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RS#13「諦めるにはまだ早い|小松 広人選手」10/17〜バックヤード日本代表世界一への道
2026-10-02 1:44:27

RS#13「諦めるにはまだ早い|小松 広人選手」10/17〜バックヤード日本代表世界一への道

AFAP(アファップ)。このプロジェクトは、「バックヤードウルトラ」という競技に魅せられたウルトラランナーたちによる共走と挑戦に光を当てます。「As far as possible 私たちはどこまでいけるのか?」走ることでつながった仲間たちとこの世界の魅力をお伝えしていきます。


今回は、RS#13「諦めるにはまだ早い|小松 広人選手」10/17〜バックヤード日本代表世界一への道

<内容>

・RS シリーズ= Rising Sun Project(チームジャパン頂点への道)が遂にスタート。

13回目ゲストは小松広人選手(PB: 75LAP)

高尾大会、神奈川大会を経て、バックヤードという競技にのめり込み、昨年はBigs、今回はサテライト日本代表の座を手に入れた。海外バックヤードにも精力的に出場し、その諦めない姿勢は国内外にファンを作ってきた。

崩れそうな選手をすくい上げる走りをしてきた小松選手が、チームとしてどのような戦いをするのかに注目が集まる。


水野倫太郎/通称・ミチタロウ(Instagram:@michi_bagman_ultrarunner)

昨年のDead Cow Gullyにて、Dead Cow Gullyにて94LAPを記録。BAGMANの愛称で知られ、「走るはつなぐ」をテーマに、海外バックヤード転戦中。

AFAP(Instagram:@afap_ultrarunning)

「As Far As Possible 私たちはどこまでいけるのか?」をテーマに、2025年6月Dead Cow Gullyをきっかけに立ち上がった日本人ウルトラランナーたちによるプロジェクト。当初はドキュメンタリー制作が目的。現在は、大会主催やコミュニティづくりに至るまでバックヤードウルトラや「共走」の魅力を伝える活動を幅広く展開している。


Podcastでは「共走と挑戦のドキュメンタリー」をテーマに、以下のシリーズを配信しています。

・SDシリーズ:Seven-day Project(ミチタロウ7日間への道)

・RS シリーズ= Rising Sun Project(チームジャパン頂点への道)


Documentary映像「As Far As Possible 私たちはどこまでいけるのか?」視聴リンク:https://youtu.be/aY3RQz1ADoM?si=5t8dHO2wnGWrCu2m


編集: 岩崎智之

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00:05
AFAP、このプロジェクトはバックヤードウルトラという競技に魅せられたウルトラランナーたちによる競争と挑戦に光を当てます。
As far as possible 私たちはどこまで行けるのか。 走ることで繋がった仲間たちとこの世界の魅力をお伝えしていきます。
はい、プロウルトラランナーの水野満太郎です。 本日は2026年9月29日
バックヤードウルトラ日本代表世界一への道ということで10月17日から開催される バックヤードウルトラ国別対抗戦ワールドチームチャンピオンシップ
通称サテライト大会に向けたインタビュー企画第12弾ですかね。
をお伝えしていきたいというふうに思います。 今回のゲストは小松寛人選手です。小松さんよろしくお願いします。
よろしくお願いいたします。
先日クリアラーたちの新越語学というエピソードでもご登場いただきましたが、その後お疲れ様でした。疲労はどうですか?回復してますか?
回復はしてます。
ちょっとあいにくいろんな都合で思うようにあの後走ることができず、もう少し走りたい部分ではあるんですけど、
ほぼ走ってなくて、新越語学ってから。完全にノーラン、こんなにノーランなのはちょっと久しぶりなぐらいが走っておらずでして、疲労はすっかりおかげさまで抜けました。
必要な完全休業ということですかね。
そうですね、はい。そういうふうに前向きに捉えておきます。
小松さんはですね、新越語学もそうですが、これまでもグリーントイストウッドであるとか、デッドカウガーリーとか、私とよく一緒に遠征をご一緒させていただいてきた方ですが、
改めて小松さんのランニングヒストリーみたいなのをこのインタビューで被りをしつつ、サテライトに向けてどんな思いを持ってらっしゃるのかをお聞きして願えたらなという感じで思っています。
はい、よろしくお願いします。
はい、よろしくお願いします。
肩苦しい感じではなくて、やっていけたらと。
そうですね、はい。
オンブランクに。
改めて、はい。改めて小松さんから、簡単なので構わないので自己紹介いただけたらなと思います。よろしくお願いします。
はい、小松清人と申します。年齢が今47歳になりまして、住まいは千葉県の方に住んでいるんですけども、都内で働いてまして、
普段は平日は結構仕事の終わった後に都内走ったりとか、あとは休みの日は家の周り走ったりとか、あと時間とかタイミングが合えば山に走りに行ったりとかしてるような感じになります。
仕事の方は、オンラインストアとかウェブサイトの開発とか制作企画みたいなものをやるような仕事をしていまして、普段はデスクワークで体を動かさない、ずっと座ってパソコンと携帯を常に見てるっていうような生活を送ってはいるんですけども、それ以外の時間は結構走りに行くことに時間を当てているっていうような形で毎日を過ごしています。
03:26
実際、私と小松さんは走ることでつながったわけですけど、私の知らない小松さんのランニングライフの方が多分長いと思うので、今はかなりランニングの占める比重の高い生活を送っているのかなと思うんですけど、そもそもいつどんなきっかけで走り始めたんですか?
そうですね。おそらく23歳、4歳とかそこら辺のタイミングだったと思うんですけれども、なので今から20数年前ですかね。
23年前に走り始めてるっていうようなところで、きっかけは当時自分の上司だった方がマラソンをずっとやってらっしゃっていて、一緒に走ろうよっていうようなことでお誘いいただいて、それがきっかけで自分自身も運動不足もあったので、走ったりするのもいいかなっていうようなところで走り始めたっていうようなところが走り始めのきっかけになりますね。
なんかよく走り始めのきっかけでダイエットでとかっていう方もいるじゃないですか。
はい。
で、小松さんも運動不足だったっていうのはあるんですけど、あんまり小松さんが太ってるイメージは湧かないんですけど、特に太ってて走り始めたってわけではないんですか?
そうですね。若干腹が少し出始めて右顎になり始めたかもしれないみたいな状態で。
こんな時期もあったんですね。
はい。若干太り始めてきたっていう。
23、4歳で。
そうです。新卒で入った会社の先輩から、小松ちゃん最近太ったねって。毎日のようにお酒を飲みに行ってっていうセレクションを繰り返して。
で、夜遅くまで来てっていう、なんか不規則な生活を結構送ってはいましたね。
はい。もともとはスポーツは学生時代やってたこととかありますか?
そうですね。中学高校で剣道部でして、大学に入ってから体育会のグランドホッケー部の方でスポーツをしてました。
なので、中高大と部活は入っていたというような感じです。学生時代はなので体は動かしてはいたっていう感じですね。
剣道やってたのは知ってたんですけど、グランドホッケーやられてたんですね。
そうですね。西洋大学の日吉のグランドとかよく行ってましたよ。
06:00
へー、そうなんですね。結構グランドホッケーも走るんじゃないですか?
グランドホッケー走るんですけど、自分は結構足が遅くて、なんかサッカーに結構似たような動きをするようなスポーツだったりするので、足早くないって言ってないんですけれども、結構足が自分はその頃から遅かったですね。
へー、そうなんですね。
はい、なんかすぐ振り切られるような。
はいはい、いいなと思います。
じゃあ、あんまりスタメンでバリバリ活躍って感じではなかったんですかね。
そうですね。そんなに部員が多くなかったんで、スタメンでは試合は出てはいたんですけども、そんなに花形の選手というわけではなく。
はい。
当時の持ち味はどんな感じだったんですか?やっぱ泥臭い感じなんですか?
いやー、ちょっと全体的にやる気がなかった感じかもしれないですね。
そうなんですね。
大学の部活は本当に、なんかこんなこと大きな声で言えないんですけども、なんか常に部室でタバコ吸ってるみたいな。
いや、隠れてますね、なんか。
そうですね、なんか僕らの時代、今はどうなのかわからないですけども、僕らの時代は結構、なんか高校生とかはやっぱりそんなことはないですけど、大学生になると、なんか20歳越えてみんなおかけタバコ飲めるよう、あのー、たしなめるようになると、なんか普通に他の部活の人も含めて部室でタバコをみたいな、つってましたねみんな。
そう、部室がタバコ臭いみたいなのは。
へー。
今はそんなことないのかもしれないけど。
そうなんですね。
はい。
そもそもなんでホッケーやろうと思ったんですか?
なんか、当初大学入った時に何もやっていなくて、で、あのー、ちょうど暇だなって思ってたタイミングでもあったんですけど、
まあ、その時にたまたまこのホッケー部の先輩から、なんか一緒にやろうよっていうようなことで、またお誘いをいただいて、
まあ、それでちょっと練習にたまに顔を出すようになって、で、しばらくしてから、あのー、活動を始めたみたいな、1年の終わりか2年の頭ぐらいに入った感じでした、自分は。
途中から。
そうですね。
はい。
じゃあ、もうあの、入学シーズンにこう、気合い入れて、よろしくお願いしますみたいなっていうよりは、こう、損で時間を置いて練りながらと。
入学したタイミングでは、もうそういうのはやらずに、なんか花の大学生活みたいなものをイメージしてました。東京に、東京にいるし、みたいな、東京に出てきたし、みたいな。
ご出身はでもそもそもあるですよね?関東ですよね?
はい。千葉の九十九里のほうにいまして。
九十九里だ。
なので、そうなんですよね。僕ら高校時代ぐらいまでは、まあ、その、なんだろう、その繁華街に遊びに行くといっても千葉駅のほうまで出るみたいで、そこまでがちょっと行動エリアだったんですけど、大学生になったら東京にキャンパスがあったんで、東京に毎日行けるっていう、楽しみです。
09:19
花の東京ライブが。
はい。入学した当初はこれが楽しみでした。
じゃあ、その、まあ、華やかな大学生活を思い描きつつ、意外と体育会計で汗を流すという、そんな感じだったかと思うんですけども、その時、走ることは好きになってた感じなんですか?当時は走るイメージってどんなんでした?
いやー、全然好きじゃないですね。なんか、結構、あのー、罰則でグランド走らされるみたいな、なんか印象があったりとか、まあ、冬とかたまーに走り込み、たぶん、今思い返すと、5キロちょっととか、そういうレベルだったと思うんですけども、なんか河川敷をちょっと走るみたいな、5キロから10キロぐらいだったのかな、なんかそういう練習がたまにあったりとかして、まあ、こんなに自分は好きではなかったですね、そういう練習。
まあ、そんな中で、そのまあ就職されて、職場の先輩からこう走ること説明られて、っていう時は、なんかこう、あ、じゃあ走ります走りますっていう軽い感じだったのか、なんか最初はちょっと腰が重かったのか、どんな感じでした?
なんか、そんなに腰は重くなかったですね、じゃあちょっとやってみようかなーみたいなぐらいな感じで、はい。まあ、企画的なんか新しいことに挑戦したりするのが好きな気象ではあるので。
うんうん、なるほど。
はい。特にマイナスな印象はなく、やってみようかなっていう感じでした。
うん。最初はあれですか、なんか大会に申し込んだみたいな感じですか?
いや、毎日、毎週か毎週土日どっちか10キロ、5キロ10キロ走るぐらいな感じで、特に何かマラソンの大会入れるとかそういうことがきっかけで走ったわけではないですね。
そうなんですか。
はい。
その土日10キロ走るっていうのは、その先輩と一緒に走るって感じですか?
いや、一人で走ってました、結構。走ろうよって言われて、一緒に走らせてもらった後に、その後も継続で走って、自分一人で走り続けて、その先輩とその後一緒に大会出たりとかっていうのもその後しばらくしてから見ましたけど。
最初の大会何を?
一番最初は、これは一人で出たんですけど、あらかわ市民マラソン、今の板橋シティ。
へー。
多分それ出たのが2005年とか6年だったと、2006年かな多分。
12:00
2009年。
2006年ぐらい、2005、6年だと思います。
それがフルマラソン。
フルマラソン初めてでした、はい。
どうだったんですか、タイム。覚えてますか。
4時間30何分だったと思うんですけど、なんか膝が崩壊して、だんだん、初めてのフルマラソンあるあるみたい。膝が、でも崩壊したけど、最後まで走ろうとは思って、なんか歩かずに、超低速直でゴールして。
あとそれの感想はどうでした。
ただただつらいっていうのと、フルマラソン走れたっていう喜びもあったけど、すげー足痛かったなっていう印象でした。
でも、もうやらないっていうふうには思わなかったです。特に悔しさもなかったけど。
はいはい。そうなんですね。
じゃあその後も、土日か、土日に10キロぐらい走って、たまに大会出てもいいかなぐらいの、そんなテンションあったんですか。
フルマラソンちょこちょこ出てましたね。ホノルルマラソンとか当時出てました。
なんか印象深いレースありますか、初期の。
いややっぱりホノルルマラソンがすごい楽しかった印象ありますね。
ホノルルマラソンはすごい楽しくて、
マラソン終わった後にみんなでご飯食べたりとか、
あとはハワイ自体がちょっと日本とは少し違う雰囲気であったり、
いろんな景観であったりとかするので、そういうのも新鮮だったりとかして、
ホノルルマラソンは思い出に残ってますね。
その時は仲間と行ったんですか。
そうですね、ランニングで誘っていただいた上司の方と一緒に行ってっていうような形で、
その方が毎年ホノルルマラソン出てるっていう感じだったんで、
私もそれに連れて行っていただいて、
で、私の上司の方のランニング仲間の方も現地でいらっしゃったりとかして、
一緒にご飯、ご食事、ご一緒させていただいたりとかしたりとかします。
遠征に仲間たちと行って楽しむみたいな、たまに今もあるのかなと思うんですけど、
その原型がホノルルマラソンで体感できたみたいな。
そうですね。ただ結構、現地でご一緒させていただいた方はお仕事も確かリタイアされてる方で、
経済はその当時も超えてらっしゃった方で、
そんなにわちゃわちゃ同じ年代の人たちで行くっていうよりも、
15:04
どちらかというと結構私はその中で恐縮していたような印象がありますけど。
でもなんか、そのホノルルマラソンは4時間ちょっとぐらいで走ってなくて、
4時間10何分とかで走って、
いや小松くん、2回目のフルマラソンで4時間10分台ぐらいで走れるんだったらセンスあるよ、とか言われたりとかして。
本当ですか。サブ4このまま行ったら切れるね、みたいなことを言われて、
なんかそういうのが少し嬉しかったりとかしたことはなんか記憶に残ってますね。
そういう、ご自身で走ってたりとか、職場の先輩?
はい、先輩というか上司の方ですね。
上司の方とかその仲間と一緒するっていう中から、
少しランニングへの取り組み方とかそういうのが変わってきたタイミング、きっかけっていうのは何だったんですか。
だいぶそこから正直10年近くは普通に何て言うんですかね、
週末10キロだけ走って、でたまにフルマラソン出て、
その頃はサブ4はできてたので、
毎回そんなにレースに向けて何か特別な準備するっていうことはなく、
毎回成り行きで出て、4時間ぐらいで走ってっていうのをひたすら繰り返してっていうような感じで、
でもなんかサブ4自体はいつもできてたんで、
それだけが自分の中の唯一の誇りというか、
サブ4職人みたいな感じになってました。
どんなことがあっても俺はサブ4を守るみたいな。
そんな感じでかつてはいましたね。
一生懸命ランニングに取り組み出すきっかけっていうのは、
2011年か12年ぐらいにトレイルランニングと出会いまして、
そこでちょっと山を走る競技があるっていうので、
軽い気持ちでトレイルランニング用のシューズを買って高尾山に行ってっていうので、
そこですごくトレイルランニング自体が普通のランニングとちょっと違って、
景色もどんどん変わっていくし、あんまり自然の中に入ったりとかっていうこともそれまではしてなかったので、
すごい自然の中で一日過ごすっていうこと自体がものすごく新鮮で、
それがきっかけで新しい趣味を見つけてしまったっていうようになって、
トレイルランニングの世界に入っていき、
そのトレイルランニングを始めた翌年、2012年の頭かなんかに、
18:09
千葉の恩塾っていう場所でやってる、
今でいう恩塾オーシャントレイルっていう10マイルのトレイルランニングのレースがありまして、
そこにトレイルランニングも実は一緒に始めたのが、
中学校の同級生と一緒に始めて、一緒にいつも山行ってたりとかしたんですが、
その中学の同級生と一緒に恩塾のオーシャントレイルに出て、
当時伊勢海老カップって言われてましたけど。
伊勢海老カップ?
はい。優勝すると確か伊勢海老もらえるのかな。
それで、そこに参加した時にゲストスピーカーに株主さんが来てらっしゃって、
で、株主さんがレース終わった後に講演会みたいなものをやるっていう、
近くの公民館みたいなところで講演会をやられて、
その時に私は株主さんを求んじゃいけなくて、
この人なんていう名字の読み方なんだろうみたいな。
確かにちょっとね、ちょっと難しい感じですよね。
そうですね。で、そうしたら株主さんがその時にお話しされてたのが、
その年に第一回開催されるUTMFという大会があってっていうお話であったりとか、
そもそもUTMBという大会にずっと株主さんがチャレンジされていてっていう話であったりとか、
なんかそういう話を聞いて、で、株主さんがその第一回目のUTMB走り終わった後に、
太ももの毛細血管が切れて、太ももの中で血液がジャブジャブいってたっていう話を聞いて、
こんな世界あるのかっていう。
なんかそれに衝撃を受けて、帰りの電車でその一緒に参加した中学の友達とUTMFとUTMBのサイトをその場で携帯で見ながら、
今日10マイル走って全然、もうなんかこれすらも走りきれないのに100マイルっていうすごいレースがあるんだねっていうことで、
そこからいつか出れたらいいねっていうような話をしながら、新しい世界を見つけてしまったっていう感じで、
私はそこからもうスイッチが、ある種今まで入ってなかったスイッチが入ってしまったような感じになり、
レールランニングにさらに没入し始めるっていう、UTFに向けて、いつかはUTMBに向けてっていうので、
ある種そこで人生が結構変わったような感じですね。
そうなんですね。いつかはMF、いつかはMBと。
で、そのスイッチが変わったっていうのは、実際どういう行動に移したんですか?
21:01
その翌年にまずはSTY出たいなって思った。
STYって当時UTMFのハーフを始めてる静岡町ですね。
80キロぐらいのカテゴリーがあったんですけど、それ出たいなと思って。
2012年の年はまずSTYに出るために、4,50キロのレースをちょっと出てみようっていうことで、
レールレースで4,50キロの菅田井良であったりとか、
今もあるのか分かんないですけど、フィールドさんがやってる都学市のレースであったりとか、
そこら辺の4,50キロのレンジのレースを出たりとか、
その年には確かほとんど出たことないんですけど、
ウルトラマラソンも1回だけ出ました。
ちょっとそういう長い距離に対する耐性をつけていこうっていうようなことで、
そこら辺のレースを一つずつクリアしていって、
走ってみたら結構なんなく走れるというか、
普通に感想はできたので、
なんか自分自身も山を走れるようになってきてるなっていう感覚はその時もあって、
毎週高尾に通ったりとか、高尾の次は鎌倉の方行ってみたりとか、
丹沢を行ってみたりとか、奥多摩を開拓したりとか、
自分でトレイルラーニングの関東近郊のコースを調べながら行くっていうようなことをして、
毎週トレイルラーニングをやり、
で、翌年2013年にSDIに出ることができてっていうような形になってて、
で、そこで、
なんかその時もすごい、なんだろう、
めちゃくちゃでも鬼のようにインターバルとかやってたかっていうと、
そういうのは全くやってなく、週末気持ちよく山を走るっていうようなことをひたすらやってたような感じでしたね。
なんか本当は没入していったんだなっていう感じがすごい伝わってきたんですけど。
基本的にはあれですか、お一人で走ることが多かったんですか?
コミュニティとかチームとか。
トレイルラーニング、その時はSDI完走するところぐらいまでは一人で走ることが多かったですね。
で、その後にちょっと自分自身がコミュニティに入っていくことになるんですけれども、
2つのコミュニティに参加しまして、
2014年に入ったのが、もっと、やっぱりUTMFを目指す上で、
かぶらぎさんがやってるチームがあるっていうことを、
その前の年に、2011年に知って、チーム100マイルに2013年に、
24:02
2013年?違う、2014年に応募したのか、2014年に応募して、
で、SDIの完走した翌年から、チーム100マイルの2期生として入りました。
で、そのチーム100マイルの同期には、今回立てライトを一緒するKISOさんがいたりとか、
2期生だと思うんで。
あと、バックヤード兄さんこと上野昭雄さんが同期でいらっしゃったりとか、
ちょっとバックヤードにもゆかりのあるような方との出会いみたいなものも、
そこであったりとかっていうようなことがあったりとか。
あとは、都内銀行の方でも、当時2014年で私が自分自身で起業したタイミングでもあって、
IT業界に身を置きながら走るみたいなことをやっているトレイルランニングとかランニングのコミュニティがあって、
それがダブルサバイバーと呼ばれる、ダブサバと呼ばれる都内で活動しているチームがあって、
そこにもちょっとジョインさせていただいて、
ダブルサバとチー100っていう2つのチームの中で練習を積んでいくっていうようなことで、
そこで初めて練習の仕方であったりとか、
インターバルっていう概念自体もそこで初めて知ったかもしれないですね、もしかしたら。
で、やっぱりみんな上を目指して走る方が多い環境だったんで、
やっぱり自分自身もその中で強くなりたいっていう思いがすごくあって、
高強度の練習とかをその当時が一番やってたかもしれないですね。
それぞれ練習とかなんかこう活動の特色ってあったんですか、チー100とダブサバっていうのは。
ダブサバは平日の朝に週1回ポイント練習みたいなものをやってましたね。
朝からポイント練習。
朝からポイント練習でした、はい。
トップギアっていうランニングチームの代表をやってる白方健一さんっていう方がポイントについてくださって、
白方さんのポイント練習やるっていうようなことをしたりとか、
チーム100マイルは月に1回練習があって、
その月に1回の山の中で結構強度の高い練習を月1回やるみたいな形で、
今も結構雰囲気同じような感じなのかなと思うんですけども、
その月1回の練習に向けてみんなが結構ピーキングして、
27:01
体を整えないと練習についていけないみたいな感じで、
少しでもついていけなくなると車に回収されてしまうっていうような。
どなどなされるんですか。
かぶら毛さんも当時めちゃくちゃストイックで、
ゆるい練習やっても意味がないぐらいな感じで、
ついていけない人は置いてきますぐらいな感じでやってて、
最近のチーム100マイルの方にお話聞くと、
最近かぶら毛さんは丸くなったっていう話を聞いてるんですけど、
当時はやっぱりすごくて、
練習自体はすごいピリピリしたムードでやってた記憶がありますね。
実際走力の変化ありましたか。
そうですね。山自体で走るときに、
こうやってトレーニングしたらいいんだとかいうこともわかったし、
すごくいろんな方々に刺激を受けて、
走力自体はすごく上がってったような気がしますね。
その当時出られたレースで印象的なものとか、
何か覚えてる記録とかありますか。
そうですね。その当時は、
なんか、
ハセツネのサブテンをするっていうのをひたすらやってましたね。
それを目指してやってた記憶があります。
2014年、2015年あたりは。
もちろん富士に出た、富士100マイル、
UTMFに当時出たかったんですけれども、
なかなかちょっと出る機会っていうのをいただけることができずに、
ただ目標をいろいろ持ちながらやっていて、
その中で、その当時って、
北炭沢、富士登山競争、
ハセツネみたいなものが日本最大トレイルレースみたいな感じで言われていて、
その中でもハセツネのタイムっていうのは一つ、
トレイルランナーの走力の大きな基準になってて、
ハセツネサブテンっていうのを、
何人かハセツネサブテン目指すようなメンバー、
仲間うちが一緒にいて、
その当時ハセツネサブテンを目指したりとか、
あとフルマラソンでサブスリー目指したりとかっていうのも、
その時ずっとやってましたね。
それが2014年、5年後くらいですね。
小松さん、フルのベストってどれくらいですか?
その頃に2時間57分を出して、
ちょっとその後風評縮めたのか、
何なのかっていうレベルなんですけれども、
2時間57分が一応自己ベストではあります。
2015年の勝田マラソンかな。
勝田なんですね。
サブスリーできたとき嬉しかったな。
30:02
勝田の風になったんですね。
勝田の風になりました。めちゃくちゃ嬉しかったです。
で、そっからは、
じゃあフルマラソンでもっともっとっていうよりは、
ちょっと違う方向に行くんですか?
この後は、
ちょっと2014年に起業したタイミングだっていう
お話をしたと思うんですけども、
ちょっと会社が仕事をちょっと自分がちゃんとやらないと、
もう仕事にちょっと全力投球しないと
まずいなっていうちょっと状況に、
事情になりまして、
まあそれでちょっとランニングどうしても自分は
すごく不器用で一つのことやり始めると、
一緒にいろんなことを並行してやろうとしたときに、
力がものすごく分散してしまうっていうのがあり、
ちょっと1回ランニングとそこそこの距離感を置かないと
ちょっといけないなっていう風には
自分の中でちょっと気持ちの区切りをつけまして、
2016年ぐらいだったと思うんですけど、
ある種ちょっとランニングに対する諦めというか、
自分が選手として記録を目指していくっていうことよりは、
障害スポーツとしてランニングをしていくっていうようなことが
できればいいんじゃないかなぐらいなちょっと温度感に、
ちょっとあえて諦めざるを得ないちょっと状況になってしまいまして、
ここからはしばらくちょっとランニングと距離を置くというか、
ちょこちょこ山行ったりとか、
ポイント練習とかもちょこちょこ参加したりとかはしてはいたんですけども、
ただ何か大きな目標に向かって、
それに対して自分の情熱を捧げるっていうこと自体は、
フルベッドはちょっとできないような感じになってる。
そんな中でそのフルは、
それの前の2015年2時間57がベストだっておっしゃってましたけど、
破設年は最終的にベストタイムというか、どれぐらいなんですか?
確か2015年にサブテンをして、
それでそこが多分ベストですね。
やっぱりじゃあその速さっていう意味のキークは、
そちらも2015年にあったかなっていう。
そうですね、はい、そうだと思います。
じゃあそんなその2016年からは、
レースっていうところをあまり執着しないように切り替えたっていうことでした。
そうですね、はい。
そのランニングへの温度感がまたちょっと一段変わるタイミングがあったのかなと思うんですけど、
そこら辺はどうですか?
そうですね、その後の話を少しすると、
2018年に初めて富士に出ることができたんですよ。
もう急にしてた。
ランニングに対してはすごく、
そんなに全力投球はできないけれども、
33:00
富士はUTMFは毎年エントリーしてたし、
ちょこちょこトレイルのレースも出てっていうような形で、
その2018年もチーム100マイルでやってた時みたいに、
すごい準備はできないですけども、
そこでちゃんと富士100マイル完走できて、
それなりに自分の中で納得いく結果が出て、
やっぱり改めてトレイルランニング走ることは面白いなっていうことは感じたりとか、
あとは大きな自分が印象に残っているものであると、
2023年にUTMBに当選して参加をして、
シャモニーで行って、
UTMB走ったこともすごく自分の中では思い出深いし、
めちゃくちゃ人生最高のレースの一つではあったなと、
結果はUTMBはボロボロでしたけど、
すごい最高の体験だったなっていうあれもあり、
ただそこでも、富士にその後もずっと毎年出るように、
2018年以降毎年出るようになったりとか、
2023年にUTMB出たりとかはしてたんですけど、
まあほどほどにランニングと付き合いながらみたいな、
正直レース前もぶっつけ本番で出るぐらいな感じで、
対して準備もせずに、
行き当たりばったりでレース出て、
その中で今年は走れた、今年はうまく走れなかったとか、
そういうのを繰り返すっていうような感じで。
で、ちょっと自分の中で大きな転機になったのが、
2023年のUTMB走り終わった後に、
10月にランニング関係の人たちで飲んでたときに、
チキンハートの塚原秀樹くんと一緒の席で飲んでて、
そのときに自分自身、富士とかUTMBとかも走っても、
やっぱり100マイルで後半も足は動かなくなるんだけれども、
動かなくなっても足は動かし続けることがずっとできるような感覚はあったので、
たぶん100マイルのレースよりももうちょっと長いレンジのレースの方が
自分の体に合ってんだろうなと思って、
2023年の10月にその飲み会で、
いつかバックヤード出ようと思ってるんですよね、みたいな話をしたが、
ちょうどそのときまだエントリーを受け付けてて、
来月あるから今エントリーしろって言われて、
その飲み会の場所で2023年のバックヤードウルトラ東京大会に
エントリーをその場でするというような方って、
とりあえず、なんか自分は全力で拒否したんですけど、
今やんなきゃずっとやんないだろうみたいな感じで言われて、
なんか渋々やるかみたいな感じでエントリーして、
36:01
そこがバックヤードとの出会いみたいなところだったね。
出会っちゃいましたね。
出会っちゃいましたね。
バックヤードとも、そして私とも、
即に2023年11月。
2023年11月に道太郎と、
その東京大会の会場で会うというような感じで。
2023年は、
ちょっと走り込みもほとんどしない状態で、
で、若干ちょっとその直前に出た水戸口門マラソンで、
ハムを若干炒めてて、
もう開始5時間ぐらいで、
もう汗がピキピキ出して、
これはやばい、これはやばいと思って、
ずっとだまつりだまして走ってて、
で、結局32時間ぐらい走ったところで、
終わったのかな、
32、3時間で、
夜の9時に終わったってことだけちょっと覚えてるんですけど、
終わりを迎えて、
で、その時はちょっと、
痛みはもうピークだったんですけど、
痛みピークだけど、
この痛みってもう増えることないから、
まだまだ、
正直15時間ぐらいから痛みがずっと同じような状態で、
33時間、
32、3時間まで来て、
まだ同じ状態なら全然大丈夫そうだけど、
ちょっとやめますっていうような形で、
やめたったんですよね。
ちょっとやめた理由としては、
自分のサポート自体が、
サポート中にインフルエンザにかかってしまって、
っていうこともあったりとか、
で、急遽その助っ人で、
Beamsの牧野くんがサポートで来てくれてて、
で、それ助っ人でちょっと来てくれた牧野くんも、
終電で帰らなきゃいけない時間帯で、
そうすると終電で帰りますみたいなことを、
で、そのタイミングでもう自分もちょっと足も痛いし、
インフルエンザだったらサポートの高野くんも、
インフルエンザになっちゃったし、
次の日ちょっと子供ともサッカー見に行く約束してるし、
もうこれはやめ時かなっていうような感じで、
友さんとかには、やめるなやめるな、
行け行けっていうような形で言われてたんですけど、
もうやめますって言って、
やめたんですよ。
でもその時にやっぱり帰って、
で、次の日サッカーを子供と見に行って、
そのサッカーの会場とかで、
バックヤードのあれを見たらまだ走り続けてて、
それが自分はすごく信じられなくて、
自分はビール飲みながらサッカー見てて、
で、まだ走ってんのこれっていうのがすごい信じられないくて、
当時そのバックヤードのこととか全く何も知らずに出てたので、
記録がなんとなく24時間超えられたらいいなぐらいな感じで自分は行っちゃって、
39:03
その何十時間がどれぐらいすごいとかそういうのは全く分からずに、
そもそもその50時間以上走る人がいるとか、
そういうこともあんまり分からずに臨んでた中で、
やっぱそのずーっと走り続けてる人がいるっていうようなところで、
で、70時間ミチャロと木曽さんが走り続けて、
あのダブルノックアウトっていうのが結構自分の中ですごい衝撃で、
こんな人たちがいるんだっていう、
で、自分とは絶対住む世界が違うなっていう気持ちもあって、
で、その時は本当ににわかに信じられないような衝撃を受けたっていうか、
なんかそれに一番衝撃を2023年受けたかもしれないですね。
ありがとうございます。
それがちょっと私のファーストバックヤードでした。
で、なんかあれですけど、意外とその後も小松さんと私なんかやりとりしましたよね。
そうですね、なんか肌の荷走りに行ったりとか、
ね、わざわざ来ていた。
なんか焼肉食べに行ったりとか、
なんか朝まで飲んだりしたことも確か。
ありましたね。
それこそ小松さんのオフィスに最後。
流れ着いて記憶のない流れ。
流れ着いて。
っていうのもあって、
なんかあの時ね、道太郎になんかすごい才能を感じたというか、
なんか別に今を予言するわけではないんだけれども、
なんか道太郎は多分このバックヤードとかの世界で、
なんかその世界で生きていきそうな感じがしたっていうか、
なんかその普通にサラリーマンの仕事をしてるっていうのもらしくないなって思ったし、
こういう今みたいな感じの活動になるような予感みたいなものがすごくして、
なんか多分丹沢に道太郎のところに走りに行った時も、
道太郎今後のキャリアどう考えてるの?みたいなことを聞きたい興味もあったんですよね。
でもこういうふうに今みたいになるんだろうなっていうようなことを、
なんかなんとなくその時はすごい感じてました。
ありがとうございます。
結果として小松さんとはずっとバックヤードを通して繋がりがあって、
ある意味見守っていただきながら一緒に挑戦しながらという関係になっているので、
やはり2023年、いろんなことが始まった年でしたね。
たぶんですね。
で、その後その競技としてのバックヤード、
まあファーストバックヤードはそんな形だったってことでしたけど、
42:00
次のバックヤードっていうのはどういう形で。
そうですね。ちょっと2023年、自分が最後までやり切らずにやっぱり終わってしまったっていうところが、
少し心の中で引っかかっていて、
で、2024年バックヤードはちょっとそんなに引かれるものがあったわけではないんですけども、
1回だけちょっとちゃんと自分の限界までやろうっていうふうに思って、
で、自分の精神が先に壊れるのか肉体が壊れるのかみたいなところをちょっと見てみたいっていう、
興味本位もあって、どういう終わり方するのかなっていうのがちょっと知りたくて。
で、2024年も東京大会を同じくエントリーしました。
ここは、この時はそうですね。
まあ最後までちょっと絶対に途中で自分の都合で終わらせないっていうことだけは決意を持って、
そのレースに出たっていうような感じで。
ただちょっと事前の準備は全くできていなくて、
ほぼ走らない状態で、ふぬけな状態でちょっとレーススタートしてしまったっていうようなところは、
まあそんなに周回数も残したいっていうわけではなく、
ただ自分の限界がどういう形に向かえるのか見てみたいっていうだけだったので、
もしかしたら去年みたいに30時間も走れないかなっていうふうにはなんか思ってて、
まあいいとこ24時間なのかなみたいなふうには思っている中で、
実際に東京大会走ってて、その日が全国的にすごい土砂降りで、
そうですね。
まあ雨の中走ってて、
バックヤードもそんなに対策を考えたりとかせずに出てしまったっていうのもあって、
2番目に強烈な眠気に襲われて、
33時間で終わったとき、この前の年は一晩超えて、
2番目の差し掛かるところでやめてしまったので、
これが2番目を超えるときにものすごい睡魔に襲われて、
かつて経験したことない睡魔でね。
なんかメガシャキとかアリナミンVとかそういうものを飲めば目が覚めるだろうと思ったけど、
全く何やっても目が覚めなくて。
もう本当に、
なんかもう挙句の果てに水溜りの泥水でうがいしてとかっていうの。
すごい。
それで目がちょっと覚めたりとかもしたんですけど、
もう本当に何やったらいいのかわかんないぐらい眠気にやられてっていうような感じ。
ただ、ちょっと不思議だったのは、
やっぱり48時間とか2日経ってもまだいけるっていう感覚が自分の中であって、
まだもう少し走れるなというか、まだ限界ではないなっていう感覚があって、
これどこまでいけるのかなっていうのが、
すごくそういった自分にワクワクしているところもあって、
45:06
なんか自分自身すごくこのバックヤードに可能性を持ってるなって、
自分の可能性をものすごい感じることができたレースだったんですよね。
で、周りにいらっしゃる選手も少しずつちょっとこぼれ落ちていくような感じで、
最後、最後の2人に48時間で原智美さんが女性の日本記録を出して、
辞められた後に、そこから2人で中村さんと一緒に走るっていうような感じで。
で、結局その時は56時間か、56時間で自分がアシストで終わって、
中村さんとその時、ラストダムライになった中村さんとものすごい力の差を感じながら終えたというような。
で、それがすごく自分の中でこんなに走れるんだっていう喜びと、
あと中村さんとのその歴然とした差にすごく悔しさがあったりとか、
その時が自分自身のトレーラーニングを始めた時と同じような、
UTMF、UTMBと出会うのことを知った時と同じようなスイッチの入り方が、そこが第二のスイッチで。
しばらくちょっと、1ヶ月ぐらい正直バックヤードを続けるっていうことを、
こんなに辛い競技を続けられるのかっていうような風に思って、
また挑戦するのかどうかっていうのは迷っていたんですけども、
ただ、やっぱりこれはこの競技に向けて準備をしてちゃんと走れるようになりたいなっていう風にやっぱりその後思って、
そこからもうちょうど2年前ぐらいですかね、このタイミングは。
そこからやっぱりスイッチが入って、やっぱり練習走る量もものすごく増やして、
いうようなことになりましたね。
あとはそのバックヤード、東京大会24年に走った時にすごくいろんな方からメッセージ、今まで来たことのない量のメッセージがインスタの方に来て、
本当になんか、今自分がトップしてるランニングコミュニティの、
けんちゃん連のメンバーもすごくお祝いしてくれたりとか、
あと、実際に現地にもたくさんの方応援来てくれてサポートしてくれたりとかっていうのもあったりとか、
自分のランニングを見て、走る姿を見て感動しましたって言ってくれる人がいたり、
48:04
勇気をもらいましたって言ってくれる人がいたりとかして、
今までそんな経験をしたことがなくて、
自分が走ることによって何か周りに影響を与えたっていう経験がなかったので、
それ自体もすごく自分の中で初めての経験で、
それが少し自分の中で走ることに対して火が点いた大きなきっかけというか要因でもあったかなっていう気がしていて、
本当にその2024年のタカオ大会が自分にとって大きな転換点だったなっていうふうに思ってますね。
中村さんとのラストのワンオンワンの中で、歴然とした力の差を感じたとおっしゃってましたけど、
実際、確かに中村さんのほうが余裕度はある中で、
ある中で小松さんはでも決してギリギリなんだけどそこからこぼれないというか、
くらいついてるというか、
もしかしたらまだYouTubeにも上がってるかもしれないですけど、
55分とか、55ラップとかそこらへんで、
本当ラスト、もう鐘が鳴って1分前みたいな中で、
20秒前くらいに帰っていった。
そっからでもまたこう走り出すっていう、
なんかそこはすごい私自身現地にいたんですけど、なんか目に焼き付いてるというか、
この人止まる気ないっていう、
実際多分それはその力の差がどうこうっていう以上に、
やっぱり小松さんのパフォーマンスというか、発揮していたものが多くの人に届いた。
僕自身もそうだし、動画を通して多くの人の目に触れたっていうのはあるんだろうなとは思っていて、
あの時ってどういう心境なんですか?だったんですか?
うーん、正直その55周で始めて、高尾って3往復するじゃないですか。
その、確か1周目ともう2周目が20分のサークルから遅れちゃってて、
多分2周終わった時点で40何分経っちゃっててっていうような状態で、
これに急がないと間に合わないっていうので、
でも自分はそこで終わりたくなかったんで、
なんとか走ればギリギリ間に合うはずだと思って、
まあ持てる力を振り絞ってその55は行ったんですよね。
で、自分自身なんかその55行っても、
バーンってそのスタート地点に戻って倒れ込むようにして走って、
もうこれ以上走れないっていうような、
もうそれで終わりだっていう自分の中ではイメージであったんですよね。
もうこれで無理ですっていうような、
51:02
ヘロヘロになりながら100マイルをゴールしたりとか、
そういうもののイメージだったんですけど、
ただ周りを見るとその次の周回に向けて、
F1のピットインみたいに準備を20秒でさせられて、
そこで準備をさせられてた時に、
あ、これまだ続くんだって思って、
で、なんかその促されるがまま、
あ、まだ続くのねっていうような形で、
あ、まだ終わりじゃないのねっていう感じで、
なんかもうその時はちょっと意識とかも若干朦朧としていたというか、
判断もうまくいろんなことができないような状態で、
促されるがままに参ったっていうような感じですね。
うーん、じゃあなんかこう旗から見ると、
あ、ほんとこの人止まる気ないんだって感じだったんですけど、
本人からすると、なんかあれよあれよとまた再スタートを切らされたみたいな。
そうですね。
ちょっとなんかバックヤードのことがいろいろわかってなくて、
なんか判断もちょっといろいろ正常にできない中で、
あ、次走らなきゃいけないんだって、そうだよなみたいな、
そんな感じでした。
いやいやいや、まあそんな中で、
で、あのレース終わった直後もお話したりとか、
その後も数日やり取りしてる中で、
いやちょっとこれバックヤードやり込みすぎると、
なんか人生に影響が起きそうみたいなことを、
小松さんが確かおっしゃってたような記憶が。
そうですね、はい。
あ、なんか小松さんバックヤードなんかすごい、
それこそ僕も小松さんのバックヤードにすごい可能性を感じてた中で、
あ、なんかやらなかったりするのかなどうなんだろうとかと思ってた。
うん。
なんか次やったぐらいのタイミングで、
いや俺もバックヤード本気でやるよみたいな、
なんか目の色変わってるみたいな。
そうっすね。
まあやっぱいろんな葛藤あったけど、でもやっぱスイッチが入っちゃったんですね。
どうしようかなっていうのは、
正直葛藤はしばらくあったけど、
まあでも、やっぱりその、
その後、やっぱしばらく時間が経ってみて、
自分の中での可能性を感じたことと、
あとは、そのやっぱり悔しさがものすごく大きくて、
やっぱバックヤード、もう一回もっとちょっと頑張ってみようっていうふうに、
そこで思いましたね。
で、実際またこの男がなんかこう、
深いよね。
日本だとだいたい毎年11月しかレースがなかったところ、
新しい台場を立ち上げると言ってなさい。
15年の2月にバックヤード神奈川大会をやるんだというようなことを言い出して、
小松さんもどうですか?みたいな。
はいはい。
神奈川の寮邸みたいなところで。
そうですね。
飯食いながらそんな話をした記憶がありますね。
またそこはもうさらにこう、スイッチに拍手をかけるような感じだったんですかね。
54:00
そうですね。
去年の2月に行われた神奈川のレースに関しては、
VIXに行くための記録を作るっていうようなことを目的にしたと思うんですけれども、
自分自身はちょっと正直VIXっていうのはちょっと遠い世界というか、
絶対無理だろうっていう、80時間とか無理だろうっていうのはそもそもあった中で、
ただちょっとやっぱり上のレベルの人たちと走ってみたいっていう思いがすごくあって、
で、自分がその中でどこまでできるかっていうようなところがありましたね。
で、それをモチベーションにすることと、
あとはその東京大会が終わって、
少しちょっとダメージ、体のダメージが大きくて、1ヶ月ちょっとは休んだんですけど、
その後ちょっと急ピッチで走り込んで、
で、タンザー大会に出場するっていうようなことで。
で、タンザー大会出たら思ったのは、
道太郎と稲永さんと赤田さん?
その前の年のサテライトに、2024年のサテライトに出た方が出場していらっしゃっていて、
やっぱりそこの人たちがすごいなっていう風に走ってみて思ったというか、
やっぱりその東京大会で感じた中村さんの壁みたいなものと同じような壁を、
やっぱりサテライトのメンバーと自分との間に大きな隔たりというか、
経験値も装練力もいろんなものが足りてないんだろうなっていうのを
なんか感じたっていうような体験でしたね。
実際記録は?
記録は高尾から1ラップ伸ばして57時間でしたね。
その結果自体は自分に手応えを感じたりしたんですか?
それともちょっと足踏みしたなっていう感じでしたか?
いや、手応え感じましたね。
本当に各大会で優勝してたメンバーとかもいた中で、
そういうレベル高い人たちの中で、
自分最後の4人まで残ったのかな?まで残って走ることができたっていうようなところもあったし、
自分自身最終的にいろいろバックヤードに対して対策を打つというか、
いろいろ考えて試行錯誤を持ってきて、
その中でその大会でも振り絞ることができたので、
自分自身は終わって素晴らしい気持ちだったというか、
悔しさもあるんですけどね。
サテライトの壁に弾き返された感もあったんですけど、
でも足踏みしたっていう感じはなく、
まだまだいけるなっていう感触というか、
57:02
もっと上を目指そうっていうふうに思えるような大会でした。
そんな清々しさもあった中で、またさらにこの男が。
この男が。
はい。
次は6月にデッドカブガリーのオーストラリアのバックヤード行きませんかという。
そうですね。
タンダーの直後だよね。
そうですね。
アーミスさんと一緒に連絡をもらって。
その話を聞いたときはどんな気持ちでした?
えーっと思ったけど。
レース中もちょっと話してたじゃん。
デッドカブガリー行こうかっていう話をアーミスさんとしてるみたいなことを話してたと思うんだけど、
タンダーのレース中も聞いて、そのときはえーいかないっしょって思ったけど、
やっぱり、何だろう。
そのときはタンダーの大会終わった直後にミサラから誘われたときは、
若干何だろう、レース後の高揚感もあったし、
多分海外のレースなんか、
自分一人で挑戦するっていうことはこの先人生で多分ないだろうなっていうふうに思ったので、
そういう挑戦をする人がいるんだったらここにちょっと乗っからせていただこうと思って、
じゃあデッドカブガリーで回すって言って、
数日後に返事したというような記憶がありましたけど。
本当にあの、これはお互いに対して言いますけど、
小松さんのバックヤードヒストリーに多分私が常にいるし、
私のバックヤードヒストリーの中に常に小松さんがいるという。
そうでしたね。最近はずっとご一緒させていただいてありがとうございます。
そんな中で実際に臨んだデッドカブガリー、どうでした?
うーん、そうですね。なんか、
デッドカブガリーは本当にレース自体も300人近く多分参加していて、
日本のレースにバックヤードとは全く違う世界で、
そこに世界トップクラスのバックヤードたちが集まってっていうところで、
なんか、すごい頭をハンマーで殴られたかのような体験というかでしたね。
で、本当にその、なんだろう、世界動画の中で見てた
イルゴアとかマービーとかアベルイスとか、
そういう人たちが一緒に走ってるっていうのがすごい不思議な感覚があって、
で、それに加えて一緒に何百人っていう人たちと走っているっていう。
で、一人の牧場主の牧場の敷地の中を走ってっていう、
なんかつけるの大きさみたいなもの。
1:00:02
で、コース自体もすごく広い牧場の中をコース通って走るっていうような、
なんかコースレイアウトも日本にはないようなコースレイアウトで、
トレイルランニングのレースに結構近いような雰囲気の中で走らせてくれるっていうような感じで、
なんか全てがすごく自分の中で新鮮で、
こんなバックヤード世界あったんだっていう感じで。
なんかトレイルランニングというとUTMBとかも出られてるわけじゃないですか。
もちろんカテゴリーは違いますけど、なんかそこに近いような衝撃はありましたか?
なんか近いような衝撃、似て非なるものなんですよね。
多分UTMBはシャモニーのすごいマッチがUTMB一色で盛り上がってて、
そこの中ですごい景色の山の中を走ってて、
っていうようなものと、
ある種オーストラリアのすごく片田舎の牧場の中をずっと走り続けるって、
体験としては全然違うんですけれども、
ただ傘みたいなものはUTMBにも負けないような傘があって、
自分自身今までですごく記憶に残ってるレースって何かって言われると、
やっぱりUTMBとデッドカウガーリーかなっていう気がするので、
それぐらい自分の中では忘れられないレースというか、
なんかあれでしたね、濃密な体験でしたね。
そしてデッドカウガーリーではまさに75ラップという記録を残されて、
想像もつかなかったと言ってたVIXへの道が開けた、そんなレースでもありましたね。
そうですね。その時はVIXの基準が大体80時間とか言われてたので、
そこに僅かに届かなかったなっていう印象はあって、
逆に道太郎が94ラップでVIXをほぼ確実にしてっていうような形で、
その時レース終わった時に、やっぱり一番最初に2023年に会った高尾、
道太郎と会った高尾の大会で、その高尾の大会70時間走って新しい世界を見てきた道太郎と、
中途半端に30何時間で、中途半端な状態で自分の中で終わらせてしまって、
それから2024年まで特に向け合うことがなくっていうような形でやってきた自分との差がすごく、
75時間と94時間ないしはVIXに届く、届かないっていうところに、
1:03:03
そこが差として出てるんだろうなっていうふうに思って。
で、まだこの先時間がある中でもっと自分自身、
競技とちゃんと向き合って、
ちょっと1年2年遅れてしまってるけれども、
この差を埋めていきたいなっていうふうには思ったんですよね。
レース終わった後に、こんなことをちょっと思ってはいましたね。
次の、その次のVIX、もうちょっと目指したいなみたいな、そんな気持ちですかね。
そうですね。やっぱりデッドカウガリーで、やっぱ世界のトップ選手たちと走って、
タンザーではサテライトの選手との壁みたいなものをすごく感じて、
デッドカウガリーでは世界のトップ選手との壁をめちゃくちゃ感じたんですよね。
だから毎回壁に何か打ち返されてっていうような形で、
やっぱりそのデッドカウガリーで、世界の選手との違いであったりとか、
そういったものを埋めて、もう一度同じような舞台で競い合いたいっていう気持ちはすごく自分の中で、
デッドカウガリー2025年終わった後に感じたのは白い地球のところがあるので、
なんか、そうですね、そんなことを感じましたね。
壁にまた、また壁が現れたってことですね。
でも、その壁で立ち止まらないのが小松さんだなっていうのもすごい感じますね。
で、そんな次のビッグスかなと思っていた中で、
その年のビッグスがある意味、権利として降りてきたっていう。
そうですね。8月のちょうど末に降りてきた感じだったと思うんですけど。
その時の気持ちは?
いや、まさかっていう思いもあったんですけども、もう即答で行くしかないっていう。
こんなビッグスで出るチャンスなんてこの先あるかもわからないし、
またちょっとそのデッドカウガリーで一緒に走ったような人と一緒に走れるチャンスがあるんだって思うとワクワクしたりもしたし、
そのビッグスってどんな世界なんだろうっていうのを見てみたいっていうのもあったし、
なんかそんな気持ちでしたね。
ねえ、まさか。
私もビッグスに行くっていう中で、あ、小松さんも一緒に行けるんだっていうのがものすごい嬉しいのもそうだし、安心感もあって。
1:06:00
年に2回海外遠征を一緒にさせていただくと。
そして、ビッグスですね。
世界の舞台、世界から選ばれた75人だけが出れるラズの裏庭っていう舞台を私たちは走ったわけですけど、小松さんはどういう感想をいただきましたか。
そうですね、やっぱり全然ビッグスに挑戦できるような自分の実力ではなかったなっていうのが正直なところで、
今までのレースの中で一番歯が立たなかったというか、何もさせてもらえなかったレースだったなっていうのが正直な印象ですね。
本当にバックヤードを走ってきたけれども、その中でも種目が違うんじゃないかっていうぐらいの違いがビッグスにはあるなというふうに思っていて、
昼間トレイルパーと夜ロードっていうような感じで、コースレイアウトが全く異なるものを、夜と夜で違うコースを走るっていうようなものが、ここまで違うものなんだって。
そこに対して全く順応できないし、ある意味コース難易度、レースの難易度に打ちまかされてしまって、
自分がその出し尽くすところまで出し尽くせずに、実力を出せないまま終わってしまったっていうようなところがあったなっていうようなのが正直なところですね。
そこに対してものすごく悔しさもあるし、もう一回2年後のビッグス出て、そこでは自分が納得いくような走り、自分が出し尽くすような走りっていうのをちゃんとしたいな。
で、終わった後にビッグスで力出し尽くせてよかったとか、もうこれ以上は走れないやっていうぐらいのところまでやり切るっていうようなことがやっぱできたらなっていうふうには強く思ったというか。
ね、そこは私も同じ気持ちです。
ワンモアビッグス。
ワンモアビッグス。
記録としてはどうでした?
54時間ですね。
それまでは56、57、75と、ある意味伸ばしてきてた中で、本当に弾き返されたっていう感覚だったんですかね。
そうですね。難しかったですね。
っていう中で、ようやく2026年、今年の話に減っていくわけですけど、今年はデッドカウガリーが初戦だったんですよね。
そうですね、はい。バックヤードに関してはそうですね。
そうですね、バックヤードに関しては。その前は何か出られてたんですか、2026年。
トレイルレースのパラベラバイUTMBネジランドの100マイルレースに出ました。
サムハビと会ってましたね。
サムハビと会いました、はい。メキシコ料理をおごっていただきました。ごちそうになりました、現地で。
1:09:01
サムから。
本当、ちょっと話それますけど、やっぱこう、世界のランナーとか、世界的なランナーとのつながりができたっていうのも、
デッドカウガリーとか、VIX、2025年に得られた大きな財産だなっていう感じですよね。
そうですね、本当に。
で、タラウェアは走られて、で、2026年5月にまたデッドカウガリーに再び、私もですけど、ご一緒させてもらってという中で、
前の年のデッドカウガリーがマスターズという中で、本当にサムハビとか、ヒロワとか、ハビルイスとか、
あとはマレーンディーツ、まあね、難しいですけど、ベルギーの選手が来たりとかしてた中で、
今年はそのマスターズではなく、通のというか、年だったというのもあって、また全然去年とも選手層は違ったわけですけど、
再び訪れたデッドカウガリーの印象はどうでした?
そうですね、なんか変わらず、やっぱりあそこの地に着くとなんかワクワクするというか、
なんか1年前のその紅葉感みたいなものが蘇ってきたような感じは、感覚はありましたね。
で、実際こうレースの展開はどうでしょう?小松さんのお口からお願いします。
そうですね、ちょっと62時間で結果的に終わってしまったんですけども、
やっぱりちょっと体の崩壊が早く終わったなっていうところで、
直前ちょっと怪我をして、なかなかレースの前に、なんとかレースに間に合わせて走るようにするっていうようなことは精一杯だった状態で、
その中でちょっと走らなきゃいけなくて、すごく良かったのは怪我した箇所が再発せずに追われたことはすごく良かったし、
自分自身力を出せたことはすごく良かったんですけれども、結果はなかなか震わなかったなっていうふうには思ってます。
ただ、結果は震わなかったけれども、なんか今思い返してみると、もしかしたら今までで一番楽しいレースだったなっていうふうに思っていて、
で、なんでかっていうと、多分最後、もう体の…そうだよな、なんか動画を見返してみると48時間くらい経過した時点でもう自分の体の斜めになっちゃってて、
で、そこの中で粘り倒して、おそらく最後の10時間くらいは1、2分前に戻ってくるっていうタッチ&ゴーを10時間くらい繰り返すっていうのをやっていて、
やっぱりその10時間くらいタッチ&ゴーを繰り返していくっていうのがなんか面白くて、まだまだいける、まだまだいける、まだ諦めないっていうような感じで、
1:12:01
なんかこれどこまでいけるんだろうっていうのが、走ってるうちになんかそんなちょっと楽しい感覚になっていったような。
で、なんかサポートのじゅんさんであったり、ピーターであったり、吉澤さんであったり、青ちゃんとかもなんかすごくそれを応援してくれて、
で、その7日でずっとタッチ&ゴーを繰り返せるっていうのがすごい幸せだったというか、今思うとなんか自分の中でもしかしたら今まで走ってて一番楽しいバックヤードだったかもしれないなとは、なんか今思い返すと思っています。
みんなにある意味囲まれてましたもんね。
そうですね、はい。
あの瞬間はこうある意味小松さんが王様というか、小松さん中心に世界が回ってたなと思います、はい。ありがとうございます。
でですね、それでもさらに終わらずに今度またオーストラリアのバックヤードの挑戦が続くということで、2026年8月、クリントイストウッドに行くことになるわけですが、
クリントイストウッドはまたちょっと望み方というか、ちょっと異なるようなチームで挑むというか、誰かの結果のために走るっていう、そんな要素だったと思うんですけど、そもそも出場を決めた経緯とか、ぜひ教えてください。
なんかそのデッドカウガリーで最後、私含めて3人残ってた残りの2人のサムとジェイレンっていう若いオーストラリアのバックヤードだった。
彼らはデッドカウガリーでそもそもサテライトの権利を得るために、オーストラリアのサテライトの権利を得るために走っていて、一緒に走りながら彼らは75時間目指して走りたいんだっていう話をしてて。
で、道中自分も一緒に話して、自分のPB75だから、そこまで行けば君たちのサテライトも実現できるから、一緒に僕はPB達成、君たちはサテライトを権利獲得っていうようなとこで目標達成できるように頑張ろうみたいな話をしていて。
彼らとそんな約束というところまではいかないんだけども、そんな話をしている中で、自分がその3人の中で一番最初にちょっとレースを終えてしまって、彼らもその後記録が伸びずにデッドカウガリーでサテライトの出場権獲得することができなくて。
で、その2人がクイントイーストウッドに出て、もう一度最後のラストチャンスでサテライトの出場権を得るために走るっていうようなことを聞いて、その話を聞いたときに自分ももう一度クイントイーストウッドで彼らと一緒に走りたいなっていうふうに思ったっていうのは一つ大きなモチベーションになったというか。
1:15:08
デッドカウガリー始まる前からクイントイーストウッドに日本人で何人かで出るかっていう話は持ち上がってたと思うんですけども、そこのタイミングでは自分はちょっとこの短い期間でバックヤードのレースに参加するっていうこと自体はあんまり自分にとってプラスでもないし、2回も海外遠征この短い期間の中で行くっていうのは現実的じゃないなとは思っていたので、
そこのレースにちょっと参加するっていうこと自体はその当時考えてなかったんですけど、デッドカウガリーが終わった直後にその2人がクイントイーストウッドに参加するっていうようなことを聞いたときには、これはちょっと自分も出たいなっていう気持ちが少しフツフツと湧いてきて。
それで吉沢さんとも、なんか少し前から入って、オーストラリアで夏暑いから走り込んで、そのままレース出てっていうようなのとか、いいですよねみたいな話をしていった中で、なんかちょっとレース、ノリで申し込んでしまったっていうような感じでした。
ある意味であれですよね、その時点ではサテライトの代表がほぼ確実になっていて、そこに向けた大きな調整の一つっていう感覚もあったんですか?
そうですね、8月にある程度ボリューム積みたいなとは思っていたので、クイントイーストウッドで走りつつ、気候の走りやすいオーストラリアでも走り込みを前後ちょっとできたらっていうようなことはなんとなくイメージをしてましたね。
実際クイントイーストウッド走って得られたこととか書いてきた気持ちはどうでしたか?
そうですね。やっぱり、チームで走るっていうことがどういうことなのかみたいなことっていうのを学ぶことができたかなっていう気がしていて。
クイントイーストウッドは実際にハガさんとサクラバさんの2人はサテライトの権利を得るために走るっていうようなところで、実際自分もお2人と直接会話をしたのはレースの現地で初めてお会いするような形ではあったんですけども。
なので、正直レースが始まるまではその2人のサテライトをサポートするっていう目的意識みたいなものは自分の中でかなり薄くて、自分は結構クイントイーストウッドで自分のレースをしたいなっていうふうには、なんとなく自分のために走りたいなっていうふうには思っていて。
1:18:07
サポートします、みたいなことはこんなに意識としてなかったんですよね。
ただ、やっぱり走ってるうちにサクラバさんが少しちょっと弱気な発言をして、それを聞いて、このまま行くと30時間ぐらいでちょっと弱気になり始めて、もうこの先長くないかもしれないっていうようなお話をされていて。
このまま行くと64時間5時間走ろうとしているのは、とても無理だなっていうふうに自分は感じて、そこからこの目の前でこういうふうに少し諦めてしまおうとしているランナーの方がいたら、その人をやっぱり助けるっていうか、
その人を選手としてサポートできる限りするっていうのがやっぱりバックヤードの競技なので、これは一緒に行けるところまで行かないとっていうようなところで、そこで少し一緒に走るっていうようなこと自体をやり始めてっていうような形で。
で、やっぱり自分自身もデッドカウガリーで今年走ったときに、サム・ジェイレン自分で走ったときに、2人のペースが速くて、自分は結構そのパックから置いてかれることがあって、常に単独走で走ってて、単独走で走ると集中力が切れて、自分の走ってるペースが知らず知らずのうちにペース落ちてたりとか、
で、後からその落ちてたペースを巻き直さなきゃいけないっていうようなことをしたりとか、それは体力っていうよりも集中力によるものがすごく大きくて、やっぱり弱ってる状態で孤立しちゃうと、どんどんそれがレースの中でやめる要因になってしまうなっていうのは、デッドカウガリーでもすごく感じていたので、
ちょっと桜庭さんが元気になるまでは一緒に走ろうと思って、常に引っ張るっていうようなことと、後は桜庭さん自身はすごくランナーとして能力の高い方なので、そもそも走る走力とかは自分なんかよりも全然上の方だったので、なんか足はすごいあるとは思うんですよね。1人もものすごい量走られてると思うんで。
たぶん考え方を変えれば、絶対に新しい走り方を何か体得していただけるはずだっていうふうには思って、何かそういう意味では桜庭さん絶対諦めちゃダメですっていうような話をしながら、そもそもゆっくりでも帰れば大丈夫なんでっていうような話をしたりとか、後は自分自身もレースでずっと、
1:21:16
55分、56分とかもう当たり前の中でずっと周回数を回してますっていう話をしたりとか、後はVIXで見たメキシコのロッドの走りとかって本当に最初からずっとギリギリに帰ってきて、それを80何時間でしたっけ、走り続けるっていうのをやってて、そういうエピソードとかも話したりとかして、
で、何か諦めずに行きましょうっていうようなことをやり続け、何かその時に、やっぱりあの30時間ぐらいの時にあのヤバい状態から65時間走れるなんて自分もちょっと想像してなかったんですけども、やっぱり行けた時に、何か諦めなければずっと続けられるんだ、この競技っていうのを自分自身もすごく大きな築きというかになって、
何かどんなに絶望的な状況でも諦めずに、1ループ1ループ、そのジャストワンモアループで周回重ねていくっていうようなことってここまで遠くに行くことができる競技、それが何かやっぱり本質なんだろうなっていうのを何か改めて感じて、
何かそういう意味ではその今回のサテライトチームで走る時に、そういった少し、自分も弱くなった時に何かそういった気持ちで多分気持ちとか走り方で対処できるだろうし、そういう選手を何か拾い上げていくことってできるんじゃないかなっていう気はしていて、何かそういう意味では、
結果的にチームで走るっていうようなことに対してすごくいい経験になったというか、自分の中で考え方ができることみたいなものっていうのが変わったなっていうような何か体験でしたね。ちょっとうまく話せません。
今拾い上げるっていう言葉があって、小松さんってとても今まで何レースも一緒してる中でとても印象的なのは、結構私自身に対してもそうですし、他の弱ってる選手に対してもそうされてるなっていうのが、弱ってる選手に結構寄り添うじゃないですか。
それこそ、別途がわかるように去年のドキュメンタリーの中でも、川道さんのことを夜サポートしながら走って、一緒に世を越えるみたいなのも映ってましたけど、そこのなぜそうするのかとか、そう借り立てるモチベーションというか、ものが何かあるのかなっていうのが気になるんですけど。
1:24:00
そうですね。何なんだろうな。自分自身がそもそもそんなに速いペースで走らないので、落ちたきた選手自体を拾いやすいっていうのは多分あると思うんですよね。
なので、そうなったときに、それもあるだろうし、あとは弱ってる選手と一緒に走ることによって、その選手が少しずつ元気になっていったりとか、一緒に苦しい時間を共有するっていうこと自体に、すごく自分自身、
逆に力をもらえる部分があったりとか、価値を感じるというか、それがバックヤードウルトラの競技を持つ魅力のような気もしていて、
そういう苦しさの中から何かしらの達成することを一緒に共有できるみたいなこととか、そういうのってすごく自分の喜びにもなるし、力にもなるし、そういうのがあるのかもしれないですね。
【佐藤】今回もクイントイーストウッドで、桜庭さん以外にもオーストラリアの選手、何人か一緒に辛そうな時間とか一緒に走ったりとか声かけて、この集会は一緒に行こうよみたいなこととかっていうのを話しながら、一緒に走る選手が他にも何人かいたりとかして、
それも一緒に走っていると、なんとなくその人と繋がりも深くなるような気がしていて、そういう意味ではすごくバックヤードにしかないような、もしかしたらそこに魅力が自分は感じているのかもしれないですね。
ありがとうございます。なんか私自身もそれは感じる部分はありますし、それをでもよりこう体現してるというか、ものすごくやってらっしゃるのが小松さんだなーっていうのは思いますし、実際こう小松さんとレースを一緒に走ると、多分より小松さんのことが好きになるっていうのはどの選手もあるんじゃないかなと。
思うので。ありがとうございます。そのスタイルで次10月のバテライトも日本チームも拾い上げていってほしいという。
そうですね。自分で1周走らなくても他の選手が1周走ればプラスになるので、自分の1周も他の選手の1周も同じだと思うので、拾い上げていくっていうのはそうですね、ちょっとできる限りでやっていきたいなとは思うんですけどね。
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そんな中で今、バテライトの話出ましたけど、実際そこに向けた練習の状況、7月、8月、9月、過去最大に走り込んだっていう話がありましたけど、どんな取り組みをされてきましたか。
そうですね。そもそもちょっと走る総量を増やすっていうようなところは意識してやってまして、ちょっと走る量をものすごく増やしたので、なかなか強度高めの練習っていうのが進めなかったなっていうふうには思っていて、スピードを出したりとかそういうのがほとんどできなかったなって。
それをちょっとやってしまうと怪我しそうだったんで、途中少しやってたんですけど、キロ4ぐらいでのペーストとかを少し入れたりしてたんですけど、ちょっとこれをボリューム積みながらやると自分の今の体の強さだと怪我するなっていう予感があり、一回ちょっと低負荷長時間の練習っていうのを意識しながらやってきたっていうような感じですね。
あとはレッドカー狩り終わった後は少し休みましたけど、この後クリントイストウッドまでまた少し走って距離を積んでクリントイストウッド出て、クリントイストウッドの後はもうほぼ休まずに距離を、練習を踏み続けて、この前の新越合楽っていうようなところで、
そこらへんのクリントイストウッドと新越合楽っていう2つの大きな山を実践形式のポイント練習というか、練習ボリュームと負荷をガツンと大きく積むっていう山にして、それ以外をずっと継続で走り込みを続けるっていうようなところでやってきて、
負荷は非常に高い3ヶ月だったかなというふうには思ってます。それが終わってこれから少し挑戦に入ろうかなというふうに思ってます。
あとは結構その、自分自身ちょっと今回ある程度サトライトはペースを意識して走りたいなと思っていて、なんかやっぱり今までのバックヤードを見ると多少ちょっとペースが上下したりとかっていうようなことがあって、で最後の方はもうテイク飛行っていうような感じになってたので、
ある程度一定のペースで走り続けるっていうことがちょっとできないかなというふうには思っていて、そのバックヤードの走るペースを意識した練習、そのバックヤードで走るペースで日常から走るっていうことを結構量を増やしていて、
それまでは普段、例えばジョグってキロ6とかでジョグをしてたりとかすると思うんですけど、バックヤードで走るのってキロ7分とか7分半とかで自分は走ることが多かったりするので、キロ6とキロ7だとちょっと使う筋肉が違うような気がしていて、
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キロ7で走った時に筋肉がちょっと減たれないように、キロ7で走るっていうこと、量とかをちょっと増やしたりとかしてるようなことは今ここ1ヶ月ちょっとやったりとかしてるような感じですね。筋トレと思ってキロ7で走ってます。
そんな筋トレコツコツされてきたっていうことですけど、7月、8月、9月の走行距離ズバリ。
7月が700ぐらい、8月がクリティストードちょっと出たっていうのもあるんですけども1000ぐらい、9月が700弱っていうような感じですかね。
ありがとうございます。そんな積んできたものがある中で、サテライト意気込み、目標をぜひ伺いたいので。
そうですね。具体的なラップ数みたいなものはどうしようかな。言ってもいいのかな。
自分は100時間ぐらいを目安に走る目標を考えてはいて、ただ当日になってみないとどれぐらい走れるかっていうのはわからない部分もあるので、
レース当日は数字とかを意識せずに1ラップ1ラップを積み重ねるっていうようなことをやっていこうかなっていうふうには思ってます。
あとはやっぱりチーム全体のためにできることっていうのを自分の中で見つけてやっていきたいし、
それはさっきの人をサポートするっていうようなところもあるだろうし、あとは一人でサポートするのではなく、他に余裕がありそうな人がいたときに
一緒にサポートをちょっと、この人一緒にサポートしませんかとか、この人がサポートをちょっとこの時間お願いできますかっていうような声掛けをしたりとかしながら、自分自身がサポートし続けるっていうようなことよりもいろんな人を巻き込んでやったりとか、そんなことはちょっとやっていきたいなとかってあったりとか。
あとは僕ら選手自身に課された責務みたいなものっていうのは、やっぱり全力を出し切るっていうことが責務のような気がしていて、なんかその人が全力を出し切る姿ってやっぱり他の人に力をすごい与えると思うんですよね。
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あとの人にバトンを渡すっていうことが、それはすごいできる気がしていて。そういった意味では、自分がもし最後まで残ることができない場合は、きちっと後の選手にバトンを渡せるような姿を示したいなというふうには思っていて。
そこはもう本当に、中途半端に何か諦めたりとかっていうようなことはせずに、もう全力を尽くして最後まで出し尽くすっていうようなことは、このSATOYA AITOにメンバーとして選ばれた選手の責務としてやりたいなというふうには思ってるような感じですね。
ありがとうございます。そんな中で、チームメンバーが50人を除いて14人いると思うんですけど、注目している選手とか、この人と走るのが楽しみだなっていう人はいますか?
そうですね。走るのは楽しみな選手っていうのは特にいなくて、皆さんと一緒に走るのがすごい楽しみではあるなというふうに思っています。
あと、注目している選手っていうのも、いう意味で言うと、日本人はそこ知れない人が多いなっていう気がしてて、まだそこが見えてないようなバックヤードの選手は多いので、そういう人たちがどこまで行くのかっていうところはすごい楽しみというか。
僕自身、オーストラリアの人たちと接してると、日本人は練習やりすぎみたいな形で、僕の練習量でさえすごい言われてピーキングとかしないのかっていうようなこと言われたりとか。
で、やっぱり彼らの練習メニュー、ストラバでもいろんな人の練習メニュー見てみると、すごくアスリートとして真っ当な積み上げ方をしているというか、理にかなった積み上げ方をしていると思うんですけども。
多分それは、おそらくランニングコーチとかをつけるっていうようなことが普通になっているような文化もあったりとかして、そういった中でランニングコーチが適切なアドバイスをしながら、バックヤードの競技も記録を伸ばし続けてるっていう選手は多いんじゃないかなっていう気がするんだけども。
日本はランニングコーチのつけるとか、そういう文化が多分まだ少なくて、特にバックヤードやってる人たちは自己流でやってる人たちが多くて、その自己流でやってる人たちの自己流のレベルがすごすぎて、そういったものっていうのは多分世界の中でもそこの見えない選手っていうのは一番多いのが日本じゃないかなっていう気がして。
本当に何だろう、谷底から落とされた小さなライオンが這い上がってきたら、その人たちが生き残るみたいな感じで、バックヤードもそういう常識では考えられないような練習の方法であったりとか走り方をしてきた人が結果的にそういう形で選ばれてる選手も結構日本には多いような気がしていて。
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そういう人たちがバックヤード走った時にどこまで記録伸ばせるのかっていうのはすごい楽しみというか、自分自身も想像が全くつかないので、何かそこしらへの可能性を持っているのが日本なんじゃないかなっていう気はしていて。
そういう人たちと一緒に走るっていうのは非常に楽しみですね。
皆さんすごいと思うので。
うんうん、確かに。
小松さんのインタビューの中で拾い上げるって言葉がありましたけど、もう一個は引き出し合うっていう、そこが日本チームとして楽しむところですね。
ありがとうございます。
本当にこのインタビューを通して、小松さんがバックヤードへの思いとか熱量とか、お聞かせいただいたんですけど、バックヤードの魅力、改めてまとめるとしたら、どんなところに魅力を感じていますか。
やっぱり人とのつながりみたいなものがすごく広がっていくっていうのはあるなと思っていて、正直2023年初めて東京大会出たときって、道サルとは少し喋ったけれども、ほとんど選手とレース中喋らなかったんですよね。
一人で黙々と走っていて、2024年もほとんどつながりがなくて参加してたレース当日、ほとんど自分は誰かと一緒にお喋りしながら走るっていうことはなく、一人で黙々と走っていて。
ただ今ってもうバックヤード出たときには、基本的にいろんな人と話をしながら走るっていうスタイルに全く変わっていって、今思い返すとその2024年一緒に走ってたメンバーの中には、岡原さんがいたりとか、ムッキーさんがいたりとか、川道さんがいたりとか、荒友宏さん、トモちゃんがいたりとか、中村さんいたりとか、岩崎さんもそこにいらっしゃったりとか。
今もう本当にバックヤードで強いつながりを持ってる人たちがその中にもたくさんいたりとかして、そういう人たちとやっぱりレース中話してたりとかしたら、またちょっとレースの中の気持ちの持ちようであったりとか、進め方とかっていうのも違って、自分自身2024年の大会はもっと楽しめたんだろうなっていう気持ちもあって。
ただ、丹沢以降のレースって去年の2月以降のレースでは、やっぱりレースの中でいろんな人と知り合ったりとか、いろんな人との結びつきがどんどんレース一緒に走ることによって強くなっていくような感覚っていうのは自分の中であって。
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それがすごくバックヤード終わった後に、いろんな話を一緒に出た選手の中でしたりとか、サポートの人としたりとかっていうようなことがたまらなく楽しい時間帯であったりとかするので、そこの人とのつながりみたいなものっていうのを作れる場所なんだろうなっていう気がしていて、自分はそれがバックヤードがすごい好きな理由ですね。
ありがとうございます。
そんな中でバックヤードもそうですし、ランニング人生いろんな経験をされてきた中で、大切にしている考え方であるとか、なんか座右の銘みたいなものがあればぜひ伺いたいなと思います。
そうですね。私自身は、やっぱ諦めないスタイルっていうのが。何があっても諦めないっていうスタイルで、これからもちょっとやり続けたいなっていうふうには、特にバックヤードに関しては諦めないっていう姿勢を示すというか、諦め。
そこだけはどんなに準備ができなくても、どんなに体のコンディションが悪くても、諦めないっていうこと自体はどんな状況でもできることだと思うので。
決して折れることのない強い気持ちで走り続けるっていうのを、自分は、もうそれが自分のスタイルだなと思っているので、それを大切にしながら、強い気持ちで走りたいなっていうふうに。
河道さんの諦めるにはまだ早いみたいな、その言葉を借りとこうかな。
うん。
河道さんね、ちょっと諦めがちな気がしますけど。
キリマダイラーは魂の足で、最後歩けなくなるまでやってたんで。
そうですね。
諦めるにはまだ早い。
諦めるにはまだ早い。いや、大事な言葉ですね。
ありがとうございます。
では本当にこう、あっという間に2時間近くお話聞いてしまったんですけど、最後ですね、これを聞いている方であるとか、日本代表サテライトへの挑戦を応援いただいている方々へのメッセージもいただきたいです。
いつもバックヤード応援していただいたりとか、見ていただいているみなさんありがとうございます。本当に。
いろんなレース会場とかで声かけていただいたりとか、バックヤード応援してますっていう風に言ってもらえることが、すごい自分自身励みになったりとか、モチベーションになってます。
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2年に1回のこのサテライトの大会ってやっぱりチームで戦うっていうようなところの大会なので、その中で日本人選手がどういう風に協力して、その中でどういうドラマが生まれて、どういう終わり方をするのかっていうようなところって、すごくドラマチックなものになると思うんですよね。
どんな結果になるのであれ。なので、ぜひ現地にもし来れる方がいらっしゃったら、それを現地で見ていただいたりとかもしたい気持ちもありますし、YouTubeなのかInstagramなのか、そういったライブで配信されている内容をSNSからちょっと見れるようであれば、そこから応援していただいたりとかすると、すごくそれは選手の力になるなっていう風に思っているので。
僕ら自身はやっぱりさっきも話した通り、諦めずに最後まで自分の力を出し尽くすっていうセキュリティを持って走らなければならないと思っているので、その姿をぜひ見てもらいたいなという風に思っています。
そうですね。それを見てくれている人が何か感じていただいたりとかっていうようなものがあると、パック野郎っていう競技自体ももっともっといろんな人にこんな競技があるんだとか広がっていくような気がするので、それの一ついい機会にサテライトがなればいいのかなという風には思っていますので、ぜひ皆さま応援のほどよろしくお願いします。
メッセージありがとうございます。では本当に最後の質問です。前のインタビュアーの方々からいただいている質問ですね。一生から揚げと一生ラーメンどっちがいいですか?
一生ラーメンがいいかもね。チキンラーメン。
ありがとうございます。小松ひろと選手でした。ではまた10月17日のサテライト一緒に頑張りましょう。
はい、頑張りましょう。ありがとうございました。
ありがとうございました。
01:44:27

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