AFAP、このプロジェクトは、バックヤードウルトラという競技に魅せられたウルトラランナーたちによる競争と挑戦に光を当てます。
As far as possible, 私たちはどこまで行ってるのか。 走ることで繋がった仲間たちと、この世界の魅力をお伝えしていきます。
はい、プロウルトラランナーの水野道太郎です。 本日は、2026年10月1日、バックヤードウルトラ日本代表世界一への道ということで、
10月17日から開催されるバックヤードウルトラ国別対抗戦、通称サテライト大会に向けたインタビュー企画。
選手、第15人目ということで大取、この方にゲストできていただいています。
森下輝道選手です。よろしくお願いします。
よろしくお願いします。
森森さん、ご無沙汰してます。
はい、ご無沙汰してます。
はい、今日はオンラインでご参加いただいてますが、私は神奈川の秦野というところにしてますが、森森さんはお住まいはどちらですか?
愛知です。
愛知県。
はい、福生市です。
豊田市。
ということで、日頃はなかなか会う機会がないんですよね。
そうだね。
はい。
あ、モデルカで会ったことがあるね。
そうですね、去年の10月にVIXXでご一緒して以来ですかね。
ただあれですよね、西の国とか関東のレースちょこちょこいらっしゃってる印象ですけど。
もう出たよ。
今年そうですよね。
今年は行ってなくて。
あ、そうなんだ。
なので森森さんが日頃どういうレース選びをしているのかみたいなのを聞いていけたらなと思っています。
ではですね、このポッドキャストを聞いている方々はバックヤードウルトラのファンの方が多いので、森森さんご存知の方がほとんどかなとは思うんですが、改めて簡単な自己紹介を森森さんからお願いできますでしょうか。
はい、自己紹介って言っても、普通に会社員として働いてまして、
今年47歳になります。
サッカーを小学校、中学校、高校とちょこちょことやってたっていうぐらいで、走ることは全く興味なくて逆に嫌いだったっていう感じで今に至るって感じですかね。
会社だとかを会社のイベントで走り始めたって感じですかね。
そうなんですね。
車内駅伝っていうのがあって、それで新入社員の頃は強制的に出されるっていうのが風習としてあったり、
自分はそういうの苦手なんでって言って断ってたんですけど、
すごいですね、メンタル強いですね。
だけど、結局自分が出たくなって出たみたいな。
で、そこから、その距離だと3キロだとか5キロぐらいの短い距離なんで、
その距離だとちょっと自分は楽しくないなってなって、そっからハーフだとかフルだとか走って、
で、そこから、想像の範囲内だったんでゴールしても。
で、初めてウルトラを2011年にフジゴコのウルトラマラソンに出させてもらって、
そこで走って、こんな世界があるんだっていうように感動して、
で、そこからどんどんどんどん、他にはどんなレースがあるんだろうっていうのを探していっていくうちに、
こういうバックヤードウルトラっていうとこに行き着いたみたいな、そんな感じですかね。
なるほど。ありがとうございます。
最初、そのサナ駅伝に初めて出たのは何年だったか覚えてますか?
2000年、調べたんだっけ、2007年だね。
じゃあ、今からもうほんと20年前ぐらい。
そうだね、それぐらい前に初めて走って、っていう感じで走っていくと、
まあ、嫌なことも忘れられるっていうか、仕事のいろんなことがあっても、
なんかその時は全くそういうことも考える余裕がないから、
なんかそういうのまたすっきりするみたいな、そんな感じでのめり込んでいったみたいな、
だから、その時は大会だとか、ハーフでもフルもそうだったけど、
なんかいろんな大会に出たいわけじゃなくて、
ただ、仕事から離れれる一時がジョギングだったみたいな、そんな感じ?
だから、別に出たいだとか全く思わなかったし、
そこからまさかこういろんなレースに出ていくっていうことまで、
世界が広がるっていう想像すらもなく、
ほんと自分は淡々と進んで、そこの、ほんと家も、何だろう、
その時のアパートの、ほんと何キロあるんだろうな直線、
2キロぐらいある直線をとにかく往復するっていう、ひたすら往復するっていう、
そういう単純なコースでおればいいよみたいな、そんな感じのジョギングから始まったね。
2キロの往復っていうところから、ほんとに無になれる時間が必要だったみたいな感じなんですかね。
ストレス解消みたいなね。
ちなみに、お仕事って言える範囲でどんな職種だったりするんですか?
えっとね、自動車産業の製造エンジニアって感じかな。
エンジニア、確かに結構。
だから、生産性を上げるために効率のいいライン構成を考えたりだとか、
新しいこの仕組みを作ったりだとかっていうので、ちょっと現場から一歩離れたって感じだけど、
製造、もともと、なんだろう、そういう製造ラインにもいたんだよね。
ほんとに。
そこについてて、製造もしてて、そっから大学に行って、また会社に戻ってきて、
そこはエンジニアとしてやるっていうような形で、やらせてもらってるっていうような感じで。
大学に行く前に一回就職されてたってことなんですか?
そうそう。そこがね、企業内訓練校っていうので、中学卒業して、
高校を企業の高校に入って、通信学校だったけど、
そこに入って、もう高校2年生から2年、3年と直接現場に行って訓練をさせてもらうっていう、
まあ言ったら製造のエリミット学校みたいな、よく言うとね。
でも、そうなると確かにもうなんか生活と仕事がすごい密接に結びつくというか、
確かにこう、仕事から離れたいみたいな時間が必要になったと。
そうだね。製造エンジニアになると特にそういうのはあったね。
やっぱり人間関係もそうだし、年齢が下なんだけど、
年上の現場の人を回していくじゃないけど、
一緒に同じ方向に向かわせていこうみたいな。
若いながらにもそういうリーダーシップ的なことも発揮しないといけなかったし、
やっぱりそういうところのいろんな葛藤というか、上の人からのいろんな熱いご指導もいただいたりとかすると、
いろいろ悩むところあったかなみたいな。
なるほど。そんな中で走り始めて、より無になれる時間みたいなので距離を伸ばしていって、
2011年の富士5号は距離で言うと、
112キロ。
112、ファイブレイクですかね。
そう、あのね、その時に確か70キロと100キロと112キロっていう3つの部門があって、
その時に、まあ112キロあるんだったら、ほら長い距離選ぶでしょっていうのが、
俺の中では普通だったから、初めてなんだけど、
わざと、わざとというか70キロ選ばずにあえて最中の112キロを選んだっていうのが、
結局はね、途中で右膝だとかも完全にぶっ壊れて、
もう残りの20キロぐらいもう全歩きしたのよ。
もう全然走れなくなって、で、それがね、良かったんだと思う、自分としては。
良かったんですね。
もう完全に粉砕されて、
ああ、こういう世界があるんだなとか、ゴールした時に、
やっぱりこう関係ないっていうか、
一般の人らが応援してくれてるそういうところにいられたっていうのがなんかすごい感動して、
そこで、ああ、自分はこの世界で生きていくんだなっていうのをちょっとなんか感じたっていうのが、
始まりだったね。
なるほど。だから、15、6年前だから、31歳とか32歳の時ってことですよね。
11年で、25、6、10、15年前、40、31?
21ですか?
2か、そんなもんだね。
なるほど。その時に、このウルトラの世界で生きていくという直感をしたと。
そうだね。
っていう中で、その富士五湖から走る取り組み方とか、出るレースとかってやっぱ変わってったんですか?
最初はね、ロードが多かったかな。
ロード、ロードって感じで、トレイルの世界を知らなかったっていうのもあるけど、
どんどん距離、何キロのレースあるんだろうなとかっていうので、
で、次に小江戸、大江戸。
で、200キロってあるんだみたいな。
それが何年ですか?
それが次の年だね。
2012ってことですか?
そう。
小江戸、大江戸ってそんな前からやってるんですか?
やってたよ。やってたやってた。
で、その時に、こんなに長い距離、100キロでもいいって言ってたのに、
200キロなんてどうなんだろうなっていう感じで、
もう本当、死ぬんじゃねえのかなみたいなのをちょっと本気で思ってチャレンジした記憶があるね。
森森さんでも、そんなふうに思ってレースに出るときがあったんですね。
初めてだもんね。想像がつかなかったね。
実際やったらどうだったんですか?
やったらね、これも何て言うんだろうな。
その時って、Googleマップとかなかったから、紙の地図で行くっていうレースだったのよ。
はいはい。
それで紙広げて行くけど、まあ土地感がないからさ、
いやーここでって言って、小江戸は行ってから大江戸に行ってから、
曲がり角がいまいちわからなくなってっていうところがあって、
そこからなんかすごい慣れた人、完全に慣れてるなっていうような足取りでコース走ってる人について行って、
お願いしてすいませんって言って、
で、その時にもう途中まで着いて行けるとこまで着いて行かせてくださいって言って、道わかんなくてって言って、
それでその人は大江戸だけに出てるっていう人だったのね。
はいはい。
大江戸は90キロぐらいかな。で、大江戸が150キロぐらいあるんだけど、
その大江戸だけに夜の部で出てるっていう二人の人で、
で、その人にご一緒させてもらって、最後まで走らせていただいたっていう感じで、
これもこれでなんだろうな、すごい運命的な出会いというかね、
途中の最後の10キロか20キロ手前でも、自分きつくてついできないなと思ったから、
まあ置いてってくださいって言って、もう多分これ以上スピード出ないんでって言ったら、
そのある人が、何を言ってるんだいって言って、
旅は道連れだよって言って、一緒にペース合わせてくれたっていうのもすごい感動して、
あ、こういう世界あるんだな、長々距離って、みたいな、
ウルトラってこういう世界があるんだ、みたいな、
そういう感動したのもすごく覚えてるね。
すごい、なんかグッとなる話ですね。
そうだね、すごい良かったね。
まだその時は全然国内にとどまっているじゃないですか。
そうそう、国内国内、全然国内。
なんかでもイメージは結構森森さん、海外の過酷なレースも出られるイメージがあるんですけど、
そういうレースはいつ頃から出るようになってたんですか?
そうだね、これはいつになる、えっとね、海外行ったのは2017年には行ってるかな、
それはスパトレイル、スパトレイルじゃなくてスパルタスロンか、ギリシャにある。
で、これもね大会出て言われたのよ、スパルタスロン知らないの?みたいな、
ウルトラ走っててスパルタスロン知らないってモグリだよみたいな感じで言われて、
えー知らないですって言って、
で、それでまあエントリーさせてもらって走ったっていう感じかな。
それが初海外レースですか?
そうかな、そうだったかな。
多分そうじゃないかな。
そうだね、多分。
そうそうそう、そうだ、初めてだと思う。
海外、スパルタスロンどうでしたか?
行くの結構大変だなって、やっぱり飛行機長いじゃん。
すごい大変だなっていうところと、
あとね、初め空港に降りてからホテルに向かう時にバスに乗り換えるんだけどさ、
その時パスポート置き忘れちゃってさ、
そんでもうね、ギリシャでそんなことになったら戻ってこないって言われてて、
あーもうこれ終わったなーみたいな、スタート前から終わったなーみたいな感じでやったら、
そしたらホテル連絡が入って、なんかね、見つかりましたーとか言って、
現地の人とかはほんとこんなことないよって言われて、
だからほらスタートする前にもう完走できるイメージができてたね。
この運が来てるってことはもう俺完走できるわっていう。
なるほど、当然だみたいな。
まあそこを乗り越えたらもう、後なんてもう遊びのようなもんだねみたいな感じになってたね。
なるほど、実際走ったらどうだったんですか?
走ったらね、すごいなんだろうな、
結構なんだろう、5キロか4キロかわかんないけど、結構ね、英都が多いのよ。
すごいね、英都が多くて、補給には困らないと思う。
で、困らなくて、そんななんて言うんだろうな、
あと道もね、もうペンキで道路に塗られてるから迷うこともないのよ。
そうなんだ。
もうそういうのが伝統であるらしくて、その通りに行けばいけるっていうのと、
あとね、危険だっていうのは野良犬が危ないんだって。
襲われたりするんだって、ランナーが。
それでリタイアしたっていう日本人もいるらしくてさ。
噛まれてってことですか?
そういうふうに襲われてっていう、そういう犬とかがいたけど、
犬はいたけど、そんなに危険に感じるようなことはなかった、俺は。
だから良かったなーっていう気がするけど、運が良かっただけなんだと思うけどね。
そうなんですね。
じゃあ結構スパルタスランは楽しく終えて。
そうだね、もうちょっとやれたんじゃないかなっていうのはあったけど、
まあまあ完走できて良かったかなっていうような感じかな。
もっと行けたかなっていう、ちょっと悔いは若干あったけど。
その頃にはあれですか、結構その獣医に対するこう、やってやろうみたいな気持ちとかも出てきてたタイミングですか?
そうね、徐々に出てきてたかな。
そうだね。
こういう動画の時なんかはもう本当に、ある意味こう、人の出会いに助けられながらゴールになんとかっていう、
そこがやっぱりだんだん戦いたい気持ちが出るようになってきたんですね。
そうだね、まあ確かにそこら辺の時期からかもしれんね。
これ次に印象的だったレースとかありますか、スパルタスランの次ですね。
次のレースでスパルタスランから、えっと、そうだな。
まあ印象的だったのが、また小江戸、大江戸に出たのよ。
あ、そうなんですね。
その後に何年後だるっけな、初めて行ったのは2012年で、
小江戸、大江戸にまた出たっていうのが、2016年に出たんだけど、
あ、それ2000、違うわ、ごめん、2015年か。
2015年に出たんだけど、なんていうんだろう、連れて行ってもらったっていうのもあって、
引っ張ってくれたからさ、自分としてはもうこれ以上のタイム出ないだろうなって思ったのよ。
はい。
その時がね、27時間18分っていうので、こうやって引っ張ってくれてるから、
これ以上は俺はもう絶対に出せないわって思いながら出たら、
23時間、24時間かも、24時間でゴールできたのよ。
だから3時間は切れてたんだよね。
だから、あ、こういうことってあるんだなみたいな。
受けていってたからかどうかは知らんけど、
あと、いろんな、なんかね、その時ね、2カ所、うどん無料で食べさせてもらえるとかいうのがあって、
お店に入ったりとかして休んだっていうのもあったから、
その分、もうロスタイムもあるからだとは思うんだけど、
で、今回はその時にはそのまま1回も立ち寄らずに走ったのね。
そういうので、あ、こんだけタイムって更新、自分が限界だって思ってたのは実はそうじゃなかったんだなみたいな、
勝手に自分で限界を作ってたなっていうのがすごく印象的だったかな。
うーん、うん。
なるほど。
そうなんですね。
小江戸、小江戸、その後も出たりしてますか?
えっとね、16年に出たね。
その時ね、今度、230キロっていうね、もう編隊コースを出して、今260キロあるんだっけな、250キロかも。
260キロあります。
260キロあるじゃん。
それってさ、200キロでゴールしてからまた折り返して戻るじゃんね、行ったところ。
あれもう、わけわからんって思いながら、
マジもうあれしんどいわって気分的にも。
それで出させてもらって走ったっていうのがあったね。
うーん。
じゃあその時、初230キロ。
そうそうそう。
その時に出させてもらって、それから出てないかな。
ああ、そうなんですね。じゃあもう10年近く出てないですね。
そうそう、出てない。だからちょっと機会あったら来年とか出てみたいなってちょっと思ってるかな、久しぶりに。
確かに。
その2016年の230Kの時はどれぐらいのタイムだったかとか覚えてますか?
えっとね、25時間13分。
え、それ相当早くないですか?
早い?その時はね、なんとか2位だったね。
やっぱそうですよね。
でもね、これもね、土地感がないからまた道に迷うんだよね、これね。
はいはいはい。
その辺がね、ちょっと今だったら時計にマップも入れれるし、そんなに道迷うことないんだけど、
その時もちょっと結構苦しかったかな。
じゃあでも、2016年のコイドオイドで2位とかにも入るようになっていって、
で、2017年のスパルタストロンは出て、もっと順位あげたいなみたいな、
いうので、ほんとにだんだん上位を争うっていう感覚がついてきた時期ですかね。
まあ、そういうとおとがましいけど、
そんな上っていうか、イメージ的に盛り盛りいたら、
だいたいそこら辺にいるでしょうみたいな感じに見られたいって思うようにはなってますね。
上の方にいるよね、みたいな。
そうそう、そういう感じにっていうふうには思われたいなっていうのは勝手に想像してたね。
これ、レース選びはどういうふうになっていくんですか?
その後、コイドオイドは出てなかったりとか。
ああ、そうだね。
そこから、なんていうんだろうな。
そうだね。
まあ、そこからちょこちょこ、なんていうんだろう、トレイルの方にもシフトしていってっていうような感じで、
最近だとトレイルがすごい多いかなっていう感じがいいな。
国内だとサイの国とか、あとディープとかも出られてますよね。
ああ、出た出た。
そのイメージはすごいありますね。
ほんと、なんで?なんか俺投稿したっけ?
いや、あんまりやですけど、僕もやっぱりなんか、自分が出てなくてもディープとか、
あとはサイの国とか、やっぱりリザルトというかそのエントリーリストか、
たまにこう、レース近づいてくると見たりするじゃないですか、自分が出なくても。
あ、モリモリさん出てるみたいなのはなんかおよっぱい記憶があって、はい。
モリモリさんの中では、そのロードとトレイルとあと、中には砂漠レースとか、
そういう特殊なのもあると思うんですけど、
どういうカテゴリーのレースが気だみたいなのはあるんですか?
なになに?
どういうカテゴリーのレースが気なのか。
自分として今狙ってるとか?
いや、別にね、今はね、別にこれっていうふうに、
なんていうの、時期?
時期と気分というか、インスピレーションというか、
あ、これ出たいなとか、これちょっと久しぶりにやってみようかなとか、
そんな感じで思うっていうのは、いきなりこう、
これ行きたいな、これやりたいなっていうふうに思うんじゃなくて、
あ、これ時期的に空いてるからここ入れてみようかなとかって言うと、
その、この大会がはまりそうだなとかっていうのは選ぶから、
別にロードだから、トレイルだからっていう感じでは選んでないかな。
なるほど、なるほど。
まあ、カレンダー見てて、この時期に出たいなって思う大会があったら出るみたいな。
そうそうそう、そんなこう厳密に考えてない感じかな。
確かにそれはでも、なんかちょっとわかる気がします。
え、りんたろうはどっちなの?どういうふうに選ぶ?
私もでもどっちかというと、そっちだと思います。
同じ感じ?
はい。
よくね、トレイルとロードどっちが好きなの?とか、
どっちが主戦場?とかって言われたりもしますけど、
確かに出たいレースが、時期がはまれば出るっていう感じですね。
あ、じゃあもうロードやトレイルだとか別に、こうカテゴリーは出るわけじゃないってこと?
うん、そうですそうです。
まあ、この2年ぐらいはすごいバックヤードが多くなっちゃいましたけど、はい。
あんまりロードトレイルってわけてはいない。
あ、なるほどね。
はい。そんな感じですね。はい。
もりもりさんとしては、今まで出てきた中で、
なんかこのレースがすごい会心のレースだったなとか、
なんかご自身の戦績として、なんか特に思い浮かぶものとかってありますか?
会心か、どうだろうな。
いつもなんか、あ、そうかな。
沖沢かな?
うんうん。
沖沢で最後に優勝させてもらったレースかな。
はいはい。それが何年ですか?
これ何年だったっけな?ちょっと待ってよ。
えっと、えっとね、あ、2018年か。
2018年だ。その時に、その時は、にコースレコードを出させてもらったんだけど、
その時は、死に物狂いでね、ちょうどね、まあ仲いいカトルス、カトルス製品?
はいはい。カトルスさん、お名前は聞いたことあります。
カトルスがちょうどね、ゴール手前10キロかそこら辺で、俺ずっと1位走ってたんだけど、
追いついてきて、でね、折り返しのところでね、出会って、うわーってなっちゃうんだけど、
待っててくれないよねって言われて、で、ずっと、まあ仲はいいんだよ、仲はいいんだけど、
で、ずっと1位走って言って、最後で抜かれるのはちょっと嫌だなと思って、
そうっすよね。そこまで来て。
それで、待っててくれないよねって言ったら、一緒にゴールするっていう平和な戦いもあるんだけど、
なんかその時の自分は、何て言うんだろう、こう、明け渡したくないっていう気持ちが強くて、
それで、そんなことないでしょって言って、そっからお互いのラストスパートが始まるんだよ。
で、そこでもうね、肺がね、出るんじゃないかって、外側に、っていうぐらいもう追い込んで追い込んでゴールしたっていうのは、
よく頑張ったなって思った。
すごいっすね。だって400キロとか超えるような距離ですよね、400キロぐらいか、のラストスパート。
会社のほうからも一人旅だったんだよ。
そしたらもう最後の10キロぐらいで追いつかれたらちょっとなってなっちゃって、
ここで抜かれるのはちょっと嫌だなって。
で、そのおかげで、こう突っ走れたっていうか、飛ばせたっていうのがあったね。
それがなかったら、そういうタイムは出せなかったかなっていう気はするね。
その2018が、沖砂場としては、とうとう連覇してる感じですよね。
あー、そうだね。
2018で4連覇だったんですか。
そうそう。
で、かつその18年に、
事故。
事故記録というか大会記録も出して。
そうそう、そうだね。
で、カトルシさんとの死闘も制して。
そう。
そこからは沖砂場は出られてないのは、もうちょっとやり切ったかなっていう感じですか。
いや、えっとね、実はね、そっからバックヤードに出会ったのかな。
で、バックヤードに出会っちゃって、これが悲しいから時期的にね、きついのよね。
これね、バックヤード終わってから1ヶ月後なんだけどさ、
これね、バックヤードの後で1ヶ月はちょっとね、体が回復しないのよね。
うん、ですよね。
で、去年かな。
去年にも、一昨年も出たと思うんだけど、連覇、連チャンで出たのよ、やっぱり。
はい。
ちょっと、いけんじゃねえかなと思って。
でもね、やっぱりね、200キロ越えてぐらいから、もう足が悲鳴上げて、リタイアしたのね。
だから、やっぱりもうあんだけ過酷なバックヤードの後で、この400キロはやっぱり、スピードも出ないわ。
足も悲鳴上げるわっていうので、ちょっとね、時期的にいつも難しいなと思って。
うん。
そこで出られてないっていうか、リタイアしてるっていうような感じかな。
なるほど。
いや、でも本当にあの、ねえ、あの、もりもりさんといえば、お貴様だっていう方もいるぐらい。
ああ、そっか、ありがたいね。
そういうイメージは私もあるので。
そうなんですね。バックヤードに出会ってしまったと。
そうなのよ。
うん。で、あのバックヤードの話も行きたいところなんですけど、その前にもう一個、あの砂漠レースも出られてますよね。
サハラパラソンですかね、サハラ砂漠。
それはどういう経緯で出ることにしたんですか?
なんかね、なんだろうな。えっとね、いつ出たんだっけ、サハラって。
2019年は少なくとも。DUV見てると。
ああ、本当だ。2019年に出てるね。その時はね、そんなね、こう、よく言われる文言じゃんね。
世界一過酷なレースって、どこにでも言われてる言葉でさ、どこでも使われてる言葉じゃん。
すごい詐欺的な感じだなって思うんだけどさ、最近っていうか今になって思うと。
で、えっとね、NHKでもやってたんだっけな、確か。サハラマラソンっていうので、なんかね、テレビでもやってて、
なんかすごい、そんなテントで6ステージいくんだみたいな、6日間走るんだっていう、その新しい世界っていうのがすごく自分としては魅力的に見えて、
で、チャレンジしてみようかなみたいな感じだったかな。
これもね、なかなか6日間風呂入らずに、なんかどんな生活になるんだろうなと思ったら、
まあ寝るしかないから寝るんだけど、なんか汗臭かったりするのかなと思ったらね、
結構、日本とは違ってカラッとしてるから、ベタつきも別にないし、不快な感じにならなかったね。
すごいなんか、普通に過ごせるなって、だから他の海外のっていうか現地の人の感じを見てても、
なんか平然としてられる気持ちもすごくわかったりしながら、
だけど、なんかすごい、なんていうの、常に生活してる環境下ではないっていうところで、
新しいレースを経験したいっていう感じで選んだっていうのが一番の感覚ね。
非日常感みたいな。
そうそう。まあ、ウルトラ走ってると常にそういうのは感じられるけどね。
そうですね。
まあでもやっぱ、気候があまりにも日頃日本と違いすぎるっていうのは確かに、サハラの一個特徴ですよね。
で、それを2019年に走られて、その翌年、2020年にバックヤードに出会ってしまったと。
そうだね。
その話にちょっと行く前に、ちょっと最後1個確認しておきたいんですけど、
はい。
プルマラソンとかって自己ベストどれぐらいですか?
これね、東京マラソンでね、なんとかギリサブスリー行って、2時間58分。
はい。
ギリギリだったんだけど、これもね、ドラマがあってね。
はい。
最初ね、これ話していいのかな?
もちろん。はい、ぜひ。
最初ね、2キロ、1キロ、2キロ。
まあ1キロ目ってさ、結構混雑してるから、そんなになんていうんだろう、タイムは悪いだろうなと思ってたけど、
2キロ、3キロ走っていくとさ、4分、キロあたり4分ね、15とかそれぐらいだったのよ。
結構自分としては飛ばしてるなと思ってたんだけど、この2、3キロでもこのタイムなんだと思ったときに、
俺もう諦めたのよ、サブスリー無理って思って。
はいはいはい。
もうこの時点でやめたのよ、俺はもうダメだって。
サブスリー達成できるわけないと思ったのよ。
で、そう思ったけど、せっかく東京マラソンにも参加できたし、東京まで来てお金も時間も使ってんだから、
ある程度、今できる走りをやらないと後悔するぜっていう風に自分で言い聞かせて走ったのよ。
そしたら、ハーフ地点に来たら半分のところで、だいたいここが今、中間地点ですよって旗か何か目印があるから、
そこの時にタイム見たらさ、あれ?と思って90分切ってるぞってなって、
これいけんじゃねえかっていうので、ちょっとこれ諦めんの早かったなってなって、
そっから諦めずに、今やれることをやってみようっていう風にやったら、何とか切れたっていう。
じゃ、巻き返した感覚なんですね。
まあ、巻き返したというか、だから諦めないでよかったなっていうレースだったね。
一回諦めたけど。
諦めたけど、そういう走りをしなくてよかったなっていう感じかな。
で、結果として、西サブスリーを達成して。
そうそう、それで、なんていうんだろうな、東京の人たちって、
サブスリー告知人みたいな感じで、このペースならサブスリーいけるぞみたいな掛け声する人いるんだよ。
いけるぞいけるぞとか言って。
そういうのを何人にも言われたよ、それ。
まだ間に合うぞとか言ってる。
面白いなと思って。
そうなんです。それが何年ですか?
俺が19年だね。
でも基本はやっぱフルマラソンあんまり出ないって感じですか?
そう。
そうだったかな、なんかこう離れてったね。
で、去年ね、ハーフ出たのよ。
はいはい。
ハーフ出て、それはそれでね、自己申が出たね。
何分ですか?
えっとね、ちょっと待って。
あれ犬山ハーフみたいなやつですか?
そうそう、犬山にね、出てみたのよ。
これどうなんだろうなと思って、それで出たら、
あ、これもギリギリだけど、24分58秒だった。1時間。
確かに。サブスリーのペースを上回るようなペースですね。
ね、なんかね、その時もね、ちょっと、
ああ、そうだね。
で、これがそうだったんだけど、
まあ練習してないから、
まあまあ、90分にはゴールしたいなって思って走ってたら、
周りに一緒に走る人がたくさんいるからさ、
自然と乗っていけるんだね、あれいうのって。
一人だと到底出せないだろうなと思いながら走ってたから、
ああ、結構人がいるって言うとこんなに違うんだなっていうのが、
すごく感じた時だったかな。
なるほど、なるほど。結構その人の力を感じながら、
主戦場じゃないところで記録を出せたっていう感じですね。
そうだね。すぐ終わるからいいじゃん、これ。
うん、そうですね。バックシュートとかで比べたらもう圧倒的に。
そんなもうあっという間に終わっちゃうからさ。
短いけどそんな。
それもそれで楽しいなと思ったね。
すぐ終われるし、みたいな。
子供をさ、待たせても、
その待ってる間にこのなんか無料券みたいなのあるから、
これでなんか好きなの買って待っといてみたいな感じでもできるから、
連れていけるっていうよりも。
確かに。他のレースはちょっと子供連れてくには長すぎる。
そうなのよ。
じゃあ、圧倒的に子供を連れていきづらいバックヤードウルトラの話をそろそろ、
ちょっとやりたいなっていう気がするんですけど、
バックヤードとの出会いは2020年ですよね。
そうなのかな、そこまで覚えてないけど。
日本の最初の大会が2020なので。
そうだね。
知ったタイミングは。
俺もびっくりした。
でも会社の仲間というか、その知り合いがトモさんとつながってて、
トモさんからこういうのあるけど出てみない?って言われたっていう感じかな。
で、何この今までタイムだとか距離だとかの走りってあるじゃん。
24時間走とか。
大体のレースって順位を決めるっていう中で、
なんだこの最後の一人まで続けるっていうこの嫌な、
このメンタルを根こそぎかられるようなレースって、
もう聞いただけで嫌だったね。
でも、何て言うんだろう、さっき言ったようにさ、
新しいレースだなと思ったし、
今まで経験したことないレースだから出てみようっていうふうに思って、
参加させてもらったって感じかな。
で、その年3本も走ってますよね。
そうそう、走ってるね。
そうですよね。一番最初はどんな印象だったんですか?
一番最初はね、終わりってどんな終わりなのってみんなで話してた。
どんな感じで終わるんだろうねってみんなで言ってたよ。
終わり方がわかんないよねって。
そうなんです。
自分がまた1時間かけていくの嫌だなっていうふうに思ったのが、
そのリタイアのタイミングだったかな。
嫌になったっていうか。
じゃあ、体がっていうより気持ちが。
そうだね、気持ちが折れたって感じかな。
そうなんですね。
で、その時が何ラップしたんですか、最初のバックヤードはね。
39とかじゃなかったっけ。39だね。
260キロぐらいですね、30キロ。
そうだね。だから、なんて言うんだろう、
400キロとか500キロだとか経験してるからさ、
あんまり休まずに行ったほうがいいのかなとかって悩みながら走ってたね。
休憩ってあんまりしないほうがいいのかなとか。
ゆっくり走ってギリギリ時間使い切って。
だってそれだったら400キロとか500キロっていう実績は自分の中であったから、
そのほうが続くんじゃねえのかなとかって思いながら、
休むほうがいいのかな、どっちなんだろうって悩んでたね。
悩んだ末に嫌になっちゃったと。
そうそう、嫌になった。
で、体力の限界よりも先にあれにやめちゃった時のなんか気持ちとかって、
なんか湧いてきたものあったりしましたか。
なんかね、なんかね、涙が出たね。
あ、悔しいなって、悔しいって。
はいはい。
そんな、なんて言うんだろう、頑張ったじゃないけど、
なんかね、すごいこう、なんか悔しいっていう涙だったのかな。
なんかね、泣いたよね。
また、これもこれで、
あ、この年になっても泣けることができるんだなって、
こういうことに出会えてよかったなっていうふうに思ったのもあったね。
で、その年のそれが2月ですよね、最初の。
そうそうそう。
で、今回の話題にもなるサテライトの第一回に、
2020年の10月に出られたっていう、
その時の記憶はどんな感じですか。
これね、俺失格になってんのよ。
えー。
これがね、失格になっちゃってさ。
はい、何があったんですか。
その時ね、こう、折り返し地点に自分のゼッケンをパッチンて、
穴を開けて行かないといけなかったのよ。
で、そこでゼッケンがないっていうことに気がついて、
はい。
それでそのまんま、こう走ってたら、
まあその時ね、たまたまトモさんも、
こう、コースを確認するみたいな意図で走ってて、
一緒に走ってたのよ。
同じ感じでスタートからね。
で、大会スタッフもそこでついてくれてるし、
まあまあ失格じゃないよなみたいな感じでいたけど、
で、トモさんもその時はちょっと事務局に確認しますけど、
まあ多分大丈夫だと思いますっていうような感じで、
まあ最終的にもそのトモさんの判断に自分は任せますって、
失格になってもそれはそれでいいですっていう話をしてたら、
そしたらトモさんが申し訳ないけど失格ですっていう話になって、
ああわかりましたって言って、そのまま終わったね。
えー、突然の終わり。
ああ突然の終わりだったね。
だから、まあその時はもう自分が悪いからさ、
ああわかりましたって言って、みんな頑張ってねって言って、
応援して帰ったっていうような感じかな。
その時は十六人だったよね。
ああ、はいはいはい。
あれですよね、人数が揃わなくて全然あの、なんだろう。
そうだったのかな。
うん、世界では。
だって一回目の時でも結構いたんじゃないの?
ほら、十六人いるからさ、
十五人集めるって言うんだったら、できなくはなかったような気がするんだけど、
ああ、でも二人外国人いるのか。
うんうんうん。
ブラジルとフランス人が一人ずつに参加してたね、そういえば。
そういうのもあったのかもわかんないけど、
集まってなかったんだろうね。
うん。
そんな最初のサテライト。
そう。
もうあっけなくというか、なんか何が。
あっけなかったね。
何が起きてんだかわかんないぐらいの感じで終わっちゃったと。
そうだね、まだまだいけるぜっていう感じだったけど、
まあ仕方ないよねって、まあ自分が悪いんだしっていう。
そう、なるほど。
だから初めてのリタイア者だよね。
あ、その、ルール違反。
うんうんうん。
いや、でもね、絶見忘れて、そっか、その時は失格っていう判断になっちゃったんですね。
うん。
やっぱりトモさんも厳密にそういう、なんていうんだろう、ルール規則だとかっていうので、
厳密にしたいっていう意図もあったし、
そこを許しちゃうと、だんだんナーナーになっていくっていうのもあるから、
やっぱりそこは厳密にやらせてもらいますっていうような感じの話だったと思う。
うん。
そうなんですね。
で、ラップ数で言うと何ラップだったか覚えてますか?
えっとね、たいして走ってないよ。
19ラップ。
おお。
もう全然、あの、何も消耗してないくらいな感じですよね。
まあでも初めの頃だからね、
まあまあ、で最後が43ラップで終わってるから、
うんうん。
11月のほうですよね。
そうそうそう。
あ、いや、10月のときね。
あ、10月のサテライトの、はいはい。
うん。
あ、今しゃべってるのは10月のときだよ。
あ、10月ですね。はいはい。
サテライトの他のメンバーの日本会場の最後が43だったってことですよね。
そうそうそうそう。
はいはい。
そのときの最後の一人ってどなた?
俺今ね、ほんとこう、今は亡き辺野さんだね。
悪鬼だね、悪鬼。
伝説のバックヤードなんです。
バックヤードおじさんって言われてたね。
うんうん。
俺ね、そこで知り合って、俺仲良くなってさ、
いろいろこう、いろんな話とかしてたのよ。
で、その悪鬼って言ってたんだけどさ、まあ年上なんだけどさ、
なかなかね、この人も何て言うんだろうがが強いというかね、
他の人を寄せつけないオーラがあるらしくて。
はいはい。
俺は何て言うんだろう、別にそんな、まあ走りを見てたらそれは伝わってくるんだけどさ、
でもね、なんかね、自然と仲良くなれたのよ。
だからそれがね、悪鬼のことを知ってる人からするとすごいね、珍しいことらしくて、
だからそういうことでも嬉しかったし、
まあいろんな、まあ人生の先輩でもあるし、
まあ走りを見てても、強いタフな走り方する人だったし、
TJARだとかも一緒に出ようねみたいな約束もしたりもしたことあったんだよね。
だからそういうのでもすごい思い出があって、
ちょうどそこでフィンランドのレースだったかな、俺が、
テントで休憩してるときに知り合いから悪鬼の不幸な話を聞いて驚いたっていうような感じだったかな。
そっかそっか。フィンランドのレースなんかも出てたんですね。
フィンランドも出てた。
砂漠レースの一環だったかな。
砂漠じゃないんだけどね、そこは。
確かに今、DUVを見ていたら、レーシング・ザ・プラネット、ラップランド、フィンランド。
2022年のことですね。
そんな、まあ本当にこう日本のバックヤードの初期を食っていただいた、
まあ森森さんもそうですし、上野さんもっていう、そんなお話も今出てきましたけど。
そうだね。
2020年、サテライト大会の翌月の東京大会が11月ですよね。
それが今も語り継がれる吉田さんとの一騎打ち。
これね、ちょっと驚きなんだけどさ、結構な人を知ってくれてんだよね。
そうですよね。
これ申し訳ないけどさ、吉田さんに。
吉田さんが勝ってんだけどさ、俺にすごいフォーカスしてくれてるじゃんね。
もう死にかけのような走りしてるからさ。
だから蔡の国とかでもね、声かけてくれたよ。
バックヤードとか言って、ああ出てましたもんって言って、見ましたとか言って。
未だに見れますもんね。
感動しましたって言ってくれて、もうありがたかったね。
高尾の首都、あれは実際走られてた森森さんとしてはどんな状況だったんですか。
あれね、もうね、最後のほうになってきてたら、
せっかくのこの歓声が応援してくれてる言葉がね、怖くなってきたんだよね。
なんか近づけば近づくほど、なんでこんな騒がれてんのとか、
なんかね、そのレースっていう考えがなくなっちゃってんだよね、もう。
眠たいっていう睡までやられてるっていうのもあって。
で、自分がなんでここで走ってんのかだとか、何今やってんのかがわかんなくなってたのよ。
それで、なんかすごい言われる、なんか俺の名前森森森森ってすごい言われてるのが、
すごいなんか恐怖に感じてたっていう、そういうとこまで来てたっていう状態だったかな。
だからとにかくね、無心に走ってたね。
声が聞こえたら、走らないとみたいな感じになって。
で、走って、で、また折り返しとか、人がいなくなってきたりとかすると、こう、
眠気に襲われて、ペースも落ちて、とか。
で、最後に、あ、もう時間、タイムオーバーになりましたみたいな感じで途中で言われて、
帰ってきたら、終わりましたみたいな感じで言われて、
そっからちょっとこうまた、記憶が戻ってくるみたいな。
あ、そういえばレースやってたなみたいな、そんな感じかなって。
だいぶ極限状態ですね。
そうだったね。
うん。
で、最後終わって、あの動画の中で、もうちょっとなんかしんみりするのは終わりにしましょうみたいな、なんかいい言葉が。
恥ずかしいからあんまり見てないんだけどさ、自分。
そんなこと言ってたような気がする。
その後というか、その吉田さんとこう最後二人でやったっていうのは、なんかこう感情というか、吉田さんに対してこう思ったこととかいたりしました?
いやー、そこは別にまあ悔しいかったなーって、そのバックヤードで、嬉しかったっていう思いがないわけよ。
だからこのレースってなんか悔しさだとか、反省?こうすればよかったんじゃないかだとか、いろんなこう感じで残してくれるっていうか、なんかいい思いをさせてくれないレースだなって思わされる感じだったかな。
ちょうどね、吉田さんの息子さんもね、奥さんの息子さんがなんかそのクルーでいたんだけど、その時にシャワー浴びてる時に吉田さんの息子さんと会って、その時もすごい感動しましたって言ってくれて、
なんかバトルし合ってた仲だったけど、そうやって感動してくれることってあるんだなーみたいな感じで、またレースの奥深さというか、戦う素晴らしさというか、なんか違ったものを感じられたレースだったかな。
吉田さんに対して悔しかったっていうふうには別にはなかったし、結局バックヤードって自分じゃん。その人がしっかりと走れてたっていうのはやっぱりタフだっただろうし、自分がこうすればよかっただけだとかさ、そういうのがあったから、まあそういうので今出せる実力ってこの程度だったんだなーみたいな、そういうふうに思う感じだったかな。
その時が53ラップで終わった。
そうだね。
うん、そうっすね。相手がどうこうてか、自分が最後の一人になる以外は、相手に任されたというか、自分が走れなくなって終わっちゃったみたいな、そういうところはありますよね。
確かに。
で、翌年アメリカに行くことになるっていう。
はい。
で、もうそっからはもう、バックヤードはもう機会がある限り出ようっていうモードになってたんですか?
そうだねー。なんていうんだろうな、バックヤードが好きっていうわけじゃないんだよね、俺。
うんうん。
そんなバックヤード好きなやついる?知らないけどさ。
俺は好きじゃないけど、自分がこうやって走り出したきっかけが、自分の限界が知りたいっていうので走り始めたっていうのがあって、100キロだとか、100キロ走ったらってイメージできないから、わかんないんだったらちょっとやってみようよって思ったわけよ、自分は。
200キロもどうなるかわかんないけど、イメージできないじゃん。いろんなことを想像しても想像できない距離だったから、どうなるんだろうなーって200キロの先行ってとか、そういうふうにしてチャレンジして、自分の限界ってここだったんだなーだとか、まだまだ自分ってここで終われないよなーって、終わんないよなーって、もっと行けるよなーっていうふうに思わせてくれるレースが、まさしくバックヤードみたいな。
バックヤードで、自分でルール決めてさ、6.7キロやって休むだとかっていう練習を、しばわきさんだとか、やったことあるって聞いたんだけど、もう俺にはできないのよ、そんな。
でも、レースじゃないとこれできなくないと思いながら、それを試してもらえるのがそのバックヤードっていうので、自分の性格にも考え方にもマッチしてるのがバックヤードなんだろうなーって思ったから、どこまで行けるのかなーっていうので、チャレンジさせてもらってるっていうのが正直なところかね。
好きじゃない。
なんか、お話ししてる中で、好きじゃないんだみたいなことも直接聞いたこともありましたし、確かに今のお話を聞いて少しこう、あ、もりもりさんはそう感じてるんだっていうのは。
好き?
いや、どうなんすかね。
だって苦しいことしかなくない?
だってこっからどんどんどんどん体力が削られていってさ、気力だとか精神力だとかどんどんどんどん削られていくレースなんだよ。
この先、未来を想像してもさ、地獄しかないこのレースっていう風に思うともう嫌だもんね。
なんかでも、なんか何ですか?
それこそ予期しないこととか、自分の知らなかった面に出会えるっていう、そこはなんかこう、発見っていうか驚きがあったりするんで、楽しいかっていうとまたちょっと違うんですけど、
なんかでも、びっくりしたりとか、なんかこう、ハッとしたりとか、自分の知らない自分に出会えたって思わずちょっとこう、高揚したりとか、なんかまあ複雑なそういう気持ちはあります。
なんか俺も同じような感じだよね、バックヤード出てるっていうのは。
やっぱり自分が限界だと思ってたところを越えたとか、こういう風な時でもこうなって、こういう考え方で帰れるんだなーだとか、いろんなこの、その状況になって窮地に立たされない場面場面でどう自分が回避するかっていうかさ、走る方向に持っていけるのかだとかっていうのが、そのバックヤードの魅力だろうし、
やったことない人からすると多分わかんないと思うから、これはだからみんな結構のめり込んでいってる人らがいるのはそういうことなのかなーっていう気がするね。
そうですね。
まあ見事にのめり込んでるうちの一人ですけど、はい。
だよね。
で、ちょっとまあ引き続きあの、もりもりさんのバックヤードヒストリーを聞いていきたいんですけど、
2021年、初めてアメリカの世界大会に出るっていうことですけど、その時はどうでした?
そういう世界選手権に日本を代表して出るっていうのは初でした?
初めてだったね。
で、いろんな国の選手が集まってる中でスタートしたと思うんですけど、なんかどんな感じでした?
なんかね、その時コロナだったんだよ。
ああ、なるほど。確かに2021年ですね。
で、ヨーロッパの人らは来れなかったんだよ。
で、アジアだとか北米だとか南米までは来れたのかな、なんかそういうところで走るっていう風になって、なんかね、アウェー的な感じはしたね、すごい。
勝手に感じてただけかもしれないけど、
言うとさ、日本でやったりとかするのと訳が違うのは、やっぱり道具だとか、なんかいろんな備品だとかがやっぱり難しいじゃん。
で、そういうところですごいアドバンテージあるのはアメリカだよなと思いながら、
で、このチャンピオンシップでもさ、アメリカの時間帯で始めるっていうのがよく、全世界がそれに合わせるわけじゃん。
なんかすごいアメリカ寄りなルール設定だなって思いながら参加をさせてもらってたの。
まあそうは言っても、この大会に出るからにはそういうね、ルールでやるっていう風に決まってんだから、それに従わざるを得ないって思いながら出たっていう感じかな。
でもそんな中で単位まで残ってますよね。
そうね。
ラスト3人。
これね、これはあれだったね。
でも感動してくれてさ、トムさんが。
連絡くれたのよ。80ヤードか何ヤードか忘れたけど、すごいすごいって言ってくれて。
で、日中はすごい暑かったのも覚えてるし、あとはね、2人ともアメリカ人だったのよね。
残りが。
残りが。で、俺1人で走ってるっていうのもあって、結構これね、気を許しちゃったなっていう感じの終わり方なんだけどさ、終わり方って知らないよね。
知らないです。
えっとね、俺これ最後ね、タイムオーバーしたのよ、86時間目で。
はいはい。
でね、あと5秒足りなかったのよ。
で、俺はね、やっぱ眠気があって、ペースは落ちてるっていう感じなんだけど、そこが今完全に時間が迫ってきてるっていう感覚はなくて、
まあとにかく淡々とこうのんびりと行ってるっていう感じだったんだけど、最後のゴール近くになって、もりもりーっていう風に声が聞こえたから、
はっと我に帰って猛ダッシュで行ったんだけど、時間がもうないぞと思って。
うん。
で、間に合わなかったっていう終わり方なんだけど、実はねこれね、途中でね、倒れてるんだって、俺聞いたら。
なんかね、途中でね10分間倒れてたって言うんだって。
俺でね、俺記憶にないからさ、まあ確かになんか腹痛えぞ、横腹痛えぞとか思うところはあったんだけど、なんか痛えなって。
で、それで、いや俺倒れてないよって言ったのよ。
ずっと走ってたよって言うんだけど、その時ね、クルーが撮影してくれてたのよね。
各エリアエリアで。
で、そのクルーが見てたって言うんだって。
それで初めて知ったのよ。
あ、俺倒れてたんだ。確かに10分も倒れてたら、それは間に合わんわなと思って。
それで分かったけど、その時ね、まあこの時にも泣いたね。
もっとできたのになって。
で、なんかね、その時まだ日中だったのよ。
はい。
夜になったらもう眠たくなるっていうのが、やっぱり日本人じゃなくて人間の特性じゃん。
だから暗くなるよりも明るいから、眠気はなくなるなっていう安心感が出ちゃって、そのほっとした一瞬だったと思うんだよね。
もう脳がね、休ませてくれって強制リセットされてさ、
俺でバタッて倒れたっていうのが、まあ真相なんだろうなって。
で、そっからね、ルールが変わるのよ実は。
でね、ここでこの最後のビッグドックスの成績が残るようになったのは、俺からなんだよ。
ビッグドックスの成績が残るようになったっていうのは。
だからこのラップで100ラップだとかが残って、次翌年そのラップ残ってればアットラージまで残るじゃん。
はい、そうですね。
2年間っていう風になったじゃん。
あれはね、その時にね、ラズがね感動してくれて、ここで次のビッグドックスも出てくれって言って、ルール変えてでもやるから出てくれって言ってくれて、残れたのよ。
っていうような感動してもらえる走りができたのよ。
なるほど。トモさんにしろラズにしろ心を動かした。
ありがたくね。
元はどういうルールだったんですか?
元はね、俺よくわかんないんだけどさ、このね、成績は残んなかったと思うよ。
そのビッグドックスは。
はいはいはい。
それを延長してくれるって2年間延長っていう風になったのが、俺のこのことがきっかけでルール変更になったっていうのは聞いた。
じゃあ直前の1年とかですかね。
そうだったのかね。なんかそういう、このビッグドックス終わってからみたいな感じだったのかもしれんね。
うんうんうん。なるほど。
いやほんと要所要所で人の心を動かす走りをされてきたんだなっていう。
いやもうありがたいことに、ほんとに。
クルーと仲良くなった。
クルーと仲良くなったんだよ。
現地のクルー。
すごい応援してくれたクルーも。アメリカのところから来てくれた人なんだけど、すごいありがたかったね。
なんか最初はね、アウェー感感じてたなって言ってましたけど。
そうそう。すごいね、こうカメラマンとかにずっとね、お礼言いながら走ってたのよ。
すごいありがとうありがとうって言いながら。
そうしたらね、だんだんだんだんね、こう応援してくれるようになってね。
これ行ったら何もしてくれなかったんだけど、そのうちにね、こうやってグッドサインしてくれるようになったのよ。
こう喋れないから。
喋れないからもうカメラをやりながらこうグッドサインしてくれるようになって、
すごいなんかいいレースだったなっていう。
その時の限界は、自分はこのラップだったんだなっていうのが気持ちいい終わり方だったかもしれんね、まだ。
その年の優勝者がハーヴィーですか?
うん、ハーヴィーだったね。
ハーヴィーは何ラップまで行ったんすか?
ハーヴィーは85かな。
ハーヴィーが85まで行って、モリモリさんは何ラップまで行った?
80。
あ、80か。
そこは人はあったね、そこは確かに。
いける、まだいけるって思ってたから。
で、そんな死闘を制した後、また翌月バックヤード出てるんですか?日本に帰国されて。
あ、出たね、出た。
京都大会。
出た。
それどんなモチベーションで出たんですか?
何だろうな、何で出たんだろうな。やっぱり入るなってスケジュール的に。
出たいと思っちゃったんですね。
ちょっと走ってみようっていうので、近場、愛知県からしたら近場の京都っていうような感じだったかな、その中は。
何で京都なのって言われてるけど、近いから選手からね、何でわざわざ京都を選ぶのよって言われたけど、いやだって近いんだもんって言うんだけど。
そこでラストサムライ。
そうだね、初めてだったね、その時が。
今まではこう、自分の限界に達して終わってた中で、ラストサムライになって終わるっていうのは何かどんな考えでしたか?
すごい、何だろうな、規模的には広くなってきたっていうのもあるし、初めてっていう中で走ってる中だったから、ここで勝たないといけないなとも思ってたし、
すごいメンバーとも恵まれて楽しく走らせてもらったし、
ここできっかけになっていろいろ連絡取り合うような感じになった人もいるし、
そうなんですね。
すごい、楽しくはなかったけど、まあまあ良かったな。
楽しくはなかったですね。
その話したりだとか、一緒にこう言ってるときは楽しいけど、個人的な体の負担だとか考えると、まあまあ予定通り楽しくないよねって感じだったかな。
やっぱ前の月のVIXXの影響も残ってましたか?
あんまりあったのかな。そこのコースもさ、結構登って下ってっていうコースだったから、結構足には来たね。
そっか、ボートっていうと。
まあそうだね、そこもあったかな。
コースもあったし、期間的な問題もあったのかもしれないけど、そうだね、1ヶ月ちょっとだもんね。
まあ短いわね、確かにスパン的に考えると。
あったのかもしれない。
まあでも楽しくはなかったけど、まあ最後まで勝ち切って。
楽しいバックヤードはないな。
で、翌年の2022年はバックヤード出てないんですよね?
そう、出てないのよ。これがね、この砂漠レース動いてたっていうのもあって、
チャンピオンシップがちょうどね、南極とちょっと日程が近いっていうのもあってね、ちょっとね、出れなかったんだよね。
これすごいっすね、南極走ってんすね。
そう。
これその年、砂漠レースを。
あ、でも2022年、ドイツのバックヤード行ってるんですね?
あ、行ってるのよ。
あ、はいはいはい、バックヤードマスターズ。
これの、これはね、アレックスからダイレクトメール来て。
で、俺はその時ね、知らなかったんだけど、このVIXにもいたんだんだよね。
あ、そうなんだね。
アレックスは。それでね、その時に、2位3位の選手呼ばないの?1位2位の選手呼ばないの?って言ったのよ。
なんで俺なの?っていう感じで言ったんだけど、そしたら、その時にアレックスが言ったのは、俺は人も見てんだって言われて、
あ、そうなの?っていう感じで、まあなんて言うんだろうな。
そのナミビアから北上すると、もうドイツだから。
はいはいはい。
次、まあね、こうスパンがすげえ短いのよ。
そうっすね。流れるって言ってんすか?
1週間ぐらいしかないのよ。
それで、でもね、この前にVIXで戦えなかった欧州の人だとかと出会えるなっていうのもあったし、
どんな走り方をするんだろうなだとか、
で、ナミビアから日本に帰るよりも近いし、行けなくもないよなって思ったのもあったし、
でもスパン短いけどどうなんだかって思いながらも、
まあ出てみようっていうような感じで、
で、ちょうどその砂漠レースに出てた知り合いが、
よかったらサポートしてあげるよって言ってくれて、
あ、本当?って。
それでそのまま一緒についてきてもらって、
へえ、すごい。
そこの知り合いからまた知り合いに行って、
ちょうどね、バックパッカーで世界を旅してる子がいて、
その子を呼んだからって言って、2人体制でやってくれたんだよ。
すごいですね。スポってはまるように。
そうそうそう。
しかもそこでもすごい距離走ってませんか。
そうなのよね。これね、もっと早めにやめとけばよかったなと思ったんだけど、
これね、73時間でやめたんだけどさ、
次のレースもあるから、もうやめようと思って、
やめていい?っていう話をしたんだけど、
もうここでね、けっこう足にね、ちょっとダメージというかね、怪我をしちゃってて、
次の砂漠レースにちょっと悪影響を及ぼしちゃって、
ちょっと後悔することにはなっちゃったんだけどさ、
そのレースだけを見ると。
だからもうちょっとね、ここだけで戦うっていう話なんだったら、戦えたかもしれない。
これ、2022年を見てると、もりもりさん、会社は行ってたんですか?
行ってた。行ってたけど、
行ってたけど、ちょっと帰ってきたら、またちょっとすいません、行ってきますっていうような感じだったね。
いや、そうですよね。
いや、すごいですね。
やっぱ、悠久がね、もうなくなったね。
いや、そうですよね。
うん。
で、ここでね、このフィンランドでコロナをもらっちゃったのよ。
なんと、8月ですね。
レースのテントメイトがね、コロナにかかってさ、
テントの中でコホンコホンされてさ、
で、これはね、感想できたんだけど、
日本に帰ってきてから、その前に24時間前にチェックされるじゃんね。検査しないといけなかったから。
その時は陰性でよかったんだけど、帰ってきてからちょっと微熱が出てきたなってなって、
それで病院に行ったらさ、感染してるっていう話になったんだよ。
だから、フィンランドさんのコロナを持って帰ってきたっていう。
すごい、そのタイミング的にも、まだ2022年だと、海外行ってコロナもらって帰ってきたなんて言ったら、いろんな意味で。
もう、それでもうね、隔離されたね、家で。
みんなが寝静まってから行動しだすみたいなね、ご飯食べて風呂入ってて。
でも、ほとんども隔離をしないといけないっていうのが国からも決められてたからさ、
寝室でずっとテレビ電話で、おいしいかーとか言いながら、ご飯うまいかーとか言ってたわ。
で、その年は9月も11月も砂漠に。
畑川砂漠と南極。
南極。
すごいっす。
その年は、振り返るとどんな1年でした?
もう半分、なんか海外みたいな感じだったね。
なんか行ったらすぐにまたレースの準備して行かないといけないみたいな、結構大変だったね。
すごいっす。ほんと砂漠レーサーって感じですね、2022年は。
そうだね。
お金もすごいかかったしね。
やっぱでも、そこまでしてでもやっぱり行きたかった、走りたかったっていう感じですか?
そうだね。経験なかなかできないだろうからさ、だからちょっと会社の人にもちょっとおじきそして行かしてくださいっていう話をしていたね。
結果として行ってよかったですか?
そうだね。
まあ、悔いは残ったけど。
悔い残ったんすか?
いや、だってそこのさ、次ジョージアのところで、俺6位に沈んじゃってるじゃんね。
これがね、でかかったのよね。
俺をね、2位とか3位とかだってたら、そのすべてのグランドチャンピオンみたいなのがもらえてたんだよ。
それをね、逃したのはね、この6位っていうのが一番響いてたね。
バックヤードマスターズで痛めた足が。
もうちょっと賢い走り方した人が、もっと足のダメージをちゃんと感じ取れてたらよかったなと思った反省だったね。
でも、トータル的にはなかなか経験できないことだったし、最終的には行ったことない国だとかで走れたっていうのもあったから、すごくいい経験にはなったね。
まあ、走ってよくなかったって言っても、結局はいい経験として終わるっていう感じだから。
まあ、そうっすね。
やらなくてよかったっていうことはないね、今までで。
すごいっすよね。一年一年、一戦一戦、人の心を動かしながら進み続けて。
ありがたいですわ。
はい。で、2023年が、この年は結構あれですね、24時間走とかも出つつ、またビッグスに。
そうだね。
うん。その年のビッグスはどうでしたか?
あの時はね、一番取りたいなと思ってたけどね。
うんうん。101ラップ。
そうだね。
もうでもそこまで行くと、記録がっていうよりはもう、やっぱ順位を最後の一人で終えたかったって感じですかね。
そうだね。まあでもね、ダメだったなあ。もうちょっと行けたんじゃないかなって今思えば、あるね、バックヤードってそうじゃんね。
もう1ラップ実は行けたんじゃないって、いくら行っても思うじゃん。
今だから思うんであって、その時は行けなかったんだろうけど、ちょっと時間たつとさ、そういう後悔がさ、出てくるから、このレースってなかなかきついよね。
うん。
そうっすね。
うん。
でもほんとその101ラップが、初の日本人として100ラップに到達したという、ある意味のベンチマークというか、うん、になったかなと思うんですけど、なんか印象的だったエピソードとかありますか。
そうですね、こうね、まあ走ってた日本人のメンバーとか、みんな、まあ吉田さんもいてくれてたし、しばやきさんもいてくれたし、
伊達さんだとか前田くんだとかいてくれたけど、その時に、なんだろうな、もう終わりたいっていうか、もうダメ、もう走れないっていうふうに言ったときにね、
行け行け行け行けってね、もうスタートしろスタートしろって背中を押してくれてたっていうのがね、印象的だったね。
まだ行ける行けるかなって言って、だからもうちょっと行けたような気がしなくもないけど、それがブーンって思ったよね。
その年も最後の一人は、ハーヴィー。
うん。
ハーヴィーは森森さんから見ると、どんな存在ですか?
そうだね、まあ年上というのもあるし、やっぱり負けちゃいけないんじゃないかなって思うよね。
やっぱり、いわ、なんて言うんだろうな、そこを目指すじゃなくて、通り過ぎるようにならないとダメなんだろうなっていうふうに思うよね。
目の上のタンコブみたいな感じですね。
言い方あれですか?
そうだね、そこで目指すっていうか目標にしてちゃいけないっていうような存在かな。
やっぱり上を行きたいんであれば、そこをゴールにしちゃダメだよっていうふうに思わせてくれる人かな。
うん。
やっぱり年上にはちょっと負けたくないな、まあ年下にも負けたくないなと思うし。
誰にも負けたくないんじゃないですか。
まだまだやれるっていうところを見せたいし。
いや、ほんとそうっすね。
まあみんな思ってることだろうけどね。
いや、結局ね、この場にいるようなバックヤードのレースに何度も立ち続けるような人は、どっかではやっぱり自分が一番だと。
それを信じてる部分がありますよね。
負けたくないと思うからこういうレースに出てるんだろうね。
次のその2024年、前回のサテライトですけど、森森さんは出場しないという選択をされたと思うんですけど、それは何か特別な理由とかあったんですか。
何かあったんだっけ、24年にサテライトがあったの?
そうです、2年前ですね。
なんだろうな。
あんまりレースに出てない年ですよね、DUV見てると。
そうだね。何の時だろう。
あ、これね、たぶんね、この終わりかけから、24年の後半ぐらいから腰がね、ゆっくり腰みたいな、なんか腰の調子がよくなかって、DUVに走れなかったのよ。
腰の故障だね、これは。
そうだったんですね。
その故障期間は結構長かったんすか。
長かったね、25年の上旬、3月、4月とかになってから5月ぐらいまで入ってたかな、6月とか、それぐらいまでもうね、なかなか走れなくて。
だいぶ長いっすね。
長い長い。長かったから成績もね、あんまり良くないもんね、VIXXが。
そうですね、2025年もやっぱその影響があったんですね。
そうだね、その影響が一番でかいね。で、言うとね、確かね、だから6月、7月、8月とかになって、やっとこそ走れるようになって、この成績は自分の中ではよくやったんじゃねえって思う結果だったね。
75ラップとかしてた?
74かな?
74ラップ。
74だね。
じゃあ、なかなか思うような走りを詰めてない中で、
そうだね。
呼んだ3回目のVIXXだったと。
うんうん。
で、そこで初めて、もるもりさんと私はご一緒させていただいたわけですけど。
うん。
いやーでも、やっぱもるもりさん、いつまででもやめないんじゃないかっていう気がしてましたけど、やっぱ体はしんどかったですか、その時は。
いやもうね、こう自分で制御できなかったかな。
うーん。
だって日中の時のさ、コーンまず最初回るじゃん、スタートしてから。
あそこで寝落ちしてんだもん。
あ、そうなんですね。
これで、あ、これで再開で、こう行ったのよ。
折り返しして。
で、ところどころでね、こう寝てんのよ。
でもうね、これこう、このまんまじゃ危ないと思いながらも走ってたから、あ、これはもう無理だわってなってタイムオーバーなったのよ。
だから、こう眠気をもう走ってても、途中でこうシャットダウンされるような感じ、パソコンでいうような、そんな感じになってたから、もうどうもできんかったね。
しかも、方から見ると、本人は寝向けの問題もおっしゃってましたけど、もうハムストリングですか?なんかすごいことになってましたよね。
あー、そんなあったね、そういえば。あったあった。なんかクリームかしぶれだもんね。
あー、そう、そうっすかね。僕もあんまり記憶が定かじゃないですけど。
これ使ってくださいって言ってくれて、塗って、あ、いいわーってやって走ってたような、そんな感じだったね。
あー、確かにそう言われて思い出したわ、そうだったわね。それよりもシャットダウンされてたっていうのが、そっちだったんですね。
一番きつかったかな。
そっかさ。
そんなちょっとまぁ、去年は不本意なバックヤードだったかなぁと思いますけど、
今年、2026年のサテライト、2020年に出られてから、サテライトで言うと6年ぶり。
そうだね。
はい。なんか久々にこう、サテライトのスタートラインに立つ気持ちとかありますか?
木島平村がね、あんまいい思い出ないんだよね、前回走ったけど。
4月に走ったんだけど。
そっかそっか、走ってますよね。
肉離れだったのよ。
うんうんうん。
だからそれがね、こう、いい思い出じゃないから、その思い出をこう、いい思い出にして帰りたいなっていう気持ちはあるね。
上書きしたいっていうことですよね。
上書きしたいね。
うん。木島平、何ラップでした?
これ40いくつじゃなかったっけな。
早々にやめたような気がするんだよね。
42ラップだね。
それもやっぱなんか足は本調子じゃなかったの?
その時にね、俺ね、その前、何週間前かな、
トレイルレースに出てて、
すねの方をね、こう切っちゃって、
骨がビヨーンって見えちゃったのよ。
で、それ?
それがあって、まあ方々して、こう方々して、
はいはい。
傷はふさがってたんだけど、
で、それから走ってたら、なんかね、
意識してなくても無意識のうちに、
斜め対角線上にダメージがいくらしくて、
ちょうどね、右のハムがそこで肉離れを起こしちゃってて、
で、そこで、肉離れの兆候があったからさ、
で、リンタロップの知り合いのあの方にもらって、
てっぺんさん。
はい。
てっぺんさんに見てもらって、
ちょっとこれどうですって言って、
このまんま走ってもいいのかどうかっていうのを
プロの目で見てもらいたいんですけどっていう話をして、
自分の痛みとしては、ちょっとやばいかなと思ってたのよ。
ちょっと走って、痛みが取れる感じじゃないなって、
ほぐせばいいかなっていうような感じじゃないなと思って、
1ラップ行って、感触を感じたから、
で、こう見るとちょっと内出血も見えてたから、
なんかこれ肉離れの兆候じゃねえのかなと思って、
てっぺんさんにちょっとすいませんって言って、
この、ちょっと見てもらってもいいですかって言って判断した結果、
まあ走れなくはないけど、
まあこのままずーっと行ってると、
まあこの肉離れの兆候は出てるから、
っていうような話をされて、
で、ラップ数もそんなに大していけないタイミングだったじゃんね。
その42だから。
まだまだ続くっていうぐらい人も残ってたから、
これで1ラップ2ラップっていう話なんであれば、
行けなくはないけど、
ここは無理するとこじゃねえなと思って、
で、もうプロの判断を優先して、
やめますって言ってやめたの。
その後1ヶ月後にサイノクに走られて乾燥されてますけど、
あの、怪我の回復は良かったって感じですか?
これがね、またね、1週間安静したのよ。
とりあえず動かさんほうがいいなと思って。
で、2週目からちょっと調子見てみようかなと思って走っていくうちに、
あ、ちょっとなんか行けるかなっていう風になってきてから、
だからその判断が早かったから、
こうそうしたのかなっていうような感じだったかな。
そしたら、あ、出れるかもしれないぞ、この感じだったらと思って、
それで出たかな。
その時にはもうそこの肉離れは気にはしてなかったかな。
じゃあ本当に判断が早くて良かったって。
だからそれが砂漠のレースの時で失敗したっていう、
ドイツのバックヤードのこの反省が生きてんのかなっていう気はするね。
そういうことっすね。確かに確かに。
順次に判断できたっていうのは、だから、
方から見ると、やめな早くねって思われるかもしれないけど、
そこはもう自己判断だからさ、
経験でこの場合は良くない、
このまま突っ走っても良い感じにはならないっていうところは、
やっぱり経験の差かなっていう気はするね。
結果として良い回復につなげられたわけですもんね。
てっぺんさんの判断もありがたかったね。
てっぺんさん、今回の10月もいらっしゃるので、
たぶん元気なもるもるさんを見れて喜ぶと思います。
夏場はOSJの御滝の100マイルとかも出られてますけど、
今のところ調子はどうですか?
最近、雨だとかが降ってさ、急に気温が下がったりしたじゃん。
それでちょっと体調崩してるっていうのもあるから、
なんか嫌だなって、嫌なタイミングだなっていう感じが正直ある。
でも体の面で言うと、そんなにどっかが痛い、怪我してるとかはあんまりない感じですか?
でもハムがやっぱり心配かな。
そこら辺大丈夫かなっていう不安があるね。
いやぁ、もりばりさんの、なんか万全な状態じゃなくても、
すごい趣味の…
早くやめよ、早くやめよ。
やめなさい。
今回のチャテライトの意気込みはどうですか?目標とか。
そうだね。自己ベスト更新できるってありがたいかな。
やっぱりバックヤードだったら自己深は目指したいところだと思うから、
そこまではちょっとしっかり走れるようになりたいなと思います。
101を超える、102以降ってことですよね。
そうだね。そこぐらいまで行きたいな。
じゃあ、必ず今回の日本メンバーは100を超える人が何人か出てきそうですもんね。
出てきそうだよね。
いや、ほんとに体調には…
だって、りんたろ君のあれでしょ?狙ってるでしょ?
そうですね、はい、私も。100は。
だって、前ので何ラップだっけ?
94です、ベストが。
94でしょ?だから行きたいなと思うでしょ?
うん、思います。
あとはシチュエーション的にもね、
今年は結構海外レース出てきて、やっぱり日本人が少ない心細さとかも正直あったはあったので、
日本のレースだったら言い訳はできないなっていう。
結構海外の人しかいなかったら集中できない?
でも僕の場合はやっぱり眠くなっちゃうんで、話し相手がいないというか、欲しいって感じですね。
あのバッグを持ちながら行くあのスタイルっていいの?
リュック背負うじゃダメなの?
僕リュック、なんかほんと汗かいちゃってダメなんですよね。
あ、そうなの?背中はちょっとむずむずするの?
うん、そうです。
もりもりさん逆にザックスタイルですよね。
そうだね。
最初から最後まで。
手ぶらで痛いって感じ。
でも何か持っては痛いってことなんですね。
そうだね、でも俺汗かきだからさ、水分補給が結構必要になるから、
でも今回はね、折り返しの1周目の折り返しとかでも、補給がある位置にあるからさ、
だからそれも軽量化していけるかなっていうような気はするね。
そうですね、ほんと。
いろいろバックヤードのルールも微妙に変わったりして走りやすくなってる部分もありますもんね。
うん。
なんかこう、団体戦っていうところに対しては思うところはありますか?
まあ団体戦だからあれだね、まあ国別っていうところもあるから、どうだろうね。
まああんまり変わらないかな。
結局は自分が目指すのは自分の限界っていうところだから、それを知るっていうところであれば、
あんまり知り合いもいるだろうから、
ねえ、りんたろうくんの話もそうだし、
まあみんなで行くっていうところであると、まあ言えば心強いかなっていう感じがするかな。
ちなみにこう、結構知ってる人も知らない人も今回のダイヤルメンバーには含まれてるかなと思いますけど、
なんかこう、まあこの人と久々に走れて楽しみたなとか、
まあ初めましての人であっても、この人と走れるの嬉しいなとか、
なんかあえてあげるとしたらいらっしゃったりしますか?
ベルさんと赤松さん。
おお。お二人とも面識はありますか?
まあ、面識あるよ。
まあベルさんはあれだもんね、一緒に走ったもんね、アメリカで。
ああ、そうですね、そうですね、確かに。
で、赤松くんはちょこちょこと別の大会派とかで会ったりして、
ルコイラ。
イオンとかですよね。
そうだね。
とか、サイの国だとかも出てたし。
どんなところが楽しみですか?誰と走るの。
そうだね、どんなところっていうか、
みんな力強い走りをするんだろうなと思って、
他の力強さを見させてもらいながら、
自分も闘争心を消すことなくいきたいなって思うかな。
まあリンタロウ君と走るも楽しみだよ。
ありがとうございます、気を使っていただいて。
実際に眠たくなってフラフラになって弱音を吐くところだとか聞きたいし。
もうやめたほうが。
そしたら俺が言ってあげるよ、もうやめたほうがいいと思うよ。
その言葉に乗っからないように頑張ります。
ありがとうございます。
本当に日本のバックヤード界の最初から今に至るまで、
もう伝説的な森森さんなわけですけど、
そんな森森さんが思うバックヤードの魅力というか、
今もバックヤードに出続けてしまっている理由みたいなところもぜひ伺いたいなと。
はい。さっきも言ったように、やっぱり自分の限界に挑戦できるっていうところかね。
やっぱ知らない自分が出てくるし、本性の自分も出てくるし、
だからなんていうんだろうな、こう、制御できないところも出てきたりするから、
そこで自分がどう対応するかだとかっていうところで、
やっぱり人間力だとか、自身の成長につながってくることにもなるだろうから、
そういうところがすごく魅力かな、やってみて。
だから走ることもそうだったけど、このバックヤードも好きじゃないんだけど、
なんか成長させてくれるっていうところがすごく魅力だから、
嫌いであってもやり続けられてるっていうところなのかもしれない。
いや、面白いです。嫌いだけはやり続けてしまう。
そう。
ありがとうございます。
本当に、バックヤードもそうですし、砂漠マラソンとかもそうですし、
本当に自分の限界を知るためのチャレンジをたくさんされてきてる中で、
大切にしている言葉とか、座右の銘とかもあれば聞いてみたいなと思うんですが。
これはね、高校1年の時に友達が言ってた言葉がそのまま自分にも、
これ自分にもぴったりだなと思ったのが、
継続は力なりってやつかな。
やっぱり続けることっていうのが大きな力にもなってくるっていうかね、
やっぱりただがむしゃらに続けるっていうこともなかなかできることじゃないだろうし、
続けることの大切さだとか、
続けることでどんだけ大きな力が出てくるだとかっていうところも、
そういうところにも言葉の中に含まれていると考えると、
こういう言葉は自分の中で柱としてやっていきたいなというふうな言葉の一つですね。
ありがとうございます。納得というか、ものすごく今までの話リンクするな。
ありがとうございます。
いえいえ。
では最後、2つ質問がありまして、
1つはこのPodcastを聞いてくださる方もそうですし、
サテライト大会日本代表を応援してるよという方に向けたメッセージ、
一言いただきたいなと思います。
どういう結果になるかわかりませんけども、
私自身、自分に負けない走りをしたいと思っております。
また、見ていただいている方々にどのように感じていただけるかわからないですけども、
この前の吉田さんのような戦いができるかどうかわかりませんが、
皆さんにこれから先に力になるような、ためになるような走りができたらなと思いますので、
また私もそうですけど、日本人チームメンバーみんなを応援していただけたらなと思いますので、
よろしくお願いします。
そして最後ですね、前のインタビューした人から質問を預かって最後聞くというのをやってるんですが、
もりもりさん、テーマソングあれば教えてください。
テーマソングか、どうだな。
グレーなんだけど、ピュアソウルっていう言葉っていうか曲があるじゃんね。
それがね、ちょっと好きだなって。
走る時もちょこちょこ聞いてる。
ちょっとこの後早速聞いてみます。
ありがとうございます。
これラジオだったら最後ピュアソウルが流れて終わるところなんですけど。
そういうわけで。
6分半ぐらいあるんだよね。
結構ですね。
それを6週7週ぐらい回せばバックヤダ1ラップ終わるぐらいの。
そうですね。
ありがとうございます。
ではピュアソウルももちろん聞きたいなと思いますし、
何よりも10月17日もりもりさんと一緒に走れることを楽しみにしています。
今日はインタビューありがとうございました。
こちらこそありがとうございました。
ありがとうございました。
では皆さん10月17日に木島ダイラでお会いしましょう。
ありがとうございました。
ありがとうございました。