1. 田中健士郎の働き方ラジオ
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2025-04-23 35:13

#183-2「チ。」から学ぶ、託すことの意味(アニメ紹介:チ。ー地球の運動についてー 2/2)

今回の聴きどころ


・チ。に魅了されるのは、教養として最高だから

・託すとは何なのか?

・反対されたり訂正されることが託すことの本質なんじゃないか

・きっと、迷いの中に倫理がある

・文字は、まるで奇跡ですよ

・文字を残すことは、重い行為だ

・もしあなたがこの時代に生きていたら?

・あなたは誰かに伝えたい感動はありましたか?

サマリー

ポッドキャストでは、アニメ「チ。」を通じて、託すことや次の世代への継承の重要性が深く考察されています。主人公たちが地動説を受け継ぐ中で、信念や倫理との葛藤が描かれ、新しい視点が提供されています。ポッドキャストエピソードでは、アニメ「チ。」のストーリーを通じて、信念と疑念、そして人間関係の複雑さが掘り下げられています。特に、ヨレンタさんとアルベルトのキャラクターを通して、時代を超えた文字の重要性や倫理観の迷いについても考察が行われています。アニメ『チ。』を通じて、自己表現や感動、仲間との関係性についての考察が展開され、心が動かされる理由が探求されています。

アニメ「チ。」の魅力
田中健士郎
働き方ラジオ始まります。株式会社セッション・クルー代表、働き方エヴァンゼリストの田中健士郎です。
このラジオは、誰もが自己表現をするように情熱を持って働く、そんな世界を目指す仲間作りをしていくポッドキャスト番組になります。
みなさん、自己表現していますか?この地球の運動についてというアニメ、漫画、これはですね、あの先ほど言ったエンタメとしての面白さ、
熱さ、感動みたいなものに加えて教養学びとしての面白さっていうのがやっぱりあるからこそ何度も見たくなるっていうですね、
あの形になっているのかなというふうに思います。いくつかですね、事例を出してみたいなと思うんですけれども、
一つはですね、このバトンを渡していくっていう中に、託すとか次の世代に任せるっていう場面が出てくるんですけども、
託すって何なのかみたいなことをですね、めちゃくちゃ考えさせられて深いなぁと思ったんですよね。
主人公から主人公に託していくタイミングで、ある意味自分の命を捨ててでもこの感動を伝えたいということでバトンを渡していくんですけれども、
そんな中で、2番目の主人公ですね、やっぱりこのオクジの回っていうんですかね、主人公の回は非常に僕的にも深いものが多くて、何度も見たくなるシリーズになるんですけれども、
中盤にオクジっていう主人公と、あとは非常に頭の切れる修道士バデニっていう、この2人が中盤はですね、
この地動説を解明して完成させるためにいろいろ動いていくんですけれども、非常に重要なところとして、
ペアストハクってですね、すごい偉大な研究家みたいな、天動説をある意味完成させようと何十年もやってきたペアストハクっていう方と途中で出会うんですけれども、
最終的にですね、そのペアストハクと話をする中で、その天動説をずっと完成させようとしてきた人から研究してきた資料を全部、オクジ主人公たちがもらうっていう場面があるんですよね。
で、天動説を何十年もやってきたペアストハクからすると、地動説って全く逆の考え方を完成させようとしているオクジバデニたちっていうのは、ある意味敵というか絶対に肯定したくない相手なはずなんですけれども、
最後にそれを手放して、もう君たちに渡すっていう、非常にこれもですね、感動的な場面があるんですけれども、その場面でですね、オクジがその後にですね、振り返るような形で語ったセリフがありまして、
彼はですね、序盤から前の主人公も含めて、自分たちに渡ってきた地動説についてのいろんな研究が収まった石箱について、それをですね、受け取った時の話も含めてオクジが話してるんですけれども、ここからちょっと読みますね。
あの石箱に関わった二人とも、自分以外に託すって姿勢に希望を見出していた。
田中健士郎
俺はずっとそれが不思議だった。託すとか任せるとか、一見聞こえはいいですけど、実際他人が自分の思い通りに受け継いでくれるなんてわからない。
田中健士郎
それどころか反論される可能性もあるわけで、だから託すなんて不安でとても希望とは思えない。
田中健士郎
でも、実はむしろ反論や訂正をされることが託すことの本質というか、自分の思い通りにいかない誤解とか事故とか予想外の存在とか、
田中健士郎
それこそ京都にとっての異端者が、天道説にとっての地道説が、そういう他者が引き起こすもつれみたいなものが現状を前に向かわせる希望なのかもしれない。
難しいですよね。でもこれめちゃくちゃ本質だと思うんですよね。これ解説するとですね、
託すって聞こえはもちろんいい言葉だと思うんですけれども、実際その託す相手が自分が思ってた通り受け継いでくれるなんてわからないわけですよ。
自分が大切に研究してきた、例えば天道説の考え方をですね、
もう君に資料全部あげるよって言って、で任せた相手が地道説を持ってるわけですよ。もう全く自分の思想と違う人に託せますか?みたいなことですよね。
いや、なかなか難しいじゃないですか。でもこれって仕事とかでもめっちゃ起こりますよね。
自分の思いが強ければ強いほど託すとか任せるときに自分が思っているのと違うように解釈されて進んでしまうことが怖いじゃないですか。
でもそうやって違うように進んでいったり反論されたり訂正されちゃうことが託すことの本質なんじゃないかっていう。
そうやってある意味反対のものとかと混ざり合ってもつれたりすれたりすることがものを前に進ませるっていうことなんじゃないかっていう。
これめっちゃ考えさせられますよね。 託すとかで言うと後継ぎなんかももしかしたらそうじゃないですかね。
自分が一生懸命何十年も経営してきた会社を例えば息子とかあるいは全く違う方、あるいは何でしょうね、場合によってはこうM&Aで渡していくみたいなことがあると思うんですけれども、いろんな会社さんで。
やっぱりその託された相手が自分が思ってたようにやるとは限らないわけじゃないですか。
ある程度は継承してくれてもやっぱり人間違うので、自分がやってたのと同じ方向にはいかないですよね。
でもそれを信じて託すことが本質なんじゃないかっていう。
いやむしろそこで、いやダメだ、もうこいつは全く信用ならんと言って渡さないぞとか、いやそうじゃなくてこうやるんだよってコントロールしたりとかする方が現状を後退させてしまったり、歴史を前に進められなかったりするんじゃないかってことですよね。
つまり、いやーこれめちゃくちゃ深い話だなぁと思ってですね、こういうこう、これ主人公の奥地がサラッと言うんですよ。
信念と迷いの関係
田中健士郎
僕よりもだいぶ早い感じで、一瞬わーってなるんだけどなんか今めっちゃ大事なこと言ってた気がするって言って、後から何回も聞くみたいな、そんな感じなんですよね。
じゃあもう一個ですね、強要的な面白さを表す場面を紹介したいと思うんですけれども、僕の非常にこの地位の中で好きな言葉があるんですよね。
これはですね、きっと迷いの中に倫理があるっていう言葉ですね。これも最近よく使ってます、何なら。
中盤に出てくるですね、ヨレンタさんという女性の方がいらっしゃるんですね。すごく白色で、地動説の考え方をすぐに理解して、これはこの感動は次に伝えていかなきゃいけないというふうに思った、ある意味主人公にも近いような重要な登場人物なんですけれども、
彼女がですね、大人になった時に、一旦解放宣戦っていう非常に大きな教会の政党派、今まで教会を仕切ってきた人たちに、ある意味反骨していくような組織のトップとしていろんな活動をしている時にですね、
次の3人目の主人公でもあるデュラカに話した場面なんですよね。この迷いの中に倫理があるっていう、この言葉もですね、この作品の大きなテーマなのかなというふうに思います。
まずですね、このデュラカっていう3人目の主人公の信念っていうのは、お金を稼ぐことなんですよね。非常にですね、現代の資本主義を感じさせるような思考思想を持っていて、中性的な考えからアップデートしていかないといけない、そしてお金を稼ぐことこそが一番大切なんだっていう強い信念を持った主人公なんですね。
そんな主人公が、ヨレンタさんにとっては、この場面において、地動説を託す重要な相手として認識したんですよね。なんですけれども、デュラカは正直、地動説とかその感動とかは、最初はどうでもいいと思ってたわけですよね。
でも、ヨレンタとしては、このデュラカっていう女性、彼女しか今、この地動説を次に引き継げる人はいないっていう状況なわけですよ。なので、ある意味託したい相手が自分と割と違う思想を持っているっていう、さっきのオークジーの時のね、アクストアって話ともちょっと重なってくるところなんですけども、そこでの場面ですね。
で、ヨレンタさんっていう、地動説を次につなげようとしている方が言うところで、まずですね、デュラカがこう言うんですよね。稼ぐことは私の信念だからです。で、それに対してヨレンタさんは、なら重要だなと。でも、時々信念なんて忘れさせる何かに出会ったりする、その感情も大切にすべきっていうことを言うんですよね。
はい。で、信念はすぐに呪いに化ける。それは私の強さであって限界でもある。で、デュラカは言います。でも信念を忘れたら人は迷う。それに対してヨレンタさんは、そう、迷っていいの。迷って、きっと迷いの中に倫理がある。はい、こういうふうに言うんですよね。
つまり、信念っていうものを強く持つ中で、その信念を忘れてしまうような感動に出会うこともあると。で、そんな信念を忘れるような感動とか心の動きに惑わされちゃいけないんだっていうふうに、デュラカは思っているんですけれども、ヨレンタさんはそれに対して、いやいや、むしろ迷っていいんだよ。
自分の信念と思っていることすら、覆すような感動って世の中にあるから、そういうのも含めて迷っていい。迷った中に、きっと本質とか倫理とかそういったものが見つかるんじゃない?みたいなことを言ってたんですよね。はい。
で、最終的にですね、その信念なんて忘れ捨てる何かに出会うっていうことを、デュラカは迎えてですね、ある意味そのお金を稼ぐっていう自分の信念よりも、最終的にはこの地動説を次に繋いでいくっていう、その感動をバトンとして渡していくことを最終的には選んでいくっていう話になるんですよね。
はい。この辺もですね、いろいろ考えさせられますよね。なんかやっぱり自分の信じているもの、信念みたいなものを持ったら、それに疑ってはいけないっていう、なんか強くその信念を貫かなきゃいけないって割と思いがちじゃないですか。
田中健士郎
でも、その信念が人を呪ってしまうこともあるっていう。だからこそ、さっきの託すみたいな話とまた繋がるんですけれども、自分と違う考えとか反論とかもちょっと受け入れて、本当に自分の信念って正しいのかなって少し疑念を持つっていうことも、
田中健士郎
何かを前に進めるには大切なことっていうところですね。で、この話ですね、まださらに続きがあったと思っていて、4人目の主人公、アルベルト。これはですね、ポーランドで実在した方らしいんですけれども、アルベルトに最終的にはバトンが渡っていくんですけれども、このアルベルトがですね、2人の知り合いの方から影響を受けるんですよね。
1人は父親で、地道説に関する重要な書類を持っていた人だったらしいんですけれども、それを隠し持って誰にも共有をしないっていう強い姿勢を持っていたんですね。
これなぜかっていうと、こういった地道説みたいな考え方は、確かに面白いけれども世の中の役に立たないから、きっと誰にもシェアしない方がいいんじゃないかって多分思ったみたいなんですよね。つまり、こういう地道説っていうものに疑念を持って、それを誰にも見せないようにしてたわけですね。疑ってかかっていたわけですよね。
一方でもう一人重要な人物が、このアルベルトの家庭教師をやっていたマラハウっていう方なんですけど、その方はむしろ地道説をめちゃくちゃ信仰している人で、その地道説を完成させて広げていくっていう、ある意味ここまでの主人公がやってきた流れを組んでいる方なんですよね。
信念と疑念の探求
田中健士郎
で、お父さんはその書物をですね、大事な情報を隠そうとしていた、そのお父さんを殺しちゃうんですよね、ラファウさんは。こうやって、でも結局ラファウも人を殺してしまったことで、逮捕されちゃうのかな。
そんな感じでですね、そんな二人を見た、二人の関係者、父親と家庭教師、二人を失ったアルベルトは考えたんですよね。そこで言っていた言葉が非常に印象的でした。
田中健士郎
あなた方のやり方では美しさに到達できなかった。この世のすべてを知るために何を捧げればいいかなんてわからない。けど、悲徳も排除も有効じゃなかったってことは確かだ。僕らは足りない。だから補い合える。そうじゃなきゃこの世界には挑めない。人間は社会的な動物だ。
田中健士郎
先生、僕もたうま善意を感じます。それを肯定し続けます。あなたとは違ったやり方で。疑いながら進んで、信じながら戻って、美しさにきらめきに迫り詰めてみせます。という風に言っています。
ここで大事なポイントというのが、お父さんは悲徳ですよね。隠して、疑いすぎてすべてを隠してしまった。家庭教師のラファーはむしろそういった隠すような姿勢を良くないと信念に反しているということで排除する。殺してしまう。
こうやって疑いすぎることもダメだし、信じすぎて排除するのもダメ。なのでその両方を迷いの中進んでいくってことなんですよね。疑いながら進みつつ、信じながらも戻っていく。
そうすることによって真理、本当に正しいことに迫ってみせますという風な言葉なんですよね。このアルベルトは最終的に学者になってですね、その教え子にコペルニクスを持って、そのコペルニクスが地道説を提唱していく。これは歴史の史実に入っていくんですけれども。
そういったところですね。この二人の疑念と信念、強く信じることとそれを疑うという信念と疑念、これをどっちかに振り切らずその中を迷い、ゆらゆらしていくことが最終的に真理に繋がるみたいな。
これはちょっと弁償法的な、弁償法もどっかの働き方ラジオで説明したと思うんですけれども、螺旋状にですね、こうやってこうゆらゆらしながら先に進んでいくって話ですよね。
これはですね、面白いなと思いました。つまりそのヨレンタさんの女性の話と最後の4番目の主人公のアルベルト、この二人から共通して出てくるところは、信念と疑念の中で迷いの中に倫理があるということ。迷っていいんだよと。
やっぱりこういろんな活動とか運動とか、なんかね、こうやっていくことありますけれども、やっぱり自分が信じていることってすごい大事だと思うんですけれども、やっぱりそれと反対の意見の人っていうのも出てきますよね。
そういった人を排除したりせずに耳を傾けてみる。でも耳を傾けるとそっちに引き込まれそうになって迷うじゃないですか。迷っていいんだっていうね。これは結構勇気になりますよね。迷ってもいいんだって思えることって結構強い力になると思います。
特に新しい価値観とか新しい概念を世の中に作ろうとしている方っていっぱいいると思うんですけれども、そういう人にとってのすごく指針になる言葉なんじゃないかなと思いました。
っていう感じで、どうですか。深いですよね、めちゃくちゃ。なので前半のエンタメ的な面白さに加えて、こういう教養としての学びっていうのも深いからこそ何度も見たくなっていくっていう、そんな物語、ストーリーになっているのかなというふうに思います。
あとはですね、ちょっと番外編的な話で言うと、文字っていうものについてもすごく考えさせられるんですね。中盤に出てくる重要キャラクターの女性ですね。ヨレンタさん。彼女はですね、さっきのきっと迷いの中に倫理があるっていうのも超名言なんですけれども。
もう一つですね、幼少期に言っている名言がありまして、これがですね、文字はまるで奇跡ですよ。この言葉なんですよね。僕もライターゼミとかですね、ライターさんといろいろとお仕事をする中で文字っていうものに触れたり、文字をお仕事にしている人とたくさん接点があるんですけれども、文字は奇跡だと言っていることを聞いてですね、
田中健士郎
改めて文字とか書くっていうことの尊さを感じましたね。さらにこれヨレンタさんのその底に続く言葉なんですけれども、これも読んでみますね。文字はまるで奇跡ですよ。あれが使えると場所と時間を超越できる。
200年前の情報に涙が流れることも、1000年前の噂話で笑うこともある。そんなの信じられますか?私たちの人生はどうしようもなくこの時代に閉じ込められている。だけど文字を読むときだけは、かつていた偉人たちが私たちに向かって口を開いてくれる。
田中健士郎
その一瞬、この時代から抜け出せる。文字になった思考はこの世に残って未来の誰かを動かすことだってある。そんなのまるで奇跡じゃないですか。はい、いやーこれ結構ぞくぞくしたんですよね、僕。
田中健士郎
要はその当時って文字が読めない人にとっては、その時代、その地域で触れた情報の中で生きるしかなかったんですよ。私たちの人生はどうしようもなくこの時代に閉じ込められている。
でも文字が読めると、200年前の情報で涙を流したり、1000年前の噂話で笑うこともできたり、いろんな学びとかいろんな経験を自分のしてないことを知ることができる。かつていた偉人たちが私たちに教えてくれるって言うんですよ。
田中健士郎
だからヨレンタさんは文字があれば今生きているこの時代、あるいはこの地域から抜け出せる。だから奇跡なんだって言ってるんですよ。もうそうかーって感じじゃないですか。
当たり前に世の中に文字があふれているとこういうことを考えることもないですけれども、この中世のヨーロッパにおいては文字ってそれだけ尊いものだったんだと。
だからみんながみんな文字を読み書きできなかった時代から読み書きできる時代になったっていうのはすごい大きな変化だし、人を自由にする強い出来事だったわけですよね。
伝えたい感動
田中健士郎
でも技術ってそうですよね。今もインターネットっていう技術ができたから、その時代を超えたり地域を超えたりっていうのがもっと容易になったわけですよね。
田中健士郎
AIによってそれがまたさらにできることが増えたわけですよね。僕も日々使ってますけれども。やっぱりそういったどんどん人が自由になるためのテクノロジーっていうのがどんどんアップデートされているっていうのが人間だし、
田中健士郎
それこそその厳選にあるのが知であるっていうね。知識の知、知性の知ですよね。っていうところは改めてすごいなと思いました。一方でですね、文字に関して聖職者のバデーニ、頭の切れるイケメン修道士のバデーニは同じ文字についてこんなことも言ってるんですよ。
文字を残すというのは重い行為だ。一定の資質と最低限の教養を要求される。誰もが簡単に文字を扱えたらゴミのような情報であふれかえってしまう。そんな世の中、目も当てられん。
ヨレンタさんが同じ時代に文字はまるで奇跡ですよって言った裏でですね、バデーニさんは文字がみんなが使えるようになったらゴミのような情報があふれかえって目も当てられない世の中になるよと言ってると。
はい、これもわかりますかね。これ多分作者の大人さんは現代の方なんでね、おそらく今のSNSの状況とかを含めてあえてちょっと皮肉的にこういったことも書いたのかなと思ったんですけれども、
そんな中世の時代には奇跡のようだった文字がある意味今はあまりにも軽く行われていてゴミのような情報であふれかえっていると。ちょっとネガティブですけれども、うっとなりますよね。
田中健士郎
で、やっぱりバデーニが言ってる文字を残すというのは重い行為だということですね。やっぱり僕もライターではないですけどこうやって音声である意味言葉を残していくというところもありますし、やっぱりライターの仲間も多いので、それだけですね、やっぱり文字を残すということは重いことだし、
田中健士郎
その分尊い、奇跡のようなもの、この言葉、文字っていうものが何十年も何百年も残ることがあるかもしれないし、だからこそ軽く書いていいものではないってね。別にそんなに、そんなこと言われたら書けなくなっちゃいますけれども、
でも、このアニメからはその文字っていうものを大切にするっていう考え方がすごく伝わってきてですね、これもいいメッセージだなと思いました。ちょっと法則的な感じなんですけど、そんなことを考えました。
ということで、以上でアニメ地球の運動について解説をしていきました。いかがでしたでしょうか。皆さんちょっと見たくなりましたかというか、結構ネタバレしちゃっているので、後半の哲学部分とか見てない人にはちょっとわかりづらい話だったと思うので、
ぜひですね、もう1回この考察を聞いた上でですね、地を見ていただくと、あるいは漫画を読んでいただくとですね、より理解が深まって楽しめるんじゃないかなというふうに思います。
で、まあこのね、作者の話、ちょっと今出たんですけれども、ちょっと言うの忘れてた。この作者の魚太さんですよ。何歳だと思いますか。はい。確かですね、今26歳、7歳。そんな感じなんですよ。
これですね、この地っていうアニメは2022年に手塚治文化賞、漫画大賞というのを受賞しているんですけれども、その受賞当時、魚太さん24歳ですよ。史上最年少の受賞者だったそうです。
はい。なんかとんでもない天才出てきてますよね、知らないうちに。はい。もう僕は気になってですね、この魚太さんの作品他も面白いものあるみたいなので、どんどん見ていきたいなというふうに思いました。
はい。皆さんどうでしたか。ぜひ最後にですね、皆さんにもちょっと考えていただきたいなと思うんですよね。はい。まず一つ目、ちょっと皆さんに聞いてみたいこと。もしあなたが当時の時代に生きてたら、どう行動していましたか。
はい。周囲の常識に反してでも、新しい真理を追求する勇気、自分にはありますか。難しいですね、これはね。もう命、晴れるかなって言われると、まあわからないですよね。
でも、そうだな、僕だったらやっぱりこの感動を伝えたいっていう気持ちは持つかもしれないですね。それをするために、まず仲間が必要だから仲間を集めようっていうふうに思うかもしれないですね。
そこで誰かにバトンを渡す時が来たら、自分はどう行動するか、まあそんなことを考えさせられますね。はい。まあね、もしかしたらビビっちゃって、ちょっと拷問はきついので、静かにしてるかもしれないですね、本だけ読みながら。はい。わからないです。
あともう一つ、皆さんに聞いてみたいこと。あなたは誰かに伝えたい感動はありますか。感動を最近しましたか。そう言われるとなかなか難しいですよね。
まあ、地道説を知った人が感動して、その感動を誰かに伝えたい、次につなげたい、託したい、そう思ったように自分が誰かに感動を伝えたいと思ったことはあるか。これもね、非常に考えるきっかけになるなと思いました。
はい。働き方ラジオの話に重ねて言うと、やっぱり僕はこの自己表現っていう言葉をすごく大切にしています。働き方ラジオのコンセプトは、誰もが自己表現をするように情熱を持って働く、そんな世界を目指したいと、まあそういったことをずっと言い続けてるんですけど、
自己表現の重要性
田中健士郎
やっぱり自己表現ができた瞬間って、すごくその人らしさとかその人の個性が出て、それが誰かにちょっとでも喜んでもらえたらめっちゃくちゃ嬉しいんですよね。自分自身ができたときもすごく嬉しいし、それが誰かが表現をして誰かが喜んでくれたのを見てるのもすごく嬉しいんですよね。
はい。最近、ライゼミっていうコミュニティでもですね、きっかけはちょっとこうイベントやってみたらどうですかっていうね、ちょっと声かけをしたのはあったんですけど、そこからはもうやるかどうか本人が決めるだろうなと思って、特に後を置いてるんですかね、こうやってねとかって言わなかったんですけれども、
結局ですね、自分でイベントを企画して、最後多くの人を巻き込んで、本当に感動する場作りをできたっていう話があって、それについてノートで書いてくれて、本当にこの瞬間が迎えられてよかった、自分の内側から出てくる欲望が表出したような瞬間に感じたって書いてくれて、
あ、まさにそれ自己表現じゃんって思って、すごい良いなと思ったんですよね。はい。で、やっぱりその、なんかこういう感動はやっぱり伝えていきたいし、自己表現ってやっぱり、いやいや、そんな自己表現って言っても、それは遊びだけでしょとかね、やることやってからいいなよ、自己表現とかね、やっぱりなんかそういう、まず成果がファーストでしょとかね、
あると思うし、まあそれも間違いじゃないし、僕もそう言われて迷い、迷うことたくさんあるんですけれども、それでも、やっぱりその瞬間の感動っていうのは最初にしたいから、自己表現ファーストでいいんじゃないっていうことを、やっぱりこれからも言い続けたいなと。
田中健士郎
なんかそれはなぜかっていうと多分感動なんでしょうね。はい、そうやって自己表現をして、なんかこうキラキラ輝いていく人を見るのが好きだし、自分もそうありたいし、そういう仲間を増やしていきたいっていう、まあそう言ったら本当にエゴかもしれないですけれども、まあそういった感動を伝えていくっていうことをある意味信念にして、
田中健士郎
でもその信念に疑いを持ちながらゆらゆら仲間を集めて、時に誰かにバトンを渡しながら前に進んでいくっていうことをできたらいいなっていうのを、僕はですね、この地っていうアニメを通じてなんか考えることができました。
はい、皆さんはね、またそれぞれ違うところにまた共感するポイントがあるかもしれないですし、いろんな気づきがあるかもしれません。ぜひですね、地を見た方は一緒に語り合いたいなと思うので、またぜひ声をかけていただければと思います。
田中健士郎
はい、ということで今日はですね、アニメ地、地球の運動についての解説会ということで、テーマとしてはなぜ僕たちは地に心を動かされるのかについて話しました。はい、ではまた来週お会いしましょう。さようなら。
今回もお聞きいただきありがとうございました。ちなみにこの番組は読むポッドキャスト働き方ラジオとしてノートでのテキスト発信も行っております。ポッドキャストと合わせてぜひフォローをお願いします。番組への感想はハッシュタグ働き方ラジオで投稿いただけると嬉しいです。
またコミュニティ運営、音声配信、その他PR、パブリックリレーションズなどのテーマでセッションクルーと壁打ちがしたい方はお気軽に私、田中健次郎か準レギュラーりさにご連絡ください。カジュアルにセッションしましょう。
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