季節の話題と近況報告
皆様のひとときにお邪魔します。問いを味わう時間です。 このラジオは、今の時代に生きる私たちの答えのない問いをテーマに対話するポッドキャストです。
私たちの毎日にあるちょっとしたモヤモヤや気になることを、コーチング研究やコミュニケーションの視点から考えてみませんか?
忙しい日々の中で、立ち止まって一緒に味わい考えていくきっかけのお時間を、私ユイとモトキでお届けします。
では今日も始めていきたいと思います。 モトキさん、よろしくお願いします。
お願いします。
調子はいかがですか?
調子はいいですね。だいぶちょっと涼しくなってきて。
今こうやって思うと、毎回気温や天気の話で真逆だねっていう会話に落ち着いている記憶がありますが、
いつもその下り、最初に浮かぶんですね。やりがち。
この夏だいぶ涼しかったのよ、日本は。
そうですか。
なんか例年、国書、国書みたいに言ってたけど、涼しくなるのは早かったり、台風がわーっと来たのもあったんだろうけど。
いい感じで過ごしております。
よかったです。
ユイさんはどうです?
私は、こちらもいつもの下りですけど、だんだん冬が終わってきた気がしますね。
寒い時あるけど、寒さの厳しさが緩まったような感じがあるので、早くあったかくならないかなっていうのを思ってます。
じゃあ春が、春が来そうな。
春が来そうな、そうですね、もうちょっとで、もう春来るなっていう予感を感じ始めました。
いいですね。
はい。
季節だったらいつが一番好き?
え、春?
春、うん。
春いいよね。
春いいですね。
生まれは秋なんですけど、秋好きですけど、やっぱこれから寒くなるぞっていう覚悟で。
確かに確かに、こっからあったーくなってくぞーのほうが、
そう、嬉しいんですよ。
同じ気温の中でも、先が明るい、いい感じみたいな。
そうそうそう、ほんとにそうで。
冬の終わり、春見たくらいが好きかも、その意味では。
一番嬉しいですね。
そうやって思うと、日本だと春の中に花見とか桜とか、それこそ卒業式、入学式とか、
イベントごとも含め、わくわく感じゃないけど、なんか新規一転感みたいなのもあるな。
そこも含めて、春楽しいよね、みたいな。
確かに。
ただの気温だけじゃなくて、お花屋、なんかその芽吹き屋みたいなとこありそうだけど、
確かに。
そっちだと、違うかな。
そう、私が住んでる町は、9月に、9月がなので春始まりくらいなんですけど、
に、お花祭りがあって、すごくチューリップとか、いっぱいパンジーとか、いっぱい植えている公園があって、そこでお祭りするので、
それを、その看板見たりとかすると、あ、春来たっていう感じがするんですけど、
でも確かに、学年の変わり目とか、そういうタイミングではないので、
その新規一転感はやっぱり日本のならではだし、いいなって思いますよね。
自然のリズムと合ってる感じがするので、そっちの方がいいなって思っちゃうときはありますね。
そうだよね。冬明けて、さあ、みたいな、心も上向き、
粘土こすときに、新規一転目標立てて、とか、そういうのも含めて、ちょっといい感じよね。
いい感じだと思う。
はい、ということで、ちょっと季節の変わり目を楽しみつつ、
今日は、もときさんが今日のテーマを持ってきてくださったということで聞いてありますが、
タイパを意識するほど心がすり減る理由
今日お話ししたいこと、どんなテーマですか?
はい、テーマとしては、タイパ、タイムパフォーマンスを意識するほど、心がすり減ってしまうのはなぜ?とか、
タイパを意識して、全てを効率的に、今AI、いろいろ進んでいる時代の中で、効率化って、
今までのレベルとは全然違う形で、いろんなことが効率化できる中で、
でも、その分の余白とかって生まれてるのかっていうと、タイパを意識すればするほど、
もっとタイパを、そのような、より、よりっていう感覚がある中で、
それに疲弊していったり、それを求め続けていく中で、少し疲れてしまったり、みたいなことも聞くなと思った時に、
タイパっていう言葉をよく聞くようになって、だいぶ経っていると思うんですけど、
なんか、この第三世代コーチングの視点も含めて、一回話してみたいなーって思い、ちょっとこれを持ってきました。
ありがとうございます。タイパ。誰が言い始めたんでしょうね。タイパ。
本当だね。
この数年ぐらいですか?
そうね、5年ぐらいじゃないかな。
言いますよね。
言うな。自分が使うことはあんまりない気がしつつ。
私もないな。
でも、聞くなと思って。
なんか、ゆいさんは、タイパ、この時間を効率的に使いつつ、その同じ時間の中で質を高めるとか、
その同じ30分1時間を過ごす中でも、より効率的に、より多くのことをこなし、より質高くなのかな。
質より量の方が意識されるイメージがタイパには、主観的、私の感覚かもしれないけど、あるなって思うんですけど。
ゆいさん、タイパ意識することあります?
私、どうでしょう。
もちろんね、これもうちょっとうまくやれたらいいのにな、みたいなことを考えながら何かをすることはあるんですけど、
なんかもう、もはや人間の能力が追いつかないくらい、テクノロジーとか周りが発達しすぎてるイメージありますね。
だからもうこれ以上タイパはできない。
こっち側の、人側の処理が追いつかないから結局。
これ以上はもうできないんじゃないか、みたいなレベル感にすでにきちゃってるんじゃないかな、みたいな。
なんかそんなことを考えたりします。
だから逆にテクノロジーとかの発展の中で、それを使いこなすほどの脳のキャパシティが人に、脳のキャパシティ以上のことが使いこなし次第でできてしまうけど、
でもそれは結局操作するのが一定人だったりするときに、みたいな感覚なんですかね。
そんな感覚ありますね。
すごいね、AIが10個も20個もいいこと言ってくれても、たぶん一度に私が見とれるのは2つとか3つで。
そういうことね。
もう限界なのでは?みたいな問いというか、思いはありますね。
人がね、決断判断とかしていくことは変わっていかない部分もありつつ、同時にそこも全部AIで自動化して、
全部AIが拾ってきて判断して、そして実行まで全部やっていくみたいなことまで作ってしまって、それにも自動化して任せとくみたいなこともいろいろ起きている中で、
できることは増えているけど、
それこそこのラジオの中での問いと向き合いつつ、より豊かにみたいなところとか、人と人の在り方みたいなところに焦点を当てていくと、
どういうふうに向き合っていったり、観察していったり、活用していったり、みたいなのが一つ問いとして浮かんでくるものとしてあるかなっていうふうには。
あんま考えたこと自分もないんで、なんか手を持ってきてなんだけど、特になんもない。
特になんもない。
気になった。
気になりますよね、確かに。
ね、なんか楽になったのかって聞かれると、そんなになんかテクノロジーが発達したから、楽になったとこもあるけど、暇にはなってない。
みたいな感じはしますかね。
余白が生まれてるわけではないみたいな。
わけではない。逆になんか隙間とかながらでやってもらえるみたいなイメージ。
自分が何かしてるときに、うちだとお掃除ロボットが掃除しといてくれるみたいな感じなので、
お掃除してくれてるからその間お昼寝できるみたいな感じはない。
うんうんうんうん。
確かに。
いやでもその感覚は結構、私もいやそうだなって、なんか何が起きてるんでしょうね。
その分何かもっとする。
それこそよりタスクをこなすっていうのがちょっと簡略化されたり効率化されて時間が、
多分きっと一週間でこなしてる量は増えているのかなと思いつつ、
だからといって心や時間的に余白が生まれているかっていうと、
そう感じる人は、上手にやったらそうなのかもしれないけど。
うーん、ほんとですね。
何でこの話題になったか忘れちゃったんですけど、人間って減らすのは苦手みたいな。
なんか詰め込みがち、もっともっととか、なんか間が空くとなんかしたくなっちゃうとか、
なんかどんどん情報を入れてった方がいいんじゃないかって思っちゃうとか、
その傾向があって、だからどんどん教科書とかもどんどん分厚くなっていくみたいな、
やる時間、授業時間変わんないのに、あれもこれも言いたくなっちゃうみたいな、
そういうのが起こりやすいみたいな話を聞いたことがありますけど、
情報過多と「遅れを取る」不安
なんかね、そうやってやってもらえるお掃除とか、やってもらえる洗濯してもらえるはずなのに、
それで空いた時間、やっぱ埋めたくなっちゃうみたいなのがあるんでしょうかね。
前のエピソードとかね、哲学者の方やまた研究者の方の、その燃え尽き症候群とか、
なんかそういうパラドックスとか自由主義のパラドックスとか、
なんかそういうの、情報がわーっと常に浴びせられつつ、
いろんな情報も見る中で自分も比較をしつつ、
漠然とした、強い言葉で言うなら脅迫観念じゃないけど、
動かなきゃ、もっとやらなきゃ、遅れを取る、まだ足りない、あの人はもっとやってる、
こういうふうに見せてる、見える、その中で自分は、自分は、みたいなその根底的な、
自分の劣等感ではないけれども、なんか遅れてはいけない感とか、
いろんな情報に触れる中で、漠然とそれに触れれば触れるほど、
それに掻き立てられ、追われ、不安感に苛まれつつ、もっと詰め込む、やらなきゃ、
が結構マインドセットとして、それはポジティブな表現で使う人もいる。
自分もこういうことやって、こうなっていきたい、自分のモチベーション、原動力みたいな、
お金欲しいになりたい、みたいな。
なんかそういうのもありそうですよね。
確かに。
本当ですね。
みんな、頑張りすぎてるかもしれないですね。
なんか、怠けてるって思ってるけど、そんな怠けてないよって。
意外と頑張ってるよって思っちゃうかな。
ネットフリックスって聞くと、なんかネットフリックス見ちゃったみたいな、なんだろう。
この時間をネットフリックスに取られてしまった、みたいな。
でもなんか面白くて、めっちゃ見ちゃうみたいな。
よく使うけど、どうしてもそこに罪悪感が定型文のように、やっぱりひも付いている。
のがその、余暇、余白で何か自分が好きなことをする、無駄話をする、
誰かと何気ない時間をただただ目的なく過ごすが、
どうしても罪悪感を感じる時間になってしまっていること自体が、
何かちょっと、なんだろう、人が豊かに生きていくっていうマインドセットとは違う状態になっているサインというか。
確かに、本当ですね。
なんか、自分の、なんて言うんでしょう、等身大の自分みたいな。
テクノロジーが発達して、いろんなことができちゃうから、
自分の等身大がわかんなくなって、もっとできる、もっとできる、みたいな。
そこの錯覚が生まれたりとか、その錯覚とともに、
何か本当に大事にしたいこともわからなくなったりする。
ゆっくりお茶飲んで、ちょっと一息ついてっていうのは、
すごい大事なことなのに、何かこんなに休んでいいのかなって思っちゃうとか。
睡眠を削ってでも頑張っていると、何でしょうね、
体と心は疲れるけど、何か自分頑張っているっていう謎の満たされ感があるとか。
そんな風になっていくのかな、みたいなのを思いますね。
理想の自分と等身大のギャップ
確かに、よく保留して留まるみたいな表現を、
この第三世代コーチングとか、そこに紐づく概念の中で言われたりするけど、
等身大で、自分の等身大を正しく捉えるという表現が正しいのかわからないけれども、
今の自分の感覚に、心の状態に、頭の状態に、体の状態に、
統合的に、包括的に、ポリスティックな形で耳を傾け、
それの声を聞きつつ、選択していったり、物音を良しとするとか、
逆に前に進む選択をするとかもそうだと思うけれど。
それよりも、理想の状態、こうあるべき、こうあることが本当はできるはずだ、
他の人はこうやってるとか、そういう、言ってくれた虚像の、
他者と比較した上での虚像の自分が、よりあるべき自分のように定義されてしまっている中で、
そのギャップに困るというか、
ギャップを考える上に、このさっきの話が、心がすり減るっていう表現があるかもね。
そう思うと、タイパーを意識するほど心がすり減るっていうわけではなく、
タイパーが動向というよりも、タイパーを求めている、結構強く求めている、
マインドセットや精神状態や物事の考え方の状態を、タイパーを意識し、
それを改善していくこと、効率化をより進めていくことで、
それを助長する状態にはなっていくかなというふうに思いつつ、
それ自体が動向というよりも、タイパーを意識するのもそれの一つの現象であって、
でも大元はどちらかというと、その虚像の自分のこうあるべきのイメージであったり、
いろんな情報に触れる中で、漠然とした不安の中で立ち止まることが怖い、みたいな、
意味のない時間と自分が定義してしまっている時間を過ごすことに罪悪感を感じる、
みたいなマインドセット自体が、その虚像と実態のギャップ故に心が擦り減ったり、
本当は心から楽しめる、ネットフリックスの時間を罪悪感を感じながら見てしまう、みたいな。
でも、美談はいい、みたいな。
それは私の感覚ですけど、美談はいい。
美談はいいですね。
美談はいい。
そうですよね。
心の余裕を取り戻すためのヒント
ネットフリックスをご褒美タイムとか、自分の息抜き充電の時間だって思ってみたら、
楽しめるから結果的にいいのにとか、なんかこのお菓子は、
食べちゃった、食べちゃった、食べちゃダメだったのに食べちゃったって思うじゃなくて、
もうこれは今食べようって思って食べたら幸せなのに。
もっと美味しいよね。
そうですよね。
これこそ、きっと体の中で生成される喜びとか、化学物質的なセロトニンとか、
そういうのも増えそうだよね。
感謝したり、喜んで食べるのと、罪悪感感じたら食べるのとでは変わりそうだよね。
そうですよね。
なので、自分の中での、今日話してみての気づきや着地点というか、意識としては、
よかで楽しむとか、何かそれとも自分にとっては小さい子供がいる中で、
子供との時間をこなさなきゃいけない時間とか、無駄な時間じゃないけれども、
早くそこを終わらせてこれやんなきゃとかにならないようにとか、
また自分のネットフリックス、うちネットフリックスで登録しないですけど、
見る時間、楽しむみたいな。
そこで自分の仕事以外でやる活動自体にも、
意識を心からそこに向けながら、それを肯定しつつ過ごせる精神状態が一つのパロメーターとして、
タイパーを意識する動向というよりも、漠然とした不安感に苛まれながら、
虚像のところと自分の本当の実体、等身大とのギャップで心がすり減らないためには大事にする。
だから今を、また目の前のことを、目の前の楽しいと感じるほどの余白の時間を思いっきり楽しむみたいなことはやりたいなって思う。
自分の中での何か、味わった時間でしたけど、ゆい様の中でどんなことがありました?
そうですね。何でしょう。
なんかそう思うと、本当に何もしてない、無意味な時間とか無の時間ってないなって思って、生まれてから。
休むということをしている時間とか、仕事をしている時間とか。
そう思ったら、何もしてない、今日もう何もしてないって言うけど、何もしてないことないよって思いましたし、
なんか、何でしょうね、忙しかったり、追われれば追われるほど焦ってしまうと思うんですけど、
焦ってる中でも、いや、もしかしてちょっと私めっちゃ頑張ってるかも、みたいなことを自分に言ってあげられる声があると。
そっからちょっと立ち止まったりとか、私の等身大と今って合ってるのかなと思えたりとか。
ちょっと自分に優しくしてね、お菓子食べていいよって思えるとか。
なんかそういうふうにしていくと、たいぱたいぱ、急げ急げってならずに、そうなったとしてもちょっとそこから離れるというか、
落ち着けたりするのかなっていうのは思いました。
いいですね。食べましょう、おやつ。
食べましょう。おいしく食べましょう。
おいしく食べましょう。適度に食べましょう。
適度においしく食べたいと思います。
はい、問いのラジオではこんな感じで皆様からのメッセージやコメント、そしてね、もときさんからの問いとかについて、またゆっくり話していきたいと思いますので、
皆さんも気になることや、もやもやしたことがあったら、ぜひ聞かせてください。
この時間が皆さんが少し立ち止まって味わうきっかけになっていたら嬉しいです。
それではまた次回、一緒に対話していきましょう。
今日もありがとうございました。
ありがとうございました。