今年で31歳ですね、1995年の9月25日生まれということで、つい先週ぐらいに誕生日を迎えました。
で、今は神奈川県の肌の日と東京都の渋谷区を行ったり来たりしながら生活をしています。
妻が一人おります。
はい。
で、その妻が渋谷に住んでるという関係もあって、行ったり来たり、
二拠点生活をしてますなんていうと、知り合いからはかっこつけてんなとごめんを受けたりもしますが、
一応、はい、二拠点という形です。
で、昨年ですね、会社員を辞めて、
昨年2025年の7月に会社員を退職して、8月からプロウルトラランナーと名乗って活動をしています。
ちょうど1年ちょいぐらい経ったというそんなタイミングです。
はい、一旦お待たせします。
はい、ありがとうございます。
プロウルトラランナーになるまでランニングを打ち込んでくるような人生になったわけだけど、
道野君が本当に走り始めるきっかけっていうのはどういうきっかけだったんですか?
いわゆるもうランニングをやってる、ランニングメインでやってるというようなのは、
社会人になってからですね。
もともと大学ではトライアスロン部に所属をしていて、
その頃に、大学3年生の頃に初フルマラソンを経験して、
最初のフルマラソンは3時間55分とか、
前半のハーフを3時間サブスリーペースで突っ込んだら、
後半のハーフを2時間後半、全アルクスだというような、はい、というのが初で、
で、その後、大学4年生の9月に初めて100キロマラソンに出て、
そこで、わりと楽しかったというか、
記録的にも9時間10分で、いきなりサブ点できたというのもありましたし、
何よりも、途中で会った選手たちとおしゃべりしながら進むような、
ちょっとあったかい雰囲気がとても新鮮で、
なんか自分は距離を伸ばす、長い距離のランニングであったら楽しめるし向いてるんじゃないかなと思って、
社会人になって、100キロマラソンとかフルマラソンを最初の2、3年メインでやっていたという感じです。
トライアスロンをやってたっていう話なんだけど、それは走ることとはそんなに関係してないってことなんですか?
そうですね。もっともっとさらに振り返ると、中高が水泳部に所属していて、
ただ、いわゆる野球でいう万年補欠、万年ベンチみたいな感じで、室内プールのない中高一貫校だったので、
で、そのHMCのメンバーと一緒に、じゃあ今度はフルマラソンでサブスリー目指そうぜみたいなので、
冬に向けて定期的に練習するようになったりとか、
で、まあ100kmマラソン今年も出て楽しかったやつもっかい出ようみたいなの。
で、ランニングっていうのはまあ、継続するようになっていくっていう。
なるほど。
社会人になってからまあそれがきっかけっていうことなんだと思うんだけど、
はい。
その学生でもう100km走ってるわけじゃん。
はい。
いきなりウルトラ、でまあなかなかわかんないけど、
フルマラソンで走ろうって人は言うかもしれないけど、
なかなかウルトラに行こうって人いないと思うんだけど、
それはどういう流れでこの100km走ろうって。
それはもう完全にトライアスロンサークルのチームメイトの影響で、
なんかトライアスロンって水泳、自転車、ランニングってあるんですけど、
やっぱトライアスロンのオフシーズンになると、
それぞれ自分の好きな種目の大会になんか出るみたいな、
いう傾向があって、で、たまたま僕の同期たちがまあ走るほうが特に好きだっていうので、
また違うタイミングで100kmマラソンに出てたんですよ。
うんうん。
チャレンジとして。
はい。
で、その同期たちが一応感想はしてて、
で、同期のあいつらが100km走り切れるんだったらまあ俺でもやれるわみたいな、
なんか学生時代ってやっぱそういう謎の対抗意識みたいなのあるじゃないですか。
うんうん。
っていうので、
走ったんだ。
はい。走って、
で、同期のメンバーは10時間ギリギリ切れなかったみたいな話だったんで、
いや俺は10時間切るわみたいな、
いうそんな感じでチャレンジしたっていう感じですね。
で、10時間切ったんだよね。
9時間10分でした、はい。
めっちゃ早いよねそれ。
めっちゃ早い。
始めてる人はね。
勘違いしました。
どういうことでそんなのあるんだろうね。適正があったんだろうなこれ。
そうっすね。でもそもそもやっぱトライアスロンの10km走るって結構ペース早くって、
日頃は、日頃の練習はトラックで10kmペースを3分半とか3分40とかでやってて、
はいはい。
だから、100km走るって言ったときにあんまペースわかんないけど、
4分半から5分ぐらいで走ろうみたいな感じだったんですよね。
だから最初のたぶん50kmぐらいまたそのペースで行って、
で、4分半で50km行くと、3時間たぶん45分ペースなんですよね。
うん。
だから、50kmまでたぶん3時間50分から4時間の間ぐらいで通過して、
で、逆につぶれたんですよね、さすがに。
で、そんな中で、
まさしさんがもうすでにチキンオンチューズでずっとポッドキャストをやってて、
自分もポッドキャストやってみたいなって思って、
矢野健に声をかけたっていうのが始まりです。
なるほど。
その、どっかで答えてるかもしれないけど、
あの、秦野に移り住むのを選んだのはなんで?
それは、少し前に2022年のたぶん4月、春かな、春頃に、
友達と秦野の神房山に行くことがあって、
関東でいいハイキングスポットとみたいなので、
たまたま神奈川の秦野ってとこに神房山があるっていうのを見つけて、
一緒に行って、
で、山目的で行ったんすけど、
駅降りてから駅前に流れてる水梨川っていう川の雰囲気がすごい開放的で、
なんか町自体もすごい明るくて、
で、その神房山っていう山自体もなんか適度な里山で、
すごいこう、気持ちよかったっていう印象があって、
っていうそのなんか、町自体へのいい印象と、
あとは、ちょうどまあ2022年だと27歳ぐらいだったんすけど、
まあその年でずっと実家にいるのもな、みたいなのをちょうど思ったタイミングで、
2022年の9月25日の自分の誕生日を迎えたときに、
当時の職場の上司に、
ミッチ、お祝いディナー行こうよって誘ってくださって、
で、ミッチこれからまあそろそろ30代とかも意識してるかもだけど、
なんかどんな風なキャリア、キャリアというか、
どんな風な人生にしていきたいの?みたいなことを言われて、
まあいろいろ考えてたときに、やっぱそろそろなんかこう、
自分でいろいろチャレンジしたいですよ、みたいな。
え、そんなこと言いながらまだ実家暮らしなの?みたいな感じの煽られて、
いや、じゃあ、じゃあっていうか、
一人暮らしします、みたいなのをもうその場の勢いみたいなので宣言して、
もうでも、やっぱそれってもう勢いでしかないなと思って、
変に冷静になったらもうやっぱ実家にいた方がいいなとか、
なんかそんな気持ちになっちゃうだろうと思って、
もう一人暮らしするって決めて、最初に浮かんだのがもう、
あ、畑野って場所すごい良いイメージだったなっていうので、
で、ランニング中間で不動産屋さんがちょうどいたので、
その人に連絡して、ちょっともう一人暮らししようって決めて、
神奈川の畑野でもいい家探し欲しいんですけど、みたいなので、
そのままトントン拍子に決まったっていう感じですね。
うんうんうん。
それで、えっと、神戸を走ってて、
はい。
その辺りからもう、えっと、100マイルのトレランレースに出ててる感じなのかな?
そうっすね、神戸からなので、はい。
で、ちなみに、えっと、トレラン自体は、2020年ぐらいから知り合いに誘われて、
えー、なんすか?それぐらいの。
でも、ひできさんのこととかバックヤードっていうのは頭の片隅に残ってて、
で、ちょうど2022年の秋に、
僕が所属してるというか、名前を置かせてもらってるランニングチームがあって、
それのメンバーのうちの一人がタカオのバックヤードに出るっていうので、
現地に応援に行ったというのが、
より具体的にバックヤードを意識。
ちなみに中田美穂さんっていう24時間走の世界記録、今はあれかな?
元世界記録王子者の方ですね。
つい先日も100キロの世界選手権で2位になってましたけど、
まあもうそういう偉大なチームメイトがバックヤードに挑戦するというのを聞きつけて応援に行って、
その年は中田美穂さんはだいぶ余裕はあったんですけど、
翌週に台湾の24時間走があるとかそういうのもあって、
30時間ぐらいでもう大臣を取ってやめますみたいな感じで、
で、結局その年は友さんが初めてバックヤードに出てた年で、
40時間ちょいで友さんがラストサムライになったっていう。
で、自分だったら何週行けるんだろうみたいなのを思って、
翌年、2023年の11月に出ることにしたという感じです。
それは結構なんか研究してたというか、
こういうバックヤードを学んで準備するものはこれでみたいな、
そういう感じで挑んだわけですか?
いや全然、今思えば走り方とかは全然研究してなかったですね。
とりあえずテントがいるんだとか、コットがいるとかそういうのは聞きつけてたんで、
装備はテントは自分で買って、コットは矢野健がキャンプ用品として持ってるっていうから借りて、
で、折り畳み椅子とかは自分の家で使ってたやつを持って行って、
ペーブルも持って行ってとか、カセットコンロは実家から借りてとか、
本当に機材だけとりあえずかき集めて、
で、事前に1時間に6.7走るみたいな練習すらせずに臨んだ記憶です。
その初めて挑んだバックヤードで何ラップしたんだっけ?
70ラップです。
70ラップ。
それが木曽さんと?
木曽さんとラストと一緒で辞めたっていう。
ダブルノックアウトですね。
ダブルノックアウトの時にね。
それ、なかなか初めてでそこまで行く人いないと思うんだけど。
そうですね。
そのバックヤード初体験はどういう体験だったんですか?
分かりましたって言って、そのタカオのバックヤードの応援行って帰った翌日にそのままの足で、
自分の頭の中で、畳でやるならここかなみたいなコースを思想しに行って、
で企画書みたいなのもその日のうちにまとめて、
このコースで1点何キロの往復で6.7キロ取れるはずです。
広場はここがあるので使えるかちょっと調査してみますみたいな、
のをトモさんとJR田中さんにお送りして、
ちょっとそこらへんのその許認可関係どうかわかんないけど、
ぜひ進めてみてみたいな話になって、
で思ってたらたまたまその、
あだのでお世話になってた人が、
あそこの施設、自分口聞けるよみたいに言ってくださって、
テントエリアも確保できる、コースもまあ僕が、
コースチェックしてだいたいの原型ができてたんで、
じゃあやれるねっていう話になって、
だから2024年の11月にその構想が立ち上がってから、
もう一気に1ヶ月ぐらいで実現までの段取りを組んで、
2025年の2月にもうやるって決めて、
年始に募集かけてっていうそういう感じでしたね。
すごいよね。
その時なんか話聞いてたけど、苦手にやるって無理じゃないかなって思ったけど、
まあ何言ってんのみたいな話です。
すごいビード感で実現したよね。
それは良かったね。
だからそれの成功、本当にもうパッションだけでやって、
それはね特殊ケースだっていうのは本当改めて理解しなきゃいけないんですけど、
たまにだからなんかそういう無茶なことを実現してこれちゃったっていう感覚で、
すごいスピード感、
結構もっといろんな時間かけて準備しなきゃみたいなことも
短期間でできちゃうだろうみたいな見切り発車をしちゃいがちなのが、
今の自分の壁でもあるんですけど、
まあまあでもその時は何とかいろんな人の力も借りて、
2025年の2月のビッグスチャレンジガッグという、
ビッグスに向けた記録を出すっていう種種の大会をやらせていただいて、
レースディレクター県選手という形で出走させてもらった。
そのさ、その頃にはもうバックヤードってものにめちゃくちゃ打ち込んでるようなモードになってると思うんだけど、
初めてバックヤード走った時はまあそうでもなくて、
そこから短期間のうちにそういうビッグス出たいとか、大会やりたいとか、
そういうモードになっていくなんかきっかけというか、
なんかそれは何かあったんですか?
そうですね、何なんですかね。
でもなんか自分の中に多分可能性を感じたんだと思うんですよね。
自分が輝ける道だっていう、こういうのは多分あったと思います。
なるほどね。
で、やっていく中で、なんかまあ自分っていうこともそうだけど、
まあ同じようにバックヤードに魅了されている人たちともつながっていった中で、
だから大会作りたいっていうのも、それは一つ自分のためでもあったし、
同じような思いを持っている人たちがいるんだったら、
その人たちの頑張る場所を作りたいっていう思いも湧きましたし、
あとは選手同士走ってて生まれるドラマというか、
バックヤード特有の物語みたいなのも、
この場にいる人にしか知られてないっていうのがすごいもったいないなと思って、
それこそ2025年2月の神奈川のバックヤードを走りながら、
小松さんとかとも、何かこういうのを伝わるようなやり方ないですかねっていうので、
なんかその時、
その時すでにそういう話題になったかは別として、
ドキュメンタリーとかそういうようなものを、
もう一つ手段かもしれませんねみたいなことを言い始めてたりはしたので、
きっかけとしてはね、2024年の夏の時点で、
川道さんがご自身のドキュメンタリーフィルムを作ってたっていうのもあって、
そういうやり方あるんだなっていうのも頭の中にありましたし。
だから答えになってるかわかんないですけど、
なんすかね、バックヤードに傾いていったのは、
自分自身の可能性を感じたのもそうだし、
同じようにバックヤードに魅了されてる人たちと出会う中で、
なんかこれを単なるニッチスポーツに留めとくのはもったいないみたいな、
という使命感も多分あったし。
なるほど。
はい。
それで、丹沢の大会があって、そこではラストマンになると思うんですけど、
その大会自体はどういう大会だったの?自分の中では。
そうですね、でもほんとなんか今思えば、今思えばとっても自作自演というか、
なんか僕のわがままに周りの人を付き合わせたなという気持ちもありつつも、
なんかすごい支えられてるなっていうことを実感した場面でもあったんですよね。
僕がやりたい、PIX目指す日本人たちの受け皿を作りたいって言って立ち上げた大会ですけど、
実際そのレースディレクター兼選手なんていうのもかなり無茶な話で、
大会のもう今思えば何にそんなに時間使ってたんだって、
まあ今でも自分に思うことですけど常々ね。
大会のもう2時3時ぐらいまでなんかいろいろやってて、
で会場設営のためにもう7時には会場に行って、
でスタートラインに12時だかにみんなと一緒にスタートラインに立ったときにはもう眠いんですよ。
PIXチャレンジカップだからその当時で80ラップはいかないとみたいなことを言ってた中で、
最初の1ラップ目から眠いみたいでフラフラしてるし、
でも結構その周りの一緒に走ってた選手の人たちが、
いやもうなんか道太郎をこんなとこで終わらせるわけにはいかないだろうみたいな感じに皆さんがこうなんか支えてくださって、
今思うと何にもなんだろうな、
知ってるときに記録を伸ばせるようなイメージなんてもう湧いてなかったんですけど、
もう弱ってる僕を助けてくれる人たちのおかげで気づいたら周回を重ねていて、
でまぁ最後63ラップで終わった…62ラップかな?で終わったんですけど、
なぜか僕が最後ラストサムライにしてもらったっていう感じで、
まぁビッグスの記録には届かなかったですけど、
まぁでもそこまで行くともう自分のわがままにある意味付き合わせて、
みんなにそうやって助けてもらってきた以上、
もうなんか突き進まないといけないなっていう気持ちにもなって、
だからビッグスチャレンジカップ終わって、今回のビッグスはもう諦めますっていうよりは、
もうラストチャンス、やれること全部やったって言えるまでやろうっていう気持ちにはなって、
で、デッドカウガリーに出ること決めた。
で、それはビッグスチャレンジカップ走りながらも、
なんか小松さんとか川道さんと、
もし、まぁもちろんこのレースを一生懸命頑張るけど、
場合によってはもうワンチャンス、オーストラリアに行くっていうのもありですよね、
みたいな話はしてたので、
で、最終的には川道さんとか小松さんも巻き込んで3人で、
あとはサポートクルー、メディアクルーも巻き込んで、
計7人でオーストラリアデッドカウガリーに行くというそんな感じになったっていう。
はいはい。
まぁそこら辺からはね、結構、アファップでもやってるし、
まぁそれこそドキュメンタリーにもなってるから、
まぁこの辺りからちょっとあんま詳しく聞かなくてもいいかなと思ってるので、
まぁこのデッドカウガリー自体はかなりたぶん道たろくんの中で大きい大会ではあったと思うんで、
まぁそれが今後につながってる、今後っていうか今の活動にもつながってると思うんだけど、
そこでデッドカウガリーで出て、体験した大きなことって何だったんですかね。
うん、あの、バックヤードの世界観が広がったっていうのが一番ですね。
あの、バックヤードって人と人をつないでくれるっていうのは、
日本のバックヤードを走っていても思っていたんですけど、
日本で走ってる限りは、とはいえニッチなランナー同士がつながってるっていう感じだったんですけど、
デッドカウに行った時に本当にもう老若男女、あらゆるレベルのランナー、あらゆるタイプのランナーが集まっていて、
そういう人たちをやっぱりつなげてくれるフォーマットなんだバックヤードはっていう確信というか、
日本にこのバックヤード、その時デッドカウで味わったバックヤードはまだないけど、
うん、バックヤードにはその力があるんだっていうのは思って、
うん、本当に隠しなんですかね。
寄りしめを感じてた部分が明確になったというか、
こういうあらゆる人がそれぞれの限界に挑む、
で、それをやりながら人同士がつながっていくっていうこのバックヤードを日本でも広めたい。
この世界観を日本に伝えたいっていう、それが一番得たものですね。
はい。
そっから結構、むしろ海外のバックヤードにね、出ることになってくわけだけど、
いろんなね、大会に出たけど、海外のバックヤードを体験して、今感じてることって何ですか。
そう、実はその海外のバックヤードに出るようになったことと、
日本にバックヤードを広めたいっていうのは、なんかちょっと微妙に違う軸ではあるんですけど、
海外のバックヤードに出るようになったのは、実はそのデッドカウというか、
そのさらに次の10月の、2025年10月のVIXに出たことで、
バックヤードとかランニングって本当に国籍とか言葉を超えたコミュニケーションとして人と人をつないでくれるんだっていう感覚にVIXでなって、
そういう意味で、ほんと英語も通じないような、いろんな国の人たちと一緒に走った経験が、
その世界のバックヤードを走りたいっていうのにはつながっていて、
それはそれで、やっぱバックヤードを通じてもっともっといろんな国とか言葉の通じない人たちとさえつながっていきたいっていうのが一つと、
一方でデッドカウで感じた、本当に誰でも出れる、誰でもバックヤードを通じてつながれるっていう感覚を、
日本にも持ち込んでいきたい、日本でも文化として作っていきたいっていう、
なんかその両軸ですね、なんか選手としてはバックヤードっていうものをコミュニケーションツールとして、
もっといろんな国に行きたい、もっといろんな人たちとつながりたいっていう気持ちと、
ある意味オーガナイザー目線というか文化を作る側としては、
なんかこのバックヤードの気楽さをもっと日本でも味わってもらいたいっていう、
その両方を今、軸としてある感じですね。なんか延長っていうよりは、それぞれ持っている感覚です。
ごめんなさい、大答えになってますかね。
まだ大丈夫です。
まあ、バックヤードのサテライトを目の前にしてると思うんだけど、
そのなんか共通点って何かなって、今話も聞いて思ったけど、やっぱり、
なんか誰かと一緒に走ってるとか、話をしてるとか、
なんかタンザワの時もおったけど、最初なんかすごい眠そうで、
みんなからさ、ミシュラ君大丈夫?とか、ミシュラ君眠そうだったから声かけてあげてみたいな、
言ってたりとか、そういうシーンもあったけど、
逆に後半になってくると、なんかミシュラ君が潰れてる選手っていうか、眠そうな選手とかを、
ミシュラ君が助けてるシーンがあったんだよね。
たぶん最後のもう後半かな。
最初は逆に助けられてたんだけど、最後の方に助ける側に回ってて、
なんか逆にそういう風になったら、ミシュラ君もう大丈夫そうだなって風に思ったんだよね、その時に。
最後まで行くなって思ったんだよね。
それってたぶん、高尾とかでもあったと思うし、
レッドカー狩りとかも、いろんなエピソードでもあるけど、周りの選手を助けるとか、
コミュニケーション取って、あの時ミシュラ君がこれやってくれたんだよみたいな、
なんかそういう風にやってる時の方がミシュラ君強いなと思ってて、
なんかこう、記憶残さなきゃとか、
なんかそういう風になってる時こそ、あんまり上手くいってないなっていう。
うん。
こないだの真夜中も同じかもしれないけど、
うんうん。
なんかそういう、周りの人の力を上手く使って走った方が、
なんか記録が伸びるし、いいレースをしてるなっていう風に畑は見ると思ってましたね。
そうですね。
なんかね、僕もやっぱ結構村が激しい人間で、
うちにこもったり、いやでももう僕一人じゃダメですっていう、
こうなんかバーンってこう、もう引き裂き直るみたいな時と、
うん、行ったり来たりしてるんですけど、
やっぱり開いてる時の自分の方が、いろんなことがよく回るなっていうことは思ってはいますね。
はい。
その高尾の時もさ、言ってたけど、
なんか喋ってたらいつの間にか時間が経ってたみたいな、
うんうん。
っていう話もあったけど、
なんかね、今回、サテライトでインタビューめちゃくちゃね、
めちゃくちゃな、高級で言うとめちゃくちゃな時間インタビューしてると思うんだけど、
そうですね。
それを活かしてね、なんかみんなと喋りながらっていうか、
つながりながら走ってた方が、なんかいいレースになるんじゃないかなっていう気がしてますね。
うんうん。
今回、僕がものすごく他の人よりも多分勝ってる部分は、
僕が一番、現時点でいろんな人の話を聞いてるんですよ。
で、逆に言うと、あ、それで聞いて終わりじゃなくて、
あ、もっとこれ聞けばよかったとか、
あ、サテライトでこういうこと聞こうみたいなことも僕の中には結構あって、
だからなんかこういろいろこう皆さんからこう話の種をもらってるんで、
それをこう花開かせるじゃないけど、
僕自身もっといろんな話を聞いて、
皆さんのこともっと好きになるっていうのがサテライトの中で鍵になるなと思ってて、
もうほんとだから、別にバックヤード走ってるっていうよりは、
ほんと皆さんといろんなこうことをこうやりとりして、
時間をなんか楽しく過ごせてたら、
たぶん気づいたらある程度までは記録が伸びてるだろうと思うし、
うん、そうですね。
まあそういう意味では、14人のメンバーもそうだし、
現地にいてくださる運営の方、パック選手のサポートの方含めて、
その場にいる人のことをなんかもっと好きになれた。
うわー、バックヤード、もうこの繋がり大好きだっていう気持ちに最後なってて、
もうその気持ちが胸の中にいっぱいになってたら、
たぶん今回のサテライトはいい結果になるような気がしてて、
なんかちょっとSDっぽい気がする。
はいはい、まあね、必要かなと思いますね。
まあそのサテライトの話になっちゃったけど、
具体的な目標とか意気込みってあったりしますか?
もうでもあえてあんまりこう言って変に強いすぎてもなと思いつつも、
まあでもやっぱ120っていうのが一つ、
そこがゴールなのか、そこがスタートラインなのかわかんないですけど、
あのバックヤード応援Tシャツが120っていうのが刻まれてるっていうの、
世界記録っていうのが、あれはこまつさんの発想だっていう話は聞いてますけど、
でもそうやってバックヤード面白がってる人たちが、
日本で世界記録生まれたら面白いよねと思ってくれてるんだったら、
やっぱそこに応えたいし、それは自分一人でできることじゃないんですけど、
自分一人じゃないからこそ、いろんな人の力を借りて、
まあもしかしたら僕が120に行かないこともあるかもしれないけど、
僕ができる限りのことをして、日本の会場で120をまずはそこに行く、
まあそっから先続くのか、そこで終わるのかわかんないですけど、
120の瞬間をみんなで分かち合うっていうことが目標、
一つの今回のテーマかなとか。
はい。これちなみにさ、サテライトインタビュー企画でさ、
質問がこう、前の選手からあるけど道端に何かあるのこれ。
あ、そうっすね。池田さんに聞いたのは、
えっと、なんかエネルギー回復の秘訣はありますかって聞かれて。
エネルギー回復。
まあでもなんか、いいから言われた通りに食べればよかったのかもなとか、
なんか自分のやり方でやろうとするのにこだわってたっていうのが、
最終的にうまくいかなくなった根本原因なのかもなとは。
だから食べてないとかっていうよりは、
なんか人から言われたことは、いや、自分のやり方はこうだからみたいな感じ、
みたいなモードになっちゃってたのが、
よくなかったのかなっていう。
言われてみたら、タンザーの時とかはもうほんともう、
眠すぎて意識もおろうとしてるから、
もうこれ食べな、あれ食べなって言われるがままだった記憶はあるんですよね。
変に自分の中で、なんか操縦感握ろうとしすぎないっていうのが大事なのかもなって。
自分がコントロールしすぎないっていう。
うまくサポートクルーにコントロールしてもらうというか。
ちなみに今回のサポートはもう決まってるんですか?
今回のサポートはですね、はい、決まってます。
そうですね、せっかくなんでご紹介すると、
佃直樹君。
意外なとこ来た。
あとは妻直衣ちゃん。
あとは、今年の1月と7月に神戸でバックヤードイベント、
上映会とか、あとは走るイベントをやらせてもらった村田直屋さんっていう方、
わざと神戸から来ていただくというのと、
てっぺいさんはそうですね、もちろんレギュラーいてくだす。
で、あとは片岡さん、会長層ですね。
新越語学でもサポートしてくれた方、皆さんにも来ていただくのと、
あと私が毎週月曜日に働いている体育ランニングの店長渡さんにも来ていただくというので、
パフォーマンスでお世話になっている方々。
で、かつ津田君ともそうだし、村田直屋さんもそうですけど、
一緒に今度バックヤードイベントをやろうっていうので、
やり取りしているのもあって、
そういう今後一緒にバックヤードでなんか盛り上げていこうみたいな人とか、
あとは大工とか、仕事関連で一緒にやっている人たちと、
よりこう、流れを深めたいなみたいな気持ちもあって、
今回はそういう方々にお願いさせてもらったっていう感じです。
わかりました。
本当はね、岩崎さんにも頼みたかったぐらいなんですけど、
運営側のキーマンになっているというのは途中から知っていたので、
それぞれの立場で頑張りましょう。
はい、頑張りましょう。
これ定番の質問で、一緒に走るのが楽しみな日本代表選手っていうのがあるんですけど、