1%の情熱物語
海外に住んでいる日本人は、日本人総数のわずかに1%。
この番組では、海外進出や起業を果たしたビジネスオーナーや経営者、
また各業界のプロフェッショナルな方々へ、対談形式でインタビューをしていきます。
日本の未来を背負うグローバルなプロフェッショナルたちの仕事哲学と、
そこに燃える情熱に迫ります。
こんにちは。
こんにちは。
1%の情熱物語390回です。
みなさんお元気でしょうか。
元気ですか。
3月13日に配信予定の、今回なんですけども、
ちょっと今、ゆなさん日本にいるけど、
なんかポッドキャスト盛り上がってきてない?って感じないですか?
めっちゃ感じてます。
マジで?
マジで感じてます。
あ、そうですか。
リスナーが増えてるかはわかんないけど、配信者が増えてません?
配信者は増えてる。リスナーも増えてるよ。
それはね、俺結構もうね、ここ数年ずっと数字を追ってるから、増えて、
でもまだ来ねえのか、まだ来ねえのかとずっと俺は思っていたんですけど、
そろそろ本気できそうだなっていう感触がありまして、
この間もちょっと他の方からもね、ちょっとこれはポッドキャスト盛り上がってますね、みたいなことを言われて、
で、実はちょっと今日ね、3つのイベントを紹介したいなと思ったんですけど、
なんか盛り上がってるっぽいぞという、
今日だから3月13日配信予定なんですけども、
1つ目のイベントが3月14、15日にあるんですけど、
ジャパンポッドキャストフェスっていうやつですね。
ちょっとリンクを貼っとけたら貼っときますが、これはどこがやるんだろう。
東京赤坂サカス、赤坂エリア広場ってことは、
TBS系列とかそういうのは関係ないのかな。
いや関係あると思われます。
TBSっぽくないですか、どうかな。
ちょっと細かく見てなかったんですけど、
でもTBS系列のポッドキャスト番組さんがいっぱいいます。
たぶん僕が好きな、
ジェイン・スーとホリミカのオーバー・ザ・サンっていう番組とかに、
ジェイン・スーさんたちも喋るんじゃないかな、ここで。
これは今までになかったですよ、これは。
僕も初めてこのポッドキャスト業界を追ってますけど、
このイベントは2026年初めてで、結構でかい目のイベントだと思われます。
2つ目が、
ジャパン・ポッドキャスト・アワードっていうのがありまして、
これはもう7回目なんですけど、
これぐらいしか僕イベント知らなかったんですよね、ポッドキャストに関しては。
大きめのやつはね。
これに関しては3月18日に受賞作品発表とか、
毎年なので、この年にリスナーさんが面白いなと思ったポッドキャストとか、
みんなが聞くべき番組を選出して発表するっていうやつなんですけど、
これの第1回目に実はうちの番組は推薦作品として選出されていまして、
それ以降は泣かず飛ばずなんですか。
ただこのイベントは多分一番古いんじゃないかなと思うんですけどね。
これがまたその3月にあって、
もう1個大きめのが5月9日と10日ですね。
これがポッドキャストエキスポですか、っていうのがあるんですけどね。
これはでもあれだ。
ポッドキャストウィーケンドというイベントをやっている方たちが、
もっとでかいやつやるぞっていう感じで始める感じのイベントですね。
すごい。盛り上がってますね。
ね。
ポッドキャスト。
この感じ来るかもなってちょっと思って。
だからコロナの時のクラブハウス。
はい、ありましたね。
あの時にやっと音声コンテンツ来るかと思ったんだけど、
一瞬でシュワシュワって絞んでいってしまった感じがあったじゃん。
あのクラブハウスはいつの間にか皆さんやらなくなりましたよね。
コロナも終わったしっていうのもあるし、
あのズームとかでできるしみたいないろいろ。
確かに。
まあまあ、あれの面白さもあったんだけどね。
知らない人といきなり雑談できるみたいな。
でしたね。
でもなんか盛り上がったらいいなってことでちょっと紹介しておきました。
そうですね。
ユナさんも行くチャンスがあればね、行くとか見るとかわからないけど。
確かに、ちょっと見てみますね。
結構アナウンサーの方の番組とかも多いんじゃないかな。
多いですね。
さすがに喋りのプロですからね。
そうですね。
ラジオ大好きなんで、いろいろこれを機に受賞作品とかも見られますし。
そうですね。
本当ね、知らないけど面白い番組いっぱいあるんだろうなと思うんだよね。
はい。
なかなかこのコンテンツ型の時代にどれをピックアップするのかっていうのはなかなかご縁って感じがわけではない。
そうなんですよね。だからこそこういうイベントをやっていただけることで、
この番組が評価されてるんだってわかるときっかけで見られるので聞けるので、
ちょっと勉強させていただきたいと思います。
ただこうメディアの力が強すぎて、
強いもんだけが価値上がっていく世界はあんまり健全ではないと僕は思っているので、
そういう情報欲しいなっていう人にそういう情報がちゃんと渡るようなインフラがあるといいなと思いますけどね。
確かに。
これ難しいですけどね。
まあそんなお話でございました。
はい。ちょっとチェックしてみてください。
はい。ということで、
こちら毎回一人の方のインタビューを4回に分けてお届けしています。
1%の情熱物語。
今回は作編曲家、プロデューサーピアニストの宮島みぎわさんにお話を伺っています。
今回は2回目のエピソードです。
はい。前回がみぎわさんの今の活動内容とかですね、
伺っておりましたけども、今回が、
ご出身が茨城県ということなんですけども、
音楽いつからやってるのかなとか。
面白いです。
どう説明したらいいのか。
また例によって情報量が多すぎて、
何をバックピックアップすればいいのかちょっとわからなくなっちゃったんですけど。
今のポジションに至るまでのお話を伺っております。
はい。それではお楽しみください。
はい。
はい。じゃあ今からちょっと過去の話を聞いていきたいんですけども。
はい。
まずご出身が茨城県日立中市というふうに。
はい。そうです。
どこかで見たんですけども。
はい。
どんな子供でしたか。
子供時代は、
想像力が豊か。
で、私子供の時に、
なんていう名前だったっけな。
みぎわの遊びの本みたいな手書きの絵本で、
いろんな新しい遊びを考えて、
ゲームとか。
新しい遊びを考えて、それを手書きで絵本にしたものを子供の時作ってて、
それを、つい数年前に、
うちのめいっこが、
10代の時に、中学生ぐらいの時に、
それをどっかの段ボールの中から見つけて、
すごい喜びして読んでましたけどね。
面白いこれって言って。
それは何、一人遊び用なんですか。それとも、
グループでみんなと遊ぶため。
友達とか妹と遊んだり、
親戚と遊んだり、
そのグループでみんなで遊べるようなもの遊びが書いてあったりとか、
レゴブロックとかを与えるといつまでもやってたりとか、
いろんなものを作って。
なるほどね。
クリエイティブな子供でしたね。
図工とか得意だったんだ、絵とか。
絵もずっと描き続けるし、
絵とかはだから、
うちの母とかが、
宿題で絵描かなきゃいけないみたいな時に、
私が一生懸命描いてるのを母が手伝おうとすると、
絶対手伝わせない。
すごく怒る。
自分でやりたいようにやりたい世界があって、
手伝われたくないみたいな。
もちろん音楽もやってらっしゃったんですか?
やってました。
ピアノはだから3歳から5歳、6歳くらいまでは、
母が家で教えてくれるみたいな感じだったんだけど、
6歳だったかな、
の時にピアノの先生に、
上原久江先生という素晴らしい先生に出会って、
その先生がすごい頭が柔らかい方で、
ピアノの先生のはずなのにドラムセットの叩き方も教えちゃうみたいな、
曲の作り方も教えちゃうみたいな、
面白い方で、
その方に音楽の自由さをかなり教わったりして、
だからいっぱい書いてました。
子供の時から曲作ってました。
そうなんだ。
それはもう最初からでも好きだったんですか?
嫌だなとかなんなかったですか?
ピアノの練習はでしたよね。
練習したくない日はもちろんあります。
子供だからね。
だけど音楽を嫌いと思うことは一切ないかな。
先生もよかったのかな、そういう。
そうですね。先生がすごい自由で面白い、
私のことを面白くて変な子だって多分思ってくださってて、
例えば練習しないでレッスンに行くとすごい怒る先生って多分、
今でもたくさんいると思うんですけど、
私例えばすごい変わった子だったんで、
練習しないで行っても弾けちゃう日とかあるんですよ、
曲が自分に合ってると。
練習してないのにそのまま、
その場で楽譜を見て全部弾いちゃうっていう時があったりとか、
すると先生はそれを面白いと思ってくれる方の人だったりします。
なるほど。
それは実際に言葉にして褒めてくれるんですか?
面白いって言われる。
そうそう、褒めるっていうか、だから面白いねってびっくりしてる先生。
素直に先生のびっくりをそのまま伝えてくれる。
それはミニアさんにとって嬉しかったんだ。
私は嬉しいというか、
普通にしてくれたのが嬉しいっていう感じかな。
だからそれをすごく褒めるとか言うんじゃないんだけど。
なるほど。
だから変わった子だったと思うんですよ。
例えば練習がゴールじゃないじゃないですか、それって。
練習することにも美はもちろんあるんだけれども、
そうじゃなくて、新しい曲を知るとかその曲を楽しむっていうことがゴールなんだったら、
もし私がそれを一瞬でできても構わないはずだと思ってたんですよ。
なるほど。
それを面白い考え方だねみたいに言ってくれる先生だったんで、
だから話が合う大人がいるって思ってました。
これ何歳の頃ですか、ちなみに。
7歳とか8歳とかぐらいの時かな。
大人っすね。
ちょっと考え方が変わってるというか。
混ぜてたんですかね。
混ぜて、かなり混ぜてたと思いますね。
なんでだろう。
なんでしょうね。
ちなみにご兄弟はいらっしゃいます?
はい、おります。妹が2人います。
じゃあお姉ちゃんなんですね。
長女ですね。
ちなみに子供の頃の夢ってありましたか。
子供の頃は、でもいい子ちゃんだったというか、空気読めるタイプだったので、
幼稚園生の時の夢は本当にそのものずばり実は作曲家だったんですよ。
作曲家になりたいと思ってたんです。
そうなんですね。
幼稚園生の時。
なぜというか何かきっかけがあったんですか。
それはね、普通に音楽が好きで、その面白いピアノの先生と一緒にいろんなコンサート見に行ったりとかして、
公共曲も好きだし、しょっちゅう冬とかになると縄跳び大会とかやらされるじゃないですか。
知ってます?関東地方の。
分かる分かる。小学校でやってましたよ。
小学校ですぐ寒いのに、全員外に出させられて寒いのに縄跳び飛ばされて、寒いから縄跳びに石ころとか足に当たったりするとすごい痛いんだけど、
なぜか寒い時期にやらされるとか。
どうしてこれを寒い時期にやるのか。
英語で言う、いわゆる doesn't make sense って思ってたんですよ。
なんか縄跳びを冬にやらされるっていうのは doesn't make sense。
何のためにやってんだこれみたいな。
そう、何のためにやって、なぜ冬でなきゃいけないのかを理由を私に言え、みたいに思ったんですよ。
すごい、すごいそういうふうに思ってたから、
だからしょっちゅう、その縄跳び大会今日やらされるとかそういうの分かっているときは、
あの、あれで、なんて言うんだっけ。
嘘ついて、病気ですって。
けびょう。
けびょう、そうだけびょうを使って、お休みして、おうちで、
高級曲のレコードかけて、父の棚から高級曲のレコードを持ってきてかけて、
それに母が友人から借りてきてくれたミニキーボードみたいなのがあって、
いろんな音が出たんですよ、フルートの音とかオルガンの音とか、
いろんなピアノじゃない音が出るやつがあって、
それをミニキーボードをこうやって膝の上に乗せて、
高級曲かけて、高級曲の一番上の音のさらに上にフルートのラインを自分で付け足して弾いて楽しむとかやってたんですよ。
だから今考えるとすごい変わった子供だったの、そのときから。
いやでも今やってることと同じようなことやってますからね。
そうなんですよ、今やってることと同じことやってて、
要するにそういうことが多分本当は好きだったんです、ずっとそのときから。
すごいね。
なんかアメリカでその天才維持教育とかやっちゃうアメリカにもし生まれてたら、
もうかなり小さいときから作曲家コースだったんじゃないですか。
日本だから多分そういう風にならないで受験コースに行って、
でそのなんか面白そうな会社に入ってっていう。
一旦だからエリートコース、まあなんて言うんだろう、
いわゆるあの例、惹かれた例というかなんて言えばいいんだろう。
なんて言えばいいんでしょうね。
皆さんがイメージする。
いいコースみたいな。
いいコースですよね。
いい学校行って、いい会社に就職して、
もう安泰だわみたいな。
そうですよね。
でもその辺はなんだろう、
作曲家になりたいっていう思いはずっとありつつも就職したりしてたんですか。
いやあのね、もうなんかだから、
意外とその自分のいい子ちゃんっていうか周りの空気を読んでそれに合わせようとしちゃう力っていうのが
自分の中にすごく多くあるのを感じていて、
実はまだ今でもあるんですけどニューヨークに来てからも、
それがすごく日本人っぽいなと自分で思うんですけども、
その小学校に入ったぐらいから夢が作曲家じゃなくてピアノの先生になったり。
なるほど。
だからこう普通の人が聞いて安心しそうなものの方に寄ってくんですよ。
親が喜びそうだなとかそういうわかりやすい。
そうですね。私の両親は実は全然そういうの気にしない人たちなのに、
社会の空気に飲まれていくっていうか、
社会の空気の中でそういうふうにしなきゃいけないっていうふうに思い込んでしまう。
全然親から言われてないんですよ、そういうふうに。
言われてないんだけど、なんとなくそういうふうに思っていっちゃうっていうのが始まって、
だから大学生の時とかもう完全に自分は学校を出たら就職するんだと思ってたし、
大学選びの時も音楽大学に行くっていうのは選ばなくて。
それはもしかしたらと自分で思ってるのは、
私は特に日立中市っていうところで、日立市ってところで生まれて育ったのは日立中市ってところなんですけど、
両方とも電気メーカーの日立製作所のお膝元の街なんですよ。
すごくいっぱい日立製作所関係の人が勤めてたり工場があるエリアなんですね。
そうすると出会う大人の90%ぐらいが日立製作所関係の勤務なんですよ。
豊田市とかと同じ。
めっちゃわかる。僕豊田市出身です。
本当に豊田市なんですか。
めっちゃわかります。
そう、一社がすごい。
全部豊田市。
そう、で全部関係、豊田メインじゃなくても関係会社だったり。
そうですよね。
そうすると9割から9割、本当に5分ぐらいの出会う大人がみんなそこで働いてるから、
そうすると大人になるということはイコール大学っていうところまで行って、
そこで何らかの勉強をした後に会社って言われるところに入って、
お金を稼ぐようになるっていうのが人生っていうのをやっていくステップなんだっていうふうにしてそこまで行くわけですけど、
でもリクルートに入って働いてる間にだんだん元々の自分が出てきて、
すごくクリエイティブだったり、遊び方を自分で提案しちゃうような絵本を子供の時に作るような、
そういう感じの。
想像力モンスターですよね。
そうですよね、本当。
抑え込んでたんだね。
それがリクルートで戻ってくる。
多分、だからだと思うんですよ、知らないうちに抑え込んだ意識はゼロなんですけど、本人としては全くないんですけど、
だからその社会の中でこういうふうにするべきって思ってっちゃったんだろうなっていうのが感想ですよね。
それはお姉ちゃん的責任感みたいな、長女だからしっかりしなきゃみたいなものもあるんですかね。
もしかしたらそれと相まってるところはあるかもしれないですけどね。
でも本当何度も言いたいのは、うちの両親は、うちの親は全くそういう人たちじゃないんだよ。
何にしろ私をアメリカに送り出して平気な人たちですから。
そうなんですけど、でもだから私は私自身の経験として、親がたとえそういうふうに全然気にしなくていいよっていう感じでも、
社会自体の影響でこれだけ一人の人の人生に影響が出ちゃうっていうのがあり得るっていうことを、
結構大人に自分がなった今は気守り捨ててっていうか、一個必ず置いておくようにしてて、自分の心の中に。
今は子どもさんたちに応援してくださいっていうようなお仕事もたくさんいただくので、
だから気をつけるようにしてます。
その社会の一部として子どもさんに接するときに、子どもさんたちの未来を狭めないようにしなきゃいけないなっていう気持ちはすごい強く持って、
接するようにしてます。
一応ね、30歳でニューヨークに飛べっていうことなんですけど、
言ったらその大企業でね、
肩書きもタイトルもあって、
安泰ジャンという世間的に見ればもうそういうふうに見られてたと思うポジションだったと思うんですけど、
そこからどういう流れでニューヨークまで行こうと思ったんですかね。
なんかすごい、やっぱり面白い仕事だったんですよ、仕事自体は。
だから仕事が面白くなくてやめたとか言ってるのとちょっと違うんですけど、
なんかね、
一つには、いろんな理由があるから、どこを喋るかが毎回そのインタビューしていただくときに、それぞれで、
自分の人生に対する見方が変わってくので、答え方が時々違ってるかもしれないんだけど、
最近思ってるのは、
1個は私は何をしてる時も常に自分が今どういう感じの変化を遂げてて、
自分がなりたいと思ってる自分に近づいていってるか遠のいていってるかっていうのを感知するようにするのはすごい気をつけてるんですよ。
昔からずっと。
で、リクルートいる時もそれをやってたっていう記憶があるし、今もそうなんですよ。
それっていうのは、
ゴール的なものはあるんですか?そのビジョンというか。
こんな私になりたいっていうのが見えてるんですか?
そうですね。
私は周りにいる人たちが泣いてたりとか悲しかったりとかするとすごい嫌なんですよ。
で、それを幸せになってもらうために自分が何かをできる人でありたいっていうのが、
今のコンセプトをずっと子供の時から持ってる。多分2歳とか3歳からそれを持ってるんです。コンセプトとして私は自分の中に。
で、その私の周りの人が泣いてるのが嫌だっていう、その私の周りの人がどんどん変わってってるんですね。自分が成長するに従って。
それが一番最初家族だけだったりとか、自分の妹たちだけだったのが、小学校の周りの席の友達になり。
クラスになったりとか。
クラスになり、それが小中までは自分の地域だったわけですけど、高校でちょっと外のエリアに行くから、もうちょっと広がり。
で、大学に行くと茨城県出身の私が東京に出てくることになるので、また友達の場が広がって、自分が社会だと思ってる場所がどんどん大きくなっていく。
で、今私はニューヨークに住んだことによって、日本人コミュニティっていうのだけじゃなくて、アジア人コミュニティ、アジアのアメリカンコミュニティにも属してるので、
だから自分がどういうコミュニティの一員で、そこのコミュニティというものを、なんていうか有機的な存在ですけど、そのコミュニティという生き物がどういう形で生きていくかっていうのを、変化させている、一員であるっていう感覚がどんどん変わっていくわけですよね、自分がいる場所によって。
今はだから、アジア人コミュニティの一人としての仕事も実際お仕事としていっぱいあるんですよ。
アジア人を代表して何々やってくださいみたいなのとか。
一番強烈だったのは、それこそコロナの後にアジア人差別がすごいひどくなって、そのアジア人の方がたくさん働いている場所に、銃を持った人が入って来社事件を起こしてたくさんアジア人の女性が亡くなったっていう事件があったりとかしたんですけど、
それに対する、そういうアジア人向けの人種差別犯罪というのを許さないぞっていう運動みたいなのが広がってきたときに、それの集会をやりましょうみたいになって、日本からするとちょっとどんな感じか分かりにくいかもしれないんですけど、
集知事も来てみたいな。集知事もスピークアップする人として、演説みたいなのをする人として呼ばれてて、そのアジア人に対する差別っていうのをみんなでなくしていきましょうねみたいな集まり、ヘルシーな集まり。
そういうのがあったときに、それタイムズスクエアで実施されて、全米12都市をつないで中継で順番に12都市で次々にイベントをやっていくのをリレーにしていくことによって大規模なものにして、メディアにも注目してもらおうみたいなのがあったときに、それにアジア人代表として出て演奏してくれないかって頼まれたんですよ。
で、出る順番が集知事の前だったんですよ。スピーチと演奏しなきゃいけないっていうやつで。で、そういうのとかもやってるからどんどんこう変わってくるんですよね。自分がどの自分の周りの人が誰なのかっていうのが。
まあ幸せにしなきゃって思うコミュニティがどんどん大きくなって、それとともに意識も大きくなっていくっていう。来てるってことなんですかね。それで日本を飛び出しちゃってるってことですね。繋がってるってこと。
そう、日本飛び出した後そうなったかな。どっちかっていうと飛び出す前からそんなことを思えてたわけじゃないんだけど、そんなに私は賢くないんだよな。そんなに賢いとは思ってないんだけど、来てから来た後にした体験によってどんどん自分が変わっていくときに、結構柔軟にそれに合わせて広げていけるんだなっていうのは今気がついたところですかね。
いやーなんかでも、ちょっとどこまで皆さんに伝わってるのかわかんないけどし、僕もちょっと解釈が合ってるのかわかんないけど、めっちゃ負に落ちました。意識がだからちょっとずつ大きくなっていってるんだなっていうのは。
そうです。だから何を代表するか。
それしかできないもんね。ジャンプできないですもんね。
それしかできない。ジャンプできない。で、その時に私はだから時々ニューヨークってすごい仕事で突然派遣されて、来る気がなかったのに来る方もすごいいる街なので、そうするとお会いする方で、なんかニューヨーク、日本がまだ引きずってきてて心に慣れられないみたいな方もすごいたくさんいるんですよ。
でもそういう方たちは私から見るとちょっと羨ましいとこもあって、たぶんアーティストとかに向いてると思うんですよ。自分がすごい強い、自己が強くて、自分のこれまでやってきたものを変えたくない、変えられないっていうのがすごい強い人は、たぶんアーティストに本当は向いてるので、すごく羨ましいんですけど、私から見ると。
そうなんだ。
自分が強いから、これが私なんだっていうのをずっと。
染まらないってことか。
染まらないでいけるっていうのは、すごい良い才能だと思うんですけど、アーティストとして。私逆ですぐ染まっちゃうんですよ。
柔軟すぎちゃうってことなのかな。
柔軟すぎて、自分をもう一回探しに行くのに結構時間がかかるんですけど。
なるほど。
私ね、地方公演とか行くじゃないですか。いろんな町に行くじゃないですか。演奏とかで。そうすると、朝入って、昼リハーサルして、夜コンサートして、終わった後打ち上げするっていう。打ち上げまでにそこの地方の方言喋れるようになってるんですよ。柔軟すぎて。
剛に入りすぎなんですよ。
剛に入りすぎて、剛に入るのが早すぎて、自分で早っ!みたいな。
そうなんですか。
それも強みですよね、でも。
そう、だから強みとして解釈するしかないですよね。
最初、自分らしさみたいなのをすぐ手放してしまう自分に対して、もうちょっと頑張るよみたいなストレスを自分に対して思った時もあったけど、今もう14年なのでね、アメリカに住んで。
14年間経ったら、諦めました。もうこういう人間なんだなと思って。それと付き合うしかないから、もういいや、しょうがないってなって。
それって、エゴって言われるものとかプライドって言われるものとは違ったものですかね?
そう、だから私は似てると思います。すごい兄弟関係にあるものだと思うんですよ。
だからプライド高いか低いかで言うと、私は最初はアメリカ来てすぐはもうちょっとプライド高く持ちなさいと黒人の先輩たちにすごい言われて。
黒人の先輩たちっていうのはやっぱり人種差別がある中で、黒人としてのプライドをガンと持つっていうことによって人種差別と戦ってきたっていうのがあるから、黒人の先輩たちから見ると私がホニャホニャしすぎみたいに見えたみたいで、アイデンティティー捨てすぎみたいに見えたみたいで、
すごい鍋に入りすぎだよっていうのをすごい言われて、右はいいところを見つけなさいってすごい叱られて、その時に。
例えば直毛で、その髪の毛が直毛で黒い色だっていうことにもっと誇りを持てとか、すっごいいろんなこと言われて、それで結局そこから学習していって、今私はもう何年間もコケしみたいなおかっぱヘアをキープしてるんですけど、
可愛らしいと思います。
前髪まっすぐで本当コケしスタイルの、ボブの短くジュンって切ったやつをずっとキープしてるんですけど、それはコケしアイデンティティーをもうずっとやっていこうって決めたからなんですけど、先輩たちに言われて。
ジャパニーズっていう感じってことですか?
そうです。
なるほど。
あれですよ、ディズニーランド行くとね、ディズニーランドとかに、インターナショナルにするためにアジア人の格好をした女の子の像みたいなのがあるんですよ。
全部私と同じ髪型だからね。
確かに。
これこれって思って。
ちーまるこちゃんと一緒のやつだ。
そうそうそうそう。みんな同じ髪型私と。
ちーまるこちゃんな。
そうなんですよ。
でもそこは自分のアイデンティティーとして確立されてるんですね。
もうなんか受け入れました。で、最近はだからそのことについてインタビューとかで聞かれると、私は自分はリキッドだと。水分、液体だと思ってて。
変幻自在だということですか。
そうですね。入る器が変わると形が変わる。
なるほど、はいはいはい。
だけど器が変わったことによって形を変えられるぐらい変幻自在で器用にやっていけるっていうのがもうレアすぎてそれはそれで一つのアイデンティティだから。
私はリキッドなんであるっていうふうに答えるっていうことにしたらすごい自分でストーンと腹落ちしていい感じです、最近。
なるほどね。
素敵です。ちょっと話題を変えます。
今までにした大失敗や泣くほど悔しかったこと、後悔はありますか。
そんなありすぎてどれ喋ったらいいかわかんないですけど。
じゃあその中の一つお願いします。
その中の一つは、私がニューヨークで結構早いタイミングから活躍してますねって言ってもらえるようになったのは一つのジャズバンドのお世話になったことだけなんですけど。
そのジャズバンドはバンガールジャズオーケストラっていうジャズバンドなんですけど、
簡単に言っちゃうとビレッジバンガードっていうニューヨークの南の方のビレッジエリアっていうところにあるジャズクラブがあって、ビレッジバンガードって言うんですけどね。
あ、そうなんだ。それジャズクラブの名前なんですね。
そう、ジャズクラブの名前なんですよ。
ビレッジバンガードって会社の名前だと思ってた。そういう会社ありますけどね。
日本のビレッジバンガードさんは、ニューヨークのビレッジバンガードに許可を取らないで勝手に名前を使ったっていうのを、ニューヨークのビレッジバンガードさんからが、
いやー、なんか日本にビレッジバンガードってお店があるって聞いたんだけど、本当って聞かれたことあるんで、それ事実なんですけどね。
じゃあちょっと今一旦忘れます。
それで、ニューヨークにジャズクラブがありますと。
で、ニューヨークのビレッジバンガードってジャズクラブは、野球やってる人が全員甲子園に出たいのと同じで、
ジャズやってる人は全員出たいって思うような、そういうジャズクラブなんですね。
東流門的な。
そう、東流門的な。そこのジャズクラブ、でも東流門っていうか、もう最後の最後、そこに出られたらもう人生終わりもいいですって。
夢の舞台ってことですね。
夢の舞台です。みんなが思うような。だからロックミュージシャンが武道館出たいみたいなね。
そういう感じの場所があるんですけど、
でもそこで実は今年60周年を迎えた毎週月曜日に演奏してる、
あのさっき言ったビッグバンドっていう種類のジャズのバンドがあって。
60周年。
60周年を迎えたジャズバンドがあって、それがバンガールジャズオーケストラと今言ったバンドなんですよ。
レジェンド中のレジェンドって感じですか。
そうそう。あれ待って私何の話したんだっけ。なんでこのバンドの話したんだっけ。
ご質問なんですか。
一番悔しかったこと。
あ、そうだそうだ。
泣くほど悔しかった話。
泣くほど悔しかった話は、このバンガールジャズオーケストラが実は日本にツアーをしたことがなくて、
したことがない理由はただ単にそれを創設者の人たちがお二人いたんですけど、
創設者がお亡くなりになった時に日本とのコネクションが全部彼らが持ってるまま、
ご病気になって亡くなっちゃったから最後。分かんなくなっちゃったコンタクトが。
で、ネットとかもどうしていいか分かんない。今ほどこんなネットで何でもやってる時代でもないし、
その時代2008年だから。
それで彼らは日本にCDの販売履歴とか見ると日本からすごい買われてるし、
日本にファンがいるのは分かってるんだけど、生き方が分かんないって思ってる彼らがまずいて。
で、私はミュージシャンになりたてホヤホヤの人間で、
その時東京のジャズミュージシャンとしていろんな学校のジャズバンドを教えに行ったりする仕事をたくさんやってたんですよ。
で、その時に日本の側はジャズバンドのことをもっと知りたい、
ジャズの勉強をしたい、本物のジャズが聴きたいっていう需要がすごいたくさんあるっていうのを私は知ってて、
その状態でニューヨークに来て、で、すごい長い話をすごい短くすると、
私は結局、来てほしいと思ってる人が日本にたくさんいるって、
一方で行きたいと本人たちは思ってるっていうのが全部ミスマッチを起こしてるっていうのを、
そこ繋ぎさえすればツアーが実現できるんだっていうことに気がついてて、
かつ、日本の側はものすごい極端に当時ジャズの勉強をする制度が整ってない、
ジャズコースが大学とかにもほとんどないっていう時代だったんですよ、当時はまだ。
それで、ここのをマッチングするっていうのは何とかできないだろうかっていうふうに私は思って、
で、もう一回長い話を短くすると、
日本に帰って100人ぐらいの人にどうやったらいいですかっていうのを聞いて回って、
で、結局最終的にやってみましょうかって言ってくれるところを見つけて、
で、そこからそのバンガールジャズオーケストラを日本に連れてくツアーっていうのを10年間8回、
私がプロデュースしたんです、結局。
そう、っていう仕事を過去にやってるんですけど、
2008年に始まって、2017年までかな、やったのかなっていう仕事をやってるんですけど、
それやってる間に日米のビジネスのやり方が違いすぎて、
こっち側も尊敬してるつもり、日本側も尊敬してる敬意を込めてるつもり、
アメリカ側も敬意を込めてるつもりなんだけど、
お互いに誤解して、相手がものすごい失礼なことを言ってると誤解して、
プンプンに怒っちゃうっていうのの間に立たされるっていうのが何回かあったんで、
それが一番悔しかった。で、当時自分の英語力の無さのせいで、
今ほどペラペラにしゃべれなかったんで、
伝えきれなかったというか。
伝えきれなかったし、そんなにビジネスの進め方に大きな違いがあるっていうのは、
当時まだ知らなかったから、始めたばっかりの時とかは、
毎回そうやって揉めるたんびに号泣するみたいな感じで。
どうしていいか分かんないみたいな。
どうしていいか分かんないから号泣して、
それでアメリカ側のバンドの人たちが号泣してる私を見て、
この人号泣しちゃったから困ってんだな、どうしようかなみたいな感じになる。
繰り返しながら、最初の2年ぐらいはすごいそれが、
向こうもどうやって助けたらいいか分かんないんですよ、僕らが違うから。
それ一番でも辛いよな、お互いに良かれと思ってっていうのがね。
そうなんですよ。
例えばですけど、日本とかだったらこれでも、
例えば分かるかな。
例えば日本だったら、こういう食べ物を用意してあげようって、
ここの名産物はこれだからこういう食べ物を用意してあげようみたいにして、
シークレットで例えばものすごいおいしいそこの地方の食べ物をどーんって用意しておいて、
それをガンって出すみたいにすると、
すごいビッグなサプライズで喜ばせることになったりとか、
尊敬を込めてるってことになるじゃないですか。
でもアメリカだと、ツアーの時とかに最高に敬意を込めてるっていうのは、
各個人のすべての食事制限を聞く。
アレルギーとかね、食べれないものとか嫌いなものとか好きなものとか。
宗教の制限とか。
何時に食べなきゃいけないとかイスラム教の方とかそういうのあるし、
それを全員の分を細かく聞いて全部に対応する、
その中の一人がものすごい諸食を言うかもしれないわけですよ。
リンゴだけあればいい、僕は、とか言う人も極端な場合はあるわけですよ。
肉だけあればいいとかね。
そういう人に対して、いやいやそうじゃなくて、
僕たちの、例えば日本は寿司が美味しいんだから寿司を食べてくださいよって寿司をバンって用意とかしちゃうと、
今度それが食べられないアレルギーの人たちがいたりとかすると、
激怒りするわけですよ、アメリカとしては。
それはすごい失礼な。
そうそう、宗教的な食べ物の宗教的なリクエストを無視するのってめちゃくちゃ失礼じゃないですか、アメリカと。
食べるものなくなっちゃいますもんね。
絶対やっちゃいけないし、ものすごい怒るから宗教的なことでそんなことされるっていうのは。
だけど日本の側は例えばそういうことを勘体するのの一個だと思ってて、
しかも終わった後打ち上げに行くっていうところまで含めてプレゼントだと思ってるけど、
例えばアメリカの人たちは演奏終わったらすぐ帰りたいとか、すぐ帰ってホテルに休みたいと思ってるから、
そんなシャンパンとかをライブハウスに用意されてもそれ飲んでる暇があったら帰って寝たいのに、
早くタクシー用意してくれよみたいになっちゃうっていうね。
そういう間違いがあるわけですよ。
難しい。
いろんなことに。
いろんなポイントでこれがあるわけですよ。
今一例を言いました。
食べ物が一番分かりやすいから食べ物で言いましたけど、
ありとあらゆることにこれがあって、それをうまく説明できない時が一番悔しかったかな。
ありそう。
そのね、演奏する前の楽屋とか、リハーサルのやり方とかいろいろありそうだな。
すべてあります。リハーサルのやり方も全然違うんですよ。
リハーサルのやり方も本当に全然違くて、
ミュージシャンの人が音出しって言ってウォームアップね。楽器終わったのでために。
そのウォームアップをいつどこにするかっていうのから違うんですよ。
日本のミュージシャンは会場でやる人が多いんですけど、
アメリカのミュージシャンは家でやってきて会場ではやらないんですよね。
それは家で音出しができる国かできない国かっていうのの違いがあると思うんですけど。
東京の人は家で音出せない人多いから、会場に来てからウォームアップする人が多かったりとか。
一例を今出していただいたのでここら辺にしといて。
そろそろ次のセクションに。
そんな悔しいことがあったけど、そこも乗り越えて、
今ね、17人編成のオーケストラのリーダー、作曲もするし指揮もやるわけですよね。
おそらく。
やります。
マネジメントもしてらっしゃるかと思うんですけど、
その辺の仕事の姿勢みたいなのをちょっと実習聞いていきたいと思います。
はい、ということで盛りだくさんでした。
何から話そう、今回も。
最初の気になったのは右側の遊びの本っていう、本を自作したっていう話が面白かった。
それを今、めいっこが読んでるっていうのもまたすごい。
すごいですよね。
どんな本なのか見てみたいけども。
やっぱり本当に小さい頃からクリエイティビティというか、あふれてる。
想像力豊かなっておっしゃってましたけど、
いや俺さ、アメリカに来たいなって思ったのが結構そこなんだよなっていうか、
アメリカ人って遊びの天才じゃんとか思ってたのね。
俺が好きだったのはスケートボードとかバンドとかの音楽とかだったんですけど、
なんかめちゃくちゃなことしてる人たちがいっぱいいてさ、
それありなの?みたいな。
そういう想像性がすごいところでスケートボードをしてみたりとか、
トンネルを一周しちゃってみたりとかさ、天井から落ちるじゃんそれみたいな。
BMX、自転車でそういうことやったりする人もいるけど、
とかね、ちょっと今伝わったかわかんないんですけど、
枠を越えまくってるこの想像力性の自由さというかね、
それがアメリカにはあるなと思ってたんですけど、
三木屋さんは日本にいながらにしてあったようですね。
いやでも本当そうですよね。だから本も作ってみたり、
曲も作ってたっておっしゃってましたもんね、子供の頃から。
そうそうそう。なんか長跳び大会をサボって、
公共曲をアレンジしてたって。
公共曲をアレンジしてた。すごいですよね、それも。
発想というか、お父様の影響もあったみたいな話もされてたかなと思ったんですけど、
なんかそういう公共曲をアレンジしようって、
みたいな、わかりますか?そんなこと考えたこともないし、
すごいなと思いました。
なんかでも文化、文化?なんていうんだ、
教養のあるご両親なのだろうなとはいう想像はつきますけどね。
そうですね。きっとだからご両親、いろんなことを、
たぶん三木屋さんに提供した中で、
三木屋さんがいろんなものにアンテナを張ってるというか、
いろんなものに引っかかって、いろいろやってこられたのかなと思って。
すごいと思いました。
自由さにあふれてるような感じもあるし、
そこからでも成長していくにつれて、何かいい子ちゃんでいなきゃいけないんだみたいなね。
自分の中での、親は言われなかったんだけど、そういう制約じゃないけど、
そういう道を進んでいったみたいな話もありましたけど。
なんか面白いよね、そういうのって。
そうなんですよね。
だからいわばエリートって言ったらあれですけど、いわば成功っていうのかな。
いい子ちゃんとしての。
そうですよ。いわゆる、すごい言葉が出てこない。
何て言ったらいいんだろうと思うけど、日本で言う成功する道筋をしっかりたどってきたみたいな感じなんだろうなと思いますけど。
リクルートに入って、編集デスクって30歳でそんな重要なことできるのか?
ジャランってめちゃくちゃ有名だよね。
めちゃ有名です。
すごいよな。めちゃくちゃ能力も高いんだろうな。
そう思います、本当に。
ただね、ここではちょっと話出なかったけど、実はYouTubeの公演のどれかのやつだって見たんですけど、
ちょっと最後の方はもう仕事しすぎみたいなので、ちょっと体も少し壊し気味みたいな状況ではあったみたいですね。
それと音楽家への道っていうのも混ざってたんだろうなとは思いますけども。
でもすごい決断ですよね。そのポジションを捨てるっていうか、辞めるっていうことだね。
ユナさんも同じか。
でもやっぱり、わからない、私も想像ですけど、今と比べたら昔の方が就寝雇用みたいな定年まで働くっていう考え方が大きかったと思うし、
海外に出るっていうことも今よりはハードル高かったと思うから、そんな中で行きたいなって考える人はいるかもしれないけど、
行動して本当にニューヨークに行っちゃう人って、なかなか100人いたら1人とかかもしれないから、それはすごいなって思います、やっぱり。
でもリクルートってあれだっけ、リクルートだよね。割と独立心を煽ってくる会社。
昔からなんですかね、今はそういうイメージあります。
そういう文化ありますね、なんかイメージありますね。元リクルートって人いっぱいいるもんね、創業。
ね、わかりますわかります、イメージとして。
そういう気質もあったんだろうし、なんか抑え込んでたものもきっとあったんだろうなと思うけど、
もうでも今はね、解放されて爆発したって感じもするけど。
でもなんかあとはおっしゃってた柔軟すぎて染まりやすいとかっておっしゃってたと思うんですけど、
なんかそれを強みとして解釈するしかないって本人はおっしゃってましたけど、
でも逆にだからこそニューヨークにすぐに行って、環境に適応して、自分の強みを出してキャリアを構築できたんだろうなと思って、
なんか強みとして解釈するしかないっていうよりも、強みですよねって感じで、どう考えても強みですよねって思っちゃいました。
結局やっぱ柔らかい方が強いっていうね、この五欲…あ、違う、十…あれ?なんだっけ?柔道のやつ。
柔道のやつ?
十欲五を制す。五欲十を制す。あ、違うな。もう言葉が何も出てこないんですけど、柔らかい方が強いっていう。
うんうんうん。
硬いものは折れちゃうけど。
じゃなくて?
違う違う。それじゃなくて。調べようか。十欲五を制すじゃなかったっけ?
調べようか。十…
十欲?
あ、十、十欲五を制す。
あ、そうだ。あってるじゃん。
しなやかで柔軟なものが硬くて強いものをうまくあしらって勝利する。
それですよ。だから強くて硬けりゃいいってもんじゃないってことですよね。
でもまさにこの液体のような柔軟さが最強な気はするけどね。
いや思いました。やっぱりそういう方がどんな場所に行っても成功というか自分を出せるんだなと思いました。
あまりなんか硬すぎても多分折れちゃうよね。対応できなくてさ。
でも嫌だって言って帰っちゃう人もいるしね。
そう。
アメリカなんて大嫌いだって言って。
いやでも絶対そっちの方が多いのではって私は思います。やっぱり。
あー。
疲れちゃうっていうか。
そうかもね。適当な方が。
特に。はい。適当な方が。
いいよね。
うん。
俺は超適当なんで何でもオッケーなんですけど。
いやだからいられるんですよ。
静かが強すぎるときついよね多分。
うん。特に大人になってからアメリカに行くとかだと。小さい頃住んでたとかだとね。
多少はそういう土台があるかもしれないけど。
うん。
いやと思いました。
そうですね。
はい。
いやーまああとはそのあれか。ビッグバンド、ビレッジバンガードのオーケストラを日本に連れて行くみたいな話がありましたけど。
まあこれもね最初はだからもう本当になんつーだろう。
できることをどうにか試行錯誤みたいなところがあったと思うんですけども。今ではもう8回もプロデュースしてるってことですけど。
その辺もやっぱり何かこう何か果敢に責める感覚というか。
なんか自分で流れを作っていくっていうような力強さがありますよね。
うん。本当にそうです。やっぱり0から1にするのが絶対に大変だし。
そう。ね。
何にもよくわからんところから多分一個一個積み上げていくっていうこの流れを作っていく。
なんか大変だったとかなんか泣いたとかおっしゃってましたけど。
軽くというか笑いながらおっしゃってましたけど本当に大変だったと思う。本当にすごいことだと思います。
面白かった。
尊敬しますもう本当に。面白かった。
そんなこんなで今のポジションについたという話だったんですけど。
そんなみぎわさんの次回がなので仕事に対する姿勢ですね。これもまた面白いですよ。
創作に対するこの姿勢だったり限定みたいな話とかもね面白かったです。
はい。
はい。
それでは次回もお楽しみに。
お楽しみに。
リアルアメリカ情報。
よっ。
このコーナーでは最新のビジネス生活情報をアメリカからお届けしていきます。
はいお願いします。
私あの先日母が日本からアメリカに遊びに来てLAをプラプラしたんですけど、
その時ハンバーガー食べたいって言ったんですよ。
おーアメリカに来たからには。
アメリカに来たからにはハンバーガーが食べたい。
お母さんはアメリカ何回目なんですか?
何度も来てます。
何度も来てる。
ただ私の引っ越しの時にサンフランシスコに来たのと、
あとは私の妹がメリーランド州にあるメリーランド大学ってところを卒業していて、
ワシントンDCの方、東海岸。
なんであんまり西海岸に来たことがなくて。
しかも北の方とLAはまたちょっと違うしね。
そう全然違うじゃないですか。
で、ハンバーガー食べたいって言って。
どこのハンバーガー行こうって思ったんですよ。
それは決まってるでしょ。
みつさんだったら日本から来た人どこ連れてきますか?
それはもう一択ですよ。
どこですか?
インアンドハウト。
やっぱそうだよな。
やっぱそうですよね。
そうですよ。
どこに行ったんですか?
で、インアンドハウトなんですけど。
ベタな話やなまた。
ただ私サンフランシスコだったら違うところ連れてくるんですよ。
サンフランシスコにもあったっけ?
インアンドハウトですか?
ありますよ。
昔はそうなかったよね。
本当ですか?
調べたらアメリカ西海岸を中心に300店舗以上あるらしくて。
だからめちゃくちゃ増えたと思うよ。
俺が知ってる頃は十数店舗だったようなぐらいの気がするんだけどな。
何年前ですかそれ。
そんな前じゃないと思うよ。
そんな急激に増えた気がするけどな。
あ、そう。
だってここでしか食べれないよって言ってたもん。
あ、そうなんだ。
でも母親は、私もサンフランシスコに自分が引っ越す前までは東海岸ばっかり行ったことあったんで、ないんですよ。東には。
インアンドハウトがね。
インアンドハウト。
だから最初はテンション上がりましたし、わーって、西海岸だーみたいな感じでテンション上がりましたし。
母も喜んでましたけど、日本では大谷翔平選手が好きだって言ったって言って。
あ、そうなんだ。それは有名になりますね。
そうなんですよ。だから今すごい有名だし。
大谷翔平選手も好きなハンバーガーチェーン、インアンドハウトとか言って、結構テレビで紹介されたりとかも多いですし。
でもだいたいさ、日本に行くと人気出るよね。バーガーキングとか、タコベルとかもね。
タコベルね。
日本だと。
日本には店舗ないからインアンドハウトは。
インアンドハウトはね。あれ?チックフィレもなかったっけ?
チックフィレないんじゃないですか?日本にあんのかな。
あれもね人気っていうか美味しいっていうか、食べるチャンスがあるなら食べた方がいいなと思うよね。こっち来たら。
美味しいですよね。チックフィレのソースがターゲットとかで売ってるって。
あ、そうなんだ。
お土産に人気らしいですよね。
それで日本に帰ってきてマクドナルドのチキンナゲットを食べるのが美味しいって聞きました。
ソースを買って帰ってね。
ソースを買って帰って日本で食べるのが美味しいって聞きました。
ちなみに。
インアンドハウトは。はいどうぞ。
どうぞどうぞ。何ですか?ごめんなさい。
何を食べたんですかっていう。
インアンドハウトはいつもだいたいチーズバーガーか、チーズバーガーってありますよね確か。
まあ普通はね。
ダブルダブル?
シングルダブル。
あ、シングルダブルか。なんか私はチーズバーガーとかにしちゃうんですよ。
でアニマルスタイルのフレンチフライ。
まあ美味しいですよね。
何だっけ?玉ねぎを炒めたのがバシャっと乗ってるような感じのやつだっけ?
え、何?あ、アニマルスタイルそうです。あれ?玉ねぎを炒めてあるんですか?
そうだよ。
あ、そうなんだ。
ソースと絡めたやつでしょ。
でドロドロのソースとチーズとかが。
うまい、うまいよね。
やっぱフレンチフライはアニマルスタイルを食べちゃうと、普通のフレンチフライ食べるとなんか物足りなくてインアンドアウトだと。
確かに素朴なおばあちゃんが作ったような感じだもんね。
結構素朴なポテトですよね。
そうなんだ。俺はあれ割と好きなんだけどね。
だから私はアニマルスタイルにしちゃうんですけどいつも。
ワイルドですね。
はい。
ちなみにサンフランシスコに私おすすめのハンバーガーショップがあって、スーパーデューパーっていう。知ってますか?
それはチェーンなんですか?
チェーンなんですけど、サンフランシスコにしかないみたいで調べたところ。
サンフランシスコベイエリアにしかないのかなって感じで、
サンフランシスコ初のハンバーガーショップで、
オーガニックとか地元さんの素材にこだわったハンバーガーショップ。
あれだ、インアンドアウトとか日本でいうとこれモスバーガー寄りなポジションなんだ。
確かにモスバーガーみたいな感じかもしれないです。
なるほど。
すごくおいしくて、シェイクがおいしいんですよ。シェイクが大好きで。
オレオのシェイク?
でも、このスーパーデューパーのシェイクはオレオのシェイクがあって。
おいしいんだ。
それもオーガニックの牧場で作られてるらしいです。
ちょっと値段高そうだな、そう聞くと。
インアンドアウトよりちょっと高いかもしれないけど、まあまあ。
ハンバーガーはね、死ぬほどありますよ、うまいとこ。
ありますね。
タコスとかもうまいけどね。
タコスのうまいやつを食ってほしいよね、日本から来たら。
ハンバーガーはもちろんですけども、タコスとかブリトーとかもうまいじゃん。
おいしい。
日本にあんまりないんですよね、メキシカンのおいしいお店が。
最近ちょっと増えてきたみたいだけどね。
あ、そうなんだ。
メキシカンおいしいですよね。
やっぱでも、ジャパニーズテイストになってるようですけどね。
ほんまの感じではない。
臭さみたいなのはないかもしれないね。
知らんだろ、口入れる感じの。
ほとんど外なんじゃないかみたいなお店でバサーって入れるやつを食べたいですよね。
そう、あれがうまいんだよね。
おいしい、大好きです、私も。
腹減ってきちゃうな、これちょっと。
なんの話でしょ。
ということで、ハンバーガーどれおすすめしますかっていう。
そういうことですね、はい。
はい、そんなリアルアメリカ情報でした。
はい。
では、質問コーナーです。
はい、みぎわさんのお話にあやかってなんですけども、
ちょっとね、そのアイデンティティみたいな話があったと思うんですけど、
まあ柔軟さをね、強みと解釈したみたいな話があったわけなんですが、
なんか、ゆなさんって自分のアイデンティティというか自分らしさみたいなものって、
なんか認識してたりしますか?
ちょっとまた難しい質問だな、これ。
難しいですね。
てか、俺も質問しながら、俺も何なんだろうって今自分で思ってますけど。
性格的な部分とかですかね。
もしくは友達に、ゆならしいよね、こういうところって言われるみたいなところとか。
でも、もしかしたら私だったら、結構何でも言っちゃう。
あの、なんだろう、自分の意見を結構言ってしまうかもしれないです。
で、やりたくないことはやりたくないですとかって結構ちゃんと言ってしまう?
ことは昔から言うよねって言われます。
なんかその、はっきりしてるよねとかって言われます。
相手がこれ言ったらちょっと嫌がりそうだなとか。
まあ言い方とかはもちろんすごい考えちゃうんですよ。
すごい考えちゃう。なんか私、みんなと仲良くやりたいんでやっぱり。
そういうところはあるんで。
だけど自分が我慢して何かをするとかっていうことをしないかもしれないです。
だから結構なんか、なんて言うんですか、結構自分の気持ちを大切にする。
で、あんまり人と比べない自分を。
結構自分は自分っていう感じで。
いいことですよね。
なんか人と比べないよねみたいなことは言われるかもしれないです。自分のこと。
自分に素直でいられるってことだもんね。
ちょっとこれが答えになってるのかわかんないんですけど。
いやでもこれ、なってるんじゃないかな。難しいね。でも自分らしさって何なんだろうね。
何でしょうね。何なんでしょうね。みつさんは何ですか。
わからん。俺も今考えてたけど。
まあ俺でもよく言われたのはなんか適当そうで意外と頑固だよねって言われることがあって。
確かに俺は意外と頑固なんですよ。自分で思うにね。
へー。
なんかヘラヘラっとしてそうだが、わりと頑固なところもあるなと思いますね。
そういうのを隠そうとしてるのかな。何なんだろうね。
え、頑固そうに見えないように。
そうそう。
隠してるっていうか振る舞っちゃうみたいな。
そういうのがあるかもしれないね。
自然とね。
うーん。えー何でしょうね。難しいですね。
これさ、でもやっぱ、三島さんもアメリカに来てそういうふうに言われてというか気づいていった。
特にアーティストだからさ、その強みとかを考えなきゃいけない場面が多かったんだろうけどさ。
それでやっぱ自分と向き合ったっていうか、いろいろ考えたんだろうね。
あとね、なんか言われたこととかで自分のことについて言われて気づくこともあるでしょうしね。
外の世界に行くと気づきやすいかもね。
それはあるかもしれない。
生活の環境変わった時とかね。わからないけど。
確かに。それはあるかもしれないですね。
まあでもなんとなく自分が何がこういうのを自分が好きなんだなとか、これをご褒美にしとくと頑張るんだなとか、なんとなくはわかってるけどね、自分の中では。
それがわかってないとなんか、やんないもんな確かに。
そうか。
まあでも確かに私の周りのことあんまり気にしないとかっていうのは、
自分が29歳で会社員、アナウンサーを辞めてサンフランシスコに行くって決心して本当に住んだ時は、
すごいなと思いました自分で。
世間体とか、29で行くなんてみたいなのとかって結構驚かれるんですけど、
みんなにすごいねって言われて、確かにこの年齢で一人で留学するって普通あんまないかとか思って気づきました。
周りと比べたりしないんだなと思いました自分のこと。
まあそれはね、一つの強みとしてこれからも磨いていってください。
ちょっと自分探しの旅にもそろそろ出ようかな。
いやそろそろだよ、もう別に出なくても。
もう出てる?
もうちょっと自分のことを知れるように。
自分を知るの大事ですねでもね。
うんうんうん。ちょっと過ごしていこうかな。
はい。
じゃあそろそろ。
ということで。
はい。
ということでこちらの本編とリアルアメリカ情報の詳細はブログに掲載しています。
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1%の情熱物語は日本を飛び出し世界で挑戦していく人を応援します。
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はい今週も聞いてくださってありがとうございました。
ありがとうございます。
それではまた来週です。
んじゃれ。