1%の情熱物語
海外に住んでいる日本人は、日本人総数のわずかに1%。
この番組では、海外出身や起業を果たしたビジネスオーナーや経営者、また各業界のプロフェッショナルな方々へ対談形式でインタビューをしていきます。
日本の未来を背負うグローバルなプロフェッショナルたちの仕事哲学と、そこに燃える情熱に迫ります。
こんにちは。
こんにちは、みつです。
はるです。
1%の情熱物語410回目です。
みなさん、お元気でしょうか。
お元気でしょうか。
今日はですね、先月、はるさんに教えてもらった紅生姜という。
聞きました。
俺、ちょっと最近ハマってしまってますっていう話。
やった!嬉しい。
なんかめっちゃおもれえと思って。
じゃあ、なんかね、ポッドキャスト紅生姜は好き好きというやつを教えてもらって、それを聞き出して、
面白いなと思って、どういう人たちなんだろうと思って、ルックスも見たかって、YouTubeでちょっと調べたところ、
コントはなんか1回目に見たやつがたまたまそうだったのかもしれないけど、なんか別にコントじゃない、漫才か。
なんかおもしろくねえなと思っちゃって、それは。
私もあんま漫才は見ないです。トークだけ聞いてます。
そうなんだね。
で、違う、なんかタンクトップキッチンっていう。
その前に、あの、紅生姜を知らない人のために言うと、
稲田美希さんという方と、熊本プロレスさんという方がいらっしゃって、
熊本プロレスさんがタンクトップ着て料理するっていう。
それさっき言ったらすごくシュールで、何がおもしろいんだって感じかもしれないですけど。
めっちゃおもしろいですよね。
めっちゃおもしろいですよね。
なんかすげえ、わちゃわちゃになるんですけど、わちゃわちゃ感がね、期待どおりにやってくれるなって感じで。
だからちょっと最近、それを見ながら飯食ってるっていう。
一人でご飯食べるときも、私も見てますね。
ね。いやー、熊本プロレスさんのインパクトがすごいですね。
これでもどれぐらい有名なんだろう?もう日本全国、みんな知ってるよって感じなの?
いや、そこまでじゃないですけど、でも吉本所属なので、
たぶんお笑い好きの人とか、お笑いを見てる人は見てたりとか、
あとなんかアメトークはわかります?アメトークって番組。
で、熊本プロレスを略してクマプロって呼ばれてるんですけど、
クマプロ大好き芸人っていう。
あー、そういうのがもうあるぐらいなんだ。
はい。には人気みたいです。
いやー、確かにクマプロさんの魅力すごいですね。
すごいですよね。見ちゃう。
ちょっと最近の楽しみのひとつになったので、ありがとうございますと、はるさんに。
でもそれ、私もアサイリオさんと、何でしたっけ?お二人でやられてるやつを聞き始めました。
かとおち。
あ、そうですそうですそうです。
あれね、最初から聞いたほうが面白いです。
あ、そうなんですね。
最近、ちょっとそう、なんかうちわ話が増えて、なんかあれだなと思い出したんだけど、
最初の相関から聞くと面白いかなと思いますけどね。
さかのぼって聞いてみよう。
でもなんかトークが、二人ともやっぱりおしゃべりが上手とか、すごい早くないですか?
止まんないよね。
止まんないですよね。
あれ編集ももちろんあるけどね。
うちのこの番組はほぼノーカットの編集ほぼなしなので、
ちょっとだらーっとしてる感が出ちゃうかもしれないけど、
そう、多分そういうのすごい細かく切ってるし、面白いとこだけつなげてると思いますけどね。
何にしても面白いし、よくしゃべるよね。
面白い。朝聞いてそれで目覚ますっていうか、脳がそれで動き出すみたいな。
そうそう、ほんとにぐるぐるぐるぐる脳が、どんどんどんどん次の話行くからね。
追いつかない、まあ面白えよね、でも。
あんだけしゃべれてさ、作家のくせに、すごい才能だよんだなと思う。
すごいですよね。
2人とも作家なのにさ。
おしゃべ、すごいおしゃべってくれる。楽しいです。私も最近の楽しみが増えました。
よかったです。
じゃあちょっとね、これを聞いてみなさんも紅生姜は好き好きっていうやつと、
なんだっけ、アサイリョウと加藤知恵の、何でしたっけ、信頼できない語り手。
はい、そうです。
というポッドキャスト番組が面白いので、ぜひ聞いてみてくださいと。
はい。
はい、じゃあ本編に行きましょう。
はい、毎回1人の方のインタビューを4回に分けてお届けしています。
1%の情熱物語。今回は、リズムグローバルフィリピンズインクの伊谷玄希さんにお話を伺っています。
今回は2回目のエピソードです。
はい、先週がね、仕事活動内容とかフィリピンのことについてね、話しましたけど、
今週が過去の話ですね。幼少期から今の仕事に至るまでっていうのをね、ザーッと聞いております。
はい、それではお楽しみください。
はい、じゃあまずは、お生まれがちょっとプロフィールにありましたけど、
横浜生まれ、東京、調布育ちということで。
はい。
調布って、えらい良いとこですか?
いや良いとこじゃないです。良いとこは多分田園がつく大田区にあるところで、
調布は調布市であるんで、今だったら味の素スタジアムとかがちょうどあるとこですね。
うーん。どんな子供でしたか?
えーとね、サッカーばっかりしてましたね。
あー、そっかそっか、サッカー少年。
どんな子供かというと、ちょっと離れますけど、サッカーばっかりして。
で、そうですね。真面目か真面目じゃないかで言ったら、真面目だったと思います。
で、サッカーはずっとそうですね、小中高等。そのあと社会人チームであったり。
いまだにしぶとくずっと。
サッカーやってらっしゃる?
続けてはいるんですけど。
ワールドカップも終わったところですけど。
そうですね、終わったところですけど。
そうですか。
えー、真面目っつうと何?この学級委員とかそういうタイプ?
どちらかというと、僕ら子供の頃って割とちょっと学校が荒れてたみたいな、
暴走族がまだいたりとか。で、また調布っていうエリアが、今だから言えますけど割と悪いというか、
荒れてる地域もあったりとかで。
そんな中で、そっち側の憧れとかそっち側の友達も5つもきちんと勉強はちゃんとやってますよみたいなのをうまく大人に見せたがるような。
多分だけど、それって尾崎豊の影響とかがあったりするのかなって。
僕、ずっとこの質問の中身をですね、何をずっと見ながら何を話すかって考えたときにどんな子供でしたかで。
確かにそういうとこあんのかなっていうのが。
尾崎豊の歌を聴いてたんですか?
ずっと聴いてて、そうです。それもいまだに聴いてるんですけど。
成長してんのかしてないのかがわかんないんですけど。
別にバイクを盗んで窓ガラスを割りに行ったわけではないってことですね。
そういうわけではないんですけど、何となくても尾崎さんっていい学校出て親に反抗してみたいな。
ところの、そういう時代も多分マッチしてっていうのもあって。
だからどちらかというとそうですね。
1980年ぐらい?後半ぐらいですか?90年代か。
そうですね。80年とかですかね。
確かにヤンキー全盛期っちゃそうかもしれないですね。今思えば。
僕の学校もいましたよ。暴走族もいたし。
そうですよね。昔はね。
中学とか普通の生徒だったけどやっぱりちょっと改造したような制服が。
デフォルトでそれをみんな履いてるみたいな。
なるほどね。ボンタンってやつですね。
肩着の中では一番ちょっとイキってるみたいな。
そういう立ち位置で、勉強も運動もしっかりやりますみたいな。
僕もその辺だった気がする。
そうですか。どっちとも話ができるタイプですよね。真面目な人とも話ができるし。
かなっていうふうに。
悪いやつとも話ができると。
その時の夢とかはありましたか?
夢はシンプルにサッカー選手になりたかったですね。
でもちょうどJリーグができる頃じゃないですか。
Jリーグは僕が高校生だったんですけど、
その感じで言うと、いわゆるキャプテン翼が流行ったときとかで。
カズとかが日本に来たのが中学生ぐらいのときかな。
中学校の終わりかそれぐらいだったので。
そんな感じで、今後この後日本のサッカー変わっていくよっていう。
読売クラブが唯一プロみたいな感じの集団の。
本当にラモスとか竹田、北沢が前世の時代ですね。
僕の言ってた中学校だか小学校だかでも、
ブラジルに留学することがいましたもんね。
だからサッカーでやってくんだみたいなね。
珍しかったですけどね。
えーっつってみんなびっくりしてたけど。
そうすかそうすか。
サッカー選手に。
まあ結構、いわゆる普通の子っていうか、健全なタイプの。
もう本当に、と思います。なんか今から思うと。
元気な子になったってことね。
周りは親がどう思ってたかわかんないですけど。
極めて純粋にサッカーボールを追っかけてっていう。
もうほとんどそうですよね僕はもう。
小中高、東京で大学は行かれたんですか?
大学はそうですね、一応受験して、
まあ行きたいとこ行けなかったんですけど。
一応は行って、その辺からちょっと、
この後話しますけど、アメリカ行ったきっかけとかにもなるような話になるのかなって感じですが。
でもそこで映画関係なんですか?
もう全然普通に受験はもう単純に、
偏差地順で私立文系を普通に、
好みな感じでベタな感じで受けて、
受かったところに行ったっていう感じで。
結果的に、その後もう辞めてしまったので。
そうなんですね。
ちなみに辞めた後が、
アメリカ行くきっかけになったっていうところですね。
それはちょっとお話ししてお願いします。
若気の至りというか、いわゆる人生のモラトリアムというか。
行って全く勉強も身にならずに、
朝起きて大学と反対の方向に行って、
新宿向かって映画見に行くみたいな、
こういう人生生活ですっぽくて。
それはちなみに実家から通ってたんですか?
実家からですね。
大学は実家よりもさらに西に行くんですけども、
遊びに行ってたと。
バイトして、サッカーだけして、
週末はみたいな感じで、
社会人リーグ参加してとか、
映画見て演劇見てとか、
そんな感じでバイトしていく。
貯めたお金は全部そこに使ってみたいな。
やってるのを見兼ねて、
どうにかしろと。
唯一というか、
本当親ってありがたいなと思いましたけど。
それでどうするかで、
結論、大学で辞めましょうになって、
辞めてどうするので、
若いんでその頃、
なんとかなるでしょみたいな。
結果、なんとかならないじゃないですか。
そんなところで辞めたんですね。
就活をしなさいとか、
そういう話にはならなかったんですか?
ならなくて、僕の方が先に勢いで辞めてしまって、
どうしようかなって言ってられて、
それもその後、
考えが甘いっちゃあまいんですけど、
海外って英語でも覚えたら、
なんとかなるんじゃないの?
人生みたいな感じになって、
で、お金貯めて、
最初はほんと、
3ヶ月とか6ヶ月とかそれくらいの感じで、
語学留学でちょっとアメリカ、
そのときも海外なんか行ったこともなかったし、
パスポートもなかったので、
っていうのがほんとアメリカに行くきっかけですね。
それでその当時調べて、
わかんない。
だからなんとかならない。
そのときはロサンゼルスですね。
ロサンゼルスの郊外の、
コミュニティファレッジ付属の語学学校に行って、
行けばなんとかなるって勝手に思ってたんですけど、
今から思うとなんとかならないじゃないですか。
まあね、行っただけでは変わらないですよね。
人間がいきなりすげえやつになるわけではないですか。
ただまあでも、
結果的にそれで、
自分の中では海外に行く、アメリカに行くきっかけがそれでできたんで、
そこから人生がガラッと変わったので。
それはそれで。
すごくわかりますけどね、
僕もなんか海外に行けば何かが大きく変わるんじゃないかとは思ってましたよね、やっぱり。
何が具体的にって言われてもよくわかんないんだけど。
ただ何も変わらないっていうことは言って気づきましたね。
僕らみたいにずっと海外を長いと逆にね、
いろいろ俯瞰しても見られちゃうからまたちょっとあれですけどね。
あの当時22、まだ23とかだったので、
なんというか人生にいろんな夢と希望、今でもそうですけどもちろんですけど、
より人生に夢と希望しか前しか見えないみたいな感じだったから、
で憧れのアメリカでみたいなのがあって。
演劇とか映画ばっか見てたってことは、それはもうその時すでに大好きだったわけですよね。
そうですね、そういうのもあって。
でハリウッドの近いロサンゼルスを選んだっていうのもあるってことですかね。
そうです、それもありますね。
あるし大して知識はなかったっていうのもあるし、
今みたいにネットとかで盛んに調べられるような環境も、
まだそこまで電話線繋いだネットでみたいな感じの時代だったのでギリギリ。
そうですよね。
どうなるんですかその後、語学学校に行った後は。
学校行ってやったことは、ほとんど寿司屋のバイトですね。
俺も一緒なんだけどさ。
大体同じようなルートだな。
そこでカリフォルニアロールの。
バイトしてきてたってことですよね。
カリフォルニアロールの巻き方を覚えて、
マイクっていうメキシコ人にずっと寿司の作り方を教えてもらうっていうすごくシュールな絵が多分あったと思うんですけど、
たまたま同い年だったんですけどそのマイクが。
メキシコ人に寿司を教わるっていう日本人みたいな。
僕も近しい感じでしたけど。
その後学んだって、
最初はさっき申し上げたように半年も行ったら英語なんか覚えられるんじゃないかと思って、
それが全く甘い考えだってことを気づいて。
いろいろあって、
大学も日本で辞めてるので、
大学ぐらい卒業してこいやみたいな家族会等にもなり、
そこから一応トランスファーというか、そういう形で。
単位が移動できたってことですか。
多少ですけど、日本の大学もほとんど単位取ってなかったのであれですが、
そこからまた結構な時間をかけましたけども。
最終的にカルスクレートで卒業して、
2度目というか、せっかくアメリカに来てるんで、好きなことを勉強しようと思って、
それで、演劇シアターズをメジャーにして、それで卒業したっていう。
なるほど。
それでも演劇は表側なのか裏方なのか、どっちをやりたいとかっていうのはあったんですか。
全然裏方ですね。
制作側というか、その当時僕も言ってたんですけど、将来何になりたいのみたいなのを、
大学のクラスとかでもやったときに、プロデューサーになりたいですみたいな話をしてたような気がして。
もちろん憧れとして、やっぱり俳優とかっていうのはあったりはしましたけど、
ただ、なかなかそっち側は、作家選手側と一緒で、
なかなかそっち側の華やかな道っていうのは難しいのかなっていうのがあったりとか、
それよりも自分の性格的にも、なんとなく作る側というか、組み立てる側のほうがすごくいいなのかなっていうのがあって。
ただアクティングのクラスとか、スクリーンライティングのクラスとかは授業ではやったりして、
その辺はめちゃくちゃ苦労しましたけどね。
やっぱりなんで人前で、アメリカ人の前でなんで下手な英語で演技をしなきゃいけないのかって。
ただ英語の勉強にもなるかなっていうのもあったので、そういうのもあって。
日本の留学生の方とか、インターナショナルビジネスとか、コミュニケーションとか、
普通にエコノミクスとかでね、書いたり読んだりみたいなところがアメリカの留学とは多かったりする中で、
やっぱり表現する授業が多いので、脚本も自分で書かなきゃならないとかで、
今みたいにAIもないので、書いたやつをアメリカ人の友達とかホストファミリーとかに見てもらって、
直してもらって提出するみたいな。じゃないと恥ずかしくてめちゃくちゃな英語で読めないみたいな。
結構実力つきそうな感じですね。
そうですね。今から思うと選択したメジャーはすごく広かったなと思いますけど。
人前で物応じしない力だったりとか、
あと裏方で映画作るとしても、表に出る人のことを分かっとかないといけないというか。
そうですね。そこで本当に制作の端っこのほうですけども、勉強できたのはすごくよかったし、
それが本当に何十年も経ってようやく映画を撮るみたいなのにつながったりをしたのかなとは思いました。
でもずっとそれは燃え続けてるんですね、じゃあ。
かもしれないですね。
そういうもんかもしれないね。尾崎豊と一緒にね。
そうですか。ちなみに僕、皆さんに人生で衝撃を受けた出来事や転換期となったエピソードがあればって聞いてるんですけど、
じゃあちょっと、
卒業してこっちの大学を出てからどうなるんですかね。
今の仕事になるまでの経緯っていうのはちょっとさっと伺ってもいいですか。
そうですね。
大学ちなみにハンブルトっていうカリフォルニアの北のオレゴンボーダーから1時間ぐらいの
田舎の大学、カルステートの中でも一番北にあるとこ行ったんですけども。
サンフランシスコよりも上ってことですか。
もう全然上ですね。車で4時間ぐらいはさらに上行ったとこで。
寒いっすね、寒そうだな。
そうですね、結構寒いですね。
はい、そこで?
卒業した後にまたすぐにLAに戻って、仕事を探して、
それこそウェブメディア等での求人とかを見たりとかですね。
なんとかなりっていう。
Bゾーンとか見たりとか。
当時日経無料誌もたくさんあったんで見たりとか。
で、たまたま立ち上げの日経の無料誌立ち上げの会社があってですね。
これからフリーペーパー作ってきますみたいな。
社長が当時というか、僕とほんと年が変わんない。
1個か2個下ぐらいの若い当時、まだ20代とかの社長さんで日本から来て。
たまたまその会社があって。
僕も何もね、当然職力も何もないし、
遅れた大学出てるんでもうだいぶ年もいってて。
で、そこ行ったらたまたまその年が近い社長さんに気に入ってもらえてというか話があって。
ちょっとげんちゃん来てよみたいな話になって。
で、一応それ内定っていうんですか、利税入ともらって。
そこで日経無料フリーペーパーの利用から始まったという感じですね。
そうなんでしたっけ。そうなんだ。
僕それ聞いたことあったっけ。
実際今その雑誌はないですけども。
あれそうなの?何ていう雑誌なんだろう。
ハピっていう雑誌があってですね。
いや知ってるわ。
今ね、LA住んでらっしゃる方だとね、いくつかメジャーなところあると思いますけども。
そことまたちょっと一線を描くというか。
そうだそうだ、でもなんか今記憶がちょっと蘇ってきたな。
それがほんと最初で。
言わないですけども、提示された給与額もものすごい低くて。
ただ僕としては、こんな僕でも雇ってもらえて、
お金もらえるんだっていう感じで、全然オッケーですって感じで。
こんな感じだったんで、僕も勢いがあって熱かったので、
ちょっと何が余裕ありますみたいなのをやらせてくださいみたいな感じで。
社長も言ったように年が近いんで、やろうよみたいな感じで。
今から考えたら、だいぶそこの出会いっていうのはラッキーだったというか。
ちなみに辞めるときに大喧嘩して辞めたんですけど。
そうなんだ。そのラッキーだったのは何故なんですか?
そこでやっぱりいろんなものがスタートできたっていうのがやっぱり一つと。
あと営業っていう仕事で本当にロサンゼルス中を走り回って、
飛び込みから何から本当に。
そのとき若くて年が近くてっていう社長さんだったんですけど、
本当昔肩毛というか昭和スタイルで。
取ってくるまで帰ってくるんだよお前ぐらいの感じ。
それがそのときは当時プレッシャーはあったんですが、
意外とそういうの僕も体育会系なんで嫌いじゃないので。
そういうのも全て総合すると最初の僕の仕事のキャリアとしてスタートとしては。
やっぱ立ち上げっていうのもすごく良かったなと思って。
いろんなこと学べますよね。会社全体見ないといけないってことですね。
その辺もかぼってるな。
僕の話は置いときますけど、それ何年ぐらいやられたんですか?
本当もう1年ぐらいなんですよ。
だからめちゃくちゃ短くて。
今から僕も小さいながらも会社やってる身としては、
1年で辞められても困っちゃうなってのあるんですが、
そういうのも今から思うとすごく申し訳ないなっていうふうに感じるんですけども。
なんかでもその当時フリーペーパーめっちゃ増えてましたよね。
多かったです。2000年代ですからね。
果たしたら10社近くあった気がする。
それぐらいあったんじゃないですか。
僕もそのときオンラインメディアでしたけど、営業やっぱりやってましたから。
その辺で出会ったっていうか、
平たく言えば競合にもなんなかったですけど、同じ世界に行ったから。
なるほどね。で、その後は?
その後、ロサンゼルス内で転職をして。
はい。どんな会社に?
NPOなんですけど、日本語とか日本文化を普及しますっていうようなNPOの団体で、
ただやってることとしては、その事業としてイベント運営をして、
ファンドレイジング、いわゆる寄付を募って運営をしていくっていうところで。
僕の役回りとしてはイベントコーディネーターっていう役職で、
高校代理店みたいなことをずっとやってたんですね。
これね、ちょっとプロフィールにも書いてあるんで、
ゴスペラーズ、秋川雅志さんっていうのかな。
佐田雅志さんのコンサートも運営したと。
年に一回一番大きい事業としては、そういった方を日本から招聘して、
日本の歌であったり日本語であったりとかっていうのを広めましょうっていうので。
あとは映画上映会とか。
作るほうではなかったんですが、上映会やったりとか。
あとは日本語のスピーチコンテスト。
それは事業のど真ん中ですけど。
それはアメリカンとかもしくは非日本人の方が日本語でスピーチをするコンテストを主催していらっしゃったってことですね。
主催して、はい。
我々が主催した大会で優勝すると、日本に行って日本の世界スピーチ大会に出るみたいな感じですね。
そこのイベント運営、ホントロジスティック周りからスポンサー営業的なところ。
それって別に日本国からお金が出てたわけではなくて。
ではなくて、寄附を集めてたんですね。
寄附を集めて、はい。
なるほどね。でもそういうのも全部今の仕事につながってる感じもありますね。
それはちょっと大きいとは思いますね。そこでやったことがですね。
でもそこに何年ぐらいいらっしゃったんですか?
ここは3年ぐらい?
ああ、そっかそっか。
その後もちょっと僕知らない。何でしたっけ?
その後シンガポールですか?
その後シンガポールですね。
ああ、そっかそっか。
それが僕がアメリカ10年いた後半、半分ぐらいのところで。
そっかそっか。
じゃあそのあたりで僕とちょっと接触してたってことですね。
そうですね。今の妻とも出会い、娘もLAで生まれて結婚しました。
息子にも来ていただいてっていう感じで。
で、その数年後にいろんな縁があってシンガポールに行ったっていう感じですけど。
わかりました。じゃあちょっとその後の話はまた次週に伺うことにしようかな。
ちょっとそろそろ次のとこに行きたいんですけど。
その後だからシンガポール行って何年かいてマニラ、フィリピンですね。
映るってことなんで。
ちょっとじゃあまた次回お話聞いていきたいと思います。
はい。
インタビュー内でもおっしゃってましたけど、すごくみつちゃんと共通点が多いですよね。
カリフォルニアで聞いた話を聞いてるような、みつちゃんからこの間聞いたなみたいな。
そうなんですよね。営業職とかね。
夢を持ってアメリカ行ったとか、あと知らなかったんですけど、お寿司やってたんですか?みつさんも。
いや俺は握ってはいなかった。
サーバー?
サーバーなんですけど、でも裏方はもう全員メキシカンなので、
仲間に作ってくれたりとかもメキシカンだから、どっちかというとスペイン語その時はよく覚えましたよね、英語よりも。
すごい。
いろいろ教えてもらったし、めちゃくちゃ楽しかったですよ、メキシカンたちは。陽気なのでね、やっぱり。
若漏れってタコスにつけるアボカドのソースがあるんですけど、若漏れがもううまくてうまくて、何しろわからないに若漏れを入れろっつって。
俺のやつ大漏れにしとけみたいなことを毎回言ってましたけど。
確かに若漏れおいしいですよね、私もチポール行ったら絶対若漏れトッピングいっぱいしてもらいます。
おいしい。
俺けんかをしましたよね、ちょっと今思い出すと懐かしいけど、メキシカン、メキシコ人とガチのけんかもしましたけど、殴り合いの。
そんなガチの、すごい。それは、だってお互いアルバイトなわけですよね。
ちょっと幼稚なちょっかいを出してくるわけですよ。
小学生レベルの知能を持った、そいつがたまたまかもしれないけど。
でも何回もやめろって言って、俺マジで怒るよって言って、もうやめないからマジで怒ったったんですけどね。
マジで小学生みたいなひっかけ。
外に出て殴り合ってたんですけど。
危ない危ない。
面白い思い出ですよ。
でも楽しそうだな、やっぱり。
あとは、あれですね、あとやっぱその語学学校に行った後に、実際に大学にも進学して演劇やられてたっていうのも、すごい興味深いっていうか、
映画制作の勉強っていうのを、それをカリフォルニアでやるっていうのは、映画好きな人からしたら、すごい憧れの環境ですよね。
そうですね。カルステっていう風に言ってましたけど、カルフォルニアステイトユニバーシティっていうね、有名な学校があるんですよね。
で、そこのハンブルート校だから、結構ハリウッドからは遠いっちゃ遠いんだけど、カリフォルニア州。
で、そのアクティングってさ、俺、なんでみんな俳優とかになりたがるんだろうとか、なんでみんな映画がこんな好きなんだろうって昔は思ってたんですけど、
今思うと、でも映画って、すげえパワー持ってるなって思いますけど、どうですか?アクティング、女優になりたいなとか思ったことある?
ないです、ないです。ないですけど、でも、なんかその映画でも、エンタメの裏側っていうのには興味あった時期はありました。
作る側ね。
作る側だったり、まあ音楽だったり、ライブだったり、なんかそういうのは、やっぱ私も興味はありましたね。
いやでもこのさ、アクティングを学んだっていうのがすごい良かった。モノロージーしない力がついたとかって話もあったけど、これもさ、俺めちゃくちゃ一見なんか役に立たなそうなんだけど、めちゃくちゃ多分これ社会に出た時に役に立つんだろうなって今は思うんですよね。
っていうのも、俺も営業なんも知らない、社会経験ほとんどなしで営業が最初の仕事だったんですけど、その時にエリート営業マンのフリをしたんですよね。
だからそれは、もう俺めちゃくちゃできるやつだぞみたいな。フリをして電話をすると、そういう風になっていくんですよね。なんか自分を騙していけたっていうか。それはね、でもフリを、それはだからアクティングをしてたんだなって今思うと俺は思うので、なんか大事だな。
で、そのやっぱ自信みたいなものもさ、緊張とかもさ、いや俺はこういうやつだって思い込んじゃえばさ。
そうなっていくっていうか。
そう、なれるっていうかね、そういう力もあるなと思って、なんか話を聞いてて面白かったですね、そういうところが。
確かに確かに。
なんか英語の学習者みたいなの、YouTubeとか最近多いじゃないですか。それでも、なんか結構ライアン鈴木さんっていう、その英語で各国回って、現地の方にインタビューしてるYouTuberの方がいらっしゃるんですけど、
その方も英語の習い方は、なんか自分がしゃべれそうな、でも自分よりは全然上手っていうかネイティブのアメリカンの方を見つけて、その人のしゃべり方しぐさ全部をコピーするとこから始めたっておっしゃってて。
まあそうだよな、やっぱそれもアクティングといえばそうだもんね。
そう、ほんとなりきるって言ってました。
なりきるってことね。
そうそうそうそう。
だからなんかそれ面白いよな。
あと、俺そうだ思い出したんですけど、NPO法人で元気さん働いてるって言ってたときに、その俺、佐田雅志さんのコンサート見に行ってるわと思って。
えー。
LAでやったやつね。
うんうんうん。すごー、なんかご縁というか繋がってる。
佐田雅志って知ってますか?
もちろんです。私はコンサートに行ったことはないですけど。
いや、つか今いくつぐらいなんだろうね。まあまあのお年出だと思いますけど。
私のイメージは、年末年始のNHKで見る人っていうイメージ。
紅白ってこと?
いや、なんか紅白終わって、行く年来る年終わったぐらいに、なんかNHKで生放送を毎年やって、今もやってんのかな。やってるんですよ。
んで何?歌歌うの?しゃべってる?
歌歌ったり、しゃべったり。まあ、佐田雅志さんすごいおしゃべりっていうか、MCも長い。
あ、そうなのよ。
なんか、結構しゃべられる。で、なんかそれを親と一緒に見てるっていう。
あ、ほんと?面白いよね。いや、俺もさ、見に行ったんだけど、半分以上しゃべってたと思うよ。
本当にですか?
ほとんどしゃべってる中だから。
すごい。
まあ、面白かったけどね。
じゃあ、それやって日本でもそうなんだね。
確かに年末見ると、家族でのんびりする時間に良さそうですね。
年明けた一発目に見る番組ですね。
まあね、だからそういう、尾崎好きから始まり、映画アクティングも学び、そういうね、イベントコーディネーターもやって、こそ今の仕事につながってるんだなって、なんか思いますけども。
まあ、そんな感じかな。
なんで次回が、仕事の掘り下げですね。仕事哲学、モチベーション、ルーツとか、なんかその辺のちょっと深掘りをしております。
はい。それでは次回もお楽しみにしております。
はい。
リアルアメリカ情報。
よっ。
このコーナーでは、最新のビジネス生活情報をアメリカからお届けしていきます。
はい、お願いします。ちょっとなんか電波が悪くなりそうな気配がするが、大丈夫か?
やばい。
まあ、大丈夫かな。
まあ、とりあえず行きましょう。
はい。
まあ、突然ですが、みつさん。
はあ。
ジョージア州の名産品って、なんかイメージありますか?
ないですけど、芋。違うか。
うわあ、違う。
ああ、あれだ。サトウキビだ。
ああ、違います。
いや、全然なんの。
正解は、あの、桃のイメージはなかったですか?
はい、桃です。
桃。桃食うイメージがあんまないな。
桃。
あ、ほんと。
食べるっていうよりは、いっぱい作ってる。名産品としていっぱいあるって、なんかピーチステイツって言われるくらいなんですよ。
あ、ほんと。
はい。なんかこう、街とか道路でもピーチストリートとかピーチなんとかっていうのが多くて、車のナンバーも桃のマークなんですよ。
あれれれれ。
まってくらい、桃の州なんですけど。
え、じゃあ、何?あの、桃太郎、岡山県と姉妹都市とかになってたりしないのかな?
なってないと思うけど、確かに。
いや、すげえ敵とらこと言ったよ。もしくは、和歌山。まあいいや。はい、すいません。
確かに。はい、まあまあ、これ今、夏になって、桃が旬になったんで、なんか私の桃のおすすめの食べ方を紹介したいなと思って。
全然アメリカの話じゃないけど、アメリカの食べ方なの。
アメリカの桃です。アメリカの桃です。
ああ、なるほどね。
なんか日本だと、やっぱ白桃が有名じゃないですか。桃と言ったら白桃みたいな。
はいはいはい。
だけど、ジョージアで売ってるものは、イエローピーチっていう黄桃が一番ベースで、一番安いんですよ。
8個で5ドルとか、そのぐらいで安く買えて、まあ一番お手軽なので、私が一番食べている品種なんですけど。
8個で5ドルって、日本だったらいくらぐらいなんだろうね。
日本だったら、そもそも2個ぐらいしか売ってなくないですか。2個で、なんか千円弱じゃないですけど。
そう、何百円みたいなイメージがあるんですけど。
5ドルってことは、だから800円ぐらいか。
マジ?でも8個で800円なら安いですよね。
1個100円ぐらいね。
で、日本の桃は買って、家帰ったらすぐ食べたらおいしいんですよ。
なんですけど、こないだ買って食べたら、全然甘くないんですよ、アメリカの桃。
売れてないってことね。
そうですそうです。桃の香りも全然しなくて。
で、最初食べたときも、梨食べてるのかなってくらい硬くて。
っていうのが、すごい日本の桃と売ってる状態が違うなと思って。
だつ、黄桃って酸味が強いんですよ。
白桃ってあんま酸味がなくて。
アメリカの黄桃がっていうこと?
そうです。日本の桃は全体的にもうちょっと甘い。
酸味?
酸味があるんです。あんま食べないですか?桃。
あんま俺、桃食べないんだよな。てか、むくのがめんどくさそうっていうイメージがあって。
妻がいた頃は、妻が桃大好きだから、むいてくれたものを食っていましたが。
全く弟と一緒ですね。
自ら購入しないように。
私も桃大好きで、日本にいたときから桃のパフェを夏になったら食べに行ったりとか。
いろんな品種、硬いけど甘いとか言われてるものを食べてみたりとか、そういうことしてたんで。
今こっちでいろんなピーチを食べ比べしたりとか、いろんな食べ方してるんですけど。
俺も好きなんだけどね。
むくのがめんどい。むくのめんどくさくね、あれ。
でも、熟したやつだったらむきやすいですよ。
りんごとかよりも、私はむきやすい気がします。
で、おうとうは酸味があるので、もうちょっとデザートっぽく食べたいなと思って。
今はまってるのが、マスカルポーネチーズとグリークヨーグルトを同じくらいの量を混ぜて、そこにアールグレイの茶葉を入れるんですよ。
で、それを混ぜて、お好みではちみつとか砂糖を入れて、それを冷やして食べるのがめっちゃおいしいんで食べてください。
それに桃はどういう状態で入れるの?
桃は普通に切って、リップして食べるって感じです。
それをソースみたいにして、桃にかけて食べるってことね。
それもちょっとめんどくさそうだけど、うまそうだな。
おいしいんですよ。桃のタルトとか、私もタルトとかケーキはめんどくさくて、そこまではいけないけど、おいしいスイーツとかパフェっぽく食べたいなと思って、いろいろやってたどり着いた。
確かにパフェはたまに食べたくなるんだよね。
そう、パフェ食べたいんです。
でも、アールグレイの茶葉を入れたら苦くなんないんだ。
なんか、全然、香りが、そうですそうです。
でも、歯ごたえっていうか、邪魔にならない?
耳問題です。
普通のティーのパックに入ってるやつをいって、ぶち込むっていう感じなんですけど。
じゃあ、もう粉みたいになってるのか。
そうですそうですそうです。そこまで食感は邪魔しないです。
もう一回言って。マスカルポーネチーズ、グリークヨーグルト、アールグレイの茶葉、もう一個なんだっけ?
あとは、はちみつとか砂糖をちょっとかけたり、入れたりすると、甘みが出ておいしいです。
確かにな、ティーバッグを切ればあるな。
そうなんですそうなんです。意外と。
ヨーグルトもあるしな。ちょっとやってみようかな。
マスカルポーネだけ買えば、桃だけ買えば、いけるんで、ぜひ試してください。
めんどくせえな、でも。桃じゃなくても合いそうじゃん、でも。
確かに、いちごとかでも多分合うと思います。ちょっと酸味があるというか、あるんで、いちごでも水分量多いし、合うかも。
いちごと、最近はもうブルーベリーがうまくてね、ブルーベリーばっかくてね。あとスイカ、スイカですよ、夏は。
スイカ、私まだ食べてないんですよね、今年。
まあでも、そうだね、桃が有名なんですね。知らなかったです。
そうです、ピーチステイツです。ぜひ、そんな食べ方もしてみていただければなと思います。
はい、リアルアメリカ情報でした。
はい、リアルアメリカ情報でした。すいません、いつも忘れちゃう。
質問コーナーです。
はい。
今回は、私はその、今回、伊谷さんがいろんな、こう、尾崎豊が好きだったり、
作家が好きだったり、映画を勉強してたりっていうので、聞きたいのが、
みつさんの一番好きなエンタメって何ですか?
エンタメ?って何、その映画とか本とか。
そう、本も読むし、ロックも好きだし、ポッドキャストとかそういうのも聞くじゃないですか。
で、中で一番、なんかこう、趣味、趣味っていうか、好きなエンタメって何なんだろうなと思って。
いや、もう、全部好きだけどね。
本は、あれか、仕事の一環として読んでる部分もあるのかなとか思ったんですけど。
いや、全然、俺小説の方が多いよ。ビジネス小はたまに読むけど、語楽ですよ。
そうなんだ。
今もずっと読んでるのは、あの、チンギスキー。
なかなか終わらんけど、あの、チンギス藩の話を、
まあ、何年、その前、スイコ伝から、北方建造スイコ伝っていうのがありまして、
それは19巻あるんですけど、そのスイコ伝の後の、なんだったっけ、妖霊伝とか、
もう、あと3シリーズぐらいが、たぶん20巻ずつぐらいあって、
その4シリーズ目のチンギスキーなんですけど、
100冊近くの北方建造のやつを、ずっと読み続ける合間に別の本を読むんですけど。
えー、1冊終わったら次じゃなくて、同時閉校なんですか?
それはもう長すぎて、終わらないので、
それはもう風呂入ってるときは北方建造なんですよね。
で、それ以外に、週末の波乗り行って、昼ビール飲んで、一回昼寝して、
ちょっとハンモックにね、転がりながらちょっと本でも読むか、みたいな時間があるんですけど、
そういうときはまだ全然違う本を読んだりするんですよね。
だからね、エンタメはで言うと何だろうでしょうね。
でも音楽はずっと好きだったから、
でもやっぱ気分によるかな。
落ち着きたいときは本読むし、気分上げたいときは音楽を聞くし、
映画とかよりは音楽のほうが好きかな。
そうなんですね。
映画はたまにしか見ない。
確かに。時間しっかりと取られちゃいますもんね。好きなときに切り上げられない。
でも人生で一番力をもらったのは多分音楽ですね。
その次に本で、その次に映画とかって感じかな。
ポッドキャストもずっといるな。
俺の後半戦に。
ずっと聞いてますよね。
何かしら、そういうエンタメにずっと触れてるイメージが。
確かにそうだね。娯楽に触れすぎなのかな、これ。
いや、私はめっちゃいいと思います。羨ましいです。
全部にいろいろ聞ける。
でもそう、シーンシーンによって全部変わってきますけど、
だいたいずっと僕の人生の中にいますね。
そんな、はるさんは?
私は音楽っていうよりはやっぱライブ?生のものがやっぱり私は一番好きなんですよね。
なんか、歌もそうですけど楽器とかも含めて、
リアルの感じと、あとやっぱそのスポーティファイとかシリアルとか、
間が自動で作られるじゃないですか。
その、生でいくとその間もちょっと演出というか要因になったりとか。
その会話の間の間ってことですか?
とか、あと曲のつなぎの部分とか。
そういうことね。
っていうのも含めて、1曲1曲とかを楽しむんじゃなくて、
トータルの2時間3時間みたいなのが結構、やっぱ一番好きなんですよね。
まあ。
まあ。
だから、本当に私も好きなのは、たぶんそこなんですよ。
自分の好きなペースっていうか、自分の想像で好きなようにを作れるから小説は私好きなんですよね。
いや、確かに本の良さってそこだよね。
ちょっとさ、想像してみたいときにさ、ページから目を離してさ、
頭の中でこう、シーンを想像したりする時間あるもんね。
いったん止まって、ああ、そういうことかみたいな。
そうそう。
ちょっと前に戻ってみたりとか。
そうそうそうそう。ページをめくり直して、ああ、ああってなるよね。
そうそうそう。
いや、それね、なんかこの間誰かも言ってたな。
待って、AIができないことというか無視することなんだよね、待って。
ああ。
人間しかできない。
そう、そぎ落とされちゃうんだよ。
確かに。
だし、一瞬でもう答えが出てきちゃうから、えーって考えてる間がないっていうか。
それの、そういう顔が見たかったりするしね。
あの、なんか、ああ、この人今すごい考えてるわみたいな。
そういうこと、クマプロのいいところもそこだと思う。
そうだね、そうだね。クマプロ、何回も言い直すもんね、ああ、あれなきゃ、あれなきゃって。
めっちゃ考えてると。
あれあれ、あれですけどっていうのが多いよね。
多いですね。
そこがいいところなんだよな、確かに。
そうなんです、そこが人間味というか、やっぱりそう、それこそAIに出せない人間がやるからこそ面白い部分だなって思いますね。
確かにね。
いやー、なかなか面白い深い話になりましたね。
そうです、面白かったです。
はい、じゃあそんなくらいにしときましょう。はい。