1. ラジオ版今日もはまようび
  2. #49 好きなことばかりやってい..
2026-10-22 1:12:31

#49 好きなことばかりやっていていいんですか?

ようちえんのかぞく懇談で話した話を、話せなかった事柄を足して話します。次期要領にある、好きを育み得意を伸ばすにも通じる話です。

感想

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サマリー

浜幼稚園の家族懇談で話した「好きと得意」を起点にした幼児教育について、話し足りなかった考えを語る。子どもが好きなことを選び、とことん取り組める時間・空間・仲間を保障することが、主体的で対話的な学びにつながると説明する。苦手の克服や大人の決めた目標を先に求めるのではなく、ぼーっとすることや無目的に見える遊びも含め、子どもの自由と尊厳を守ることが重要だと述べる。好きなものが幼児期に見つからなくても問題ではなく、他者からのフィードバックや後の人生で自分の得意に気づく可能性があるという。例として、幼少期に明確な目標がなかった伊原友和が、会社の指示で走り始め、後に世界的なトレイルランナーになった経緯を紹介する。教師は一方的に教えるのではなく、環境を整え、子どもと問いを深める伴走者になるべきだと話す。前半では、6.7キロを毎時走り続けるバックヤードウルトラの国別対抗戦にも触れ、日本が終盤まで残り3位だった過酷なレースを振り返る。最後に、好きなことばかりしていて大丈夫かという問いに、幼少期はまずそれで大丈夫だと答え、自由な遊びと豊かな体験を支える大人の役割を確認する。

近況とバックヤードウルトラの過酷さ
ラジオ版、今日もはまようび。 私になる僕になる、くんのも走る人生。
この番組ははまようちえんの62歳のチーフディレクターでトレイルランナーのハタが、
幼児教育とランニングに満ちた毎日の中で、
今語りたいと思ったことを気軽にお話しする番組です。
僕の経験や考え、そしてささやかな挑戦が、
聞いてくださる誰かの心に少しでも響いてくれたらいいなと思ってお届けします。
どうぞあれこれしながらお気軽にお聞きください。
10月22日木曜日時刻は18時39分です。
今晩はお疲れ、今日もお疲れ様です。
ずいぶん長い間が空いてしまいました。
1ヶ月以上空いてしまいました。
9月19日のイタリアクールマユールの現場からお届けした放送からずいぶん経ってしまいました。
なんかあの放送はちょっと途切れてないですかね。
僕は聞くと途切れてたり、なんか無音のところがあったりする。
だけど文字起こしはされているんですよね。
何だろうなと思って、別に自分の誰々を話しているだけなので聞いていてもいいかなと思うので、
そのままにしているんですけど、皆さんいかがお過ごしでしょうか。
この間朝晩は涼しくなってきましたけど、
日中はまだ30度近いあるいは超えそうな日もあって暑いですけど、
体調は皆さん大丈夫でしょうか。
インフルエンザも少し前ちょろっと幼稚園に入るかなと思ってちょっとゾワゾワとしたんですけど、
また落ち着いてきましたね。
でもこれは波を何度も繰り返すんだろうなと思っていますので、
皆さんも手洗いうがい予防に努めてください。
僕も今日もちょっとくしゃみがすごく出るので、
この放送しようかな、どうしようかなと思って。
鼻も出るのでちょっと鼻炎なんですね。
鼻炎持病持ちなので、
季節の代わりには喉が痛くなったり、くしゃみが出たり、鼻水が出たり、
鼻水はこれからずっと出続けるんですけど、そういう悩みがあるのですが、
走っていてね、トレイル走っていて、手鼻を噛むのは僕ぐらいかなという、
僕の前後で走っている人たちでそんなにいないんですけど、
海外のレース行くといるんですけど、
日本でそんなに手鼻を噛む人はあまり見たことがないので、
ちょっと申し訳ないな、周りの人に申し訳ないな、
気分悪いだろうなと思いながら、
でも僕も鼻がずるずる出てくるので、噛んで走っているんですけど、
前、友人と話していたときに、
手鼻が噛まれへんという人たちが多くて、
そんなに難しいものかなと思うんですけど、
皆さん手鼻は噛まないよね。噛まないか。
普通噛まないですかね。
でも手鼻って別にティッシュやハンカチで鼻を噛むときに、
片方の鼻の穴を塞いで、
シュンと吐き出す、吹き出すだけの話なので、
それでティッシュやハンカチに噛まずに飛ばすんですけど、
そういう行儀悪いことを山の中でやっています。
山の中だけではないな。
走っているときにやっています。
ということで、風邪など十分気をつけたいと思います。
時々インフルエンザもかかるので気をつけたいと思うんですけど、
去年は全然体調を崩さなかったんですけどね。
この1ヶ月、トルデジャンのことをずっと考えていて、
デスクの横にずっとトルデジャンの地図を広げて、
どうやったら次、完走できるかなというのを考えていたりしているんですけど、
1年あっという間ですからね。
できることやれることを精一杯やっていくということで、
頑張りたいと思います。
まずは抽選に通らないといけないんですけど、
トルデジャンに出るためには。
抽選で落ちたとしても、
今年出たトットドレットを再挑戦するだけなので、
抽選に落ちてもまだまだチャンスはあると思っているんですけど、
年々体力が落ちていく、パフォーマンスが落ちていく、
その落ち度と練習を積み重ねていく積み上げと、
落ちていく体力と積み上げていく練習の傾向ですね。
それをどう練習の成果が勝るようになるかというところが、
ポイントになると思うんですけど。
先週の土曜日から、
また忘れました。
ラストサムライというレースですね。
バックヤードウルトラです。
バックヤードウルトラというレースが、
先週の土曜日から始まって、
今朝終わったんですね。
土・日・月・火・今日・水・木。
土・日・月・火・水・木ですね。
なんと、そのレースは、
持ちタイム1時間の中で6.7キロ走る。
それを永遠と、その1時間で走れなくなるまで走り続けるというレースで、
つまり毎時0分にスタートするのですけど、
例えば45分で帰ってきたら、
6.7キロを45分で帰ってきたら、
15分休めるんですね。
次の0分でスタートしないといけないので、
その15分の間にご飯食べて、寝て、
トイレに行ってという、
そういう最低限の営みを
こなさないといけないんですね。
それを延々と繰り返す。
繰り返せなくなったら終わりみたいな。
それの通常は、
個人と個人の戦いらしいんですけど、
僕もこのレースを、
名前は知っていたんですけど、
見たのは、追いかけたのは初めてで、
それも井吹の近藤さんが、
たった2人でずっとライブ配信してくれたおかげで、
先週の土曜日からずっとライブ配信を追いかけていたのですけど、
それで知ることができて、
今回はバックヤードウルトラ、
国別対抗世界選手権みたいなレースで、
特別らしくて、
世界67カ国がエントリーして、
それぞれ15人のメンバーが必要で、
その15人のメンバーのうち、
最後の2人が残って、
最後の1人が、
その1時間でスタートできなかったら、
もう次の1週残った人も、
次で終わり、
というルールだったんですね。
結局、日本は、
結局最終どうなったのか、
分かっていないんですけど、
今朝、日本選手は15人のうち2人残っていたんですけど、
昨日からかな、
昨日から2人残って走っていたんですけど、
今朝6時ぐらいに、
1人が動けなくなって、
1人が動けなくなって、
コース上で、
そこでもう次の人は、
1週終わっていたんですけども、
もう走れない、
ルール上走れないということで、
フィニッシュになったんですね。
その時点で日本は3位だったんですけども、
オーストラリア、アメリカ、日本かな、
オーストラリア、アメリカ、日本、
あとベルギーがいて、
ベルギーが追い上げていたので、
その時点でベルギーはまだ走っていたので、
ベルギーが追いつくかっていうところだったみたいですけど、
世界同時スタートで、
その4カ国が最後まで残っていて、
日本が3位だったんですけども、
その4カ国のうちの最初に終わったということでした。
本当に過酷な、
肉体、体力、精神力、気力、
全ての限界に挑戦するレースで、
本当に苦しい戦いですね、自分との。
チーム戦なので、
自分が辞めたいと思った時点から、
またチームのために動き続けるというような、
精神力も求められるような感じですね。
ちょっと僕には考えられないですけど、
今この時点で。
でも一番年いっている人で、
58歳ぐらいかな。
60歳ちょっと手前の人。
僕より4つぐらい下の人が、
一番最年長で出ていたみたいですけど。
ウルトラランナーという人たち。
山は走らないことはないと思いますけども、
主戦場はウルトラランニング。
100キロとか24時間走とか、
そういう100キロとか200キロとか24時間走とか、
そういうあんまり山の中を走らない、
ロードを走る、ひたすら長く早く走るという人たちが
主だったようです。
壮絶な最後、戦いを見せていただきましたけど、
またウルトラトレイルとはまた違う世界でしたね。
ルールがそういうルールで周回していく。
6.7キロのコースを周回していくというレースだったので、
全然違いました。
よければバックヤードウルトラ、
YouTubeで全日のビデオが
多分見られると思うので、
ずっと見るのももちろんいいんですけど、
選手が帰ってくるのは毎時45分くらいから、
そこまで針を進めて、
スタートする時間までにいろんな用意をしたり、
次の用意をしたり、そういうピットインですね。
ピットインするので、
スタートするのを見るというのもいいかもしれない。
定点で走っている姿は見れるんですね。
このレースは
伴走してはいけないというルールがあるので、
カメラマンも伴走できないので、
定点でシュッとカメラの前を行き過ぎる姿を
撮るだけなので、
だからずっと逆に見ていても
何も写っていないという時間帯も多いので、
もう今録画だから、
その時間にずっと飛ばして、
毎時毎時のその45分くらいから
飛ばしていってみたらだいたいわかる。
ただ100何周しているので、
結局700キロ走っているんですよ。
日本選手の2人は700キロ。
ちょっと考えられないですね。
よく聞かれるんですけど、100マイルでも。
ここからどこまでですかと言われますけど、
700キロって言ったら
ここから東京を越えていますよね。
軽く越えている。
軽く越えていて、
どこまで行っているのかわからない。
どこまでだろう。
福島ぐらい。
どこまでだろう。
それをずっと走っているんですよ。
昔の人はね、
馬か自分の足かしかないので、
佐賀急便の人たち。
人たちって言っちゃうわ。
佐賀急便のキャラクター、
キャラクター、飛脚の人ね。
あの人たち、それでもそんな700キロも
運ばないやろ、一人でみたいなのはありますよね。
それは繋いでいくとかね、
中継点があったりとかあると思うんで。
一人でどれくらい走ったんでしょうね、
あの頃、飛脚の人たち。
東海道とか大阪から江戸まで
よくあるじゃないですかね。
戦国時代も。
伝令というか手紙を渡すという。
ああいう人らは700キロは
なかなか走らないと思うんですけど、
すごいですね。
本当に慶幸します。
本当に人間ってすごいなって思いますね。
この1ヶ月にあったこと、
いろいろあるんですけど、
本当にいろいろあるんですけど、
あまり深くは話せないことも多いし、
ですけど、本当にいろいろあります。
家族懇談から考える「好きと得意」
今日はですね、
はまようちえんのクラス懇談、
家族懇談ですね。
家族懇談でお話したことで、
ちょっと話し足りなかった点があったので、
話したことと合わせて
話し足りなかった部分も
ちょっとお話ししようかな。
自分のためにも
ちょっと話して残しておこうかな
というふうに思っています。
自分のためというか浜幼のためですね。
残しておきたいなと思います。
テーマとしては、
好きと得意です、今日は。
はまようちえんは常々子どもたちに
好きなことを選んで決めて、
自分で選んで決めて、
で、とことんやってほしいという
思いがあります。
プレイワイルド、グロウフリー、
そして自由に育つということですね。
そうしてほしいなと言っているところ、
次期教育要領、
日本の学習指導要領、小学校、
幼稚園、小学校、中学校が、
中学校までかな。
小学校までかな。
初等教育って。
そんなことも分かってないのが
ちょっとけしからんですけど、
小学校までが初等教育でいいのかな。
で、そこで同じように、
例は10年から、
来年からかな。
新しい要領が出るんですけども、
そこに好きを育み得意を伸ばす
というフレーズが入ったんですね。
今まで主体的、対話的で
深い学びっていうのを
やっていきましょう。
子どもたちにこれから
そのような学びの機会を創出して、
そしてそういう力を使う。
主体的に学び、
対話的に学ぶ。
で、深く学ぶということ。
そういう力をつけていきましょう。
それが人間性を育んでいくことになる。
これからの時代にということで。
10年それを掲げてきたのですけども、
与えられた課題の中で
答えのあるものを
自分一人で考えて、
いわゆるテスト、ペーパーテストですよね。
ペーパーテストに自分が考えて、
一人で考えて、
答案用紙に答えを書いて、
順位付けされるというか評価される。
そういうようなスタイルは
今の学びを実現しようとした時に、
その方法では立ち行かなくなってきている
ということ。
逆かもしれないけど、
これから対話というのが、
それもとんでもないところから
好きな学びとAIにはできない発想
とんでもないアイデア。
AIというのは、これまで考えた、
人間が考えた膨大な思考の蓄積から、
こう来たらこう答える
ということができるコンピューターですけど、
そういうテクノロジーですけど、
人間は今まで蓄積していないところから、
自分のアイデアや意見や考えや思いを
出せるんですよね。
そこが人間にしかできないことだし、
今までのデータベースから
引き出すんじゃなくて、
よく僕たちも降りてくるという
言い方をしますけど、
今僕の生活の中でいうと、
毎月書いているコラム。
コラムは浜洋の企業広告だと
言っていますけども、
あれで何を書くかというテーマ。
まずテーマを決めるのに、
今月何を書こうかなというのを
ずっと考え続けているんですけど、
毎月ね。
ふっと降りてくるんですよね。
これを書こうというふうに
降りてくるというのを待つんですけど、
それは今まで何を書いてきたかとか、
この4月から何を書いてきたかという
データベースを蓄積して
出されるようなものではないんですね。
感覚の中から出てくるものなので、
だからコラムは
AIに任せられないんですよ。
何月のコラムを書いてくれと言ったら、
本当にありきたりの、
そういうことをして遊ぶことも
もちろんありますよ。
でやったけど、
本当にありきたりの
面白くない、
今までの継ぎ接ぎみたいな
書いたことの継ぎ接ぎみたいなことで
仕上げてきようなんですけど、
そんなこと言いたいんちゃうよな、
みたいな。
で、あかんって
AIにダメ出しするんですけど。
苦手の克服より好きなことを起点にする
何を言おうとしているのかというと、
好きを育み得意を伸ばす。
そういう子どもたちがまず
学びに向かうときに
主体的になること、
対話的になる前に、
それのテーマですよね。
要するに。
好きなことをやったら
主体的になったり、
対話的に探求したりとか
できるっていうか、
好きなことしかできない人も
多いんちゃうかな。
好きなことを育み得意を伸ばす。
なんか今まで、
昭和?
根性論みたいな。
できないことを努力して
できるようになれとか。
みんなができてんねんから
お前も頑張れとか。
できて当たり前とか。
できたものが良い子で、
できない子はそうでないとか。
とにかくできるように頑張る。
与えられた課題を。
好きとか嫌いとかちゃうやん。
僕らはなんで勉強せなあかんのとか。
勉強好きじゃないねんけど。
好きとか嫌いとか
なんでとか違う。
生徒は、小学生は、中学生は
勉強するのがお前らの役目や。
っていうふうに
言われてきたわけですね。
そんな言い方されてなく
勉強ができた人も
いっぱいいると思いますけど
僕の周りにもいっぱいいますけど
逆にいっぱいいるというか
僕ぐらいしかそんなこと
言ってないかもしれない。
なんのために勉強せなあかんのとか。
勉強好きじゃないとかっていう人。
僕の地元には仲間
地元の仲間たちはね。
友達とかは中にはもちろんいたけど。
今僕の周りにそんな人って
あんまりいないんですよ。
だってそういうふうに
勉強できた人たちが
要するに教員になったり
園長先生になったりしてるんですよね。
もちろんそういう。
勉強できなかったとか
勉強が好きじゃないとかっていう人は
そもそも大学行けないので
これまでのシステムではね。
だから教員になれるわけがないし
園長になれるわけがないし
理事長になれるわけない。
そんなになれるわけないですよね。
当たり前。
そういうのは当たり前なので。
そういう世界で学生時代を送って
じゃあそういう世界で
学生時代を送って
勉強できなくて
なんのためにこれやらなあかんねんって
文句ばっかり言ってたり
今日も保護者と話してて
最近へりくつばっかり言うんですよねって
へりくつ上等じゃないですかって
僕はお母さんを励ましたというか
こうしたんですけど
5歳になって
4歳かな彼は
4歳でへりくつばっかり言うっていうのは
素晴らしいじゃないですか
へりくつ言えるってすごいですよねみたいな
僕もへりくつばっかり
へりくつ言うなっていつも言われてた
親から
へりくつ言うなって言われるんですよね
へりくつを
へりくつ言うなって
幼少
っていうか
へりくつ言うのは
へーな人じゃないな
それは言い過ぎ
若いからじゃないですか
若いからというか
青いからですよね
幼少期ですよね
幼少期の人が
へりくつ言って
なんでへりくつ言うなって言われる
そこから
へりくつから
へが取れて
理屈が形成されていくんですよ
体験的に
その理屈を覚える前に
へりくつが自分の中に立ち上がる
そのへりくつを言うと
へりくつ言うなという
最悪
そういう大人は
僕の
その幼少期は
最悪な大人ばかりだったんですけど
そんな中で
過ごしてきたからと言って
極悪で最低な大人になるかと言ったら
そうとも言えないんですよね
そんなことを知ってか知らずか
研究してきたのか
データを取ったのかわからないけど
どうだろう
やっぱり好きなこととか
得意なことから始めないと
人の学びって動けへんよねって
やっぱり起動しないよねって
というのが
一種の真理みたいなのは
そこは今の時代
やっぱり避けて通られへんよなと
問答無用で
君たちは勉強するのが仕事ですから
勉強してくださいと
はい 対話してください
何 主体的に対話してください
深く学びましょうとか言って
はい 分かりましたと主体的に
そもそも子どもたちも
もうそんなことで騙されないですよね
だって大人がそんな
いいモデル見せてないもんね
今もヨーロッパで暴動起きてます
ヨーロッパじゃないわ 言い過ぎ
パリとミラノで暴動が
報道されてますけど
僕もちょろっと
インスタ インスタ開いたら
その投稿がいっぱい出てくるんですけど
日本でもいっぱいありますよね
いろんな問題
そうやってモデルになる大人がいなくて
学校の中にももしかしたら
いないかもしれない
僕の場合はいなかったですね
学校の中にモデルになる大人はいなかったです
本当にこのままそれを放置して
でもお前らは学ぶべきだとか言いながら
これをカリキュラム通りに学べとか言って
こんなやり方してても
どんどん学びから逃避する
逃避するばかりなので
これでは日本の子どもたち
日本の国 この後
やっぱり成り立たないな
ということにようやく気づいたのかもしれない
だから好きな
子どもたちが好きになるような
学びのスイッチが入るような
好きになるような仕掛け 仕組みを作るという
端的に言うと授業改革とかですよね
そういったそれぞれの好きを育んで
得意を伸ばす方向から
主体的 対話的で深い学びというのを
やっていこうというふうに
変わっていったんですよね
はまようちえんもそれを
25年前から言っているので
10年ぐらい前から
小学校は幼稚園に近づいてきますよ
対話するということに近づいてきますよと
言い続けてきましたけど
この好きと得意を伸ばすということも
別に僕らが
はまようちえんだけが言っているわけではないけど
いっぱい言っているわけですよ そんな
できないこと 苦手を克服することで
喜ぶような
誰が喜ぶの
苦手を克服して
時々YouTubeで見ます
YouTubeやSNS見るけど
飛べなかった 飛べなかった
飛びは努力して 努力して 努力して
やっと飛べた みんなが頑張れ 頑張れって言って
やっと飛べたって言って
みんなが泣いているっていう 飛べて
楽しいね それ 毎日幼稚園に来るの
楽しいかと思うんですけどね 本当に
また今日も飛ばないといけない
今日も飛べないかもしれない
って思いながら幼稚園に来るのは
それは何のためなの その子って思うんですよね
時間と環境が子どもの自由を育てる
毎日毎日好きなことを
やるから
明日も幼稚園に行きたいなとか
生きてて楽しいな
その生きてて楽しいなとか 言いませんけど
生きてて楽しいなって思える
刷り込まれるんですよね
体の中に刷り込んでいくんですよ
生きてたら面白いこと いっぱいあるなとか
昨日こうやったけど 今日こないなったわとか
これどうなっているんだろうとか
そういうことを
もう毎日発見 毎日驚き
毎日新しい出会い
それは自分の興味 関心を持ったものに
迎えるという
時間 空間 仲間が
保障されているということが大事
要するに環境が 整っているということですけど
そういう環境を整えるのが
幼児教育の仕事なんですよね
それは幼稚園教育要領に これまで書かれているんですよ
環境を整えるのが 大人の仕事って書いているんだから
どんな環境を整えるんですかって言ったら
今言った環境です
子どもが好きなことや 得意なことを見つけられるような
さまざまな仕掛け 素材 人 時間 物がある環境ですよ
その中でも 以前も言ったと思いますけど
一番大事なのは何でしょう
やっぱり時間なんですよ
ある程度あるという前提で
なくてもいいのか
でも空間は何もなく
極論で言うと
どんな炎帝
しょうもない炎帝であっても
うちの最初の頃のような
面白みのない炎帝であっても
時間さえあれば そこから子どもたち
時間さえ
子どもだけではない
やっぱりそこに大人の関わりがいるけど
時間があれば
そこから何となく面白みを見つけ出す
時間さえあれば
じっくり炎帝の隅から隅までも
調べて虫探してみたいな
虫が見つかったとか
というところとか
極論ですよ それは
極論ですけど
好きなことばかりで大丈夫なのか
そうやって毎日
それで好きなことが見つけられない子は
どうするんですか
その前に好きなことばっかりやっていて
大丈夫なんですかということですけど
だから嫌いなことさせて
面白い 楽しいですか
以前お父さんから
今日話したことですけど
お父さんが世の中に出たら
好きなことだけじゃなくて
嫌いな人とも付き合わなくちゃいけないし
嫌いな仕事もしないといけないんですよ
じゃあ世の中に出たときに
そうやって嫌いなことに
ぶつかったりしたら
すぐにやめてもいいということですか
嫌いなことにぶつかって
挫折する人間でいいということですか
とか言われたことがあるんですよ
何その飛躍と思ったんですけど
大人になってからって
何でその大人になってからのことを持ち出す
大人になるまでに
この幼児期からいきなり大人になるのか
幼児期にたっぷり好きなことばっかりして
満たされた心を持って
まず小学校に入ったときに
好きなことばっかりできない
当たり前のように
時間割が決められて
浜洋は幼稚園にいるときは
時間割なんかないし
自分がここにいたくなければ
どこに行ってもいいし
園内ね
園内どこに行ってもいいし
ご飯の時間に食べたくなかったら
時間じゃない時間に食べれるし
場所も変えれるし 自分で
そのようにして
自分がこうしたいということを
認められる 基本的に
否定されない
いやいや 今ご飯食べる時間やから
あなたはここに
絶対いなければなりませんって言われて
お部屋の鍵閉めますねって鍵閉めて
あなたが出ていかないように
みんなで ほらご飯食べると
おいしいでしょ 楽しいでしょと
押しつけられて
そんなん楽しいかおいしいか
というところですよね
楽しい幼少期を過ごした人は
楽しさとか面白さとか
どうしたら面白くなるかとか
どうしたら楽しくなるかとか
そのことについて
体に 血肉に染み込んでいるので
多少困難があったとしても
困難を乗り越える
この困難をどうやったら
面白くできるかなとか
どうやったら乗り越えるかなと
いうのを考えると
僕は思っています
だってそれを乗り込んで先に
楽しさが待っていると思えば
頑張れるんちゃうかなと思うし
嫌いなことはしませんと
言ったとって
好きなことがあるもん 他に
という気持ちがあったり
得意なことがあるし
というのがあったり
それだけじゃあかんから
嫌いなこととか
できないことをできるようになる
経験も大事でしょとかいうのは
僕はそうじゃないと思います
まずできること 好きなこと
得意なことを存分に見つける
もう一つ言うと それでいいかな
好きなことばっかりやっていても
大丈夫なんですかということは
大丈夫ですって
僕はいろんなことに対して
断言することはしたくないし
するつもりはないんですけれども
この好きなことばっかりしていて
大丈夫ですかという
これだけは断言
あえてしてます
するようにしている
なぜなら ここをしたほうがいい
好きなことをしたほうが
いいと思うんですよねとか言うと
やっぱり聞いている側も揺れるから
保護者も揺れるし
やっぱりそんな
思うぐらいのことなんやって
言ったら本当じゃないなと
思われると嫌だから
いろんなことを子どもに貸す
ハードルを上げるということを
してほしくないから
だから好きなことばっかりしてほしい
今度の小学校も
好きや得意を起点に
学びが生まれるというふうに
やっているんですよ
好きなことを伸ばそうと思うのは
自分自身ですから
大人が伸ばそうとするわけではないです
大人は環境を用意する
その中で子どもが
興味を持ったことに対して
ふんふん何々面白いやんって
こうしたらどうなるやろうなという
ちょっとチャチャ入れたりとかしながら
一緒になって
共にある仲間として
学びを深めていくんですよね
教師の仕事は
教師っていう
だから教える師
マスターっていう名前は
もう変えたほうがいいと思いますね
だから教師っていう単語が悪い
教えるとか
それは一部ですから
学びの教えるというのは
教授するというのが
学びの一部です
これからだからファシリテーション
ああかなこうかなって
どうやろうなこれ
先生も分からへんけど
ちょっと調べてみる
何で調べたらいいと思う
何を調べるまず
何で調べる
なぜ調べる
それを調べて
何を明らかにしたい
知りたいとか
そういうことをやりとりの中で
それが対話でしょ
そういうことをやりとりの中で
授業の中でどんどんやっていこうという
流れに
これからなっていくということですね
そういう話を
今日したのですね
もう一つの方向は
見つからない好きも否定しない
じゃあ好きなもの見つけられへんかった子は
どうするんですかみたいな
好きなことを見つけられたら
いいなって言ってるけど
見つけましょうとか
見つけるのが目的ですとか
見つけるのが目標ですとか
言ってないですよね
言ってないですよ
好きなことがある毎日にしたいよねって
好きなこと見つけてほしい
だからそのための素材
環境は豊かに揃えてるけど
この中でもしかしたら
好きなもの見つからないかもしれないけど
得意なものも見つからない可能性だってある
だけどそんなことで
悲観する必要はないですよ
幼少期に
まだ自分が何者かも分からないようなときに
これだけたくさんの体験を
用意している幼稚園であっても
体験 未体験
体験させられてないことって
たくさんあるわけですよ
それ以上にある 世の中には
何百とある
それは幼稚園時代に
それでも好きなものを
見つけられる時間があることが
大事なんですよ
見つけられたかどうかっていうのは
大事じゃないです
見つけられるといいなと
僕らは願いながら環境を用意して
時間を用意しているんですね
これはどう あれはどう
じゃあほったらかしいですかと
言われるんですけど
これはどう あれはどう
これやってみえないとか
いう声かけや促しは
しょっちゅうやっています
だけど選ぶのは子どもたちですね
最終的に幼稚園の間で
好きなもの見つからなかった
だけどそれに出会う可能性のある
時間はたっぷり用意しています
その中で本人が自覚している
好きなことじゃないことが
体の中にたまっていっていると
思います
好きっていう概念さえも
分かんないでいいと思うんですね
後々大人になってから
私って幼稚園の頃
これが好きやったんちゃうかなっていうのが
後で事後的に分かるっていう
それでいいんじゃないかなと
思っています
いやもっと言うと
幼稚園のとき好きなものはなかった
やりたいことはなかった
あんだけ自由に
でも自由に過ごしたっていうこと
そういう自由に過ごした時間というのは
たっぷりあって
ぼーっとする時間があった
もしかするとぼーっとする時間が
好きやったかもしれないとか
それはあかんのですか
ぼーっとする時間が好きっていうのは
ぼーっとする時間で
空想をしているとか
何も形になることだけが見えやすい
ダンスが好きとか
野球が好きとか
作家が好きとか
絵が好きとか
音楽が好きとか
そういう評価できる
評価可能な目に見えるもの
それを好きと思えなくちゃだめなんですか
それはなぜですかと聞きたいですね 僕は
ぼーっとすることが好きとか
空を見ているのが好きとか
友達を見ているのが好きとか
そんなのではだめなんですか
幼少期に
それが僕は
いろんな力を育てたいと思うんですけれども
一番育てたいなと思うのは
観察力を育てたい
好奇心というのは育つものなんですよね
観察力というのも
なかなか難しい 育てるの
でも育ってほしいなと思うのは観察力
見る力ですね
そのときにいつも目まぐるしく動いていると
観察力ってそんなに
磨かれないんじゃないかなとも思うので
幼稚園に行って
ぼーっとしてばっかりおるな この子みたいな
保護者の方 親が思ったとしたら
よく世界を見ている
これは何 今は世界を見て
インプットしている真っ最中
それが好きなんじゃないですか
それがやがて何に変わるかということに期待して
見守りませんか
じゃあだめなんですかね
僕はそう言いたいですね
今 結果出ることは大事ではないと思う
その幼児期に自由に
自分の時間を使えるということ
それが保障されているということ
ぼーっとする自由
没頭する自由
チャレンジする自由
チャレンジしない自由
そういう自分が選択できる自由というのを
守られた子どもたちは
僕は大人になっても
他者の自由を尊重するし
コミュニティの自由を尊重するし
自分の意見を押し付けたりとか
すぐに断定的に物を言ったりとか
すぐに分かったふりするとか
そんなことをして
何か優位に立とうとしたりとか
そういうことにはならないから
いい感じになっちゃうかなと思うんですけどね
成果を求める
常にトップレベルでいるとか
何かができるとかいうことを
求め続けていると
本当に大人になってから
大人になったら
いろいろコミュニケーションとか
人との間を取るとか
よく観察して
振る舞いを自分で決めるとか
そういうことに
すごく差が出てくると思うんですね
そんなときに
子どものときボーッとしていたけど
すごく大人になってから
思いやりがあったりとか
よく気が付くとか
なる人になるんちゃうかなとか
人と人の間の機微を
察知する力があるとか
そういうふうに思うんです
僕はそんなに
人間じゃなかったけどね
好きなことが見つかるとか
できるとか分かるとか
得意があるとかっていうことを
それも結果ですから
結果を求めるんじゃなくて
そういうものを
見つけられる時間があるっていう
その時間そのものに
幼児教育や幼少期の学びが
あると思うんですね
その時間を保障することが
一番大事じゃないかな
だけど何も放置しているわけじゃない
環境を整えるということね
それをしておくっていうことが
大事なんだろうなと
それが生きる力や希望や
持続的に楽しみを追い続ける
追い続けるというとまたあれか
なんか自己肯定感
否定されない
ぼーっとしていても否定されない
あれさえこれさえと言われない
時間がたっぷりある
それだけじゃあかんから
はまようちえんの場合は生活ですよね
生活の部分では
やるべきことをやろうぜって
みんなで生活しているんだから
勝つことはあるんですよね
そういう課題ね
やるべきことっていう
それがやっていなかったら
それはちょっと土台なんて
そういう自由
やらない生活に関しては
やらない自由っていうのは
誰が認めるのといったら
仲間が認めるかどうかですよね
で生活の中で
例えば今日もありましたけど
自由な遊びの中では
割と目立たなくて
割とぼーっとしているとは言わないけど
ゆったりして
主張が少ない子かなと思う人が
生活の場面では
リーダーシップをとって
自主的に動いて掃除したりとか
片付けたりとかするっていう
報告を今日受けて
意外やねえって
そういうことあるんですよ
それはじゃあ
掃除が好きかって言ったら
好きって言うかな
何が好きですかって言って
子どもに
幼児期の子どもに
何が好きですかって
掃除が好きですって言って
言うかなそれ
言わないのちゃうかなと思うんですよね
でも多分掃除は好き
綺麗になることが好きなのか
やる行為そのものが好きなのかは
分からないけど
そういうことを
アマヨチェーンでは
いいところ眼鏡で
友達からフィードバックを
もらう機会があるんですね
仕組みがあるんですよ
何々ちゃんは掃除をいつもやっていた
っていうフィードバックをもらえる
事実と
他者は見てくれているので
そういう他者からのフィードバックを
もらうことによって
自分をメタ認知できて
私掃除ずっとやってたな
そうやな
言われてみればそうやな
私掃除好きなんかなみたいな
他者のフィードバックから
自分の好きが見つかるみたいなことも
ありますよね
そういうことなので
とにかく好き 得意っていうのを
他者に満たされる
用事期であってほしいし
彼らを好きって思う人たちが
周りにいることが
大事だと思っているし
本当に今となっては
本当に僕は子どもたちが
面白いな
本当に好きやなと思いますけど
好きやなっていうのは
ちょっと皆さんとは違う
好きですね
子どもが好きっていうのとは
ちょっと違うんですね
存在の面白さというか
が好きですね
好きとか得意とかっていうのが
見つけられなくてもいいっていう話の
一つのエピソードは
これは浜洋の人は
聞いてる人も多いと思いますけども
伊原友和の転機と肯定される体験
トレイランナー プロトレイランナーの
伊原友和さん 友さんね
去年お話たっぷりお聞きしましたけども
友さんは今
日本を代表するトレイランナーというか
世界中に一目置かれる
世界中のトレイランナーから
一目置かれる日本の友なんですけど
冒頭にご紹介した
バックヤードウルトラっていうレースは
友さんがアメリカで体験して
仕入れてきて
日本で主催しているレースなんですね
だそうです
僕も今回初めて
おぼろげにしか分かってなかったんですけど
やっぱりそうなんやと思った
分かったんですけど
その友さんが
昨年浜洋の対談というか
インタビューで明らかになりましたけど
30代半ばまで
自分は幼少期は何も好きなこととか
明確になかったし
目標というのを持って生きたことなかった
という話をしてくれましたよね
30代半ばまで
走り始めたきっかけが
会社から命令された
お前メタボやから
体重増えすぎやから
このトレードミルで走って
我が社のトレードミルで走って
お前がどれだけ走ったら
どれぐらい体重が減るか
ほら健康にいいですよねみたいな
そういう人体実験になれ
そういうサンプルになれと言われて
仕方なく走り始めたというのが
きっかけですからね
人生どこで何が変わるか
分からないんですよ
今やプロトレイルランナーとして
僕は2019年から
お付き合いさせてもらって
僕のコーチとして
お付き合いさせてもらってますけど
いつ何に夢中になるか
分からないです 人は
何にハマるか分からないですよね
だけど友さんの話
幼少期の話も聞いていて
どんな幼少期でしたかと聞いたときに
人を驚かせるのが好きな子供時代でした
例えばそこに
僕はそれにもっと言うと
その人を驚かせることを好きな
伊原智一少年のことを
みんなが受容してた
認めてた 否定してなかったと思う
何の取り柄もないのにお前さ
人を驚かせるとかっていうことだけで
お前そんな飯食っていかないぞみたいなことを
言いがちな大人っているから
そういうことを言う人が
友さんの周りにいなかったんだと思いますね
そういう友さんのことを面白がって
周りが見ていたんじゃないかなと思います
ずっと沈んでいたものを
そのきっかけ
たったそれだけのきっかけで
生涯に渡る
自分の人生180度変わって
1メタボサラリーマンから
世界に認知される
日本のプロトレイルランナーになったんですよ
別にこの話をすると
そういう立派な
世界的に認知される人間になるということを
目指しているというか
その可能性について話しているように
聞かれるのも嫌なんですけど
別にそんな大それたことが
みんなができるとか
みんなの可能性があるよと
言いたいことでもないですけど
要するに
いつ何が起こるか分からないから
幼少期は
やりたくないことをやらせたりとか
否定したりとか
子どものやっていることを否定したりとか
ダメ出しをしてほしくないということですね
おもろいなと
さっき言いましたけど
へりくつ言うやつに
はあ そんなふうに思う
おもろいなというのを
へりくつ言うなと言って
言うなと言いたい
おもろい理屈やなそれって
何でそう思うということを
子どもに問いかけてほしいなと
思うんですよね
それいうことは
友さんのその話を
今日言いそびれていたので
今日言っておかないとなと
今今日話したところなので
無目的な遊びと子どもの尊厳
それから何でもね
意味づけする
大人はすぐ意味づけしようとする
子どもの行為に意味づけしようとする
ということもあんまりせんほうがいい
というふうなことを
言いましたかね
行為の意味
やっていることの意味とか
だから無目的な遊びと
言うんですけど
幼児期の子どもの遊びで
無目的にただやっている
ただ繰り返し水をすくって
コップに入れているという
バケツに入れているとか
という遊び
その心情とか
何に面白いなと思っているのか
というのは
はかり知れないじゃないですか
本当のことはね
子どもの中で何が起きているのか
でもそこに面白さ
何の面白さを感じている
音なのか
水の落ちる音なのかもしれないし
水がどれくらいたまるかなとか
考えているのかもしれないし
何か分からないですよ
そういうことを
繰り返し繰り返しやる
ひたすらひたすら遊びと
言うんですけど
浜陽では
そういうことができる時間
保証されていることが
大事ですよね
そういうことを
言いたかったんですね
伝わったらいいなと思うのですけど
無意味に見える行為
無目的に見える遊び
無目標に見える生き様
それに
友さんは無目標に生きている
30代半ばまで生きている
その人生 生き様に対して
誰からも否定されなかったと
思うんですよね
そこ聞いてないから
何とも言えない
あれですけど
予測ですけど
何でも面白がる
人を驚かせたいという
思いというのは
たぶん僕は面白がる精神だと
思います
この幼児期に
そういう面白がる
これは面白いなとか
という気持ち 感情 思考を育てるのは
やっぱり肯定されている
受容されているということ
やっていること
否定されないということ
大人から見たら
しょうもないことをやっているなとか
面白いことをやっているなとか
何それというような
それをそんな意味ないことを
するなとかじゃなくて
たぶん受容されていること
それが取れてみる
走ってみろと言われたときも
何か面白そうやなと思ったのかな
と思うんですけど
何のためにやっているかとか
なぜやらなければならないのか
ということを考えずに
ただひたすらやる良さというのは
幼児期にあると思うんですよ
それを保証されていることが
大事だし
その中から好きや得意が
見つかったらいいよねというので
好きや得意が見つかったらいいのにね
というのは狙いとしては作ります
幼稚園で全体としてやっぱり
狙いとしては持つけど
そうでなければならないとは
考えていない
そうなったらいいなと思っている
狙いに好きなことが
なくても大丈夫とか
何にも目標がなくても大丈夫
そんなのちょっと
作れないじゃないですか
作れないでしょ
やっぱり好きなものを
見つけてほしいとか
目標を持って頑張ってほしいとか
教育ですから
何でもいいよというわけにはない
でもそれは到達目標ではなくて
好きなものを見つけるという
到達目標ではなくて
結果として好きなものを
見つかったらいいよねとか
自分ではそれ好きって
思っていないかもしれないけど
たぶんあなたはこれが好き
っていうフィードバックを
もらうとか
そういうことを
幼児期に保証してあげたいんですね
言い訳しなくていいこと
これやってるっていうのは
何のためかっていう
言い訳っていうのは
自分の正当化ですから
自分を正当化しなくて
ただやってることを
やってるわって
見られている
もちろんあれですよ
全く注意 規制したり止めたり
止めたりすることがないというわけじゃ
ないですよ もちろん
水出しっぱなしにして
使ってなかったら
これ水止めてみたいな
誰も使ってないやんみたいな
そういうのはもちろん言うし
友達の顔面に水をかけてたりとか
危険なことをやってたら
もちろん止めるし
でもそんなことしない ほぼ
それは子どもは分かっている
そんな好きなこと
見つけて好きなように
自由に遊んでねって言って
わざわざそんな
むちゃくちゃなことしないですよ
人を傷つけるようなこと
それが大事にしていることで
これから幼児期だけではなくて
小学校も中学校も
子どもの興味関心 好きや得意が
伸びたらいいよねって
それを見つけられるような
授業づくりを大人は頑張ろう
というところに
ちくわ氏が移っていったというのが
自由を保障する教育と大人の役割
これからだと思うんですね
最終出てないので
最終どうなるかというのは
分からないんですけど
本当に子どもの自由を守る
ということなんですね
僕らがやりたいことは
何を守るかというと
子どもの自由を守りたいです
何かができるということよりも
自由と大げさに言うと
子どもの尊厳を守りたい
だから子どもにはやらせない
できるだけ
遊びの中で
自由感あふれる遊びの中で
自分のしたいことをする
やりたいことを選ぶ
失敗する
失敗から何か
次どうしたらいいか
ということを考える
またチャレンジというか
大げさなチャレンジじゃないですけど
試すということですね
他のものを見つける
どんどん移り変わっていく
その中で
そうやってグロウフリー
自由に育ってほしいですね
はい
ということで
今日懇談で
担任たちの話の中で
青空祭りでダンスやった
ということ
ダンスずっとやってるんです
やってて大好きでダンスが
ということにインスパイアされて
これでもまた
ダンスばっかりしか
というかダンスしか
やらないんですけど
この子って
本当にこんなことばっかり
やってて大丈夫なんですよ
という問いが思い浮かんだので
そういう問いは
今までにも何度もあるので
この「好き」ということについて
本当に大事にしたいということを
今日懇談で話させてもらって
それが学習指導要領
新しい要領の中にも
出てきているよということで
ある意味お墨つき
まさに国の決めている
要領ですから
国もこの国の教育の形として
好きを育み得意を伸ばすと
言ってますよということ
それが大事ですよ
それが学びを起動させますよ
ということに触れていくよ
という話にちょうど合わせたんですね
僕らが子どもたちの自由感あふれる
子どもたちの自由さを
ただ保証するというのは
簡単ですけれども
その中でどんな環境を
用意できるか
どんな面白さを
散りばめられるか毎日
ということが大人に
課せられた課題ですから
それを今後もいろいろ面白がって
これ面白いかな
あれ面白いかな
そのために
我々のそれぞれの
オフタイムの人生が豊かになる
人生全体が豊かになってほしいなと
思っています
この週末も連休じゃないのに
韓国行くって言っている人が
いるんですけど
本当にね
よく遊びよく働きですね
よく遊びよく働きが
うちの何か言ったことは
ないかもしれないけど
でももうそれ体現しているからな
僕自身が
みんなもよく遊んでくれているんです
最近
そうやってよく遊んだ中から
子どもたちに
これ面白いやろと言いながら
子どもたちの体験を
豊かにしていきたいと思っています
ということで
今日は今段の話から
ちょっと好きとか得意のことについて
そればっかりやっていて
大丈夫なんでしょうか
ということについて
お答えさせていただきました
そればっかりやっていて
大丈夫です
幼少期は
それをまず確保して
それからです
人生は
ということで
今日は72分聞いていただき
ありがとうございました
ではまた次回お会いしましょう
お疲れ様でした
聞いてくださりありがとうございました
さようなら
01:12:31

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