1. AFAP
  2. RS#10「負けたくない|高橋 佑..
RS#10「負けたくない|高橋 佑輔選手」10/17〜バックヤード日本代表世界一への道
2026-09-16 1:25:37

RS#10「負けたくない|高橋 佑輔選手」10/17〜バックヤード日本代表世界一への道


AFAP(アファップ)。このプロジェクトは、「バックヤードウルトラ」という競技に魅せられたウルトラランナーたちによる共走と挑戦に光を当てます。「As far as possible 私たちはどこまでいけるのか?」走ることでつながった仲間たちとこの世界の魅力をお伝えしていきます。


今回は、RS#10「負けたくない|高橋 佑輔選手」10/17〜バックヤード日本代表世界一への道

【内容】

・RS シリーズ= Rising Sun Project(チームジャパン頂点への道)が遂にスタート。

10回目ゲストはボニーの愛称で知られる高橋佑輔選手(PB: 68LAP)

30代で子育ての最中、限られた練習量で結果を残し、日本代表となった高橋佑輔選手。サテライト大会は団体戦であるが、意気込みは"誰にも負けたくない"と答えたその真意とは。

同じ30代、ミチタロウと果たしたい大きな目標について語る。


水野倫太郎/通称・ミチタロウ(Instagram:@michi_bagman_ultrarunner)

昨年のDead Cow Gullyにて、Dead Cow Gullyにて94LAPを記録。BAGMANの愛称で知られ、「走るはつなぐ」をテーマに、海外バックヤード転戦中。


AFAP(Instagram:@afap_ultrarunning)

「As Far As Possible 私たちはどこまでいけるのか?」をテーマに、2025年6月Dead Cow Gullyをきっかけに立ち上がった日本人ウルトラランナーたちによるプロジェクト。当初はドキュメンタリー制作が目的。現在は、大会主催やコミュニティづくりに至るまでバックヤードウルトラや「共走」の魅力を伝える活動を幅広く展開している。


Podcastでは「共走と挑戦のドキュメンタリー」をテーマに、以下のシリーズを配信しています。

・SDシリーズ:Seven-day Project(ミチタロウ7日間への道)

・RS シリーズ= Rising Sun Project(チームジャパン頂点への道)


Documentary映像「As Far As Possible 私たちはどこまでいけるのか?」視聴リンク:https://youtu.be/aY3RQz1ADoM?si=5t8dHO2wnGWrCu2m


編集: 岩崎智之

Aidpo (エイドポーション)オンラインプラットフォーム運営

https://discord.gg/EfS8jMGXB5

↑↑↑

TEAM AFAP情報もこちらから見れます

感想

まだ感想はありません。最初の1件を書きましょう!

サマリー

今回のエピソードでは、バックヤードウルトラ日本代表の高橋佑輔選手(愛称:ボニー)が、水野倫太郎氏(ミチタロウ)のインタビューに応じました。30代で子育てをしながら限られた練習時間で結果を出し、日本代表に選ばれた高橋選手は、10月17日から始まるバックヤードウルトラ国別対抗戦「サテライト」に向けた意気込みを語りました。幼少期は野球少年で、高校時代は甲子園を目指し、その後はスポーツトレーナーを目指して専門学校や大学で学び、社会人野球チームのトレーナーや地域のクリニックでの勤務を経て、ランニングの世界に足を踏み入れた経緯が語られました。 高橋選手は2018年からランニングを始め、当初はイベント感覚でフルマラソンやウルトラマラソンに参加していましたが、次第にバックヤードウルトラに魅了され、2023年の京都大会に初出場。2024年の京都大会では悔しい結果に終わったものの、2026年のサテライト代表選考基準となった木島平での68時間走で自己ベストを更新しました。サテライトに向けては「誰にも負けたくない」という強い意志を持ち、特に同世代のミチタロウ選手とのワンツーフィニッシュを目標に掲げています。バックヤードウルトラの魅力については、シンプルながらも奥深く、走る者に多くの気づきを与える競技だと語り、自身の座右の銘である「継続は力なり」を体現する生き様を見せています。

高橋佑輔選手(ボニー)の自己紹介と幼少期・学生時代
AFAP AFAP このプロジェクトは、バックヤードウルトラという競技に魅せられたウルトラランナーたちによる競争と挑戦に光を当てます。
As far as possible 私たちはどこまで行けるのか、走ることで繋がった仲間たちとこの世界の魅力をお伝えしていきます。
はい、プロウルトラランナーの水野道太郎です。
本日は、2026年9月15日、バックヤードウルトラ日本代表世界一への道ということで、
10月17日から開催されるバックヤードウルトラ国別対抗戦、通称サテライトに向けたインタビュー企画、
選手第9弾ですね、9人目のゲストに本日お越しいただいています。
ボリーさんこと、高橋祐介選手です。よろしくお願いします。
よろしくお願いします。
よろしくお願いします。ご無沙汰してますね。
そうですね、2ヶ月ぶりくらい。
実はね、2ヶ月前にお会いしてて。
東京行った際にご連絡いただいて、なんと高橋を一緒に走らせてもらいました。
そうですね、その時は小松さんも一緒でしたね。
そうですね、お二人と走れて楽しかったです。
こちらこそです。ありがとうございます。
なので、その時ね、少しこう、実はあの時はほぼ初みたいな感じだったと思うので、
その時には少し顔なじみな感じには慣れていて、
今日より深い話を聞き出せたらなと思っておりますので、よろしくお願いします。
よろしくお願いします。
ちなみに、ボリーさん、今日はどちらからご参加ですか?
私、神奈川の自宅からなんですが。
大阪の勤務先から。
ありがとうございます。大阪でお住まい?
お住まいはね、兵庫なんですけど。
自宅は大阪で。
じゃあ、毎日兵庫から大阪についてしてるんですか。
うん。
なるほど、ありがとうございます。
では、ここにいらっしゃるということは、バッキアドウェルターラの日本代表だということは、
皆さんお分かりかなとは思うんですが、
それ以外のところも含めて、ちょっと自己紹介をぜひご自身のお言葉からいただきたいなと思います。
よろしくお願いします。
よろしくお願いします。
高橋ゆうすけと言います。
ここ2年ぐらいでボニーと言っていただけるようになりまして、
ちょっとその名前のほうが日本語のほうでは、
広まっているのかな、ありがたいことに。
と思いましています。
私は大阪出身で、今は結婚を機に兵庫県の赤市というところに住んでるんですけども、
仕事は大阪市内のほうでいまして、年齢は今年で34になります。
道太郎くんと非常に近いですよね。
はい。たぶん私の姉と同い年ですね。1992年生まれですよね。
92年です。1992年、平成4年です。
平成7年なので、先輩よろしくお願いします。
平成7年って何?3年?
3年違いです。
3個違いですか、年齢で言うと。
6年のときに3年生?
そうですね。小学校で言うとそうですね。
中学校は入れ替わり?
はい。中学は入れ替わりです。
入れ替わりか。
え、またじゃあ29ですか?
いやいやいや。
今年30?
今年31です。
え、今年31?
3個違いなので。
あ、3個違いだから。そうかそうか。
はい。
じゃあ同じ30代ということでお願いします。
はい。よろしくお願いします。
ミッチーって呼んでいいですか?
はい、もちろんです。
ミッチーもいいですね。
そうですね。ボニーさんはボニーさんですもんね。
何でもいいんですよ。名前は。
じゃあミッチーって呼ばせてもらいますね。
はい。よろしくお願いします。
そっか。ミッチーは小学校も神奈川でしたっけ?
小学校はね、千葉なんです。
あ、千葉なんですか。
ちょっと僕、前情報結構少ない人なんで。
ごめんなさい。なんか重複してたら申し訳ないですけど。
全然です。
どうなんや。じゃあもうちょっとあれですよね。
世代も一緒やし。
そうです。
なんかそういうなりになんかかぶってますよね。
うん、たぶんあのジェネレーション、ジェネフェーション?
ジェネレーションって言い方あんましないですね。
たぶんなんか見てきたアニメとか、漫画とか、アーティストとか、なんかかぶってそうな気がしますね。
好きなアーティストがいました?小学校、中学校。
好きなアーティストは、僕ちょっとずれてるかもしれないですけど、
アジカンとかは、たぶんちょっと先輩たちが聞いてて、自分も聞いてたぐらいの世代かな。
だいぶ上の世代を。
アジカンってそんな上ですかね。
アジカンってわかんないですけど、ほとんど。
アジアンカンフーチェネレーション。
聞いてないな。
いやいや、なんかめっちゃあのボニーさんからのインタビューになってますけど、
ボニーさん逆に。
いいじゃないですか、そんな。全然いいと思う。
ピースで。
ボニーさんは?
僕は、好きなのはね、結構幅広かったですけど、
結局、歌の歌、カラオケ行っていっぱい歌ってたのは、
湘南の風とか、エグザエルとか、ETキングとか、あの辺かなと思いますね。
結構でもそうですね、カラオケで周りが歌ってた系でいうとかぶってますね。
エグザエルとか歌ってたし、湘南の風歌ってたし。
たぶん定番なんでしょうけど、ああいう人の曲めっちゃ好き聴いてましたね。
湘南の風、湘南の風なんか似合いますね。
ほんもですか。
はい。
湘南の風、小学校、高学年かな。
中学校ではもう、みんな周り聞いてて一緒に歌ってましたね。
あのときまだカラオケも安かったし、結構言ってた記憶はありますけど。
カラオケ…
はい、ごめんなさい、話が脱線した。
いやいやいや、全然です。
僕もなんか、脱線すると延々にそっちに行きたくなっちゃう人なんですけど。
今ちょっと、ちっちゃい頃の、というか、小学生とかの話もありましたけど、
ボニー少年はどんな少年だったんですか?
僕はもう野球だけです、やってきたのは。
野球少年だったんですね。
うん、野球だけでしたね。周りも野球が結構、環境的にはやりやすくて。
っていうのは、父親が小学校の監督をしてたんですけど、
なので父親と一緒に野球に行ってたところはあります。
小学校のチームなんですけど、僕の自宅の目の前が小学校のグランドがありまして、
そこの練習場だったので、小学校の野球道具も全部、家の駐車場に全部置いてた形だったので。
それはもうボニーさんだけじゃなくて、他の子たちとかの道具も含めて。
そう、チームの、少年野球チームのいろんな野球道具が常に駐車場にあったので、
常に野球ばっかりしてましたね。
実際ご自身が取り組み始めたのは何歳の頃からですか?
小学校2年生から習い始めて、後々ずっと野球だけしかしてないんですけど、そのきっかけですね。
最初はノリノリだったのか、なんかもうお父さんとかからちょっと反強制で、みたいな感じなのか、
始めた時の、どんなテンションだったか覚えてますか?
気づいたら、野球やってたんで、反強制だったと思うんですけど、
もう小学校の仲良い子たちもみんな野球やっていて、
1つ上2つ上の学年の仲良くしてもらってた先輩たちも野球やっていた同じチームだったので、
小学校の延長に常にある感じ。
じゃあ、もうほんと自然にというか。
自然ですよ。もうやって帰ってきてっていうか、
学校からすぐ家なので、帰ってきてもすぐ玄関でランドセル置いて、
そのままグローブとボールだけ持って、近くの公園に行くっていう感じですね。
ポジションは?
ポジションはね、キャッチャーやってました、小学校の時。
じゃあ、肩強い系ってことですか?
肩強い系ですね。肩強い系でいきましょう。
肩強い系で、はい。
肩強い系ですね。
小学校の時から体型が変わってないんですよ、僕。
小6ぐらい。小6の時に一気に伸びたんですけど、身長が。
伸びたって言っても今と同じなんですよね。
ちょっと温度。だからね、身長差って結構スポーツに影響出るので、
その頃の。だから周りよりも力あったと思いますね、そういう。
小学生で言ったら背がでかかったってことですよね?
小学校で言ったらでかかったですけど、
中学校からだんだん前に行きましたね。
背の巡回ですね。
背の巡回はもう嫌でしたね、並ぶんで。
ちなみに身長何センチですか?
身長は、いや、先週ね、健康診で言ったんですよ。
はい。
えっとね、163.4とか。
おお。
そこから変わってないです、身長、小学校から。小6から。
確かにでも、小6で163あったらでかい方ですね。
ね、おそらく普通よりでかいぐらい。
なるほど、なんか全然イメージがなかったです。
なんかあんまり身長を感じさせないというか、
僕が167なので、同じかちょっと。
同じでしょ。
っていう、そうですね、ほぼ同じです。
ミッチーはスポーツは何科してきたんですか?
僕は中高です。
中高は水泳なんですけど、
小学校は、小学校3年生までは、
小学校のサッカー少年団にいて、
で、3年でやめて、
そのあと、小4、小5ぐらいまで、
ブラスバンド部にもいて、
でもそれも続かずやめてっていう感じでした。
一応、小1から小5ぐらいまでは水泳もやってたのかな。
スイミングスクールに通っててっていう、そんな感じでしたね。
小学校の時から野球やってて、
で、いつまで続けてたんですか?
ずっと野球となってましたけど。
高校までですよ。
高校3年間は野球しましたね。
やっぱ甲子園を目指した高校級打ちだったんですか?
甲子園目指しましたね。
もともとそこしかないぐらいでしたもんね。
あの頃は。
実際、どうだったんですか?甲子園への道は。
甲子園の道は、別にそんな実感もないですけど、
最後の3年生の夏の予選、いわゆる甲子園の予選で、
高校は京都だったんですけどね。
決勝戦で負けることになって、
なんか、気づいたら決勝までいっていて、
勝てる感覚はなくて、
結構大敗しましたね、決勝戦。
でもそこまでいくのって、すごい勝ち上がっていけたんで、
印象には残ってますけど、最後はそういう終わり方でした。
その時は、ポジションはキャッチャー?ピッチャー?
ポジションはキャッチャーやってたんですけど、
結構体もちっちゃいながらに。
じゃあスタメンでですか?
いやいや、僕はスタメンじゃなかったです。
当時はスタの学年の子たちがすごい優秀な子たちが、
一個下、二個下に入ってきてくれて、
僕が卒業してから、何年後かには甲子園に行けるような方向に。
すごい。
今ではもうしっかりと、部員もしっかり集まるような高校で、
甲子園目指して毎年頑張ってくれてます。
当時は違ったんですか?ボニーさんが代理というか、その時。
当時は、そうですね、野球部発足してから歴が浅い高校でして、
もともとは少林寺憲法だけの高校なんですね。
そんな高校があるんですか。
そういう高校があるんです。調べたらできそうですけど。
少林寺憲法に特化した練習学校というものから、
いわゆる高校野球、高校として認められるようなところになり、
主校から教学になって、2年目とかが私が入学した時、タイミングだったので、
目の周りは野球部か、少林寺憲法部か、
全然勉強もせず、悪いことばっかりしてきたような奴らがいっぱいおるみたいな、
そういう環境ですね。
高校エピソードも掘ったら深そうだなって今思ったんですけど。
いやいや、毎日同じこと繰り返してたような。
でもそういう歴史の浅いというか、立ち上がったばっかりの野球部を
苦の結晶までたどり着いたということですよね。
いろんなのがかみ合わさって、いい結果に終わりましたね、最後は。
その経験は今に生きてたりしますか?
そんな生きてないと思います。
どうかな?
でもずっと個人競技じゃなくて、団体種目、団体競技をやってきて、
寮生活だったんですけどね、3年間。
そういうのは、どこかしらには生きてるかなと思うんですけど、
走る上ではどう生きるかはちょっとわかんないですね。
もしかしたら今回のサテライトで団体戦っていうところにめちゃめちゃ生きるかもしれないですね。
生きるかもしれないですね。
その後、高校卒業後はどんな進路というかをたどってこられたんですか?
高校卒業後は専門学校に行きまして、
スポーツトレーナーの資格を取るための勉強と併用して、
研究士の資格を取りました。
そういう3年間でしたけども、そこから大学へも行っていて。
そうなんですね。
そうなんですよ。
3年間の専門学校と大学編入学なんで、3年、4年の2年生で大学にも行きました。
そうなんですね。
なんでそれをまた専門学校で、資格取るまで行ったわけですよね、スポーツトレーナーとして。
そこからさらに2年の大学っていうのはどういう理由からですか?
まだ大学行ってみたかったんですよ。
大学生になりたかったわけじゃないですけど、
専門学校なりにいろんな外部との交流もしていて、
よくよくスポーツトレーナーを目指す学生の集いみたいなのには大学生ばっかり来るんですね。
大学生ってすごく大人じみても感じたり、
施設の話されると圧倒されるんですよ。
大学ってやっぱり行っておきたいなと思って、
いろんなタイミングもこれもあって、大学に行けることになりましたね、編入学しました。
大学ではそれこそスポーツのことを学んだんですか?また全然違うことだったんですか?
基本的にはスポーツのことなんですけども、
大学生活とトレーナーとしての経験
研究室にももちろん入ったのでゼミとして。
そこはスポーツ心理学のゼミでした。
その大学の2年間はどんな、本当に研究に明け暮れる感じですか?
いやいや、そんなただの大学生でもあるので、
体育大学に行ったんですね。
鹿児島の方にある。
鹿児島の方ですか?
たぶん当たってると思うんですけど、大学名言っちゃっていいですか?
いいですよ、いいですよ。
鹿野屋体育大ですか?
そうです。そこしかたぶんないですよね、むしろ。
そうですね。鹿児島にあるスポーツの大学って言ったら東なんですね。
鹿野屋なんだ。
慣れたところに行って、
気持ちはやっぱりスポーツトレーナーになりたいって、
そこの勉強を下積みとしてしたいと思っていたので、
何かの部活に属そうと思ってたんですけど、
当時、今もですけども、自転車競技部っていうのが盛んでして、
そこにトレーナーとしてつきましたね、学生トレーナーとして。
選手じゃなくて、トレーナーの立場で自転車のトレーニングを動くした。
自分がスポーツやるなんて全く思っていなかったので、
そこの自転車競技部に費やす時間が多かったですね、非常に。
それは、本当にそのトレーナーだけのあれなのか、
結局、いろいろチーム運営っていうところでいろんなことも
担うようになったのかというと、実際どうだったんですか?
実際にはトレーナーだけじゃなかったです。
チーム運営と、言っても学生スポーツなので、
スポンサーを募りながらの活動っていうところが多かったんです。
自転車ってすごいお金がかかって、
大学生ですけども、マイナー競技ではあるので、
大会っていう大会が限られた大学数しかいないし、
また場所が鹿児島なので、全てが遠征になってしまう。
料費であったりとか、回していくお金のところっていうのは、
スポンサーがなければ、とうとう厳しいものがあったので、
外部への発信とかも学生みんなでしていましたね。
じゃあある意味、広報とか営業みたいなこともやりながら。
セントレーターってやることはなかったですけど、
どっちかというと選手のケアに回っていたので、
また車を運転することがめちゃくちゃ多くて、
ロードレースの練習なんかでも、
100キロ、200キロくらい行くので、練習で。
それに後ろでハイエースをつけて走るんですけど、
ハイエースを運転しながら、
その選手たちの後ろをずっと追いかけるように出ましたね。
それもまた団体戦、チーム戦ですね。
まあそうですよね。
基本的には高校野球終わって、
スポーツトレーナー目指そうってなった時点から、
どっちかといったら、
自分は裏方であげて絶対支えたいっていう思いが強かったので、
何の抵抗もないし、むしろそれが当たり前だと思ってやってましたね。
それは自分が野球をやっていたときに、
大世話になったスポーツトレーナーの人とかがいて、
自分もその道に行って、そういう感じですか?
それも一部ありますけど、
よくありきたりかもしれないですけど、
自分が怪我してきた経験もあるし、
リムメイトとか同級生が怪我してきたものも見てきたので、
野球に関わりたいとかスポーツに関わっていきたい中では、
自分はトレーナー側の目線で、
こういった部屋と関わりたいなと思っていました。
実際その専門を経て、大学の経験で、
チームスポーツに裏方として関わるっていう経験をされたと思うんですけど、
それはイメージ通りでした?
それとも予想外の学びとかそういうのもありました?
予想外というのは、
やっぱり、
頼まれ事がすごく多くなりましたね。
やっぱり答えてあげないとっていう気持ちが強いかなって。
で、一個一個に真剣に話を聞くと、
例えば部員が30名いたら、自分が1人がトレーナーとしたら、
30人の何かしらの話があると、
学生ながらに、
やっぱりそこの自転車競技部っていうのは、
ツールドフランスとか、
こういうところにオリンピックもそうですけども、
出ていくような選手たちもいたので、
やっぱり真剣に来てるので、真剣に僕と向き合わなって思うと、
やっぱりその辺の時間が想像以上にかかるなっていうのはありましたね。
じゃあだいぶ当時は睡眠時間を削りながらの?
あんまそんな考えてなかったですね。
そういうのも考えないぐらいガムさらにやってたと。
でも楽しかったですよ、やっぱり。
で、実際そういう経験をして、
いきなり卒業の話に行っちゃっていいのかわかんないですけど、
いいですよ、どんどん行ってもらっても。
その後は、スポーツのチームに入って、
裏方で支えるとか、
あとは個人で治療家としてやるとか、
いろいろ選択肢はあったかなと思うんですけど、
ボニーさんはどんな選択をされたんですか?
僕は関西にある社会人野球のチームでトレーナーをするという話をいただいて、
卒業と同時に大阪に帰る形で、
そこから社会人野球でトレーナーをさせてもらってました。
それが何年ぐらいやったんですか?
それは約2年間やりますね。
そうなんですね。
2年っていうのは、もともと決めてた話なのか、
いろいろあって2年なのか。
いろいろあっての2年なんでしょうけど、結果的には。
でもやっぱりトレーナーっていう職業自体は単年なので、
単年契約なんですか?
携帯としてはそれは多いですね、圧倒的に。
なので約2年ですね。
その経験はどんなものでした?
実際に学生トレーナーとして言ったら、
上にあんまりいないんですよ、大人の人が。
大学の部活なんで。
自分の知識とかっていうのは頭打ちになってたのもあるんですけど、
実際にそれを職業として開花をもらいながらやるってなると、
やっぱり違う難しさと伝説の厳しさっていうところを味わいましたね。
そういうのがありますね。
それじゃあ、いろいろあって、次に行くかみたいな。
同時に進教師でもあったので、
進級の治療っていうところをやっていこうと。
スポーツっていう関わり方はいろいろさせてもらったので、
進級で働こうと思いましたね。
ランニングとの出会いと成長
社会人野球チームの後は、個人でってことですか?それとも進級の治療院?
プリニックなんですけど、地域の。
ここは広がっていきますけど、
メンタルクリニックをやっているような治療院というかクリニックでして、
精神疾患を持たれてこられる方とか幅広かったですね。
もちろん高齢者も多いんですけど、
一気に変わりました。
スポーツ現場、プロ野球を目指すような社会人野球のチームから、
地域の高齢者の方、もしくはメンタル的に何か復帳を期待した方に対してのお仕事になったので。
同時にそこで目先の予定がすべて分かったんですね。
先の予定も新しい方によって。
1ヶ月先、2ヶ月先もここも休みっていう日が決まっている。
だから何かこう、自分の趣味を何かしようと思って。
そこからですね、走ることとかにちょっと時間をかけ出したのは。
むしろそれまでは大学生の時にしろ、社会人の最初の2年にしろ、
もう目の前のことに死に物狂いで走り抜けてるみたいな。
でもやっぱりウェイトトレーニングはいっぱいしました。
その当時から?
当時から。
やっぱ体も結構小さいので、これいつかトップアスリートたちを見ようと思った時には、
やっぱり自分の体も大きくして、やっぱりいろんなことをサポートできるようにならないとっていうのもあったので、
自分のウェイトトレーニングにも同じくらい時間かけましたね。
そうなんですね。
じゃあ自分の体を磨きつつ、次の仕事で少し予定とかも見えるようになった中で、
ランニングっていうのが出てきたって感じなんですね。
そうですね。
それが何歳の時ですか?走り始めたのが。
走り始めたのは、2018年です。
意外とまだそんな前じゃないんです。
でも2018年がもう8年前になってるのか。
あの辺の時系列わかりにくいんですけど、2018年です。
それはもう本当に個人的に、例えば定期的に走るようになったっていうところからなのか、
まずは大会とかそういうのに申し込むところから走り始めたのかで言うとどうですと。
きっかけは、地元の友達が、大阪の地元の友達が、
大阪の平方っていうところで、カンペイマラソンっていうのがあるんですね。
博山カンペイさんのカンペイマラソンっていうのが、2018年。
それの後ろから一緒に走ろうっていうのに誘われて、
当時僕はもう体を大きく使用しようと思ってたので、
油酸素なんて結構無縁な状態だったんですよ。
でもやっぱり走るのも大事だなっていうので、
一緒に、面白そうなんで一緒に出たっていうのが、そこからがきっかけで、
その年からいろんな大会に、面白そうだなと思ってイベントに参加するようになりました。
一気にって感じなんですね。カンペイマラソンのきっかけにいろいろ。
カンペイマラソンのきっかけに一気にかな、そう思ったら。
カンペイマラソンちなみにどのくらいの距離の?
フルマラソン。
フルマラソンなんですね。あ、そうなんだ。
初フルいきなり行っちゃったって感じなんですね。
いや、初フルではなくて、学生時代にもこう、そういうノリで周りと一緒に走ってたんですよ。2回ぐらいは。
2回走って。
そんな抵抗はとか、別に思い切った練習はとかしてなかったと思う。
でも今につながるランニングっていう意味で言うと、そのカンペイマラソンが最初だったと。
そうですね。
その時のタイムは?
その時のタイムは3時間30何分ですね。
ちなみに一番最初に出たそのフルマラソン、学生時代のマラソンとかはタイム覚えてますか?
3時間58とか9でした。
じゃあそのカンペイマラソンは学生時代とかで比べるとちょっと練習してから出た感じなんですか?
ちょっと練習しましたね。一緒に走る子に負けたくなかったんで。
まあまあ走れるって言ってたんで、一緒の仲間ですが。
そこの勝負は実際どうだったんですか?
そこの勝負は勝ちましたね。
勝ったんですけど、3時間30分全然切れると思ったんですけど、本当にゴール何キロ先で、
足を初めてつって、苦しい苦しいと思いながら最後ブザイクにゴールした。
30分超えてたんで、ちょっと悔しさが残って、もうちょっといろんな改善をしたり走ると、
タイムって目に見えて分かるんやなと思うと、走る意欲にはなりましたね。
じゃあそっからどんどんハマっていってみたいな。
うんうん。こんな感じです。
練習量増えてた感じですか?
練習量は増えてはないと思います。
練習っていう風な感覚がなかったですね。
本当に週末のイベント、何ヶ月後か先のイベントっていう一つで、
飲み会とかと一緒です、その頃は。
飲み会をするとか、何ヶ月先に。そんな感覚やったんで。
でも1回は走ったと思うんですけど、これよりもまだウェイトが好きでしたね、その頃は。
でもレースには出て、ちょっとずつ記憶は伸ばしたいなみたいな。
そうですね。レースに出ると、こんな世界あるんやって。
こんないろんなおっさんたちが、一回り二回りの上の方々が一緒にやられてる姿を見ると、なんか感化されたところがありましたね。
なるほど。実際、しばらくはフルマラソンっていう感じだったんですかね?
その2018年の5月に、70キロのウルトラマラソンって言いますよね。
言います言います。
ゆりかもめ、ゆりかもめウルトラマラソンって言うのかな。
ゆりかもめっていうのが兵庫県の向こう側であるんですね。
それに出ましたね。
そうなんですね。じゃあ本当にイベントとして捉えてるから、なんか別にフルマラソンだとかどうとかってよりは、
これに出ようってなったら、もう勢いで出ちゃうみたいな。
それも先輩が、走ってる先輩がいて、急遽出ようって言われたんで、出ましょうっていう感じでしたね。
向こうは、でも結局6時間55分くらい間奏したんですよ。
素人ながらにキロ6で走っていくっていうのが、バドル高いんやろうなって思ってたんですけど、
70キロを6時間台で走れたっていうちょっと達成感があって、
もしかするとフルマラソン以外の競技っていろいろ調べると、もっといろんなのがあるんかなっていうところから、
トリールランニングっていう言葉にもそこで出会う年になったんかな。
そしたらなんかまた違った感じじゃないですか。
出られる方たちもいろんな各地方からも来るし、面白いコミュニティーだなっていう捉え方で始めてましたね。
なんかそんな中で特に印象に残ってるレースとかありますか?
カンペイマラソン、ゆりかもめウルトラマラソンの後ですけど。
2018年にはトレイルレースをあと2つ3つ出たんですけど、ちょっとロングなやつを。
翌年の2019年にアソラウンドトレイルっていうのが開催されると、5月に。
それの申し込みっていうのが12月か確か1月半年前ぐらいにあったんですけど、
あまりにもこのアソラウンドトレイルっていうのと、映像がものすごい綺麗で、
こういうの走ってみたいと、絶対走りたいと思ったんで。
多分クリック合戦とかやったと思うんですけど、そこを何とか通過できて、もし走れると。
一人で行くことになると思ったんですけど、何かのきっかけで一緒に行くっていう方と出会えて、
その方たちと一緒にアソを走ったっていうのが。
じゃあ仲間と行く、ちょっと遠くの遠征みたいなのもそこで味わって。
そうですね。めっちゃ楽しかったですね、その時。
まさかこのタイミングでいきなり本格的な走り始めて2年目でアソラウンドトレイルって言葉が出てくると思わなかったですけど、
それ距離って100キロ近いですよね。
100キロ以上の、110キロ?7キロ?なんかそんなぐらいの距離ですね。
じゃあもう、ロードとかトレイル関わらずいろいろ出てたって感じなんですね、最初から。
いろいろ出てました。
こんなイベントがたくさんあるんだっていうのを、ホームページとか大会エントリーのやつあるじゃないですか。
こんな毎月あるんかって思って。
各州各州で。
なんかちょっと旅行気分でもいけるじゃないですか。
これはおもろいと思って。
まだ当時独身だったので、2019年は毎月1回何かイベントを入れようって、イベントとか大会を。
1月から2月、3月、全部入れましたね。
何かしらの大会。
そうなんだ。
ちなみに覚えてる範囲で2019年出た大会、言ってみてもらえます?
ちょっと待ってもらっていいですか。
大丈夫です。
覚えてる範囲でいいですか。
覚えてる範囲で。
覚えてる範囲でいいですか。
千葉海岸。
千葉海岸、はいはい。
高熊山っていうのが鹿児島であったんですよね、2月に。
あれはこの年かな、千葉海岸。
で、あとは3月は新城。
新城。
新城。
4月が辻五甲。
はいはいはい。
で、5月がアソランとトレイル。
6月が渚ピークスっていうのが岡山の方であって。
で、7月が御崎百慶。
で、8月。
7月だけ抜けてるのかな。
抜けてると思いますね。
8月は何もなかったのかな。
それでもリレーマラソンみたいなの出ましたね。
神戸とかですか。
その時、京都で京都嵐山耐熱リレーマラソンっていうのがあったんですよ。
すごいですね、耐熱、耐熱。
お誘いいただいて、グループで走りましたね。
なんかそんな感じです。
そうですね、振り返ったらそれぐらいかな。
でも、秋は忍者トレイルっていうのとか、熊野古道トレイルランニングレース出たんですね。
そんな1年でしたから。
トライアスロも当時やったので、この年は本当に毎月1回何かしてましたね。
すごい。そんだけ詰め込んだのはその年だけですか?それとも翌年以降?
この年だけです。いやいや、翌年から、もう年からはしてませんでした。
翌年ぐらいにご結婚された感じですか?
ちょうど2020年に結婚をしまして、ちょうどコロナもシーズンになったので、一気に亡くなった感覚ありましたね。
で、まあご家庭できて、コロナっていう事情もあって、あんまりレースに出るっていうよりは、レースに出づらくなったんだと思うんですけど、走ることは続けてた感じですか?
後ろ、コロナとか環境が変わったきっかけに、それまではランニングとか走ること自体はイベントごとで行うものだと思ったので、日々何か走ってるとか練習するっていうよりも、そういう感覚はなかったんですよ。
後ろ、環境変わってから、何もイベントごとないけども、ちょっと走ろうという習慣がそこからつくようになってですね、それが習慣化されて、毎朝走るっていうのが今もしみついてますね。
もう走るのはもっぱら朝ですか?
もっぱら朝です。
何時ぐらいから何キロとかって決まってます?
基本的には朝の5時半から6時半まで、5時半スタートの10キロです。
それをずっと継続してるって感じなんですか?
ここ2、3年は続けてる気がします。
毎日ですか?
いや、毎日じゃないですよ。無理な日ももちろんあります。でも起きれないとかじゃないですね、もう豪雨であったり、今は特にですけど、ちょっと子どもが、
グズってたりとか、イレギュラーに起きてたりすると、仕方ないなと思います。
ちなみにあれですよね、昨日お子さん誕生日だったということで。
はい。
おめでとうございます。
ありがとうございます。
バックヤードウルトラへの挑戦
お子さんは何歳何歳ですか?お2人ですよね?
2人。上が5歳の下が1歳半です。
すごいあれじゃないですか、動き回って、上の子は動き回るし、下の子は下の子で、まだいろいろお世話してあげないといけないし、みたいな。そういうタイミングですかね?
そういうタイミングですね。
じゃあ、超大変な。
いやいや、めっちゃ楽しいですよ。
あ、楽しいんですね。
あれ?
でもインスタとか見てると、確かにお子さんとのいろいろ行くのを、すごいエンジョイしてそうな雰囲気が伝ってきてます。
そうですね。まあ、ブズンブズンですけど、まあでも一緒に遊んでる感じがありますね。
いや、なんか実はその、やっぱ年代が近いというのもあって、子育てしながら走ってる系の話は、これまでの日本代表インタビューにはあまり出てこなかったので。
ベルさんとか子育ての話したことないな、そういえば。
なんかそういう意味では、すごいいろいろ、僕も勉強というか、参考にさせていただきたいなと思って。
いやいやいや、そんな参考にするとか全然ないと思います。
いやいやいや、実際、やっぱ子育てしながら走るって、まあその毎朝、一応毎朝というか朝走ると決めてやってるって言ってましたけど、
なんかまとめて長く走るとか、そういう練習とか、やっぱなかなか取れてない感じですか?
そうですね、こう、あんま取ろうともしてないとこもあるんですけど、やっぱりそれでも20キロ30キロぐらいを走りたいときもあるので、
そういうときはもう土日の朝に、もう前夜には妻のほうにちょっと長めに行かせてくれって、帰りが8時か9時ぐらいになるわっていう話をして、
30キロ、まあ時によっては40キロぐらいの朝は入れますね。
月間で走ってる距離、だいたい何キロから何キロぐらいってあります?
150から300ぐらいじゃないですか。
その中で、時間取れる時もあれば、そうじゃない時もあるっていうので、その幅の中でいろいろ走力を磨いてると。
走力磨いてるのか、走り続けてるってことですね。
ってことですよね。で、10月にはバックヤードの日本代表にも選ばれということだと思うんですけど、
ちょっとバックヤードの話も徐々に入っていきたいなというところなんですけど、
まずちょっと先に、今のボリンさんの走力というか、乱歴みたいなのとか伺ったんですけど、フルマラソンは自己ベストどれぐらいですか?
フルマラソンは2時間52分、51分あたりです。
いつですか?
2年半前かな、3年前の姫路城マラソンっていうのがあって、そこで出しました。
結構、初期の3時間30分台だった寒平マラソンの時とか、そこからいろんなイベント出るようになって、
で、まだその時はコンスタントには、日常的には走ってなくて、
で、コロナ禍ぐらいでコツコツ走るようになってみたいなところからのフル2時間51分っていうのが、
繋がってるようで微妙に繋がってない気がするんですけど、やっぱサブスリーみたいなのを目標にして取り組み出した時期があったんですか?
いや、そんなことはないですね。何でしょうね。
サーフマラソン出てみようかっていうのがコロナ禍ぐらいの時にありまして、
そこで案外走れた。1時間と19分。
それが2022年の1月末なんですけど、フル多分3時間切れそうだなと思ったんで、ちょっと意識しましたけど、
それでもその時から朝のランニングの習慣があったので、習慣というか走るのは朝と決めていたので、
メニューをこなすっていう感覚よりも、ランニングをこの時間に10キロ走りたいなというところです。
じゃあその日々の積み重ねの中で、それを大会に出るっていうのでやってみたらどんなタイムなんだろう?
ハーフでこんぐらいいけるんだったら、フルでも3時間いけるなみたいな。
3時間切れるんじゃないかって。
じゃあサブスリーに向けて特別な練習を取り入れてやったっていうよりは、本当にやってることは変えずっていう。
変えてないですね、全然。
じゃあ自己ベストシリーズで言うと、100キロマラソンのベストはどんぐらいですか?
100キロマラソンは9時間29っていうのがあります。
アコウルトラマラソンっていうのがあって。
アコウ?どこですか?
兵庫県のアコウってあれか。
アコウ会。
ぜひ出てほしい。アコウルトラマラソンっていうのがあるんですけど。
それが2020年にその大会で9時間29ですね。
以降走ってないですね、ヒロマラソンは。
そのぜひ出てほしいっていうおすすめポイントはどんなところですか?
ずっと公園走るんですよ、でっかい公園を。
ぐるぐる系なんですね。
ぐるぐる系なんですけど、その公園がすごいファミリー向けのでっかい公園で、
朝方の5時から6時ぐらいにスタートして、暗い時間帯からスタートしてるんですけど、
だんだん日が昇っていって、カートに押された子供とか、ベビーカー乗った子供たちとか、
家族連れがどんどん集まってきて、遊具で遊ぶんですけど、
このまま横をひたすら走るんですよ。
シュールな感じですね。
それ出てほしい。
ちょっといずれ自分に子供ができたら、家族を遊ばせといて、ぐるぐる走るっていう。
分かりました、悪を売ってたら悪そう。
そんな中で、今タイム系で聞きましたけど、
自己最長距離、1個のレースとかイベントでっていうのはどんぐらいですか?
自己最長は、今年の4月に走った木島平での記録が自己最長になります。
なので、68時間、445とかだったね、約が自己最長です。
ありがとうございます。
他、バックヤード以外で出た最長ってどんぐらいですか?
24時間走に出たことがあるので、そこが最長かな、210キロ、11キロっていうのが。
結構走ってますね、24時間走、210。
走れてますよね、多分200キロ超えたら。
いやいやいや、そうですよね。
200キロ超えたら、割と大会でも一桁順位ぐらいに行きますよね。
そうですね、フォアな大会だったんで。
どこの24時間走ですか?
神戸24時間リレーマラソンっていうの。
ありますよね。
そこです、そこのソロの部で。
あれですよね、ひゃほいさんとか平田さんとかも過去に。
そうそうそうそう。
もりもりさんとかも出てますよね。
そうですね、出られてると思います。
そんな神戸な24時間走。
じゃあ、ご自身の中の代表的な戦績というか、
これはちょっと自分にとって自慢できるなとか、
表彰台に乗った優勝したとか、
どういう系ってありますか?
ほぼないですね。
でも、去年それこそ走った神戸24時間走っていうのが、
去年の今頃なんですよ、9月の中旬に行われて、
この大会で、1位平田さんで、2位がひゃほいさんで、3位が私で、
それは面白かったですね。
自慢できるかっていうと自慢じゃないんですけど、
もう主観的にすごい楽しかった大会がそこで。
なんかすごい並びですもんね。
並び、いいでしょう。並びは好きなんですよ。
ベルさんはもうちょっとしてるんですけど。
ベルさんよりも上に行ったと。
ベルさんよりも上。
ベルさんはバックヤード方式でそれをされてるんで、
ベルさんより上ですけど。
結構それは平田さんの視点からのエピソードは、
エヴァントレイルズとかでも紹介されてますけど、
確かにその24時間走は濃そうですね。
面白かったですよ。面白いです。
なんか印象的なエピソード1個挙げるとしたらありますか?
大会自体が雷の影響で、2時間中断してるんですよ。
約2時間。
それが夜中の時間帯だったんで、
実質は22時間走なんですよ。
なんですけど、それも一つのテックコツですけども、
自分の中で一番印象が残ってるところは、
最後の2時間、1時間半くらいを、
キロ4分半くらいで走った。
走れたというか。
これが結構楽しい空間で、
何ですかね、しんどいとかいうよりも、
しんどいんですけど体は。
楽しく走れてた。
時間帯の自分で感じながら走れた感覚は、
ロングレースの醍醐味なのかなと思いながら、
人には何か伝えにくいけども、
自分の中ではこんな側面があるのかと、
人の体には。
っていう気づきにもなって、
非常に楽しかった時間帯、
ラスト2時間っていうのが。
ほんと気持ちよく終われた、
締めくくれたって感じなんですね。
やりきったって感じの大会としては、
初めてじゃないですかね、自分の中で。
そうなんだ。
その話もまた木島太平田で、
より深くいろいろ聞かせてください。
いやいやいや。
終わります、1分くらいで。
大丈夫です、僕が終わらせないんで1分で。
そんなお話を今聞いてた中で、
いよいよバックヤードっていうキーワードを
持ち出してみようかなと思うんですけど、
バックヤード、そもそもいつ知りました?
知ったのは2022年に知りましたね。
ネットでそういうのがあるというのを知ったんですけど、
2022年は確か予定がかぶっていて、何かと。
出るっていう選択も全くなかったんですけど、
面白そうだし、1年に1回行われてるのは知っていうことだったので、
翌年の2023年のバックヤードは京都大会があったんですけど、
それに出ようというところが初めてになります。
そもそもそのバックヤードって存在を知って、
ルールとかを見たときに思ったのはどんな像でした?
やっぱ出たいっていきなりなったってことですよね?
面白そうっていう。
面白そうが先に来たんですか。
面白そうと思って、出ました出ました。
で、2023年京都大会に初出場したと。
はい、そうです。
そこに向けては何か事前の準備とか練習とかって。
いや、もう何を持ってたか分からないんで、
これを考えてましたね。
実際今思うと、あれもっと持っておくべきだっただろうとか、
いや、あれいらんかったやろうみたいなのってありますか?初回バックヤード。
初回バックヤードですか。
初回バックヤード、何持ってったかな、でも。
ほんまにね、いや、特にそんなないですね。
いや、今とそんな変わらず。
あんま変わらない。変わってないですね、持っていくものは。
じゃあ、初回からちゃんと立つテントも用意してって感じですか?
テントは京都大会だけちょっと独特なのか、
ああいう小屋みたいな。
なんかあの、馬車の。
ベルさんもなんかそういうふうに言ってたかと思うんですけど、
そういうのがあるので、それは選択できるので、
これを使わせてもらいました。
だから、雨とかブサブサっていうところはある程度しのげましたね。
そっか、大森キャンプ場はそれが使えるんですね。
そうなんですよ。
いや、やっぱいいですよ、たぶん。
ベルさんも何度も言ってたと思いますけど、京都大会。
来年ね、日程が発表されてましたね。
そうなんですか。
京都大会、これたぶん言っちゃっていいやつですけど、
3月の20日に京都大会をやると。
あ、年明けてからですか?
そうです、そうです。
来年っていうのは。
へえ。
でも、また寒いですね、ここは。
そうなんですよ。
そっか、テントとか持っていかなくていいんだ。
持っていかなくてもいいんじゃないですか。
出るんですか?
お、考えてるんですね、じゃあ。
ちょっと、はい、頭に今ちらつきました。
まあちょっとね、いろいろ現実的な問題はあると思うんですけど。
ね、そんだけね、多くのベルさんにしろ、
ヤホイさんにしろ、ボーリンさんにしろ、
みんななんかこう、やっぱ京都大会の思い出を語ってくださるので。
何人だけじゃないですか、言ってんの。
ほら、マコリンさんとか。
あ、そう、そうですね。
だから、2023は、もう分からず出ましたけど、
最終的にメンツがすごい面白かったんですよ。
うんうん。
で、その当時は竹村直太くんって。
うんうん。
でね、こう、メンバーリストを見て、竹村直太っていうのは見えて、
あの竹村くんやって思ったんですけど、
ここは僕は無知なだけなんですけど、
他のメンバー、誰一人分からなくて。
うんうん。
あの、やったんですよね。
だからこう、ベルさんも初めましてだし、
百恵さんも初めて見た、初めましてだったし、
百恵太郎のこと知らなかったんで、名前すら。
うんうんうんうん。
そんなことどこでしたけども、
やっぱりこう、振り返ると、あの時のメンバーっていうのは、
すごい思い出深いものがあって。
うん。
あれ、大学生がふらっと現れたのも、2023ですか?
それ、次の年ですか?
京大生の。
京大生は2024です。
あ、24か。そっかそっか。
うん。
2023、初バックヤードは、走りとしてはどうだったんですか?
走りとしては、あー、悪くなかったんだと思うんですけど、
うんうん。
初めてこう、24時間っていうところを、
うん。
終えるのも初めてだったんだね。
だったんで、あまりそういう距離がなかったんですけど、
いやもう、ほんともうしんどかったですよ、めちゃくちゃ。
うーん。
めっちゃしんどかったです。だから、
淡々と走られてる方たち、だんだん怖くなってきましたね、周りで。
何なんだ、この人たちみたいな。
うーん。
そう、だから、バタバタ元気に走るし、リュック背負ってる人もおるし、ずっと。
あとから、
ホイさんか。
もう、ベルさんもずっとなんか、あれ、どか食いしてましたからね、最初から。
へー。妖怪に見えたと。
いやもう、びっくりしました、最初。
びっくり人間大集合みたいな。
いやいや、面白かったですね、だから。
記録はどうだったんですか?
記録は32ラップ。
うんうん。いやでも、いきなりで30。
で、まあそんな変な人たちとも出会い、32ラップ走り、
ああ、バックヤードはまたやりたいなったのか、
ああ、いったんいいかななのか、終わってみたときの気持ちはどんな感じでした?
またやりたいになりましたね。
まあそうですよね、だからここに、はい、今インタビューさせてもらってんだなと。
いやいやいや、はい、次が2024。
うんうん、また京都大会。
また京都大会です。
それはまた前年と比べて違いとか、ご自身の中で準備したこと、練習したこととかありましたか?
ああ、でも、ちょっとラストの一人にはなりたいなと思いましたね。
ああ、気持ちが変わったわけですね。
うん、なりたいと思いました。
で、実際なんかこう、前年と比べて変えたこととか、事前の準備、練習とかありました?
いや、そこだけはなかったです。段通りというか、
うん、なんかその耐久的なものとか、スピードっていうところ、
いろんな側面がね、影響すると思うんですけど、
自分がこう、第一回の京都大会辞めた理由もこう、
どっちかと言ったらこう、メンタリティな部分だったので、
んどいから無理だっていう諦めだったので、
なんかその辺が、うまくこう絡み合ったり変化すると、
もっと長い距離はいけるんじゃないかなっていうのがあって、
それだけで臨みましたね。
こんだけ練習してきたからラストになりたいよりも、
こう、もう一回やったらラストを目指せるんじゃないかなっていう、そんな感じでした。
それはこう、自分の手札をいろいろ組み合わせることで、
ラスト侍というところをやるぞという。
そうですね、もう辞めないっていう、
辞めないっていうか、結局辞めたんですけど、
この頃は思ってましたね。
実際、記録はどうでした?
記録は35でした。
で、順位で言うと?
順位が、アシスト。
その時の勝者が?
タトルさん。
どんな形で決着がついたんですか?
自分の気持ちの面でポキッと折れてしまった。
そうだったんです。
オロッと辞めてしまったっていう、
うがいない終わり方してましたね。
そっか。
それ以外で、結果以外で、
2024年の京都大会で印象残っていることとか、
エピソードとかありますか?
あの時すごい雨あったんですよ。
膝はいいすぎだけど、
足首は普通に浸かるようなところがあったり、
結構傾斜があるんですけど、
上からすごい水が流れてくる。
水が流れてくるっていうのとか、
あとはもう、
サーフェスがすごい、
サーフェスはバラエティ豊かなんですけど、京都は。
いろんなぐっちゃぐちゃな度合いがあって、
それが面白かったですね。
あとは、蜂に刺されました、頭。
3人ぐらい刺されたんですよ。
大丈夫だったんですか?
大丈夫でした。痛かったですけどね。
なんか、初めて刺されましたけど。
よかったですね。
アナフィラキシーとか出なくて。
ね、ほんまに。
痛ったとか、後ろからも聞こえてきてて、
同じようなタイミングで。
一応、バックヤードたちが蜂を刺激しちゃったんですね。
ね、もう真横蜂の巣だらけだったんで。
あ、そうなんだ。
それ怖いですね。
怖いですよ、めっちゃ。
そっかそっか。
で、2024の京都大会そんな形で、
次のバックヤードはいつどこのやつですか?
そっか、1年後のタカオですね。
去年のタカオ。
はいはい。
やります。
それが3本目ですよね。
3本目。
はい、その時初めてお見かけしたのかな?
僕、会ってないと思いますよ。
そうっすね。
同じ場にはいたんでしょうけど、
僕なんかもう、終わってたタイミングで道来たんじゃないですか。
うん、確かに。
ボニーさんタカオにいるんだって思って駆けつけて、
確かに実際には会わなかった。
うん。
その時のタカオのバックヤードのエピソードは、
ヤホイさんのポッドキャストでもいろいろ歌ってたので、
詳しくはそこを聞けばより深く知れるかなとは思うんですけど、
そもそもなんでずっと京都大会だったのをタカオっていう、
わざわざ遠征してまで来ることになったのかっていうのは、
どんな感じだったんですか?
やっぱり京都走りたかったんですよ、その年も。
京都大会がないっていうのが、
8月末ぐらいには公表されて、
どうしようと思って。
京都走られへんのやったら、
でも前年の2024が、
すごいしこりとして残っていた部分があって、
もう一回走りたいなって思っていたんで、
出るならタカオに出たいなと。
うんうん。
なんとかしてタカオに行こうっていう風に思いましたね。
で、実際でもまたそこに向けて、
特になんか練習を変えてとか準備を変えてってこともなくですよね、
今までの感じで言うと。
そうですね、はい。
普段通りにっていう中で、
で、そこでまたしっかりこう、
記録を伸ばしたんだと思うんですけど、
その時の終わり方はどんな感じでしたか?
痛くて痛くて、痛くて痛くて、痛みに負けて終わりました。
すごいだったんだ。
どこの痛みですか?
アキレス腱が痛かったですね。
実際、炎症としてその後もちょっとこう、
ダメージ残ったんですか?
残りましたよ、もう。
か月、年明けぐらいまで走ってないと思いますね、そこから。
あら、そのレベルなんだ。
もうちょっと、もう無理かなって思いましたね。
ランナーとしてってことですか?
やっぱ、こんな痛みで負けんのかって、
痛みの耐久性とか耐性自体がもうヘボいんかなと思ってた。
もう走るっていうのにも別にそんな贅沢心があるわけではなかったですけど、
炭沢が年明け2月にあったじゃないですか。
で、そこにタカオの時にサポートをいただいたヒャッコリさんが出るっていうことなんで、
なんか密着してのサポートではないけども、
何か支えられるようなことができるようになったら来たいなっていう、
なんか当時のトレーナー目指してた、トレーナーやってた時代の気持ちが
ぷっぷと芽生えてきて、
別に走らんでもええかっていうふうになった。
関わり方はいろいろあるしみたいな。
でもやっぱりそう見て、
災熱しましたけどね、炭沢中に。
それが4月の木島平に出なかったと。
そういう感じですね、経緯は。
ちなみにタカオは何ラップですか?
タカオ51。
51か。
一朗ラップですか?
51朗の生まれた時ですね。
51朗ポーズみたいなのがあるって伺ったんですけど、
タカオの時はそれはやったんですか?
はい、お披露目しました。
お披露目して、次の週戻ってこられなかったって感じですか?
じゃあもうフィナルだったんですか?
タカオが51朗ラップだったと。
で、もう一回いいかみたいな気持ちにもなりつつ、
2026年2月の炭沢でちょっと気持ちが再燃をして、
で、木島平っていう流れですよね。
うん、そうです。
で、木島平は実際、なんだろう、
これもう聞かなくていい気がするんですけど、
特に木島平に向けて変えたこととか準備はなく。
そうです。
もうどくできるようになったし、出てみようというところで。
サテライトへの意気込みとバックヤードの魅力
っていう中で、実際の記録より先にどんな展開でした?
なんか今までと違ったこととか、木島平特に覚えてることあれば。
展開というか、自分があんまり会話しながら話すことが少ないタイプなんですね。
それは京都の時もそうで、京都は参加人数少なかったですけど、
結構先頭の方に行くんです。
これペース配分だと思うんですけど、木島平も基本的にはアベレージは45だったので、
別に前に何人か人はいますけども、
たぶん後ろの方がパックになっていて、あんまり並走するっていう感じはなかったですね。
出来事としての覚えてるのは、ほんまに風が強いなっていうのと、高犬さん、よくしゃべるなっていうのと。
それこそ、高犬さんとはタイミングが合う時があったってことですか?
いや、高犬さんはたぶんもうバラバラなんですよ、アベレージ。
前におる、後ろにおる、そんな感じです。
このラップは前におんねんやって。
なるほど、その印象があったと。
で、記録はかなりでも大幅に伸ばしましたよね。
ほんまそうですよね。自分でもびっくりしてて。
それってなんでだろう?
2日目の晩、覚えれたんだっていう、えーって感じでした。初めて覚えました。
はいはい、土曜の日中スタート。
2日目の晩?3日目の晩?わかんないですけど。
3日目の朝を迎えたってことですよね。
3日目の朝か、とか。
で、朝で終わらないですよね。68まで行ってますよね、最後。
68、朝って言ってももう9時とかには終わったんじゃないですかね。
あー、そっかそっか。
9時、10時ぐらいに。
うん。
そうなんですね。それはなんかご自身の中では、なぜそこまで走れたっていうのはありますか?
ないですよ、でも、あのー、やっぱりこう応援してくださる現地のスタッフの方々の応援とか配慮の部分っていうのは非常に大きいですね。
うんうん。
やっぱりそれは、参加人数も多かったですけども、みんながみんなこう、まだまっすぐ行けよっていう意識が強かったと思うので、そこにすごい影響されてたと思いますね。
なんかもう無意識のうちに、ラプスを刻んでいったという感覚はありました。
じゃあもうなんか、そのスタッフの方とかのムード的にも、もう先に行く選択肢しかなかったみたいな感じなんですかね。
気づいたら、あんまりそれを意識せずに、もう一周、もう一周みたいな。
そうです、そうです。
やっぱなんかこうおっしゃってましたけど、あのー、辞めちゃったとき、最初の1回、2回とかは結構メンタルでっておっしゃってたじゃないですか、心がポキッとっていう。
逆にそのメンタルさえクリアすれば、ご自身の中では割とこう、なんだろう、走り続けられるだけのイメージは最近は湧いてきてる感じですかね。
そうですね、はい。そこはありそうです。
ひじまだいらは面白かったんですよ、やっぱり。楽しかった、面白さがあって。
京都は結構ね、うちにグッとこう、褒めたものがあったんですけど、ひじまだいらは結構気楽にやってたので、そこは全然違いましたね。
そうなんですね。こう楽しめたっていうのは理由とかあるんですか。
そのときはサポートについてくださった女性の方が1名だったんですけども、その人のおかげじゃないですかね。
もう全くこっちは気を使わない人というか、それが非常に居心地よかったんですよね。
なるほど。これまでのバックヤード、サポートっていうのはどうしてきたんですか。
サポートはゼロっていうことはなかったんですけど、1人目はすごい友達で、2回目は大学の先輩だったんで、
粘密に合わせてとかではなかったんですけど、でもそれでもランニングを、
坂井さんに3回目のタカオはついてもらいましたけども、サポートにすごい求めるものとかそういうのは別に一切ないんですけど、
サポート大事だなと思ってたんですよ。サポート大事だなと思ってたんですけど、今回の4月のきじまだいらは、
もういてくれるだけで安心するなって思った。こんな感じです。それがやっぱりちょっとハマった部分も、
絡み合った部分もあって、楽しい気持ちを持ちながら続けてたっていう結果になりました。
なるほど。ちなみにそのきじまだいらでサポートいただいた方は、サテライトにもいらっしゃるんですか。
これからダンプンしようと思ってます。
ありがとうございます。バックヤード、今までどういうふうに取り組んできたのかっていうところを伺ったところで、
その10月のサテライトに向けた話をちょっとしていきたいなと思うんですけど、
日本代表っていう響きとか、そこに対して思うことはありますか。
いいんかなって思うぐらいで、すごい光栄なことではあるので、頑張ろうという気持ちです。
ちなみに、今まで日本代表経験はないですか。
ないです。
じゃあ、初の日本代表ということですけど、意気込みとか目標とかってありますか。
目標…意気込みか。
意気込みは、負けたくないっていうところですね。
何にですか。誰にですか。
誰にも負けたくないっていうところが、今回結構持ってますね。
それは、自分も含みます?人も。どっちかっていうと人ですか。
人ですね、今回持ってるのは。
いいっすね。なぜそう思うんですか。
負けてきてるんで、前の大会に振り返っていくと何かしらに。
4月の生島平は、完全に負けたので、人に。
人に負けたって感覚だったんですか。
同じメンバーの方が、自分より上の方というのもラテライトに出られるというところ、一緒の代表なので、
一緒にこうやって同じしかも生島平で走れるので、負けたくないですよね。
意気込みとしては負けたくないっていう気持ちと、目標は…
目標、何か考えとこうと思ったんですけど、別に一つだけって難しいじゃないですか、目標って。
バックライト特に。
特にそうですね。
一個はね、ミッチーとワンツーとなることが目標やなと思ったので。
どっちもやられないですね。
これは、やっぱりこう、お二人とも30代、一応前半じゃないですか。
走られる方はほぼほぼ一回り上、もしくは年齢によっては二回り上の方もいらっしゃって、
負けれないでしょ、これ。
ミッチーはね、こうやってバックガードをいろんな側面から支えてもらってやってもらってますけども、
今後のことを考えると、30代としてこうやって年代を超えて一緒に走れる舞台はありますけど、
30代としても負けたらあかんと思うんですよ。
一つそれはありますね。
いつまでも、いつまでもというか、ベルさんにはいつまでも負けて終わってたらダメなんで。
そうですね。
これはやっぱり、我々がノンノンと、我々が負けたらダメだと思ってます。
前回ね、僕が、前回のサテライトは6番目に終わりましたけど、
僕以降残った5人は全員50代だったという、そういうのもありますし、
ポーリーさんのその気持ちはすごいこう、分かる、30代として負けないっていう、そうっすね。
別にね、対抗意識あるわけじゃないし、
でもこうやってせっかくね、こういう収録させてもらえてるんで、
やっぱり、我々は残っていくべきだし、もう負けたらあかんと思いますね。
確かに。ありがとうございます。
力強い、力強い。
ちなみにそこに向けた練習状況は?
一緒です。
普段通り。
そこがね、なんかね、ちょっとキャップありそうでね、ちょっとアレなんですけど、
と言っても、やっぱりこうすごいスピードとかが求められてないので、
喰らいついていくヤングの力でやっていこうっていうのは、
今日ちょっと言いたかったんですよ、みっちり。
今日しゃべりたくて、これを。
ありがとうございます。
ありがとうございます。
そうですよね。
練習は普段通りで、
150から300ってボニーさんおっしゃってますけど、
記録という意味で言うと、バックヤードも毎回必ずベストを伸ばしてるわけじゃないですか。
もっとサテライトでもその先を目指してると思うんですけど、
なんかこう私の中ではボニーさんが言ってることって、
別になんかこう反なるビッグマウスじゃないなというか、
練習量よりも身の丈を超えた目標とかそこを目指してるっていうよりは、
ボニーさんの中でロジックというか、なんかこう手応えのあるものがありそうな気がしていて、
で、なんかいろんな人がいますよ、このバックヤードのインタビューです。
代表選手インタビューも。
とにかく距離で攻めてる人たちもいるじゃないですか。
っていう中で、僕もどっちかというとそうなんですけど、
ただ距離を伸ばしていくっていうよりは、なんか違う切り口、
その体の使い方とか、体への理解とかも含めて、
なんか多分その量だけじゃない糸口っていうのが、
バックヤードで記録を伸ばしていくにはあるんじゃないかなと、
僕自身も思ってる中で、
ボニーさんはもう本当に今までの経験というか、
職業柄っていうところも含めて、
体への理解とか、スポーツトレーナーというとか、
神級師っていう側面から、
その代表選手よりも、なんかこう見えてる解像度が高いような気がしてるんですよね。
それはないっすよ。
いや、ないって。
それはない、それはない。
マジでないと思いますよ。
いやいやいや、
なんか別に毎朝10キロ走るのに、
なんか代表なれたとか、
ジャップ通りとかは一切思ってないし、
なんか本音はやっぱりもっと走りたいですよ。
自分にはやっぱりこう、
ちっちゃい子供がいて、
それでもこういう変な趣味を、
時間のかかる趣味をさせてもらってるし、
ただこう、1年に1回バックヤードもこうやって連続で出させてもらってる。
前はもう半年前の木島平っていうところで、
5日間とか6日間とか帰ってこないわけですよ。
そこにこう、どんだけ妻が寛大かっていうのが、
感謝しかないんですけども、
やっぱりこう、一旦こういうのを出させてもらえるっていうのは、
やっぱりこう、練習量とかじゃなくて、
どうでしょうね、心の持ちをっていうところを、
持たないとダメだなと思ってます。
表現的には面白さっていうところを常に選択して、
面白ければいいとは思ってますし、
本音もそうなんですけど、
でも戦いなんで、これも。
この競技も。
もう走るからには、周りにおる人らよりも走りたいし、
特に今回に関しては、
いろんな経験を得て代表になった方々と、
チームとなって世界と戦えるので、
もちろんそこの最終的な大きい目標もあるけども、
自分はそこに目指して頑張るよりも、
このメンバー誰にも負けたくないって思いながら、
あと1ヶ月過ごせる方が、
何かの力になるんじゃないかなっていうのはありますね。
ちょっと話違うかもしれないですけど。
いやいやいやいや、ありがとうございます。
初めて走る方、田中さんとか木戸さん、
お会いするのも初めてだと思いますし、
すごいこの収録も聞かせてもらってますし、
すごい楽しみです。
そういった年代の方たちと、
一緒に同じ空間走れるのは非常に楽しみで、
今まで走ってきてない人と、初めましての人と一緒に走れるっていうのが、
注目選手とかね、今まで聞かれてると思いますけど、
僕にとってはそこの注目選手ですし、
生き様が結構感じるじゃないですか、そういった方々と、
そういったものを感じたいなっていうのがあります。
でもそれが多分力になるんじゃないかなと、
特に。
確かに。
俺々30代が吸収して、
そうですね。
行くべきこともあるかなと。
いやほんと、生き様に、
このインタビュー自体も何年もやってきてですけど、
ほんとに生き様に触れさせてもらってるなと思いますし、
で、おっしゃった、ボニーさんもおっしゃってるように、
なんか走る距離がどうこうとかっていうよりも、
自分、それぞれに多分極めるというか、
自分の道をどう極めるかというか、
それぞれの置かれた立場で、
どう自分の生き方を磨いていくかみたいなところに、
繋がってるような気もするし。
ありがとうございます。
なんかボニーさんの言葉にすごいこう、
気を引き締めていただいたような。
1日120でしたっけ?
うん。
目標ラップ。
120からですよ。
おお。
120から。
120からね。
はい。
ですね、はい。
いやいやいや、ありがとうございます。
こちらこそ。
注目選手は答えていただいたと思うので、
次の質問に行きたいんですけど、
いろいろあると思うんですよ、
バックヤードっていうものの魅力とか、
ご自身が感じるものもそうだし、
人に伝えるならみたいなのとかあると思うんですけど、
ボニーさん自身はどういうところに魅力を感じてますか?
うーん、
バックヤードは、
いい意味でも悪い意味でも、
人に影響を与える競技だなって思ってます。
で、
影響力も強いと思うんですよ、この競技は。
うんうんうん。
だってね、3日も4日も走るわけやし、
うん。
で、
でもなんかルール聞くとすごいシンプルで、
スピードも遅いし、
ちょっとできるんちゃうかなって。
うん。
自分ならこうなるんじゃないかなって
憶測がすごい広がるんですけど、
うんうん。
実際走ってみると、
いろんな気づきがあるところですね。
僕はどっちかというと自己完結したいタイプだと
思っているので、
ここがバックヤードとどう絡み合うのかなっていうのとかは、
うん。
常々面白いですね。
毎回気づきが違うので、
うん。
そういうことは難しいんですよ。
ねえ、一言で言えるもんじゃないって確かに。
うん。
まあ、ぽんにぃさん自身もバックヤードを通して
いろんな影響を受けてきたってことですよね。
影響を受けていると思います。
うん。
だってもう年に一回ぐらいですもん、この大会。
大会とかイベント出るってなったら、
うんうん。
もうここ3年ぐらいはバックヤードか、
神戸24時間か、
温滝が出たんか。
うん。
それぐらいですからね。
バックヤードに出会えてよかったですか?
あ、よかったです。
おお。
よかったです、即答で帰ってきて。
はい。
いやいや、これはほんまによかったとしか言いようがないですよね。
うん。
ですね。
うん。
っていう流れからのちょっと唐突ですけど、
小池選手からの質問とリスナーへのメッセージ
大切にしている言葉とか座右の銘というのも聞いているんですけど、
ぽんにぃさんどうでしょう?
定番かもしれないですけど、
はい。
継続は力なりですね。
うーん、確かに。
これまでの話を聞いていると、その言葉のなんか、
確かに威力を感じます。
うん。
小学校の時のね、担任の先生が、
4、5、6年生、3年間一緒やったんですけど、
はい。
毎日の宿題の紙、
はい。
名前の、自分らが書く名前の上には必ず継続は力なりって、
3年間ずっと書いてあったんですよ、宿題。
で、なんかその頃ながらに、
あーなんか、毎日宿題出されてそういうことなんかなーとか思ってたんですけど、
なんかやっぱこう、ふとそういうことを考えると、
この言葉が一番こう、自分にはしっくりくるなと、
うんうん。
は思ってます。
うん。
いや、それを体現されてきてるなとも思いますし、
ありがとうございます。
で、えっと、もうね、お時間もなかなか、
あの、たっぷりいただいてきたので、
そろそろ、あと2個ですかね、の質問にしようかと思うんですけど、
あの、このインタビュー、まあ聞いてきてる中で、
あの、なんかなんとなく察してるかもしれないですけど、
前のインタビューの、した方から、
次のインタビューの方に、
質問をいただいてるんですね。
で、えっと、前回が小池さんだったので、
小池さんから質問をいただいてるんですけど、
あの、キジマダイラーのときに、51ローラップ、
51ラップで、
一緒にやりましょうって言われて、
でもなんかこう、うまく乗り切れなかったみたいなのを、
あの、小池さんは、あの、
後悔じゃないけど、あの、むしろ、
次はちゃんと51ラップ、51ローのポーズ、
ちゃんとやらせてくださいってことを、小池さんおっしゃってて、
また一緒にやってもらえますかっていう。
構成的にさせてもらいます。
はい。
はい。
ありがとうございます。
あと、その、あ、いいですよ。
いいです、いいです、いいです。
はい。
あとその、51ローラップのコツも教えてくださいっていう。
はい。
51ローポーズ。
51ローポーズですか。
はい。
もうなんか、一郎ってYouTubeで検索してもらって、
はい。
何回も何回もこすってみたら、
はい。
あのポーズは絶対真似できると思うんで。
バッターボックスに立ったときのポーズってことですよね。
バッターボックス立ってのルーティーンから、
あの、笛吹かれたときに、
うまいこと内角低めをスイングしてもらって、
そのまま走り出してもらえたら完璧だと思います。
僕あの、生で見たことないからあれなんですけど、
あの、51ローポーズを。
意外と複雑。
こんな広げんのいいですよ、このポーズ。
いや、複雑じゃないですよ。
うちの大名手のあのポーズして、
いやいやいや。
リポ打法して、
はい。
内角低めをうまいこと打ってもらって、
持ってもらったらいいと思うんで。
ちょっと僕もやってもいいですか?
もちろんっすよ。
やってください。
はい。
そんな広めんでいいですよ、この話。
みんなやるとかなんて嫌なんですよ。
いやいやいや。
やる方だけでいい。
はい。
でもあの、なんか僕嬉しくて、
あの、なんか海外のバッキュアウトとか行ってると、
なんかその、何ラップ目で、
なんかこれをやるみたいな、
なんかそういうこう、
お決まりのなんかこう、
実際あるんすね。
伝統じゃないけど、そういうのがあったりしていて、
で、例えばですけど、その、
4ラップだと、
これはなんかポーズとかじゃないですけど、
バックヤードランクラブっていうシドニーで、
毎月1回、
みんなで4ラップバッキュアウト形式で走ろうっていうコミュニティーがあって、
うん。
で、なのでレースとかで4ラップ目になると、
そのバッキュアウトラランクラブのTシャツをみんなで着て走るみたいなのが、
もちろんメンバーだけですけど、
っていうのがあったりとか、
あとは22ラップだと、
トゥートゥーで、
バレリーナとかがこう、なんだよ、
子供とかがバレーダンスとかのこう、
なんかお遊戯会で着るような、
チュチュンっていうのがあって、
22ラップになると、みんなその、
ひらひらスカートみたいなのを男性女性関わらず、
履いてその1ラップ走るとか、
なんかそういうのがあったりした中で、
なんか日本初でもなんかないかなとか、
いいのないかなって思ってたら、
あ、こう11ローラップっていうのを、
ボニーさんやってんだと思って、
まあね、はい。
勝手に僕はそれをやりたいなと思ってました。
仕方ないですね。
はい。
やりましょうか。
やりましょう、はい。
はい。
ボニーさん、まあ広めてほしくないのかもしれないけど、
ベルさんも何かしてもらえますか、
その時は。
ガッツリも。
お願いします。
はい。
ポッドキャストの音声に乗せてしまったので、
多くの人に知れ渡るかと。
はい。
では、最後1つ。
この、まあ、
ポッドキャスト聞いてくださってる方もそうですし、
サテライト大会を応援してくださってる方へのメッセージというのも、
ぜひください。
お願いします。
はい。
改めまして、
ボニーと言います。
そうですね、今回いろんなご縁がタイミングあって、
四月での木島平の記録っていうところが、
代表の枠に選ばれる選考の基準となりました。
そういった団体宣言初めてですし、
もちろん日本代表も初めてな私なんですけども、
皆さんからのというか、
5000円であったりとか、
SNS通しての発信というところは、
こんな力になるんやっていうのは、
前回違って身をもって感じたところです。
想像たるメンバーが、
除いて14名、
それ以外のスタッフ陣の方でもいらっしゃいますし、
胸を軽く持ちで、
なんか自分らしく走れたらなと思ってます。
ただ、
自分の意気込みとしては、
目標もそうですけども、
リスペクトもちろんありますけども、
誰にも負けたくないし、
ここにいるミッチーとワンツーして、
残るというところを掲げたいと思いますので、
5000円よろしくお願いいたします。
ありがとうございます。
それでは、
10月17日から木島平でまたお会いしましょう。
楽しみにします。
はい、長時間ありがとうございました。
ありがとうございました。
01:25:37

コメント

スクロール