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RS#15「もっと好きになる|水野 倫太郎選手」10/17〜バックヤード日本代表世界一への道
2026-10-11 1:33:25

RS#15「もっと好きになる|水野 倫太郎選手」10/17〜バックヤード日本代表世界一への道

AFAP(アファップ)。このプロジェクトは、「バックヤードウルトラ」という競技に魅せられたウルトラランナーたちによる共走と挑戦に光を当てます。「As far as possible 私たちはどこまでいけるのか?」走ることでつながった仲間たちとこの世界の魅力をお伝えしていきます。


今回はRS#15「もっと好きになる|水野 倫太郎選手」10/17〜バックヤード日本代表世界一への道

<内容>

・RS シリーズ= Rising Sun Project(チームジャパン頂点への道)が遂にスタート。

15回目ゲストは水野倫太郎選手(PB: 94LAP)

RSシリーズでサテライト日本代表選手にインタビューをしてきた司会の水野倫太郎にスポットを当てる今回。

ランナーとしてどのような経緯を辿ってきたのか。これまでのインタビューで何を感じとり、本番ではどんな走りをしたいのか。

インタビュアーは編集のAidpo岩崎が担当。


水野倫太郎/通称・ミチタロウ(Instagram:@michi_bagman_ultrarunner)

昨年のDead Cow Gullyにて、Dead Cow Gullyにて94LAPを記録。BAGMANの愛称で知られ、「走るはつなぐ」をテーマに、海外バックヤード転戦中。

AFAP(Instagram:@afap_ultrarunning)

「As Far As Possible 私たちはどこまでいけるのか?」をテーマに、2025年6月Dead Cow Gullyをきっかけに立ち上がった日本人ウルトラランナーたちによるプロジェクト。当初はドキュメンタリー制作が目的。現在は、大会主催やコミュニティづくりに至るまでバックヤードウルトラや「共走」の魅力を伝える活動を幅広く展開している。


Podcastでは「共走と挑戦のドキュメンタリー」をテーマに、以下のシリーズを配信しています。

・SDシリーズ:Seven-day Project(ミチタロウ7日間への道)

・RS シリーズ= Rising Sun Project(チームジャパン頂点への道)


Documentary映像「As Far As Possible 私たちはどこまでいけるのか?」視聴リンク:https://youtu.be/aY3RQz1ADoM?si=5t8dHO2wnGWrCu2m


編集: 岩崎智之

Aidpo (エイドポーション)オンラインプラットフォーム運営

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00:05
ASAP ASAP このプロジェクトは、バックヤードウルトラという競技に魅せられたウルトラランナーたちによる競争と挑戦に光を当てます。
As far as possible. 私たちはどこまで行けるのか。 走ることで繋がった仲間たちと、この世界の魅力をお伝えしていきます。
はい、プロウルトラランナーの水野 倫太郎です。
本日は2026年10月1日。
バックヤードウルトラ日本代表世界一への道ということで、10月17日から開催されるバックヤードウルトラ国別対抗戦。
通称サテライト大会に向けたインタビュー企画。
選手第14弾ですね、14人目。
今回のゲストは水野 倫太郎選手です。
ということで、私にフォーカスを当てたインタビューを、今回お届けしていきたいと思うんですが、
一人語りをしてもちょっと難なので、
岩崎さんにですね、お越しをいただいて、インタビュアーを務めていただこうと思います。
本日のインタビュアーは岩崎さんです。よろしくお願いします。
よろしくお願いします。
いつもの流れでちょっとあぶこべな。
岩崎さん、今回インタビュアーとしてお越しいただくということですが、
これまでのインタビュー収録、編集者として13人来てきていらっしゃるかなと思うんですが、
このインタビュー企画全体の印象とか、今まで聞いてて感じたこととかありますか?
編集しながら聞いてるんですけど一通り。
やっぱりその人のランナー人生がわかるので、すごく面白い、興味深いなっていうふうに思って聞いてます。
意外に知ってる人でも、そういう過去で、こういうきっかけで走ってるんだとか、
バックヤードとこうやって出会ったんだとか、
あの人とこういうとこで出会ってたんだみたいな、そういうのが実は知らないことがあったりとか、
っていうのが面白くて、この人のことがよくわかる、いい企画だなと思って編集していました。
ありがとうございます。
というところで、そんな聞き手の側から今日は聞き役に回っていただくということで、
早速バトンタッチをしてもよろしいでしょうか。
はい。
ではよろしくお願いします。
僕がインタビューしてきますけど、道沢くんね、いろいろ過去に喋ってるし、
それこそ20から始まって、今までね、いろいろな場面で話してると思うんだけど、
このね、流れで喋ったことってないと思うんで、順序立てて聞いていきたいなと思うんですけど、
そもそも走り始めたきっかけみたいなところから始める前に、
自己紹介します。
そうですね、はい。ありがとうございます。
改めて三野道太郎と申します。
03:00
今年で31歳ですね、1995年の9月25日生まれということで、つい先週ぐらいに誕生日を迎えました。
で、今は神奈川県の肌の日と東京都の渋谷区を行ったり来たりしながら生活をしています。
妻が一人おります。
はい。
で、その妻が渋谷に住んでるという関係もあって、行ったり来たり、
二拠点生活をしてますなんていうと、知り合いからはかっこつけてんなとごめんを受けたりもしますが、
一応、はい、二拠点という形です。
で、昨年ですね、会社員を辞めて、
昨年2025年の7月に会社員を退職して、8月からプロウルトラランナーと名乗って活動をしています。
ちょうど1年ちょいぐらい経ったというそんなタイミングです。
はい、一旦お待たせします。
はい、ありがとうございます。
プロウルトラランナーになるまでランニングを打ち込んでくるような人生になったわけだけど、
道野君が本当に走り始めるきっかけっていうのはどういうきっかけだったんですか?
いわゆるもうランニングをやってる、ランニングメインでやってるというようなのは、
社会人になってからですね。
もともと大学ではトライアスロン部に所属をしていて、
その頃に、大学3年生の頃に初フルマラソンを経験して、
最初のフルマラソンは3時間55分とか、
前半のハーフを3時間サブスリーペースで突っ込んだら、
後半のハーフを2時間後半、全アルクスだというような、はい、というのが初で、
で、その後、大学4年生の9月に初めて100キロマラソンに出て、
そこで、わりと楽しかったというか、
記録的にも9時間10分で、いきなりサブ点できたというのもありましたし、
何よりも、途中で会った選手たちとおしゃべりしながら進むような、
ちょっとあったかい雰囲気がとても新鮮で、
なんか自分は距離を伸ばす、長い距離のランニングであったら楽しめるし向いてるんじゃないかなと思って、
社会人になって、100キロマラソンとかフルマラソンを最初の2、3年メインでやっていたという感じです。
トライアスロンをやってたっていう話なんだけど、それは走ることとはそんなに関係してないってことなんですか?
そうですね。もっともっとさらに振り返ると、中高が水泳部に所属していて、
ただ、いわゆる野球でいう万年補欠、万年ベンチみたいな感じで、室内プールのない中高一貫校だったので、
06:11
夏の間しか練習できず、早い人たち、選手コースの人たちだけ冬の間も、近くの私立学校の室内プール1連借りて、練習に連れてってもらえるみたい。
そんな感じだったので、私は6年間結局、冬連には呼ばれず、夏だけ部員で、
だから、水泳とか部活動に打ち込むってこと自体はあったんですけど、
実際、競技力みたいなので言うと、水泳やってはいるけど、水泳で輝けないっていうのはもう散々中高で思い知っていて、
でも、水泳やってたし、それを活かしながら新しいスポーツできないかなと。
いう中で、大学の新幹シーズンに出会ったのがトライアスロンだったと。
なるほどね。
はい。
じゃあ、水泳の流れがあってのトライアスロンっていう話ですね。
流れがあったんですけど、結果としては、走る、自転車を運ぶっていう、水泳以外の競技に出会うきっかけになってくれたというだけで、
水泳が何かすごい武器になった、強みになったっていう感じではあんまりなかったですね。
なるほど。
で、本格的に走り始めるのは社会人からだって話なんだけど、
はい。
小学校とか中学校とか高校のときには、走るっていうことに対してはどういう捉え方というか。
そうですね、あんまり、そもそも運動神経のいい子供じゃなかったので、
うん。
小学校のときとか本当、特に自分から好んで運動、
家の前で小学校の友達とミニ野球みたいな、クラスチックバットにテニスボールでマンホールを使って、
マンホールをホームベースでかベースに見立てて、本当にお遊び野球をやるみたいなことはしてましたけど、
外遊びが好きだけど、運動が得意ではないみたいな、いう感じでした。
中高でいうと、さっき言ったように夏しか活動がなくて、冬は暇してるので、
途中ちょっと冬だけソフトテニス部の練習に混ぜてもらったりとか、
あとは帰宅部のメンバーと一緒に、学校の片隅のハンドボールコートっていうんですかね、
ポサルコートぐらいの広さのところで、放課後サッカー部みたいな感じでみんなでボールを追いかけ回したりはしていたので、
なんか体を動かすのは好きでしたけど、
じゃあなんか走るのを単体ですごいやってたとか、得意だったっていう感じではないですね。
09:05
学校とかでも短距離走とか、マラソン大会みたいなのは、
マラソンじゃないかもしれないけど、あると思うんだけど、
そういうのに対しては嫌だなとか、そういう感じなの?
全然そういう気持ちもなく、
特にうちの学校は別にマラソン大会とかもなかったので、
そういう時給走で人より目立つ、逆に言って人より劣るみたいなのを実感する機会もなくて、
なるほど。
ただ、水泳やってたのもあるし、
高校生ぐらいになるとやっぱ人よりはちょっと体力あるのかなぐらいな感じにはなっていて、
さっき言った放課後サッカー部みたいな帰宅部のメンバーとサッカーで遊んでるときも、
やっぱ高校ぐらいで帰宅部ってなると、
なんかそれまでジュニアでサッカーやってて、
テクニックはあるんだけど、なんかちょっとこうドロップアウトしちゃって、
みたいなこうテクニック自慢みたいなやつは結構いて、
でもやっぱそういうメンバーと放課後サッカーで一緒にやるとなると、
武器になるのは体力しかないみたいな感じで、
ひたすらこう動き回る走り回るみたいないうのは、
まあ人よりは動けるんだなみたいなのは。
その心配機能が聞き換えられるとか、そういうことはあるんじゃない?
たぶん、水泳やってたんで、
心配機能はたぶんある程度ベースはあったのかなとは思います。
それでその水泳とかやって、トライアスロンやって、
トライアスロンではなんかこう目立った活躍というか、
そういうのも特になかった?
トライアスロンでは、一応そのサークルに加入されたときの誘い文句が、
トライアスロンって基本中高でやってた人はいない。
ほとんどみんなが大学からスタートするから、
ほんと努力次第でいきなり全国目指せるよみたいな、
いうそんな誘い文句でまんまと載せられたので、
で、実際、練習量とか、
ぐちょくり打ち込むってこと自体は得意というか、
そんなに苦じゃなかったので、
最初の1年目は全国行けなかったですけど、
2年目からは、2年3年は全国大会出場はして、
ただ全国の上位で戦えるようになりたかったけど、
上位で戦えるまではなれずっていうようなぐらいでしたね。
なるほど。
トライアスロンの競技自体は、結構好きでハマってた?
そうですね。好きでした。
僕がやってたのが、オリンピックディスタンスっていう、
最初に1.5キロ泳いで、
40キロ自転車漕いで、最後10キロ走るっていうやつだったんですけど、
やっぱりその、TAだけとか、自転車だけとか、
ランニングだけだと、勝てない相手に、
12:01
3種目合わせて、最後ある意味こう、
何だかんだ言って最後の10キロのランニングの粘りで、
大きく結果が変わるみたいな、
そういう中で戦うと結構、
それぞれ単体では勝てない相手にも勝てたりしたので、
なんかそういうこう、
なんか普通だったら勝てない相手に、
土俵を変えることで、
上回ったりできるっていうのはすごい面白いなって思ってました。
そういうときは勝負にこだわるわけ?一応。
勝負っていうか、まあ全力を出したい。
もうできる限りの自分の持てるものを全部出したいっていう感じでしたね。
で、まあそれの出し切るために、
ちょっと前に選手がいたら、もう一人ずつ抜いていくみたいな、
そういうのは目安にはもちろんしてましたけど。
はい。
はい。
なるほど。
で、そのトライアスロンをやって、それから社会人になって、
で、特に走ってなくて、
いやいやいや。
え?
社会人…
特に走ってなくないですよ。
なくない?
はい。
大学4年で100キロマラソンやって。
大学4年で100キロマラソンやってるのか。
そこでやったのか。
そうですそうです。
で、それで社会人になって、
ほんと最初の社員研修期間みたいなときは運動ほとんどしなかったですけど、
もう社会人1年目の夏ぐらいには、
職場の人に24時間リレーマラソンっていうのに、
社内外のランニング好きとチーム組んで出てるんだけど、
一緒に行こうっていうふうに誘われて、
で、そこに行ったのが、社会人でも走り続けるきっかけになったというか。
なるほど。
で、実はたかけんさんのエピソードでも話したかな。
僕とたかけんさん、24時間リレーマラソンで初めてお会いしてるんですよね。
2018年の三宅施工24時間リレーマラソンっていうのに、
なんかすごいチーム名で言うとうさんくさいんですけど、
ハッピーマラソンクラブっていう、HMCっていうクラブがあって、
で、リレーマラソンって1チーム15人ぐらいなんですけど、
それに5チーム出てるっていう、
もうほんと王女隊のランニングサークルみたいなのがあって、
で、たかけんさんも一応そのメンバーではあるけど、
たかけんさん、この人は24時間リレーマラソン、リレーじゃなくてソロで出ますみたいな。
えー、なんかやばい人いるみたいな。
いうのが、たかけんさんとの最初の出会いですね。
なるほど。
で、でもそこでやっぱ日中や問わず、リレーとはいえぐるぐる走るみたいな経験をして、
やっぱ走るのって楽しいなとか、こういう世界もあるんだみたいなのは思って、
15:05
で、そのHMCのメンバーと一緒に、じゃあ今度はフルマラソンでサブスリー目指そうぜみたいなので、
冬に向けて定期的に練習するようになったりとか、
で、まあ100kmマラソン今年も出て楽しかったやつもっかい出ようみたいなの。
で、ランニングっていうのはまあ、継続するようになっていくっていう。
なるほど。
社会人になってからまあそれがきっかけっていうことなんだと思うんだけど、
はい。
その学生でもう100km走ってるわけじゃん。
はい。
いきなりウルトラ、でまあなかなかわかんないけど、
フルマラソンで走ろうって人は言うかもしれないけど、
なかなかウルトラに行こうって人いないと思うんだけど、
それはどういう流れでこの100km走ろうって。
それはもう完全にトライアスロンサークルのチームメイトの影響で、
なんかトライアスロンって水泳、自転車、ランニングってあるんですけど、
やっぱトライアスロンのオフシーズンになると、
それぞれ自分の好きな種目の大会になんか出るみたいな、
いう傾向があって、で、たまたま僕の同期たちがまあ走るほうが特に好きだっていうので、
また違うタイミングで100kmマラソンに出てたんですよ。
うんうん。
チャレンジとして。
はい。
で、その同期たちが一応感想はしてて、
で、同期のあいつらが100km走り切れるんだったらまあ俺でもやれるわみたいな、
なんか学生時代ってやっぱそういう謎の対抗意識みたいなのあるじゃないですか。
うんうん。
っていうので、
走ったんだ。
はい。走って、
で、同期のメンバーは10時間ギリギリ切れなかったみたいな話だったんで、
いや俺は10時間切るわみたいな、
いうそんな感じでチャレンジしたっていう感じですね。
で、10時間切ったんだよね。
9時間10分でした、はい。
めっちゃ早いよねそれ。
めっちゃ早い。
始めてる人はね。
勘違いしました。
どういうことでそんなのあるんだろうね。適正があったんだろうなこれ。
そうっすね。でもそもそもやっぱトライアスロンの10km走るって結構ペース早くって、
日頃は、日頃の練習はトラックで10kmペースを3分半とか3分40とかでやってて、
はいはい。
だから、100km走るって言ったときにあんまペースわかんないけど、
4分半から5分ぐらいで走ろうみたいな感じだったんですよね。
だから最初のたぶん50kmぐらいまたそのペースで行って、
で、4分半で50km行くと、3時間たぶん45分ペースなんですよね。
うん。
だから、50kmまでたぶん3時間50分から4時間の間ぐらいで通過して、
で、逆につぶれたんですよね、さすがに。
18:02
で、5分台からもう6分前後ぐらいまでになって、
でもなんとかギリギリ粘って、
だから前半4時間、後半キロロックで粘って、
5時間に収めて、トータル9時間みたいな、
そういう感じでしたね。
なんかそう、学生がさ、100km走っちゃおうぜっていうようなノリで走るようなペースではないよね。
他の人はその間走れた人いる?
いや、でもだから同級生とかも走り出しのペースはたぶんラジグラで入って、
もっと早々につぶれたりとか、もっともうキロ7、キロ8ぐらいになっちゃって、
10時間、11時間みたいな感じだったので、
あ、意外とだから自分はつぶれても粘れるんだなみたいな、
いう感覚はありましたね。
なるほど。じゃあまあ、なんかそのウルトラAの体勢がその時から見えてたって感じなんですね。
そうですね。
じゃあそれで、それが終わって、社会人でその24時間マラソンがあって、
リレーマラソン。
リレーマラソンがあって、その後は何をやってたんですか?
その後、まあでもそこからは毎年フルマラソンと100キロマラソンと、
あと自己最長距離に調整をするっていう、その3つを毎年目標にしてて、
フルマラソンも毎年自己ベスト更新したいし、
100キロマラソンも毎年自己ベスト更新したいし、
なんかこう自己最長距離のレースも出たいし、みたいな、
いうような、その3つをモチベーションにランニングを続けてる感じでした。
ちなみに、フルのベストがそこら辺で出たのかな?
いや、フルのベストは、社会人3年目、4年目ぐらいだったから、
2022年とかかなに、富士山マラソンっていう、
川口湖の周りでやってるマラソンで、2時間49分、
10いくつとか、っていうのがベストですね。
それまで結構何回か走ってっていう、このフルマラソンは、そういう感じなの?
そうです、そうです。
最初のサブスリーは、2019年かな、の勝田マラソンでやっていて、
それが2時間たぶん57分とか、そんな感じだったような。
で、その後もう2022年かな、2020年かに、
2時間55分とかでまた勝田を走ってて、
で、その後ちょっとコロナ禍でレースがない期間があって、
で、たびさに出た富士山マラソンで、2時間49分っていう、
21:00
そんな感じだった気がします。
ランニングに打ち込むようになると思うんだけど、
それはなんか、練習とかそういうのもしっかりやってるような感じだった?
そうですね、最初の社会人1年目は、定期的にHMCっていうメンバーと一緒に、
小田フィールドでトラック練習したりとか、そんなことはしてました。
あとは、富士山マラソンでテスト出したタイミングは、その直前1年ぐらいは、
たまたま河川敷走ってたときに知り合った人たちに、
毎週30キロ走ってる練習会あるから来なよって言われて、
毎週30キロ走するみたいなのは、1年ぐらい続けてたって感じですね。
それで走力が爆伸びしたっていうのはあります。
じゃあ、走り始めてっていうか、社会人で走り始めてから、何年でサブスリーはだったんですか?
社会人走り始めて、でも1年目じゃないですかね。
1年目か。
フルマラソンを走った3回目だったはずです。
3度目の正直みたいなことを言って、成できた記憶です。
なるほど。
じゃあ、その時期もウルトラを走ってたと思うんだけど、
ウルトラ100キロのベストは何分?
100キロのベストは、2本目の100キロが8時間40とかそんなもんだった気がします。
2本目だった、それは。
はい。一応その時期は出るたびに毎回ベストは出してたんで、
その2019年が8時間40ぐらいで、
で、2020はまたコロナでなくなり、2021もなくなり、
2022年で8時間半、
23年で8時間25、
24年で8時間22、
2025年で8時間22分、
で、久々に数秒ベスト更新できなかったみたいな、
いう感じで、今の100キロベストは8時間22分台のはずです。
はい。
そのフルマラソンとウルトラマラソンを並行してやっていく中で、
何でこの長い方に傾いていったっていうのは?
やっぱその、さっきも言ったように、
フルマラソン、100キロマラソン、あともう1個、
自己最長距離を毎年ちょっとでも更新したいっていうのはあって、
最初は100キロマラソンの延長線上で、
富士五湖の120っていうのに出たんですよ。
24:00
うんうん。
で、そこからその次が、
スポーツエイドジャパンの金州奥武蔵ジャーニーランみたいな、
140キロぐらいのレースに出て、
で、その次がもう、そうなるとトレイルの100マイルじゃね?みたいな感じで、
160キロみたいな、いうそんな感じでした。
で、それが、たぶん2019年が120出て、
で、2020は結局、そのコロナの影響で出れず、
で、2021年に金州奥武蔵ジャーニーラン出て、
で、2022年が神戸の100マイルに出て、
で、2023年に200キロ越え出ようと思って、
で、越えと越えとに申し込んで、
で、200と230両方申し込めたんで、
出るなら長いほうがいいやと思って230に申し込んで、
で、2023年、あ、その年か、同じ年か、
同じ年にさらに自己ベスト、自己最長距離っていうので、
バッキアドルトライに出てみたっていう感じです。
なるほどね。
はい。
その越えと越えので優勝したんだっけ?
そうです。
230。
230。
それまで長い距離とかやってきた中で、
優勝っていう経験はそれが初めて?
は、初めてです、はい。
その時はどう思った?
その時は、やっぱ長い距離向いてるなと思いました。
いや、だから僕のランニング人生多分、
3回勘違いが、
初100キロで、あ、100キロ向いてるかもっていう勘違いをして、
100キロにはまり、で、200キロ越えのレースに出たら優勝できて、
やっぱこっちの世界かもっていう勘違いをして、
で、その次バッキアドルトライ初めて出た時に、
思いのほかいい結果が出て、
これバックヤード向いてるかもっていう勘違いをして、
勘違いが今を切り開きます。
なるほど、なるほど。
その何、230キロ走る時に優勝できるかもみたいな、
そういう予感はあったわけですか?
いや、全然なかったです。
全然ない?
一応もう、あの、ペースとかわかんないんで、
未知数なんで、とりあえず今までの感覚で、
披露録はキープしたいとかそういう感覚。
で、走ってたら途中から、
いや、230の1位だよとかって言われて、
え?ってなって、
とりあえずいけるとこまで行こうみたいな。
そうなの?
だって、越えど越えどだから、
その時だって結構実力者がいたんじゃない?
そうですね。
あれ覚えてないけど、
27:00
でも、260の部門に、
初めて260ができた年だったんですよね。
その時、吉田さんが出られてて、
で、途中、えっと、
200キロの優勝者、
230の優勝者、
260の優勝者、
まあ、最終的にはですけど、
その時の、それぞれの1位が同じタイミングになって、
3輪パックで走って、
っていうのがあって、
で、そこで少し吉田さんともお話をして、
でも、だからあんまり他の、
自分の230のカテゴリーの中の順位っていうか、
とりあえずその、
各カテゴリー優勝者パックの中で、
できる限りついていきたいみたいな気持ちで、
最後走ってましたね。
なるほど。
ちなみにその時、
260の吉田さんが一番最初に抜け出して、
で、僕が置いてかれて、
で、最後、吉田さんは200キロの優勝した、
水曜タカオレンのマサルさんっていう方がいるんですけど、
マサルさんも振り切って、
3カテゴリーの中の260の吉田さんが、
一番最初に200キロ地点に到達したっていう。
すごいね。
そういう、やっぱり伝説的な方だなという。
そういうところで、今、
今回のサテライトに一緒に乗るような人たちとも、
もうすでに出会ってるってことなんだけど、
逆にその、
20代でそういう風、
ウルトラとか走ってる仲間っていたの?
当時はほぼいなかったっすね。
ほぼってかいなかったっすね。
そのなんか、20走りコネクトとか、
はい。
そう、矢野健君とかに出会ったのは、何年?
2023年の1月です。
僕、神戸に出たのが2022年の10月なんですけど、
もうそのタイミングで、
少しひとり暮らしするってのを決めていて、
で、今年終わった翌月に、
もともと実家住まいだったので、
千葉の市川から神奈川の秦野っていうところに移り住んで、
で、やっぱり新しい土地でコミュニティを見つけたいっていうので、
インスタ見てたら、
新春高松山8ループチャレンジみたいなのを見かけて、
で、それが今や有名な、
ペヤングこと川内和明君の企画してた新春の、
高松山ぐるぐるクラブがやってるコースを、
8時間、8時間じゃないかな。
40分1ループで8時間耐久する、
8回耐久するみたいな、
なんかそういうイベントがあるっていうのを見かけて、
で、当日ドタサンをして、
で、そこで矢野健とかにも出会って、
まさしさんにも出会って、
阿部さんにも出会って、みたいな。
で、そこから定期的に高松山ぐるぐるクラブにも行くようになり、
30:00
で、そんな中で、
まさしさんがもうすでにチキンオンチューズでずっとポッドキャストをやってて、
自分もポッドキャストやってみたいなって思って、
矢野健に声をかけたっていうのが始まりです。
なるほど。
その、どっかで答えてるかもしれないけど、
あの、秦野に移り住むのを選んだのはなんで?
それは、少し前に2022年のたぶん4月、春かな、春頃に、
友達と秦野の神房山に行くことがあって、
関東でいいハイキングスポットとみたいなので、
たまたま神奈川の秦野ってとこに神房山があるっていうのを見つけて、
一緒に行って、
で、山目的で行ったんすけど、
駅降りてから駅前に流れてる水梨川っていう川の雰囲気がすごい開放的で、
なんか町自体もすごい明るくて、
で、その神房山っていう山自体もなんか適度な里山で、
すごいこう、気持ちよかったっていう印象があって、
っていうそのなんか、町自体へのいい印象と、
あとは、ちょうどまあ2022年だと27歳ぐらいだったんすけど、
まあその年でずっと実家にいるのもな、みたいなのをちょうど思ったタイミングで、
2022年の9月25日の自分の誕生日を迎えたときに、
当時の職場の上司に、
ミッチ、お祝いディナー行こうよって誘ってくださって、
で、ミッチこれからまあそろそろ30代とかも意識してるかもだけど、
なんかどんな風なキャリア、キャリアというか、
どんな風な人生にしていきたいの?みたいなことを言われて、
まあいろいろ考えてたときに、やっぱそろそろなんかこう、
自分でいろいろチャレンジしたいですよ、みたいな。
え、そんなこと言いながらまだ実家暮らしなの?みたいな感じの煽られて、
いや、じゃあ、じゃあっていうか、
一人暮らしします、みたいなのをもうその場の勢いみたいなので宣言して、
もうでも、やっぱそれってもう勢いでしかないなと思って、
変に冷静になったらもうやっぱ実家にいた方がいいなとか、
なんかそんな気持ちになっちゃうだろうと思って、
もう一人暮らしするって決めて、最初に浮かんだのがもう、
あ、畑野って場所すごい良いイメージだったなっていうので、
で、ランニング中間で不動産屋さんがちょうどいたので、
その人に連絡して、ちょっともう一人暮らししようって決めて、
神奈川の畑野でもいい家探し欲しいんですけど、みたいなので、
そのままトントン拍子に決まったっていう感じですね。
うんうんうん。
それで、えっと、神戸を走ってて、
はい。
その辺りからもう、えっと、100マイルのトレランレースに出ててる感じなのかな?
そうっすね、神戸からなので、はい。
で、ちなみに、えっと、トレラン自体は、2020年ぐらいから知り合いに誘われて、
33:06
ま、知り合いってか、トレラン、じゃ、トレランじゃない、
トライアスロンサークルの8校上ぐらいのOBさんに、
うん。
いや、道太郎100キロとか走るんだったら、絶対トレランも向いてるよ、みたいな感じで言われて、
2020年の、厳密に言うと、だから2019年の年末ぐらいから、
トレイルに月に1回ぐらい誘ってもらっていくようになって、
あ、いや違うかな。
2019年に初めて高尾のトレランに誘ってもらって、
その時はそのままになってたのを、
ちょうどコロナ禍になり、割と大会もなくなり、
外に出歩くっていうこともはばかられるようになり、
うつうつとしてた時に、
いや、トレイルだったらあんまり密にならないし、
一緒に走ろうよっていう感じで誘ってもらって、
本格的に多分走り出したのが2020年の後半とか2021年になったぐらいからかな。
はい。
で、トレイルやるようになったら、
そういう100マイルな世界っていうのも気になりだして、
2022年に、
当時トレイルの最長距離は多分60キロぐらいだったけど、
まあ100キロマラソンも走ってるし、
140キロのその金州オークムサシュジャーニーランドとかも走ったし、
まあいきなり高尾出ちゃえみたいな。
で、高尾は当時参加資格がほとんどなかったので、
で、そっから100マイル出るようになり、
2022年が高尾で、
2023年がサイノクに出て、
アイノクに出て、
レイクビアも出たのかな。
はい。
で、2024が7月にN3PUCっていう、
新潟のバックヤードをやってるトキミンゴのジュンズさんが、
チャレンジディレクターっていうのを務めていらっしゃる、
新潟のローカル100マイル。
それこそ、岩崎さんと出会ったのが。
そうですね。
そうですね。
あれ、2024ですよね。
2024ですね。
はい。
に出て、
で、その6月にタンバ100マイルに出て、
で、2024のさらに11月に、
で、熊川リバイバル出てっていう。
なるほど。
で、ならたるこの100マイルレースをその時期に、
2023、2022からの高尾から、
24年にかけて結構、
一気に出た感じですね。
クリアした感じですね。
はい。
だから、その3年間で6本100マイル出て、
一応6本全部乾燥して、
まあ、なんか100マイルぐらいだったら、
まあ、どこでも乾燥できるっしょみたいな、
ちょっとこう。
36:01
また勘違いモードになりの、
2025年の4月に、
富士に出たら、
ちょうど3日前ぐらいに風邪ひいて、
風一匹でスタートラインに立って、
でも、Aイドーごとにどんどん体調が悪くなっていって、
100キロでやめたっていう。
なるほど。
だから、唯一の100マイルDNFは富士という。
ああ、そうなんだ。
多分、今まで出てる自分のレースの中で言うと、
一般的に言うと一番乾燥難易度が低いだろうと言われる富士で、
乾燥できなかったという。
そうね。
タンバとかクリアしてるけどね。
そうっすね。
はいはい。
で、そんな後の100マイルだと、
もう深夜になっちゃう訳?
そうです。
ああ、そうなんだ。
つい先週ぐらいの深夜です。
なるほど。
だから、今まで8本100マイルに挑戦してきて、
8007勝って感じですね。
はい。
そこでウルトラマラソンやってて、
トレイルの100マイルとかやってて、
自分はミストラ君的にはどっちの人だと思ってた?
その当時は。
僕はもう当時から、両方好きですって言ってました。
ハイブリッドですって言ってました。
なるほど。
いや、やっぱトレイルが好きなの、ロールが好きなのって言われ、
よく聞かれてたんですけど、いやどっちも好きですって。
どっちかというと、長い距離、長い時間っていうのであれば、
サーフェスは問わず好きですっていうことは言ってました。
なるほど。
その長い距離のやってる中で、
もうバックヤードに出会っちゃうわけなんだけど。
出会っちゃいました。
バックヤードの話に行く前に、
またちょっと違う動きをするじゃん。
20の20代と走りをつなぐみたいな、
そういう違った競技とは違ったアクションをしていくわけだけど、
そのきっかけというか、
そういうのをしてた理由っていうのは教えてもらえますか?
そうですね。
もともと僕、走り始めたきっかけ、
ランニングにのめり込んでいくきっかけを、
秋田の100kmマラソンっていう大会にもらったんですよね、そのきっかけを。
それが2018から僕自身出てて、
大会自体も30年弱続いてたんですよ。
途中コロナ禍の中断とかを得ながらもやっていて、
2022年にようやく復活して、
またその次の年も当たり前にあるだろうと思って、
2023年になったら、
大会がもう運営の人たちの高齢化で、
今年は実施しませんみたいなニュースが出て、
ガビーンみたいな、
39:01
当たり前にあると思ってたレースがなくなるっていうのにまず衝撃を受けて、
でもよくよく考えたら当たり前じゃないですか。
誰か人間がやってて、
その人間が歳をとって体力がない、
いろんな事情が立ち当たるってなったら、
やれないってことも出てくるよなっていう、
とても当たり前のことに、
自分が与えてもらってたものは、
誰かが作っていたんだってことに気づかされたときに、
そういう大会とか、
当たり前にあると思ってたものを、
誰かが作る側に回っていかないと、
当然続かないよなとは思って、
そういう大会作り、カルチャー作りを年齢が上になった、
何ならちょっと会社員とかそういうのを
セミリタイヤしたような人たちに任せきりにするんじゃなくて、
いわゆる現役世代みたいな人たち、
現役世代みたいなタイミングから
関わっていくことが大事じゃないかななんてことを思ったんですよね。
2023年の春ぐらいに。
っていうときに、でもいきなりじゃあ、
そういう大会引き継ぎますとか、
じゃあ新たに若者たちで大会を作りますっていうのも、
ちょっとさすがに自分の中でも乖離があって、
まずは同じような志を分かち合える、
同世代の仲間を作りたい、
そういう仲間たちとつながっていきたいっていう
発想が出てきて、
最初はその同世代とつながるってことと、
そのつながったメンバーたちで、
次のランニングカルチャーを作っていくみたいな、
いう集団として、
ポッドキャストをやってみるかみたいな、
こんな流れでした。
その同じ流れかわかんないけど、
イライリックミッション君、ボランティアとか、
なんかそういうのもやったりしてるじゃん、
知ってたじゃん。
そうですね。
でもほんと同じ流れですね。
作る側の目線からもランニングに関わりたいとか、
経験値を積みたいっていうのもあって、
イメージは大会1個出るにつき1個ボランティアするぐらいの、
1対1にしたいぐらいのマインドでいたときはあります。
ちょっと今はね、なんかいろいろあって、
家庭、結婚もしてっていう中で、
どうしてもどっちか選ばない、なんだろう、
行きたいイベント全部行くってことは今は難しいので、
42:02
そうなると行ける限りのある中で、
どうしても競技が、自分が競技者として出るのを
優先してしまってる部分はあるんですけど、
でも岩崎さんおっしゃるように、
ボランティアとか運営側に回ってくっていうところにも関心はあったし、
自分なりには行動をしてきたつもりです。
そのいろいろ20代で活動してたことを振り返ると、
なんか今自分で思うことってあります?
やっててよかったなとか。
そうですね。
なんか思うようになった部分と、もっと両方ですね、
やってていろいろつながってきたなと思う部分もあるし、
もうちょっとやりようがあったなと思う部分もなくはなかったりもするし、
でもやっぱり気づいたら、
自分はランニングの方にもう人生どっぷり使えるようにはなってきたんで、
あの時20走るコネクトを始めてなければ今の自分はなかったなとも思うので、
何かを作ろうとか何かをしようっていう思いだけじゃやっぱり何にもできなくって、
自分一人でできることに限りがある中で、
やっぱり人とつながっていく、
人とのつながりがいろんなことのベースになるとは思ってるので、
今できてることもできてないこともありますけど、
今後もそのベースになるようなつながりっていうのは、
いろんな意味で恵まれているなとは思ってます。
なるほど。
ここからバックヤードの話に入っていきたいんだけど、
バックヤードをそもそも走ったきっかけ?
走ろうと思ったきっかけは何ですか?
知ったきっかけは、これもいろんなとこで言ったりもしてるんですけど、
2022年ぐらいかな、それこそトレイルを定期的に走るようになってたっていう中で、
当時よく一緒に走ってたお兄さん的存在が3、4人いるんですけど、
その方々とガイリーン、箱根のガイリーンを走ってたときに、
今でいうチキンハートのメンバーたちに遭遇したんですよね。
ドレッドヘアーのひできさんがいて、
あと何人かちょっとイケてる感じの人たちが走ってて、
いや、なんか派手な人たちいるなと思ったら、
その一緒に走ってた兄貴分的な人たちが、
あれ、ひできさんっていうバックヤードとかそういうの走ってる人なんだよって言ってて、
バックヤードってなんすか?みたいないうところからその競技をして、
初めはでもピンときてなかったですね。
なんかぐるぐる走る、なんか耐久競技の日本代表なんだよ、ひできさんってみたいなのを聞いて、
45:06
えー、なんすか?それぐらいの。
でも、ひできさんのこととかバックヤードっていうのは頭の片隅に残ってて、
で、ちょうど2022年の秋に、
僕が所属してるというか、名前を置かせてもらってるランニングチームがあって、
それのメンバーのうちの一人がタカオのバックヤードに出るっていうので、
現地に応援に行ったというのが、
より具体的にバックヤードを意識。
ちなみに中田美穂さんっていう24時間走の世界記録、今はあれかな?
元世界記録王子者の方ですね。
つい先日も100キロの世界選手権で2位になってましたけど、
まあもうそういう偉大なチームメイトがバックヤードに挑戦するというのを聞きつけて応援に行って、
その年は中田美穂さんはだいぶ余裕はあったんですけど、
翌週に台湾の24時間走があるとかそういうのもあって、
30時間ぐらいでもう大臣を取ってやめますみたいな感じで、
で、結局その年は友さんが初めてバックヤードに出てた年で、
40時間ちょいで友さんがラストサムライになったっていう。
で、自分だったら何週行けるんだろうみたいなのを思って、
翌年、2023年の11月に出ることにしたという感じです。
それは結構なんか研究してたというか、
こういうバックヤードを学んで準備するものはこれでみたいな、
そういう感じで挑んだわけですか?
いや全然、今思えば走り方とかは全然研究してなかったですね。
とりあえずテントがいるんだとか、コットがいるとかそういうのは聞きつけてたんで、
装備はテントは自分で買って、コットは矢野健がキャンプ用品として持ってるっていうから借りて、
で、折り畳み椅子とかは自分の家で使ってたやつを持って行って、
ペーブルも持って行ってとか、カセットコンロは実家から借りてとか、
本当に機材だけとりあえずかき集めて、
で、事前に1時間に6.7走るみたいな練習すらせずに臨んだ記憶です。
その初めて挑んだバックヤードで何ラップしたんだっけ?
70ラップです。
70ラップ。
それが木曽さんと?
木曽さんとラストと一緒で辞めたっていう。
ダブルノックアウトですね。
ダブルノックアウトの時にね。
それ、なかなか初めてでそこまで行く人いないと思うんだけど。
そうですね。
そのバックヤード初体験はどういう体験だったんですか?
48:05
いや不思議でしたよ。
僕当時も、当時からですけど、結構前半突っ込んで40分前後で帰ってきてて、
何だろう30分後半ぐらいで帰ってきてて、
でも意外とそれぐらいでペース合う人もいて、
序盤はペース合う人と一緒にお喋りしながら走ってて、
だんだんペースがきつくなってきて少しずつ遅れていくと、
それまで一緒にならなかった人たちと会話が生まれ、
最終的に僕途中55分ぐらいまで落ちて、
もう一回眠気を振り払ってからまた40分前半に戻したって感じだったので、
結局最初ガンガンに飛ばしてた人から後ろの方を走ってた人まで、
結局いろんな人と一通りお話ししたんですよ。
だからもちろん走るってことをやりつつも、
その都度その都度いろんな人とお喋りしてたら気づいたら時間が経っていて、
途中からその記録とかそういうのを意識するようにはなりましたけど、
もうその頃には結構皆さんと話もして励まし合う関係になっていて、
みんなで頑張りましょうって声かけ合ってたらどんどん記録が伸びていって、
走行してる間に人も一人減り二人減りみたいな感じで、
10時間過ぎたぐらいで7人とかになってたんですかね。
でもここまで来たら、確かあれだったんですよ、
その時って日本全国同時開催だったので、
福島かなどっかだかが何人残ってますみたいな。
本当に今度あるサテライト大会じゃないですけど、
日本国内のサテライト大会みたいな感じで、
会場ごとに一人でも多く残すみたいな。
もうだからそういう意味では、
いや高尾会場として一人でも多く残りましょうみたいな、
いう感じであんまり勝負っていうよりは、
いやちょっと頑張りましょうみたいな、
もしくは自分がへばってる時は声かけてもらってみたいなのでやってて、
で60時間で4人ぐらいになって、
行き着いたら62時間でラスト2人になったのかな、
キソさんになって、
でもう2人になったしもうやめますかみたいな話をして、
じゃあやめましょうみたいな。
でトモさんに言ったら、
いやあと5週…3週かな?3週行ったら、
サテライト、来年のサテライトの代表入りするよみたいなのを言われて、
いやー別にそれなんすかそれみたいな、
サテライト代表とかって言われてもピンとこないなとかって言いつつも、
まあキソさんともじゃあ残り3ラップやりますか。
で3ラップやったら、あと数ラップ伸ばしたら、
VIXのアットラージリストに入るから、
51:03
それもなんか行けるんだったら言っといた方がいいよみたいな言われて、
いやーみたいな、もうでもほんとこれで最後ですよとかって言って、
で70になったっていう感じで、
まあ今思えば、
最初はほんと人とおしゃべりしてたら時間が過ぎてて、
途中からは会場ごとの残り人数を、
一番残したいみたいなので、結構結束感も生まれてて、
みんなで声かけあったり、フラフラしてたら声かけ、
一緒に行きましょうみたいなのとか、で気づいたら70になってて、
もうでも、ある意味あの時は全然自分の中に覚悟がなかったから、
走れる体力は多分あったけど、
できる限り早くやめたいぐらいの、最後の方はそういうモードになってて、
で、まきそさんも、あんまりね、長引かせてもねえぐらいのテンションだったので、
っていう感じでした。
そうなの。
でさ、サポートしてたさ、分かってる、ヤロケ君とかがいたと思うんだけど、
うん。
なんか、70まで走ってるとどういう感じになるの?
なんかもう、やばみたいな、早く…
いや、マジかみたいな。
なる?
いやだから、一応口では何日目指してんのって言われた時に、
3日間って言ってたんすよ。
うんうんうん。
だからまあ別に嘘はついてない、何その、
いや話聞いてないよみたいな感じにはならないんだけど、
まさか本当にやるとはみたいな、
いう感じにはなってましたね。
初めてバックヤードで、
そういう記録した人っているんかも。
国内でいないよね。
バックヤードの世界記録みたいなのがあるとしたら、
多分結構上位には入ると思います。
そうだよね。
うん。
国内だと多分私の70ラップは、
まあ私とキソさんの70ラップは、
キソさんも初めてだよ、あそこ。
そうそうそう。
ああ、そっか。
なるほどね。
まあそういう体験があって、
はい。
で、その後、バックヤードっていうものに対してどういう思いを持ったんですか?
どうっすね。
で、えっと、
いやなんかでもその、
キソさんとこの前インタビューしたときに、
すごい道太郎くんがサテライトの記録、
あのサテライトメンバーに入るっていうのをすごい意識してたよって言われて、
なんか僕自身あんまり覚えてなかったんですけど、
でも多分、
そのサテライトメンバーになれるっていうのを、
多分走ってる途中、
もうまあ意識しだしてたのもそうだし、
実際終わったら、
まあサテライトメンバーにほぼ確実だってなって、
やっぱ僕からしたら、
日本代表として走るなんていう、
日本代表って立場になるなんてことは、
人生の中で無縁だったし、考えてもいなかったんで、
そこに対してはやっぱ向き合いたいなとは思ったんですよね。
54:03
2023年の11月に70ラップ出してから、
翌年2024年の10月にそのサテライト大会がある。
そこまで、
まあ11か月ある中で、
少しでもやっぱいい結果を次は出したいっていうので、
そこを意識して、
それこそバックヤード練、
セルフで24時間やったりとかっていうのも、
その頃からやり始めたりとか、
そのバックヤードを意識して、
ロードの自己最長、
260キロのレース出たりとか、
そういうのもしましたし、
もう全てをそのサテライトのためにみたいな、
いうモードにはなってましたね、その1年。
なるほど。
それで、次のバックヤード自体がもうサテライトになるんだよね。
そうです。2本目がサテライトでした。
2本目がサテライト。
2本目のサテライトはどうでした?
でも、未熟だったなの一言ですね。
能力をつければどうにかなると思ってたのが、
今思えば、
足りなかったなっていうところですね。
どちらかというと、
持っている走力とか体力とか、
あとは睡眠とか食事とか、
いろんなことをマネジメントするというか、
バランス取りながらやるっていうのが、
たぶんバックヤードにおいては大事だったんですけど、
当時は早く走って長く休めば記録を伸ばせるはずだみたいな、
そんな安易に考えていて、
最初の1ラップ32分とかで帰ってきて、
でも帰ってきた瞬間、体がホテってホテって、
結局、体のホテリーを収めるのに時間を使って、
ようやく一息つけたのが55分とか。
これ意味ないなと思ってもうちょっと落とそうと思って、
でももう32分とかで入っちゃってるから、
落とすって言っても40分とかだったんですよね。
思えばでもそれでも早くて、
最終的にはオーバーペースで、
いろんなところが痛くなって、
その時岩崎さんも運営で来てくださってましたけど、
本当最後の方はもう痛い痛い、
全身あそこが痛いここが痛いとかって言いながら、
もう気力で周りの人にマッサージしてもらったりとか、
あの手この手でギャーギャー言いながら走ってたけど、
もう最後は痛みに耐えられなくなって、
痛み止めぐらいの気持ちでカフェインピルを一気飲みしたら、
気持ち悪くなって動けなくなって、
最後64ラップ65ラップの途中で終わったって感じですかね。
57:01
あれだもんね。吉田さんにツッコミすぎて言われてたもんね。
インタビューで。
そうですね。
そこで、サテライトっていうものを経験して、
それこそね、
ベルさんとか、ひやたさんとか、吉田さんとか、
走りを見たわけだと思うんだけど、
あそこで感じたものってなんかありますか。
いや、すごい遅かったんですよ。
僕が最初サテライトの1ラップ目32分とかで走ってて、
ひやたさんとかフルマラソン2時間40キルぐらいの話を聞いてた中で、
ひやたさんとかベルさんとか、後々残った人たちが
多分最初から50分前後ぐらいで帰ってて、
なんでみんなこんな総力あるはずなのに遅く走ってんだろうぐらいに思ってて、
でもそんな人たちがやっぱ最後残ったので、
休憩時間を稼ぐってよりは体力を温存するっていう方が、
バックヤードにやっぱ向いた走り方だったのかなとかは思って、
ちょっと走り方を改めようと思いましたね、それは。
だし、僕はそのサテライトに向けて、
サテライトのために総力を上げようと思って1年費やしてきたけど、
バックヤードに特化しようとは多分してなかった。
バックヤードに向き合えてなかったなと思って、
バックヤードに必要な能力を伸ばす、
もうほんとバックヤードに向き合おうっていう気持ちに、
そのサテライトを経て思うようになって、
だからもうバックヤードにやりたくてしょうがなかったんですよね。
みんながその55分とかで走ってるのを、
ちょっと体感してみたいっていうので、
12月に阿部さんとかムッキーさん誘って、
バックヤードレーンを高松山の周りでやって、
その時は50分から55分ぐらいで走るようにして、
なんか全然楽だわと思って、
これもっともっといろんなやりようがあるなって思うようになって、
っていう感じでしたね。
それで、もう次が丹沢になるのか?
そうですね。で、ちょっと順番が前後するんですけど、
さっき言ったバックヤードレーンは12月にやったんですけど、
それより前に、10月にサテライトやって激鎮して、
でもやっぱビッグス出たいみたいな気持ちが残ってたんで、
11月のタカオ大会を応援に行った時に、
友さんとか田中さん、JR田中さんとかと話しする機会があって、
いやビッグス行きたいって言ってるメンバーいるけども、
次日本は大会ないもんねみたいな話がになった中で、
いやこれなんか、新たに大会を立ち上げるみたいなこと言ったら、
ありですかねみたいな話をしたら、
いや全然、むしろやってくれるんだったらすごいありがたいけどみたいな感じで、
1:00:03
分かりましたって言って、そのタカオのバックヤードの応援行って帰った翌日にそのままの足で、
自分の頭の中で、畳でやるならここかなみたいなコースを思想しに行って、
で企画書みたいなのもその日のうちにまとめて、
このコースで1点何キロの往復で6.7キロ取れるはずです。
広場はここがあるので使えるかちょっと調査してみますみたいな、
のをトモさんとJR田中さんにお送りして、
ちょっとそこらへんのその許認可関係どうかわかんないけど、
ぜひ進めてみてみたいな話になって、
で思ってたらたまたまその、
あだのでお世話になってた人が、
あそこの施設、自分口聞けるよみたいに言ってくださって、
テントエリアも確保できる、コースもまあ僕が、
コースチェックしてだいたいの原型ができてたんで、
じゃあやれるねっていう話になって、
だから2024年の11月にその構想が立ち上がってから、
もう一気に1ヶ月ぐらいで実現までの段取りを組んで、
2025年の2月にもうやるって決めて、
年始に募集かけてっていうそういう感じでしたね。
すごいよね。
その時なんか話聞いてたけど、苦手にやるって無理じゃないかなって思ったけど、
まあ何言ってんのみたいな話です。
すごいビード感で実現したよね。
それは良かったね。
だからそれの成功、本当にもうパッションだけでやって、
それはね特殊ケースだっていうのは本当改めて理解しなきゃいけないんですけど、
たまにだからなんかそういう無茶なことを実現してこれちゃったっていう感覚で、
すごいスピード感、
結構もっといろんな時間かけて準備しなきゃみたいなことも
短期間でできちゃうだろうみたいな見切り発車をしちゃいがちなのが、
今の自分の壁でもあるんですけど、
まあまあでもその時は何とかいろんな人の力も借りて、
2025年の2月のビッグスチャレンジガッグという、
ビッグスに向けた記録を出すっていう種種の大会をやらせていただいて、
レースディレクター県選手という形で出走させてもらった。
そのさ、その頃にはもうバックヤードってものにめちゃくちゃ打ち込んでるようなモードになってると思うんだけど、
初めてバックヤード走った時はまあそうでもなくて、
そこから短期間のうちにそういうビッグス出たいとか、大会やりたいとか、
そういうモードになっていくなんかきっかけというか、
なんかそれは何かあったんですか?
そうですね、何なんですかね。
でもなんか自分の中に多分可能性を感じたんだと思うんですよね。
1:03:04
自分が輝ける道だっていう、こういうのは多分あったと思います。
なるほどね。
で、やっていく中で、なんかまあ自分っていうこともそうだけど、
まあ同じようにバックヤードに魅了されている人たちともつながっていった中で、
だから大会作りたいっていうのも、それは一つ自分のためでもあったし、
同じような思いを持っている人たちがいるんだったら、
その人たちの頑張る場所を作りたいっていう思いも湧きましたし、
あとは選手同士走ってて生まれるドラマというか、
バックヤード特有の物語みたいなのも、
この場にいる人にしか知られてないっていうのがすごいもったいないなと思って、
それこそ2025年2月の神奈川のバックヤードを走りながら、
小松さんとかとも、何かこういうのを伝わるようなやり方ないですかねっていうので、
なんかその時、
その時すでにそういう話題になったかは別として、
ドキュメンタリーとかそういうようなものを、
もう一つ手段かもしれませんねみたいなことを言い始めてたりはしたので、
きっかけとしてはね、2024年の夏の時点で、
川道さんがご自身のドキュメンタリーフィルムを作ってたっていうのもあって、
そういうやり方あるんだなっていうのも頭の中にありましたし。
だから答えになってるかわかんないですけど、
なんすかね、バックヤードに傾いていったのは、
自分自身の可能性を感じたのもそうだし、
同じようにバックヤードに魅了されてる人たちと出会う中で、
なんかこれを単なるニッチスポーツに留めとくのはもったいないみたいな、
という使命感も多分あったし。
なるほど。
はい。
それで、丹沢の大会があって、そこではラストマンになると思うんですけど、
その大会自体はどういう大会だったの?自分の中では。
そうですね、でもほんとなんか今思えば、今思えばとっても自作自演というか、
なんか僕のわがままに周りの人を付き合わせたなという気持ちもありつつも、
なんかすごい支えられてるなっていうことを実感した場面でもあったんですよね。
僕がやりたい、PIX目指す日本人たちの受け皿を作りたいって言って立ち上げた大会ですけど、
実際そのレースディレクター兼選手なんていうのもかなり無茶な話で、
大会のもう今思えば何にそんなに時間使ってたんだって、
まあ今でも自分に思うことですけど常々ね。
大会のもう2時3時ぐらいまでなんかいろいろやってて、
で会場設営のためにもう7時には会場に行って、
1:06:04
でスタートラインに12時だかにみんなと一緒にスタートラインに立ったときにはもう眠いんですよ。
PIXチャレンジカップだからその当時で80ラップはいかないとみたいなことを言ってた中で、
最初の1ラップ目から眠いみたいでフラフラしてるし、
でも結構その周りの一緒に走ってた選手の人たちが、
いやもうなんか道太郎をこんなとこで終わらせるわけにはいかないだろうみたいな感じに皆さんがこうなんか支えてくださって、
今思うと何にもなんだろうな、
知ってるときに記録を伸ばせるようなイメージなんてもう湧いてなかったんですけど、
もう弱ってる僕を助けてくれる人たちのおかげで気づいたら周回を重ねていて、
でまぁ最後63ラップで終わった…62ラップかな?で終わったんですけど、
なぜか僕が最後ラストサムライにしてもらったっていう感じで、
まぁビッグスの記録には届かなかったですけど、
まぁでもそこまで行くともう自分のわがままにある意味付き合わせて、
みんなにそうやって助けてもらってきた以上、
もうなんか突き進まないといけないなっていう気持ちにもなって、
だからビッグスチャレンジカップ終わって、今回のビッグスはもう諦めますっていうよりは、
もうラストチャンス、やれること全部やったって言えるまでやろうっていう気持ちにはなって、
で、デッドカウガリーに出ること決めた。
で、それはビッグスチャレンジカップ走りながらも、
なんか小松さんとか川道さんと、
もし、まぁもちろんこのレースを一生懸命頑張るけど、
場合によってはもうワンチャンス、オーストラリアに行くっていうのもありですよね、
みたいな話はしてたので、
で、最終的には川道さんとか小松さんも巻き込んで3人で、
あとはサポートクルー、メディアクルーも巻き込んで、
計7人でオーストラリアデッドカウガリーに行くというそんな感じになったっていう。
はいはい。
まぁそこら辺からはね、結構、アファップでもやってるし、
まぁそれこそドキュメンタリーにもなってるから、
まぁこの辺りからちょっとあんま詳しく聞かなくてもいいかなと思ってるので、
まぁこのデッドカウガリー自体はかなりたぶん道たろくんの中で大きい大会ではあったと思うんで、
まぁそれが今後につながってる、今後っていうか今の活動にもつながってると思うんだけど、
そこでデッドカウガリーで出て、体験した大きなことって何だったんですかね。
うん、あの、バックヤードの世界観が広がったっていうのが一番ですね。
あの、バックヤードって人と人をつないでくれるっていうのは、
日本のバックヤードを走っていても思っていたんですけど、
日本で走ってる限りは、とはいえニッチなランナー同士がつながってるっていう感じだったんですけど、
デッドカウに行った時に本当にもう老若男女、あらゆるレベルのランナー、あらゆるタイプのランナーが集まっていて、
1:09:07
そういう人たちをやっぱりつなげてくれるフォーマットなんだバックヤードはっていう確信というか、
日本にこのバックヤード、その時デッドカウで味わったバックヤードはまだないけど、
うん、バックヤードにはその力があるんだっていうのは思って、
うん、本当に隠しなんですかね。
寄りしめを感じてた部分が明確になったというか、
こういうあらゆる人がそれぞれの限界に挑む、
で、それをやりながら人同士がつながっていくっていうこのバックヤードを日本でも広めたい。
この世界観を日本に伝えたいっていう、それが一番得たものですね。
はい。
そっから結構、むしろ海外のバックヤードにね、出ることになってくわけだけど、
いろんなね、大会に出たけど、海外のバックヤードを体験して、今感じてることって何ですか。
そう、実はその海外のバックヤードに出るようになったことと、
日本にバックヤードを広めたいっていうのは、なんかちょっと微妙に違う軸ではあるんですけど、
海外のバックヤードに出るようになったのは、実はそのデッドカウというか、
そのさらに次の10月の、2025年10月のVIXに出たことで、
バックヤードとかランニングって本当に国籍とか言葉を超えたコミュニケーションとして人と人をつないでくれるんだっていう感覚にVIXでなって、
そういう意味で、ほんと英語も通じないような、いろんな国の人たちと一緒に走った経験が、
その世界のバックヤードを走りたいっていうのにはつながっていて、
それはそれで、やっぱバックヤードを通じてもっともっといろんな国とか言葉の通じない人たちとさえつながっていきたいっていうのが一つと、
一方でデッドカウで感じた、本当に誰でも出れる、誰でもバックヤードを通じてつながれるっていう感覚を、
日本にも持ち込んでいきたい、日本でも文化として作っていきたいっていう、
なんかその両軸ですね、なんか選手としてはバックヤードっていうものをコミュニケーションツールとして、
もっといろんな国に行きたい、もっといろんな人たちとつながりたいっていう気持ちと、
ある意味オーガナイザー目線というか文化を作る側としては、
なんかこのバックヤードの気楽さをもっと日本でも味わってもらいたいっていう、
その両方を今、軸としてある感じですね。なんか延長っていうよりは、それぞれ持っている感覚です。
ごめんなさい、大答えになってますかね。
まだ大丈夫です。
まあ、バックヤードのサテライトを目の前にしてると思うんだけど、
1:12:03
聞きたかったのは、今までいろんなバックヤード、何本走ったんだっけ、全部で。
全部で8本走ってきて、次が9本目なんですね。
9本目。
はい。
中で、こう、やっぱりうまくいったバックヤードとそうじゃないバックヤードがあると思うんですけど、
自分の中で、記録はそうだけど、一番うまくいったバックヤードってどの大会になりますか。
パンザーのバックヤードと、ラストサムライにしてもらったっていうバックヤードと、
あとは、デッドカウで自己ベスト出した時。
で、あの時に、その共通点と、逆に自分の中で悔しさが残ったバックヤードの違いは何だろうと思った時に、
良かった方は走らせてもらったっていう感覚がすごい強かったんですよね。
ある意味、自分のもうできない部分とかダメな部分全部さらけ出して、
それでも支えてくれる人がいて、そこに応えたいっていう気持ちで、
本当にがむしゃらに、この目の前のもう一周もう一周っていうのに、がむしゃらに慣れてたっていうのが良かったのかなと。
逆に自分の中でダメだったのは、本当自分で突っ走って自滅したっていう感じですね。
最初のサテライトも、もう本当になんか勝手に自分でハイペースで突っ込んで、
ある意味、自分一人で何とかなると思って、一人が終わりになった時はダメだったし、
もう自分じゃどうしようもないぐらいダメダメだって思うぐらい、
本当に素直に人に助けてもらった時は、結果として良い記録になったのかなと思っていて。
だからなんか、今回のサテライトも、自分でなんとか、適度に諦めてます。
自分でっていうよりは、その時その時の風が吹くし、
なんかもう予想しないことが起きても、なんか助けてもらえるだろうなっていう、
別になんか他人任せとか、そういう投げやりなわけじゃないんですけど、
自分で何とかしようとしすぎないっていうことかな、なんてことは思ってます。
僕もね、ミシュラ君のやつ全部見たわけじゃないけど、
僕もね、ミシュラ君のベストレースは3つ挙げるとすると、
やっぱりその、カカオとタンザワとデッドカウガリーなんじゃないかなって思ってたんだよね。
1:15:00
そのなんか共通点って何かなって、今話も聞いて思ったけど、やっぱり、
なんか誰かと一緒に走ってるとか、話をしてるとか、
なんかタンザワの時もおったけど、最初なんかすごい眠そうで、
みんなからさ、ミシュラ君大丈夫?とか、ミシュラ君眠そうだったから声かけてあげてみたいな、
言ってたりとか、そういうシーンもあったけど、
逆に後半になってくると、なんかミシュラ君が潰れてる選手っていうか、眠そうな選手とかを、
ミシュラ君が助けてるシーンがあったんだよね。
たぶん最後のもう後半かな。
最初は逆に助けられてたんだけど、最後の方に助ける側に回ってて、
なんか逆にそういう風になったら、ミシュラ君もう大丈夫そうだなって風に思ったんだよね、その時に。
最後まで行くなって思ったんだよね。
それってたぶん、高尾とかでもあったと思うし、
レッドカー狩りとかも、いろんなエピソードでもあるけど、周りの選手を助けるとか、
コミュニケーション取って、あの時ミシュラ君がこれやってくれたんだよみたいな、
なんかそういう風にやってる時の方がミシュラ君強いなと思ってて、
なんかこう、記憶残さなきゃとか、
なんかそういう風になってる時こそ、あんまり上手くいってないなっていう。
うん。
こないだの真夜中も同じかもしれないけど、
うんうん。
なんかそういう、周りの人の力を上手く使って走った方が、
なんか記録が伸びるし、いいレースをしてるなっていう風に畑は見ると思ってましたね。
そうですね。
なんかね、僕もやっぱ結構村が激しい人間で、
うちにこもったり、いやでももう僕一人じゃダメですっていう、
こうなんかバーンってこう、もう引き裂き直るみたいな時と、
うん、行ったり来たりしてるんですけど、
やっぱり開いてる時の自分の方が、いろんなことがよく回るなっていうことは思ってはいますね。
はい。
その高尾の時もさ、言ってたけど、
なんか喋ってたらいつの間にか時間が経ってたみたいな、
うんうん。
っていう話もあったけど、
なんかね、今回、サテライトでインタビューめちゃくちゃね、
めちゃくちゃな、高級で言うとめちゃくちゃな時間インタビューしてると思うんだけど、
そうですね。
それを活かしてね、なんかみんなと喋りながらっていうか、
つながりながら走ってた方が、なんかいいレースになるんじゃないかなっていう気がしてますね。
うんうん。
今回、僕がものすごく他の人よりも多分勝ってる部分は、
僕が一番、現時点でいろんな人の話を聞いてるんですよ。
で、逆に言うと、あ、それで聞いて終わりじゃなくて、
1:18:01
あ、もっとこれ聞けばよかったとか、
あ、サテライトでこういうこと聞こうみたいなことも僕の中には結構あって、
だからなんかこういろいろこう皆さんからこう話の種をもらってるんで、
それをこう花開かせるじゃないけど、
僕自身もっといろんな話を聞いて、
皆さんのこともっと好きになるっていうのがサテライトの中で鍵になるなと思ってて、
もうほんとだから、別にバックヤード走ってるっていうよりは、
ほんと皆さんといろんなこうことをこうやりとりして、
時間をなんか楽しく過ごせてたら、
たぶん気づいたらある程度までは記録が伸びてるだろうと思うし、
うん、そうですね。
まあそういう意味では、14人のメンバーもそうだし、
現地にいてくださる運営の方、パック選手のサポートの方含めて、
その場にいる人のことをなんかもっと好きになれた。
うわー、バックヤード、もうこの繋がり大好きだっていう気持ちに最後なってて、
もうその気持ちが胸の中にいっぱいになってたら、
たぶん今回のサテライトはいい結果になるような気がしてて、
なんかちょっとSDっぽい気がする。
はいはい、まあね、必要かなと思いますね。
まあそのサテライトの話になっちゃったけど、
具体的な目標とか意気込みってあったりしますか?
もうでもあえてあんまりこう言って変に強いすぎてもなと思いつつも、
まあでもやっぱ120っていうのが一つ、
そこがゴールなのか、そこがスタートラインなのかわかんないですけど、
あのバックヤード応援Tシャツが120っていうのが刻まれてるっていうの、
世界記録っていうのが、あれはこまつさんの発想だっていう話は聞いてますけど、
でもそうやってバックヤード面白がってる人たちが、
日本で世界記録生まれたら面白いよねと思ってくれてるんだったら、
やっぱそこに応えたいし、それは自分一人でできることじゃないんですけど、
自分一人じゃないからこそ、いろんな人の力を借りて、
まあもしかしたら僕が120に行かないこともあるかもしれないけど、
僕ができる限りのことをして、日本の会場で120をまずはそこに行く、
まあそっから先続くのか、そこで終わるのかわかんないですけど、
120の瞬間をみんなで分かち合うっていうことが目標、
一つの今回のテーマかなとか。
はい。これちなみにさ、サテライトインタビュー企画でさ、
質問がこう、前の選手からあるけど道端に何かあるのこれ。
あ、そうっすね。池田さんに聞いたのは、
えっと、なんかエネルギー回復の秘訣はありますかって聞かれて。
エネルギー回復。
1:21:01
いやーなんかすごい距離走ったりとか疲れたりとかってあると思うんですけど、
なんかどうやって回復してますかみたいなことを聞かれて。
身かばりみたいなこと?
うん。いや僕が知りたいですってことだったんですけど。
はい。
ね、池田さんなんかすごい。
はい。
いつ時間終わりしてんのかよ。
ほんとですよ。
ね、インタビュー後やり取りしてたら、
いや毎朝4時に起きてますみたいな。
いやむしろいつ休んでんねんみたいな。
思いましたけど、はい。
あのーそうっすね。
でもね、岩崎さんなんかすごいわかってると思いますけど、
僕はたぶんエネルギーのその、
マネジメントが上手いタイプじゃなくて、
すごい抱え込みすぎて疲れてる時もあるし、
うん。
だからフィジカル的にはもう、
あーもうダメだと思ったら、
うん。
もうアホほど寝るっていうことと、
もうあとはもう精神的に言うともう諦めるっていう。
あーあれもできてない、これもできてない、
もっとこんなことしなきゃいけないのにっていう気持ちになることが
すごい最近この1年多かったですけど、
1回もう、あーもうできないんだ自分って。
諦めるというか、なんか元気でいなきゃいけないとか、
こうじゃなきゃいけないっていうのを諦めた時に、
逆に元気になれるというか、ちょっと抽象的ですけど、
自分のエネルギーの回復の仕方はそこかなと。
はい。
あとはバックヤードで言うとやっぱり、
ね、言ったようにバックヤードにおいても、
できる限り寝るっていうところに時間を作っていきたいなとは思いますね。
はい。
はい。
なんか話はちょっと戻っちゃうんだけどさ、
はい。
良いレースの、良かったレースの時にさ、
これ、あの、あおいちゃんとも話したんだけど、
よく食べてるみたいな話を聞いてて、
はいはい。
デッドカウガリーの時は、知らないか。
炭鯖か。炭鯖の時はよく食べてたって言ってて、
だけど、うまくいかなかった。
ピックス?違う。
多分、今年のデッドカウガリー。
今年か。
今年のデッドカウガリーは、なんか全然食べてなかったって言ってて、
そういうのもなんかあるなって思ったんだよね。
食べれる、食べれないみたいな。
いや、てか多分それも、さっき言った、
素直であるかどうかみたいなところにちょっと繋がってるんですけど、
デッドカウガリー、今年のデッドカウガリーの時は、
もうその、最初の3月のポーランドでちょっと胃腸トラブルを経験してから、
自分の中で胃腸トラブルに対してこういう対策をして、ああいうのをしてっていう、
自分の中のいろいろ考えが、なんか強すぎて、
あおいちゃんからこれ食べないよとかって言われたのに対しても、
いや、なんか今ちょっと気持ち悪い気がするから食べないみたいな。
1:24:01
まあでもなんか、いいから言われた通りに食べればよかったのかもなとか、
なんか自分のやり方でやろうとするのにこだわってたっていうのが、
最終的にうまくいかなくなった根本原因なのかもなとは。
だから食べてないとかっていうよりは、
なんか人から言われたことは、いや、自分のやり方はこうだからみたいな感じ、
みたいなモードになっちゃってたのが、
よくなかったのかなっていう。
言われてみたら、タンザーの時とかはもうほんともう、
眠すぎて意識もおろうとしてるから、
もうこれ食べな、あれ食べなって言われるがままだった記憶はあるんですよね。
変に自分の中で、なんか操縦感握ろうとしすぎないっていうのが大事なのかもなって。
自分がコントロールしすぎないっていう。
うまくサポートクルーにコントロールしてもらうというか。
ちなみに今回のサポートはもう決まってるんですか?
今回のサポートはですね、はい、決まってます。
そうですね、せっかくなんでご紹介すると、
佃直樹君。
意外なとこ来た。
あとは妻直衣ちゃん。
あとは、今年の1月と7月に神戸でバックヤードイベント、
上映会とか、あとは走るイベントをやらせてもらった村田直屋さんっていう方、
わざと神戸から来ていただくというのと、
てっぺいさんはそうですね、もちろんレギュラーいてくだす。
で、あとは片岡さん、会長層ですね。
新越語学でもサポートしてくれた方、皆さんにも来ていただくのと、
あと私が毎週月曜日に働いている体育ランニングの店長渡さんにも来ていただくというので、
パフォーマンスでお世話になっている方々。
で、かつ津田君ともそうだし、村田直屋さんもそうですけど、
一緒に今度バックヤードイベントをやろうっていうので、
やり取りしているのもあって、
そういう今後一緒にバックヤードでなんか盛り上げていこうみたいな人とか、
あとは大工とか、仕事関連で一緒にやっている人たちと、
よりこう、流れを深めたいなみたいな気持ちもあって、
今回はそういう方々にお願いさせてもらったっていう感じです。
わかりました。
本当はね、岩崎さんにも頼みたかったぐらいなんですけど、
運営側のキーマンになっているというのは途中から知っていたので、
それぞれの立場で頑張りましょう。
はい、頑張りましょう。
これ定番の質問で、一緒に走るのが楽しみな日本代表選手っていうのがあるんですけど、
1:27:01
いますか、あえて。
ね。
これはみんなだと思うんだよね。
すごい。
いや、これ結構、シャッホイさんのポッドキャストとか聞いてても、
やっぱあの質問みんな答えづらそうだよねみたいなこと言われてて、
確かにな、なんか一人だけあげるっていうのは。
でも、なんかもっと好きになるっていうのは全員に対して思っているので、
いろいろ知りたいなとは思ってます。
僕の中でそうですね、あえて一人あげるとしたら、
謎が多いのは誰だろうな。
でも、もっとみんなのこと知りたいっすね。
だから、やっぱ一人じゃあげられないな。
あげるのって。
はい、ちょっと待ってください。
一応今、全員の顔見てますけど。
はい。
あ、でも、インタビューした中で木曽さん?
うん。
木曽さんが、あの時の高尾があったから今も自分はバックヤードやってるんだみたいな、
なんか三下郎君といろいろ話したのが楽しかったんだよねみたいに言ってくださってて、
そういう意味では木曽さんってめちゃめちゃバックヤードに出ることが少ないというか、
ほんとに今まで最初のバックヤード、サテライト、今回のサテライトってすごいので、
そういう意味では久々に木曽さんとご一緒できるのは楽しみにしてます。
唯一バックヤード走りたくないっていう。
そうっすね。
そうっすね。
日本代表の中でね。
はい。
まあ、あの、サテライトは楽しみにしてたっていう話だけどね。
そうっすね。
うんうん。
いや、だから高尾の時、すごい木曽さんに僕の人生相談載ってもらってたんすよ。
2年越し、3年越しか。
3年越しの今、僕はどういう人生相談を木曽さんにするんだろうっていう。
で、木曽さんは何を。
木曽さんはね、結構ずっと聞いてくれる感じです。
答えをっていう。
木曽さんとの人生相談を楽しみにしてたよね。
はい。
じゃあね、もうそろそろ残り少なくなってくるけど、質問的にはね。
じゃあ、座右の銘言っとく?
座右の銘ね。
座右の銘か。
うん。
なんか言ってたのあった気はするんすけどね。
僕ちょっと前まで、LINEの一言にしてたのが。
確か。
あ、違うや。
犬も歩けば棒に当たるって言ってるんすよ。
なんか書いてあった気もするな。
なんかやってみたら、何かしらまた気づきとか出会いがあるっていうぐらいのシンプルなニュアンスで使ってるんですけど。
こういうレース近づくと、人によってはなんかもう出たくない気持ちになるとかっていう人もいるじゃないですか。
うん。
でももうなんか、やってみたらまた何かまた出会えるし、それはそれで面白いしみたいなっていう感覚ではいるので、
1:30:03
犬も歩けば棒に当たる精神で、サテライトにも走り出してみたいなと思ってます。
わかりました。ありがとうございます。
じゃあ最後にね、2つ。
はい。
バックヤードの魅力か、今さらって感じもするけど。
今さらですか。
バックヤードの魅力と、じゃあ合わせて聞いてる皆さんと、バックヤード知らない人も含めてメッセージを残して終わりにしようかな。
はい。そうですね。バックヤードの魅力は、もういろんな自分に出会えることじゃないですか、と思ってます。
まるはだかな、ダメな自分も、思いのほか、こういう強さがあるんだっていう自分も、
なんかバックヤードを走ると発見があるんですよね。
それが魅力だと思ってます。
あなたが走り出した時に何を発見するのかは、ご自身でぜひ確かめてみてほしいなと。
はい。という感じです。
で、そのままメッセージにつなげると、
バックヤードを見るのも走るのも楽しいものなので、
ぜひ、サテライト大会は見る方で追いかけていただきつつ、
ご自身も何かのきっかけ、チャンスでバックヤードを、
まあ1ラップだけでもいいので、ぜひ味わってみてほしいなと思っております。
はい。あの、意外とこのインタビュー聞いてると気づくと思いますけど、
みんな過酷なことしてるけど、なんか楽しそうじゃないですか。
きっとなんか楽しいと思うんで、ぜひバックヤードを怖がらずに関わってもらえたらなと思います。
引き続きよろしくお願いします。
はい。
神奈川大会の宣伝もしときますか。
そうですね。はい。
2027年2月20日、20日ですね、スタートで、
神奈川県秦野市でバックヤードウェルトが神奈川大会開催をいたします。
何よりも、初バックヤードとか、
今まで馴染みがなかった人に参加してほしいなと思って企画を進めています。
で、テントとかなくても出れる枠を設けてますので、
ぜひあなたのファーストバックヤードに、
あなたの初フルマラソン、あなたの初100キロ、あなたの初100マイルの場としても、
ぜひチャレンジしてみてもらえたらなと思っています。
ご応募お待ちしております。
はい。ありがとうございます。
ありがとうございました。
なんかインタビュー企画さ、編集してるとすっごい長いなと思うんだけど、
やっぱ話してみるとなかなかまとまんないね。
そうですね。
結構時間が足りないんだなって思いました。
そうなんですよね。
はい。
なんで道太郎こんな長いんだって思ってたかもしれないですけど。
すごい、なんかどんどん伸びてくなと思ったんだけど、
ちゃんと聞こうと思うと、逆に2時間じゃ足りないなって感じもしますね。
うん。
ヤッホイさんとかの方向性は合ってるのかもしれないですね。
1:33:01
そうね。
どんどん無事関西。
そうですね。
はい。ということでありがとうございました。
はい。今回ありがとうございました。
ありがとうございました。
では10月17日、愛知島ダイナでお会いしましょう。
はい。お会いしましょう。皆さんも応援に行きましょう。
01:33:25

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