AFAP AFAP、このプロジェクトは、バックヤードウルトラという競技に見せられたウルトラランナーたちによる競争と挑戦に光を当てます。
As far as possible 私たちはどこまで行けるのか、走ることで繋がった仲間たちとこの世界の魅力をお伝えしていきます。
はい、プロウルトラランナーの水野道太郎です。 本日は2026年8月11日火曜日ということで、先日からですね、スタートしているバックヤードウルトラ日本代表
インタビューというところの第4弾ですね、お届けしたいというふうに思います。 10月17日に開催をされるバックヤードウルトラ国別対抗戦
通称サテライト大会に向けたインタビューですね。 どんな代表選手の方々がいるのかということをやっていきたいというふうに思います。
今回のゲストは田中実男選手です。よろしくお願いします。 よろしくお願いします。
よろしくお願いします。実野さん、ご無沙汰しております。 ご無沙汰です。
ご無沙汰しております。私はですね、神奈川の秦野の自宅から参加しているんですけど、実野さんはどちらからご参加ですか?
はい、山口市からです。 山口県の山口市ということですね。ご出身が山口なんですか?
出身は岡山なんですが、大学からずっと山口に住み着いております。
はい、ということで、なので秦野と山口の遠隔収録でやっていきたいなというふうに思います。
はい、でですね、私は田中実男さん、実は2年前のサテライト大会でもご一緒しているので、いろいろ知っている部分もあるんですが、
このポッドキャストを聞く方のために改めて実野さんからも自己紹介をいただけたらなというふうに思います。
では実野さん、よろしくお願いします。
はい、名前は田中実、山口市在住です。年齢が57歳で、乱歴は14年ぐらいになると思います。
よろしくお願いします。
よろしくお願いします。
乱歴14年ということは、40歳になってから走り始めたっていうことなんですか?
45歳がフルマラソンだったんですけど、フルマラソンする前に1年半ぐらいちょっと練習してからフルマラソンに入ったっていう形ですかね。
それ、きっかけはどんなものだったんですか?
地元の町内がすごくランニングが盛んなところで、地区の駅伝大会にいつも優勝しているようなチームだって、
そこに私、体育委員として、補欠として誰か走れなかったら数合わせで走らないといけないというラン党だったんですよ。
補欠エントリーしてたもんで、ずっと毎年打ち上げだけは参加してたんですが、実際走ってなかったので、すごく寂しかったんですね。
私もその輪に入れてもらおうと思って、じゃあちょっと2、3キロでも走ってみるかという形で走り始めたっていうのがきっかけです。
最初は補欠で入っていた地区のランニング大会にメンバーとしても走りたいみたいな思いから走り始めたと。
それ、実際走り始めて出走はかなったんですか?
結局3年間補欠で、走り始めて1年半したときにフルマラソンがあって、それでフルマラソンきちっといいタイムで走れたので、
それで認められて、その翌年の駅伝大会に出場してという形ですかね。
じゃあある意味、走り始めてフルマラソンで結果を出してようやく認められたみたいな。
1年前にはもう結構、区間賞いけるかなぐらい思っていたんですけど、
走らせてくれって言わずにずっと黙ってたんで、なかなか走らせてもらえなかったという感じですかね。
それは、いきなりランニング始めて、そんなすぐ区間賞を狙えるぐらいの走力になるもんなんですか?
1年ぐらいでだいたい、最初はもうキロ4で走るのがやっとぐらいだったんですかね。
だったんですけど、だんだん早くなってきたんかなという形で、
1年ぐらい経った時には、一応2キロ走が7分ぐらいで走れるようにはなってましたね。
へぇー。
あの、ちょっと私の中でいろいろこう、ハテナが浮かんでるんですけど、
こんなに、いきなりキロ4で走れるかどうかみたいな、いきなり最初からそんな感じですかね。
いきなりは走れないですね。やっぱり2キロが10分ぐらいかかってましたね、最初は。
はいはいはい。
で、まあ毎日もうダッシュの連続ですよね。とにかくその2キロ走を繰り返してたっていう形ですかね。
ふんふんふん。
逆に言えば、もう2キロ走で8分でキロ4じゃないですか。
8分キルまではもう、それしかやってないです。
あー。じゃあ本当にこう2キロ、そのエキデンの区間の距離ってことですよね。
はいはい。
そこに特化して。
そうですね。
おー。いやなんか、40過ぎてから走り始めて、私的にはすごい短期間で、めちゃめちゃ走れるようになったんだなっていう感覚なんですけど。
50代は、小学生と同じレベルっていうような話を聞いたことがあるんですよ。
へー。
小学生の時に、やっぱり2キロを7分ぐらいで走ってたので、
8分なら行けるかなっていう謎の自信を持ってやってました。
へー。
初フルは何分だったんですか?
3時間9分だったんですね。
おー、初フルで。
それはなんか、結構余裕だったのか、ご自身的にはいっぱいいっぱいだったのか。
えーとですね、足がつってですね、
もう上半身と下半身と全く別物だったですね。
で、もうつってつって、もう本当にコジカのバンビーのような感じになってですね、
もう止まったら大丈夫ですか?って言われるんですけども、
もうそれが結構、動き始められなくて、もうつらかったんですけど、
これ足さえなんとかなればまだいけるかなっていう感覚はありましたね。
じゃあ、もう最後まで快走気持ちよく走れての3時間9分っていうよりは、
むしろそれよりもっと早いタイムで走ってて、
ちょっとこう後半潰れながらの3時間9分と。
そうですね、最後35キロ地点と40キロ地点あたりで、
2回止まる、完全に足が止まって動けなくなったですね。
じゃあ、もともとは結構相当早いペースで走ってたって感じですか?
時計持ってなかったんで、ペースが分からなかったですね。
とにかく楽しみながら、みんなに手振りながら、
みんなが自分を応援してくれてるようで、
すごく楽しかった思い出しかないですね。
すごいなんか、私とか皆さんからも聞く、
みのれさんのイメージ、すごい楽しそうに走っているとか、
あとは、とても周りの人に気遣いをされてるっていう、
そのイメージはもう、最初のフルからこの感じだったんですね。
基本の歯を踏みしばって走るっていうのがあんまり好きではないので、
フルはキロ4で走ることしかずっと、
今でもですけど、もうそれしか頭にないですね。
キロ4で走って、全く苦しくなければ成功みたいな感じなんで、
で、もう今そのキロ4で走れないのがもう辛くて仕方がないですね、逆に。
すごいですね。キロ4で辛くなく走るっていうのがフルの楽しく走っているのが醍醐味と。
もうそれ以上に頑張って走ろうっていう気は一切なかったですね。
ちなみに、ベストはどれぐらいなんですか?
ベストが2時間42分ですね。
それ全然キロ4より早いですね。
それは1回だけ、もう障害体ベストを出したいとマジで思って、
豊富読みマラソンで、そのときはキロ3分50でずっと走ったっていう感じだったんですかね。
そのときはちょっとは食いしばったんですか?
30キロぐらいのときに、ちょっとやめようかなと、
もうこれで2時間45分切ってるから、まあこれで行けばいいかなと思ったんですけど、
応援の方が頑張れって言ってくれたんで、じゃあ頑張ろうっていう形で、
やっぱり応援に助けられて、なんとかそのペースを落とさずにいけれたかなっていう感じだったんだね。
それが2000何年ぐらいの話ですか?
2015年だったと思います。
じゃあ走り始めて。
3回目のフルマラソンだったですかね。
すごいですね。すごいな。
で、今もフルマラソン年に1回ぐらいは走られてますか?
一応、12年連続フルサブスリーしてるので、それが途絶えるまでは続けようと思ってて、
もう今59分台を2年続けてやってるので、今年で引退かなと思って楽しみにしてます。
いやーすごいな。ありがとうございます。
結構このインタビュー企画は、基本的にはやっぱバックヤードの代表選手っていうのにお話聞いてるんですけど、
結構みなさんのこのフルの話とか、フルにどういうヒストリーでやってきたのかみたいなのを聞くのもすごい面白くて、ありがとうございます。
基本もう全く興味ないです。
ほんと、もう決まったレースに出てるって感じですか? 抱負読み売りに出てる?
はい。海峡マラソンが好きなんですけど、ちょっとバックヤードとかぶっちゃうところがあるので、
それで最近は抱負読み売りに出てるっていう感じですかね。
そうなんですね。
下関海峡マラソンも結構お気に入りっていう感じなんですね。
そうですね。仲間がみんな出るので、仲間外れにされたら嫌なんで、それで出てるっていう感じだったんですけどね。
ちなみに下関海峡マラソンって割とイメージなんですけど、なんか結構アップダウン激しい感じですか?
いや、でも、たぶん獲得評価は150ぐらいなので、バックヤード1周ぐらいかなっていう感じですよ。
なるほど。
はい、感じとしては。
比較的走りやすくて。
そうですね。後半が下関なので、どうしても僕の場合は足がつっちゃって失速するっていう形なので、
得意なコースではないですけど、周りに人が多いので楽しいですね。
フルマラソンはそんな感じかなと思うんですけど、
主戦場にされてるとか、好きなレースのタイプっていうのは、もっともっと違うやつかなと思うんですけど、
どういう感じのレースにフルは出て、記録が出て、その後はどんなのに出るようになったんですか?
初マラソンの後にサブスリーをするときにですね、
目標にしたときに、一応グランドスラム、スミナラのグランドスラムを狙ったんですよ。
どうせサブスリーするんだったら、グランドスラムをやってみようかということで、
フジトザン競走と100キロウルトラを一緒に、同時に目標として取り組んだんですけど、
その中で、フジトザン競走はもうしんどかったんで、もういいやっていう感じになるんですが、
フジトザン競走の練習で速くなったっていうところはあるんですが、
あんまり自分で登るばっかりっていうのは向いてない気がして、
100キロマラソンがすごく楽しかったんですね。
もう100キロマラソンで、確かシマント川だったと思うんですけど、
それが楽しかった、もうフジトザン競走もフルマラソンも全然、
そこから以降は全然興味がなくなったっていう感じですかね。
100キロはですね、すごく楽しかったし、ちょうどランキングが出るじゃないですか、
年代別のランキングを5歳刻みでですね、DUVだったと思う、
ウルトラランキング統計家なんかっていうのがあるんですけど、
あれが年代別が結構良くて、これだったら日本一になれるんじゃないかと思って、
それを目指してずっとやってたんですが、
40代、45歳代から49まではなかなかなれなくて、
50でやっと1位になれたんですが、そういうのが目標でずっとやってて、
それがモチベーションになってたかなっていうふうに思います。
結構、ミノルさんのランニングヒストリーの中で、
やっぱり具体的な数字が目標になることが多いですね。
そうですね。
自分の中で、こんな練習したらこれぐらいの総力になるんじゃないかっていうイメージがあって、
それを達成するのが楽しいというか、
なんとなくこんなことをやったらこんな風になるんだろうなっていうのがうまくマッチすることが多くて、
具体的に自分がその練習ができるかできないかっていうのを、
まず自分の中で自問自答してですね、
いけると思ったらずっとそれをひたすら繰り返すというような感じで、
他のことはあんまり一切やらないので、
100キロをやり始めてからインターバルとかはもう一切しなくして、
とにかくペース相当、ビルドアップばっかりやっとけばいいみたいな感じで、
もうなんか自分の我が道を行くっていうような感じの練習ばっかりですね。
ちなみにそのペース相当、ビルドアップはなんかどんな設定、どんな具体的なメニュー内容でやってたんですか?
最初は朝10キロぐらい走って、
疲労抜きみたいな感じで、とにかく週間的に10キロ走って、
夜は20キロから30キロぐらいを週に2、3回。
あと土曜か土日のどちらかで、
60キロから70キロ走を一発入れるっていうような繰り返しですかね。
その距離でペースを一定にするか、もしくはどんな距離で?
設定したペースが、だいたいキロ5かキロ7、キロ6はご褒美ということで、
滅多にしない、ロング走の時だけという形で、
早く走るか遅く走るか、どっちか、両極端にして走るという形が多かったですね。
すごい、キロ5のペースをか、キロ6のペースを、
キロ7ですね。
あ、キロ7か。
キロ6はなるべくしないように走ってました。
なるほど、なるほど、それを6、70キロ。
そうですね、それは萩王冠に行って帰ると、ちょうど70キロから80キロぐらいになるので、
それは、毎週はできなかったですけど、
6時間走か、その萩王冠をやるか、どっちかぐらいをやってました。
いや、ほんともう、じゃ、淡々とやられてっていう感じですね。
萩王冠がもう、ほんと、毎週のようにやってるっていう感じだったんですね。
毎週すると、やっぱり疲れがたまるっていう形で、
月2回ぐらいやって、冬場はちょっと雪積もったりするので、
冬場はどちらかというと、もっと違う場所に行ったりとかっていう形ですけど。
そんな感じで、100キロメインでやられていて、
50代、50歳ですね、で、DUV国内1位になったってことですけど、
そのときのタイムはどれぐらいだったんですか?
えーと、7時間36分だったんですかね。
ほう。それがベストタイムですか?100キロの。
そうです、そうです。
今も7時間36がベスト?
そうですね、それから以降、これで今度は日本記録狙おうというふうに思ったんですが、
ちょうどコロナになって、もう1年頑張ろうと思ったときに、
サロマ湖でだいたい記録が出してたんですけど、
それ自体大会がなくなったので、
そこから結構腐ってた時期が続きまして。
で、そこから、フルマラソンは初期でちょっとこう、いいやとなって、100キロ打ち込んで、
で、コロナのタイミングでちょっと100キロも、ちょっとなーみたいないう中で、
で、次に向いた矛先はどこだったんですか?
それでいよいよバックヤードですね。
もう、あのー、全然走る大会もなくなってて、
で、その中で、えーと、バックヤードにのフォロワー、
あの、インスタグラムでフォローしてる方がバックヤードやってて、
で、まあそれで、その情報が入ってきて、
で、島根大会と東京大会と、まあどっち出ようかな、みたいな感じになったんですが、
まあ、あのー、車で行くなら島根のほうがいいかなという形で、
島根大会に出たっていうのが初めて、バックヤードに出会ったきっかけですね。
うんうん、それが20何年ですか?
2021年だったと思います。
うーん、じゃあ割と日本に入ってきて、こう早い段階で。
そうですね、まあ、あのー、東京大会があった頃のことはあまり知らなくて、
まあ、タテノさんが優勝したんだなとか、それぐらいのことしか知らないぐらいで、
あとはもう、あのー、後から知ったっていうことが多くて、
まあ、何も知らずに、とにかく走り放題の大会があるので、
島根に行って出てみようという形だったですね。
うーん、その初めて知ったきっかけのインスタで見た方は、
はい。
差し支えなければですけど、どなただったんですか?
えーと、山口純平さんって言われる、あの、90方だったんで、
ラストドラゴンの記事で、確か私、ちょっと立花湾岸を興味があって、
そのー、どんな方が出られてるのかとか、見てたんですが、
その時の上位の方だったと思う、記憶してます。
で、それで興味を持って、バックヤード出てみてってことですけど、
バックヤードに向けては、なんかどんな準備をして望まれたんですか?
えーと、もう、それこそ、最初のバックヤードの時は、
全くもう走れてなかったので、
全然、その、とにかく38時間で250キロになるんですけど、
その38時間走れさえいいや、くらいの形で、
えー、まあ、望んだっていうことですかね。
うーん、で、やってみたらどうだったんですか?
で、結局前田くんがアシストだったんですけど、
前田くんが30時間で、もう、あの、ちょっと足痛めてて、
もう、そこでやめちゃったので、まあ、31時間で、まあ、優勝して、
で、まあ、それがサテライト大会に出るきっかけになったという感じですかね。
うーん、サテライト、いきなり、つかんでしまったと、日本代表という。
全然、サテライトが何なのか知らないまま、全然興味もなかったし、
まあ、あの、その上の大会を目指してとくいうことがなかったので、
もう、まあ、出れるんだったら、ちょっといい経験だから出てみようというような形だったですね。
うーん、なんか、こう、いきなりラストサムライになってし、慣れてしまったっていうのは、
ご自身の中では、どんな感覚だったんですか?
えーと、もっと、あの、すごい人たちがいるんだろうなっていうような感覚だったので、
あの、自分の中では、その、何も意気込みがなかって、とにかくその大会が寒かったんですよ。
で、もう、寒くて寒くてですね、もう二度と出ないと思えて、
もう、たぶん、あのままサテライトがなかったら、二度と出てないかもしれないですね。
じゃあ、最初のバックヤードは、そんなにこう、
うわあ、楽しかった、なんかまたやりたいっていう、その、印象いいって感じじゃなかったんですね?
結構、あの、トレーラーの選手が多かったので、
あの、最初の頃は、何言ってるかわかんないんですよ。
あの、なんか、
あの、
まだ、フル、マラソン自体の知識もほとんどないままやってたので、
全然、その、言葉が通じないというか、
会話が通じないというか、いう形だったので、
で、まあ、あの、人数が少なくなって、24時間過ぎたあたりからですね、
まあ、あの、そういうマラソン以外の話もだんだん弾んできてですね、
やっとこう、あの、仲良く話せるようになったかなっていう形で、
まあ、ちょっと、あの、一人、24時間過ぎるまでは寂しかったですね。
うーん、なんかちょっと違う世界に迷い込んじゃったな、みたいな。
そうです、そうです、はい。
そうなんですね。
はい。