1%の情熱物語
海外に住んでいる日本人は、日本人総数のわずかに1%。
この番組では、海外進出や起業を果たしたビジネスオーナーや経営者、
また各業界のプロフェッショナルな方々へ対談形式でインタビューをしていきます。
日本の未来を背負うグローバルなプロフェッショナルたちの仕事哲学と、
そこに燃える情熱に迫ります。
そうですよね。
でも、まだちょっとあるから、おやすみが。
そうだね。
土日ありますもんね。
土日ありますよね、そうですね。
ちょっとね、今日、僕、お話ししたいことがありまして、
今日、収録日がLAの時間の24日だったような、なんですけど、4月の。
昨日ですね、23日、日本時間の4月23日、20時。
はい。
私、初めて宇都宮コミュニティFM、
ミヤラジというですね、ラジオ番組に生出演させてもらいました。
おめでとうございます。
おめでとうなんか知らんけど。
すごい、おめでとう。すごい。
楽しかったですけど、でも、LA時間の朝4時でね、
かなり、朝というのか夜というのか、俺、2時半起きでね、大変でしたよ。
時差がね、今は16時間ですか?ありますからね。
はい。
どんなことお話ししたんですか?
世界の中妻と言って、今この番組でね、リアルアメリカ情報の枠で、
コラボしてもらっている三浦梓さんからのご縁で、出演させてもらって、
その番組内では梓さんが、世界の中妻、世界中に散らばっているこの駐在妻たちの話をインタビューしているらしいんですけど、
なぜか僕、喋ってみません?って言われて、
僕、中妻でもないし、経験したこともないんですけど、
まあ、喋らせてもらったっていう。
何を喋ったかっていうのは、何でアメリカに来たのかとか、
よくある質問ですけど、何やってたんですか?みたいな。
何がきっかけでアメリカに来て、何で今086という会社をやってるんですか?みたいな話だったんですけど。
今僕がやっていることの逆ですね。
インタビューに答えるっていう感じで、1時間喋らせてもらって。
がっつりですね。
楽しかったのは、2曲好きな曲を選んでくださいって言われて、
話の合間に流してくれるんですけど、
それが超ラジオっぽくてね、ラジオなんですけど、
楽しいし、これと思って。
裏側を覗きながら、じゃああと何秒で再開します、みたいなことをやってるのかな。
ユナさんはね、たぶんずっとそれやってきたと思うんですけど。
いやいや、ラジオではないのでね。
ラジオではないけどね。
音楽挟むっていうのは、こうラジオっぽいですよね。
そうだよね。
うちの番組でも、思い出のエピソード聞いてますけど、
その曲のエピソードを喋ったりしながら、なかなか面白かったという。
みつさんはいつも聞く側だから、ご自身のことを話すことってあんまり、
この番組ではないかもしれないですけど。
なかなかね。
生放送だからさ、自分で聞けないんですけど、
1ヶ月後ぐらいになったらその音源が買えるよっていうふうに言われて、
送ってくれるらしいんですけど、僕は買わないんですけど、
送りますねって言ってくれたんで、
ちょっとどうなもんか聞いてみたいなと思うんですけど、
楽しい経験をさせてもらったなというお話でございます。
ご縁がつながりますね。
てことで、
この番組ではちょっと音楽は流せないんですけどもね。
でもかっこいい途中の音楽がありますか。
そうですね。確かに。
たしすけくんが作ってくれたやつがね。
はい、じゃあお願いします。
では参りましょうか。
毎回1人の方のインタビューを4回に分けてお届けしています。
1%の情熱物語。
今回はJBreezeラジオ・エグゼクティブプロデューサーの
手嶋理香さんにお話を伺っています。
今回は2回目のエピソードです。
はい、前回が理香さんの活動内容をね、
子育てもしながらラジオ番組局を立ち上げたということで、
元日本放送アナウンサーということですね。
就活の話とか、アメリカに来てからの苦労話なんかも
伺っちゃっております。
それではお楽しみください。
はい、じゃあちょっと今から過去のお話に入っていきたいんですけど、
まずお生まれがどちらでしたかね。
東京ですね。
東京のどのあたりですか?
世田谷です、実家は。
世田谷というともう大都会ですか?
大都会、住宅街ですね。
住宅街か。
駅で言うと小田急線の豪徳寺という、
いまマニキ猫ですごい有名で、
インバウンドの外国人観光客が押し寄せているという、
あのあたりで育ちました。
どんなお子さん、子供でしたか?客観的に。
活発な子。
すごい活発な子だったと。
運動できて、クラスの人気者みたいな感じですか?
先生が、先生いわく、
この子と一緒にいるなら、一緒に行動するなら安心ね、
みたいに思われるタイプ。
学級委員長とかではない?
もうやったこともありますね。
別に優等生ではないんですよ。
成績超優秀とかでは全然なくて、
明るい活発な子っていう感じだったんじゃないかなと思います。
ちなみに運動とかはされてたんですか?部活とか。
私ね、全然運動部ではないんですけれど、
でも運動すごく大好きで、
運動会の時には必ずリレーの選手になるとか、
そんな感じでしたね。
体育祭では必ず応援団、チアリーダーやるとか、
そういうのはすごい好きでやってましたね。
快活活発なんだね。
そうなんだ。
その時は夢みたいなのありましたか?
夢。
これいただいていろいろ考えてみたんですが、
私子供の頃の夢って何だったかなと思って、
改めて考えてみたら、
私が特に小学校時代すごくなりたかったのが文房具屋さん。
文房具屋さん。
今も私文房具屋さん大好きで、
アメリカってあんまり文房具屋さん、
ステイプルスとかでも全然OKなんですけれど、
ああいうステーショナリー系が置いてあるお店って大好きですね。
ありましたね。
日本は小学校とかなんかは確かにワクワクしましたね。
筆箱どれにしようかなとか、
鉛筆とか消しゴムとか、
いろんな小物がね、キャラクターがあってね。
シャーペンとかもどのシャーペンの色がいいかなとか、
下敷きとかもどんな絵が描いてあるのがいいのかなとか、
あとシールとかステッカーとかすごいいっぱい売ってたじゃないですか、文房具屋さんって。
めちゃくちゃ充実してますよね。
そう、小物の天国みたいな、あらゆるものが気になって。
あと町に何個かそういう店ありましたもんね、なんとなく。
なんでだろう。
必ずありましたよね、昔って。
ノートが売ってたりとか、ジャポニカ学習帳みたいなのが売ってたりとか。
なんとか自由帳とかね。
そう、そう、そう。
懐かしいなあ。
そう、ああいう場所がすごい好きで、
でもこれって今もよく考えたら変わってないなと思って。
今日本に帰ると、昔に比べて文房具屋さんって数が減っていて、なかなかないんですよ。
でも見つけると入っちゃって、結局30分ぐらいとかずっと居座ったりとかして。
去年の夏もそうでした、そういえば。
確かにね、楽しいですよね。
でも小学校の時はそういうお店に行ったりして、将来私もこういうお店開きたいなあみたいな感じの。
そう思ってました。
豪徳寺の駅前に一軒あって、そこのおじいちゃんと仲良くなって、私もこういうお店で働きたいとか小さい頃からずっと言ってて。
でもそれ結構長くて、高校生ぐらいになってもそんなことを言っていて。
そうしたらそのおじいちゃんが体調を崩して、お店の運営ができなくなっちゃって、お店を閉じられたんですけれど。
すごいがっかりしたことを思い出しました。
もうちょっと大人だったら私が引き継ぐとかってなってたかもね。
なってたかもしれない。本当に本当にそれぐらい大好きでしたね。
そうなんだ。
ちなみに新卒で日本放送アナウンサーに入社というふうにプロフィールにも書いてあるんですけど、大学卒業後、いつからそういうふうに意識しだしたっていうのがあるんですか?
ラジオ局のアナウンサーですか?
アナウンサーになりたいなあみたいなのは。
大学時代に私ほとんどバイトばっかりしてたんですけれども、一応放送研究会って立教大学だったんですけれど、放送研究会というのがあって、
当時すごく仲が良かった友達が放送研究会って立教って有名だよね、入ってみない?って言って一緒に入ったんですけれど、
なんか私活動内容があんまり合わなくて、席は置いておくけれどもっていう感じで自分のやりたかったバイトとかをやってたんですね。
ある日ちょっとバイトがいろんな事情でそれぞれのバイトが終わってしまって無職になっちゃったんですよ。
仕事バイトがないんだよねって言った時に放送研究会の時の友達が、今ニュース読むアルバイトって募集してるよ放送研究会でって言われたんですよ。
何そのニュースを読むアルバイトって聞いたら、FM横浜って横浜にあるFM局で女子大生アナウンサーを募集していると。
でも既にそれは始まっていて、平日の午後に2回と夜1回って1日以降に2人のシフトで回していくらしいんですけれども、
それを募集してるよって言われて、全然アナウンスの練習とか訓練とかしたことないんですけれども、面白そうだなと思って。
私もちょうど無職だったから受けてみたいって言って受けたら受かったんですよ。
それで初めてFM横浜でニュースを、夜のニュースだったんですけれど、読んでみたらすごい面白くて。
スタジオは電話ボックスみたいな小さな部屋でマイクに向かってただ原稿を読むだけで周りはもう誰もいないんですよ。
8時55分か何かの夜のニュースでオフィスも誰もいなくて、一人でスタッフの原稿を書いてくださる方と一緒にただその部屋で読むだけなのに、
次の日学校に行ったら、昨日ニュース読んでたよねとか何人かの友達に言われてすごいびっくりして、ラジオってすごいなと思って。
それ生放送ですか?
生放送です。もう本当に短いんですよ。5分ぐらいの本当に短い。8時55分って9時になる直前にちょっと5分枠とかでテレビでもよくニュースあるじゃないですか。
つなぎのやつね。
そうそう、あれのラジオバージョンで、そこからですね、ラジオで仕事してみたいなとか。
すごいっすね、いきなりその生放送で出ちゃうっていうのも。
FM横浜もすごいですよね。
ちなみにちょっと話戻っちゃうけど、僕さっき気になったのはその放送研究会、それは何をするサークルとかあるいは活動?
当時私がいた頃はパートが3つに分かれていて、DJをやりたい人、あとはラジオドラマみたいな番組を作りたい人、あとはスポーツ部、運動部っていうのが3つに分かれていて、
私はそれぞれがみんな自分たちの活動をして、お昼のランチタイムに立教大学って中庭があるんですよ。中庭にスピーカーがついていて、お昼の放送を放送研究会が担当するっていう。
まずアナウンサー的なことをするってことね。
あとはミキシングとか技術の方が興味がある人はそちらを担当してっていう。
DJの方ね。
あとは番組を作るのにも音響さんみたいな役割が必要なので、そっちを専門にやりたいっていう子たちも放送研究会に入っていて、一緒に番組作ってたんですよ。
リカさんもなんとなくアナウンサーっていうしっかり確実なものはなかったけど、なんとなく放送に興味があったとか。
実はこの3つのセクションの中の私は運動部っていうところに所属したんですよ。
なぜかっていうと、私アメリカンフットボールが大好きだったんですよ。
そうなんだ。
高校生の頃からすごいすごい好きで、運動部になると大学のアメリカンフットボールのリーグ戦が春と秋に開催されるんですけれど、そこの場内アナウンスが女性はできて、男の子の運動部の子は場内実況ができたんですよ。
これ立教の放送研究会にアメフト協会から委託されて、私たちが受けていて、なので無料で春と秋フットボールが見られると。
そういう見た心もあったわけね。
魅力で入ってました。
そこからバイトでニュースを読むバイトがあるよってことでアナウンサー面白いなとなっていったわけだ。
就活の時にはもうアナウンサー自分で動いてたって感じですか?
でもラジオのアナウンサーを目指していて、私出身が東京だったので、まずは東京にある全部のラジオ局にアプローチして、
まず私の中でアナウンサーって非現実世界?別に私の親にマスコミ関係の人とかももちろんいないですし、
アナウンサーって本当に。
芸能界というか雲の上の存在みたいな。
何かコネクションじゃないですけれど、そういうことがなかったりとか、相当な能力がないと慣れないものっていうイメージだったんで。
しかも東京のラジオ局なんて受かるわけないじゃんみたいな。これだけたくさんの人たちが集まってくるわけだし。
なので一応リストアップはして、一番いいのはFM横浜にそのままちょっとお仕事させて頂ければ。
バイトしてたからね。
なんて思ってたんですけど、それすごい甘かったんですけど。
まずは東京のラジオ局プラス地方にもラジオ局があるじゃないですか。
地方のラジオ局でそこもダメだったらテレビとラジオで経営しているようなところとかに受けていきたいなという感じで。
10個ぐらい受けたってこと?
ですが日本放送がですね、実は日本のラジオ局の中で一番最初に試験が始まり、一番最初に内定を出した局だったので。
いきなり受かっちゃったっていう。
そうですね。ありがたかったですね、本当に。
すごいなぁ。天聖の才能があったってことなんですかね。
ご縁があったというか、一応就職活動はしていて、他のラジオ局も徐々にテストが始まっていたので、日本放送と並行しながら受けていって。
やっぱりどうしても皆さん上から目線というか、当たり前なんですよ社員の方だし、私たち新年まだ大学生だから、上から目線で君たちみたいな感じの立ち位置だったのが、
日本放送だけは、みんなと一緒に番組作りたいんだよ、僕たちっていうすごいポジティブなスタンスを皆さんが取ってたんですよ、どの社員の方も。
対等に接してくれたっていう感じなんですね。
そこが私すごい、この人たちと働けたらすごく嬉しいなと思って、
日本放送だけはアナウンサーじゃなくて一般採用の方、採用が分かれてるんですけど、エントリーするときにアナウンサー希望か一般職かって分かれて、
大体皆さんアナウンサー希望の方はアナウンサーだけなんですけれど、私は一般職採用の方も応募して、ここの会社だったら働いてみたいって思って両方で出して、
でも途中から日本放送の総務の方から、手島くんはアナウンサーの方一本で受けてってみたいに言っていただいて、途中からアナウンサーになったんですけれども。
アナウンサーを目指す方って大学生時代から練習じゃないけど、トレーニングしてるようなイメージもあるんですけど、そういうことはされてたんですか?
皆さんアナウンサーアカデミーに通われるんですけれども、
なんかありますよね。
私はあんまりああいうところに通うのが好きじゃなくてとか言ったらあれなんですけれど、
何でしょう、癖がつきやすいっていう噂を一回聞いたことがあって、
アナウンサーアカデミーで教える教え方で、
喋り癖がつくというか、
喋り方の?
そうそう。
なんとなく分かる気もするけど。
って言われたことがあって、
なるほどなと思ったのが、
そういう喋り癖があるのを嫌う会社もアナウンスルームも多いよっていう話を一回聞いたことがあって、
そういう傾向があるんだったら、
いいかな、行かなくても。
一応、FM横浜でニュース読んでるし、
まあいいかなみたいな。
すごいね、なんかそれ本当にあれですね、ナチュラルに。
ナチュラル、そう。
アナウンサーの才能っていうか。
あんまりそういうマスコミで経験がありますっていうのを嫌う方たちも多いんですよ。
多いって聞いて。
そうなんですね。
確かに一から育てたいみたいな会社としては。
染まってないほうが育てやすいみたいなのも、
まあなんとなく分かるけど。
すごいな、ドストレートにいってるな。
人生のラックをここで全部使った感じがしますね、ラッキーは。
ここに集約されてたみたいな。
まあそれを入社して初の報道部配属の新人アナウンサーとなるということで、
これもまたレアケースだったんですか?
めちゃくちゃレアですね。
当時、安藤裕子さんってフジテレビの。
安藤裕子さんがアナウンサーの方で報道番組をメインで女性が仕切るっていう時代が来て、
日本放送と一応フジテレビって、当時は日本放送の子会社がフジテレビだったんですけれど、
今は変わりましたけれど。
フジテレビそういう感じで力を入れてるから報道、
ちょっと僕たちも力を入れようかっていう流れになって、
じゃあ手島君君第一期の報道部員、アナウンサーで入社して報道部員みたいな感じで報道部に所属しました。
それはでも梨花さん的には気持ち的にはどうだったんですか?
ラッキーみたいな感じですか?
えーなんでっていう感じ。
いきなりみたいな感じ。
どうして私報道なのっていう感じでした。
お気楽な感じではできなそうですもんね。
お気楽で言うとしてはしてるんですけど。
いやできないですね。
6時朝新聞の6時全部目通すの?みたいな。
めっちゃ勉強しないといけなそう。
今みたいにインターネットがあるわけじゃないですから、
本当新聞の紙面を新聞朝売店で買って電車の中で読みながら行くみたいな。
私サラリーマンだみたいな感じでした。
すごいな。
ちょっとここで質問挟みますけど、
皆さん聞いてるんですけど、人生で何か衝撃を受けた出来事や
人生の転換期となったエピソードがあればっていうのを聞いてるんですけど。
転換期、そうですね。やっぱりいっぱいありますね。
それはアナウンサーになった後?
アナウンサーになった後、やっぱりあれですかね。
転換期は海外に来たことですかね。
じゃあそれは後ですよね。アナウンサーは日本で何年やられてたんですかね。
トータルで20年までは行ってないですけれど、15年強。
結構でもガッツリやってますよね。
日本では社員アナウンサーとして勤めていたのはトータルで15、16年ぐらいですかね。
ちょっとプロフィールにも書いてあるんですけど、東京FM。
その前にオウム心理教の裁判を傍聴しニュースでのバレポートっていうの。
これも一大事件でしたからね。あれ何年の出来事だったっけな。
あれ1990何年でしたっけ。
後半ぐらいかな。
95年とか96年とかですよね。
それ行かれたんですか。
行きました。しかも、派望法がオウム心理教に施行されるかもしれないということで、
あさはら証拠、死刑囚が東京高知署にいたんですけれども、そこに行って派望法の傍聴会が開かれてそこにも行ったりとか。
裁判所だけじゃなくって結構。
オウム心理教の生で行けるってことですね。
そう。
どんな雰囲気でしたか。
これ言っていいのかな。
いいですよ。ポッドキャストだから。
言っていいんですかね。絶対に。
これ一番伝えたかったんですけれど、一番言えなかったことで、あれだけの事件が起きたわけじゃないですか。
オウム心理教の一連の事件。
それは一重に信者の皆さんがあさはら証拠、死刑囚をみなさん申しにしてたからですよね。
なんでそんなに申しにするんだろうってずっと思ってたんですけれど、
初めて彼の弁論を校知書で聞いたときに、
ああ、なるほどってちょっと感じたんですよ。
なぜかっていうと、彼の声のトーンと、喋る抑揚と、なんかすごい聞いてると癒される感じがするんですよ。
癒されるんだ。
引き込まれるって、もっと聞きたくなるってこと?
トークがすっごいこの人上手なんだなっていうことを、
その時に、それも生中継もちろん校知書の中だから、中継とかテレビ局もしてなくて、
取材記者だけがその会場に入れたんですけれど、
彼のその話っぷりとかを聞いて、ああこれかっていうのを、
例えばなんか自分がすごい落ち込んだりとかしてる時に、やっぱり何かにすがりたいって思いで皆さん入るじゃないですか。
その時にこの声で、大丈夫だよ、こうなるからっていうふうに悟されたら、
ああ、いっちゃうかもなっていう、すごいカリスマ性がこの人にはあるんだなっていうのが、
本当は一番レポートで伝えたかったんですけれど、
なぜかそんなことはちょっと言えないなって、
それ手島の感想だろって言われそうで言えなかったんですけど。
それリアリティありますね。
分かりますよ。病院とか怪我した時とか、やっぱりナースの人声がすごい癒されたりもするし、
しますよね。
あとラジオ自体もそうですよね。
ラジオのこのDJの声とか、アナウンサーの方もそうですけど、
声にやっぱり引き込まれるっていう感触が何となく分かりますからね。
すいません、余計な話になりました。
いやでも、だいぶ昔の話だからね。今の若い人は知らないかもしれないけど。
そうですよね。
僕らの世代はすごい話題になってましたからね。
まあでも宗教ってそうなんでしょうね、きっと。
あとファンをたくさん作る人っていうのはそういうものがありますよね。
あると思います。
五感で引き寄せられるというか。
面白いな。
じゃあちょっと話を戻すと、
日本放送アナウンサーとして入社して、
その後東京FMさんにアナウンサー社員として転職。
これは何かきっかけあったんですか?
日本放送時代にアナウンサーで私入社したのに、報道部に配属になって、
アナウンサーで所属している方たちは、
時間があるときに報道部のお手伝いができる。
要は両方の仕事ができるんですけれど、
報道部に配属されている人は報道部員なので、
アナウンサーの仕事はさせてもらえないんですよ。
私アナウンサー入社なんですけれど。
そうか、報道は違うんだね、アナウンサーとはね。
でも私はやっぱり、
自分のアナウンススキルを磨きたいってすごい思っていたから、
もちろん記者でやることも楽しいですよ。
楽しいというか、
本当に興味深いことをいろんな経験もさせていただいたので、
興味深かったんですけれども。
記者のほうがメインなわけですね。
番組で喋るっていうよりかは、
取材に行くのがメイン。
取材をしてデポートするっていう。
でも私としてはやっぱりアナウンス能力を磨きたかったので、
いろいろ総務の方たちに掛け合ったりとかもしたんですけれど、
私の報道部の上司も、
手島はアナウンサーで入社してるんだから、
これ契約違反だって訴えたら会社負けるからとかまで言われたんですけど、
さすがにそれはできないしと思って。
新卒の新入社員の1年生、2年生のひよっこが総務に掛け合ったところで、
そんな簡単に移動なんかできるわけないじゃないですか。
時代もあるし、日本の文化的なものもありそうですね。
日本放送の女性アナウンサーのナレーションを聞いていると、
結構癖のある読み方だったり喋り方の方たちも多くて、
私ここでアナウンス部に行きたいってなって、
アナウンスを磨いたところで、
こういう喋り癖がつくのかなとか、
すごいいろんなことを疑問に思い始めて。
その時に東京FMは新人バンバン使って、
いろいろ番組作ったりとかやってたんですよ。
楽しそうだなーみたいな。
もうちょっと私のアナウンス能力って、
違うところで活かせるんじゃないかなって。
もし報道部からアナウンス部に移動になったところで、
私が変な癖がついたとしたら、
これから先ってやっていけるのかなとか、
いろんなことを考えた時に、
よしと思って、自分で東京FMに電話をしたんですよ。
私こういうキャリアを持っている。
日本放送さんに所属している時点でってことですよね。
そうですそうです。
こういうキャリアを持っているんですけれども、
っていう話をしたら、
すぐにテストを受けに来てくださいって言われて、
すぐに受けに行って、
受けに行ったら、
じゃあいつから来ますかみたいな話になって。
そうなんだ。
ちゃんとそれを日本放送にも、
私はこういう理由でここまでこうしてきたけれども、
移動する感じではなく、
このままだったら、やっぱり時間もどんどん経っていっちゃうので、
私は向こうに行きますっていうことを言って、
今度は東京FMに。
それは結構すんなり受け入れてもらったって感じなんですか。
そうですね。
アナウンサーにするからちょっと待ってよみたいな。
てかもう多分それで止められても、
行くつもりで行ったので。
で、移動してからは結構希望の感じになったんですか。
そうですね。
なんかもう行った翌月から、
翌月もないかな。
その月からもう、
なんか番組、インタビュー番組やってほしいとこ。
最初は単発ですよね。
分かんないから私のキャリアも。
最初単発でいろいろやっていくうちに、
この人ってこういうことができるのかみたいに皆さん分かっていただいて、
それで朝の3時間のワイド番組とかやらせていただいたりとか、
特番やったりとか、
いろんな本当喋るありとあらゆる仕事をやらせてもらった感じですね。
朝の3時間番組ってずっと喋りっぱなしですか。
私一人ではなくてもう一人男性と一緒に担当したんですけれど、
6時、9時の生放送で。
それ毎日?
毎日月勤ですね。
すごい。
ちなみに喉のケアの話を先週のエピソードでしてたんですけど、
寝るときにテープ貼るっていうね口に。
それはいつ頃から始めてるんですか。
その頃やってましたね。
もう東京エピソード時代ですね。
その頃から口開けて寝てはまずいっていうことがわかってたわけですね。
まずいです。本当にまずい。
俺は毎日生放送してたら大事にした人ですもんね。
ちょっとでもかすれるとやっぱり迷惑かかっちゃうんで、
とにかく喉の健康第一みたいな。
前の晩に飲みすぎちゃったとか絶対許されやすそうだもんね。
絶対ダメですね。
声ガラガラですみたいな。
カラオケで声ガラガラですみたいな。
帰るって言われますねきっと。
そうっすか。
その後もJウェーブのアナウンサーという話もあるんですけど、
海外にっていうのはどういうきっかけだったかっていう話を
出てもいいですか。
これは家族の仕事の都合ですね。夫の仕事の都合で。
じゃあご結婚されて、
旦那様の転勤度ってことですか。
そうですね。
でもその時私はJウェーブというラジオ局に勤めていて、
ちょうど産休中だったんですよ。
なるほど。
Jウェーブ3年最長でお休みをいただくことができたので、
ちょうど息子のケアをしている息子が8ヶ月の時に
東日本大震災が来て、
はい。ということで今回は
あのりかさんのなぜアナウンサーになったかっていう話が
あとこれまでのアナウンサーのご経験の話が多くて
うんうんうんうんとうなずきながら
私も聞く部分がすごく多くて。
共感する部分もありましたか。
そうですね。
実は私も学生キャスターとして
大学生の時にBSのフジテレビでニュース読んでたんですよ。
あ、へー。
はい。
それはお仕事としてってことか。
お仕事として。
りかさんみたいなバイト的なのじゃなくて。
そうです。バイト的な感じではありますね。
学生キャスター。
これも私もオーディションがあったんですけど。
それで。
そうですそうです。
すごいね。
それこそ本当にあのりかさんと同じで
BSの番組と番組の間の5分間のニュースを
生放送でお伝えするっていうのを
テレビですけど、私もやっていて。
テレビの方がっつーのまで比べるもんじゃないかもしれないけど
顔も出るってことですよそれ。
そうですね。顔も出ますね。
そりゃすごいね。しかも生で。
生で。
でもその経験はやっぱり自分を
私アナウンサーになるぞって
奮い立たせるひとつのきっかけがあったので。
りかさんとアナウンサーという夢が
現実的になったっていう意味では
似てる部分ではあるかなと思って。
そうですか。
りかさんの場合はあんまり意識してなかったっていうかね。
そうですね。お友達から聞いて
そうそうバイトでたまたまバイト探してたらあったみたいな話だったけど
それもすごいよね。
それはすごいです本当に。
好奇心って言うんですかね。
ちなみにゆなさんはアカデミー?
アナウンスアカデミーみたいなところには通ってはいない。
私は行ってました。
行ってたのね。行ってた話。
アナウンススクールがあって行ってましたね。
私は逆に放送研究会とかそういったサークルに入っていなかったので
そういうメディアに就職活動するときの情報源っていうのがゼロだったので
そういうことか。
やっぱり放送研究会だとメディア系に就職したいっていう子たちが結構多いので
とかね先輩とかにもいそうだもんね。
入ってるっていうだけでやっぱり情報が入ってくるので強いと思うんですけど
私はもうゼロだったので
逆にアナウンススクールに通ってそういうところで情報を得て備えてたっていう感じですね。
いろいろ考え方はあるけどね
学校に行かなかったからこそキャラが固まらなかったというか
そういう側面もありそうですよね。
そうですね。
癖づくみたいな話もされてましたけど。
そうそうそう。
なんとなくね、わかるけどね。
アナウンサーの方の喋り方ってね。
そういうことなのか。
そうなんですよ。
それすごい難しいところなんですよね。
それ難しくて癖がないほうがもちろんいいんですけど
でも聞きやすいとかいろいろあるんだよねきっと。
うん、ありますね。
エレベーターガールなんて今だっけ?
とかさCAさんの喋り方みたいなさ。
ぽくなっちゃうっていうことですよね。
そうそうそうそう。
うちの元嫁がよくモノマネしててさ面白かったんだけどさ。
ぽいぽいって。
ぽいってってことはっていう聞き取りにくいっていうか
そっちにみんなが集中しちゃうってことなんで
やっぱり伏せのない喋りをするのがアナウンサーとしてはベストなんですよね。
ナチュラルでありつつも聞きやすいっていうことが求められるんでしょうねきっとね。
はい。
それを学生のうちにする必要は本来はないよっていう。
入社してからしっかりトレーニングを積むのだから
学生のうちにする必要はないっていうのが皆さんの本当に考えなので。
あとその経営側からするとやっぱりそういうふうに何て言うんでしょうかね。
みんな同じような感じの中で求められるのはやっぱ個性とか
その人本来の持つ味みたいなのが多分りかさんは出てたんでしょうねと思うけど。
と思います。そう思います。
結局ね採用感は面接感は大人なので学生がいくら取り繕っても
そうねバレてる。
わかりますよね。
その中で個性を見てくださっていて
そうだよね。
りかさんはこう日本放送に合うと思ってもらってパッて取られたんだろうなって思いますし。
本人もそれ分かってた感じだからそれがすげえなと思ったけどね。
いやーあとあのオウム心理教の話もすごかったけど
次回はどんな感じに仕上がっていますか。
そうですね次回がなので仕事の掘り下げですよね。
モチベーションそして仕事哲学。
これモチベーションのところもねいいエピソードがねございましたでございます。
はいそれではの次回も楽しみにしております。
はい。
リアルアメリカ情報。
よっ。
このコーナーでは最新のビジネス生活情報をアメリカからお届けしていきます。
はい先月まではユナさん日本に居がちでしたけど今月はちゃんとアメリカにいます。
はいそうなんです。
そんな中でです私はアメリカの大自然を感じてきました。
おーあそんな話してたっけもしかして。
あのーなんか以前アメリカは自然を感じるべしみたいなことを言ったことがあると思うんですけど。
いやそれもそうだけど寄せみてかなんかのキャンプ場の予約が取れないみたいな話があったけど。
あれそれはもう言った?
それはまだです。
まだなのか。
それはまだ言ってないです。
それじゃないの?
言ってないんですけどそれじゃなくてですね。
もう一個本当に寄せみてと並ぶぐらいって言ったらあれですけど。
有名な自然がサンフランシスコから行きやすいところにありまして。
それがレイクタホなんですけど。
聞いたことありますか?
聞いたことありますよ。
でもどの辺にあるんだろうかよく分かってないな。
サンフランシスコから少し何て言うんだ。
北東?ちょっと東の内陸に入りつつちょっと北に行くんですね。
そうすると湖があるんです。
サクラメントを通り越して。
通り越して、はい。
すごくきれいでした。
ほんと、俺行ったことないわ。
でも有名ですよね。
あとレイクタホっていうか今Appleユーザーの人はMacユーザーの人はOSのバージョンが地名になってますけど。
今確かタホじゃなかったっけ。
その前は寄せみてあったっけ。
あれ何があったっけ。
いろいろ地名になってるんですよね。OSのバージョンの名前が。
そうなんですね。
タホはね。
ちょっと待ってタホはね。
今タホじゃなかったっけ。
私Macどうだったかな。
セコイヤとかね。
俺まだセコイヤ。
私セコイヤだ。
最新がタホな気がする。
すいません。
だからだんだんだんだんそれでパロワールとAppleの本社に近づいてきてるっていうそういう噂があるんだよね地名が。
そういうことなんですか。
サンタフェとかもあったか。
タホは結構近づいてきましたね。
近いよね。
近い。
すいません。
タホはですね。
国立公園とかではないんですよ。
国立公園ではない。
はい。
とかではなくて、本当に自然と人工的なものが融合してる地域で、すごくだから整えられてるリゾート地なんですよ。
そうなのね。
だから湖はすごくもちろん自然のものですごく綺麗なんですけど、
周りにホテルがたくさんあったり、すごいおしゃれなレストランがたくさんあったりして、ちょっと日本でいう軽井沢みたいな。
別荘がいっぱいあったりとか。
なんかそういうイメージ、なんか俺またゴッドファーザーの話またしちゃうけど、ゴッドファーザーでも出てくるんだよね。
そうなんですか。
別荘があってさ、すごい大きな家が隣に立って、ビンズ海の隣に立っていて、小舟に乗って釣りに行ったりとかね、すごい優雅な生活をしたりしてるイメージがありますけど、雪が降るとめちゃくちゃ綺麗とかね。
雪が降る地域なので、サンフランシスコのあたりからスキーをしに行く人もいるような場所で、スキーも楽しめるんですね、冬の間は。
で、やっと4月も中盤になって、雪が溶け始めて、車で湖の周りを自由にくるくるできるようになって、やっぱり雪のシーズンは通行止めになったりもするので。
で、私が行ったのはちょうど4月の半ばだったんですけど、思ったよりも寒くなくて、湖も雪どけの水も少しずつ来ていて、すごく綺麗。
なるほどね。
だし、遠くに見えるのが雪山っていう。
景色もね。
景色もすごく綺麗で、もう少し夏になると雪山じゃなくなっちゃうんですよ。
なるほど。
なので、もうほんとに綺麗でした。湖も青くて。
車で何時間ぐらい?サンフランシスコから。
サンフランシスコから車で3時間ぐらいですかね。
まあまあ、ほどよい距離ですよね。
めちゃめちゃ疲れもせず、そこでもなく。
頑張れば、デイトリップでも行ける。
でも、でかいよな、湖これ。地図で見ると。
でかいんですけど。
美輪湖。
まあ、でかい。それなんですけど。
それ。その話があったのね。
今日しようと思ってたわけじゃないんですけど。
美輪湖より小さいらしいんですよ。
あ、そうなの?美輪湖そんなでかいの?
美輪湖って大きくないですかっていう。
うそ?
えー、まじで?
なんか私も行ったときに、あの日本人のお知り合いの方と一緒に行ったんですけど。
美輪湖とどっちが大きいんですかねとか言って話してて。
あ、ほんとだ。
岩子の方が大きいらしいんですよ。
レイクタホ490キロ平方メートルなんだけど、美輪湖が670キロ平方メートルで1.3倍以上の広さを持っています。だってまじか。
えー、美輪湖すげえ。
そうなんですよ。
もちろんアメリカ全体で見たらレイクタホってすごく小さく見えるけど。
やっぱり行ってみるとすごく大きく見えるんですよ。
だって反対の岸見えるの?
岸は見えないですけど。
一見海みたいな感じだよね。
あそこだ。
あー、なんか場所によりますね。
湖なんでこう入り組んでるところとかあるじゃないですか。
だからあっち向こうが綺麗だねとか見えたりもするけど。
あとあのすごい高台に登れたりもするんですよ。
そうするとかなり上から見られるのでぐるーって見えたりとか。
あー、全貌が見えるんだ。
全貌が見える場所もあります。
美輪湖は完全に海っぽいもんね。
じゃあ美輪湖の方ができるんだ。
私も美輪湖あんまり行ったことなくてちょっとイメージ…
地図、日本地図でしか見たことないのであれなんですけど。
なかなかそうね。でも地図で比べるとなかなか体感とはやっぱ違いますね。
それで何して遊んだの?トレイル?
トレイルみたいなところがすごいいっぱいこう見るポイントがあって、
その入り口がトレイルになってたりするので、
ちょっと歩いて、車を止めてちょっと歩いてしばらく30分とか歩いて、
湖のふちら辺まで行けたりとか。
最後なんか岩を登…私も手とか使って登って、
上に上がってすっごい高いところから見たりとか。
楽しそうだ。
しました。私次の日めちゃくちゃ筋肉痛になりました。
そんなに?
そんなに?ロッククライミング?
そういうところもある。本当クライミングのところがあるんですよ。
ほんと?へえ。
すっごい綺麗ですけど、まあハードです。
ほんといいね。
ポイントによりますけど、
穏やかにお子さんと一緒に湖で水辺でピチャピチャ遊んでる人もいましたし、
場所によっては。上から見る人もいるし。
なんか砂浜みたいになってんの?
なってる場所もあります。
ああ。
そうすると、入っていくこともできるし。
釣りとかも楽しそうだよ。
早くとかね。
アヒルのボートとかないのかな?アヒルじゃなくてあれなんだっけ?
アヒルのボートは、いの頭公園とかにあるやつですよね、東京の。
そういうの乗りたいよな。
かやくは借りられるところいっぱいありましたよ。
かやくね、いいね。
あとサップやってる人とかもいましたよ。
ああ、はいはい。
すっごい水が透明だから浮いてるように見えるんですよ。
いいなあ、タホ。
すごいおすすめの場所になりました。
レイクタホって大きくて、カリフォルニア州とネバダ州にまたがってるんですよ。
ああ、はいはい。
だから一周したんですよ、私もレイクタホをぐるっと。
ネバダ側行くとカジノとか出てくるんですよ。
ああ、そうか、合法ですからね、一応。
そのなんか、色の違い?雰囲気の違いもあります。
だからゴッドファーザーに出てきたんだ。
カジノを所有してるんですよね、マフィアの人たちがね。
なるほど。
それで別荘地がここにあるんだな。
ちなみにゴッドファーザーの中では、ボートの上で殺されちゃうんですけどね。
怖い。怖いです。
余計な情報を。
ということで、本当に前回も申し上げましたけれども、本格的な国立公園、自然を見るシーズンですので、アメリカは。
サンフランシスコに遊びに来て、ちょっと一泊プチトリップとかでもありだね。
すっごくおすすめです。
ね。
はい。
いや、いいな、みなさん。
楽しんでます。
楽しんでますね。
ぜひ自然を見てほしいという、すすめでございました。
リアルアメリカ情報でした。
はい。
質問コーナーです。
はい、りかさんのお話にあやかって質問をします。
バイト探してたら、たまたまニュース読む仕事あるよって言って、バイト紹介されたのがアナウンサーだったって話があったんですけど、それでアナウンサーになったという流れだったんですが、
たまたまの流れでこうなったっていう話ありますかっていう。
なんか自分が意図せず、そっちに行ってみたら、なんかそっちの流れになってたみたいな。
ゆなさんにちょっと考える時間を与えるために俺から話をすると、
俺ね、アメリカ来てバンドやってて、バンドのCDどうやったら売れるかなと思って、メディアをやればいいんじゃないかとかでいろいろ考えてて、
結局メディアの会社に拾われたっていう感じなんですけど、できることなんもないかったので営業職に就くわけですけど、
営業が割と向いてたみたいで自分に。
で、もう営業11年やることになって、営業部長もやらせてもらいましたし、
営業と何たるかっていうのはいろいろ考えて、自分におそらく合ってた案だと思うんですけど、
そこからいろいろビジネスのこととか学んだり、今の仕事にもつながるような流れになって、
全く本当にそれは自分が意図してなくて、流れに。
意図してないというか、メディアをやるならスポンサーを集めなきゃいけなくて、それをやるには営業が必要なんだっていう、
その辺の考えのロジックはあったんだけど、営業ってなんやねんと思ってたし、名刺の渡し方とかも知らないし、
敬語って何ですかみたいな感じだったので。
そういう流れで今のこの仕事にもつながってる、なんかありがたいなっていう感じもあるし、
たまたま流れに乗ってよかったなみたいな感じなんですけどね。
なんか出ましたか、ゆなさん。そういうのある?
私は一番最初に思いついたのは、本当にそんなに自分の成長してからじゃないんですけど、
小学生の時に、父の都合でずっと転勤というか、引っ越しを繰り返していて、幼い頃から。
海外も含めね。
はい、そうです。ベルギーとかロンドンとか行って、いろいろ転々として、腰を据えてここに住むぞってなったのが、
小学校2年生の時だったかな、私が。小学校2年生になる時に横浜に引っ越したんです。
横浜。
はい。で、家を建てたんですね。そこに、たぶん腰を据えて住むぞってなったんですね、私の家は。
で、そこに引っ越した時に、家の近くにテニススクールがあったんですね。
で、たまたまテニスを習いに行った。
なるほど。
で、そこからもう大学生までテニスを続けて、もうずっとテニスを続け、
インター入りに行って、大学も体育会のテニス部に入って、
で、なんなら今、日本で自分が立ち上げた会社も、やっぱテニスから着想を得て作った会社でもありますし、
そうだよね。
もうテニス付けの人生になった。
すごい、めちゃくちゃ影響してるじゃん、それ。
ですけど、それは自分の意思でテニス習いたいって言ったわけでもなく、
たまたま引っ越した先に、テニススクールと水泳、プールがあって、
同時に習い始めて、で、もともとちょっと前からやってたピアノとかはやりつつ、
で、そのテニスを始めたっていうのが、もう超たまたま。
ね、面白いね。
もちろんそれでテニスにはまって、すごく好きになって、もっと練習したいってなって、
週1回から週3回にしてっていう風になっては行ったんですけど、
きっかけはもう本当にただの近くにあったから。
たまたまだよね。
たまたま。
もちろんだから相性があったっていうか、その才能があったんだと思うけど、
そこにテニススクールが近くになかったらね、やってなかったかもしれないしね。
そう、出会ってなかったらやってないんで。
すごいよな。
っていう感じですね、本当にたまたま。
面白いね。
まあ、そこにはテニススクールがあったから、
あの、ポッキーというあだ名がついたということですよね。
いや、よく覚えてますね。
なんで覚えてるんですか、そんなことを。
先月だっけ、なんかそんな話しましたよね。
日焼けしすぎて、靴下のところは真っ白で、靴下と短パンの間は真っ黒けっていうことで、
ポッキーでしたよね、確かね。
そうです。そんな丁寧に繰り返さなくていいんですよ。
いやいや、今日から聞いてる人はね、何の話やねんっていうところですからね。
そうですそうです。
いやー。
そうしてアイデンティティも育まれる。
そうだよなー、今の自営業っていうかなんだ、ビジネス。
立ち上げまでつながってるっていうのはすげーな、それは。
そうですね。本当にきっかけはたまたまなんですけど。
面白いね。だから結構予定通りにいかないんだよな、人生ってのは。
本当にそう思います。
だから流れに乗るっていうのも大事なのかもしれないけど。
本当にそう思います。
じゃあ、なかなかいい話になったので。