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#45 「不便さ」が教えてくれた本当の幸せとは?インドの4ヶ月で揺さぶられた時間と感性
2026-04-05 46:36

#45 「不便さ」が教えてくれた本当の幸せとは?インドの4ヶ月で揺さぶられた時間と感性

今回は久しぶりの雑談会として、インドでのインターンシップを終えた二人が、現地での濃密な体験を振り返っています。


効率やコスパを重視する「時は金なり」というマインドセットが、インドのスローな時間軸の中でゆっくりと溶け出していく感覚。


「ゴミ箱もない、シャワーもない場所で、なぜあんなに幸せだったのか?」


スウェーデンに戻り、文明の利器に囲まれた今だからこそ感じる、本当の「豊かさ」や「自分自身のルーツ」への気づきについて、等身大の言葉で語り合っています🌿



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スウェーデン国際教育プログラム(YIP)の最年少と最年長の日本人2人がお届けする、共同生活のリアル話。


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スウェーデンから最年少と最年長の2人がお届けする国際教育プログラム
Youth Initiative Program 通称YIPでのリアル青春体験ストーリー
ナオコです。リオです。はい。 雑談会ですね。雑談会。久しぶりの。久しぶりの雑談会。
ねえ、なんかもう1ヶ月ぐらいさ、会って話してなかったからさ、もういろんなことがありすぎて、どこから始めたらいいや、って感じなんだけど。
ね。こんなことで話してみたいとかある?
いやー、そう、あのー、インド行ってさ、あのー、だいたいこう話しかけられてきたり道で歩いてて話しかけられたり英語でするときってだいたいほとんど男性で、なんかこう、なんて言うんだろう、こう、調べたりとかしてこの男女の教育の差みたいなのとか
見たことないけどなんとなく感じるこの、なんか、英語をもっと学べってこう言われるのは男の人なのかなとか、女の人はなんて言うんだろう、ね。
基本家事とか、なんかこう、食材とか必要なものを買いに行ってる人がほとんどで、なんか、男の人はなんかたまにうるちゅる歩いてる人がいたり、なんか何してるのかわかんない人がいたり、
なんか、まだ全然インドのこの社会の構造みたいなのをうまく理解できてないんだけど、話しかけてくるというか、言語、こう、外国人に話しかけるときは英語みたいなのあるじゃん。
でも、インド人同士だったら、こう、インドの中での共通語、代表的なのってヒンドゥ語じゃん。
でも、すっごい広い国だから、言語の数もたくさんあって、自分がインターンしに行った場所での主な言語はタミル語だったのね。
タミル語ってさ、知らなかったんだけど、エジプトのピラミッドっていうか遺跡にもタミル語の表記があるっていうか、書かれてるぐらい本当に古い言語で、
で、なんていうの、こう、タミル語を話せるわけじゃないけど、たまに子どもたちに、これはなんていうのとか言って、聞いて学んだりとかして、自分も日本語を教えたりとか、英語、基本的に英語で会話してるんだけどね、そうやって言語の話をしていく中で、
03:01
まだ全然幼い子たちは、英語でもなんかちょっとふんっていう時が結構多いし、でも、なんていうんだろうね、自分が子どもが好きっていうのが基本的にはあるんだけど、
どうやって言語を学んでいくかっていうか、自分がインターン先でご飯食べるときに必ずいただきますっていうのを、子どもたちはちゃんと見てて、なに、いただきますってなに、みたいな、
で、こう、ちっちゃい子たちが上の子たちに、なんて言ったの、今、みたいなのをタミル語で聞いてるのかな、みたいな、で、なんか、食事にありがとう、作ってくれた人にありがとうって言ってるんだよ、みたいな、で、なんていうの、もう一回言って、みたいな、で、その子を通して自分もいただきます、いただきます、みたいな、教えたりとかして、
で、なんていうんだろう、こう、こういう経験って、こう、言語が一つだけの環境だったら絶対できないよな、みたいな、でも、なんか、できないんだけど、実際、こう、赤ちゃんが言語を学んでいく中で、必ず通ってる家庭ではあるっていうか、
ちゃんと言えることって、ほとんどないじゃん、一発目に、こう、ね、あの、自分の弟がね、みずでっぽうって言えなくて、ウェアっぽうって言って、ウェアっぽう、ウェアっぽうって言って泣いてた時があって、で、自分、家族みんなで、ウェアっぽうってなに、みたいな、
何を言ってるんだ、この子は、って言って、めっちゃ泣いてるし、早く見つけてあげなきゃ、なに、みたいな、ウェアっぽう、みたいな、
この記憶結構鮮明に残ってるんだけど、自分が、みずでっぽうのことって聞いて、その時の、この弟の満面の笑みっていうのかな、なんか、こう、あ、通じた、みたいな、その感覚が、なんか、
その時に、感覚と似たものを感じれて、なんか、そう、子供たちが毎回、こう、いただきますって、こう、自分にわざと、なんか、いただきますって、こう、言ってくる時とかに、なんか、
英語がうまくしゃべれなくても、なんか、こう、なんて言うんだろう、頭のいいインテレクチュアルな会話をしなくても、こう、共感というか、互いに伝え合うことって全然できるよな、と思って、
06:05
全然、ね、インターンを去る時に、もう、タミル語かヒンドゥ語しかほとんどしゃべれない、みたいな子がいて、
で、いつもその子は、なんか、What is this? What is this? What isthis?っていう、それぐらいしか言えなかったのに、What is this Momo?とか、なんか、こう、人を探す時にも、なんか、Who?とかWhere?みたいな、知らずに、もう、全部、What is this?って言ってるの。
全部、What is this? What is this?っていう感じだったんだけど、その子が最後の最後にThank you very muchって言ってくれて、Thank you veryvery muchみたいな、なんか、誰かに教わって、それを言ったのか、自分から、こう、進んでいったのかわからないけど、なんか、全然、重さが違うよな、と思って、自分たちが、こう、普段の会話で、なんか、相手がしてくれた時とか、自分が話を伝えたい時に、
Thank youって伝えるのと、その子が言うThank youは、もう、自分、こっち側からしたら、全く価値が違ってて、だから、ね、測りきれないものを、こう、なんだろう、こうやって耳を通して知れたり、目を通して、こう、見れることができるのって、ほんとありがたいよなって思った。
面白いね、言語ってね、なんか、私はその村でホームステイした時にさ、その、友達は身体感覚がすごい上手だったから、日本語でしゃべりな、彼女全然英語もしゃべれるんだけど、もう日本語でしゃべってて、日本語でナチュラルにしゃべってて、でもすごい、なに、あの、動き、ハンドジェスチャー付きで、それ通じるんだよね、なんかその、なんだろう、そうそう。
で、そう、なんか、変に英語で私が話しかけるより、全然日本語で、なんかボディランゲージの方が全然通じてて、すごいなって思って、で、でもなんか、私はその感謝の気持ちとか、なんかそういう、なんだろう、気持ちはさ、その、なかなか伝えられない、言葉とか動きで伝えられない時、何ができるかなって思って、
で、自分には、まあ、絵を描くとかビジュアライズとか、それが使えるのかなって思ったのが、たまたま何もない時間があって、その時に目の前で、木のすごい綺麗な木、花のなってる木の下に、大きいニワトリがいて、すごい綺麗だったからニワトリを描いてたのよ。
そしたら、あの、ホームステイの先のホストの、ホームステイのホストのお父さんがそれを見て、私は、多分彼もね、ヒンニ語もほとんど喋らない、英語も喋らない、カヤの言語を喋ってるから、ほんと通じない言葉、コミュニケーションがほぼできない状態になったんだけど、私がニワトリを描いてたら、ニワトリのくちばしはもう少しちょっとこう上の方から生えてるみたいなことを線で教えてくれた。
09:29
確かによく見たらそうなんだよね。すごいだから、彼がいかにずっと常にそのニワトリを観察してるのかもすごい伝わってきたし、なんだろう、その絵を通してコミュニケーションできたっていうのがすごい、それがきっかけで、自分はボディラゲージとか、即時のコミュニケーション苦手だけど、何か絵という媒介を通じてコミュニケーションしたり、感謝を伝えたりとかできるんだってことに気づいて、
最後ポストカードを、彼らが日本語を書いてポストカードを作ったりとか、言語って英語が伝わると便利だけどさ、日本語もだけど、そうじゃない方法とかあるんだなって言語で言うと、そういう学びがあったかな。
なんだろう、なんでもない時間を楽しむ力が、私はしばらくなんか忘れてたなというか、なんかインドにいると、ただゆっくり座ってる人とかいるじゃん、ボーンと座っている人、何してるんだろうなって、楽しいのかなとか、何考えてるのかなってたまに思うことがあったけど、
なんか、ラムダニャンの時にさ、町、市外に出るために、私だったらもとくとくですぐパッパッパって行きたいみたいな、自分の中で時は金なりみたいなマインドセットがあるから、すぐにちゃちゃっと行きたいみたいな、多少コストがかかってもちゃちゃっと行きたいっていうタイプだったんだけど、
別のゆっぴーズの友達と行った時にバスで行こうみたいな、だからバスで行ったらものすごい時間が倍以上かかったわけよ、でも全然彼らは何とも思ってなくて、私は時は金なり精神だったからさ、こんなかかるのみたいな、ストレスも時間もお金も、あ、お金もかかんない、ストレスと時間かかる、なんか楽しめない自分にすごい驚いたんだよね、
なんか不便さとか時間かかることとかに対して自分が怪異ではなく不快の方を感じてしまう、面白がれない自分がいて、
あらためてスローダウンすること、スローダウンするからこそできる会話があったり、感じれることとか面白いことがいっぱいあるのに、なんかそれを忘れたなってことをなんか4ヶ月の間、なんか思い知らされたなっていうのは今振り返ると思うかも。
12:19
そのスローダウンの話で思い出したんだけどさ、インターン先でね、すごい水の使いすぎとかをちゃんと気にしてて、プールとかも雨水で、雨水貯めてそれをプールに使ったりとかしてて、
その中で一番最初にそのウォーターセービングの話でこう注意されたというかこれ気をつけてねって言われたことがあって、
あの水道の水を一気にこうバッてあげてこうザーって出すんじゃなくて本当に必要な分だけちょっとゆっくりこうあげたら調節できるからっていうのね、このチョロチョロチョロって出る状態でお皿洗ったりとかしてねっていうのを言われて、
でそれを常に気をつけてたわけよ。でスウェーデンに帰ってそれと同じぐらいの力でこうあげてもなんかバーって出てくるわけ。でその料理してる時に思ったのがね、そのバーって音ですっごい急かされてるなって思ったの。
なんかあれみたいななんかなんでこんなに手早く動かしてるんだろうみたいな。でこう本当に気をつけてもうちょっとだけでいいわと思ってこう下げると一気にこうなんかああ良かったみたいな、なんかもうちゃんとあの汚れまだついてないか見れるしなんかこうね確認ができる。
で自分でこうちゃんとこうなんていうの、なんていうの目が覚めてる状態で物事をできるなっていうのに気づいて、なんかなんだろうねこういう感覚って他じゃ得られなかったなみたいな。
なんかこれに似たようなことがすっごい他にもいっぱいあるなってインドに行ったから得られたこと。
ちょっとちょっと視点からが全然話違ったらごめんなんだけどさ、時間の感覚っていうのすごい自分揺さぶられたんだけど、その話してもいい?
なんかなんだろう、でもねインターンシップ先は全然違うと思うんだけど、特に緩くて私たちのいたところはその朝ごはん大体8時半から10時ぐらいって言って、8時半に始まったことがほとんどないというか、9時もどんどん遅れて10時みたいな。
15:12
どんどん結構大丈夫ってぐらいすごい、なんていうのかな、時間に対する考え方が本当にこの時間って言ったらさ、この時間に行かなきゃってパタパタって焦っちゃって、なんか急ぎモードになっちゃう自分がいたんだけど、その時間にたどり着いたらまだ始まってないみたいな。
本当にその流れの中で起きたら起きる、やるならやるみたいな感じで、すごい時間に対する考え方がすごいフローがある感じ。
その時間の話についてマニッシュ、インターンのホストのマニッシュに話したら、アジアの時間の感覚に戻ってきたね、日本人みたいな。
いわゆるなんか私もその日本の精神性とか身体性にインドのおかげでやっぱすごい興味を持っちゃうようになってさ、本を読んだりしてるんだけど、日本も明治とかのもうちょっと前の時は時間に対してすごいルーズだったんだよね。
だけど時間って概念とかいろいろ列車とか導入されていく中で時間を守るように、日本人イコール時間を守る美しい、素晴らしいみたいなイメージが今はあるけど、でもそれは意外と最近のことで、意外とその前は結構時間にルーズな、ルーズというかあるんだと思って。
時間に対しての印象がやっぱりまた自分の中で揺さぶられたんだけど、尚子のインターン先とかどうだった?
そうだね、なんか結構割と時間はきっかりしてるのね。
そうだよね、朝早く起きて。
子供たち基本的に4時半に起きて、実習したりとかメディテーション、瞑想したりとか、5時半ぐらい、5時半ぐらいになるとキッチンでパティっていうおばあちゃんがいるんだけど、パティがおばあちゃんって意味で、実際の名前知らないんだけど、そのおばあちゃんが毎日3食作ってくれてるのね。
そのパティの手伝いをしたりとか、お皿洗いだったりとか、必要なことを全部子供たちがやるんだけど、本当に1日の流れって決まってて、
6時半からガーデニングとかアニマルケアに出てって、7時半ぐらいになってご飯食べて、ご飯食べたらまたガーデニング、10時ぐらいになったら自分たちの学習時間が始まって、
お昼ご飯食べる、まだが出学習時間で、3時、4時ぐらいから好きなことっていうか、ウッドワークだったりとか、アップサイクリングだったりとか、織物だったりとか、遊びの時間って感じで、それが終わったらまたガーデニングだったり自分たちの仕事に戻る。
18:21
で、そうだね、終わったらまたキッチンの手伝いしたり、次の日の準備をしたりとかして、寝るみたいな、本当にきっかりしてるんだけど、なんかこう焦って動いてる人がいなくて、一人も。
時間が決められてるんだけど、決められた時間の中で、すっごいまったりとも、なんかのんびりだらだらとも違う、なんていうんだろうね、みんなの中で共通してある、なんか座れよまずみたいな。
だからまず土触ろうみたいな、なんかなんていうんだろうね、その感覚うまく断りできないんだけど、ガーデニングとかアニマルケアとかの手伝い、実際に子どもたちと一緒にやってる時に、
自分たちの思った通りに行くことがほとんどない、特に動物の世話をするような時って、牛だったらしっぽ振って顔にパシッと当たったりとかする時もあるし、いついきなりジョジョジョジョジョって、始まったりとかして、なんていうんだろうね、わーって驚いたりとか、
なんか本当にじっくりダニがついてないかなって、体こう触って見てあげたりとかして、本当に自分が時間を作っていくというか、今はダニ確認する時間、今は早く動いてほしいから、行くよって焦るというか急かす時間みたいな、
そういうのがちょこちょこあって、それが綺麗に川のように流れてるみたいな感覚で、ガーデニングも同じで、なんていうんだろうね、きっかりしてないの、クワ取りに行くとか必要な道具取りに行くのも、途中であれ取ってきて、みたいな感じで言うわけ。
毎回これを準備して行って、取って帰るみたいなのじゃなくて、あれ取ってきて、えー行きたくないみたいな、そういうちょっとしたわちゃわちゃもあって、行って帰ってきたと思ったら、全然その道具使わないで、別のところ行って断乱してるみたいな、子供らしいなと思うんだけど、
21:16
大人も大人で、やるべきことはこなすんだけど、その中の途中途中の、なんていうのね、ちょっとしたいじり合いだったりとか、いきなりバターミルク飲むみたいな、すごい乱されてるような感覚でもあるんだけど、戻される感覚でもあるというか、
そういうのにこうなんか、なんていうんだろうね、あれだよ、地面にさ、棒立てて、地面掘らずにただ棒立てたら、手離したら倒れるじゃん、
手離されてるっていう感覚で立ってると、すっごい誰いつ支えてくれるんだみたいな感じで、こうなんか、えーみたいなずっと怖い状態なんだけど、それに任せると、意外となんかいつでも誰かがこう、自分が倒れないようにチョンチョンって周りに手があるような感覚で、
だからもうそれにこうなんか、はい、みたいな、なんか乗せられてる感覚だと、なんか一日、いい一日だったな、みたいな風になる、振り返りもうまくいくみたいな、
自分とこの、自分と時間と他人の感覚みたいなのが、うまく、なんていうんだろうね、わからなくて、わからなくて困惑するけど、でもなんか任せた方がなんかうまくいくみたいな、任せてなんかちょっとえ?みたいな時もあるけど、
でもなんか、体験するのはすごく価値があるなって思う。
Surrender to the flow、その、こうしなきゃ、こう、この時間に、とかタイパー、コスパーとかを手放して、そのフローに委ねるみたいな、まさにそれにはもってこいの、練習場なのかもね、インドは。
だと思う。だって逆に自分でこうこれしようこれしようってこうきっちり決めても、それに、道理にうまくいくことがないから、本当に、だからもうね、はい、はい、みたいな、不思議、今でも不思議だと思う、どうやって人は生きてるんだろう、インドで。
24:14
でもあの感覚で常に生きてることができるんだったら、なんていうの、きっちり箱みたいになってるスケジュールも、なんかできる気がする。
箱のスケジュールに慣れてる人は、インド行ったらもう本当に何が起きてるんだってなるだろうけど、なんだろうね、よくわかんないわ、あれは。
自分の中で、なんかよく、なんていうのかな、自分の中で、すごいなーっていう人は、その不老に身を委ねるのがすごい上手だなっていう、なんか先輩、先人方が多くいて、
なんか自分は、その不老に身を委ねきれない自分がまだまだあるけど、でもインドですごいたくさん稽古させてもらったなって感じ、まだうまくできるとは言えないけど。
自分が一番困難だなって思ったのって、自分の認識と、認識と環境の葛藤っていうか、自分が認識だと思ってたものが自分がこれまで生活、生きてきた環境の影響、おかげだったりとか、環境だと思ってたのが自分の認識だったりとか、
なんて言うんだろうね、本当にわからなくなって、でもなんかちょっとずつこう自分で紡いでいくというか、自分がこう思ってたからこれを難しいと思ったんだとか、これができないと思ったんだ。
でもどうやったら自分がこうそれをなんて言うんだろうね、心地よくできるようになるんだろうとか、なんだろう、この人たちがこう考えるのはどういう理由なんだろうとか、なんか本当に自分もっとすごい深い層で考えられたなって思う。
わからないことだらけではあるけど、理解する必要ないんだなみたいな、理解できてるって思ってること自体が疑問みたいな時もあり。
27:17
なんかこう掴んで確認できるものが本当に少ないなみたいな、これはこういうものみたいな、箱に入れた瞬間全部崩れ出すみたいな感覚がすごい強かったなって思う。
こんなものが揺さぶられるインドの4ヶ月でしたね、本当に。きりがないね、もう振り返ると。
インド来たらめちゃくちゃ日本が恋しくなった。違いすぎたからじゃないかな、なんかこれまで海外に行く経験でインドにいた時ほどこうチャレンジされた感覚がなかったというか、
ステイする場所、なんかシャワーとかも普通にちゃんとあったかいお湯でたし、なんか布団に入ってて寒いみたいなのってあったとしても、なんか自分の認識の中でどうにかできる範囲内だったというか、
どうしたらいいのみたいなのが本当になくて、学習面とかでそれはあったのはあると思うけど、なんか生活レベルでそれが起きたことがほとんどなくて、
なんだろうね、あの思い出というか、思い出というか、なんか自分が心地いいって思った感覚をまた手に入れたいみたいなのがあるんだと思う。
あのご飯食べた時の感覚をもう一度味わいたいだったりとか、なんか自分、家族と一緒に寝てるで、それ寝てて朝起きた時の感覚がいきなりこうフラッシュバックしてきて、
あ、みたいな、戻りたいみたいなのとかはあるかな。逆にインドで起きて、インドで起きていいことから、なんか日本でもこういうこと、こういう伝統あるよなとか、家族でこういうことしたよなみたいな、どっちもあって、なんかそのあれが大きいのかも。
30:06
ギャップ?
ギャップというかさ、こう海外だったらちょっとだけ、ちょっと恋しい、ちょっと思い出すっていうのが、インドだとなんかもう10倍ぐらいになって、あー戻りたい、あーあーあーってなる感覚。
帰りたくないともなんか言ったしね。
帰りたくないっていうのとめちゃくちゃ帰りたいっていうのが同時にあったな。
幅がね、情報量がすごいんだよね。山火事あった?
なかった。
なんか私が住んで滞在してたヨダイプルでは山火事が当たり前、なんかね、燃やしてる時期なのかわかんないけど、山があるじゃん、頂点からふもとに向かって縦にこう山が、山の火の柱がバーって起きてて、それがほんと毎日夜、ほぼ毎日では1週間何回か、
都市から山の滞在してるふもとに帰る途中で、右側では壮大な山火事が起きてて、左側では多分こうカーストの上の方の若者たちが、なんかのお祭り騒ぎかで、バスなんか電子盤、電子軽盤みたいなのに映像を流しながら、若者が乗っててズンチャズンチャやってて、
その後に何十台もバイクがバンバンやってて、高級車上に先頭に立ってて、車が左側に起きてて、で、タクシーの中では助手席に座ってたパントマイムのアーティストがずっと私たちに喋りかけてて、で、道自体もすごいバンピーだから、ほんとに振動が起きてて、
で、私たちちょうどトライバルホームステイで静かな暮らしをしてた、もうその帰りにそれが起きて、情報、匂いもすごいし、周りの情報がすごくて、なんか情報量が多い、自然の中にいてもなんかうるさいって言っちゃいけないけど、情報量が多いのは人間だけじゃなくて生き物もうるさいし、
すごい大きい鳥か、なんか狐の声なのか起こされるし、
すごいその中でいかに自分らしくいられるかをすごい問われるものでもあったし、
でもすごい嬉しかったのが、マニッシュのホストじゃなくて、滞在先のホストがソアラージュニバースティーっていうあるアシュラムでメインでホストしてる夫婦がいるんだけど、なんかね、ホストとして迎えられまして、ほんと家族として迎えられてくれてて、
33:08
だからなんか私がファムバスの方に行こうとしたら、どんごーみたいに行かないで、で帰り、終わりも最後みんなで振り返りというか感謝のシャワーを浴びる時間があったんだけど、なんかホストのお母さんは、お母さんの方はもう大号泣して、ホストに大号泣されたことないから、
もうこんなに自分のことを家族、本気で家族のように思ってくれたことが、ホームステとかホストファミリーとか体験あるけど、ここまでその垣根がない、壁がない、なんかもうお父さんの方は悲しすぎて、シャワー、最後の振り返りの時間一緒に参加できないので、後半から参加するとか、
こんなに人として愛してくれる、1ヶ月しかまだね関係性を構築できてないのに、そういう人、生き物がいるんだってか、そういう人がいてくれることが現実として自分の体験で起きるんだってことが初めてで、
確かに、なんかすごい物、服とか食べ物とか食事とかの量、どれくらい持ってるか、どれくらい食べるかみたいなのに、割とこうこれまですごい頭使って、
ジーンズ2枚、上4枚、下4枚、旅行する時とかに考えてたのがあるんだけど、毎日どれくらい食べるかみたいな、書き記すことはなくても頭の中で朝これくらい食べたよな、お昼これくらい食べたよな、今日ちょっと食べ過ぎちゃったのかなとか、
軽く考えることがあるんだけど、なんかこう自分のインターンシップ先でさ、もう自分が量を決めるんじゃなくて、パティに渡された分だけみんなが食べるから、あるんだよ、ちょっともう食べれないとか、もっと欲しいとか言うことはできるんだけど、
形として人から与えられて食べるっていうこの仕組みができてるのって、なんかすごいなと思って、なんかなんだろうね、大学の食堂とかでもそうなんだろうけどさ、まだ選べるじゃん、なんか大盛りとかさ、今日何食べたいかなとか、それもないのよ、今日パティが作ったものをパティに渡された分だけ食べる、
っていうのと、あとなんだろうね、服、なんかおしゃれする必要もないし、もう動きやすい服装でいたいから、なんかだんだん着る服の量が減ってくるのよ、洗濯するのもさ、たくさんやりたくないから、今日洗ったやつも1、2時間で乾くから、よし今日シャワーした時にまた着れるぞみたいな、
36:27
なんかそういうので、なんかこうだんだん、自分ってそんなに必要ないんだなみたいなのを認識できる、ありがたいなって、今さ、もうスウェーデン帰ってきてからさ、そういうのですっごいね、なんか考えさせられちゃってて、なんか帰ってきてさ、自分のスーツケース開けたらもう服がなんか、え、こんなにみたいな、
なんか昨日スーパー行って食べ物買った時も、なんかいるかなみたいな、でもなんかオイル欲しいしみたいな、なんかこれまでに得たことのないなんか問答を繰り返してたの、自分の中で、すごい面白い、
自分こうじゃないと生きていけないと思ってたのが崩されたから、改めてなんだろう、元の生活に戻った時に、こんなにいらなくても楽しかったよね、話がつきませんね、本当に、
自分がさ、ちょっとさ、なんか最初のエピソードみたいな感じになっちゃうけどさ、自分がこのインドの感覚、今残ってる感覚忘れた数ヶ月後の自分にさ、なんか残しておきたいメッセージとかある?
そうだな、なんだろう、なんか好きの反対は嫌いじゃないって言うじゃん、好きと嫌いは両極端じゃなく、好きと嫌いが両極端なんじゃなくて、好きと嫌いは割と同じカテゴリーにあって、
でもその2つの反対側が無関心みたいな、なんか割とね、それに似た感覚をすごく得たというか、似たというか、なんだろうね、自分でも今何言ってるのかわかんないんだけどさ、
なんか静寂なのか、自分が麻痺してるのかわからないというか、落ち着いてるのか、ね、ほんとに痺れちゃってるのかわからない、お腹空いてるのかお腹が膨れてるのかわからない、なんか何が起きてるんだみたいな、この感覚を見たことを忘れたくないなみたいな、
39:25
私あれ、自分はそんなに服いらないし、ご飯も、なんて言うんだろう、ダイエットしたいとか食べ過ぎたら太っちゃうみたいな、そういう感覚で食事を減らしていくのと、
本当にこれだけ食べる必要があるのか、自分が自分の体を作ってくれてるこの食事を、どれだけちゃんと向き合ってるかみたいな、
その全く別の感覚で、頭を使ってコントロールしようとするというか、自分はこれだけ持ってるからこれだけ必要だなとか、これもう十分だからカットしてみたいな、そういう感覚で物事を見るのと、
自分の体に目を向けるとか、誰かとの関係の間をできるだけ感じ取ろうとする、その作業から得た自分の見方、物の見方とかって、もう全然違って、
その、なんて言うんだろう、マテリアルな方に戻りたくない、戻ってほしくないなって思う。
日本帰ったら布団乾燥機買いたいとかさ、ちょっと自分の中で無質主義的なところがまだ自分の中にありつつ、そうじゃないゴミ箱もないような、トイレもシャワーもない場所に私はいて、それでもものすごく幸せですごく楽しかった、
ホームイステーの体験を覚えててほしいし、いかに自分が平和ボケしてたなっていうのは思い知らされたというかさ、
なんか当たり前だと思ったことが全然当たり前じゃなかった。いろんな人のおかげで、いろんな仕組みの制度とかのおかげで、この静けさとかおいしい空気が吸えることとか、
42:07
今得てる安心とかこの感覚がいろんな人のいろんなおかげで今ここにこうやっておれるんだっていうことを改めて、いかにプレシャスか、それでもなんかここが全てじゃないというか、幸せな形は他にもいっぱいあるからっていうその感覚をすごい、
なんかね、これ後で写真でもシェアしようかなと思うんだけど、私のインドから来てからあるイメージはこんな感じなんだ。
なんか人が地に張って、なんていうのかな、こういう感じね。インドでなんか来た時に得た感覚、うまくずっとこれは言い合わせないんだけど、なんかね、今までこう難しい、なんていうのかな、サバイブ、なんていうのかな、
日本だったらこう目つぶってでも電車に乗れたくらい平和ボケしてたんだけど、インドに来ると全感覚を開けてないと、全センサーを張り巡らせてないとサバイブできない。
でもサバイブしてると、なんかいろんな自分の感覚をシャッとしないといけなくなるときもある。すごいなんかこう幅が、なんていうかな、幅がすごい中で生きてると、このこんな感じになるというか、なんかいろんなものがこう、なんていうのかな、すごいな生き物としての自分が、でいられる時間だった。
そういう自分が、これ私なのか私じゃないのかわかんないけど、こういう自分もいるんだよっていうことを、もしね、私がインドで、インドの体験を忘れかけたら思い出してほしいし、ホームステイのシャワーの体験のことを思い出してほしいなっていう感じですね。
自分が残せるメッセージとしては。
あとはそのなんだろう、その前のエピソードで話し切れなかったかちょっとわかんないんだけど、その大事な、そう私のYEPを進めてくれた日本の年上の先輩も、YEP行ってみなよみたいな、結局大事なものは私たちの近くにあるんだけど、でも一回行ってみるといいよって言ってくれた理由がすごいよくわかったっていうか、
そのなんだろう、ホームステイで感じたあの美しさも実は日本の昔の人たちの暮らしの中にはあって、だからなんかわかんなくなったら、外の何かをこう得ようとするよりかはバックトゥルーツ、自分のルーツに戻って学ぶ。
だから自分の親とか自分のおじちゃんおばあちゃんに話を聞いたりとか、なんだろう、外に求めに行こうとせずに自分の体の体に感覚を戻すとか、そういうことから学べることがいっぱいあるんだよっていうことは伝えたいかな。
45:15
今日は久しぶりの雑談会でしたね。
来週からはイニシアチューブフォーラムが始まりますね。
いよいよですね。
なかなか日本から来るっていうのは難しいかもなんですけど、もしスカンディナビア地方、ヨーロッパとかちょっと北の方にいらっしゃるチャンスがもしいらっしゃる方はぜひイニシアチューブフォーラムね、覗いてきてほしいです。
いい意味で変な、クレイジーなユースたちがいっぱいいる面白いフォーラム。
なんだったっけ、AI時代におけるヒューマン・ウィズダムについて探求するような面白い体験型のフォーラムとなってます。
ぜひ、絶対面白いと思うので体験に来てください。
難しい方はぜひこのエピソードをシェアしたり、応援してくださって皆さん本当にありがとうございます。
また来週お会いしましょう。
それではまたねー。
46:36

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