1. AFAP
  2. RS#7「宝探しが止まらない|櫻..
RS#7「宝探しが止まらない|櫻庭 健選手」10/17〜バックヤード日本代表世界一への道
2026-09-07 2:06:17

RS#7「宝探しが止まらない|櫻庭 健選手」10/17〜バックヤード日本代表世界一への道

AFAP(アファップ)。このプロジェクトは、「バックヤードウルトラ」という競技に魅せられたウルトラランナーたちによる共走と挑戦に光を当てます。「As far as possible 私たちはどこまでいけるのか?」走ることでつながった仲間たちとこの世界の魅力をお伝えしていきます。


今回は、RS#7「宝探しが止まらない|櫻庭 健選手」10/17〜バックヤード日本代表世界一への道

【内容】

・RS シリーズ= Rising Sun Project(チームジャパン頂点への道)が遂にスタート。

7回目ゲストは桜庭健選手(PB: 65LAP)

24時間走の日本代表という経験、ストイックな練習などで知られる桜庭選手が、サテライト代表を狙う海外大会で初めて感じたバックヤードの楽しさと面白さ。

過去に挫折を味わい「これが最後だと思って」と語りながらも、挑戦し続ける理由と、その人物像に迫る。


水野倫太郎/通称・ミチタロウ(Instagram:@michi_bagman_ultrarunner)

昨年のDead Cow Gullyにて、Dead Cow Gullyにて94LAPを記録。BAGMANの愛称で知られ、「走るはつなぐ」をテーマに、海外バックヤード転戦中。


AFAP(Instagram:@afap_ultrarunning)

「As Far As Possible 私たちはどこまでいけるのか?」をテーマに、2025年6月Dead Cow Gullyをきっかけに立ち上がった日本人ウルトラランナーたちによるプロジェクト。当初はドキュメンタリー制作が目的。現在は、大会主催やコミュニティづくりに至るまでバックヤードウルトラや「共走」の魅力を伝える活動を幅広く展開している。


Podcastでは「共走と挑戦のドキュメンタリー」をテーマに、以下のシリーズを配信しています。

・SDシリーズ:Seven-day Project(ミチタロウ7日間への道)

・RS シリーズ= Rising Sun Project(チームジャパン頂点への道)


Documentary映像「As Far As Possible 私たちはどこまでいけるのか?」視聴リンク:https://youtu.be/aY3RQz1ADoM?si=5t8dHO2wnGWrCu2m


編集: 岩崎智之

Aidpo (エイドポーション)オンラインプラットフォーム運営

https://discord.gg/EfS8jMGXB5

↑↑↑

TEAM AFAP情報もこちらから見れます

感想

まだ感想はありません。最初の1件を書きましょう!

00:05
AFAPこのプロジェクトは、バックヤードウルトラという競技に魅せられたウルトラランナーたちによる競争と挑戦に光を当てます。
As far as possible 私たちはどこまで行けるのか。 走ることで繋がった仲間たちとこの世界の魅力をお伝えしていきます。
はい、プロウルトラランナーの水野満太郎です。 本日は2026年9月2日ということで、最近ですね、取り組んでいる
インタビュー企画をやっていきたいというふうに思います。 バックヤードウルトラ日本代表世界一への道ということで、10月17日から開催される
バックヤードウルトラ国別対抗戦、通称サテライト大会に向けたインタビュー、選手インタビューになります。
今回のゲストは桜庭たけし選手です。よろしくお願いします。 よろしくお願いいたします。
お願いします。おぶさたしていますと言いたいところですが、10日前ぐらいまでお会いしてたなという。
そうですね、お礼もせずにちょっと、1日が経ってしまって申し訳なく思ってますけど、また再びお顔を拝見でき、嬉しく思っています。
はい、こちらこそです。ありがとうございます。 この後、我々がどういう行き立てでどこに行ってたかみたいなお話はするんですけど、
オーストラリアに我々行ってたわけですけど、そこからお戻りになって、近況とか、それこそバックヤードオーストラリアで走った後のご体調とか、今ご状況どうですか。
まあちょっと、やはり1週間ぐらいは相当疲労があったので、かなり足は重たかったんですけど、
もうすでに大会が何本か控えてますので、低速から始まって、今はもうそうですね、スピードレース、インターバルとかもできるようになってますので、
まずはちょっと、バックヤードウルトラはひとまず置いて、
24時間走が今月末にまた控えてますので、それに向けた練習をしてました。
本当に脅威の回復力と、そしてまた練習量、復帰されているということで、
もう本当にさすがだなという感じですが。
桜庭さん、このポッドキャストを聞いているような方であれば、もう知らない人はいないのかなというふうにも思うんですが、改めて自己紹介を伺えたらなと思います。よろしくお願いします。
ランニングがちょうど2015年の1月1日から始めて、今年で11年ですね。
今、年齢が54になりましたので、ちょうど43歳の年から、会社を起業した年がその年でして、
03:09
健康維持と、あと今後の経営を担うということで、ランニングを始めたというようなのがきっかけです。
北海道在住で、生まれも育ちも北海道で、今は与一町のほうで在住しているというような状況ですね。
ありがとうございます。ランニングを始めたのが起業されたタイミングで、最初は体力維持とか、経営者としてやっていくためのある種の土台として始めたって感じなんですか?
そうですね。やはりまず健康がというのと、始めはもう5キロ、1日5キロから。
で、その1月1日にタバコもやめて、それぐらいを続けられないと、もう明日の会社はないだろうという思いで継続しようと、小さく継続しようという形で始めたっていうのがきっかけでしたね。
そんなところから、先ほどチラッと24時間走っていう言葉だとか、あとはバックヤードウルトラっていうところに、もう今や足を踏み入れてるんだと思うんです。
どういう流れでどんどんランニングにはまっていったんですかね?
始めは1日5キロで月80キロぐらいが、その2015年始めた年でして、次の年にフルマラソン一生のうちに始めです、最後っていう気持ちで出たのが始めだったんですけど、
4時間切りをして1回でやめようと思ってはできなかったんですよね。
それで力を少しずつ本気を出し始めたっていうのが、
大会はその1回切りで終えようと初めは思ってたのが、ちょっと今に至るというようなことですけども。
できると思ってたサブ4ができず、それが悔しくてっていう。
そうですね。
そこからなんかその1日5キロのランニングっていうのの取り組み方とかがなんか変わってったんですか?
僕のその考え方というのは、その40代以前からはっきりしていたことは、数ヶ月先、続けられないことはもうやらないでおこうと。
とにかく小さいことを積み上げ、少しずつ少しずつ伸ばしていくという。
それで気づいた時には遠くに行ってるというような考え方でしたので。
06:03
1年目はもう本当に月80キロ。
そのサブ4ができなくて、翌年が月100キロ。
で、その次の年が200キロっていうことに、大体100キロぐらい伸ばしていったっていうのが現状ですかね。
もうでも、それって本当毎月どんどんどんどん伸びていって。
で、まあとはいえなんかこう走れる距離にも、ある程度、普通の人っていう感覚が、なんか言葉が、そもそもこのインタビューのしている方々にはなんか当てはまらない気がするんですけど、
まあどっかで上限があるじゃないですか、距離を伸ばしていって。
はい。
大体どこぐらいでなんか一旦落ち着いたとか。
いやなんかそれはもう延々と伸び続けたんです、なのか。
そこら辺はどうですか。
まあその1年目が月80キロだったのが、ずっと4年5年、2019年まで月400キロまで伸ばして。
で、その次の年がコロナ禍で2年間、イベント関係がなくなってたので、
逆にそこでまあ北海道中いろいろジャーニーランということで、月600、700って逆に伸ばしたんですよね。
まあ結局はもう、今考えればあれですけど、
まあ飲みにも行けないですとか、人と会うなみたいな、
そういうような世常だったので、
まあその自由気まもに走るっていうことが、逆になんかまあ心地よいような感じで、
まあずっと走り回ってたというのが、
ですからその頃に結構走力を伸ばしたっていうのが現状ですかね。
そのご自身のスタイルとかまあ性格として少しずつ積み上げていくっていう、
まあそういう部分があるとおっしゃってたんですけど、
まあそれはなんかこう積み上げていくっていうこともそうですけど、
やっぱりやってて楽しかったっていう気持ちがあったんですか。
どういうモチベーションでその距離が伸びていったんですかね。
やっぱりまあ楽しかったですよね。
まあその、やったらやっただけまあ帰ってくるという、
この走ることの面白さで、
まあその、それがまあ自分越えと言いますか、
まあ過去の自分を常に越えたいっていう気持ちが非常に大きく、
それが大きな喜びでもあったので、
それでまあ走る距離を伸ばし、
まあ目標を設定しながらまあ越えていったというような形ですよね。
09:01
で、レースとかにはその最初のフルマラソンっていう話が出てきましたけど、
なんかたくさん出るようになったのか、
実はある時期まではそんなに出てなかったとかなのか、
そこら辺はどうですか。
そうですね。
まあ1年目がそういう状況でフルマラソンがサブホールができなくて、
もう翌年には悔しくて、
フルマラソンも3本出て、サロマのヒーローも出たというような感じで、
どんどん出場する距離を伸ばしていったっていうのが現状ですかね。
一刻も早くやはりその自分越えをどんどんクリアしたいとなれば、
もうどんどん大会に出場すればそれが叶っていくものですから、
もう毎月1本、2本入れてはどんどん増やしていったっていうようなのが現状ではありますね。
ただ日々の走る距離は1年に去年よりも何キロっていう形で、
それ以上は気分が乗ってても抑えてというような形で、
年間で何キロ去年よりクリアするっていう形で、
徐々に徐々に設定を上げていったっていうような現状ではありますね。
ちなみにその2年目のフルマラソン3本のタイムとか、
あとはサロマン100キロマラソンのタイムとかって覚えてますか。
そうです。2年目が45歳で、6月の、全部道内の、はじめは道内のマラソンで、
6月3時間21分、北海道マラソンの8月が3時間16分、
11月の筑波マラソンが2時間58分みたいな感じで。
綺麗な形ですね。
そうですね。
ですからやはり100キロってとんでもない距離だったので、
10時間58分とか11時間ギリギリ超えるような形でした。
その後もフルマラソンであるとか100キロマラソンもやりつつ、
出るレースのまたカテゴリーがどんどん増えていくっていう感じだったんですか。
そうですね。今度は、私も1回やると、それは継続したい方なんで、
もう全てのカテゴリーにおいて自分越えを果たしたり、毎年果たしたりという形だったので、
翌年にはさらに、サロマン君は当然走りながら、長い距離だと140キロのアギ王冠ですとか、
道のくつがるのハーフの108キロですとか、
12:04
この年初めてトレイルですか、初めてトレイル、9月に地元のルストレイル、
61キロのトレイルを初めて走って、トレイルも楽しいなと思って、
これもやめられないってなったのが、その3年目ですね、2018年だったんですね。
それは、どんどんその次の年も、またカテゴリーが広がっていくんですか。
そうですね。出たのは、たとえばザ・ニーランもハーフとかなので、次の年はやはりフルを走りたい。
道のくつがるが263キロですとか。
で、やはりフルマラソンも、サブ映画2時間50分切りを切りたいという気持ちも当然あったので、
その2019年ですから、走り始めて5年ですか。
それで、2時間49分になり、トレイルも今度イズトレイル、
トレイルの距離もちょっとずつ伸ばしていこうという、
もうほんと楽しくて楽しくてしょうがなかった頃ですね。
これちなみに今、気になったワードですけど、
楽しくて楽しくてしょうがなかった時期っていうことは、
ちょっとそうじゃない時期も、この後登場してくるって感じですか。
そうですね。この後、今言った次の年がコロナ禍で2年間だったので、
先ほどもお話しした通り、自分でいろいろザ・ニーラン、
それこそ今回オーストラリアの沢さんと一緒に、
休みの日は常に走ってたようなザ・ニーランですよね。
自分で北海道の函館から輪っか内まで700キロをつなぐ、
切れてですけど、100キロ行っては次の週にまたそこから始める、
車で行って始めるみたいな。
で、700キロやろうという計画で常に走ったりですとか、
そういう楽しみがあったんですけど、
コロナ禍を終えた頃から今度、いろいろと、
もっと上の記録を目指すようになってからは、
なかなか大変な時も出てきました。
いや、そうですよね。
なんかその楽しいっていう、
函館・輪っか内のザ・ニーランとかは、
本当に楽しく走るっていうことだったのかなと思うんですけど、
そこから苦しい領域というか、
より記録の高みを目指すっていう、
そこのスイッチはきっかけがあったんですか?
コロナ禍が2年続いて、
15:01
その2年で年間7100キロ、
次の年が8700キロぐらいコロナ禍で走って、
大会は一切なかったので、
ようやく2022年にコロナ禍がある程度解けて、
いろんな大会がまた始まって、
それで一気にいろんなものに出たんですよね。
その時にたまたまいろんなものが、
上位入賞、
その3つの靴軽の266キロが1位ですとか、
そういうことになったり、
今までやりたかったトレイルの、
ディープ・ジャパンですとか、レイク・ビワですとか、
UTMFですとか、100マイルですね。
この年100マイル3本出たんですけど、
それもまあまあいいような記録になったので、
もっといけるんじゃないかということで、
次の年からちょっとなかなか、
大変になってきたかなというのはありましたね。
それが2023年になるんですか?
そうですね、2022年がコロナ禍の年で、
いろんなことを一気に水を得た魚のように、
大会に投資しだして、
2年間走り込んでたせいか、
まあまあいい記録が立て続けになったので、
翌年にいろいろと、
自分でハイアルチと言って、
低酸素ですね。
低酸素装置とか入れたりですとか、
そういうことをしだして、
あと日本代表、24時間走ですか、
きらつき出したのがこの年なんですよね。
まあまあいろいろと楽しい反面、
いろいろと苦労しながら、
努力を続けていたというような形ですかね。
ほんと多分、
1年1年振り返るとかなり、
いろんな引き出しというかエピソードがあるんだろうなと。
この後ね、バックヤードがまた登場してきて、
そことクロスしてくる部分もあるので、
いろんな種目をやられてたっていう中で、
それぞれのベストタイムみたいなところも、
このタイミングで聞いてみたいなと思うんですけど、
フルマラソンは最初はサブ4できず、
この次の年にはもう筑波で3時間切りも達成されて、
ということなんですけど、
今の時点でのベストタイムってどれぐらいなんですか。
そうですね、去年、一昨年、
大分ベップマラソン、毎日マラソンが大体出てるんですけど、
18:03
毎年2月ですね。
去年落としで2時間39分台ですね。
これが一番の良いタイムでしたね。
100キロは今年ですかね、一番良いタイム。
7時間31分30秒がピンになりますかね。
初のデビュー戦のサロマから見ると、
もう3時間以上早くなってるですね。
まあまあそうですね。
ちなみにトレイルだと、かなりレースによってタイムの幅があると思うんですけど、
100マイルで一番早いタイムがマウントフジになるんですかね。
そうですね、2023年の4月が165キロの年でしたけど、
9時間26分で55位。
ただその前の年が100マイル3本とかやって、
ちょっとこの頃に膝の調子が悪くなり、
2023年のUTMFを最後にトレイルを諦めたという。
そうなんですね。
そうですね、膝にだんだん水が溜まるような現象が出てきて、
トレイルをやるとそういうような形になってきたので、
景観には通ってはいなかったんですけど、
エコツイーン以外ですね。
ちょっとまずいかなという、走れなくなる時間も多くなったので、
それでちょっとトレイルはなくなく諦めて、
今度ロードレースに振るというような形になってきましたね。
そういう意味では2023年は結構天気の都市になったという感じですかね。
トレイルを断念したりとか。
そうですね。
で、24時間走もちらついてきたり。
そうですね、これが第2回目の、自身でも2回目ですけど、
弘前の24時間走で、自分でも第1回から出てたので、
これもその前の年に続いて2位で、
240キロまで行った、250キロくらい目指してたんですけど、
250キロ届けば日本代表になれた年だったんですけど、
ちょっと逃したんですよね。
行けるかなと思ってたんですけど、
それで頑張って2年後、2年おきの世界大会、
世界選手権なんですから、
2年後はどうしても日本代表になりたいということで、
21:03
また位置から積み上げ直すと言いますか、
いろいろ考え方を変えて走り始めたというのが、
この2023年になりますね。
で、この後も聞くんですけど、
バックヤードに初めて出たのが2023年ですか?
バックヤードは2022年の11月に、
北海道大会が初めてあったんですよね。
それはなんとなしに、
ちょうど今もやってる北海道大会のディレクターの田中さんの飲んだ席があって、
その時に田中さんが言ってたんですよね。
北海道でやるんだよということで、
それを耳にしてたので、ちょっと出てみようかなと思って、
2022年にコロナ禍の年で、
もう楽しくて楽しくてしょうがなかった時ですから、
もうなんでもいいから出たいというので、
初めてバックヤードウルトラに参戦したのが2022年11月ですね。
その時はどうだったんですか、結果としては。
結果は35ラップで優勝でしたね。
まだまだいけるなぁと思いながら、
もうあっけなく終わったような感じで、
まだ余力はあるなぁと思いながらっていうのは、
記憶にありますけどもね。
その時の記録であれですか、
サテライトの代表が前回に決まった感じですか。
いや、本来はサテライトの対象大会で、
優勝すればサテライトに出れるよっていう振り込みだったんですけど、
その後翌年の9月ぐらいだったかに、
友さんから連絡が来て、
北海道大会は認められないことになって、
ちょっと申請がしたのか理由はわからないですけど、
サテライトの対応大会にはできなくなったということで、
ごめんなさいという話で、
じゃあまた出ようかという感じで、
2023年に今度は福祉の大会に出たっていうのが、
2回目だったね。
その時の結果はどうだったんですか。
それは52ラップで優勝でしたけどね。
今も52って言ったらあれですからね。
24:00
その時はまあまあだったんでしょうけど、
今思えばその程度のあれでしょうけどね。
バックヤードはご自身の中では面白かったんですか。
そうですね。
正直どこまで行けるのかっていうのが、
道数の競技なので、
正直この時はまだ限界までは全然行ってなかったので、
その先を見てみたいという楽しみ方ですかね。
また今の楽しみ方とはまたちょっと違うんですけど、
そこ知れぬ先を見てみたいという、
そういう気持ちではありましたね。
ちょっとこの後ズブズブっとバックヤードのお話を掘っていきたいんですけど、
その前に実はその24時間走の話も出ていて、
日本代表を目指すっていうお話がありましたけど、
そこの物語はその後どんな感じになったんでしょう。
そうですね。
日本代表に目指して2位で終わって、
結局はダメだったのが2023年で、
2024年にもう一度ということでいろいろ立て直して、
2024年の5月に年代M50の日本記録で252キロで1位を取ったんですよね。
2024年ですね。
4年の5月。
ただ世界選手権は2025年ですので、
その2025年の記録がその当時は選手権の記録大賞となって、
ここであくまでコイントの大会でしかなかったので、
その世界選手権の年の春までの記録が勝負ということで、
翌年をさらに出力を上げて望んだっていうような形ですかね。
余談ですが、その2024年の50代の日本記録を出された時の広崎が、
たぶん桜庭さんと私の初会面でしたよね。
そうでしたね。よく覚えてますよ。
本当ですか。
一緒に走ってくれて、時間もとってありましたよね。
ちょうど今日インスタを振り返ってたら、
一緒に写ってる、見えますかね?一緒に写ってる写真が。
27:03
多いです、多いです。
そうだ、桜庭さんと一緒にしたんだったっていう。
僕もその写真持ってますから、よく覚えてますよ、虫太郎君のこと。
なんとなく私もその時のことは、心に残ってた部分があって、
それがその後に、この後お話するような、
今年のオーストラリアの遠征とかにも、僕の中ではちょっとつながった部分もあったりして。
僕もつながってましたね、それは。
そしてその2025年に、さらに24年の記録を上回って代表入りされてっていうことですけど、
実際24時間の日本代表になったわけですよね。
そうですね、ただその前にちょっといろいろあって、
日本記録を出した2024年5月は本当に2月からフルマラソンPB40分切りですとか、
川の道の252キロ1位ですとか、
サロマの100キロPBですとか、
絶好調だったんですけど、
先ほど話しましたけど、前の年のトレイルを辞めたきっかけが、
膝に水が溜まりだしたという。
すぐ引けるんですけど溜まったっていうのがあって、
ただ怪しかったんですけども、この年はフルマラソンの2月の時から膝が限界をきていて、
さらに水が溜まる頻度が増して、
どのレースもスタートから痛め止めを飲んでいたという現状だったんですよね。
6月末のサロマでPBを出した後に、もう耐えられなくなってすぐスポーツ外科に初めて受診しに行ったんですよ。
それまではもう整骨院しか行かなかったので、
これで衝撃の診断、もう走れないという、変形性膝関節症といって、
片べりですね、外側着地で横脚ですよね、要は。
それで軟骨がすり減って、骨と骨が当たるような状況で膝に水が溜まると。
ですからCTRNと原結果でも、正直骨切り法といって、
30:00
骨に切り込みを入れて、外側に当てるのを平均的に当てるような手術をしなければ、もうすでに走れない状態だと言われたのが、2024年の7月の頭でしたね。
そんなことがあった。
そうなんです。その年がちょうど10月がサテライトでしたから、相当悩んどと言いますか、スポーツ芸家にも2度3度行きましたね。納得がいかなくて。
今までは水が溜まっていたけども、何日かしたらまた引いて走れてたんだと。何にも関わらず、もう一体走れないっていうのはどういうことだと納得いかないと。何か方法はあるはずだと。でももう、要はないの一点張りでしたね。
もうこれ以上やったら本当にもう軽く走ることすらできなくなると。もうやめてくださいしかなかったですね。
まあそれでも、いろいろ悩んで泣いている日々もあったんですけど、その医者の診言を聞き入れずに、自ら立て直すことを決断していろいろ始めたというのが、2024年の7月ですかね。
ですからもう翌年の24時間その日本代表とか、もうそういうことはこの7月の診断からもう一切消え去りました。
で、まあそのサテライトに出れるかどうか、これが最後で出れるかどうかという、ただそれだけだったんですよ。もううさがもう走れないって言われちゃったので。
サテライトが出れるかどうか、ただその前に春にその沖縄サバイバルラン、11月なんですけど、それもエントリーしてたので、もうどっちかの選択しかないと思ってたんですよね。
もう人生最後の、まあ、勝てることだということで、それでいろいろ悩んで、まあサテライトを選択したという。
で、まあその7月から、まあサテライトが10月19日でしたから、まあ約2ヶ月半をどう過ごすかということで、まあまあとにかくいろいろ走る距離は歩くみたいな距離だったんですけど、
さらにその低酸素のトレーニングをしたりですとか、まあ膝回りの筋トレとかコア強化ですとか、あとまあ走り方の改善ですよね。
切り足を変えたりですとか、小指からの着地を親指からの着地に変えたりですとか、もうもうやれること全部やりましたね。
33:06
大改善と言いますか。で、これで最後にしようという、まあ心に決めていたというのが、まあそのサテライトでしたね。
で、実際そのもう走れないと言われた状態から、サテライトのスタートラインに立つときには走れるようにはなっていたんですか。
そうですね。ただやはりかなり重症だったので、少しでも下り坂、ほんと些細な下り坂なんですけど、それでも重いがかかるともうダメだったんです。痛くてですね。
それでもしつこくやるともう水溜まるの分かってたので、Hは上りなら大丈夫だったんですよ。
ですからもう基本はもうトレミですね。トレミで、まあそれでももうサテライトにかけてたので、距離だけはもう減らせないと思って、まあ相当走ってましたね。
この年で、この月8月で1100キロ、9月で900キロ、まあその大会までに直近の2ヶ月で2000キロですよね。
ただ距離はそれ以上走れない足だったので、まあ低酸素ですね。低酸素だと1.5倍やそれ以上の効果が期待できるというふうにあったので、標高4500メーターにセッティングしてトレミでもう連続出してましたね。
で、まあそれで最後にしようという気持ちではいましたね。
やっぱでもそんだけの負荷を体にかけると、日常から疲労感とかそういうのってとてつもなかったんじゃないですか。
そうですね、まあ標高4500メーターで、まあだいたい1日というか寝る前に45分。で、キロ5からキロ7、まあキロ7ぐらいですかね。で、もう連続でやってたんですよ。もう10日連続以上で。
でもそれしか一発逆転と言いますか、記録出す望みはないと思ってたんですよね。その膝の状態だったので。
ただもうみんなにも迷惑をかけられないしと思って、まあ必死でやったんですけど、やっぱりもう毎朝頭痛ですよね。
低酸素状態が続いてくると、まあめまいとか頭痛がすごいんですよね。
ただそれでも、大会5日前ぐらいに辞めたら相当な超回復が望めるんじゃないかという期待で、とにかくそれで辞めずにやってたんですよ。
36:07
5日前からもうすごいことになってると思って、で、そのトレーニング部屋を悟空の時の部屋と呼んで、これでもう数ヶ月分のトレーニング効果があると思って、まあ続いてやってたっていうのが現状でしたかね。
なんかちょっと野暮なことを聞くかもしれないんですけど、ここまでのその取り組みっていうのは、何が桜庭さんをそうさせたんですか。
やはり年々積み重ねてくると、やはり人生最後の、最後のというか果てることに対しては最後の思い出として、何事もそうですけど中途半端のまま終わらせるのが嫌だなと言いますが、
どんな結果であれやり切った思い出でいたいというのが常に走ること以外にもあるので、それで最後であればもう本当にやるどころまでやったという気持ちになるまで突き詰めて終えたいという、ただそれだけですかね。
ほんとご自身の信念というか。
そうですね、後悔だけはしたくないという思いが、やっぱりただそれだけですかね。
そういう思いであるとか、けがを抱えながらのこう、そういう事情は全然知らない状態で、私は10月に、2024年の10月に桜庭さんとご一緒するってなって、
ちょうど多分レースの少し前にこういう練習をしてきたみたいな桜庭さんのブログ記事みたいなのを多分拝見をして、ちょっとびびりました。
えーと思って、ちょっとそこまで来てね、人と比べてもしょうがないんですけど、自分なんかの想像を何倍も上回るようなことをしてきてる人とチームメイトなんだっていうのは、
若干びびりつつも、もう最後はそんなもうアベンジャーズみたいな人になっちゃった。走れること自体が光栄だし、楽しみだと言い換えて何とかその揺らいだ気持ちを立て直したという、私があの当時の思いではあるんですけど。
あーそうでしたか。
実際その2024年のサテライト大会、我々ご一緒したわけですけど、桜庭さんとしての戦い方というか走りはご自身の中ではどうでした?
39:08
前の年が52ラップでラストサムライになって、まだ全然自分の底というか見えてない状況だったので、まだまだ行けるなという気持ちで、しかも最後となる大会ということで自分自身ですね。
本当に100ラップぐらいはもう行けんじゃないかという、もう行こうという気持ちで望んでたのは事実ですけど、やはりちょっとそのコースとして、大切かじゃないんですけど、
その時の自分にとってはすごいその、下りですとか上りが若干群馬ですか、あって相当厳しかったというか、上りの練習もしてなかったですし、もうまるっきりフラットの状態でしかやってなかったので、もう膝がちょっとでもダメになったら終わりだという気持ちと、
あとちょっとアホみたいにその低酸素のあれが悪かったのか、相当な息切れをしてたんですよね、初めから。
その後に分析すると、それまで考えたことなかったんですけど、今度血液というか、ホモグロビン量が、鉄分とかもそうなんでしょうけど、それによるホモグロビンが低く落ちて、酸素供給量が減って息切れが相当起こしてたのかなという。
で本当も呼吸がそんなキロ7度かのペースでも苦しくて苦しくて、膝の状態もそんな状態で不安を抱いながら、皆さんの走りに圧倒されてたと言いますか、全然かなわないなというか、話にならないという。
初めてですね、そこまではイケイケだったのに怖いもんなしだったので、ケラストキマツは。もうどこまでもどの競技もいけるんじゃないかというぐらいなアホみたいな考えだったので。
そこでちょっと挫折を感じ、これが最後だなというので、終えてしまったなという、そんな感じですかね。
でやっぱり、ちょっと走れるようになったけども、もうダメだったんだという、膝の診断がですね、無理があったんだという思いで、終えたのがよく覚えてますね。
42:05
ちなみに記録としてはどれぐらいだったんですか。
32ラップでしたので、後ろから3番目ですかね。終えた直後からもう罪悪感と言いますか、ずっとそれはつきまといましたね。申し訳ないことをしたという、その思いでしたね。
そういう罪悪感みたいなものとか、ご自身の中での失意みたいなものもあった中で、先日もオーストラリアにご一緒して、私は元気にというか、走り回るさくらばさんを見ることができたわけですけど、その後も終わらないわけですよね。
そうですね。10月19日のサテライトでもうやめると思っていたのが、意外とまだ10日ぐらいして走ってみたら、まだちょっと走れて水も溜まってない、それはそうですよね、32ラップしか走ってないわけですよ。
そしたら、沖縄サバイバルラン383キロ走ってやめようと思ったんですね。だからどっちかを選んでた状態だったんですけど、沖縄も行けるなということで、これで最後にしようと思って、もう少しやるかと。
だから1ヶ月間、1ヶ月間もなかったですけど、チャンピオンシップ終わってちょっと足休めてましたから、その後にまた練習をちょっとして、沖縄サバイバルランに出たという感じですかね。
それはまたその後の展開を変えるレースになるんですか。
そうなんですね。それが何かしらもう最後だと思って頑張ってたのもあるんですけど、1位だったんですよね。最後のカジバの馬鹿力じゃないですけど、最後と思えばできることだったんですけど、
それで1位になったときに、ちょうど終わった日の打ち上げで、イワモスさんというバットウォーターの本とかも書いてる人なんですけど、
その人が来ていただいて、もしバットウォーター出る気があるなら付き合うよというふうに言っていただいたのがあって、来年のバットウォーターっていうのも出たかったんですよ。
45:07
やっぱり結構有名な、ドラマロスでも極地の大会と言われてるぐらいなので、それまでやってみようかと思って、沖縄サバイバルランの後もちょっと継続したというふうに感じてたので。
ちょっとずつちょっとずつですね。一刻やっては、もうちょっとあと最後次っていう感じでやってたような感じですかね。
でも足の状態っていうのはかなり悪かったんじゃないんですかね。そこは何かこう、着合い方を見つけていったって感じなんですか。
そうですね。やはりもう膝周りの筋トレとか交互強化、着地の仕方ですが全部改善してたので利き足を変えたですとか、完全に悪かったのが右側だったので左足の利き足を変えたっていうことによってかなり改善されたのと、
もう無理やり外側着地から内側着地に強引に変えてたので、全然違いましたね。たまに痛くはなるんですけど、無理さえしなければその度合いも分かってきたと言いますか、付き合い方が分かってきたというのは。
ただやっぱり外側外側の当たることによって痛くなってたので、もうそれを内側内側に力を加えることによって、今度内側があれなんでしょうけど、外側が当たりづらくなったんでしょうね。
それでずっとずっと付き合い方が分かってきたということですね。それまでは全然何がどうなって水が溜まるのかすら分からなかったので、ですからもう気が付けば悪くなってるって感じだったんですけどね。
それからいろいろ頭で想像しながらやってはいたので、悪化はそんなにない。たまにやはり水が溜まるとかあったんですけど、すぐもうそれ以上やらないですとか、すごい低速で抑えるですとかね、走らないで筋トレに振り返るですとか、
そういうことをやりながら、酸素も途中でも、私やめるの嫌なので、もう継続しつつですね、1ヶ月1ヶ月っていう思いで続けてたというのが現状ですね。
48:01
すでにもう少年漫画のような展開なんですけど、この後にさっきお話の出たバッドウォーター編が新章突入みたいな、で同時にあれですよね、24時間総世界編みたいな。
漫画だったらちょっとエピソードが重なりすぎみたいな感じなんですけど、ぜひそこら辺もちょっとお話を伺っていきたいと思うんですけど、バッドウォーターよりも先に代表選考の24時間総の大会が待ち受けてたっていう感じですよね。
そうですね、それこそ2年前にダメで、1年前が252キロ超えていけるんじゃないかっていうことで、望んだの期待があった年でしたけど、私がそんな状態だったんですけどね。
年明けから徐々に、もうバッドウォーターの7月が最後だと思ってやってたので、日本代表の選手権も力の限りやろうという思いで、あれこれやってましたね。
だから結構、問題もなくトントン拍子で来たってよく皆さんに言われることもあるんですけど、結構今考えても泣いてましたね。筋トレしてる最中も泣きながらやってましたしね。
そんなことが多かったんですけど、もうこれで最後っていう世界選手権、日本代表になる最後の候補ですかね。
これがもう最後で、7月にバッドウォーター走ってっていう中で、24時間のその選手権は、前の年超えたM50の記録をまた更に更新して、日本代表に選ばれたというような感じでしたかね。
ちょっとやってみなきゃわからないというような状況でしたけど、もう最後だと思えばどんな努力もできますよね。
ですから後先構わず、もうそれだけを見てやってっていう状況ですかね。
ですから代表になるもならないもただ、そんなことよりも記録を出したいという、それ以降はまたその後だっていう考えでしたかね。
51:00
実際その24時間の、結果として代表選考だったわけですけど、ご自身の中ではもうやれるだけやるんだというつもりで走って、結果もついてきたっていう時の気持ちはどんなものでした。
そうですね、やはりこれはもう260キロ以上っていうのはもうかねての目標でしたので、理論的に考えて、理論的にいろいろ組み上げていくと言いますか、例えば1万メーターで何秒であれば、ハーフで何秒ですとか、計算で捉えていくと、260アップはいけるなというふうにある程度感情が整えばですね。
思った通りにいけたということでの喜びは大きかったですね。ただ、それ以上先のことはまたちょっと考えてなかったんですけど、またその先走れるのかという。
もうほんとその時その時で、そこまでと思いながらやってましたのでね。だから、ちょっとバットウォーターの7月もいけるのかどうなのかと思いながら、半信半疑で日々やれることをやろうと思ってやってましたね。
そしてその、もう目の前の1本ずつ1本ずつという気持ちでいて、バットウォーターが。
そうですね。
その前にちょっと日本代表も正直決まってたので、もう今度バットウォーターも通過点しかなくなりましたね。
その年の10月の世界選手権で結果を出すための準備の大会というように捉えるようになってきたといいますか、最終地点がそこでなくなったもんですから。
またそれが次第になり、世界選手権という、世界選手権でも辞めようと10月の世界選手権で、もうなんぼなんでも無理だと言うつもりでやってましたね。
バットウォーターの体験はどうでしたか。
やはりなかなかですね。ご存知かと思いますけど、135枚ですか217キロですか。
隆石標高4500メートルぐらいで、開発ゼロメーターからアメリカの一番高い山ホイットニー山というその登山口、これは何号目ですかね5号目か1859メートル付近がゴールなんですけど。
54:00
なぜか厳しいかというと、スタート地点のデスバレーがちょうど世界最高気温の56.7度のピロクチー、今現在は夕方の5時スタートなんですけど、それでも48度ですよね。
夜中が盆地で砂漠なので、まあロードですけどもね。夜中で35度とかっていう、それがもうずっと続く。また日が上がればもう45度、もうそれ以上になっていくという状況の中で走り続けるワンウェイというか、そんな大会なので。
かなり強烈ではありましたね。
ですからもうあれもそうで、どんな競技もそうですけど、一人ではもう全然成し遂げないものですね。
バックヤードもそうですけど、24時間そうですけど、走る選手はただ単にもう走るのみで、あとは周りの人方がサポートしていただいてようやく走れるというような、そのF1レーサーとかと一緒で、スタッフ無しではもう当然できない、そんなレースですね。
実際あれですよね、チーム、サポートクルーをつけるのがもう参加の必須条件なんですよね。
そうですね、車をつけるですとか、危険な大会ですので、ですから車もついて歩かなければ、かといって並走しては走れないんですよね。
ですから数キロ先に止めて水補給をもらうですとか、何キロ先に止められないところもたくさんあるので、気がつなくてですね。
そうなると今度強いチームは並走するサポーターを何人もつけて、後ろで水かけながら走るという。
やっぱり地元勢強いのは、そういう速い選手を何人もサポート用意してるんですよね。
そういう峠に入ると後ろにつくんですよ、ペットボトルとか水持ちのが。で、水をかけてあげるんですよね、選手。
で、後ろのサポーターは常に入れ替わりながら水かけ続けるという。
だからもうサポートの数は基本決まりはないので何人も。
そうなんすね。
ただ日本から行くとなると限られているので、コスト的には昨年ですかやってもらいましたけど、びっちりというわけにはいかず。
57:01
ですからもう水かけた者勝ちみたいな、かけ続けた者勝ちみたいなところはやっぱりそれだけの記録値ですから。
ただ相当サポートをクルーにも協力していただいて、本当に水も飲めない状態でしたけど、始めから最後までですね。
もう喉も吐いてですね。
それでも10位ですか、結果も残せたというのがいい思い出ですかね。
そんな局地で走ると体の回復ってすぐにいつも通りに戻るようなものじゃない気がするんですけど、そこら辺はどうでした。
でも1日経てば爆弾の方が多分それは。
本当ですか。
爆弾って何日もなので、マットウォーターは28時間とかですから、言っても28時間。恐ろしく暑かったですけどね。
ただ、バックヤードはもっとですからね。ステージはそっちの方が大きいですかね。
ですからそういう意味では、最中は厳しいですけどね。
本当にすぐ横に溶岩があるんじゃないかというぐらいの暑さですから、風吹けばもう熱波というか、すごいんですよね。
溶岩あるんじゃないかって言ってましたよ。
そんなような感じで、特別な経験でしたね、本当に。
そしてマットウォーターから、マットウォーターがもう通過点になってたとおっしゃってましたけど、
そうですね。
24時間走の世界選手権は、くしくもバックヤードの世界選手権と同じタイミングだったんですよね。
去年なので、2025年の10月、ちょっと日付が今パッと出てくるんですけど、17度か。
はい、そうでした。
そこに向けてマットウォーターからはどういう日々があったんですか。
それからももう、淡々と距離だけは踏んでましたね。
月800、1000ぐらいですか。
これまでずっと何年間も、11月の中から3月の中まではフルマラソンしかしないで、月600ぐらいなんですけど、
それに、
1:00:00
以来は、まあ大体長距離なので、まあ月900とかその前後ぐらいは走ってたんですけど、
それはまあ守り続けて、あとスピードも少しでもつけるという思いで、
ラストレースっていう風に踏んで、まあその最後の24時間走と思ってやってはいましたね。
実際あれですよね、スピードを持っているところで言うと、櫻山さん、ハーフも定期的に走られてるイメージがあるんですけど、ハーフマラソン。
あの、実際は全然走ってなかったんですよ。去年まではフルマラソン、2月のフルマラソンの前に1本だけ調整で走るっていうのが基本で、
もう全然短いのは早くないですし、まあ膝にも悪いので、まあフルよりさらに速度が上がるので、やってなかったんですけど、
今年はまあ調子も良くて、まあ来年フルマラソンまた2月、3月ですか、
PB狙えるような状況になってきたので、それでちょっともう最後だなぁと思いながら今年は、
5月以降にハーフ4か5本、全く違うやり方、切り口で、
やっぱり同じことをやっててもやはり、まあ先が見えると言いますか、ですから全く違うことを、
まあ今までやってきたことも継続しながら、違う切り込みで、
まあなんかこう、極度にやれば、もしかしたらものすごい成長するんじゃないかと思って、まあいつもワクワクするんですけど、
それでこう、もう僕の場合は極端なんですよね、その低酸素の話もそうですけど、
もうハーフもう、びっちり毎月入れたら、もしかしたらものすごい成長の伸びちまうんだとか、
そういうような感じで、だからそうしたら5,000mのTT1週間連続やったらすごく速くなるんじゃないかとか、
まだやってないもしかしたらと思って、で怪我するんですよね。
まあただ、怪我することはわかったみたいな感じで、また今度違うことで、きっと他の人気づいてないんだと思いながら、
でもみんな分かってるんでしょうけど、気づいてないことをもしかしたら継続してやった場合にすごい成長が現れるんじゃないかと思って、
楽しむみたいなんですよね。
1:03:01
で、まあだいたい成功しないんですけど、私はその今までもうやったことのない、
まあ夏場ですからそのあまりフルマラソンの練習とかもしないんで、
これをもう夏場ももうびっちりハーフマラソンである程度刺激を入れれば、もうシーズンにはすごいことになってるんじゃないかなと思って、
楽しみにやってるっていう感じですかね。
あのほんとさっき、ドラゴンボールの時の部屋っていうのも出てましたけど、常にオラワクワクする状態というか。
いやいや、そうなんですよ。楽しくて、まあよくあのさんにはよく言われるんですけどもね、
もういつもそんな感じだっていう。ただいつも彼女には救われてきたので、まあその自分だけじゃないなというその際に、
なんかまあ今までずっと寄り添ってくれてたんでしたね。その怪我の時も、もう走れないっていう時も、
まあじゃあ走るのやめて違う趣味を一緒にやろうかとか、そういうので力にはなってくれたので、
最後にいい景色を見せてあげたいなという思いもやっぱりあって、それでサポートを継続してお願いしているっていうのもやっぱりあるんですよね。
ギリと言いますか、まあいなければここまでは来れなかったなという、心の支えになってくれたものがありますので、
そういうのもまあやっぱり大きな力と言いますが、まあいうのはありましたね。
うーん、ほんとその支えになってくれる人の存在があって走り続けられるっていう、まあそれは私も共感する部分があるので。
で、2025年の10月、世界大会24時間走っていうことですけど、
そこは場所とか詳細な部分はどんな感じだったんですか?
これは10月、フランスアルビーの都市でまあ行われて、まあ日本女子はやはり絶対エースがいますので、
まあ3位以内にはいけるんじゃないかというような感じ、まあ団体ですね。
個人は中田さんがまあ金メダルもしくは行けるんじゃないかぐらいな感じで、
まあでしたけど、男子はまあ世界の方がどんどんどんどん差が開いても、今いや300キロ越えぐらいの世界の人間はですね、
1:06:01
その中で団体は各自がベストを出せば銅メダルに行けるんじゃないかどうかぐらいなところだったので、
まあその団体というのは、個人で日本代表が4名選ばれるので、
団体はそれを走った中で上位3人の記録の合計なんですよね。
ただまあちょっと男子の場合は直前で1人が来れないことになって、
それでもう3人がミスも出せないと、3人の合計ですから、
でベストはもう絶対出さなきゃダメという、まあ世界戦というのはもうその記録というよりももうメダルですよね。
そのメダルが取れるか取れないかでいうような形なので、やっぱりまあ一か八か的なところはまあ他の2名とは
そこまで深くその記録に関しては話はしてないですけど、まあ同じ気持ちであったんじゃないかなという、その一か八かという。
まあベストは必然みたいな感じで臨んでたので、
まあ男子は3人が3人ぶっ潰れましたね。まあ熱いのもあったんですけど、
まあかなり厳しい戦いでしたね。
団体としてはちょっと残念な結果に終わったなという状況でしたね。
まあやはりそのこの2025年はこれで最後と思って、もう24時間層も4本で出ましたし、
まあ世界戦も入れてですね。 2時間1本でもとにかく
まあその日本代表としてのプレッシャーというか、まあ結果を出さなければならないという
まあ思いがすごい強くてというか、でもちょっと嫌になってた時でもあったんですよ。
走るのがですね、もう本当にまあたまに誰か顔合わせればもう期待してるよとかそういう言葉が逆に
まあすごい重くのしかかってというか、ですから1本1本走ってた大会もやはりその世界戦のために走っているという
日々の練習ももう結果を出さなければならないという気持ちがやはり楽しさを忘れてきましたね、この年は。
楽しむということですね。基本をもう忘れてしまっていたので、もうなんかもう辞めれる、もう辞めれるっていう気持ちも
中には
1:09:00
もう辞めることができるという思いも半分以上ありましたかね。
なんか引かれるというよりは、ああもうようやく終えれるという
まあ気持ちが終わった時にはありましたかね。
でも終わらなかったって。
もうしつこい男なので、とことん自分でもしつこいなと思うんですけど、でももうちょっともうちょっとと思うんですね。
まあちょうどその5月の選手権の際に、翌年のアジアオセアニア選手権、
24時間走が日本で初めて開催されるということで、の代走にも決まっていたんですよね。
それでまあそれはもう世界大会終わって、その辞退しようと思ってはいたんですけど、
結局その世界大会がそんなので終わったので、
で、まあ次の年の、次の年っていうのは今年ですよね、の5月の、せっかく日本開催なのでそれを最後にと思って、
またちょっとずつですかね、あの
去年の暮れからちょっとずつまたそれを目指して
始めたというような形で、その前にはその
バックヤードウルトラのシルバーチケットですか、の木島大覧がありましたし、
まあそれもまあそのアジア24時間走のですね、その
まあ練習と言いますか、まあそれはもう当然日本代表になりたかったですけど、バックヤードウルトラのね、
サテライトに出たかったですけど、まあ足壊しちゃうもん、もうすべてがおしまいになってしまうので、
あの足を痛めない程度に、まあアジアの選手権24時間走の練習にもなりつつ、
あわよくばサテライトに出れたらっていう気持ちで、
まあ望んでましたね。
というその、
まあ木島大覧があり、その後アジア選手権の24時間走がありっていう、そこでようやく今回の
我々がご一緒したクリント・イーストウッドに繋がる話が。
ちょっとごめんなさい、長くなって。
いやいやいやいや。
繋がってましたかね、この時系列と言いますか。
いやいやいや、繋がってます。
いろんなことありすぎて、なんか話が飛んでないかなって思うんですよ。
1:12:00
いやいやいや、ものすごく壮大なクロニクルが薬脈と、ちゃんと繋がってます、大丈夫です。
で、その5月広崎で24時間走走られたわけですけど、
僕が伝え聞くところによると、そこで吉沢さんと会って話をしてっていうのが、またその後の展開に繋がるって言うとですけど。
桜庭さん視点ではどういうふうに振り返りますか。
ちょうどですね、この5月のアジア選手権はもうなみならぬ覚悟と言いますが、
M50の世界記録まで、あと9キロぐらいでしたか、271キロが世界記録でしたので、当然それは狙ってたんですよ。
その当時で世界7位の記録で、今また9位ぐらいになってるんですけど、そのM50ですね。
ただ271の世界記録を出してやめたいという中でやってたんですよ。
で、すごい調子良かったんですよね。
速度感もそうですし、徐々に上がってきてたんですよね。
いろいろ調整レースとして、高江戸・大江戸ですとか、チャレンジ富士高校ですとか、調整で走りながら徐々に上げていって、
これいけるっていう状況の中で、1週間前に肉離れだったんですよ、太もものですね。
それで、今考えてもいたたまれないというか、自分が全く走れなくなって、
1週間というか丸5日間前日まで走らないで絶対治ってるだろうと、疲労抜きになっただろうと思って、
前日、現地のホテルで朝早く起きて走ったら走れなかったんですよね。
肉離れですね。
翌日の大会を辞退するかどうかということで、ずっと悩んでたという状態だったもんですが、
最終的には自分一人だけじゃない、今までサポートしてくれた人方がいるので、走らなきゃダメだということで、自分で決めて走ることに決めたんですけど、
その時にちょうど当日、4日朝に会って、多分これではベストは出せないと、24時間走では。
1:15:03
というので、すでに走る前からバックヤードなんて、やっぱりバックヤードも行きたいというふうに、
気持ちが、24時間肉離れのまま競技を終わりにいかなきゃいけないということから、走る前から気持ちは持っていなかったんです。
当然、走り切るですとか、それはありましたよ、もちろん、走るからには。
ただ、もうこれを最後にはできないと思ったんですよね。もう悔いが残りすぎると、生涯最後のゲストは。
もし、サテライトまでに間に合う大会があるのであれば、紹介していただけないですかっていうことを話したという。
じゃあちょっと考えてみますね、みたいなことをいただいて、走らせたというようなのを覚えてますけどね。
ありがとうございます。さあもう、吉田さんから聞いてた話とまたつながりました。
本当、いろんな伏線が回収されていくので、ただ単に私はもう聞いてて、もうなんか漫画を読んでるかのような。
ありがとうございます。
そういうさくらばさんの、サテライトを諦めないっていう思いとか、これを最後にしたくないっていう思いが、ある意味で仲間を呼び寄せて、
今年の8月、オーストラリアのブリスベンで開催されるクリントイーストウッドラストワンスタンディングに、
日本人選手4名、さくらばさん、羽賀さん、吉澤さん、小松さん。
そしてサポートとして、いつもさくらばさんを支えてらっしゃる、穴澤さん、そして私、
あとはもう現地でもうなくてはならないゴールドコースト代表のじゅんさん。
あと、現地の日本人の方々、ひろこさんとか、かずさんとか、ほんといろんな方が駆けつけていただいて、そういうレースにつながったわけですけど、
実際、今までのバックヤードと比べて、どうでした?みたいなことを伺ってみたいんですけど、どうでした?
まずは何度も言うように、結局はこれが最後になるかもしれないという、サブライトに出れる確率っていうのもすごくはないですし、
その中で夢のような人たち、道太郎くんがサポートして、吉澤さんに小松さんにという感じのメンバー、
1:18:07
せいぞろいでしたから、もう最後にはふさわしいみたいな思いの中で、やはりそこまで力を貸していただけるのであれば、
何とか成果を出したいという気持ちも当然ありましたね。
本当に何か、今までは少人数で成し遂げていたものが、より大きな、何人も、
チームジャパンみたいな形で、みんなで協力して、一つの目標を捉えていくというような感じにすごい思えたので、
すごいワクワク感はすごいあったね。
オラワクワクするとモードに。
悟空モードに。
道太郎くんがサポートですからね。
夢の話ですよね。
こんなことはないなぁと思いながら、前方後方に吉澤さんに小松さんにですからね。
愛嬌が前後ろですからね。
こんな夢のような話は、そう思いながら、
かといって貴重な時間を台無しにはしたくないなという、させたくないなという思いもあって、
何とかっていう思いもそれはありましたけど、
結構厳しかったですけどもね。思ってたよりはなかなか、まだ当てれなかったなっていうのはありましたけど。
怪我とかそういうのは大丈夫だったんですか?足の状態とか。
そうですね、なかなかきつい時間もあったんですけど、ただ怪我の方は、
それこそシルバーシケットのレースの木島の時は、膝がちょっと痛くなって悩んだ結果やめたんですよね。
翌月がアジア選手権でしたので。痛み止めを飲んだらっていうような話も出たんですけど、
飲みたくないという、傷がないままに大怪我につながるんで、
っていうのが数年前からですね、痛み止めを布教して、大怪我に結局は走れないという診断につながったので、
痛み止めはもう二度と飲みたくないっていうのがずっとあったもんですから。
ですから、なかなか厳しい時間も続いたんですけど、
1:21:06
西太郎君を始め、一番大きかったのがやはり小松さんですかね。
あそこで考え方が大きく変わりましたね。
今までやはり24時間走を軸に物事を考えてきたので、
爆弾とウルトラと一緒で24時間走もぐるぐる回るので、400mですし1km。
ですから声かけながら走るんですよ。そこにはライフルとかはないんですよね、基本。
私の場合は特に順位もハンドラーに聞かないですし、
誰が何キロいってるかとかも一切聞かないで走るんです。
自分がベスト出せば勝てるっていう、ベストを超えたいっていうだけの話なので、
ですから声かけながら走るんですけど、
ただ、バックヤードウルトラの場合は協力し合って、
サポートも一丸となってですね、
それで個人の限界を超えていくというような競技だっていうことが初めて体感したといいますか、
それまでその他の競技はやはり今までのバックヤードウルトラもそうですけど、
やはり自分が淡々と自分の走りやすいペースで走るみたいな、
ですから他の大会とかトレイルも含めて、
誰かと走ったりっていうことはほぼほぼ経験がなかったんですよ。
淡々と走る、そうでなければならないっていうのと、
24時間数はとにかく痩せまずに、
速度を落とさずに24時間走り切れるかっていう競技だったので、
バックヤードウルトラはその辺はもう対局にあるといいますか、
歩いてでも帰ってこれればいいというルールを、
24時間数はちょっとでも休みを与えたなら、
もう完全に記録に差し支えるという、
とにかく走り続ければっていうような形で組み立てていくので、
そこが大きな違いだったんですけど、
やはり時間帯に厳しくて、
自分にはやっぱり向かないのかなという思いが強くなった時間帯に、
小林さんに声をかけていただいて、
要は時間までに帰ればいいんだよと。
なぜ、例えば45分や50分で帰り続ける、
それが55分になったらもう終わりだと、
僕何回か言ってたんですよ。
要は24時間走でもキロ5ですとか、キロ5分半ですとか、
行っても6分とかで走るもので、
それが7分、8分で走り出すんだったら、
1:24:02
果てしなく先が、
そんな速度の競技ってあまり今まで経験がないので、
残り5分でも何ループかすればもう無理でしょうみたいな、
気持ちに今まではなってたんですよね。
ただ小松さんがレース中に走りながらコンコンと解いてくれましたね。
3分残して帰れば、
もうそれはすごい休憩時間なんだよみたいな。
1分あればもう十分だよみたいなことを。
なぜあなたは王様みたいなことを言ってんだよみたいな。
贅沢なこと。
何分で帰ってたんだみたいな話になって、
45分、今50分でもう切れなくなってきたみたいな。
いやいやそんなにあるのに見てるな。
で、ついてきてくれみたいな。
厳しい時がもう30ループ超えたぐらいからですね、
要はちょっと先読み過ぎてたこともあるので、
要は最低で64かっていうこともあったので、
30過ぎてこれなら厳しいでしょっていうような、
少しずつ刻んでいってその先にはっていう考えが、
なかなかその先を見すぎるというか、
そういうのが今までも多々あったんですけど、
小松さんが一生懸命言ってくれるんですよね、
あとまず3時間後ですとか、
6時間後で朝を迎えるとか、
そうなったらまた気分一新するですとか、
とにかく自分についてくればゴールまではまずたどり着いて、
っていうことを言っていただいて、
帰ってきてみればちょっと甘えすぎてたなという小松さんに。
だからもう負担かけてしまったなっていう、
申し訳ないなっていう思いが今はすごいあるんですけど、
走ってる時はすごい後ろについてることが安心感であり、
すごい走ることに集中さえしてついてさえいければ、
まずはそこのゴール地点にタイムイナイに戻れるという。
吉沢さんは前に走ってるんですとか、
基地に帰れば安澤さんですとか西太郎くんですとか、
そういう方が待ってるっていう思いがすごい大きくて、
ちょっと甘えてしまったかなというのは正直あるんですけど、
ちょっといっぱいいっぱいだったのはありましたね。
海外っていうのもありますし、
ちょっと芝地帯が芝生の部分が多くて、
ちょっと走りづらかったというか、
1:27:02
ちょっと反発利用して走るような走りなので、
ちょっと初めから危惧してたんですけど、
かなり足の負担があったなというか、
練習の仕方がちょっと調整が誤ってたなと言いますか、
ちょっと24時間走りでずっと練習してたので、
かなり芝に吸収されてしまうというか、
一歩一歩がですね、かなり足のダメージが大きくてですね、
それで速度が上がらなくて、
ちょっと厳しいなというふうに思っていたところ、
かなり勇気付けというか、ついてこいという、
なんてかっこいい人なんだろうって思ってですね、
ついていきますっていう感じでしたがね。
なんかもう名コンピというか指定関係みたいな感じ。
いや、もう完全そうです。指定ですよね。
僕はそこで走り方をまるっきり変えたんですよ。
歩いてはならないですとかってずっと思ってきたんですよ。
歩いたらレースはやめるですとか、
いろんなレースについてそう思ってきたんですよね。
なぜかというと24時間走る場合、歩いても終わりなんですよね、基本。
ですからそういう思いから練習もそうなんですよ。
絶対歩いたことはこれまでもないですし、
歩いたらおしまい。歩いてのラップというか、
タイムを超えてきてももうむくびしいなとかっていう思いがあったんですけど、
なんかその希望をすごい与えてくれ、
すごい大きな背中に見えましたね。
うんと、それでもついてきますっていう感じ。
それで負担をちょっと与えちゃったな。
さくらまさんそう負担をかけたとおっしゃいますけど、
僕は今まで見てきた小松さんのバックヤードの中で、
一番最後までシャキッとしてたなと。
ある意味の俺が引っ張るんだみたいな、
それがむしろ小松さんにもたぶん力を与えてたんだなとは思うので。
どうなんでしょうかね。
眠かったのもあるんでしょうけど、
彼の場合、そう褒めたたえるわけじゃないですけど、
三谷さんの場合もそうですけど、
ビジュアルがいいので、
すぐかっこいいって感じだったんですよね。
本当にもうそんな感じで離れたくなかったというか。
ねえ、まあ。
1:30:00
あんまり緊張感もないので、レースで走ってることすらも忘れてしまって、自分何してるのかわからない時間もありましたね。
とにかく楽しそうでしたよね、最後の方。むしろ後半。 そうですね、途中からですよね。
厳しい時間帯を超えた頃から、楽しくなってましたね。
宇宙船とか、ティクニックとか、そういうワードが。
そうですね、その経験が次に多分生きると思うんですけど、あれだけ厳しい、もうダメだと思ってる時間を乗り越えたら、こんな真逆の時間というか、
もう楽しくてしょうがないみたいな。 いやいや、もうタッチ&ゴーで行ってももう全然OKみたいな。
もう全然今までに感じたことない自分でしたね。
まあそのなんて言うんですかね、みんなでなんかこう乗り越えて遠くへ
行けるみたいなところが、やっぱりバックヤードウルトラ以外にないですよね。他の競技ってやっぱりみんなで協力してってないじゃないですか。
声掛け合って励まし合ってはありますけどもね、ただ一緒になってっていうのはなかなかない中で、
なんか初めてなんかそのバックヤードウルトラの良さというか、
まあ一人だといろいろ体力とか能力とかで展開があっても、サポートを含めて仲間と一緒に走れば、
まあ個人の限界を超えて、もう果てしないところに行き着く可能性があるって思えたのが、大きな収穫と言いますか、
なんか大きな発展でしたかね。
本当にその今回、サテライトの代表権、まあ65ラップっていうので掴み取ったっていうこともそうなんですけど、
桜庭さんがその新しいバックヤード感というか、そこを体感されたっていうのが、それこそ今年の10月のサテライトに向けては、
チームジャパンにとってすごい大きなことだなって、私自身はなんか聞きながら思いました。
そうですね、もう今回の方々にもすごいお世話になって、まあいろんな人生の財産をいただいたので、
1:33:00
あとはその感謝をですね、言葉以外に何とか行動を持って返していけたらなという思いで、
サテライトは望みたいなという気持ちを新たにしているところでありますね。
ありがとうございます。
そしてその10月のサテライトが、あとまあ50日切ったぐらいのタイミングですけど、
今年の意気込みであるとか、目標みたいなところがあれば伺いたいんですけど、どうでしょう?
その意気込みとしては、当然これまでの日本の位置と言いますか、なかなかメダルまで届かないという中で、
2年前は本当に足を引っ張ってしまって、個人的にはそれがあったからこそ諦めきれずにここにたどり着いたということなのかなとは思ってますけど、
今度はプラスになるような、チームにプラスとなるような結果を残して、少しでも恩を返したいなという思いはやっぱり強く持ってます。
何ラップとかっていうのはやはり難しい競技ですし、本当に70ラップですとかそれ以上、私も皆さんも尊敬しているので、
簡単に自分が何ラップとは言えないですね。本当にすごいことだと思ってますので。
ただ、自分ながらには目標というのは数字では控えさせてもらってますけど、持ってはいますよね。
ここまで来てるんじゃないかといきたいという思いは本当に強いですし、2年前も正直そうでした。
その思いはありましたけど、なかなか厳しくこの2年間の思いを、2年前と比べればそれからまたさらにものすごい距離を走ってきましたし、
いろんな経験も越えてきたので、必ずしや結果で何とか貢献したいという、自分が何か記録を取ったという思いはあんまりないんですよね。
全体が掴み取りたい、いい思い出を残したいという、そんな思いが強いんですよね。
当然、吉澤さんや小松さんや花澤さんやいろいろな方々、これで恩を貸したいという、少なからずですね。
厳しい時間帯ってみんなそれぞれあるので、どんな強い人間もですね。
ですから、もしその時間帯、自分が少しでも余力があるなら、何とか後ろに回りカバーをしたいという思いもそれは当然持ってますよね。
1:36:04
できるかどうかは別としてのですね、その余力が自分にあるのかというのはありますけど、ただそうしたいという気持ちは大きく持ってますね。
あえて、もうここ1年の中で、日本代表っていう経験を24時間走の世界選手権、そしてアジア選手権されてきた中で、
24時間走、レースの前とか、もうちょっと走るのが嫌になってた部分もありましたっていうふうにおっしゃってたと思うんですけど、
今回はこの1年の中の3度目の日本代表っていう中で、これまでとあえてちょっとご自身の中で変えてみようとか、
何かちょっと心境の変化とか、何かそういうのはありますか。
24時間走の時も、アジア選手権は当然個人のメダルも狙ってましたけど、その世界選手権も団体選がメインだったので、
狙いはですね、ですからみんな含めチームでいい記録を出したいという思いは、個人的なものよりもやっぱり全体というのは大きく持ってましたけど、
ただ、僕らの場合はさらに一緒に並走できる時もあるですとか、引っ張っていける時もあるですとか、
そういうような競技ですので、本当にみんなでもし力を合わせながらやっていけるなら、その先には何か本当にメダルですとか、そういうことの可能性があるのではないかなというふうに思っていますね。
なんか私自身がクリントイーストウッドで目撃したのは、さくらばさんとこまつさんとかが走ってて、ほんと終盤なんかすごい楽しそうで、
僕からするとその輪に入れてくれぐらいのいう感じだったので、なんかこう、そういう時間をまたサテライトでも、
たぶん苦しい時間を乗り越えた先に、なんかみんなで楽しくなれる瞬間を、私にも味合わせてください。
そうですね、やっぱり笑顔のある時間帯っていうのは、やっぱりもうみんな力がみなぎってくるというか、
その下を向き出すときに、どこかでまた明るい光というか、そういうのがあるとまた予想がガラッと変わる局面もあると思うので、
なんとか下向いて走らずに、なるべく明るい気持ちで走りたいなとは思ってはいますけどもね。
1:39:01
そうですね。
ぜひそれをチームみんなで作っていけたらな、私も思います。
そうですね。
ありがとうございます。
かなりいろいろお話を伺って、結構だいぶお時間落ちちゃってますけど、大丈夫ですか?
そんなのを聞きましたか?すみませんね。
いやいやいや、大丈夫ですから。
もう少し聞きたいので、はい、お時間少しだけ、もう少しいただけると。
そんな中で、大会、サテライト10月17日までのどういう練習プランでいるのかとか、そんなとこも聞いてみたいなとは思いつつ、
24時間走とか、いつものスタンスというか、またたくさん走られるのかなとは思うので、
あまり深くは今回掘らずにおこうかなと思うんですけど、
逆に、あと残りのサテライトまでの中で、
何か一個プランというか、何かテーマみたいなのがあれば聞きたいですけど、どうですか?
テーマですかね。
これまで言ってきた話の他に、やはり今まではただ漠然と走るというだけでしたので、
ちょっと勉強になったのが、小松さんとかですと、この時点で残り何百メーターですとか、何キロですとか、
このタイムで走れば間に合うですとか、
そういうのを場所ごとに抑えているというのが、やはり余裕であったり、
それでペースを1ラップずつ重ねているという形があったので、
もうちょっとそういうところも準備して、ただトレーニングするだけではなくて、
もうちょっと戦略的と言いますか、もうちょっとそういうデータ的も含めて、
いろいろ走り方を考えて、望まなければいけないかなというふうに自分自身には思っているので、
僕は本当にただ肌で感じて、ただ単に走るタイプです。
これじゃあやっぱり、なかなか長い時間の競技は難しいかなという、
理論的にそれも計算上ですね、いろいろ計画した上で走っていかなきゃダメなのかなというのも、
いろいろ勉強したところではありますね。
続いてなんですけど、いろいろ選手の名前も挙がってたと思うんですけど、
今回サテライトで一緒に走る日本代表の中で注目している選手とか、
1:42:02
一緒に走れるのが楽しみだなっていう選手の名前をぜひ挙げていただきたいなと思うんですが、いかがでしょうか。
全員が全員、名刺があるわけではないんですけど、前回の出られてる方も含め、
ある程度いろんなところで名前を聞く人がたばかりで、当然もうすごい人がたばかりなので、
誰というよりもほんと皆さんの走りがすごい楽しみというか、この中で走れる喜びというか、
そういうのはすごい大きいですね。もうほんと名高い人ばっかりなので、
ほんとその中で一緒に走れるっていうだけで本当に光栄と言いますが、
とにかく足を引っ張らないように、ワンルータップずつ積み上げていければなという気持ちですね。
当然その道太郎くんですとかね、もう楽しみでしょうがないですけどね。
ありがとうございます。僕も楽しみです。
どこまで行くんだろうっていう、ただ当然自分にも期待は持ってますしね。
どこまで行けるのかという、そのわくわく感はやっぱり常に持たないと、
密通な可能性だけを考えて楽しみに、楽しみながら走りたいなとは思ってますね。
本当に私たちはどこまで行けるのかという。
そうですね。
その言葉もあんまり胸を打たなかったんですけど、クリストインストウッドの後からその言葉も胸を打ちますね。
言葉の伝わり方が私にはもうちょっと違うというか。
ああ、そうだよなあという、いろいろな会話を、ポッドキャストも初めていろいろ聞いてみて、
ああ、なるほどなあという、感心するようなことだらけというか、
ためになるなあっていう話を話しとして聞いてはいますけどね。
本当この時間を通して、もうバックヤードの魅力を存分に語っていただいたなあとは思うんですけど、
改めて、バックヤードの魅力って何ですかっていうのを、
あんまりバックヤードを知らない人とか、
いやバックヤードってなんかちょっと怖いやつでしょとかって思ってる人に伝えるかしたら、
さくらまさんどんな言葉でバックヤードの魅力を伝えますか?
1:45:01
やはりいろんな競技も、自分の限界点を、その先を見たくてっていうのは変わりがないんでしょうけど、
やはりバックヤードウルトラの競技性としては、
もう先ほども言った通り、仲間と協力し合いながら、
一人では成し上げない限界をもう押し上げていける、それがどこまでいけるのかっていう、
正直想像もつかないと言いますか、
僕自身もまだ想像はつかないぐらい、
どこまでいけるのかっていう、そういう規模を持てる競技なので、
みんなそれぞれ、初めはいろいろ限界点はありますから、
少しずつみんなと協力しながら、少しでも自分の限界の先を、
自分一人じゃ成し遂げられないものも走る仲間と一緒に、その先を越えてみれると、
その先がまた次なる向こうが繋がっていくという、その連続だと思うんですよね。
それがすごい競技の魅力だと思うので、
すごい走れる人が走る競技とか、そんなものは別になくて、
24時間走でもなんでもそうですけど、
自分がどうありたいかとか、どういう思い出を作りたいですとか、
そういう中、人との繋がりを感じながら走れる競技、
それこそがこの競技の魅力だと思うので、
ぜひはじめは軽い気持ちから一歩踏み出していただけたらなという思いがありますけどもね。
素敵なメッセージをありがとうございます。
そして最後の方の質問になっていくんですけど、
これもこのエピソードを通して存分に伝えていただいたとは思うんですけど、
桜庭さんが大切にしている考え方とか、それを座右の銘みたいな言葉にするとしたら、
どういう言葉がご自身の中で出てきますか。
座右の銘というか、やはり意志あるところに道は開けるですとか、
一念通元ですとか、要は強い意志や覚悟があれば、
どんな困難も障害も乗り越えて道を開いていけるという、そういう言葉ですかね。
それを信じてこれまでも、これです。
1:48:01
一貫の終わりだと思うことは多々ありましたけど、起業した中でもありました。
先ほど述べた通りありましたけど、
ただ、あと少しだけあと少しだけ頑張るという思いがまたその先を見せてくれたというか、
こんな素敵な思いで素敵な出発と出会えたということが、
振り返ってみれば、本当に諦めずにやってきてよかったなという、
こんな人生が待っていたのかという思いではありますね。
本当それを体現されてきて、今日もそういうお話を聞かせていただいたので、
ものすごく今の言葉がずっと腹に入ってくるというか。
ありがとうございます。中本さん、うなってしまいました。
ありがとうございます。
そんな中で、とても旗から見るとストイックに見られるというか、
みなさん本当に桜葉さんのことをとてつもないトレーニングをする人だって、
周りの方こうって言うぐらいなんですけど、
私の中では、今回クリントイストウッドでお会いして感じたのは、
その中になんかすごい少年の心というか、
わくわくして仕方ないんだっていう、
すごい修行僧のような人かというと、
なんかそうじゃないんだなっていうのを気づけたというか、
知れたのが、とても今回オーストラリアでご一緒して、
嬉しかったというか、発見だったなという。
そんなことも思います。
そうですよね。
もう全然そんなことはなくて、
本当にしょうもない人間なんですけどもね。
そんなガチガチ、やるときはやるんですけど、
週末は結構ジャーニーですとか、
ゆっくり長く走って楽しんでるっていうような形が多くてですね。
なんか決してそうではないんですけどもね。
少しわかっていただいてよかったかなと思うんですけど。
なんか実際その悟空のたとえ話が出たりとかもありましたけど、
実際少年漫画とかお好きなんですか?
そうですね。
最近はもうそんな時間ないので、
読んだりはしないんですけどもね。
それ系のやつが好きですよね。
王道の少年漫画的ストーリーという。
そうですね。
映画とかもそうですけどね。
1:51:01
絶対絶命から立ち上がるみたいなところが好きですけどもね。
すごいに納得します。
ちなみにこれ単純にもう私が個人的に興味が湧いてしまって聞くんですけど、
例えば聞いていただいてるかもしれないですけど、
田中さんとかは若かりし頃に南米に行って魚釣りしてたとか、
結構みなさんの若い頃どうしてたかみたいなのも、
意外となんか今につながる部分を感じたりして面白いなと思うんですけど、
桜庭さんはなんかこう若い時代とか子供時代とかってのは、
どんな子供だったんですか?
まあ、自由奔放ですよね、実際。
上が姉と下が妹だったので、
親は公務員ですごい厳しくて、
ただそれに歯向かって自由奔放に生きてたという感じですよね。
大学も行きたかったんですけど、父親に追い出されたという家をですね。
で、もう働かざるを得なくなったというので、
もう苦労、親の言ってたことを身にしみながら、
会社勤めを20何年かした後に、
まあ、起業したっていうところですかね。
やっぱり、そのアップレベルエネルギーみたいなのは、昔からあったっていうことなんですね。
そうですね。
他の人と違うことをしてみたいというか、
世の中のレールに沿って生きるのは嫌だというような感じでいたので、
自分の好きなように、
自分の思ったように生きたいという気持ちがすごい強かったですよね。
常識という言葉が出てくると、もう拒絶反応ですよね。
もう常に逆立ってましたね。
常識だっていうワードが出てくるとですね。
ですから、結構天の邪悪というか、逆逆を行くというか、
トレーニングでも他の人がしないことをしたら、もしかしたらとんでもない成果があるんじゃないかという感じです。
誰かの標本に乗ると、その人以上にはなれないでしょうみたいなところがあるので、
面白くないんですよ。
だから、もし誰もなしなかったことをしたいならば、
誰もしたことのないことをすればという気持ちがすごい未だにあってですね、
1:54:05
宝があるんじゃないかと思いながら宝探しをしてますけどね。
いやー、なんか今の言葉がすごいしっくりこう言いますね。
宝探しをしてる感じなんですね。
なんかすごい、桜庭さんの過酷なトレーニングとか過酷なレースの話をしてるのにすごい楽しそうなのは、確か宝探しなんですね。
いや、そうなんですよ。
もう、もしかしたらというのがあって、もう本当その楽しみなんですよ。
やっぱり結果ってなかなかすぐ出ないっていうことも承知してるので、
やっぱり半年や1年以上かかるなっていうのを元にやるので続くんですよね。
大体がそうなんですよ。
数ヶ月でなかなか出てこないもんなんですよね、意外と。
だから1年後のためにやってるんだ、2年後かかるかもしれないみたいな思いで日々やるとそう腐らないというか。
ただもうすぐに結果を出ることを望むともうやめてしまうみたいな感じになるので、
もうこれは1年後のためだみたいな感じで、
もうちょっと長丁場で対極的というか、いうように捉えて動くようにしてますね。
でもミクロ的に考えるとやっぱり続かないんで。
ですからもうちょっとやったらこれまでの努力が突然実るんじゃないのかっていう。
もうあと1年じゃないかって思っちゃうんですよ。
だからやめられないんですよ。
あと1月でもう全部収穫できるんじゃないかっていう。
今まで収穫はないですけどもしかしたらあと1つじゃないかって思うんですよね。
だからもうそれが継続につながってるっていうだけで、
それが果たしてどうですかね、
最終的な思ってるところに行き着くか、大器晩成につながるかどうかはわからないですけど、
楽しみにしながら日々を1日1生の思いで生きていきたいなとは思ってますね。
意外とすぐ月日は経つもので、僕の気付けはもう来年55ですからね。
もう自分ではまだ40くらいな思いで日々いるんですけど、
よく考えたらもう55ですからね、来年。
だからちょっと早いなっていう気持ちはありますよね。
すいません、なかなかと。
いやいやいやいや。
いやほんとに、オーストラリアでもそうでしたけど、
1:57:03
とても今の私にとって、そうなんだよなって思う言葉を送っていただいてるので、ありがとうございます。
ありがとうございます。
ではですね、もうほんと最後締めくくりっていう感じなんですが、
実は毎回このインタビューはですね、
前のインタビューをした方に次のインタビュー予定の方への質問をいただいているんですけど、
前回はですね、きそさん、きそさんから2つ質問を預かっておりまして、
1つ目が、24時間総の代表はまた目指すの?というご質問と、
まずちょっと1つ目からじゃあ答えていただけたらと。
そうですね、これまでの話の流れの通り、もうやめようと思ってたんですけど、
ちょっとその年代の世界記録までがもう少しなのと、
来年の誕生日を超えると今度M55といって55から59のカテゴリーになるんですよね。
そうなると世界一になるのはかなり近づくんですよ。
今の記録、自分の持っている記録で走ればもう世界記録なんですよ。
55のカテゴリーはですね。
ですから、来年の5月ですか、ひと先でそれを狙ってと、最後か。
その24時間総はですね、思ってますけど、どうですかね。
宝は近いと。
そうですね、もしかしたらもう270キロ行くんじゃないかなって、
もう行けるところまで来てるのにと思いながら、
あと一押しじゃないかなって思っていますけど、
ちょっと果たしてそれは、継続したもののみとしてですね。
はい。
本当に今の質問の回答につながる質問をさらに、
キソさんからいただいてまして、
その過酷な練習っていうのはこれからも続けるつもりですかという。
そうですね。
これはやはりよくいろいろアドバイスをいただくんですよ。
先輩にですね、ちょうど体力的にもある程度練習量を抑えるべきじゃないかですとか、
はい。
2:00:00
要はそのリカバリーが、まあ、だんだん時間がかかるですとか、
ただ、まあ、自分的には、やはり自分の記録を更新することを楽しみにしているので、
まあ、その練習量を落としていくと、現状維持以上にはならないんじゃないかという、
まあ、それこそ今までの常識を、まあ、超えたいと言いますか、
まあ、そういう気持ちがすごい強いので、
まあ、練習量を減らすというよりは、何かしらそのリカバリーですとか、
何かその走り方を変えるですとか、
まあ、そういうことで、何とか練習量は維持、もしくはもうちょっと増やしたい。
まあ、この11年は練習量は毎年ちょっとずつ増やして、
この3年は年間100キロぐらい増やしてきてるんですかね。
去年ね、年間9300キロですとか、今年が多分9400キロぐらい、
去年は、あ、去年、今年は9200キロですとか、
だから微増にはしてるんですけど、強度は増してるんですよ。
今年はハーフマラソン突然増やしたりですとか、
今年春から始めたのは、初めてインターバル始めたんですよ。
まあ、それでその、まあ、アジア選手権1週間前の肉話につながるんですけど、
そうですね、隣の市、小樽市に陸上競技場がありまして、
初めてシーズン権を買って、週1で行ってるんですよね。
で、インターバルってしたことないんですよ、実は。
ペース走は、ペース走とか、その、TTと言って、
まあ、5000メーターTTとかはやってたんですけど、たまにですね。
ただ、インターバルはなかったんで、もう、もしかしたらそこ?って思って。
だから、とんでもなく速く走れるんじゃないの?
ちょっと今まで膝もなかなかついてこなかったので、
インターバルとかやったら一発でダメだったんですけど、
最近調子よくなって、筋肉つけたとかいろいろあるんでしょうけど、
まあ、あといろいろ、まあ、飲んだりですとか、
そういうのを継続してるんで、それがいいのかですとか、わかんないんですけど、
ちょっと今はインターバルに期待してます。
今?って話ですけど。
いやいやいやいや。
めちゃめちゃ説得力ありますよ。
積み上げて積み上げて、いろいろこうやってきた中で、
今っていうそのタイミングに意味があるんだと。
みんな基本から積み上げていくんですけどね、
僕の場合はだんだん下がっていくみたいな、
2:03:01
その基本にですね、基本からやったことない人間なんで、
やっぱり最後はその短い距離からかっていう、
基礎はそこかっていうようなところになっていって、
今ようやくまたそこの原点に戻ってましたね。
いやー、すごい。
一生懸命走ってますけどね、週に一回ぐらいですけど、
今はですね、まだ車はその時期じゃないので。
すごい壮大なものがあって、
まだまだその先が余計楽しみになるような。
まあそれか、もう突然ぶっ壊れて、再起不能かどっちかだと。
まあそれはそれでと思って、ただやるところまでやって、
後悔なければいいと思ってるので、
まあまあもう再起不能になるまでやってやると思って、
まあ今のところでありますけどね。
まあ再起不能になればもう諦めつくんでしょうから。
やめざるを得ないところまで行けばですね。
今まだ可能性があるので、もう諦められきれてないので、
まあちょっと、あともう一踏ん張り、
もうちょっとやってみようかなというふうに思ってますね。
うん。楽しみというか、多くも悪くも。
一言じゃなく私なりに、
プレイシーズツの追加されをより続けていきたいなと。
はい、思います。
ありがとうございます。
はい、では最後にこのポッドキャストを聞いている方であるとか、
あとはサテライト日本代表を応援していただいている方々に、
メッセージがあれば伺いたいなと思います。
よろしくお願いします。
そうですね、サテライトに出る方々は皆さんそれなりに、
皆さんそうの努力をした人々が募って、
メダルを目指して、みんなで協力してという、
そこを見ていただいて、みんなで共感し合いつつ、
共に喜びを分かち合いたいなとは思っています。
走る人方もみんな何度も何度も言ってますけども、
応援者やそういうサポートの方々なしには走れない競技で、
その人方のためにも何とか全力で結果はどうであれ、
向き合う姿を肌で感じていただければなと思っていますので、
応援を皆さんよろしくお願いします。
素敵なメッセージを締めくくっていただいてありがとうございました。
改めて、本日は桜庭武選手に来ていただきました。
2:06:03
ありがとうございました。
またお会いするのを楽しみにしてますので、
どうもありがとうございます。
02:06:17

コメント

スクロール