Vol.411|正解なんて分からない。シンガポールを離れフィリピンで起業|Visum・井谷厳紀(3/4)
2026-08-22 1:06:43

Vol.411|正解なんて分からない。シンガポールを離れフィリピンで起業|Visum・井谷厳紀(3/4)

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「1%の情熱ものがたり」103人目のインタビュー、最初のエピソード。
横浜生まれ東京都調布市育ち。サッカーに明け暮れ、尾崎豊の歌から「自分のやりたいことを貫く」姿勢を深く胸に刻んだ青春時代。大学中退後に渡米、カリフォルニア州立大学ハンボルト校演劇科で映画制作や演劇を学び、表現力と物怖じしない度胸を養う。ロサンゼルスでフリーペーパーの立ち上げやNPO組織でのイベント運営に携わった後、シンガポールの日系広告代理店で9年間の経験を積む。2019年、「今まさに発展するライジングな国」と直感したフィリピン・マニラで独立起業「Visum」を設立。日系企業のフィリピン進出支援や訪日旅行者の送客、数万人規模を動員する日本文化イベント「MATSURI」のプロデュースなど、日本のコンテンツ普及にも奔走し走り続けている。「嘘をつかず誠実に」という強い信念と、大切な家族の支えを胸に、誰かのため人の役に立つ実感を噛み締めるため働く日々。はてしない夢を追い続ける姿に、勇気と元気をもらえます。いつか自分の映画を撮る夢や新たな挑戦も見据え、「自分の好きや楽しいに正直に生きてほしい」と語る厳紀さんの、まっすぐで温かい情熱ものがたり。

人生においての大きな決断って、後々振り返ってみれば後悔よりも良かったと思える方が多い気がする。変化すること、環境を変えることは、結果的に良い方に繋がっていくはずなのだ。

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サマリー

今回のエピソードでは、シンガポールでの広告代理店勤務を経てフィリピン・マニラで起業した井谷厳紀氏が、自身のキャリアパスや仕事哲学について語ります。LAでの経験、シンガポールでの9年間の広告営業、そしてフィリピンでの起業に至るまでの経緯が語られ、特にフィリピンを「ライジングな国」と捉え、現地のビジネス機会を見出した洞察が語られました。井谷氏は、自身のキャリアにおける最良の意思決定は「国を移ること」、すなわち環境を変えることだったと振り返ります。仕事の哲学としては「嘘をつかない、虚勢を張らない」ことを挙げ、誠実さを大切にしていると述べました。また、自身のモチベーションの源泉は「家族」であり、彼らの存在が自身の進むべき道を示す羅針盤となっていると語っています。さらに、自身のルーツとして、尾崎豊の楽曲や作家・中谷昭寛氏の本から受けた影響、そして真面目に生きた父親の姿を挙げ、それらが「自分のやりたいことを貫く」姿勢や、親とは違う生き方を選択する原動力となったことを明かしました。番組の後半では、アメリカの「バックトゥースクール」文化や、日本のランドセル文化についての話題も展開されました。

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1%の情熱物語
海外に住んでいる日本人は、日本人総数のわずかに1%
この番組では、海外出身や起業を果たしたビジネスオーナーや経営者、 また各業界のプロフェッショナルな方々へ対談形式でインタビューをしていきます。
日本の未来を背負う、グローバルなプロフェッショナルたちの仕事哲学と、そこに燃える情熱に迫ります。
こんにちは。こんにちは、ミツです。
春です。1%の情熱物語411回目です。みなさん、お元気でしょうか?
元気でしょうか。8月も中旬、えー、まあ、ガリガリ君がおいしい季節ですね。
確かに、もう、冷たいものしかいらない時期ですね。
セルフレジの割引義務化法案とアメリカらしい客の主張
ちょっとね、今日は話をしたいネタが1個ありまして、ネタというか、どこかで見聞きしたものなんですが、
なんかニューヨーク州で、セルフレジオをめぐる異色の法案が話題になっている。
というのがありまして、ブルックリン選出のニッキー・ルーカスさん、衆議院、会員議員ですね、が提出した法案。
セルフレジを利用した客に対して10%の割引を義務づけるという内容なんですよ。
意味わかりました?
はい。セルフレジを使ったほうがお得になるってことですよね。
はい。
これ、どういう意味かわかりますかね?
え?どういう意味?
人が、人の労力を減らしたい、つまり、働く人を減らしていきたいっていうことじゃないですか?
店側はね。
はい。使う人としてってことですか?
あと、なんでその法案が出たかって、というか、その前に、皆さん、セルフレジは日本でもスーパーでもだいぶ導入されてるよね?
あります。最近も人がいないコンビニとか駅前にあったりします。
日本のほうが下手したら進んでるのかもしれないけど、こっちでもだいぶスーパーでも増えてきていて、
今、ハナさんが言ったように、店側としては人件費を抑えたいんだが、これを訴えたのは客側のほうで、
だから小売の店側は人件費と運営コストを削減するために、セルフレジへの依存を強めている。
が、従来は従業員が行っていた業務を消費者に転化しているっていう。
だから、スタッフがやるべき仕事を客にやらしとるやないかという言い分なんですよ。
なるほど。サービスがなくなってる。サービスが自分でやらなきゃいけないっていうことですよね。
でもって、お前ら人件費抑えてなんやねんっていう言い分が客からありまして、
それがその10%を割引しないといけないという法律で決められるほどの法案が出ている。
まだ決定はしてないみたいですけど、だから客のこの言い分がすごいよね。
なんかアメリカっぽい、アメリカらしいとか、日本人には思いつかない。
思いつかないよね。
この俺らがなんで仕事しとるんじゃっていう、言われてみればそうだよなと思うけど。
確かに確かに。
全部ピッピッピッピ自分でやってさ、袋も自分で用意してさ、
そりゃあり引きしてほしいっていう思いは確かに、確かにって思ったよね。
でもすごい思いつきはしない。全然わかんなかったな。
セルフレジでも好きですか?どうですか?
私は、こっち来て最初はスモールトークが怖すぎて、レジとかにする。
レジの係の人が話しかけてくるからね。
はい。なんでセルフレジをめっちゃ使ってました。
なるほどね。
だから自分でやってるとは思ったことないな。
たくさん買うとめんどくさいよね。
確かにそうですね。
あと、測り売りのものとかもめんどくさい。
あれほんと探すの大変ですよね。商品を探すの。
合ってんのかな?よくわからんな。まあいいやってなるよね。
合ってんのか全然レシート見てびっくりするみたいな、なんか違う気がするなみたいな、たまにありますけど。
だからこの法案ができたら、セルフレジまたなくなるんじゃねえかと思ったりして、
一割売り上げが減るわけじゃんか。
どうなんだろうね。人件費も減るけどどうなんでしょうね。
でもやっぱ増えてる感じはしますけどね。なんかスーパーとか。
あと人と人との触れ合いがなくなるっていうのもなんか寂しいっていう話もあるけどね。
確かに。
やっぱそこでスモールトークができるから、トレーダージョーズはその逆言ってて、絶対に入れないんだよそういうものは。
トレーダージョーズはオンラインショップもないし、やたら喋るじゃん、レジの。
喋らなきゃいけないみたいな感じになってるけど。
まあでもそれが売っちゃ売りなんだよね。
でもそれがより確立されそうですよね、そのブランドとして。
そう、されてるんだよね。それをブランディングとしてトレーダージョーは出してるので、そっちの方に行ってるんですけど。
まあそういう話があったということで、面白いですねっていう。
はい。初めて知りました。
井谷氏のキャリア変遷:LAからシンガポールへ
はい。じゃあ本編いきましょう。
はい。毎回一人の方のインタビューを4回に分けてお届けしています。
1%の情熱物語。今回はミズブグローバルフィリピンズインクの伊谷玄貴さんにお話を伺っています。
今回は3回目のエピソードです。
はい。先週がなので、老いたちから今の仕事に至るまで、ちょっとそれ残ってるけど聞いてましたね。
ちょっと先週からの続きの話と、
僕、後半になると結構脱線しがちなんですけどね。話がどんどん面白くなってきて、あらゆる方向に行ったりもしますという感じですかね。
はい。それではお楽しみください。
はい。じゃあちょっと今からですね、仕事の深掘りをしていきたいんですけどね。
今ちょっとオフレコでいろいろまた昔話が盛り上がっておりましたが、
お互いちょっとね、喧嘩別れみたいな感じで仕事を辞めたみたいな話をしてましたけど。
そこはフィーチャーシーズン。
詳細は言いませんけど。
ほんで、前回の続きからいくと、LAでね、営業活動をされていて、その後にNPO団体でイベントとかね、イベントオーガナイズとか、
日本の文化の事業とする会社で働いていらっしゃって、その後にシンガポールに行くと。
はい。
で、これが広告代理店ですかね。
そうですね。
これ日経の広告代理店なんですかね。
これも日経の広告代理店です。
じゃあ主には日本からシンガポールに出てくる企業さんのプロモーションとかをされてたってことですか。
そうですね。あとはシンガポールはシンガポールっていう土地がある、ヘッドクーターが各日経企業あったので、
割と国内の仕事とか、あとシンガポールをハブに、それこそフィリピン含めた他のアセアンの国へのっていうのがあって、
それは、割とシンガポールっていうそれこそハブの国にいたりかなと思っていて、
いろんな国のことができて、それが結果的にフィリピンに行くきっかけにもなっているので、そういう形で。
具体的な業務内容っていうのはどういう感じだったんですか。
本当にコテコテの広告営業なので、代理店の営業なので。
そうですね。具体的にはプロモーションのところが多いですけども、デザインにして、
その当時のSNSとかも始まったというか流線になる時代だったので、デジタルマーケティングからGoogleの広告から含めてやりましたし。
名刺をデザインするところから、展示会等のイベントの出展のサポートとか、ブースのデザインとか、そうですよ。
それは今の会社にも結構つながってるとか、かぶってるところは多いですかね。
そうですね。いまだにそこのつながりでお付き合いがあるところとか、シンガポールの会社さんで。
数社あったりとかもしますし。本業というか、業務の中心としてそのデザインであったりとかっていうのをやってるわけじゃないですけども、
基本的にシンス支援にしても、今どちらかというとフェーズTと01のところが主となって、
企業さんをサポートするところが多いんですけども、結局その後着地した後に当然展開していくときにプロモーションであったりとかマーケティングっていうのがさかわってくるので、
そこは過去の経験というか、ダイオテニアにやってたことにつながっていくのかなっていうのがあります。
そこで9年勤められたのかな。Googleダイオテニア。
そこからマニラに行くぞと。その話は前回、1回目かな、あったけど、ブル王者に見えたっていうところだったけど、
その転職するきっかけみたいなのはあったんですか?転職というか企業ですね。
まず、シンガポールの会社自体は、もともとシンガポールって国柄も含めて採用も現地採用だったので、
わりと日々ギリギリな生活を送っていたので、なかなかずっと長くいられるような市場でもないなっていうふうには思ってたんですね。
本当に3年、4年過ぎたぐらいから、変な話、いつ辞めよう。いつ辞めようというか、いつシンガポールを離れるかみたいなのはずっと頭の片隅にあって。
それは何か、物価が高いとかそういうことですか?
そういうのもありますし、なかなか作られた町だし、アメリカなんかとフィリピンとかでも含めて、
全く真逆というか、本当に人工的に作られた町で、自然がいっぱいのアメリカだったりとかフィリピンだったりとかと違うし、
あと生活する上でのいろんな水準がいい反面お金もかかるっていうところだって。
逆に言うと、それなりにいいお給料もいただいてたりしてたんですけども。
それのバランスのところで、あと子どもの成長等いろいろ含めて考えたときに。
もうちょっと自然が多いとこがいいなあみたいなのが。
あとその後長く住むためには、当然その後日本に帰るっていうことも考えてましたし、
あとやっぱりアメリカに戻るっていうのも考えてましたし、基本的にはその2つの選択肢しかなくて。
シンガポールにずっと居続けるっていうのはなかなか難しいなと思って、そのタイミングをまず伺ってたっていうのがあって。
いろんなことが、本当はもう5年とか6年ぐらいで離れたかったんですけど、そこから数年をずるずるとというか、
いろんな準備期間も含めて、
費やして、仕事も1週どころか2週3週ぐらいして、なんとなく自信も持てていろいろやれるように。
おかげさまでというか、名前だけで言うとすごく日本の大きい会社さんとの付き合いも多かったので、
そういう方といまだにいろいろ付き合いがあったりとかっていうのもあって、そういうのも含めて、
自分の経験というかキャリアの形成の中でも、出すときに恥ずかしくないというか、そういうのもできたかなっていうのがあったので。
じゃあそこで、日本かアメリカかみたいなときに、そこもやっぱりシンガポールっていう土地柄で、
シンガポールを離れフィリピンで起業する決断
やっぱり周りに起業してる人間が、同性恋の人間でもたくさんいたので。
でも本当具体的にはちょうど同い年の一人ずつサッカーやってる人に、
えんきんもう独立したいよみたいなことを言われて、全部俺が教えてやるよみたいなところから始まって、
そこで独立っていう選択肢が生まれて、
そこで始まって生まれた?
はい、そうですね。それ以外は全然転職をすることしか考えてなくて、
実際アメリカの人材派遣会社とかにも連絡を取ったりして、オンラインで面談を受けたりしてたんですけど、
なかなかうまくはまらずっていうところで、そのタイミングでそういう話をもらって。
その友人の方はどこにいらっしゃったんですか?シンガポールにいたんですか?
シンガポールですね。
なるほど。それで独立もいいかなーって思い出したと。
そうですね。
じゃあもうそこから早かったんですけど、自分で何できるかどうできるかとか、
じゃあどこでやるかみたいなのをババッと考えたときに、
フィリピンだと。
フィリピンありかなっていうのがあって。
その時点ですでにフィリピンは出張で1回、2回ぐらい行っていて、
なんとなくのいいイメージというか、前の回でも申し上げましたけど、
いわゆる需要と供給のバランスで、需要はどんどん今後伸びていくだろうっていうところで、
ただ供給する側のプレイヤーが圧倒的にいないなっていうのが。
それは僕が出張で行ったときに、
それこそシンガポールにいながらも他の他国の仕事も頼まれることが多くて、
ヘッドクォーターがあるので、そのときにフィリピンも行きましょうみたいな話で。
なったときになかなかフィリピンで組み先というか、
自分が今やってるようなことをやってる方がなかなかいなくて苦労したっていうのがあったので。
じゃあ俺がやればいいじゃんってなったんですか?
そうそう。こんな感じで。
へー、なんかこの話でもなかなか貴重っつうか。
そこに実際、理論上そう思ってもいける人もなかなかいないだろうし、勇気もいるだろうし。
だからそれが僕の人生で言うと、
アメリカに行ったことからの全部積み上げで、
前の回か前の前の回で言いましたけど、
ある意味都市だけど、ある意味どんどん市場が大きくなってどこに移動していってるっていうのは、
やっぱり最初にアメリカに行って、ある程度向こうでも大学出て、
英語も喋れるようになって、国際感覚。
要は外国人に対してビビらないような体制ができて。
その後、当時勢いがあったシンガポールに行って。
なんだかやっぱり、とはいえアジアの国だし、なんとなく僕も、
こんなちっぽけな自分ですが、アメリカに住んでる俺かっこいいみたいなとこもありつつで、
ちょっとシンガポールを下に見るような感じで行って。
またシンガポールはシンガポールで優秀な人間が山ほどいるんで、そこでいろいろ食らうんですけど。
ヤバいなこの国。僕よく言うんですけど、プレミアリーグなんで。
もうLAつっても日系社会にいたので、ある意味ぬるいというか、
あんまりちっぽけな言葉あるんですけど。
そこにいて、急にプレミアリーグに行かされて、実力もないのにそこでやらされて。
で、その後、言語の面でもあと、
一応フィリピンはアメリカの文化の影響が大きいし、
英語的にもいわゆるアメリカ英語のほうが強かったりとか。
あとキッスも、アジアの中ではアジアっぽくないので全然。
どちらかというと、アジア系の英語圏の人が住んでるみたいな、そんなようなイメージですね。
人もすごく優しいしみたいなところ。いろんなのがあって。
あと言うて、シンガポールでアジアを一回かませてるので、
そういうのもいろんな積み重ねがあった上で、行けたのかなっていうふうには。
あと家族ももちろんそうですけど。
急にね、シンガポールもそもそも行ったことがないですからね、私の妻はその当時ね。
そこによしシンガポール行きますみたいな話になって。
フィリピンもほんとに昔なんかダイビングでセブで行ったことがあるからぐらいの感じで、マニラにも行ったことないしみたいな。
パスティア、その昔行ったのも何十年も前だしみたいな話で、ほぼほぼ初めて行くようなところで。
大丈夫なのみたいな。子供とかなんでも裸足で裸で歩いてるんでしょみたいな。
それはだいたいあってるんですけど、ローカルエリアに行くと。
まあまあ、それがね、自然があっていいって捉えるのか、どっちかの捉え方の違いだとは思いますけど。
そっか。まあでも結果良かったってことですよね。その決断が正しかったというかなんていうか。
そうですね。それは良かったんだと思いますね。
素晴らしいなあ、でもそのジャンプっていうのは。
人生の意思決定と「正解なんて分からない」という考え方
いやなんかでも、どっちなんだろうっていうのが未だに分かんなくて、そこしか行けないからそこに導かれるように行っているのか。
だから多分ですけど、ちょっと話し逸れますけどね、みつくんもいろいろ仕事サポートされてて、
いろいろロジックを使って組み立てて構造を作ってとか、話すると思うんですけど。
あとそもそもの企業の相談とか、海外行きたいですとかっていうね、相談も当然されてると思うんですけど。
ただ考えて作ってできるんだったらそんな楽なことはないじゃないですか。
自分で説明書を作ろうとしても、ただもちろんないよりあった方がいいのかもしれないけど、
ただ作ったところでじゃあ何をどう作るのみたいな話だし。
結局振り返ってみると、ある意味行き当たりばったりっていう風にも受け取れる人生だし、
ただそのタイミングタイミングでいろんな決断、判断が絶対あったんだろうなと思って。
その判断が正しいかどうかっていうのは後からついてくることだし、
今から考えたら今までの判断は良かったのかなとは思う。
考えてできることでもないけど、でも考えないと周りが納得しないんです。
それを理由を作らないといけないっていうようなイメージですよね。
考えてもわかんないし、どうなるかわかんない。
やってみるとわかんないんだけど、ただそっちに行くための仮説は立てないといけなくて。
言ってることすごいわかります。
でも時代がすごい流動的になってきていて、
本当に何やっても正解だし、何やっても間違いの可能性もあるし、
わからんすよね。
そういうのもいろいろ定義付けて、文化の時代だからどうのこうのとかあるけど、
結局成功物語って後付けのパターンがほぼ一緒だよね。
確かにね。
とりあえず今生きてるしみたいな話だし、
今を起点に感覚を見て考えれば成功っていうことになるのかなとか、
ただもっと未来を見据えては生きてはいきたいっていうのがあったりとか。
いろんなものが絡まってそこに行き着いたっていうのは面白いなと思いますね。
でもその生き方の一つの、こういう生き方もあるんだよっていうのがね。
そうですね、なんとなくその部分だけは誰かに何とかして伝えたいなと思いますけどね。
そうですよね。僕もそういうのでこの番組やってるっていうのもありますけど、
話が面白くてちょっと止まらなくなってきたんです。
仕事のやりがいと誇り:人の役に立つ実感
ちょっと一旦戻しますが、今の仕事をしていて誇りに思う瞬間、嬉しい瞬間はどんな時ですか。
やっぱりなんですかね、すごくシンプルな言い方ですけど、人の役に立ててるのかなっていう。
引いては日本のために慣れてるのかなっていうのはすごく感じますね、そこは。
そういうふうにそこに批准を置きながら仕事して取り組もうとも思ってますし。
だから単純に日本の良いもの、これも本当すごく言い古されてるような言葉ですけどね、
いろんなものづくりみたいなのも含めて、良いものたくさんあるので文化も含めて、
それをやっぱり日本から世界へ、知らない人たちにお伝えできる、
持ってこられるっていうのはすごく楽しいし、誇りに思うし。
それで喜んでもらえたら一番いいなっていう。
それって広告とかもそうだけど、イベントをやられて何万人も集められたってことですけど、
そこでも生でその人たちの顔が見れるってことですもんね。
それはね、結構ちょっと感動しましたね。
たまたま特に今年は自分が作った短編映画のプロモーションもステージに立たせてもらって、
時間をもらったんですけどね、俳優とか呼んだりして一緒に、
僕もプロデューサーとしてステージの前で喋ったんですけど、
その時にもう前後のアーティストさんのおかげなんですけど、
めちゃくちゃ屋外のフィールドでステージ前に、
たぶん1万人ぐらい集まっててそのタイミングで、
その目の前でいろんな話をできるのが、
そこで話せることもそうだし、
一応イベント主催側の人間としては、
こんなに集まってくれてるんだっていうのを。
すごいことですね。
本当にちょっと泣きそうになるぐらいな感じで。
それはめちゃくちゃ、
やってよかったなっていうふうには本当に嬉しい瞬間って、
まさにそういうところかなって思いました。
素晴らしい。
仕事哲学:嘘をつかず誠実に、断る勇気
じゃあ次の質問。
あなたにとっての仕事哲学とは何ですか?
考えたんですけど、
ちょっと漠然とした言い方かもしれないんですけど、
嘘をつかない。
虚勢を張らないみたいなところですかね。
これたぶん海外あるあるの部分でもあると思うんですけど、
やっぱり、いわゆる僕もみずくんも、
あり程に言うとコンサル的な話になると思うんですが、
となると、ちょっとこちら側が教える側で、
日本がわからないだろうみたいな話になって、
ちょっと話をもったりとか、
おまかそうとするとかっていうのが、
そういうのが重なると、
狭い日系日本人コミュニティで、
ちょっと噂になっちゃったりみたいな、
いわゆる怪しいみたいなグレーで生きてる人がいるじゃないですか。
特にアジアとかやっぱり多いので、
そういうことも含めてですけど、
やっぱり自分に正直に相談してくださった方に、
最大限プラスになるような形で、
嘘をつかず真摯にやるっていうのが、
その意味で例えばやれないと思ったら、
断る勇気とかっていうのがすごく必要なのかなと思って、
お金欲しいし、
10あるうち4、5くらいまでできるから、
それであとは適当にごまかして、
お金だけもらっちゃうみたいなことも多分できると思うんですよね。
こういうもんなんすよみたいな話をして、
なんとなく煙巻いてみたいな、
受け取ってからいろいろ考えて対応するみたいな、
それもそれで一応プロフェッサーとしてはありなのかもしれないんですけども、
ただ冷静に考えた上で、
これは自分じゃないなと思ったら、
例えば他の人を紹介するであったりとか、
じゃあこれを、単純な話でこれを持ってきたいです、煙巻いて、
いや無理ですって思ったらもう、
今じゃないですって言って断るっていうのも、
その意味でそうですよね。
哲学っていうか。
誠実であるっていうところなのかな?
嘘をつかない。
そういうところはすごく大事にはしてるつもりではありますけど。
それっていつからそういう気持ちになったんですか?
起業してからですか?
起業してからかな。
起業して、
自信がついてくればついてくるほどそういうふうになってきたっていうのはやっぱり。
確かに自信がないとそうできないですもんね。
俺もありと思いますしね。
例えばなんですけど、最初の初期の頃って僕もアセアン進出を
サポートしますみたいな言い方してたのを、
どんどんどんどんフィリピンをみたいな感じになってきたんですね。
当然シンガポールいたんで、シンガポールもやれますよぐらいの感じで。
結構これ日本側からしてみても、どうせみんな困ってるんだし、
できるんだから別にアセアンって言い切っちゃっていいじゃんみたいなこと言われたりしたんですけど、
ただ実際やってくると、選択肢集中じゃないですけども、
結局じゃあベトナムをとかインドネシアをとかって急に言われても、
できるかできないかって言ったら、
できる体制を作って何かをするっていうのはできるかもしれないですけども、
具体的にじゃあ同じようにフィリピンであったりとかシンガポールと同じ角度で、
同じ深さでとかできるかっていうとやっぱり、
身もここにフィリピンにあるわけですし、
っていうのをいろいろ考えしていくと、
それも作業の誠実さみたいなところにつながるかもしれないんですけども、
できますっていう感じで言っちゃって、安受けはしちゃって、後で困って、
それなりに対応するっていうのが一つの考え方としてあるかもしれないですけども、
であれば別に、すでにじゃあベトナムならベトナム、
インドネシアならインドネシアでも信頼できるパートナーもいるので、
じゃあそこにつないで、とかっていうのを含めてですね。
でなっていくと、どんどんどんどん狭く狭く深く深くなっていって、
そういうのも含めてですね、やっぱり。
まあそれもね、誠実さのゆえのっていうことだと思います。
考え方、はい。
ありがとうございます。じゃあ次の質問。
モチベーションの源泉と家族の支え
今のあなたを引っ張ってるモチベーション、
これね、モチベーションというか僕が聞きたいのはね、
心を支えてくれてるものなんですよね。
その尾崎豊さんもそうかもしれないけど。
それは何ですかっていう。
俺ね、家族ですね。
家族、そうですよね。
いう答えで大丈夫でしょうか。
家族がないとまともな生活は僕できないなって、
ちょっと今では思いますね。
本当に冒頭にも言いましたけど、
24時間の体制で考えちゃうので、
何もやる道筋が自分で作れなくなっちゃうみたいなところだって。
それは何か怒られてしないんですか、
ファミリータイムを持ちなさいよみたいな。
もちろんありません。そういうのも含めてで。
子供の成長とかもそうだし、
今もまさに授業料を払わなきゃいけないんですけど、
払わなきゃなーとか、ギリギリだなーとか思いながらとか、
そういうのも全部含めてで。
やっぱりそこが一つラインが引かれるので、
やっぱりいろんな相談域にもなるし、
そこの部分がないとなかなか自分がどっちに行っちゃうかがわからない気がする。
ほっといたらお客さん100%になっちゃう。
そうですね。そこをまず支援するっていうところがモチベーションになって、
その先にいろいろ会社で会ったりとか、お客さんがいてっていうことでそうですけど。
まさにそうですね。
ありがとうございます。
ルーツと原点:尾崎豊、中谷昭寛、そして父親
じゃあちょっと次の質問ですけど、
今のあなたを作ったルーツは何だと思います?原点になっているものを。
まあそうですね。考え方とかはルーツ。
なんだろうな。やっぱり、お酒豊かな。
何歳の頃だろう。
中学校とか14歳とかかな。
小から中、高にかけて。
まあやっぱりそのときの大きいですかね。
思春期の感受性豊かな時期なんすけどね。
あとは、このあとの質問の人があるかもしれないんですけど、
中谷昭寛さんっていう作家というかですね、
自己啓発の本とかを書いたりとか、俳優とかもやられてる方なんですけど、
その方がすごく好きで、
やたらと本を執筆されてる人なんですね。
たぶん500冊ぐらい書かれてる。もっとかな。1000冊ぐらい書いてる。
有名な本だとなんていう本がありますか。
もともとは面接の達人っていう、
面接就活生に向けた面接本を書いて有名になった方なんですね。
もともと白王堂の方で。
で、それと並行して自己啓発の本とか、
普通の小説、恋愛小説と書いたりもされてるんですけど、
その方の本を20歳前後ぐらいから20代中盤ぐらいまで
ずっと読み漁って何百冊と。
何百冊も出てるんだ、へえ。
文字が少ないんですぐ読めちゃうんですけど。
その考え方とか、
まさにそのルーツ、原点になってる。
アメリカに行こうって考えて実際に行けたみたいなところで言うと、
やっぱり本当にそういう尾崎豊の曲を聞いたりとか、
中谷さんの本を読んで、
簡単に言うと、自分がしたいことをやっていいんだよみたいなのを問いかけられてるような気がして。
なかなか最初、アメリカ行くっていうのは、
行きたいはあるけど、どうせ行けないんじゃないかとか、
俺なんか行けんのかなとか、行くべきじゃないのかなとか、
いろいろそういうふうに思っちゃったりするところがあったんですけど、
いや、そうじゃないな。これ別に好きなことやっていいんだみたいな。
そういうのを考えさせてくれたっていうのは、
そういうのを10代とか20代の段階で植え込まれたのは本当そこかなっていうふうに思って。
そうなんだ。
ルーツ、原点、そうですね。
今も本は出されてらっしゃるんですか?中谷、秋広さんは。
今はもうだいぶスローなペースになりましたね。
ほんと90年代とかから2000年入るぐらいが、
一番いい時期にちょうど見られる。
その当時は朝の情報番組とかにも出られてたりとかしてて、
コメンテートやったりとかっていう形で、タレント活動もされてたり。
あともう一個一応言及しとくと、
自分の父親もそうなのかなっていうふうに思いますけどね。
父親も全く真逆で、テレビ局にずっと勤め上げた、
和歌山の田舎から出てきた人間だったので。
で、東京の会社に行くって言って、
最初に住んだとこが横浜っていう、いかにも田舎モン的な考え方なんですけど、
港区の会社でなんで東京じゃねえんだって聞いたことあったんですけど、
東京も横浜も変わんねえだろみたいなこと言われて。
確かに東京の人間に関して見たら大阪も神戸も変わんないなって。
そういう真面目に生きてきた親父を見てきたっていうのもあって、
僕兄弟二人いるんですけど、息子三人はもう、
全然真逆の自由な感じになっちゃったので。
まあルースって言ったらそこもルースなのかなと思って。
テレビ局って言ってもそうなんだ。
エンタメ系とか派手な派手しいものではなくて、真面目な感じなんですね。
もう全然真面目な感じで、毎日スーツで行ってたから。
テレビ局ってなんかもういまだに僕は私服で買う、
行っていいんじゃないかって思ってたところがありつつも、
その父親もずっと毎日スーツで同じ時間に帰ってくるっていう。
全然そういうイメージと全く違うところで生きてて。
番組とか全然普通に炎番組とか作ってたみたいです。
まあなんかそういうのもあるから。
もちろん時代が時代だったので、元経済成長からのそういう世代の人なので。
まあその同じ会社でいわゆる就寝雇用ど真ん中の、
そういう生活、人生を見てきたからこそ、そこにいいなと思いつつも、
まあ僕も大学を辞めちゃったりとか就活してないとか、
もうレールを外れちゃったので、そしたら好きに生きていくしかねえじゃんみたいな感じになったんで。
まあルーツ、そうですね。原点。
っていうかそこもあるかなと思います。
最良の意思決定:国を移ることと環境を変えること
いやなんかね、最近面白い話を聞いたんですけど、
人間の遺伝子ってやっぱりね、親と違う方向に生かせる経験図が入ってるみたいですよね。
あーなるほど、面白いそれ。
その多様性がないと強くなんないじゃないですか。
確かに種としてね。
同じ人間ばかりで生きてて。
だから親とは違う人間になるような設計図が入れられてるっぽいですよ。
あーなるほど。
だから本能に従ったんじゃないですか。
あー面白い。あ、それ今度から使おう。
そういうことですね。
じゃあちょっともう一個だけ質問して次のセクションに行きますが、
仕事や人生の中で今までにした最良の意思決定は何でしたか。
あーこれはもう、国を移ることですかね。
まあアメリカに出たこと、シンガポールに行ったこと、フィリピンに行ったこととかそういうのかな。
それはなぜその意思決定できたのかって言われると、またちょっと。
いろんなものが絡み合ってる。
そういうのが絡むし、また話が長くなっちゃう気がするんですけど。
まあただ、エイヤーでもなんでもできたのはすごくよくそこですかね。
確かにな。10年単位ぐらいで動いてるってことか、今のところ。
そうなんですよ。
そろそろ次のリープがあるわけですかね。
具体的にそうですね、ありますね。
フィリピンに出るかどうかは抜きにしても、いろんな比重を考えると。
私生活から言いますけど、娘が来年で大学行くので。
ともかく家族で全体で動くか、家族の中から娘がとりあえず一回出るって話になるので、だいぶ大きい。
節目があるわけですね。
節目かなってことがあって。
なるほどね。
じゃあちょっとその辺の未来の話は次週に伺っていこうかな。
はい。
じゃあ一旦あれですね、裁量の意思決定は移動したことですね。環境を変えたと言ってもいいのかもしれないですね。
そうですね。あと一応、妻も選んだってことも言っときましょうかね。
ここで言っときましょうかねっていう。
素敵な奥様に出会われて、出会われた時期に私たちね、接触してたと思うんで。
変なおじさんもいましたけどね。
変なおじさんがウロウロしてましたけど。
じゃあちょっと今から未来の話を聞いていきたいと思います。
はい。
独立はご友人に勧められた考え、初めて考え始めたっておっしゃってて。
そうなんだっていうか、海外で活躍されてる人ってすごく独立をするイメージが私は結構あったので。
転職でずっと考えられてたのが、ご友人化きっかけっていうのはびっくりしましたね。
逆にね。
そうそうそうです。何かタイミングとご縁と、何か伊谷さん自身の行動力がこう、何かたまたまそのタイミングが集まった感じなのかなと聞いてて思いました。
確かに。
まあでも。
はい。
まあ環境もあるよね、おそらくね。起業しないといけないというか、起業したほうがメリットが高いって客観的に見れたんだと思うんだけど。
なるほど。
なんつーのその、こうかっこいい、起業かかっこいいぜみたいな感じじゃなくて。
トータル的に考えて。
客観的に見て、そうそうそう。
まあちょっとわかんないけどね。
そうですよね。あとやっぱ印象的だったのは、やっぱ最良の意思決定が、国を移動したこと、環境を変えたことっていうのね、おっしゃってて。
ちょっと前に、本で移動する人はうまくいくっていうのを。
はいはいはいはい。
はい、読んで、なんかほんとそれ、その本とも、なんかこう、人生を変える最短のルートは移動だというか、その感情は環境によって作られるみたいな、その環境が変わることによって感情も変わってったり、強制力が働いていくみたいなことをおっしゃってて、
同じことというか、やっぱそうなんだなーっていうのを思いながら聞いていました。
まあね、他のその本も、俺は読んでないけど、なんかタイトルはなんとなく知っていますけど、そうじゃない言い方もあるよね。
アイデアの厳選は移動距離に比例するとか、なんかそういう話も。
ありますね。
ね、よくあるので、まあ確かに移動することと、まああと本田恵介さんとかもね、よく言いますけど、環境を変えるっていうことのデカさって、やっぱあるよね。
まあ見事に10年ぐらいのスパンで移動してますよね、元気さんの場合だと。
そうですね、それもすごいですよね、奥さんも含め、なんか10年経ったら安定じゃないですか、その生活が決まってくるところなのに、
そこで奥さんも含め、新しいこと次に行こうってなるのは、なんか家族全体でやっぱこう、お互い支え合っていろいろ決断してらっしゃるんだろうなって思いました。
そうね、なかなかできないことですよね。
なかなかできないですね。私ご本人も、伊谷さんも言ってましたけど、考えて正解にたどり着けるなら、そんな楽なことはないというか、結果的に振り返ったらそうだったっていうだけなのかなとは思うんですけど。
まあ確かにね、今回、そうですね、そうだすねって。そういう状況になったから移動したっていう話もあれば、めちゃめちゃ狙ってたわけでもないじゃないしね、でも面白いよな。
フィリピンを選んで、ブルーオーシャンに見えたみたいな話もありましたけど、そういうのも、でもまさにそのビジネスってそこでしかないっていうか、さ、アービトラージって言うじゃんね、さってなんて言うの?さで伝わるよね。
だから情報量の違いとか、
はい、ギャップを埋めるっていうことです。
ギャップが価値になるってことなんですよね。
はい。
だからもうそこに移動すること自体がもうそこで価値を生んでるっていう、うーんとなんて言えばいいんだろうね、まあわかりますよね、みんなね。
そうですよね。
そこは、うん、見つけるのは好きなと思うけど。
なんかご自身でミヤコーチラみたいなことをおっしゃってましたけど、ちゃんとそういう、それこそギャップを見つけたからこそそういう選択というか、
そうですよね。
結果なんですよね、すごいなあ。
で、そこでポジションを取れてるわけですからね、その、それがすごいなと思いますけど。
いやー、あとあれか、祭りをやって、なんか1万人の前で話す経験は感動したっていう話がありましたけど、
はい。
これがね、やっぱ1万人の前で話す経験ってそうそうないっていうか、俺はないですけど、
ないですよ。
どういう感じなんだろうなって思うけどね。
せいぜい2千人ぐらいだもんな、俺。
あ、そうなんですか、それはいつ?
バンドやってる頃の、
キャパって。
集客ですね、うん。
それもなかなかない経験だと思いますよ。
うん、それはもうだから、すごいメモラブルっていうか、頭の中にはずっと残ってますけどね、その時の情景は消えないですけど。
だいたいあとは学校の全校生徒の前でしゃべるぐらい。
そうですね、私もそれぐらいですね。
そんな時は俺なかったかな、あったかな。歌歌ったのはあったかな、でも。
私も学校が一番多いかもしれない、それぐらいですね、すごいな。
ね、あと面白かったのは、自分の父親がテレビ局で40年間勤め上げて真面目な人だったということで、
そういう時代ではあったと思うんですけど、就寝雇用と言われるやつですね。
今これほぼないのかな、日本でも。どうなんでしょうね。
同世代の人は結構転職してる人も全然いますね。
だよね、親世代でも際どいくらいか、はるさんだと。
私の父は就寝雇用、ずっと同じ会社でしたけど、再就職はしなかったぐらいですかね、60過ぎて。
定年退職したってことね。
定年退職しました。
それとはやっぱり全然違う生き方をしてるなっては思いますけど。
ね、お父様だから心配なのかどうなのかどう思うんだろうね、こういう。
でも先週お話しされてたかな、もともと語学学校行ってたけど、いろいろ家族と話した結果、大学にトランスフォーしたみたいな。
心配だったんじゃないですか、とりあえず大学行っておいでじゃないですけど、っていう感じだったんじゃないですかね。
だから親はすごく心配する生き物だとは思うんですけど、
なおさら心配だよね、そういうふうに生きてきた人からしたら。
いや、そうだと思いますよ。しかも今とまた違うじゃないですか、ズームがあるなり携帯があるなり、すぐLINEで電話できるとかとまた違うってなったら、もう海外はそりゃ心配じゃないですか。
まあでもこんなに立派に生きていらっしゃって、面白いですね。
じゃあほんといろんな人生っていうか、いろんな選択があるんだなと思いながら。
だからこうやってどうやって生きてもいいんだよっていうのはなるべく伝わるといいなと改めて思いますけども、これをもし聞いてる方とか若い方にね。
はい、そんな感じでしょうかね。ということで、来週が最終回になりますけども、例によって未来を意識したお話と、おすすめの、じゃあ思い出の曲、おすすめの本、おすすめ映画が3つも出てきます。これもね、面白いです。
はい、そんな感じです。
はい、それでは次回も楽しみにしております。
はい。
アメリカのバックトゥースクール文化とランドセル
リアルアメリカ情報。
よっ。
このコーナーでは、最新のビジネス生活情報をアメリカからお届けしていきます。
はい、お願いします。
日本はもう8月後半、まだ夏休みの真ん中ぐらいかなと思うんですけど、もうアメリカはバックトゥースクールっていう時期がなってるのかなと思って、私このバックトゥースクールをこっちに来るまで知らなかったので、なんかそこをついてお話できたらなと思うんですけど、
ジョージア州はもう8月上旬で始まるっぽいんですよ。
え、早いね。
早いですか?
9月入ってからだと思うけど、こっちは。
ほんとですね。夏休みいつからですか?だいたい5月。
6月の頭ぐらいじゃないかな。
ちょっとそこが早いのかもしれません。5月末ぐらいにジョージアは夏休みになって、8月頭ぐらいに始まってるみたいで、
バックトゥースクールっていうのは、新学期が始まるその時期のことを言っていて、街中とかでもバックトゥースクールセールみたいな感じで、文房具とかランチボックスとか子供服とかが安くなったり、いっぱいそういうゾーンが作られたり。
日本で言うところの4月に新年度、新学期にあたるってことですね。
そうですそうです。
で、私はそのバックトゥースクールっていうのを知らなかったんですけど、私もPCのたまたまケースを新しくしたいなと思って。
パソコンの。
パソコンのバックトゥースクールコレクションっていうのが、私が見てたブランドで始まってて、何かなと思ったら、キティちゃんコラボのバックパックとペンケースとPCケースが売られてて、
私はその、それのバックトゥースクールのあれに便乗して、キティちゃんのケースを買ったっていうだけの話なんですけど。
リュック持つセットを買ったの?
いや、別々で売られてました。
別々で売られてるけど、そのバックトゥースクール向けの商品でキティちゃんがコラボしてるっていうやつのPCケースを買いました。
なるほどね。さすがにリュックは買わなかったですか?
ちょっと、ちょっと恥ずかしい。
俺今ちょっと思い出して、めっちゃ余談ですけど、俺バンドやってた頃、キティちゃんのリュック背負ってたなぁ。
えぇ?
で、そこにすごいピンをいっぱい付けて、パンクの人が革ジャイに付けるようなピンをいっぱい付けて、ピンバッジも白を付けて、
で、そのハローキティの絵を落書きで、ガイコツみたいなキティちゃんにして、
で、ハローのOを消して、ヘルキティしてたんですよ。
わかる。えぇ?自分でそれをやったってことですか?
そうです。
へぇー。
余談でした。
え、でもそれも、その当時からキティちゃんグッズ結構売ってたってことですか?
いやぁ、俺それどこでゲットしたのだろう。日本って持ってたのかもしれない、もしかしたら。
へぇー。
真っ赤っかなやつ。で、日本から持ってきたのかもね。
キティちゃんのリュックとバッジを。
いや、でもめちゃくちゃかっこいいんだよ、それ。ちょっとこんなものある気がするんだよね。
まぁ、見せるわ、今度。チャンスがあったら。
私、結構キティちゃんグッズを集めてるんで。
あ、マジで?じゃあ怒られそうだな。ヘルキティにしたから。
いや、別に。怒んないですよ。キティちゃん何人でもコラボするで有名なの。
そうだよね、そうだよね。
何人だっても大丈夫。
すいません、話を戻して。
アメリカでは、学校が始まるっていうことも、一つのイベントとか、街がちょっと盛り上がるイベントなんだなっていうことを、皆さんにシェアしました。
まぁ、でも日本でも、バックトゥースクールセールってよくやるけど、日本でも新学期セールってやっぱりあるんだっけ?
いやぁ、イオンぐらいでしか見たことないですね。
あんまだから知らなかったけどね。
でも、バックトゥースクールコレクションっていうので、初めてそのワードを知ったぐらいです。
そうだよね。それはアメリカっぽい文化ではあるよね。
当たらセールしてるもんね。だから靴とかも安くなるとかさ、シューズ。
あと私服で行く学校が多いっていうのもあるのかな?
あぁ、確かに。ユニフォームがないから。
確かに確かに。いろんなものがセールになってますよね。子供向けの。
まぁ、でも最近のさ、小学生のランドセルがめちゃくちゃ質が高くて、あれもまぁでも世界で売られてるっぽいですけど。
流行ってるって聞きますよね。
ちょっと毎回びっくりするよね。
高い、ちゃんと高いですもんね。
すごい色出てるし、すごいおしゃれだしさ、蹴り倒したけどね。
ボロボロ、こことかなかった?ちぎれてた?
ボロボロになってた。
いますよね、たまに。右肩内臓みたいな。
私ちゃんと6年使って、それをリサイクルしてちっちゃい小物にするみたいなのに出して、リサイクルみたいなのしましたよ、ランドセル自分の。
バックにリユーズとか?
バックはいかないですけど、あ、そうですそうです。
ちゃんとした革なので、お財布になったりとか、革をいろいろちぐはぐして、ポーチじゃないな、いろんな革製品にするっていう。
あ、そこに提供したってこと?自分で物にしてもらったってこと?
物にして返してもらうって感じです。
あ、ほんと?
ランドセル送ったら、物にして返ってくる。
あ、じゃあ思い出みたいな感じだ。
あ、そうですそうです。まあ、打ち足を使わなくて母が使うんですけど、こうやって。
私はその思い出ないじゃないですか、やっぱランドセルにそこまで。
そうなの?ありそうなもんだけど。
いや、小1だけじゃないですか。なんなら年長さんの最初の色決めるぐらい。
あ、ほんと。
ラッピーというか。
まあ、俺はあんま別に思い出ないけど。
そうですよね、そう。
懐かしいよね。でもランドセルもあれは日本の文化だなと思うからさ、不思議だよな、あれ買わされるっていうのは。
普通のリュックでいいじゃねえかと思うんだけど。
そうですよね、確かに。重いし、重いっていうか、しっかり。小1にしては大きすぎますしね。
高いし。そこに利権があるんだろうな、おそらく。まあいいや、そういう話を。
はい、以上リアルアメリカ情報でした。
質問コーナー:親との似ている点・違う点
はい。
質問コーナーです。
はい、お願いします。
はい、今回のイタニさんのインタビューから、自分のお父さんと全然違う人生を歩んでるっていうふうにおっしゃってたんですけど、
みつさんの自分の親と似てるところと違うところ、教えてください。
あー、いいですね、そういう質問。似てるところはたぶん適当なところですね。
えー。
全員適当ですね、うちの家族はおそらく。
全員。
全員大型なんですけど。
あー。
全員っていうか、4人いる。うちの兄貴とお母さんと弟と4人。似てないところは、ちなみに俺、顔が弟とそっくりなのね。
そうなんだ。
恥ずかしい。
お兄さんもですか?
いや、お兄さんはちょっとイケメンなんだよね。なんか知らないけど、お母さん寄りなのか。
お母さん寄り。
お兄貴だけ背も高いし、なんじゃそれって思うんだけど。
俺はほとんどそっくりで背も小さいし、小学校の、なんていうのあれ?親が来るやつ。
ああ、授業参加。
ちょ、あれはもうすぐバレる。お前の親父来てない?って。
たまに、たまに言いますよね。もうすぐわかるっていう。
まあ、それはいいとして、似てないのはなんですかね。思いつかないな。
意外とみつさんは親御さんと一緒、似てる。
まあ、でもなんか、他は地元に残ってるけど、俺だけ外にやっぱ出ちゃったっていう感じは、なんか異色かもしれないけど。
まあ、でも弟だしな。
確かに。
まあ、それぐらいですかね。
お母さんとはどうですか?あんまり。お母さんもずっとトヨタの方で。
お母さんも適当で、ずっとまあそうですよ。
だからトヨタというか、青森とかの地が入ってるみたいだけど、まあでもずっと地元ですね。
幼い頃にトヨタにいて、車内恋愛をして、22ぐらいでたぶんできちゃった結婚をしてるんですよね。
うちの兄貴ができちゃった結婚ですね。
ずっと地元にいて、地元の友達と幸せそうな孫もいて、なんか典型的な感じなんですけど、
そういう生き方は僕はしてないので、なんか違う。そこは違うのかもしれないけど、どうなんでしょうね。
でも性格的には同じような気もするな。
似てるんですね。
え、はるさんは?
私は結構違うんですよ。
そうなんだ。
私も顔が結構似てるんですけど。
本読むとかもうしないな。
まあいいや。顔は似てるけど。
顔は似てる。でも確かに趣味は、みんな私の家族はみんなそれぞれ趣味あります。
なんかそれぞれ好きなエンタメとか分野がありますね。
っていうところは、みんな誰ともかぶんないですね。
みんなそれぞれ楽しんでるな。一緒にじゃなくて。
母はそういうこと、ザっていう洋画とか映画、ジブリも好きだし、ジュラパとかそういうザっていう映画も好きです。
ただまさしとか。
メインストリームですね。
そう、割とメインストリームいて、父親はギターをずっとやってて、ギタリストとかそういうのと、あと西部劇が好きなんですよね。
じゃあアメリカ好きなの?
好きだと思います。
何系のギター?
エレキです、エレキ。
で、ロックを弾くの?それともジャズを?
ロックだと思います。なんかもうみんな死んでて分かんないんですよね、好きな方が。
お父さんが好きな人みんな死んじゃってて、YouTubeとかで出てこない、もう分かんないんですよ。
出てこないってことあんの?
いや、あんのか。全然知らない人を好き。
なんで、それこそダラス行った時に、西部劇の場所行って写真送ったらすごいテンション上がってましたね。
カントリーなのかな?
昔のアメリカって感じのやつなのかな?
たぶんそうですね、ちょっと古いアメリカが好きで、みんなバラバラですけど、趣味があって、みたいな。
でも、性格は私、おばあちゃんとかの方が似てる気がするんですよね、自分は。
それはどういう性格?
どういう部分が?
せっかちみたいな、せっかちで、わりとがが強い感じ。
で、私の母はわりと箱入り娘で、あんまり強く言わないというか、私も教育とかであんまり言われたことないし、あんまりゆったりしてる人なんですよね。
ずっとそこは反面教師じゃないですけど、反対になってくのかな?とか思いながら。
なるほどな、そんな話もしてたけど、やっぱ覚醒遺伝っていうか、違う人格を作るんだろうね、きっとね。
それ言われると、俺もおじいちゃんと、たぶんおそらく性格が似てる気がするな。
頑固なんだよね、わりと。
柔らかく見せるけど、頑固なところもあって、みたいな。
と、分析しますね。
面白い。
そういう意味か、覚醒遺伝って。
確かに、その直接じゃない。
順番に来るんだな。
なんか私はそれを感じますね、自分のおばあちゃんには。
だから、面白いね。
おばあちゃんの仲いいんだ、おばあちゃん子みたいな。
一緒に住んでるっていうのもあるかもしれないですね。
おばあちゃんのほうが、話のテンポみたいなのは、おばあちゃんのテキパキ感のほうが、あったりとかしますね。
面白いな。
ちょっとその、覚醒遺伝に関して、もうちょっと深掘りしたいですね。
深掘りしてどうするんだって。
そんな感じにしときますか。
本編とリアルアメリカ情報の詳細はブログに掲載しています。
podcast.086.com、podcast.086.com、または1%の情熱物語で検索してみてください。
今ね、すごいトイレに行きたいんですけど。
小学校の時に、トイレに行っちゃダメゲームとかしなかったですか?
見たことないゲーム。
朝から何時間目まで耐えれるかみたいな。
もう本当に死ぬほど悪そうになって、俺多分それで何か望高炎気味になってたんじゃないかって、今思い出していました。
1%の情熱物語は、日本を飛び出し世界で挑戦していく人を応援します。
ご家族、友達、同僚などへのご紹介大歓迎です。
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今週も聞いてくださってありがとうございました。
ありがとうございます。
それではまた来週。
じゃあね。
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