沈黙はなんで気まずいの? #18
2026-09-18 20:24

沈黙はなんで気まずいの? #18

第三世代コーチングを軸にプロコーチの育成を行う、ICF認定コーチングスクール「CAM Japan (キャムジャパン)」の講師たちが、今の時代に生きる私たちの「答えのない問い」をテーマに対話するポッドキャストです。

私たちの毎日にあるちょっとしたモヤモヤや気になることを、コーチング研究やコミュニケーションの視点から考えてみませんか?

忙しい日々の中で、立ち止まって一緒に味わい考えていくきっかけのお時間をお届けします🤲🍵

【公式WEBサイト】
https://camjapan.jp

【パーソナリティ】
浅井 元規:コーチングスクールCAM Japan代表
小島 唯:コーチングスクールCAM Japan講師

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サマリー

沈黙が気まずく感じられる理由について、コーチングと日常の対話の違いから考えます。コーチングでは沈黙を、相手が思考を深めるための大切な時間として捉えます。一方、初対面や信頼関係がまだできていない相手との間では、どう見られるかという緊張や不安から、沈黙を埋めたくなると話します。沈黙への反射的な苦手意識は過去の経験から形成されますが、意識して待つことで、相手の気づきや対話の深まりにつながる可能性も語られました。

コーチングで沈黙をどう捉えるか
皆様のひと時にお邪魔します。問いを味わう時間です。 このラジオは、今の時代に生きる私たちの答えのない問いをテーマに対話するポッドキャストです。
私たちの毎日にあるちょっとしたモヤモヤや気になることを、コーチング研究やコミュニケーションの視点から考えてみませんか?
忙しい日々の中で、立ち止まって一緒に味わい考えていくきっかけの時間を、私ユイとモトキでお届けします。
問いのラジオを今日も始めていきたいと思います。 モトキさん、お元気ですか?
お元気でございます。
元気そう。
元気ですね。なんでなんだろう。でも、最近元気になってきた気がしますね。
2週間くらい風邪ひいてて、夏風邪ひいてて、そこから回復してきた。
反動っていうのが正しいかわからないけれども、健康とか頭痛くないとか、鼻詰まってないが、頭すっきりしてるが、いい感じみたいな、そんな感じでございます。
よかったです。復活してきて、元気をもう味わってますね。
そうそうそう。
そうかそうか、よかったよかった。
はい、ではですね、今日のテーマはですね、受講生からいただくコメントをちょっと出発点にお話しできたらなというふうに思います。
はい、私たちのコーチングスクール、キャムジャパンでコーチングを学ばれている中で、皆さんから時々いただく声が、沈黙とかもあって怖くないですか、みたいな。
うん、そんな話なんですよね。コーチングだとね、クライアントさんが沈黙をされても、なんかそれを考えているお時間だなっていうふうに受け取るので、
コーチングの中ではそんなに沈黙が悪いものであるとか、ないほうがいいものっていうふうには思わない。むしろ、何でしょうか、なんか考えてくれてるいい時間みたいな捉え方すらするんですけれど、
やっぱ学んでいくときに、なんかそこの怖さとか、沈黙が気まずいものだって、今までの経験で思ってこられた方々が多いので、
なんか、これでいいのかな、みたいな、ちょっとこうザワザワしちゃうんです、みたいなお話をね、はい、伺うことがありますけれども、なんかもときさんは沈黙とまたね、そういう場だったり関係性だったりとか、
どんなこと思いますか?
そうね、なんか、コーチングやってると逆に沈黙が生まれてないと、あー良くないなーって思う。
イコール、沈黙が生まれるほどクライアント、コーチング受けてくださっている方自体が、なんか思考がぐーっと深く巡っていなかったり、その何だろう、ペースでとかその深さで思考を巡らす状態に相手がなかったりとか、
そういう問いがないがけられてなかったりみたいなことで、あーちょっともう少し沈黙が生まれやすいバンド作り方や、なんか空気感を作っていかなきゃなーって逆に思うぐらい、沈黙がないと不安になるわけじゃないけれども、でもなんか良くないなーっていうことのサインであったりする。
けど、まあでも普通のね、友人との会話とか、なんか職場でとか、人と話す中で逆に沈黙とか間がすごくあったら、なんか埋めなきゃいけないという、逆に話はずんでないみたいな、いやつまんないかなーとか、なんか話すことどうしよう、目ちょっとキョロキョロしちゃうみたいな、なんかそういう風になってしまうなーって思うときに、
関係性と緊張が生む気まずさ
いや、いつぐらいからこんな、そのあれが変わってったんだろうみたいな、のはなんか自分の中で、今問いとしてというか思考が巡ってたところでしたね。
そうですよね。なんかあの、キャムジャパンのね、スタッフの皆さんと話してるときって、沈黙が普通に、あのコーチングじゃなくて、ミーティングとかでも、みんなが黙ってるみたいなの、普通にあるなーと思いますし、
なんか気がおけない中の友人とかだと、沈黙してるときあっても、そんなに気になってないな、だからコーチングとか、コーチングにまつわる、物事、方々とのやりとりだけではなくて、友人とかでも、関係性によっては、あんまり気にならないときもあるなーって思ったりとか、
そんなことが巡りました。
でもあの、今ふと思うのが、なんか最近出会った人とか、あの、1年前に私引っ越してるので、なんか新しいコミュニティとかつながりが生まれてきている最近1年ですけど、なんかそんな中で、数人頭に浮かぶのが、あの、やっぱり沈黙があると向こうがソワソワしてる、目がすごい泳いでとか、何話そうみたいな、
なんか思ってくれているのはすごく伝わってきて、自分は別に、その状況は居心地全然悪くはないけど、それを観察していて、ちょっとかわいそうだなと思って、自分から話を振ってみてとか、なんかそんな風にすることはあるなと思って、
なんかこのコーチングだけじゃなくて、片方が、あの、そういう状態も別に良しとしていて、全然ありのままでソワソワせずいていたら、もう片方にもそれが少しずつ流れていくというか、影響を与えていって、あ、気まずくならなくていいんだって思う人もいれば、結構それが染み付いている人からすると、
なんか、すごくどうしようどうしようってなってる状態が見えて、まあじゃあしゃべるかと思って、話振って。
この間、車を、去年、去年、あ、そうだ、車を買ってそのメンテナンスか、メンテナンス?車検か、行った時の、なんか担当の方が新しく変わって、その車検の担当の方が、もうすんごい汗だくで、もうなんかどうしよう、すごい緊張してて、緊張、大丈夫ですよ噛まないですからとか言いながら、
あの、これ英語の多分表現だなって自分で思いながら、I don't biteってよく英語だと言いますけど、なんか、休みの日どんなことされてるんですかと、めっちゃ当たり障りない、ちょっと振ってあげたり、あ、そうですね、でもなんか、それくらい緊張しの方とかだと、あの、こっちから埋めにいくことはあるなとか思いつつ、
はい、その情景が今、さーっと浮かんできました。
ねえ、何がその、沈黙は気まずいものと思わせるんでしょうね、そう思うと、なんか、そもそもね、何で気まずいって感じるのかなって、思っちゃいましたけど。
確かに、いやでもどう思われるかとか、いやでもいつ頃くらいからなんだろうね、黙ってたら、いや黙ってるという、確かに、さっと出てこないな、どうして沈黙が気まずいんだろう、そもそも、なんか心理的な話で言うとね、問いのラジオですね。
沈黙への反射は経験から生まれる
沈黙して考えてしまった。
問いを考えさせられますね。何で気まずいんだろう。
ねえ、何か想像が湧くのは、そのお仕事の文脈で、すごく限られた時間の中で、的確にコミュニケーションして、情報を伝えて、共有してっていうことが、何か大切だって思われているような世界観の中では、確かに、何か沈黙がだんだん気まずく感じるような方向に行くのかなって思ったりとか。
それはね、あるなと思いつつ、同時に例えば学生時代とか、そういう時の中でも、結構気の知れた友人とかだったら、全然沈黙でも、なんだろう、そんな気にならない。
けど、結構初対面とか、まだ信頼単位は気づけてなかったら、相手がどういう人かわかんない時に沈黙があると、ちょっとそわそわするとか。
でも、こうやって考えると、沈黙動向っていうよりも、緊張?緊張感とか、緊張と共に何かそれがある気もちょっとする。
まだ相手が分からない、相手がどういう人か分からない。イコール、相手に不快な思いをさせたくないとか、印象変な奴と思われたくないとか。
なんか、地雷踏まないようにじゃないけれども、相手のこういう人だからってのは見えない時に、ちょっと暗闇の中で手探りで、その人に不快感を与えないようにコミュニケーションをしようとか。
そういう相手視点や、相手を通して自分がどう見られてるかみたいなことに意識がすごく向いていくと、緊張感、緊張みたいなことがそれと共に出てきて、結果的に沈黙が気まずい。
沈黙自体が気まずいというよりも、その前にある緊張感とか、まだ相手のことは分かってない感とか、そのお互い、この二人の空気感ってこうだよねとか、お互いを理解した上で、それが受け入れられてると感じている感がない状態、不安定な関係地の中では、
そこを特に意識する人は、それを気まずいと感じてしまう。どうなんだろう。
そうか。確かに、例えば家族とかは、全然沈黙、山は気にならないって思ったら、その関係性とか、こういう感じだよね、がお互いに分かっているっていうことがあったり、
そこで黙ってたら、なんか良くないことが起こるかも、なんか良くないふうに思われるかもっていう心配がないっていう状況になっていたら、沈黙、別に怖くないんですかね。
違う表現をするのであれば、その会話の内容やその過程とか、そこは会話の中で起きている、行くことによって、相手が思う自分のイメージが変わらないと感じる関係性。
変わらないと感じるまで、定着しているというか、構築されている関係性だと、あんまり感じないかも。
たしかに、それこそコーチングはね、もうそういう場ですよっていうことをお伝えしながら、クライアントさんもそこに慣れていくみたいなプロセスはあるかもしれないですけれど、なんかもうそもそもそういうセッティングの場所だからこそ、沈黙、全然大丈夫みたいな、
ふうにも受け取れるなって思いますね。
だから、そうやって思うと、もともとはそういう関係値とか、そういうところによって緊張感があり、相手にこう思われたくない、こう思われたいみたいな相手視点の、相手を通して映る自分への関心とか、
そういうこと故に、その一部として沈黙は気まずいとかあって、あんまり開けると、なんかちょっと変な空気流れる気がするという体験が積み重なっていき、結果的に沈黙は気まずい、間は良くないというものが定着した故に、
沈黙があるだけで、間があるだけで気まずいと自動的に紐づく状態が人には出来上がってるから反射的に沈黙は埋めようという結果になっているけど、もともと沈黙が気まずいという起点から始まるわけじゃなくて、
なんか緊張とか、人間関係友達できるかな、100人みたいな、そんな中で蓄積されてった現象が経験として、それが自分の中で一般化された時に、それがもう自動的にそう思うみたいな、その現象を感じた時に気まずい、沈黙があったら気まずいっていう、だから埋めなきゃっていう回路が生まれていってるような気がしてきましたね。
沈黙を活かす対話と待つ時間
たしかに、そういう経験のもとに結果的にそうなってしまっていることが多いみたいな。
そうか。そうなんですね。と思うと、コーチングもそうだし、なんかその、何を言ってても言ってなくても別に、それで何か評価が変わるとか、その人に対する見方や思いが変わるってことがないんだよ、みたいな場だったり、関係が作れると、なんか沈黙も心地よく、
なんかね、過ごせるみたいな、そんなコミュニケーションも全然できるってことでもあるんでしょうかね。
沈黙とか真っていうものに対する認知が変わっていく。これってこういうものだよねっていう解釈やひも付きが変わっていく。また新しい、違う捉え方も生まれていくのが正しい表現かもしれないけど、気まずい場面もあるし、
同時に、沈黙はでもこういう価値があったり、その仕込みなしとか、また自分がそういうのに緊張を抱かない状態、沈黙気まずいとあんまり思わないスタンスでそこに臨んでいるときに、相手も心を開きやすい場が生まれるとか、違う経験体験が蓄積されていくと、
違う結果に至る選択肢として人の中に、同じ沈黙っていう状態があったとしても、そこに対する認知が変わっていくみたいな。それがコーチングの学習のプロセスの中で、体感的に沈黙で今すごい息づき生まれた相手とか、沈黙の時間があったから、あの1秒待ったからこの言葉が出て、
そこからなんか話がぐっと深くなったなとか、そういう体験をしたときに、沈黙パワフルみたいな。その体験がきっと書き換えていくんだろうなっていうのは今思いましたね。
本当ですね。なんか気まずいものだと思ってるだけじゃない沈黙の別の一面みたいなのを、体感的にそこに出会えていくと、沈黙をいい形で使うときもあったり、そうじゃないときもあったりっていう、なんか選択肢が自分の中に生まれる感じで、それもそれでいいなっていうのを思いますね。
すごく問いが巡る話でしたけれども。
なんかぜひ聞いてくださってみなさんも日々の沈黙をちょっと意識してみたり、もともと沈黙気まずい相手に急に沈黙で凝視したらどうしたこいつってなるから、それは怖い。逆に恐怖を植え付けてしまってなるかもしれないけど。
でもなんか、沈黙の時こそなんか観察してみたり、相手が考えてる時間とか時に何気なくちょっと待ってみるとか待つことをちょっと対話の中で意識してみたりとかしたときに、沈黙や待つ間を作るという意図的に間を作るということを通して生まれるパワフルな人の思考の力とか気づきの力みたいなことをちょっと体験してほしいなっていう感覚はあるので。
ぜひ、対話の時とかに、また特に考える系の問いかけがあった時とか、ちょっと意識的に待つことをやってみていただけるといいなって思いますね。
はい、本当に本当に。そしてなんかそこでやってみてこうだったよとか、いやなんかこんな気まずさがあったみたいなお話とか、またねコメントもいただけたら嬉しいですね。
はい、この問いのラジオでは皆さんのモヤモヤや気になること、日々の中で感じる問いなどを一緒にお話ししていけたらと思っています。
ぜひいろいろなコメントお寄せください。この時間が皆さんと一緒に閉じどまって味わうきっかけになっていったら嬉しいです。
ではまた次回一緒に対話していきましょう。ありがとうございました。
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