廣瀬智央のアート観
働き方ラジオ始まります。株式会社セッションクルー代表、働き方エヴァンジェリストの田中健士郎です。このラジオは、誰もが自己表現をするように、情熱を持って働く、そんな世界を目指す、仲間づくりをしていくポッドキャスト番組になります。
みなさん、自己表現していますか?そういう意味で言うと、広瀬さんも結構日本でやるプロジェクトとかも結構増えてきてたりとかするんですか。そうですね。なんかね、2020年に日本でちょっと大きな展覧会をやったんですね。初めて。
それまでギャラリーとか、あとはグループ展とかがあったんですけど、個展で結構大きいお金で動かしてやった展覧会が評判が良くて、それからなんかオファーがね、いろいろ来るようになりましたね。そうなんですね。
まあでもちょっとこう、なかなか難しいんですよね、今は。僕はやっぱり物とか結構大きいものって輸送費がすごいかかるんで、そうするとビデオアートとかってほら、USBを送るだけでいいから、輸送費かかんないわけですよね。だからビデオアートとかはやっぱり今ずっと人気があったりとかね、してますけどね。
なんか広瀬さんが手がけられてるもので特徴的なものとか、ちょっと視聴者の方がイメージできるものとか。
えーとね、僕はだから純粋にペインティングとかスカラプチャー、彫刻とかに特化してなくて、割と最初にコンセプトがあって、それからマテリアルを選んでいくタイプなんですね。
だから一見すると分かりにくいんですよ。例えば、この絵って言ったらあ、これはピカソだとか、この作品って言ったらアイコンがないんで。で、みんなアイコン作るんだけど、やっぱりヒットするにアイコン作るのが一番楽なんですけど、マーケティング的にはね。
でもそういうところじゃない形で、僕の場合は割と読み込んでいく部分で、根底は共通してるんだけど、見るものは違うみたいな形で、そういう特徴、特徴というか見た目はそんな感じなんですね。で、あとは割と生物とか食材とかを使うのは特徴ですね。
あと見るだけではなくて匂いとかね。匂いとか。あとは中には政治的な問題で割とそういうのを告発するような作品とかそこに問いを立てて、そういう作家もいらっしゃいますよね。
例えばアイウェイウェイとか中国の森美術館である作家とかそういう作家もいるけど、僕はそこまでポリティカルじゃなくてもうちょっと日常的な、本当に身近な中にダイヤモンドがあるみたいな、探せば。
だからその見方があればゴミが錬金術みたいに金になる可能性があるっていう考え方で、何気ない中に幸せがあるとか何気ない中に宝物があるっていうのを見つける、そういう作業をずっとしてきたんですよね。
あれですよね。代表作の一つでレモンプロジェクトという。
これはですね。今では割と匂いをいっぱい使っている作品がいっぱいいますけど、30年前にこれを発表していてあんまりいなかったんですよね。
で、アートヒストリーの中でその儚いものとか形にならないものっていうのはどうしてもアートになれなかったんですね。
そういう考え方はやっぱり永遠にものが残っていかないといけないので、そうすると日本的な儚さとかっていう理学っていうのはなかなかなかったわけですね。
それより日本はそういう特徴はあるんですけども、そういうのもあって自分の中で歴史に残っていくにはなるべく人がやっていかないものを提案していかないと残んないんですよね。
だから似たような作家っていっぱい出てくるじゃないですか。例えばカラバッチョとかカラバッジョハとかいっぱいいたわけですよね。300人ぐらい。
でも歴史に残るには1人だけなんですね。で、そういうことも含めてなんかこう、何だろうな、ちょっとは美術史を意識して作品を作っているという感じですかね。
で、その中でやっぱりそういうのがなかったのがレモン。たまたまレモンと出会い。で、イタリアっていうのは食が、やっぱりアイデンティティーが豊かなんですね。美味しいものがいっぱいあって。
そこでレモンっていうのは市場行ったら山のように売ってるわけですよ。こういう光景も見たこともないし、ソ連と半島とかでちょっと旅をしたらですね、街がちょっとレモンで匂ってるみたいな。
これは素晴らしい経験。この経験を自分のなんかアイデンティティー活かしたいみたいな形で作品にしたいと思って。それですごく単純な行為なんですけども、床にレモンを一番最初並べたんですよ。
そこで実際に匂う作品とかいっぱい。千個とか出会えるけど、日本でレモンを一番見るってないんですね。その時の驚きとあと入った時の匂いの感じ。
でもね、そこにはね、もうちょっといろいろ複雑なものを組ませてるんですね。コンセプト的に。わざとレモンオイルをちょっと撒いてるんです。
で、それはね、ちょっとどういうことかというと、このレモンって匂いってレモンから来てるってみんな思うわけじゃないですか。でも実は吹きかけてるっていう、そういう裏の世界があって。
やっぱり我々の世界ってやっぱり単純じゃないので、そういうメタファーになってたり。
あとは数の概念っていうのが曖昧で、人間がいかにパッと先見て、これって千個ぐらいですかっていう人もいるし、十万個ですかっていう人もいるし、やっぱりある程度言っちゃって本当に曖昧なんですよ。
だからそれだけいかに我々は曖昧な中で生きてるのかっていうのは思ったりとかね。
あとは変化していくという時間というのはなかなか視覚で感じることができないので、そのレモンという腐敗していくことによって時間を感じるとか、なんかいろいろそういう裏にコンセプトを詰めてあるんですね。
で、そこはやっぱ大事になって、さっきの話に戻りますけど、ただ並べるってことは感覚的にはできるんだけど、そこに意味がいっぱいあると。
で、その意味がいっぱいあればあるほど面白いですよね。っていうのは、僕がアート作品を言うときにジャッジメントするのはそういうところなんですね。
面白いなと思う作品は単純じゃないんですね。見た目は単純なの。だからいろいろ問いを出してるから、あ、なるほど、いろいろ想像できちゃうんですね。そこが面白いところなんで。
だから僕も作品はいつも、例えばいろいろ自分の疑問点とか謎とかを50個詰めたりするじゃないですか。20個大体。
でもそれは例えばすごいいろんな観賞者のレベル、例えば1段階の人とか10段階の人ってあると思うんですよ。
例えば色しか綺麗と思わない人もいるし、すごい深読みする人もいるわけですね。僕以上に。で、その人に全員響くようなものを仕込んどくとやっぱり面白くなってくるっていう形ですかね。
だからそんなことがあっていろんな衝撃があったと思いますね。それは。だから今までその光景も見たこともないし、匂いを実際嗅いでこんだけ見るだけじゃない。
人間の持っている身体勢の豊かさを感じた人もいるしとか。面白い話があって、あと毎日来る人がいたんですよ。
レモンプロジェクトの特徴
銀座でやって。レモンが敷き詰められてる。
でも同じ時間に来るんですね。それはサラリーマンの人だったんですけど、受付の子が、ひろしさんちょっとあの人毎日来てるんですけど、ちょっといつとかかなみたいな。
なんかそういう話をして、ちょっと聞いてみましょうかって言ったら、いやいや、よく毎回いらっしゃるそうでありがとうございますって言って、
なんで知ってんの?とか言われて、幼児をこうツッツって。
いや、実は私ね、このホーフウェスは近くで、ご飯食べてまずなんかルノワールで最後コーヒー飲んで、最後の5分はここ立ち寄ることにしてるんです。会議で。
そうだったらね、なんでですかって聞いたら、いやここリラックスするんだよね。やっぱりレモンの香りってリラックスするアロマなんですよね、とかね。
それで受付の女の子に言ったら、よかったとか言って。でね、普通展覧会って1回しか来ないんですよ。
そうですよね。
だからそういう意味で、この変化がどうなるかってすごい興味があるっていう。だから何回か来る人多かったですね。
作品名にプロジェクトって入ってるなんて、やっぱりそういう変化とか。
そうですね。なんかね、一つのものとして見せないで、すべての段階で。
当時プロジェクトっていう、今は割と気軽だけど、あんまり見慣れないタイプですね。
しかもゼロサンって言うんですよ、プロジェクトゼロサン。そうすると、じゃあこれは1000回目なんですかとか、4回目があるんですかって言うんだけど、
そうじゃなくて、1回の名前がゼロサンで、永遠にゼロサンなんですよ。やっぱりね、奇数っていうのは割り切れなくて面白いですね。
そこにそういう意味が込められたりとか、いろいろ意味があるんです。
でも最終的にはそれを全部1回消さないとダメなんですよ。そういう作業を1回全部プラスをしていって、今度はマイナスの作業をしていく。
そうするとね、いい形に仕上がっていく作品。要するに見えすぎないっていうか、見せすぎないっていうか。
なるほどなるほど。とにかくいろんな意味を問うて考えているんだけど、表現するタイミングで1回それを引き算して、
シンプルにこうしつつ、その裏の見えないところに意味が隠れているぐらいのものにしていくみたいな。
そうじゃないとつまんなくなっちゃうんですよね。見えすぎ、説明しすぎちゃうから。
イタリアのアートと生活
確かに。いろんなところに説明書きがあって、これはこういうのでっていうのではなく。
だからそれを勘付いてもらうための装置であるので、そういう意味でプロジェクトでもあるんですけどね。
プロジェクトって日本のいわゆるサラリーマンの仕事っていうのも、どんどんプロジェクト味方になっていきますよねってよく言われる伝説なんですよ。
やっぱりそれってある種の変化とかに対応できる、対応すべきみたいな文脈も含んでいて、そういう未来がよく言われるんで。
なんかそんな感じにもつながりますね。
そうですね。だから似たような感じだとは思いますけどね。
だからベルガンティの意味のインベノエーションもまさにアート思考が変わってきてるんだし、
あとやっぱり物のデザインから事のデザインに変化していくってことで、そこに意味付けをすることを彼はすごい主張してるんで。
だからすごくアートっぽいんですけど、だからそういう意味ではやっぱり今デザインがそういう形になってるっていうのはよくわかる気がします。
だから無理やり繋げると働く意味が変わってきて、セクト型になって、
けんしろさんが言うような、自己表現になったらそれってアートだよねみたいな繋がりにはなりそう。
確かに。
農業はアートなのか、全部はアートだと思うんですよね。
そうですね。
確かに。
何でしょう、だからあんまり生活すべ…。
あとイタリアにいてすごく感じたのは生活すべてがアートなんですよ。
だからアートっていうのが作品っていうことだけじゃなくて、生きるすべてがアートっていうことなんですよ、自体がアートになってますよね。
だからなんかね、普通の人とかもそういうことで自分の意見をちゃんと言える?
なんか生きてる中でもね。わかんないって言わないんですよ、みんな。
まあわかんないって道聞かれたらわかんないっていう、それでもインチキで教えちゃう人がいるのがイタリアなんですけど。
だからもう一回聞くと今度反対のを示したりとか。
教育と個性の重要性
それじゃわかんないって言ってほしいと思うんだけど、何でも自分で言っちゃう。
そのくらいちょっとやる気持ちもそうです。
そうですね。
でもなんかね、それはね、僕思ったのはうちの息子はね、
学校教育を受けてて、その同じ答えを出すと点数低いんですよ。
で、それは教科書で言ってるでしょ?じゃあなたはどういう考え方の?っていうところが評価の対象になるわけですね。
日本はとりあえずそのみんなと同じ答えができるようになればいいっていうのがあって、そこが大きな違いではありますよね。
やっぱり教育家資格とかね。
あと僕は大学、こっちの大学行った時に結局言葉もできないんで、すごい不利なわけですよね。
だから逆に自分でやってきたことを試験で、オーラル試験、オラーレって言うんですけど、口頭試験なんですよね。
だからいくらでも説明によってはテーブルをひっくり返せる。
そうするとその時にやっぱり負をマイナスをプラスにしていく方法として、やっぱり人がやってないことを僕は知ってるわけじゃないですか、日本人だから。
だからそれを美術に絡めて勉強してきたことを説明すると、言葉はできないしちょっと難しいけどその視点が面白いって評価してくれてしまう。
それで助かったのもあったんですよ。もし試験だったら難しかったかもしれないですね。
自分なりの意見とか、それこそ意味みたいなものを常に問うて持っていることが学校でも評価されるし、
それがもう生きていく上で常に私がどうなのっていうのを問い続ける。
今日何食べるとかもってことですよね。
とにかく今日食べた昼飯の時に夜の今日何食べるかみたいな、そのぐらい食べることに関しては好奇心がある。
確かにね。やっぱり日本で気軽にコンビニでいいやとか、一番安いやつにしようとかなりがちですけども、
一歩ちょっと立ち止まって、今日は自分は何を食べるとハッピーなんだっけとか考えていくことがアート的な生き方につながるかもしれないですね。
まあでもそれが強すぎるとマイナス面もあって、例えば責任問題とかってなすり合うんですよ。
日本で例えばね、僕たちが今5人で話してて、真ん中の物が割れたとするじゃないですか。ガシャーンとか言って、誰かが同時に動いたとしてね。
日本だったら、あ、ごめん、俺がちょっとこう足やっちゃったからかなとかさ、そういう感じになるじゃないですか。
でも俺もこれやってみんなでこう。
まあいいかみたいな、その辺のうまく空間を読むみたいなのがあるんですよ。
リューンってするんじゃなくて、全員まず一歩下がるんですよ、同時にダーンって。
僕じゃない、僕じゃないって。それは面白いですよ。
なるほど。
あとね、大学の書類とか出したらないとか言うわけ。おかしいよそれはって言うんだけど、
いやしょうがないねこれ、書類が勝手に動いちゃったんだからとか言って言い逃れするとかね。
もうそういう天才的な言い逃れの悪い方向に行くとそういう風になりますけどね。
まあでもイタリア的にはそれはフルボって言って納得させられちゃうんですよ。
フルボなんですね、それ。
なるほど。
うまくやってると。
うまくやってきたね。
安易にごめんとかって謝らない方がいいってリサに言われました。
それはありますね。
まだね、イタリアとかアメリカとか行っちゃったらやばいですよね。
確かに確かに。ありがとうございます。
いろいろと作品の話も含めてアートの考え方がだいぶいろいろ見えてきたんですけど、
テリトリオの考え方
今日ちょっともう一個話したいテーマがありまして、これがですね、テリトリオっていう概念で、
これから日本の地域を盛り上げていくためのすごい重要なキーワードなんじゃないかっていうところで、
ミヤさんがめっちゃくちゃ今注目してるキーワードで、
ちょっとミヤさん的なこの考え方、テリトリオとはみたいなところで、どういうふうに捉えられてますか。
僕が普通に本を読んで、イタリアのテリトリオという本を読んで、
素晴らしい考え方だなと思ったっていうのがまず第一なんですけども、
もう一つはやっぱり日本に適応し得るものだけれども、根源的に日本人はこういうの苦手な部分みたいなのも差もあって、
それを考えると、日本をより良くするためにすごいヒントになるなと。
自分と西洋の考え方の違いとかいうところにもつながるかなと思ったっていうのは一つですね。
テリトリオっていう考え方自体はもう本当に、
広瀬さん前にして僕が説明するのもあれなんで本当に簡単に言いますけども、
やっぱり食とかお酒とか、その土地の魅力っていうものをいかに際立たせるか、
あるいは自分のルーツとして誇りを持つかみたいな、一連の営み。
結果的にそれが産業になるみたいなことだなと。
これイタリア語なんですか、テリトリオ。
テリトリオはイタリア語。
フランスになるとこれあれなんですよね、テロワールになるんですけども。
テロワールってワイン用語でしかあんまなくて、
この土地でのテロワールだとこういう味のワインができるようなみたいな使い方するんですけども、
イタリアだとそれをもっと広げて、
食やその人らしさ、アイデンティティとかね、
昔はシエナ公国だったとかね、そういうとこにまでつなげるわけですよ。
そこのちょっと違いが面白いですね。
なるほど。
なんでしょう、日本語で直訳すると何になるんですか?
テリトリの発音なので、英語で言うね。
そのやっぱ地域とかエリアとか。
エリア、エリアとかそんな感じですよね。
ただそこが物理的な地理的なエリアって話じゃなくて、
そこにある食とか文化とか、あるいは産業みたいなものも含めたものとして捉えてるんで。
そうですね、イタリアだと自治体のことはコムーネって言うんですけども、
コムーネよりももうちょっと広い、トスカーナとか、
ああいう感じでテリトリを語られることが多いというのと、
もともとイタリアっていわゆる共和制の独立国みたいなのが連合して、
都市国家が連合して、しかもそれもわりと近世においてそうなった国なので、
日本にちょっと近いっていう意味で言うと、爆反体制の名残まだあるじゃないですか。
江戸時代の。
だから日本人だと思わずに山口賢人だと思うみたいな。
あるいは山陰地方とかね。
ああいう感じでの自分の生活圏とか文化圏とかという捉え方ですよね。
そういうのもあるんで、日本人がもっとそういう考え方を学べると、
ひとまず美味しいものが食べれるよね。嬉しいよね。
なんかこう、日本ってわりと最近のグローバル化みたいな流れの中で、
どんな場所でも同じようなものが食べれて便利で、特に東京には集まってるよねみたいな中で、
僕もわりと生きてきたんですけども、ちょっとむしろ逆というか、
地域ごとの美味しいものとか、そこにある文化とか人とかっていうことにもっと注目していこうみたいな感じなんですかね。
そうですね。やっぱり東京に確かにレストランもいっぱい集まって世界中の人が食べれますけれども、
新鮮なものを食べようと思ったらその土地で取れたじゃないですか。
そうですね。間違いないですね。
決まってるわけですね。
イタリアもわりと素材を生かした料理ですし、日本もそうじゃないですか。
考えると、東京にいっぱいどこでも美味しいよねみたいに言ってる場合じゃないっていう。
言ってる場合じゃないと。
その土地へ行って、土地の美味しいものを、新鮮なものを食べるっていうほうが本当の美味しさなんではないかみたいなことですかね。
これ、ひろしさん、イタリアではわりともう市民レベルでその感覚は持ってるんですか。
そうですね。すでにみなさんが言っていただいた都市効果っていうのもあるし、その土地のアイデンティティってみんな強いんですよね。
だからイタリア料理は存在しなくて、トスカの料理とかミラの料理とかしか言わないです。
言いますよね。
だから日本人はイタリア料理って言うんだけど、イタリアは他の国のレストランを探すのすごい大変で、特にフランス料理とかね。
移民がいまいっぱいいるので、中華とかベトナムとかタイ料理とかはできてるんですけど、日本料理もね。
でもみんな今日はトスカの料理かとか、今日はシチジャン料理か、そういう感じじゃないですか。
なのでそのローカルの基調はすごい強いっていう感じですよね。
だからそれがもうすでにあるので、そのテリトリウムっていう考え方は非常に普通に浸透してて、
で、日本にも近い、日本は本当はあるようで、ないようであるんだけどあるようでないっていう状況なんですよ。
まあそうですね。特にそう思います。
地域との関わり
まああれなんですよね。何がだから一番特徴づけてるかっていう、最大の特徴は何かというとやっぱり歴史だと思うんだよね。
地元のものに対する出来合いとかね。
それがテロワールとかテリトリっていうのは広い範囲だけしかないんだけど、
そのテリトリオとなると、歴史と食とか人の営みですね。生活していく。
それすべてがね、つながってるんです。面なんです。面。
面なんですね。
で、日本はまだ点なんです。あるようでない。
この特産品とか、なんかそういう一個一個の伝統文化がありますとかはあるけど。
マインでいいもの作ってる人もいるし、お酒を作ってる人もいるけど、農家もいる人もいるけど、それはもう全く俺だけ見ない。
で、イタリアは地域全体でそれが絡んでて、それを関わる人が移住者であるとか、
あと昔からの事務所の農家さんであるとか、あとは本当に興味持った若い人とか、
あと会社を退職してちょっと地域貢献してる人、それがみんなつながってるんですね。
だからすごい効果を発揮するわけですよね。
そうか。ある意味経済圏というか、ちゃんとお金も含めて。
一つ大事なのは、おいしいものをまず自分のところで食べるっていうのがイタリアの考え方です。
で、そこがさっき言った築地とか東京の論理と違いの、豊洲か今は。
おいしいものって送っちゃうじゃないですか、最初に。
だから東京だけが発展して地方が。
ところがね、イタリアはまずおいしいものを食べるために、中央がないわけ。
ロンドンとかパリとかみたいにね。
なのでまずは自分のところでおいしいものを食べるんで、そこの名物を食べるには旅行にしないといけないわけです。
そうすると交通費もかかる。
そうすると泊まりに行くための旅館が、お金がかかる。レストランも繁盛。
そうすると田舎が元気なんですよ。
いやー、いいな。
だから日本の東京が全部集中しちゃってるっていうことが、今目覚めてる都度あるとは思いますが、
それじゃないものが本当においしいものがあるんだよってことを知ったら、
文化と経済の関連性
やっぱりね、お金とか食べ物大好きな食いし物行くわけじゃないですか、わざわざ。
そこでまた経済が動いていくみたいな。
やっぱりこれはまさにね、文化を考えることなんですよ。
文化をもって経済を。
そうですね。だから絵とかね、彫刻とかっていうのは文化だけじゃなくてね、
そういうすべて一緒なのでしょうかね。
形成してきたものですよね。
だからそういう意味ではイタリアの特徴はそこなんですね。
だからテロワールにしろ、テリトリーにしろ、ちょっとその繋がりがなくてたらその範囲みたいな。
確かに。ちょっと違うんですね。
だからそれは歴史的な問題が来てるんですけども、やっぱりイタリアは歴史が長いんで、
いろんなちっちゃな国として戦って、いろいろ戦ってきた中で、
そういう地域っていうものに対しての協力体制みたいなのがベースにはあると思いますけどね。
で、それを後になって気づいたんだけど、
俺がここで生きていけるとか、この国が何故豊かだかと思ったらやっぱりそういうことなんですよ。
テリトリオって。
今そういう言葉にしてテリトリオっていう、いろいろ忍まってきてますけども。
それも本を読むと学べる部分なんですけれども、
歴史的に1950年代ぐらいはイタリアも工業化社会になったり、
ある意味日本と同じような。
地域が失敗したっていう状況があるんですよね。
そこでやっぱり歴史から捉え直す。
自分たちは何者で何を価値として考えてて、
何を幸せと考えているのかみたいなのが多分考えとして深まった結果、
地域とテリトリオっていうところが盛り上がってきた。
ある意味日本も同じ道を歩んでるんですよね。
アートと日常生活
同じタイミングで切り替えられなくなったとすると、
50年代、60年代の高度経済成長というか、
工業化一気にしたっていうところは一緒だったんだけど、
70年、80年あたりでちょっと変わってきてるんですよね。
いわゆるベッドタウンの公共団地みたいなのを作るお金を、
もっと都市を保存したり。
これチェントロストーリーって言いますけども。
ロストーリー保存のために使ったっていうふうにも言われてますし。
でもね、そこから何十年ってかかってここまで来てるんで、
そう簡単にはできないんですね。
だから今からやり始めた後30年後とか、
そんな感じですよ、きっと。
今世界からそれが価値を認められてるっていうことですね。
80年代とかにやってたことが。
そうですね。
そうやって歴史を遡って自分たちは何者だって考えられるのって、
やっぱり日本とのちょっと違いで言うと、
日本ってしなやかに受け入れるのが得意で、
イタリアとかヨーロッパってやっぱ攻めき合ってるじゃないですか。
そうですね。
なのでゲルマン民族が攻めてきたりとかね、
ゴシック教会がいっぱい立つとか。
そうやって攻めき合ってる概念に自分たちのルーツとか、
自分たちの幸せとかみたいなことにちゃんと目が行くけど、
日本の和洋説中ってどっちかっつーとボクシングで言うスウェーに近くて、
引いて守ってるみたいな感覚なんだろうなっていうのは、
ちょっとヨーロッパ行ってすごい感じたことがある。
なるほど。
あとしなやかさとか柔軟性ってすごくて、
700年に1回外国の文化を常に受け入れて、
それを十分に日本化していくじゃないですか。
そこがあれはすごいですよ、日本は。
海外の人はイタリアなんかがもうそんなのダメだ、やっぱり。
俺たちの海じゃない。
だから日本は日本のしなやかさっていうのは、
これから生きていく可能性の一つではあると思いますよ。
しなやかっていう意味で言うと、
やっぱりイタリアとの違いだと石の文化ではなくて木の文化なので、
伊勢神宮とかは何十年かに1回戦って、
後にずっと伊勢神宮みたいなね。
だから一回その話をしたら、やっぱり彼らは彼らの考えが染まってるんで、
そういう発想もあるんだっていうふうになるわけですね。
だからあんまり勉強してないんで、日本のこととかね。
だからそういうのを知るっていうことの驚きはやっぱりみんな感じて、
そういう聞く耳がある人はやっぱりなんかね、
それはすごい評価してくれますよね。やっぱり日本はすごいねって。
だから残すのは革命であるって言ったときの、
日本はじゃあ何を残すのかっていうのが問いとして。
そうですよね。
確かに。ヨーロッパが残そうとする歴史とかとは何かもう少し違う、
そのしなやかさも含めた変化の奇跡みたいなものをちゃんと捉え直すみたいな。
だから常に旅行して感覚を研ぎ澄ませているんで、
自分の日本の良いところもわかるし、日本のダメなところもわかるっていう。
だからそういう絵文化理解みたいなのはすごい大事で、
やっぱり自分を発展させる具合が一つの重要な要素ですよね。
あとね、イタリアで金継ぎとか流行ってるんですよ。
そうなんですね。
これもすごい日本の文化ですごい。
これ僕一回説明したら驚いてましたよ。
要はヨーロッパでは物がこう皿が割れちゃうじゃない。
そしたらもうそれで価値がないわけ。要するにもう完璧なものがいいから。
日本って不完全性っていう文化もあるし、
それを繋ぎ合わせてそのダメな部分を今度金で継ぐわけじゃない。
金っていうのはある意味魔法の言葉で価値があるんだね。
それがさらに最初の完全なもので価値を持ったりするわけね。
そうですよね。
旅行の重要性
それってやっぱりすごいコンセプチャルで、
そういう考え方なんだよっていう話を説明すると超みんな驚いて、
それはすごいってなるわけ。
要は若いらにとってそれは逆に意味が深いからね。
深いですね。
だからね、それを説明するってことが大事ですよね。
ある意味ね。
だから日本は素晴らしい文化だってみんなすごく尊敬されてますよね。
そういう勉強してる人とかね、そういう興味ある人はね。
やっぱそれを日本人がある種、何て言うんですかね、
異文化理解として自分たちの文化をまず理解するっていうところは、
もっともっとやっていけると思うんですよね。
そうですね。
ちなみにミラノでアート活動をやる際に、
テリトリオ的な文脈で、先ほどのレモンもそうだと思うんですけども、
影響する部分って感覚で近いのかな。
そうですね。まずは、今それまではアートって独立した、アートないアート、
要するに例えば絵画だったらバルーンとかいろんな問題とかフォームとかいろいろあったんですけど、
そうじゃないものに気づきましたね、イタリアに来てから。
それは要するにアートが生活と結びついてるんですよ。
だから何か何でもないものに価値を見出す意味とか、
そういうことがすごくテリトリオ的っていうか、
要するにテリトリオもただの領域じゃなくて、
すべてが一緒に結びついて、あらゆるものを生活と歴史とか、
それが一つの形になってくるじゃないですか。
だからあと景観とかはよく言われるんですけど、景観もそうなんですよ。
景色じゃなくて、さっき言ったテリトリオと一緒で、
景観というのはそれがものが、人の営みとか歴史とかものとかいろんな職とか、
そういうものを農業も含めて形式なんですね。
だからそういう考え方というのがアートの中で僕の中ではすごく影響してますね。
だからそれが何か逆にその何て言うんでしょうね、
アートないアートで作品を表現していくのももちろんありなんですね。
ありなんですけど、そういうどっちかというと日常生活の中の豊かさというものが形になっていくというのは、
やっぱり知らない間にテリトリオを勉強してたのかなみたいな、
そういう感じですかね。振り返ってみればね。
日本人も、展覧会は世界一に来る民族なんですけど、
アートはちょっと遠いって感じで、僕はあるので、とっても参考になります。
日本、そのテリトリアの話とか、さらっと聞いちゃうと、
行政がこの地域はこの文化で押していこうみたいな、
何て言うんですかね、そういうふうにやったのかな、
じゃあどうやって行政の人とかが視察に来たりするのかなって思うんですけど、
今日の話聞いてると、そうじゃなくて、もっと暮らしとか市民とか、
そういう感覚の中から生まれて、そこにアートも分け隔てなくつながってるっていう、
これを日本にどうして、日本のこう、どう導入していくのかっていうのが、
難しそうだけど面白そうだなという、今日の感想なんですけど。
まずは旅行して、そういう大都市とかじゃなくて田舎がキーポイントに対しては、
イタリアは田舎のほうが面白いんで、そこを何か所が回ると面白い、違いが出たりとかね。
そうか、イタリアの田舎に行こうっていうところですかね。
そうですね。宮地さんも、けんしろうさん全部、実際行って、
なんかビビッと感覚的にかじらげて、ああ、おいしいもの食べてみたいな。
いや、くれものだけでもめちゃくちゃ僕も感じましたし、宮はね、オウルチャ渓谷のほうもね。
やっぱりその身体的な体制感覚っていうのかな。
それって僕もそういうのを体験したんで、やっぱりアートの中で見るだけじゃないのがあることによりこう、
イマジネーションが湧いてくるしっていうのを実行してるんですけどね、実践してるんですけどね。
だから、今日ラジオを聞いていただいて、イタリアのおもしろさがちょっと脅威を持っていただいたら、
レンタカーを借りて田舎に行くっていうのがいいかもしれないですね。
最高なんですよ。
やればよかった。ちょっとね。
国際免許が間に合わなくて。
あのね、バスのタイムはありますけど、本当に風景を見ながらこう、町の中、
ほら電車だとあまりにも町と町に着いちゃうんで、その間が面白いんですよ、間が。
間が、なるほど。
その次こそは。
そうですね。なんか面白いです。
そうですね。最後にこれは働き方ラジオで聞いてて、
アーティストのひろすさんに聞いたらもう全てだって言われそうなんですけども、
ひろすさんが自己表現をしていると感じる瞬間ってどんな時ですかっていう。
僕自身ですか。
そうですね。
そうですね。なんか確かに全部だなとは思うんですけども、
職業柄、そういう自己表現をするのが本職っていうか、メインなわけじゃないですか。
でもなんかこだわりを持ってなんか接するっていう、なんか食べるものでも、
例えばですよ、僕はですね、ちょっと10分歩けばおいしい店があるっていうとするのと、
自己表現の重要性
もう疲れちゃって、ここでいいかっていう。
パラブとしてはやっぱり歩いちゃうんですね、10分。
歩くほう。
歩くほう。そういう時こそやっぱりなんかある意味、自分の本能的に自己表現というか、
そういう、なんていうのかな、全然大げさなことじゃなくて、ちょっとしたこと。
その中の自己表現が大事っていうか、そういう時にちょっとこれは自己表現になってるのかなみたいな。
いや、すごい今納得しましたというか、結構この質問して、結構普段あんま考えることがないので、
なんかこう答えに困る方もいらっしゃるんですけども、なんかその、なんでしょうね、
リサさんの会いたい人に会いに行くのもまさにそうだと思うんですけど、
自分が自分なりの理由とか意味を持って選択する食事とか誰に会うとか、
もうそれが十分自己表現であると。
確かに、それは本当日々、毎日できますよね、そういう意味で言うとね。
そうですね。
はい。
いや、これいいですね。ちょっとこう、皆さん自己表現してますかって問い続けてる中で、
一つのなんか皆さんにとってのヒントになるような言葉をいただいたような気がします。
今日の話全部繋がった感じがしました。
楽しい雑談
はい。ありがとうございます。ということで。
ありがとうございます。すみません、なかなかと。
いえいえ。
雑談的で楽しかったです。
このね、宮入るとよりそうなるんですけど、こう行ったり来たり、こういろんなところを散歩するように。
今日は一応割とセーブしてる方で。
あ、そうですか。
そうですね。純レギュラー会ってのが別にあって、
それはもう本当にあっちゃこっちゃ言って、何の話してたんだっけとか言って、
それがそのまま音声に残ってるんですけど。
なんかこれも本にとかできたら面白いですね。
いいですね。
そうなの。
型ラジオブックみたいな。
ちょっとそんな妄想もね、あるとかないとか。
ちょっと考えていきたいと思います。
いやあ、本当に楽しかったです。ということで。
ありがとうございます。
今日は寺瀬さとしさんにお越しいただきました。
どうもご視聴いただきありがとうございました。
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今回もお聞きいただきありがとうございました。
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