですか?
バックヤードウルトラとの出会いと初挑戦
それでいよいよバックヤードですね。
もう、あのー、全然走る大会もなくなってて、
で、その中で、えーと、バックヤードにのフォロワー、
あの、インスタグラムでフォローしてる方がバックヤードやってて、
で、まあそれで、その情報が入ってきて、
で、島根大会と東京大会と、まあどっち出ようかな、みたいな感じになったんですが、
まあ、あのー、車で行くなら島根のほうがいいかなという形で、
島根大会に出たっていうのが初めて、バックヤードに出会ったきっかけですね。
うんうん、それが20何年ですか?
2021年だったと思います。
うーん、じゃあ割と日本に入ってきて、こう早い段階で。
そうですね、まあ、あのー、東京大会があった頃のことはあまり知らなくて、
まあ、タテノさんが優勝したんだなとか、それぐらいのことしか知らないぐらいで、
あとはもう、あのー、後から知ったっていうことが多くて、
まあ、何も知らずに、とにかく走り放題の大会があるので、
島根に行って出てみようという形だったですね。
うーん、その初めて知ったきっかけのインスタで見た方は、
はい。
差し支えなければですけど、どなただったんですか?
えーと、山口純平さんって言われる、あの、90方だったんで、
ラストドラゴンの記事で、確か私、ちょっと立花湾岸を興味があって、
そのー、どんな方が出られてるのかとか、見てたんですが、
その時の上位の方だったと思う、記憶してます。
で、それで興味を持って、バックヤード出てみてってことですけど、
バックヤードに向けては、なんかどんな準備をして望まれたんですか?
えーと、もう、それこそ、最初のバックヤードの時は、
全くもう走れてなかったので、
全然、その、とにかく38時間で250キロになるんですけど、
その38時間走れさえいいや、くらいの形で、
えー、まあ、望んだっていうことですかね。
うーん、で、やってみたらどうだったんですか?
で、結局前田くんがアシストだったんですけど、
前田くんが30時間で、もう、あの、ちょっと足痛めてて、
もう、そこでやめちゃったので、まあ、31時間で、まあ、優勝して、
で、まあ、それがサテライト大会に出るきっかけになったという感じですかね。
うーん、サテライト、いきなり、つかんでしまったと、日本代表という。
全然、サテライトが何なのか知らないまま、全然興味もなかったし、
まあ、あの、その上の大会を目指してとくいうことがなかったので、
もう、まあ、出れるんだったら、ちょっといい経験だから出てみようというような形だったですね。
うーん、なんか、こう、いきなりラストサムライになってし、慣れてしまったっていうのは、
ご自身の中では、どんな感覚だったんですか?
えーと、もっと、あの、すごい人たちがいるんだろうなっていうような感覚だったので、
あの、自分の中では、その、何も意気込みがなかって、とにかくその大会が寒かったんですよ。
で、もう、寒くて寒くてですね、もう二度と出ないと思えて、
もう、たぶん、あのままサテライトがなかったら、二度と出てないかもしれないですね。
じゃあ、最初のバックヤードは、そんなにこう、
うわあ、楽しかった、なんかまたやりたいっていう、その、印象いいって感じじゃなかったんですね?
結構、あの、トレーラーの選手が多かったので、
あの、最初の頃は、何言ってるかわかんないんですよ。
あの、なんか、
あの、
まだ、フル、マラソン自体の知識もほとんどないままやってたので、
全然、その、言葉が通じないというか、
会話が通じないというか、いう形だったので、
で、まあ、あの、人数が少なくなって、24時間過ぎたあたりからですね、
まあ、あの、そういうマラソン以外の話もだんだん弾んできてですね、
やっとこう、あの、仲良く話せるようになったかなっていう形で、
まあ、ちょっと、あの、一人、24時間過ぎるまでは寂しかったですね。
うーん、なんかちょっと違う世界に迷い込んじゃったな、みたいな。
そうです、そうです、はい。
そうなんですね。
はい。
サテライト大会への挑戦と意識の変化
で、まあ、寒さもあり、まあ、ちょっとバックヤードはって思ってたら、なんか次の大会があるんですと、
あなた、日本代表ですと言われ。
はい。
まあ、案内が来て、まあ、あの、まあ、せっかくの機会なので出てみようと、
で、まあ、あの、最初の一人にならないよう目指してですね、
まあ、これはまあ、最低でも48時間はいかないと、
ちょっと、やばいなっていうような感覚で出ました。
ほう。
じゃあ、その、初めての大会から、まあ、丸1年後って感じですよね?
2022年の12月。
そこまでは、なんか、どんな練習とか、
まあ、むしろもう、バックヤード、そこだけをめがけてやってたのか、
他のロングレースとかも出てたのか、
いや、他の、21年はまだコロナ禍だったので、
他の練習もほとんどやってなかったので、
まあ、あの、何の意気込みもなく、
とにかく48時間は越さなきゃっていう、
思いだけで出ました。
うんうん。
じゃあ、練習もバックヤードを想定した練習っていう感じですか?
まあ、してないですね。
あ、してないんだ。
はい。
じゃあ、それまでの…
楽しいとかそういう思いはなくて、
あんまり僕、最後の一人になるんだとかと、
そういう、その気持ちがなくて、
どっちかって言うと、バックヤード否定的な人間だったんで。
あ、そうなんだ。
何さ、怖い、怖いなみたいな。
いや、もうほんとそんな、あの、
あの、限界まで走るって、
ちょっとヤバいんじゃない?みたいな感じで、
あの、サテライト大会の時、当時日本記録が森森さんが、
あ、サテライトじゃない、あの、島根の大会の時に、
当時、森森さんが80キロ、あ、80時間走ったのが日本記録だったと思うんですけど、
そんなに走ったら死んじゃうよね、みたいな話で、
もうほんとに、あの、全く、あの、関心のない世界だったですね。
うんうん。
いや、面白いですね。
まあ、でもそうですよね、あの、最初の頃から、
あの、できれば食い縛らずに楽しく走りたいっていう。
そうですね、はい。
じゃあ、それはバックヤードを挑戦した後ですら、
あの、スタンスとしてはあまり変わらずと。
えーとですね、それが、
その、サテライト大会でも、
180度印象が変わったというか、
ほー、はい。
まあ、自分は、あの、
52週で終わったんですけど、
52、
毎朝アサランしてるので、
52週目がちょうど、
午前1時になる時間でですね、
あの、午前12時から1時になる時間で、
まあ、この時間走ったらアサラン成立だという形で、
まあ、もういいやっていう風に思ってたら、
タテノさんが、
あの、その、
前の週でやめちゃったんで、
もうやめるわって言って言ったんですよね。
あの、これで。
これで終わりにするからと言ってて、
僕は次の週でやめようと思ってたんで、
あ、ずるいと。
先にやめたらずるいじゃんということで、
もう一周行こうよと言って、
一緒に走ったんですけど、
その一周、タテノさんと一緒に走った時、
すごい楽しかったんですよね。
気づいたら、
まだいけるような感覚だったんですけど、
もうやめるって言ったから、
まあ、やめたんですよ。
で、そうすると、
残りの4名の方がすごい頑張っちゃって、
あと3時間走れれば、
3位だったというところまで行ったので、
もうそこですごい後悔したんですよね。
あの3週じゃったら、
自分行けたかもしれないという。
まあ、それ、
その思いと、
その、結構その、
究極の状態の中でみんな走ってる、
その姿が、
すごいなんか、
かっこよく見えたというか、
頑張って走っている姿がですね、
すごい胸が熱くなるような、
ものがあって、
サテライト大会ってその、
最後の1人になるだけじゃなくて、
みんなでこう協力し合って、
1ラップでもですね、
上を目指そうという、
そういう雰囲気がですね、
すごくなんか素敵だなという風に思ってですね、
まあ、悔しかったので、
次が、
自分の不甲斐なさがですね、
すごくなんか許せなかったのもあってですね、
まあ、
次出れる機会があればですね、
もっと、
強くなって、
出ようという風に、
思いましたね、その時に。
うん。
バックヤードへの没頭と目標設定(72周、世界3周)
じゃあその、2022年のサテライトに出て、
そのまあ、
次のバックヤードっていう、
その意識が生まれたと。
そうですね。そこからもう、
100キロマラソンも全然興味なくなっちゃって、
バックヤードしか
ほとんど興味なくなってたですね、はい。
なんかもう、1つのことしか
取り組めない性格なので、
あの、1つこう、
自分がやりたいことができると、
あの、今まで
熱くやってたものもなんか、
全然興味がなくなっちゃうというところはありますね。
うん。
面白いですね。なんか、
ミドルさんのランニング人生結構こう、
分かりやすく、
分類できるというか、
エルマラソン機、100キロマラソン機、
バックヤード機みたいな。
そうですね、はい。もう確実にそうなってます。
で、じゃあその、
まあサテライト、2022年で
悔しさがあって、
まあその次にっていうことですけど、
2023年もバックヤードで出た
ということですよね。
そうですね。22年の時に、その後に
前田君と
島根の大会があって、
1ヶ月後に前田君が
今度はあの、
優勝して、
僕がアシストだったんですけど、
まあその時に前田君は
ドイツに行って、
自分で
その、ビッグスの
出場権を格闘式して、
そしてビッグスに行ったんですよね。
自分はまあ、
お誘いはあったんですけど、
謎のメールが来たけど、
家族に行ってもいいって
聞いたらダメって言われたから、
そこで人生の別れ目みたいだけど、
そこでだいぶ差をつけられちゃって、
その次の年には
絶対72周を
目指そうという形で、
もう次の23年ですかね、
23年はもう72周は
確実に行けるような
自分になろうという
思いでずっと取り組ん、
練習量も増やしてですね、
取り組んだですかね。
ちなみにその
サテライトの直後の
テマネ大会は何ラップだったんですか?
54だったです。
じゃあもう
たった1ヶ月のスパンで
自己ベストを更新してっていう。
まあ、あの年齢が
54歳だったんで、
54まで走った時に
前田君との差が圧倒的すぎて、
本当は62人で
60目指してたんですよ。
一緒にサテライト行けたらいいねって思ってたんですけど、
もうなんか
50過ぎた頃から
やっぱりしんどくなっちゃって、
もう全然
前田君、
全然実力が近いからどうぞ先行ってください
っていうような形で、
私は54で
自分の年齢達成したから
もうこれで満足です
みたいな形で辞めたんですよね。
結局が何も変わってないと。
結局
もう弱い自分を
いやいや。
走ったって形ですね。
弱いというか、なんか
行き際の潔さというのが割とありますね。
次行きます。
次行きますっていうのがなかなかないですね。
自分では。もう納得しちゃうというか、
もうその時は
48が自分の
目標だったので、
それを超えればいいやという。
で、なんか理由つけてそこを
目標にするっていう形の
取り組みなので、
十分満足してましたし、もう納得でしたね。
うーん、そうな。
結構その
前田さんとの最後
ワンオンワンっていうのは結構一緒に
喋りながらやった感じですか?
ずっと一緒に走ってて、もうあの
サテライトで学んだ楽しく走る方が
自分にとってはラップスが伸びるという
あの
形なので、一つの戦略でありますね。
誰かに負けないように
VIX(世界大会)への挑戦と経験
走ろうと思ったら人と比べちゃって
勝てなくなるっていうのもあるけど、
一緒に走るんだったら、自分を
サポートしてくれてる人が一緒に
走ってるっていうような感覚で
走ってますので、どちらかというと
一緒に走れたら、一緒に走った方が自分は
そのテンションも上がるし、記録も
伸びるんだろうなという風に思ってます。
うーん、確かに。
じゃあだいぶもう
あの、前田さんとはもう
心の友みたいな感じですかね。
そうですね、もう長く十何時間一緒に
走って、最後は
引っ張ってもらってましたから。
実力差はその時は明らかに
あったですね。
すごい、まあでもそういうのもあっても
どんどんどんどんバックヤードに
どっぷり入っていくと。
そうですね、やっぱり島根の大会も
大好きで、あの
サテライトの年もエントリーしてたんですけど
別に
サテライトで燃え尽きて
全く走れなくても
大会だけは出たいなということでエントリー
もしました。島根の大会
今ないんでちょっと残念なんですけど
また走りたいなっていうような
気持ちはありますね。
その2022年島根に出て
2023年も島根に出たんですか。
はい、そこで
一応それシルバー大会だった
チケット大会だったので、それで優勝
あの
ラストサムライになって
出場権を獲得したっていうことですかね。
だから道太郎くんが
70周行った時の年だったと。
そうですね。
あの時はね、東京が残ってたんで
東京には負けないっていう
チーム3名は東京に負けないんだとか
そういうイメージで走ってました。
私も覚えてますけど
その時はやっぱ最後の方
島根と東京が残ってて、人数も結構
なんか
傾向した感じで。東京の方が多かったと
思いますよ。
でも割となんか
それは意識してました。東京の
大会のみんなも。
で最後
その2023年の島根は
何ラップぐらいまで行ったんでしたっけ?
64で
終わったはずなんですけど
なんかそのルールを勘違いして
もう一周させられてました。
65走りましたけど。
公式記録は64ですね。
なるほど。
だから最後
63で
そのもう一人が辞めちゃって
ファイナルサム64だったと。
で、でもなんか
ちょっとルールの勘違いがあって
公式記録を言われて
おまけがあったんですね。
誰もルールを
しっかり認識してなかったか
もうどうでもよくなってたんか
よくわかんないんですけど。
なるほど。
その時に64出したっていうのは
ご自身の受け止め方としてはどうだったんですか?
他の方の
総歴を見ると
やっぱりすごかったので
この
70、80行くんだろうなっていうような
イメージがあった中でですね
64で終わっちゃったんで
半分ラッキーだなと思いながらも
やっぱり自分としても70に行きたかった
あってですね
やっぱりできれば
72まで行きたかったなっていう
思いのほうがちょっと多かったかなっていう
ただ、サテライトに
行ける、行くっていうのが最大の
目標だったので、そういう意味では
すごく嬉しかったですね。
そして
サテライトに舞い戻るというとこで
2024年の
ピースランとバックヤード仲間との絆
大会に出場されたと
2024年サテライト大会への挑戦と現状
それは
どうでした?
嬉しかったですね
やっぱりバックヤードについて
だんだん詳しくなってくるじゃないですか
そうすると
一緒に走る
選手たちのことも
色々と知ってるし
木曽さんなんかは僕100キロやってたので
神様みたいな存在だった
24時間走とか100キロ走だと
神様みたいな存在だったんですけど
そういう人たちと一緒に
走れるということが
すごく嬉しかったですね
また帰ってこれたということと
また
当時、吉田さんとか
平田さんなんかの
走りも2年前に見てるので
その人たちと
一緒に走れるということが
すごく嬉しかったですね
じゃあ
2023年にシルバーチケット
獲得してから
サテライト
2024年までの取り組みっていうのは
どんな感じでした?
えーと
スピード練習を一切やめて
基本
キロ7で走ってました
基本キロ6は
ちょっと時間がない
朝とかはキロ6まで上げたりはしてますけど
とにかく
持久力さえ
作ればいいんだということと
壊れない足を作ろうということで
朝晩走る
ただ
あんまり長距離を走る
ということをしなくなったですね
それは
100キロの取り組みのペース層という
イメージがあったので
どちらかというと常に毎日
一定以上の距離を走ろうという
ような感じで
1日30キロ平均を目標ぐらいで
走ってました
1日30キロ平均が
目標だと月間で900キロぐらいになるんですけど
そうですね
8日明けから900キロぐらいを
だいたい目安で走ってました
もうコンスタントに
そうですね
すごい
そういう取り組みをして
今2024年のスタートラインに立ったと
そうですね
実際どうでした?
そこで私とも初めてご一緒するわけですけど
はい
やっぱり
嬉しかったですね
本当に皆さんと走れることが
本当に何より楽しかったし
本当に楽しいことが
自分にとっては
記録にもつながるというのは
分かっていたので
自分でどんどんテンションを
上げていってですね
積極的にも
その場を満喫していたという感じだったと思います
自分で
テンションを上げてというのは
具体的にはどんな風にしていたんですか?
えーと
みんなと一緒に写真撮ったりだとか
エイドに行ってですね
3時間おきに
エイド行って
食事撮るようにしてたんですけど
これ食べるからねとか
応援してくれる人たちにですね
いろいろと
話しかけたりとかしながらですね
やってると
自分もどんどん積極的に
人と話せるようになったりとかして
そういったことが楽しかったですかね
うーん
本当にだから
自分のモチベーションを上げつつ周りもある意味
楽しませてというか
そんな感覚もあったんですかね
人を楽しませることは
なかなか難しいし
なかなか気の利いたことも
喋れないので難しいんですけど
自分が楽しむのはですね
いろいろと
自分が本当に
いろいろとみんなと話しかければ
それで
楽しかったかな
っていう感じですかね
なかなかこう
あんまり
走ってること以外のときには
話しかけたりとかするのはあんまり得意なほうではないんですけど
だけど
いざ大会になるとやっぱり
そういった気持ちがどんどん
上がってくるので
そういったことも楽しみの一つ
大会の楽しみの一つなのかな
というふうに思ってます
話しかけてる
っていうところで言うと
いろんな方に話しかけてたイメージもあるんですけど
印象的だったのは
平田さんとの
競争といいますか
平田さんにこうある意味
突き取ってたイメージというか
そこもすごいあったんですけど
そこら辺のエピソードも聞いていいですか
自分が体力があるうちは
平田さんは前半やっぱり
正体不明になることが
あるのは知ってたので
平田さんが
途中で寝ちゃったりしたらいけないな
っていうのはすごく気にしてて
とにかく平田さんも
日本のエースだっていうのは
最初から分かってたので
なんとかその前半
平田さんが
こう
うまく走れないとき
眠たくて走れないとき
山の演奏会で結構何度も走っているので
そういったこともあったので
最終的には
平田さんは
起走本能だけで
自分だけが分からなくても
帰ってくるというのが分かって
最後はおったらかしだって
平田さんについてたらペースが
爆速するので
最終的に間に合いそうになると
それに合わせたら
自分がその時間をタイムオーバーになっちゃうんで
72時間以降は全く
一緒に走ってはないんですけど
それまではなんとか
平田さんを
失速
失速というか
途中で寝させちゃいけないという
思いが結構強かったですね
それが自分の中では
面白かったですね
うん
なんかこう
そこにまた見えないというか
2人だけが知ってる物語にもあったのかな
なんていう
見えちゃいけないものをいっぱい見てましたんで
平田さんだけじゃなくですか
みなさんも何か
平田さんが
お地蔵様が
お地蔵様がおるとか
意味不明なことを言い出すんで
それに話に付き合うのが
結構面白かったですね
なんか階段話を聞いてるような
そうですね
みんななんか
幻覚が見えて
楽しそうにしてるのが
なんか面白かったですね
あんまり
三野さんご自身は幻覚とかは
あんまりご覧にならないですか
えーとですね
暗闇で人が見るような幻覚は
あんまり見たことがなくて
サテライトの時には一応幻覚なんですけど
トイレの
小便器に黄色い字幕
スーパーが流れてました
それぐらいでその暗闇で
物が見えたりとか
あんまりなかったですね
字幕スーパーって面白いですね
なんかそういう
黄色で何語で書いてるかよくわかんないですけど
ずっと左から右に流れて
文字が流れていく
みたいなのは
見てましたけど
これも幻覚なんだろうなと思うけど
なんかもう
認識できる物体を見たかったですね
なんかすごい
過去の
バックヤードに関するポッドキャストとかで言うと
なんか巨大なトモさんを見たみたいな人が
そうですそうです
しばあきさんが言われてたか
と思うんですけど
そういうものはなんか見えなかったので
もうちょっとシンボリックな物が見たかったと
そうですね
はい
ちょっと今回期待してるんですけど
何か見えないかなと思って
本当ある種
バックヤードをやってるやりこんでる人たちの中では
幻覚の話題は
結構あるあるですよね
そうですね
私あのオーストラリア走ってた時に
オーストラリア人となんか
なんかこうクリーチャーが見えるみたいな話を
会話したら
レース終わった後に
君がレース中に話してたクリーチャーは日本の
なんか妖怪なのかい
みたいな感じで聞いてきて
いやあれはあの
たぶんその現地の
現地のクリーチャーだと思うみたいな
よくわかんない会話を
レース終わった後にもした
バックヤードの魅力と今後の展望
こともあったりして
いやあの次のサテライトで
みんなどんな物を見るのか
そういう話をしながら走るのがまた楽しいですよね
うん
なんかほんと今お話ししてても
結構こう
2024年のサテライトを振り返る
みどろさんはなんか楽しそうに話されてるな
っていう品詩があるんですけど
はい
なんか終わり方はどんな感じだったんですか
えっと
80というか72過ぎた時に
もうあのいつ終わっても
よかったんですけど
僕バックヤードって
その皆さん最後の1人までって言うけど
もうほんとにいつ終わってもいい
あの大会というか
競技なんだと
いう風に思ってるんですよ
自分が納得すればそれでいい
だから24時間走ってやめる人がいるって
言うじゃないですか
自分もその理屈で
限界を決めてはいけない
とかっていうのがセオリーになってますけど
自分は自分が走りたい
ラップまで走る
っていうのを目標にやってるので
まあそのサテライトの時には
72時間だったんですよ
でそれ以降は
あと気になるのは日本の順位ですよね
ずっと日本の順位が確定するまでは
自分の
モチベーションを保てたんですけど
80の時にはもう全く
追いつけなくなってたんですよね
どんなに頑張ってもこれ
4位だなって決まってて
でその時ちょうど
モチベーションが切れたから足が痛くなったのか
足が痛くなって
モチベーション切れたのかよくわかんないですけど
アキレス腱も痛いということに
気がついて
そこで
トモさんにも朝まで頑張りましょうと
朝まで頑張ったらまだいけるかという意味で
言われてたと思うんですけど
じゃあ朝まで頑張るかみたいな形で
夜が明けた時に
足が痛いのでやめます
これ以上はあと2人には
付き合いきれませんという形で
やめさせてもらったという
状況だったと思います
だからその後何が何でも
痛み止め飲んで続けようとか
という気持ちもなかったので
本当に大満足でやめた
という形ですね
すごいこう
終えられて
とても笑顔な
がすがしい表情をした
みどれさんの印象が
私も写真で見たのかな
実際に見たのかな
そんな印象はありました
目標よりも急ラップも達成してるので
そりゃそうなりますよね
うん
楽しかったと
その一点でこう
楽しみきって終わったと
そうですね
痛みを感じなかったのが
よく分からないんですけど
楽しんでるというか
集中してる時っていうのは意外と
痛みも出ないんだなっていうのは
過去の経験でも知ってるので
辛くなった時点で
やはり脳って
いろんな
ことをシャットダウンしてくるので
辛いという思いを
持った瞬間に
自分はもう負けてしまうので
そこを
いかにコントロールするか
というところは
自分の中では楽しむということが
一つの戦略なんかなというふうに思ってます
うん
60歳までの目標とランニングへの向き合い方
いや本当に
そのことは
みどれさんの姿を見てると
教えていただけますし
すごい
私の
2024年現地でサポートしてくれてた
メンバーとか
あとは
他の一緒に走った人からもですけど
やっぱりみどれさんがとても
印象的だったっていう
お話は聞いたので
とてもバックヤードの
ある種の極意というか
楽しむっていうことなんだなっていうのは
私もとても
教えていただきつつ
でも実はその後僕の中で
それがまだ実践しきれてないな
とも思うので
まだまだそこは
私自身も楽しむというところは
追求していきたいなというところなんですけど
いや、みちらうろーくんの今までの
ポッドキャストもほとんど聞いてるんですけど
もうすごく参考になることを
言われてて
1時間以内で帰ってくればいいんだとか
本当にその共感できるような
お話をずっと
してて
本当にそのバックヤードについて
極めていくんだろうな
という形で
応援させて個人的に
応援させてもらってるんですけど
自分のバックヤードは
趣味の域なので
あともう一つ
100ラップっていう
最終目的があるので
その過程にはおると思うんですが
100ラップいくのが
早いのか60までやろう
というふうに思ってるので
60になるのが早いのかというところが
ちょっともう時間がないな
というふうに思ってるんですけど
その辺で
どうやったらまだこれ以上伸びるのか
というところで
そこら辺の
研究しがいもあるし練習のしがいがあるところが
バックヤードの
今取り組んでる中で
これから少し楽しみなところではあるんですけど
うんうん
ねえ
どうなんですかね
こればっかりあれですけど
僕はみどれさんが
100ラップ
本当に多分今年の
10月のサテライトで100ラップは超える
って思ってる選手が
前回以上に多いというか
それもなんかただ
言ってるというよりは
なんかちょっとこう
前回よりもみなさんの
温度感が違うような
そんな印象も
受けてるのでまあねえ
今年の10月はそうなるかもしれないし
そんなのはありますけど
なんかその60までは
やろうと思ってるっていうのは逆に
60って決めてるのは何か理由があるんですか
自分はその
目標というか時間とか
決めないと
ダメなんですよ
目標も決めないとダメな人間
なんですよ
60まで頑張るって思わないと
頑張れない人間なので
もともと50でやめるって
言ってたのが
ランニング楽しすぎてやめそびれた
っていうところがあるので
とにかく60まで
頑張るんだっていう
思いを続けたいと
あと60までに一つ
世界3週したいんですよね
今2週ちょっとしてるんですけど
5年で1週ぐらい
できるので
世界を
地球を3週して
終わりたいなってことと
あと毎日朝
走ってるんですけど
それも
10年続けたいなって思いがあって
それまで頑張れようかな
っていうところですかね
本当なんかあれですね
みどんさんから話を聞いて
楽しみなことがたくさんありますね
具体的に
達成可能なものを
達成するんだっていう思いが
自分の中の原動力
なんかなと思ってて
大きな夢みたいなのはなかなか
現実的なもの
じゃないものには
魅力を感じないというか
前回の
サテライトの時に
ベルさんの走りを見て
この人には勝てないなっていうのは
痛感しましたので
しかも
VIXでもあれだけの成績を
出されたんですけど
やっぱり自分は自分なので
自分ができることを
突き詰めていくと
人に比べて投稿ではなくて
なんで
バックヤードをやってるかっていう理由の中で
自分の得意なことをずっと突き詰めていったら
バックヤードになっちゃったっていうのがあって
これスピードもいらないし
寝ずに走るっていうのが
重要な要素になるじゃないですか
意外と楽しんでるうちは
バックヤードの楽しさと仲間との関係性
眠くならなくて
前回のサテライトの時も
80いったけど
全然まだまだ
ちょっと寝ること
70以上で寝ることに
こだわりすぎたなと
逆に足を痛めたなっていうのがあって
もう少し寝る時間よりも
足を休める時間を
取ればよかったかな
とかいうところがすごく
反省点として残ってて
自分の武器としてはまだ
もう少し寝なくても
政治を頼もてるかなっていう
ところがあるので
その辺は
今度キジマダイラーのコースがまだ
知れなくて
4月出たかったんですけど
仕事変わったばっかりで出れなかったので
おそらく初めてのところで
走るので
うまくいく
ちょっとまだイメージがないんですが
格闘評価が少なければ少ないほど
僕にとっては有利なので
そういう意味では
群馬よりも走りやすい
コースであればいいなというふうに思ってます
やっぱ
本当にみどりさんの
バックヤードを楽しそうに語るっていうところが
とても僕にエネルギーをくれる感じで
ありがとうございます
バックヤードのルールがなかったら
もう本当に総力で言うと
もう本当に皆さんもう化け物じゃないですか
バックヤードのルールの中でやってるから
こうして
ポッドキャストにも出させていただいたりするんですけど
本当にそれぞれの記録とか
大会の成績を見ると
もう本当に
自分には勝ち目のない人ばかりなので
本当にそれを一緒に走れるということが
光栄ですよね
もう嬉しい限りです
でも多分きっとそれは
他の方もみどりさんに対して思ってるなと
私自身もそう思ってますし
自分はメンタルが弱いのがやっぱり
自分では分かってて
それが
本当に足が折れそうになっても
走っている方々を見ると
もう本当に胸が熱くなるし
疲労するしですね
本当に尊敬できる人たちばかりだなという
自分にないことができる人っていうのは
すごいなというふうに
思える
競技なので
そういうところがやっぱり
いいなというふうに思いますね
一言で言っちゃうと面白い人たちだし
そうですね
本当にそう思います
一般人の目線から見るとある意味
化け物たちという
本当に長い間一緒に
走ってるというだけの
話でですね
今でも東京に
行ったりすると
2022年の
サテライトのメンバーが集まって
一緒に飲んだり食べたりしたり
とかっていうですね
本当に仲間感が
強くなる競技なので
そういう意味では
本当に
みんなと一緒に走るというのは
すごい
あと走るときは
まあそこそこきついんですけど
その後
きつい草がいい思い出になり
その後の
交友関係にもなっていくところが
すごい好きですね
もはや
バックヤードの魅力を語っていただいたっていう
ありがとうございます
はい
ベル選手との関係性と互いへの尊敬
ちなみに
いろいろお話聞いてた中で
面白いなと思ったのが
ベルさんのこと絶対勝てないって
おっしゃってたじゃないですか
実は前回
ベルさんにインタビューしたときに
次はみのるさんインタビューなんですけど
なんかコメントありますかって言ったら
私2年前のサテライトで
みのるさんが走ってる姿を見て
この人には絶対勝てないな
と思ったんですよって言ってて
それはこう多分みのるさんの
楽しんでる力みたいなところ
のことを
多分指してるのかなとは思うんですけど
なんかあの
くしくも
お互いに対しても同じことを思ってたんだなっていう
逆に
坂で止まらないんですよ
ずっと同じステップを踏んで
登っていくんですよ
僕は
ここの伝心柱まで頑張ろうみたいな感じで
あそこまで走ったら歩く
っていうようなスタンスでないと
もう
どうしても歩き倒したく
なっちゃうんですよね
そこを歩き出すとすぐ
ベルさんが
後ろから追いついてきて越しちゃうと
いうことで
あれだけ淡々と走られると
とてもじゃないけど
やっぱりメンタルが強くないと
あの走りはできないなという風に
思いましたし
今でもちょっと
あの走りをされる
ベルさんにはですね
絶対に勝ち目はないですね
実際にVIXでもあれだけの走りをされてますので
もう
自分にはそういう
走りはできないという風に思ってます
唯一
救いなのは獲得証拠がないところであれば
まだもう少し
記録は伸ばせるんかなという
感じですけど
それでも多分100いったらもうそれで
満足しちゃって
それ以上は多分走れないだろうな
という風には
思います自分の中で
ていうかそれを目指そうという風に
思ってないし日本記録とかですね
それを目指そうとかってそういう
思いはもうこれぽっちもないですね
ビッグスへの挑戦と今後の目標
それがもう次100いったら
その次の目標になるかもしれませんが
そこはまだ
自分の中では描いちゃいけない
妄想ですね
まずは
通過点になるのか
終着点になるのか
100っていうところが
今一番意識されてると
ちなみに
累積が大きいところでは
なかなか難しいってことをおっしゃってましたけど
去年
2025年にビッグスに
出場されたかなと
思うんですけど
その時の話とか逆に
ビッグスに向けてどんなことされてたみたいな
話も聞きたいですけど
そうですね正直ビッグスは
自分の中ではお祭りだったんですよ
なので
その
ビッグスに向けて
コースを調べて
特別努力しようという
思いもなくて
失礼な話
サポートもつけずに
行ったっていうのは
自分がサポートつけたからって
大した記録が出るっていう
イメージがほとんどなかったんですよね
なのでとにかく
楽しんで
皆さんの走りを
一番近くで見せてもらおうという
思いで出てたんですよ
その中でどんな練習したかっていうと
ちょうど
先日
広島長崎ピースラン
っていうのがあったんですけど
こちらの練習しかしてないですね
はっきり言って
半年間ぐらい
ピースランを
完走することが僕の本当の
ほとんど人生の目標みたいな
形になって
バックヤードも大好きなんですけど
どちらかというと
ピースランを
完走するということが
本当の
去年の目標だったので
毎日3,4時間
日が昇って9時過ぎてから
3,4時間毎日
走ってるという練習で
全く
足を作るというよりは
暑さに耐えれる体を作るというだけを
目標にやってました
全然
走行距離が伸びたりとか
してないんですけど
暑い中でいかに平然と走れるか
っていうところだけを
鍛えてました
実際去年ピースラン
完走されましたよね
もう
途中
250キロ地点で諦めかけたんですけど
平田さんが応援に来てくれて
米の山峠という
祭壇の南下の直前に
平田さんに会って
これはちょっと
眠すぎて
無理だなと思ってたんですけど
そこで平田さんが50キロくらい
佐賀までずっと
並走してくれたんですよ
これでもうバチと目が覚めちゃって
本当に
バックヤード仲間に助けられて
そこから
不眠不休で
最後まで走ることができて
自分の中では
本当に一番
嬉しい記憶に残る
大会になりました
今年は全然ダメだったんですけど
やっぱり去年は
本当に
嬉しかったですね
そういう意味では
ピースランってあれですよね
8月の6日から
9日までですね
9日まで走るっていう
あれ
大会名とかを見たときに
リレーっていう風に書いてたんですけど
リレーではそんなので
ソロの部っていうのがあるんですよ
そういうことですよね
ソロの部っていうのは
ソロの人たちはめんどくさいんでピースランって言ってる
っていう感じですかね
はい
だからある意味
何人かで分けて走るのがもともとのはずなのに
それを
ひとつなぎ一人で
2022年の時にカトルスさんに
僕はどっちかっちと熱いところを走る方が得意なんですよね
とかっていう話をしたら
ちょうどその年
カトルスさんが
3度目のぐらいの挑戦でやっと
初完走された年で
だったらピースランでないよ
って言われて
その時はちょっと
仕事が忙しいから
出るの難しいですね
って
本当は走れそうになかったから
そういう風に
言い訳で言ったんですけど
そこから自分の中で自問自答がずっと
続いて
熱い中ピースラン走れるのかどうなのか
っていうのが自分の中でずっと
頭の中に残ってて
結局翌年
試しに走ってみようって
走ったらいきなり1日目から熱中症になっちゃって
2日目で
フラフラになって
っていう形で
2年目は途中でコロナで
リタイアしてて3年目で
なんとかやっと完走できたんですけど
本当に
ピースランに取り憑かれたような
形になってましたね
それが2025年
その3年目で完走
平田さんのサポートがなかった
サポートというか
応援がなかったら
他の人たちも
応援に来てくれたりしてたんですけど
それがなかったら
まず完走できてないだろうなという意味では
本当に平田さんのサポートには
本当に感謝してます
一生の恩人ですね
面白いなと思ったのは
2024年のサテライトで
かなり平田さんがやっぱ
序盤不安定になっちゃうところを
みのれさんが
サポートして
平田さんが最後のアシストまで行ったっていう
鶴の恩返しみたいな話だな
平田さんは
サポートしなくても
起走本能だけで
最終的には帰っちゃう人なんですよ
本当は僕のサポートなんかは
たぶんいらなかったんでしょうけど
面白いですね
ご自身の力だけじゃないもので
ティースランを走り抜いたっていう
そんな感覚ですよね
そうですね
やっぱり一人だけだと
どうしても眠くなった時に
歩いちゃうんですよ
歩くと余計眠くなって
動けなくなって
そこで眠くてが覚める事件が
起こったというのが
息を吹き返したというか
それがなければ
本当にダメだったという風に思ってます
結局眠さって
やっぱりどうしても
気持ちが下がった時に
起こるんだろうなという風に思います
そうですね
本当楽しい時は
眠気感じないですよね
そうですね
夢中になっている時が
一番眠たくない時ですよね
眠くなると
痛みも勝手に出てきたりとか
してですね
それに自分が耐えれるだけの
気持ち心の強さがないので
なるべくそういう
眠たくならないようにするためには
楽しく楽しむことが
大事なのかなという風に思いますね
うーん
いやいやいや
そしてその
2025年のある種
ハイライトはピースランドだったのかなと思うんですけど
そうですね
その後10月VIX出られて
そこはちょっとある種お祭りだったと
おっしゃってましたけど
あの
若干期待していただいた方とか
応援してくれた方には
本当に申し訳ないんですけど
本当に楽しかったです
最後の終わり方はちょっと不本意だったんですが
ただそれ以外ではですね
本当に楽しかったし
良い思い出になりました
あのあれですよね
あのみのれさんがVIXで
首を切った事件ですね
首を切った事件ですね
もうあの
結構胃がやられてるのと
足も重たかったので
夜が明けるまでは
もうギリギリで帰ろうという
作戦だったんですよ
もう57、8分ぐらいで帰ろうというような作戦で
もう一番最後
ノロノロ走ってたんですけど
ずっとなんか首
やっぱり暑かったので
脱水症状少しなってたのかな
という昼間にですね
全然氷も使わなかった
自分はなんか
暑さに強いんだという
変な過信があったのもあって
意外と
それで暑さにもやられてたと思うんですよ
もう10月になってたので
ピースランから
クーラーの利いた部屋で
生活してたんで
それまではクーラー一切使わない部屋
なんですけど
そういうようなこともあって
やっぱり初熱循環がまた元に戻ってたというのもあってですね
やっぱりかなり脱水症状とか起こしてて
やっぱりいろんなところがつる中で
首がこう
なんていうんですかね
ずっと支え切れないぐらい
ちょっと動きが悪くなって
最終的に頑張って
走った時に首がつって
その並行間隔がうまく
保ってなくて
だこうして走ってたら
間に合わなくなったというのが最終的な終わり方です
いやー
いやー
そんなことがあるのかと
そしてその首をつったっていうのが
あれですよね
日本にニュースとして
伝わった時
動物トレイルで
ちょっと紹介してもらった
笑い話としてネタとして
話したので
それがちょっと
面白話として
話させていただきました
全然ショックは受けてなかったんですけど
もう
ただ本当は
自分の中では
VIXXは50行きたかったんですよ
50を行って
トレイルパートで
終わるという
イメージであったので
そのイメージがかなわなかったことは
ちょっと心残りだったですね
なんか他に
ご自身の走り以外で
楽しかったとおっしゃってましたけど
印象的だった
選手っていらっしゃいましたか
ずっと
ずっと日本の選手を追いかけてたので
前田くんと
平田さんの最後の
オーリン
なんて言っていいか分からないぐらいに
なんか衝撃的だったし
本当に
前田くんも
平田さんも
100ラップ以上
世界レベルの記録を狙ってたので
そこが
すごく
辛かったですね
自分がはしゃいでる自分が
もう本当に
申し訳なく過ぎたというところが
一番ですね
その後ずっと
応援ができて本当に良かったんですけど
そこがちょっと
残念だったなというふうに思います
あとベルさんはやっぱりかっこよかったですね
そこまで
自分を追い込んで
走れるんだって
100行った後も
余裕があったので
まだまだ
あの後朝を迎えてたら
まだ行くんかなという感じだったですよね
まだそこは
走れないようなところは
見て取れましたね
本当ですね
いやー
しかも
逆にベルさんのおかげで
私たちは
先に終わっちゃった日本メンバーは
結構いろいろ
その後のレースも楽しませてもらいましたし
結構いろんな話をね
先に終わっちゃったメンバーとか
サポートクルーと一緒に
することもできたので
そういう意味でも
ベルさんが最後まで走ってくれてたからこそ
僕たちもそこにちょっとでも
喰らいつきたかったところですけど
ベルさんが
作ってくれた時間で
僕らもいろんな思い出をまた作ってくれた
もらった
待っている間に
サポートの方たちとも
いろいろと楽しく話せたし
いい思い出でですね
なかなか登りはしんどいとおっしゃってましたけど
今年の10月に
サテライトが控えている中で
その先を話すのもあれですけど
またビッグスは行きたいと思いますか
どうですか
ビッグスは個人戦なんで
もし行けることができるのであれば
行ってみたいなという
思いはありますね
ただ正直
上位を狙ってとか
そういう意味ではないです
勝てる戦場ではないですね
はっきり言ってビッグスの構図は
僕にとっては
50ラップ
いけることを証明したいとか
48ラップ以上いけることを証明したいとか
そういうことだけですね
もし行くとしたら
勝ち目がないですね
いやでもそこは
水野さんってものすごくご自身のことを
分かっている方だなというのはあるので
とてもそれを聞いて
納得というか
逆にサテライト
そして今年の木島平は
割と多分累積が低いコースで
走れるのかなと思っているので
2026年のサテライトは
ご自身にとって
フィールドというか
活躍できるフィールドなのかな
という風に思ってらっしゃるのかな
と思うんですけど
今年のサテライトに向けて
取り組まれていることとか
あとは意気込みとかも
伺ってみたいんですけど
いかがですか
こんなネガティブなことを言ったら
皆さんがっかりされるかと思うんですが
今年
あんまり走れてないんですよ
膝が悪くなりまして
膝の故障
としてて
過去10年で一番
走ってないんですよ
夜走ると朝
全然走れなくなって
もう本当に
そのキロ中でも
走れないことが
直々あるんですよ
今回
ピースランに出たんですけど
行けるところまで
行こうと
思ったんですけど
60キロで膝が痛くなっちゃって
そこから
下関に関門が
10時までに行かないといけないんですけど
あと残り
130キロ歩き倒して
関門アウトだったんですよ
間に合わそうと思えば
間に合えたかもしれないんですけど
そうするとまたさらに
丸一日歩き続けないといけない
という形になるので
これはサペライトに向けて
今から感知させて
あと平成1ヶ月
ない時期で
どこまで自分のトレーニングができるか
というのが正直
ビジョンが見えてないんです
なので
どれだけ
獲得標高が少なくても
やっぱりちゃんと自分の思い描いた
練習をしないと
100ラップも
いけるはずもないので
ちゃんと積み重ねた
実績をもとにもって
挑戦したいというところが
難しいんですよ
正直
辞退することもだいぶ
今回の成績が悪ければ辞退することも
考えてたりはしたんですが
やっぱり
自分も誰にも負けないぐらい
サペライトに関しては
熱い思いを持ってて
わずかでも可能性があるのなら
今から1ヶ月間
頑張って
しっかり調整して
望みたいなという
思いもあって
もしかしたら
全く不甲斐ない成績が
出るかもしれないという
中で
やれるだけのことはやろう
せっかく掴んだ切符ですし
出たくても出れなかった
平田さんのことなんか考えると
やれるだけのことは
やってから決めようかな
というふうに思ってて
もしかしたら
最初の
最後の一人ではなくて
最初の一人にならないことが
目標になるかもしれないんですけど
チームの代表として団体戦ですので
こんなことを言ってるような人間が
出る資格はないかとは
思うのはやはり
やれることはやって
望みたいなと
いうふうに思ってるという
残念な話なんですけど
今から
無理しすぎたら
年が年なんで
そういった練習はできないんで
最大限の調整をするしかないんですが
そこをどうやってやるか
っていうのが今からの取り組み
というふうに思ってます
そうなんですね
率直にお話いただいて
ありがとうございます
僕自身もランニングとか
してるのもそうですし
他の方のお話とか聞いてても思うのは
バックヤードの
日本代表レベルの方々は
ものすごい距離走ってる人たちも
いますけど
もはや
直近の走り込みが
どうこうとかっていうよりは
それぞれに
やってきた
走る技術
走り続ける技術みたいな
いうところが
確かなものがあるのかなという気はしているので
ご自身がおっしゃるように
状況としては
走り込みでどうこうってことではないと思うんですけど
そういう状況の中でも
三浦さんがどういう
ある種の表現を
サテライトで
見せてくれるのかっていうのは
なんかちょっと他人事で
あれですけど
それはそれで楽しみだなというか
そこを楽しみにされる方々も
たぶんたくさんいらっしゃるだろうなっていうのは
勝手なから思いました
バックヤードで生き残る
自分の中の課題は
足を痛くならない
走りをするっていうことなので
いかに足を痛めないか
っていうことが一番重要だと
思ってるので
自分は
足が痛くなって走り続けられる
メンタルがないというのは
よくわかっているので
足は痛めない走りを
続けられれば
そんなに
100キロ200キロ走れないような
足にはなってないと思うので
そこからどこまで粘れるかっていう
ところはやっぱり
痛まない走り方をどこまで習得するかっていうのが
今からのちょっと
キーポイントだなというふうに
思ってます
ちなみに痛まない走りっていうのが
そんなのがあるんだったら
教えてくれっていう人がたくさんいると思うんですけど
ミノルさんが思う痛まない走りって
今の中では
どんなふうなものだとイメージされてるんですか
自分はすごい横脚なんですよ
今かなり足がねじれてて
正座も全くできないような
状態で
その中でずっとやってきたんですけど
ついに来たかっていうことで
本当に
痛まない走りを課題にやってて
とうとう痛めちゃったっていうところなので
これを
去年までの状態に
どうやって戻していくかっていうところを
ちょっと取り組みたいな
ということで何も答えは見えてません
答え合わせはスタテライトにということですね
そうですね
なんとか
まずは最初の一人にならないこと
そしてあとは
どれだけ
今からの取り組みが
うまく成果が出るかっていうところで
結果がだいぶ変わってくるだろうな
というふうに思ってます
楽しみです
ありがとうございます
そして聞いてみたいというところが
団体戦というところで
一緒に走るチームメイトっていうのが
いるかなと思うんですけど
その中で
今年注目している選手であったりとか
まだちょっとメンバー全部確定したわけじゃないんですけど
この人と
話しているのはすごい楽しみだなと
いうような人がいたら
聞いてみたいなというのと
今ちらっと
平田選手の辞退と田中選手の思い
平田さんのお話も出ましたけど
前回のスタテライトからの
というかその前後からも
いろいろ物語があると思うんですけど
メイユーの平田さんが
今回ちょっと残念な形で
スタテライトの代表からは辞退された
ということを
聞いたときの
気持ちというか今は率直にどう思ってますか
みたいなところを
もし差し支えなければちょっと聞いてみたいんですけど
平田さんの件はですね
本当にショックだったですね
本当に
もしかしたら
今からリハビリをして
復活されてまた
ミラクルな走りをされるのかなって
思ってたんですけど
ちょっともう潔い
判断をされたので
これはご本人の
意思なので
我々が遠やかくいうことではない
と思いますが
いつかきっとですね
復活されてまた
またあの走りが
見れるときに
自分もその一緒に走れる
甲斐があればいいな
という思いです
うん
ということで
平田さんに関しては
自分が今走れてることはですね
すごくありがたいんだなと
ちょっと足が痛いっていうような
ところでちょっと
気持ちが落ちてはいるんですが
こんなことで
ぜいたくいってるやろと
平田さんに叱られそうなので
あの
スイッチを入れると走れるんですよ
うん
足が痛くても
ただ痛いと日ごとの練習で
スイッチが入らないので
痛いのでそのまま気を中で
走って歩いたり走ったりしてる
っていうことが続いてて
あの
ちょっともやもやっとしてる
というような状況ですね
あと
バックヤードの普及と田中選手のメッセージ
一緒に走ってみたいというか
やっぱり前回
サテライトメンバーとは
またお会いしたいという楽しみもあるんですが
私意外と
バックヤードに関する
ポッドキャストいっぱい聞いてて
バックヤード関連の
方たちは
これからみんなお友達になってもらいたい
人ばっかりなので
大体皆さん
知ってるんですよ
面識がない方とかも
何人かいて
池田さんとか小池さんとか
あと
なんですかね
高橋さん
ボインさんですね
面識がないんですけど
活躍されてるのは
よく知ってるので
お話してみたいなと
でサテライトでは走ったことはないけど
ヒャッホイさんとかですね
あと
吉沢さんは
山の演奏会で一緒に走ったこと
あの方たちは
6日間走とか10日間走で
すごい記録を持たれているので
その方々が
バックヤードでまた
すごい記録を出してくれれば
自分は
そういう人たちと一緒に走ってきたんだぜ
みたいな
その自慢話が
できたらいいなという
思ってます
なので
初単戦のメンバー
サテライト初めて走るっていう
選手の方々との
一緒に走れるのが楽しみだと
小池さんとは
金ちゃんラーメンと
札幌一番のカップフスターで
乾杯したいですね
いいですねその乾杯
ありがとうございます
本当に
みのるさんのバックヤード愛を
すごい感じる
収録だったなというところで
気づいたら90分もお時間をいただいていて
本当にありがたいなという
ところなんですけど
最後にいくつか聞いてみたいなと
いうところで言うと
さっきもすごい
バックヤードの魅力みたいなところは
言っていただいたなという気もするんですけど
改めて
バックヤード
日本国内で言うと
ちょっとこう
自分にはまだ
そんなのはみたいな
結構こう
怖いものとして
捉えてる人が多いかなという
思いがあるんですけど
そんな方々に向けてバックヤードの魅力
お伝えしたいことありますか
最初に話したと思うんですけど
バックヤードはいつやめても
いい競技なんです
やめられない競技ではないと思うんですよ
危険を伴うとか
って言われてるんですけど
あれは
自分の精神力が勝って
痛みを超えられる
特殊な
道トラ君とかですね
特殊な人だけの話で
全く
危険ではなくて
6.7キロを1時間で
走れなくなるのが当たり前なので
それまで走り続ければ
いいだけの話じゃないですか
そうすると
自分が今
どの状態
どのレベルなのか
非常によく分かると
だから24時間走れるのか
10時間走れるのか
次どこまで走るためには
どういう練習をしたらいいのか
というようなところが
自分の立ち位置が分かるので
どんな競技にしろ
バックヤード以外だと
キロ数とか時間が決まって走るので
それに向けての
練習と思ってやれば
意外と楽しいし
みんなと一緒に走ることが
どれだけ自分の
モチベーションだとかパフォーマンスを
上げてくれるかというのが
分かると思いますし
本当に頑張れる
グルランでも頑張れるとは思うんですけど
一つの競技の中で頑張るというのは
もう一段階
上のレベルで頑張れると思うので
ぜひ皆さん一度体験していただいて
自分の
立ち位置を
知ってほしいな
という風に思います
たとえ
タイムを表す競技であっても
バックヤードでは
これぐらいの走りができたというのは
一つの目安になると思うので
1周走れたから
2周2周走れたから
3周というような形で
ちょっとずつ目標を
上げていくということは
結構面白いことだと思うんですね
私も最初はタイムをずっと追ってましたけど
今は
何周できるかという方が
興味があるんですが
そういう人もいるんじゃないかなと思いますので
そういう人に向けには
楽しい競技だと思いますので
ぜひ
食わず嫌いはしないで
ぜひ体験してもらえたらいいなという風に思います
本当に
ミドルさんがおっしゃっていただくと
とても説得力があるという
ちなみに
自己最長とか
ご自身の中の
未知なる自分に出会うみたいな
いうのもバックヤードの一つの楽しみだ
ということかなと思うんですけど
ミドルさん
ご自身の自己最長距離って
バックヤードの
走った距離ですか
100マイルを初めて超えたのも
バックヤードですし
あと
サテライト大会の
2024年の時の
81ラップで
543キロが最長なんですよ
自分は
長い距離を
走ろうとか
渾州縦断とか川の道とか
そういった
長い距離を走りたいとか
という思いは
それほど強くないというか
そういう人たちに憧れはするんですけど
ちょっとしんどそうだからやりたくない
という方が多くて
バックヤードだったらできるから
やってるよというような感じですかね
いろんな
競技に挑戦しようとか
というよりは
ちょっときつそうだから
やめとこうという方が
強いですね
ただ一回やってみてももし黒かったらはまっちゃって
辛さよりも
楽しさの方が超えちゃうと
ピースランドとか
バックヤードみたいに
もう夢中になっちゃって
全然
辛いさっていうのが
楽しい思い出になる
というような感覚になって
しまえば
それに向けて頑張れるかなという
感じですかね
ありがとうございます
とても
聞いてる側も
すごい刺激を受けるというか
夢中になるということの
力強さというかそういうのを
三浦さんから教えていただくなという
そんなのを今改めて
思いました
座右の銘とランニングへの情熱
ありがとうございます
最後2つ聞きたいんですけど
左右の銘とか
大切にしている言葉とかってあったりしますか
どうですかね
好きこそものの上手なれ
今日の話題からいくとですね
好きだからやってるんですよ
というだけのことで
好きっていうのが
僕は自分を考えたときに
走ることが好きなんじゃないんだろうな
というふうに思います
だからいろんなランニングに
挑戦したりとかじゃなくて
走ることによって
記録を超えることができたりとか
目標が達成することが
好きだったりとか
そういうことが好きなんだろうなと
あと
みんなと一緒に
なんか
いろいろ一つのことに対して
取り組んでいくというのも
結構好きだし
そういうことで
楽しくやらせてもらっている
というような感じ
気がついたら
夢中になって
そればっかりのことを1日中
考えてやっているということですかね
それが充実して
良かったかなと
うまくいかなかったら
何が悪いんだろうとか
そういうことを考えて
また新しく
取り組みをして
工夫しながらやっていくというのが
良いのかなというふうには思います
ありがとうございます
そして最後の質問
と思ったんですけど
もう1個差し込みたくて
本当はずっとバックヤードの
魅力というか
その話をたくさん聞かせていただいたので
最後1個だけ脱線したいんですけど
60歳までに
世界3周目をしたい
はい
っておっしゃってたと思うんですけど
走行距離です
4万キロが世界1周なんですよ
そういうことですね
なので
60歳までに
12万キロ走りたいと
そういうことですね
なるほど
ちょっと勘違いしてました
すいません
そこまでのお金も財力も
ないので
南米に
旅してたエピソードとかあったので
旅費用なのかなと
そうではないですね
良いの渡るさんみたいなことは
ようやらないので
毎日の
獲得距離をトータルして
12万キロまで
60ぐらいまでに
走りたい
だいたい5年で世界1周できるんですよね
5年だと
年間8000キロですかね
それぐらいのペースでずっと走っているので
そこが
自分の中での
モチベーションになっている
毎日走ることがモチベーションになっているので
それが
いろんな大会よりも
それを達成するのが
一つの自分の中の
楽しみでやってます
だからやめられないです
ほんと
車のメーターみたいに
みどりさんの中で走り始めた時からの
通算距離が
通算メーターがある
1年目は1年間で600キロだったんですよ
今のように1ヶ月で走れる
1ヶ月で走れる距離なんですけど
そこから始めて
よくここまで来たなと
振り返った時に思います
面白いです
ほんと
勘違いしていたんですけど
その想像を
遥かに超える答えを
いただいてありがとうございます
でも月まで行きたいという人が
世の中にはいるみたいですけど
月までは行けないですね
月までって何キロになるんですか
何キロだったんですかね
一回調べたことがあるんですけど
これは行けないなと思ってから諦めました
60万キロだったか
なんかもっととてつもない距離だと思います
すごい人が
世の中にはいるもんですね
そのうちの
推し距離だと
加犬さんなら行くんじゃないですか
そのアイディアを与えたら
本当にそこまで走りそうだから怖いです
ぜひ
行ってもらいたいし
ちょっと吹き込んでおきます
ありがとうございます
ということで最後
1つご質問答えていただいて終わりにしたいなと
思うんですけど
今日たくさんいろいろお話いただいたと思うんですけど
これを聞いている方とか
本当に一般的なのでもいいんですけど
最後に言い残したこととか
最後のメッセージと感謝
メッセージコメント一言
いただけたらなと思います
よろしくお願いします
バックヤードに出会えて
本当に素敵な仲間たちに
出会うことができました
応援してもらっている方に
本当に感謝してて
ただ
自分が本当に
今後だんだん記録も
伸びていかないような
ことがあるかと思って
本当に期待していただくと
なんかがっかりさせるようで
そこが一番怖いんですが
そうは言っても
バックヤード自体は
私もずっと
携わっていきたいな
というふうに思ってて
そういう意味で
本当に
もっともっと広めていきたい競技なので
皆さん方にも
私だけではなくて
バックヤード自体は
もっともっと
盛り上げていきたい
というか一緒に盛り上げていきましょう
というような
お話がしたいです
道太郎君みたいに
周囲を巻き込んでいけるだけの
小魅力があればいいんですけど
私にはそういったことがないので
全然バックヤードと
競技が
過酷というところではないところで
そちらの方の
広める方の
担当させていただけたらなというふうに思います
ありがとうございます
一緒に盛り上げていきましょう
よろしくお願いします
そして今
お勤め先が道の駅の駅長という
言っちゃっていいのか分からないですけど
言ってください
潮沢市場という
ホーフの
駅におりますので
お勤めできていただけたら
またランニングの話なんか
できたらいいなと思いますので
ぜひ山口の
お越しの際には
お止めに来ていただけたら本当に嬉しいです
あとは個人的には
三野さんの道の駅で
バックヤードイベントというか
体験イベントをぜひいつか
ホーフ読売マラソンがあったりとか
ホーフは結構走ることに対しては
この間も高橋七子さんを
呼んでトークショーやったりとか
やってるので
そういったところで
ランニングのイベントとか
将来的にできたら本当にいいなと
思いますね
ぜひそんな形でも
一緒にいろいろやっていけたらなと思います
本当に長時間ありがとうございました
ありがとうございました
01:37:35

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